「正しい答え」 作:はい
零無が拘束されてから、二日が経った。
緑谷の負傷は、幸い深刻なものではなかった。
腹部にはまだ鈍い痛みが残っている。
だが、骨や内臓に大きな損傷はない。
歩くことも出来る。
会話にも支障はなかった。
医師からは、まだ無茶をするなと念を押されている。
零無があの一撃で、どこまで力を抑えていたのか。
それは、まだ分からない。
ただ。
本気で緑谷を殺すつもりなら、あの程度では済まなかった。
それだけは、誰も否定出来なかった。
その二日間。
零無は警察と教師による聴取を受けていた。
AFOとの接触。
敵側へ流した情報。
USJ。
林間合宿。
その他の情報漏洩。
聞かれたことには答えた。
だが。
答えないことも多かった。
特に。
何故、AFOへ従ったのか。
そこだけは。
何度聞かれても、同じような答えしか返さなかった。
そして今日。
ようやく。
A組との面会が許可された。
◇
部屋には、A組の生徒達が集まっていた。
緑谷。
爆豪。
麗日。
飯田。
轟。
八百万。
切島。
蛙吹。
障子。
常闇。
耳郎。
上鳴。
芦戸。
瀬呂。
尾白。
砂藤。
口田。
青山。
峰田。
そして。
葉隠透。
零無を除く、二十人全員だった。
部屋の中央には椅子が一つ置かれている。
そこに、零無は座っていた。
両手には拘束具。
個性の使用を警戒した措置も取られている。
壁際には塚内と数名の警察官。
少し離れた場所には根津。
そして。
壁に設置されたモニターには、病院から参加している相澤の姿が映っている。
誰も油断してはいない。
緑谷を一撃で戦闘不能にした。
しかも。
それまで雄英で見せていなかった力を使って。
そんな人間を、クラスメイトだけで囲ませるほど。
今の雄英は甘くない。
それでも。
教師も。
警察も。
今は口を挟まなかった。
これは。
A組自身が、零無へ聞きたいことだったからだ。
零無は椅子に座っている。
逃げようと思えばどうするか。
拘束を外せるか。
この人数を相手に出来るか。
そんなことを考えている様子はなかった。
そもそも。
捕まった時から、一度も抵抗していない。
そのことが。
かえって、全員を苛立たせていた。
誰もが零無を見ている。
怒っている者。
困惑している者。
まだ信じられない者。
何かの間違いであってほしいと思っている者。
理由を聞きたい者。
そして。
嘘をついていると疑っている者。
零無は。
その視線を全て受けていた。
いつもと変わらない顔で。
最初に口を開いたのは、緑谷だった。
「金木君」
「ああ」
「どうして……僕たちを裏切ったのか、聞かせてほしい」
零無は少しだけ首を傾けた。
「それは、ある程度分かっているんじゃないか?」
緑谷が眉を寄せる。
「……どういう意味?」
「僕が以前から、今の個性社会に良い感情を持っていなかったことくらい、君も知っていただろう」
「知ってた」
緑谷は即座に答えた。
「何度か話したこともある。でも、それとAFOに情報を流すことは別だ」
「そうだな」
あまりにも簡単に認めた。
「別の話だ」
「だったら――」
「ただ」
零無が続ける。
「無関係でもない」
緑谷が止まる。
「僕がこの社会を信用していなかったこと」
「今の形のままでは、救われない人間がいると思っていたこと」
「一度壊れなければ、根本的には変わらないのではないかと考えていたこと」
静かに。
「その上で、僕はAFOへ情報を渡した」
それ以上は言わなかった。
AFOと、いつ接触したのか。
何を言われたのか。
何をされたのか。
何を条件にされたのか。
何一つ。
「……それだけ?」
緑谷が聞いた。
零無は緑谷を見る。
「何が?」
「本当に、それだけなの?」
「質問の意味が分からない」
「他に理由は――」
「ない」
即答だった。
部屋の隅で。
透の指先が僅かに動いた。
緑谷はなおも零無を見つめる。
「金木君」
「何?」
「僕は、君が全部話してるようには思えない」
「それは君の感想だろう」
「……!」
「僕がしたことは変わらない」
零無の声は冷静だった。
「情報を渡した」
「君達を危険に晒した」
「それで十分じゃないか?」
「十分じゃないよ!」
緑谷の声が大きくなる。
「理由を聞いてるんだ!」
「だから答えている」
「僕にはそう聞こえない!」
「なら」
零無は目を逸らさない。
「君が納得出来る答えを、僕に言わせたいだけじゃないか?」
緑谷が止まった。
「僕が本当は嫌だった」
「仕方がなかった」
「何か特別な事情があった」
一つずつ。
「そう言えば、君は納得する?」
「そういうことじゃ――」
「なら必要ないだろう」
緑谷の言葉を切った。
「僕がしたことは」
僅かに拘束具が鳴る。
「僕がしたことだ」
◇
「だったら!」
飯田が声を上げた。
「君は我々と共に学び、共に訓練し、共に戦ってきたではないか!」
「そうだな」
「社会に問題があるというのなら、我々と共に正していく道もあった筈だ!」
零無は飯田を見る。
「飯田」
「何だ!」
「それは、いつまでに出来る?」
飯田が止まった。
「……何?」
「君達と一緒に社会を正すとして、いつまでに出来るのか、と聞いている」
「それは……」
飯田は一瞬、答えに詰まる。
「一朝一夕にはいかない。だからこそ、我々がこれから――」
「十年?」
「……」
「二十年?」
「金木君」
「五十年?」
零無は続ける。
「制度を変える」
「教育を変える」
「価値観を変える」
「差別を減らす」
「福祉を整える」
「個性によって、生き方そのものに困難を抱える人間を支える」
「全部、時間が掛かる」
「だからこそ!」
「その間に死ぬ人間は?」
飯田の言葉が止まった。
零無の目が僅かに鋭くなる。
「自分の個性を気味悪がられて、家族にすら触れてもらえない子供は?」
誰も答えない。
「生まれつき、社会生活そのものと相性の悪い個性を持った人間は?」
一つ。
また一つ。
「危険だという理由だけで、何をする前から将来を決められる人間は?」
「……」
「働けない」
「馴染めない」
「助けを求める方法すら分からない」
「自分がおかしいのだと思わされて」
「誰にも言えない」
飯田を見る。
「その人達にも、あと二十年待ってくれ、と言うのか?」
「そんなことは言わない!」
「なら、どうする?」
「今いる者から、一人ずつ――」
「誰が?」
「我々がだ!」
「どうやって見つける?」
「……!」
「助けを求めてこない人間は?」
「自分が助けを求めていいことすら知らない人間は?」
飯田は答えようとする。
だが。
言葉が続かない。
「僕が聞いているのは理念じゃない」
零無の声が低くなる。
「今、既に救われていない人間をどうするのか、という話だ」
◇
「そんな言い方!」
芦戸が声を上げた。
「飯田を責めたって仕方ないじゃん!」
「責めてはいない」
「責めてるみたいに聞こえる!」
「なら、僕の言葉が鋭過ぎるんだろう」
「じゃあ、もうちょっと――」
「だが」
零無が遮る。
「問いを柔らかくしたところで、問題が軽くなるわけではない」
芦戸が黙った。
「改善途中だから仕方ない」
「制度が追いついていない」
「前例がない」
「専門家が足りない」
「予算がない」
「理解が広がるまで時間が掛かる」
淡々と並べる。
「全部、現実的な事情だ」
「僕も理解している」
「だったら……」
「理解していることと」
芦戸を見る。
「納得していることは別だ」
芦戸の表情が歪んだ。
「その『仕方ない』の下で、人生を壊された人間にとって」
一拍。
「事情は、何の慰めにもならない」
「社会は、助けられなかった人間を毎回、不幸な例外として処理する」
僅かに。
本当に僅かに。
声へ怒気が混ざった。
「事件になれば報道する」
「ヴィランになれば逮捕する」
「死ねば同情する」
そして。
「でも」
「その前に誰が見つけた?」
部屋が静まる。
「誰が、事件になる前の人間を」
一拍。
「責任を持って救った?」
◇
爆豪が鼻を鳴らした。
「相変わらず御託ばっか並べやがって」
「そうか?」
「社会が気に食わねぇ」
「変わるまで待てねぇ」
「だから敵に情報流した」
爆豪が零無を睨む。
「結局、てめぇが言ってんのはそれだろうが」
零無は少し考えた。
「ああ」
爆豪の眉が動く。
「大雑把に言えば、そうなる」
「……チッ」
「何?」
「気に食わねぇんだよ」
「何が?」
「その顔だ!」
爆豪の声が響いた。
塚内の横にいた警察官が僅かに身構える。
だが。
相澤も。
根津も。
止めない。
「全部分かってますみてぇなツラで!」
「てめぇ一人で勝手に答え出して!」
「勝手に裏切って!」
「それは議論と関係がある?」
「てめぇの!」
爆豪の額に青筋が浮かぶ。
「そういうとこが気に食わねぇっつってんだよ!」
「なら仕方ない」
「クソが!」
切島が慌てて爆豪の肩を掴む。
「爆豪、落ち着け!」
「離せクソ髪!」
「今殴ったら話聞けねぇだろ!」
「殴った後でも聞ける!」
「駄目だって!」
零無は二人を見ていた。
「元気そうで何よりだ」
「誰のせいだと思ってんだテメェ!」
◇
「……アンタさ」
耳郎だった。
声は小さい。
だが。
それまでとは違う種類の苛立ちがあった。
零無が耳郎を見る。
「何?」
「そうやって、全部理屈で返すの?」
「質問の内容による」
「今も?」
「ああ」
「……そっか」
短い沈黙。
耳郎は視線を逸らさなかった。
「じゃあ聞くけど」
「うん」
「文化祭の時も?」
部屋の空気が僅かに変わった。
零無は答える。
「何が?」
「零無、あの時……色々手伝ったじゃん」
「そうだな」
「頼んでもないのに」
「ああ」
「面倒くさそうにしながら、最後までやった」
「そうだったな」
「……楽しくなかった?」
零無は一瞬だけ考える。
「楽しかったよ」
耳郎の言葉が止まった。
「……じゃあ」
少し間が空く。
「じゃあ、何で」
零無は待つ。
「……何で、それとこれを同時に出来るわけ?」
「同時に?」
「私達と一緒に笑って」
耳郎の声が僅かに強くなる。
「普通に学校通って」
「文化祭やって」
「助けたり、助けられたりして」
一拍。
「その裏で、敵に情報流してたんでしょ?」
「そうだ」
「……っ」
あまりに簡単に認める。
耳郎の声が詰まった。
「そうだ、じゃないでしょ……」
「事実だからな」
「だからって!」
耳郎が声を荒らげた。
「もうちょっと何かあるでしょ!」
零無は黙っている。
「悪かったとか!」
「騙してたとか!」
「私達のことどう思ってたとか!」
「悪かったと思っている」
「……」
「騙していたのも事実だ」
「じゃあ私達は?」
耳郎が聞いた。
「何だったの?」
短い問いだった。
零無は即答しなかった。
数秒。
「友人だと思っている」
耳郎の目が見開かれる。
「……は?」
「今も」
「……何それ」
「質問に答えた」
「最悪」
耳郎は吐き捨てた。
「友達裏切っといて、まだ友達だと思ってるとか」
「矛盾している?」
「してるよ!」
「僕はそうは思わない」
「零無が思わなくても、こっちはするんだよ!」
声が響く。
零無は耳郎を見る。
「……そうか」
「そうか、じゃない」
「では何と言えばいい?」
耳郎の口が開く。
だが。
すぐには言葉が出ない。
「……知らない」
やがて。
それだけ言った。
「自分で考えれば」
「分かった」
「……ほんっと」
耳郎は。
そこで黙った。
◇
八百万が静かに口を開いた。
「あなたは、先程からご自身の考えを随分厳しく我々へ問いかけています」
「ああ」
「ですが」
八百万の目が鋭くなる。
「ご自身の思想が正しいと確信しているようには見えません」
零無は八百万を見る。
「当然だろう」
「……当然?」
「僕一人で考えたものだ」
「完全な筈がない」
何人かが顔を上げた。
「でしたら」
「ご自身も間違っている可能性を――」
「考えているよ」
即答。
「だから君達の話を聞いている」
「でしたら――」
「ただし」
零無は続ける。
「僕が間違っている可能性があることと、君達の反論が正しいことは別だ」
「……」
「僕の論に穴があるなら突けばいい」
「君達の反論に穴があるなら、僕が突く」
一拍。
「最後まで残ったものを考えればいい」
八百万は零無を見つめた。
「議論で、勝ちたいのですか?」
「まさか」
僅かに眉を寄せる。
「そんなものに何の意味がある?」
「……」
「君達が僕より正しい答えを持っているなら」
静かに。
「その方がいいに決まっている」
◇
「だったら!」
緑谷が反応した。
「金木君――」
「ただし」
遮る。
「今のところ、僕はそう思っていない」
緑谷の言葉が止まる。
「むしろ以前より」
零無は続ける。
「僕の考えは正しかったのではないかと思っている」
部屋が静かになる。
轟が口を開いた。
「……今の社会を見てか」
「ああ」
「AFOに壊された社会を見て、自分が正しかったと思ったのか?」
「違う」
零無は首を振る。
「壊れた後を見てだ」
麗日の顔が変わった。
零無は彼女を見る。
「麗日」
「……何?」
「君が雄英の屋上から話した時のことを覚えている」
「……」
「立派だったと思う」
麗日が眉を寄せる。
「……何なん、それ」
「疲れ切った緑谷を拒絶する人達に」
「君は、彼も一人の人間なんだと訴えた」
「……」
「ヒーローだけが一方的に人を支えるのではない」
「市民も、ヒーローを支える側にならなければならない」
「少なくとも、僕にはそう聞こえた」
「だったら」
麗日が一歩前へ出た。
「あの時、みんな最後には聞いてくれた」
「ああ」
「変われたんだよ」
「そうだな」
「だったら――」
「だから困っているんだ」
麗日が止まる。
「……は?」
「君の言葉が」
「届いてしまった」
そこに皮肉はなかった。
むしろ。
そのこと自体を喜んでいるようにさえ聞こえた。
「本来なら、僕にとっても喜ばしいことだった筈だ」
麗日の眉が強く寄る。
「だったら何なん!?」
少しずつ。
声が大きくなる。
「何がそんなに気に入らんの!?」
「君の言葉が届くまでに」
零無の目が鋭くなる。
「何が必要だった?」
麗日が止まった。
「ヒーロー社会が崩壊した」
「大量のヴィランが街へ放たれた」
「ヒーローが次々に辞めた」
「市民が武装した」
「社会そのものを信用しなくなった」
一つずつ。
「平和の象徴も」
「ヒーローへの幻想も」
「安全な日常も失った」
麗日をまっすぐ見る。
「そこまで壊れて」
「ようやく君の言葉を本気で聞いた」
麗日の拳が握られた。
「……それを」
零無は続ける。
「僕に、壊れなくても人は変われる証拠だと言うのか?」
「違う!」
麗日の声が響いた。
今までより。
ずっと強かった。
「そんな言い方、違う!」
「何が?」
「あの人らは!」
一歩。
「壊れたからデク君を受け入れたんやない!」
「では?」
「怖かったんや!」
麗日の声が震える。
「家族がおって!」
「守りたい人がおって!」
「やっと安全な場所に来れたと思ったのに!」
「AFOに狙われとるデク君が帰ってきた!」
「そうだな」
「怖くて当たり前やろ!」
「ああ」
「それでも!」
麗日は胸元を押さえた。
「あの人らは聞いてくれた!」
「デク君がずっと一人で戦っとったことも!」
「ボロボロになっとったことも!」
「ヒーローだって人間なんだってことも!」
零無は。
黙って聞いている。
「それを……!」
麗日の目に涙が滲む。
「それを、社会が壊れたからやって一言で片付けんといて!」
「片付けてはいない」
「片付けてる!」
即座に返した。
零無が僅かに目を細める。
「金木君は、結果だけ見てる!」
麗日は止まらない。
「あの日、あそこにおった人、一人一人が何考えて!」
「どんな顔して!」
「最後に何を選んだか見てへん!」
「見ていたよ」
「だったら!」
「だからこそ言っている」
零無の声も。
少しだけ強くなる。
「何故、あそこまで追い詰められる必要があった?」
「……!」
「何故」
「緑谷が一人で街を彷徨い」
「立っているのも難しくなるまで戦ってからなんだ?」
麗日が息を呑む。
「何故」
「社会が崩壊してから」
「ヒーローも人間だと気付く?」
「……」
零無の拘束された指が。
僅かに握られる。
「変われたなら」
低く。
「もっと早く変われ」
部屋が静まる。
「誰かが死ぬ前に」
「誰かがヴィランになる前に」
「誰かが家族を殺す前に」
「誰かが、自分を嫌いになる前に」
そして。
「どうして」
「壊れてからなんだ」
◇
麗日は何も言わなかった。
泣いていた。
それでも。
零無から目を逸らさない。
「……それでも」
「何?」
「それでも私は」
声を震わせながら言った。
「あの日」
「みんなが変わってくれたことを」
「間違いやなんて絶対思わん」
「ああ」
「金木君に何言われても思わん!」
「僕も思っていない」
即答だった。
麗日が止まる。
「素晴らしいことだったと思う」
「……じゃあ」
「だからこそ厄介なんだ」
零無は麗日を見る。
「君が正しかったことと」
「僕が間違っていたことが」
一拍。
「両立してくれない」
「……」
「僕は」
「君に間違っていてほしかったわけじゃない」
静かに。
「僕が」
「間違っていてほしかった」
麗日の表情が変わった。
◇
八百万が再び口を開いた。
「ですが」
零無が彼女を見る。
「それは、結果から逆算した論理ではありませんか?」
「というと?」
「社会が崩壊した」
「その後に変化が起きた」
八百万は、言葉を選びながら続ける。
「ですが、その二つが続けて起きたからといって」
「社会の崩壊が、その変化に必要不可欠だった証明にはなりません」
零無は数秒考えた。
「ああ」
八百万の目が鋭くなる。
「良い指摘だ」
「でしたら――」
「なら」
零無はすぐに続ける。
「崩壊せずに、同程度の変化が起こり得たと考える根拠を挙げてくれ」
八百万が止まる。
「……」
「可能性だけなら、僕も否定していない」
「人間が平穏なまま、自発的に変われる可能性がゼロだとは言っていない」
「でしたら!」
「問題は」
零無の声が低くなる。
「その可能性に、今生きている人間の命を賭けていいのかということだ」
八百万の唇が僅かに結ばれる。
「社会はいつか良くなる」
「人々は少しずつ変わっている」
「制度も改善している」
零無の表情が、ほんの少し歪んだ。
「だから」
一拍。
「待とう」
「……」
「僕は、その言葉が嫌いだ」
八百万は黙っている。
「待てる人間が」
静かな声だった。
「待てない人間に言うからだ」
◇
「いつまで?」
誰に向けた問いでもなかった。
「僕の母は、待てなかった」
空気が変わった。
透が僅かに顔を上げる。
緑谷も。
飯田も。
耳郎も。
言葉を挟まない。
「僕を産んだ母は、死んだ」
零無の声は平坦だった。
「生まれ持った個性が」
一拍。
「彼女の身体を」
「人生を」
「日常を」
「ずっと苦しめた」
誰も動かない。
「生まれた時から」
「自分の身体すら思うようにならない人だった」
零無は前を向いたまま続ける。
「社会は彼女を悪人にはしなかった」
「全員が彼女を迫害したわけでもない」
「医者もいただろう」
「制度もあった」
「助けようとした人間もいた」
そして。
「それでも」
一拍。
「救えなかった」
緑谷が息を呑む。
「僕を育てた母も」
「まともな形では、誰にも救われなかった」
透が僅かに拳を握った。
零無は見ない。
「そして」
「父はヴィランとして死んだ」
飯田が目を伏せた。
誰かが小さく息を吐く音だけが聞こえた。
「彼ら全員を」
零無は続ける。
「社会の被害者だったと言うつもりはない」
「父が犯した罪は父のものだ」
「母達がした選択まで全部社会のせいにすれば」
一拍。
「それは嘘になる」
「だが」
顔を上げる。
「個人に責任があることと」
静かに。
「社会に責任がないことは、同じではない」
◇
障子が静かに口を開いた。
「……分かる部分はある」
皆が障子を見る。
「異形というだけで、最初から怖がられることはある」
低い声。
「何もしていなくても」
「見た目だけで距離を取られる」
「人として扱われないこともある」
「ああ」
零無は頷いた。
「僕が言いたいのは、まさにそういうことだ」
「露骨な差別は悪いと言えるようになった」
「だが」
「嫌悪を持つ自由」
「怖がる自由」
「距離を取る自由」
「一つ一つは、誰にでもある感情だ」
障子を見る。
「だが、それが何百人分も積み重なれば」
「一人の人間を社会の外へ押し出せる」
障子は黙っている。
「しかも」
「誰も、自分を悪人だとは思わない」
零無は目を伏せる。
「そこが」
「一番厄介なんだ」
◇
砂藤が低い声で言った。
「でも」
「普通の人だって、毎日自分のことで精一杯だろ」
「ああ」
「全員が困ってる人に気付けるわけじゃない」
「その通りだ」
「だったら」
砂藤は零無を見る。
「それを全部、社会が悪いって言うのも違うんじゃないか?」
「だから」
零無は答える。
「人間の善意に期待するなと言っている」
砂藤が眉を寄せる。
「僕は、人間の善意は尊いと思っている」
「だからこそ」
「それを前提に社会を設計してはいけない」
部屋が静かになる。
「誰かが気付いてくれる筈」
「誰かが手を差し伸べてくれる筈」
「良い家族なら支えてくれる筈」
「良い教師なら異変に気付く筈」
「良い隣人なら声を掛ける筈」
そして。
「そんな偶然の優しさに」
「人間の人生を委ねるな」
◇
「……でも」
口田が小さく言った。
全員が彼を見る。
「優しい人がいるから」
「助かる人も……いる」
零無は口田を見る。
「ああ」
そこだけ。
ほんの少し。
声が柔らかくなった。
「いる」
「僕も、それは知っている」
一瞬だけ。
何かを思い出すように目を伏せる。
「だから」
「優しさを否定しているんじゃない」
顔を上げる。
「優しい人が偶然そこにいなければ終わる仕組みにするな」
口田は。
ゆっくり頷いた。
◇
「……じゃあさ」
峰田だった。
珍しく真面目な声。
「お前」
「社会が悪いっていうけど」
零無を見る。
「社会って結局」
「俺らみたいな奴の集まりだろ?」
空気が少し変わる。
「その……」
峰田は頭を掻いた。
「何かすげぇこと言おうとしてるわけじゃねぇぞ」
「分かっている」
「だったら途中で口挟むな!」
「悪かった」
「だから!」
峰田は続ける。
「社会が変わんねぇのが悪いなら」
「俺ら一人一人も変わってねぇってことじゃん」
「そうだな」
「だったら」
峰田は少し考えながら。
「壊したところで」
「同じ奴らが」
「また同じもん作るんじゃねぇの?」
部屋が静かになる。
上鳴が峰田を見る。
「お前……」
「何だよ!」
「いや、普通に良いこと言ったから」
「うるせぇ!」
「いや」
零無が言う。
「かなり重要な指摘だ」
峰田が止まる。
「……マジ?」
「ああ」
「社会だけを壊せば」
「人間まで別の生き物になるわけじゃない」
「僕も、そこは問題だと思っている」
「じゃあ」
峰田の眉が寄る。
「やっぱ壊す意味なくね?」
「そうかもしれない」
峰田が目を丸くした。
「……え?」
「僕は最初から、僕の考えが絶対に正しいとは言っていない」
「いや!」
峰田が声を上げる。
「お前さっきからめちゃくちゃ自信満々じゃん!」
「自信がないから曖昧に話す方が、不誠実だろう」
「めんどくせぇ!」
「それは同意する」
◇
青山が静かに口を開いた。
「……人は」
零無が青山を見る。
「いつでも、一番正しい選択が出来るわけじゃないと思う」
青山は少し言葉を探した。
「怖かったり」
「何かを失いたくなかったり」
「そんな時に」
「後から見れば、間違いだったことを選ぶこともある」
一拍。
「だから」
「君にも、何か――」
「ない」
零無が遮った。
青山が止まる。
「少なくとも」
零無は続ける。
「それで僕のしたことを軽くする必要はない」
「……」
「僕がした」
「誰かのせいにするつもりはない」
青山は。
それ以上何も言わなかった。
透も。
まだ。
口を開かなかった。
◇
緑谷が零無を見つめる。
「もし」
「何?」
「君のお母さん達が、もう少し違う場所に生まれていたら」
零無は黙って聞く。
「お父さんも」
「もっと早く誰かに止めてもらえていたら」
緑谷はゆっくり続けた。
「結果が違ったと思う?」
零無はすぐには答えなかった。
「分からない」
一拍。
「でも」
「違った可能性はある」
「その可能性を」
「社会はもっと真面目に扱うべきだったと思う」
零無の目が冷たくなる。
「人間がヴィランになってから」
「何故こうなったのかと分析する」
はっきりと嫌悪が浮かんだ。
「遅いんだよ」
誰も言葉を挟めない。
「人を殺してから」
「家庭環境に問題があった」
「学校で孤立していた」
「個性への偏見があった」
「支援に繋がっていなかった」
「もっともらしく並べる」
声が低くなる。
「全部」
「事件になった後だ」
一拍。
「死んだ後だ」
◇
「だからって!」
切島が声を上げた。
「今生きてる奴を犠牲にしていいことには、なんねぇだろ!」
「ならない」
「だったら!」
「だから」
零無にも。
僅かな苛立ちが出た。
「僕が正義だという話をしているんじゃない」
切島が止まる。
「僕が人を傷付けた」
「悪い」
「君達を裏切った」
「悪い」
「僕の行動によって誰かが死んだなら」
「その責任も僕にある」
淡々と。
逃げない。
「そこを正当化する気はない」
そして。
「だからといって」
「元の社会が正しかったことにはならない」
切島が歯を食いしばる。
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ!」
零無は切島を見る。
「それを考えるのが、君達じゃないのか?」
「……!」
「ヒーローになるんだろう?」
挑発ではなかった。
零無は。
本気だった。
「僕は君達に期待している」
視線を巡らせる。
「だから」
「この程度で難しいと言ってほしくない」
「僕の言葉が気に入らないなら」
「反論すればいい」
「僕の結論がおかしいなら」
「もっと良い結論を出してくれ」
「僕が見落としているものがあるなら」
一拍。
「教えてくれ」
そして。
「ただし」
目が鋭くなる。
「僕達が仲間だったから」
「僕が可哀想だから」
「僕の母親が死んだから」
「父親がヴィランだったから」
そこで止める。
AFOに何をされたか。
それだけは。
決して口にしない。
「そんな理由で」
「僕の言葉を受け入れるな」
静寂。
「僕の過去は」
「僕の論の証明にはならない」
◇
「……それ」
上鳴が苦い顔で言った。
「友達に言う台詞かよ」
「友達だから言っている」
「……え?」
「君達なら考えられると思っている」
淡々と。
「出来ないと思っている相手に」
「こんな話はしない」
「適当に慰める」
「適当に同意する」
「そして何も期待しない」
上鳴が。
何も言えなくなる。
耳郎が小さく吐き捨てた。
「……そういうの」
「ホントずるい」
零無が見る。
「何が?」
「友達だって言葉だけ」
「都合よく残すとこ」
「都合がいい?」
「だってそうじゃん」
耳郎の声は低い。
「こっちには」
「怒れ」
「考えろ」
「反論しろって言うくせに」
少し。
声が詰まる。
「零無は」
「自分がどう思われてもいいみたいな顔してる」
零無は少し黙った。
「僕がどう思われるかと、議論の内容は――」
「そういうとこ!」
耳郎が遮った。
「今その話してない!」
零無が止まる。
「……そうか」
「だから、それやめてって」
「何を?」
「すぐ話を整理して」
耳郎は零無を見る。
「自分だけ外に出るの」
零無は。
答えなかった。
◇
その間。
透は。
何度も口を開きかけていた。
そして。
その度に閉じていた。
零無を見る。
目を逸らす。
また見る。
二日間。
考え続けていたのだろう。
ようやく。
口を開いた。
「じゃあ」
零無の視線が動く。
「私が言っても?」
「何を?」
「社会は変えられるって」
「構わないよ」
「私達が変える」
「うん」
「今度は」
一拍。
「壊れる前に」
零無は透を見る。
「どうやって?」
透が詰まった。
助け舟は出さない。
「……みんなで」
「誰と?」
「ヒーローも」
「市民も」
「みんな」
「参加しない人間は?」
「……」
「変化を嫌う人間は?」
「……」
「今の社会で利益を得ているから、変えたくない人間は?」
透の手が握られる。
「自分の家族を守るだけで精一杯の人間は?」
「他人のために、時間も金も使いたくない人間は?」
「自分とは違う個性を、生理的に怖いと思う人間は?」
「金木君!」
麗日が声を上げた。
「透ちゃんに、そこまで言わんでもええやろ!」
零無は麗日を見る。
「透だから聞いている」
「何で!」
「僕は彼女を馬鹿だと思っていない」
透が顔を上げる。
「彼女が僕に」
「変えると言うなら」
「僕は、その言葉を真面目に扱う」
「透」
「……何?」
「君は優しい」
透が息を呑む。
「だが」
「世界が」
「君と同じくらい優しいことを前提にするな」
「……分かってるよ」
「本当に?」
「分かってる!」
透の声が大きくなった。
「零無みたいな人がいることも分かってる!」
「僕みたいな?」
「諦める理由ばっかり見つける人!」
部屋が静かになる。
「人は変わらないとか!」
「壊れなきゃ変われないとか!」
透は止まらない。
「そんなの」
「零無がもう期待したくないだけじゃん!」
「違う」
即答。
「僕は期待しているよ」
「嘘!」
「嘘じゃない」
「じゃあ何でこんなことしたの!」
零無は黙る。
ほんの一瞬。
それでも。
「人間が変われないとは思っていない」
答えたのは、それだけだった。
「人間は変われる」
「だったら!」
「だが」
零無は続ける。
「痛い目を見るまで」
「自分が得をしている仕組みを手放さない人間は多い」
「……」
「追い詰められるまで」
「他人の痛みを、自分の問題として扱わない人間も多い」
麗日の表情が強張る。
「そして残念なことに」
零無は全員を見る。
「この数ヶ月の社会が」
「それをかなりの精度で証明した」
◇
「だから」
零無は僅かに表情を歪めた。
「僕は本当なら」
「君達に」
「僕が間違っていたと証明してほしかった」
緑谷が顔を上げる。
「金木君……」
「だが」
「実際に起きたのは逆だった」
「社会は壊れた」
「人々は、それまでの常識を疑った」
「麗日の言葉を聞いた」
「ヒーローも、一人の人間だと認めた」
「そして」
「少しだけ変わった」
一拍。
「僕が望んでいた変化が」
静かに。
「僕が必要なのではないかと思っていた崩壊の後に起きた」
目を伏せる。
「皮肉なものだな」
「違う」
緑谷だった。
零無が顔を上げる。
「何が?」
「それでも、君のやり方は間違ってる」
「理由は?」
「救うために、誰かを切り捨ててるからだ」
「ああ」
「今まで救われなかった人を助けるために」
「今いる人を犠牲にしたら」
緑谷は零無を見る。
「同じだよ」
零無は何も言わない。
「社会が誰かを見捨てたことを怒ってる君が」
「今度は、別の誰かを見捨てることになる」
「それは以前にも考えた」
「その上で?」
「ああ」
「それでもやったの?」
「そうだ」
緑谷の顔が歪む。
「……なんで」
「全員を救える選択肢が本当にあるなら」
「僕だって、そちらを選ぶ」
「だったら!」
「無いと思ったからだ」
「あるよ!」
「どこに?」
緑谷が止まる。
「これから探す」
その言葉を。
零無は黙って待つ。
緑谷は続けた。
「今は、まだ答えなんてない」
「でも」
「それでも探す」
零無が問う。
「見つからなくても?」
「探す」
「その間に誰かが死んでも?」
緑谷の顔が歪む。
「それでも次は助ける!」
「次も間に合わなかったら?」
「その次を助ける!」
声が部屋へ響いた。
「何度失敗しても!」
緑谷は一歩前へ出る。
「そこで」
「もう無理だから壊そう」
「にはしない!」
零無は黙っている。
「君が諦めたものを」
緑谷は。
真正面から彼を見る。
「僕は諦めない」
◇
爆豪が鼻を鳴らした。
「やっとマシなこと言いやがったな」
「かっちゃん!?」
「けど、まだ甘ぇ」
爆豪は零無を見る。
「てめぇもだ」
「僕も?」
「壊さなきゃ変わらねぇ?」
爆豪が嗤う。
「んなもん」
「壊れてからしか変えられなかった奴らの結果論だろうが」
零無の目が僅かに鋭くなる。
「続けて」
「次は」
「壊れる前に変える」
「どうやって?」
「知らねぇ」
「……」
「だから」
爆豪は吐き捨てる。
「これからやるんだろ」
零無が口を開く。
「その間に――」
「死ぬ奴は、とか言うんじゃねぇぞ」
先に潰された。
「死なせねぇためにやるんだよ」
「全員を?」
「そうだ」
「不可能だ」
「だから何だ」
即答。
今度は。
零無が止まった。
「出来ねぇことまで」
爆豪は零無を睨む。
「出来るつもりで動く」
「随分と非合理的だな」
「ヒーローだからな」
零無は何も返さなかった。
敗北したわけではない。
納得したわけでもない。
ただ。
その答えを、本気で検討していた。
「……そういうものか」
「てめぇも雄英にいたんだから知ってんだろうが」
「知識としては」
「クソが」
爆豪は舌打ちした。
「頭良いくせに」
「一番大事なとこ馬鹿なんだよ」
「それは反論として扱えばいい?」
「好きにしろ!」
◇
誰も笑わなかった。
ただ。
張り詰めていたものが。
ほんの少しだけ緩んだ。
その中で。
透だけは。
まだ零無を見ていた。
「零無」
「うん」
「一個だけ答えて」
「内容による」
「私のためだった?」
部屋が静まり返った。
緑谷が透を見る。
麗日も。
耳郎も。
全員の視線が。
零無へ向く。
零無は透を見る。
「何が?」
「裏切ったこと」
「違う」
一瞬だった。
透の指が震える。
「……本当に?」
「ああ」
「私、関係ない?」
「ない」
「……」
「僕は、自分で決めた」
それだけ。
透は零無を見る。
「でも」
「何?」
「途中から、何かあったでしょう」
「ない」
「嘘」
「嘘じゃない」
「じゃあ」
透の声が震える。
「何であんなに、私にヒーローやめてほしそうだったの?」
零無は黙る。
「何で、危ないことする度に怒ったの?」
「友人が危険な職業を選べば」
「心配くらいする」
「それだけ?」
「ああ」
「……嘘」
「透」
「嘘だよ!」
声が響いた。
「ずっと一緒にいたんだよ!?」
零無は黙っている。
「中学からずっと!」
「……」
「零無が何考えてるか」
「全部分かるなんて言わない!」
透は泣いていた。
「そんなの無理だし!」
「分かんないことばっかりだった!」
「でも!」
一歩。
前へ出る。
「今、嘘ついてることくらい分かるよ!」
零無は透を見る。
「そうか」
「そうかじゃない!」
「では」
「どう答えればいい?」
「本当のこと言ってよ!」
「言っている」
「言ってない!」
零無は。
何も返さない。
透は拳を握った。
「……私のせい?」
「違う」
「私が何かした?」
「していない」
「私がいたから?」
「違う」
「じゃあ何で!」
「僕が決めたからだ」
声は変わらなかった。
「僕が選んだ」
「誰に何を言われたわけでもない」
「誰かを守るためでもない」
「仕方がなかったわけでもない」
一つずつ。
自分自身へ。
罪を集める。
「僕がそうしたかったから」
一拍。
「そうした」
透の顔が歪んだ。
「……最低」
「ああ」
「嫌い」
「それでいい」
「よくない!」
透が叫んだ。
「それも!」
「勝手に決めないでよ!」
零無が止まる。
「社会のことも!」
「自分が何したかも!」
「これからどうするかも!」
「全部一人で決めて!」
声が震える。
「でも……!」
透は泣きながら叫んだ。
「私が誰を好きで!」
「誰を嫌いになるかまで!」
一拍。
「零無が決めないで!」
零無の言葉が止まった。
「私の気持ちまで」
「勝手に整理しないでよ!」
「……」
「私が」
「零無をどう思うかは」
透は。
泣いたまま。
真正面から言った。
「私が決める!」
長い沈黙。
零無は透を見ていた。
いつもなら。
言葉を分解する。
前提を探す。
矛盾を探す。
返す。
だが。
今は出来なかった。
「……それは」
僅かに息を吐く。
「君の言う通りだな」
透が顔を上げる。
「そこについては」
「僕に口を出す権利はない」
それだけだった。
謝らない。
救いを求めない。
真実も話さない。
「でも」
透は泣いたまま言った。
「私、信じないから」
「何を?」
「今言ったこと」
「……」
「全部」
「零無が自分で決めたなんて」
「信じない」
零無は。
何も答えなかった。
否定すればいい。
いつものように。
論理的に。
だが。
何も言わなかった。
◇
「……金木」
瀬呂だった。
「何?」
「一個だけ、俺も言っていい?」
「ああ」
「お前さ」
瀬呂は少し顔を歪めた。
「社会が救えなかった奴のこと」
「ずっと数えてんじゃん」
「そうだな」
「なのに」
少し間がある。
「自分だけ、数えてなくね?」
静寂。
零無の眉が僅かに動く。
「……どういう意味?」
「そのまんま」
瀬呂は答える。
「世界が良くなるなら」
「自分はどうなってもいい」
「みたいな顔してんじゃん」
耳郎が小さく言った。
「……それ」
全員が見る。
「私も思った」
上鳴も頷く。
「俺も」
八百万が続けた。
「あなたは」
「責任を取るという言葉で」
「ご自身だけを、処分可能な存在として扱っていませんか?」
零無は黙る。
峰田が眉を寄せた。
「いや」
「それ普通にズルくね?」
零無が見る。
「何が?」
「散々」
「人を見捨てんなって社会に怒ってんのに」
峰田は真面目だった。
「自分は見捨てていいんかよ」
「……」
「お前も、社会にいる人間の一人だろ」
零無は。
今度は。
すぐに答えなかった。
「自分で裏切ったから?」
瀬呂が聞く。
「だから」
「自分はもう、救われる側じゃないって?」
「そうは言っていない」
「でも」
耳郎だった。
「そうしてるじゃん」
「……」
「さっきからずっと」
「自分が悪い」
「自分が選んだ」
「自分が責任取る」
耳郎は零無を見る。
「そればっかり」
「事実だ」
「だから!」
また。
声が強くなる。
「それで全部終わらせようとすんなって言ってんの!」
零無が黙る。
「文化祭の時はさ」
耳郎は一瞬、言葉を止めた。
「……困ってたら」
「普通に手伝ったじゃん」
「……」
「私が何も言えなくても」
「困ってることまでは分かったって」
「言ったじゃん」
零無の目が僅かに動いた。
「なのに」
耳郎は唇を噛む。
「自分のことだけ」
「誰にも分からせる気ないんだ」
返事はなかった。
「それ」
小さく。
「ズルいよ」
◇
爆豪が鼻を鳴らした。
「図星じゃねぇか」
零無は。
少しだけ目を伏せた。
「……完全には」
一拍。
「否定出来ない」
「ほら」
透の小さな声。
「やっぱり」
零無は透を見る。
何も返さない。
◇
緑谷がゆっくり口を開いた。
「金木君」
「何?」
「次は」
「壊れる前に変えるよ」
零無は緑谷を見る。
「そうか」
「うん」
緑谷は続ける。
「君が、救えなかったって思ってる人達も」
「これから、同じように救われないかもしれない人も」
「最初から諦めない」
「出来ると思う?」
「思う」
「根拠は?」
「今はまだない」
「それでは、僕は納得出来ない」
「分かってる」
緑谷は一歩前へ出た。
「だから」
真っ直ぐ。
「証明する」
零無は緑谷を見る。
長く。
静かに。
「……全員を?」
「全員だ」
「それは不可能だと、僕は思っている」
「僕は思わない」
「失敗する」
「するかもしれない」
「救えない人間も出る」
緑谷の顔が僅かに歪む。
それでも。
「その人を」
「最初から仕方なかったことにはしない」
零無が止まった。
緑谷は続ける。
「間に合わなかったら悔やむ」
「何で間に合わなかったのか考える」
「次は間に合わせる」
「それでも」
「また失敗したら?」
「また考える」
「何度でも?」
「何度でも」
「非効率だな」
「うん」
「合理的でもない」
「うん」
「それで社会を変えられる保証もない」
「ない」
緑谷は。
全部認めた。
そして。
「でも」
零無を見る。
「君みたいに」
「最初から誰かを諦めるよりいい」
零無は黙る。
「君自身も含めて」
その一言で。
部屋が静かになった。
零無の目が僅かに動く。
緑谷は続ける。
「君もだよ」
「……僕?」
「うん」
「何故?」
本気で。
分からないような問いだった。
緑谷の表情が歪む。
「何でって……」
「僕は君達を裏切った」
「知ってる」
「敵へ情報を流した」
「知ってる」
「僕の行動で、危険に晒された人間もいる」
「分かってる」
「なら」
「それでもだよ」
緑谷は遮った。
「それを無かったことにはしない」
「許すとも、今は言えない」
一拍。
「でも」
零無を見る。
「だからって」
「君を最初から、救われない側に置いたりしない」
「……」
「だって」
少しだけ。
声を落とす。
「それをやったら」
「君がずっと怒ってた社会と」
一拍。
「同じになる」
零無は。
何も言わなかった。
誰も。
急かさなかった。
拘束具が。
僅かに鳴った。
やがて。
零無は。
僅かに息を吐いた。
「……なるほど」
それだけ。
緑谷は続ける。
「次は」
「壊れる前に変える」
「そうか」
「絶対に証明する」
零無は緑谷を見る。
挑発も。
嘲笑もない。
「なら」
静かに。
「やってみればいい」
「うん」
「期待しているよ」
その言葉だけは。
この部屋の誰よりも。
重かった。
◇
零無は。
退かなかった。
母達が救われなかったことを忘れない。
父が犯した罪も忘れない。
事件になるまで。
見つけてもらえなかった人間達を忘れない。
今の社会に怒っている。
救えなかった人間を。
仕方のない犠牲として切り捨てることに怒っている。
平穏な場所にいる人間が。
救われない人間へ。
少しずつ良くなると言えることに怒っている。
そして何より。
変われた筈なのに。
壊れるまで変わらなかったことに。
怒っている。
その怒りは。
嘘ではない。
だから。
使った。
本当のことを。
本当の理由を隠すために。
理由を話さないだけでは。
彼らは追及を止めない。
だから。
代わりの理由が必要だった。
嘘ではないものを使った。
嘘が。
零無は。
本当にこの社会へ怒っている。
本当に。
一度壊れなければ変われないのではないかと考えたことがある。
本当に。
雄英へ情報を渡した。
その三つを。
一つの線で結んだ。
まるで。
最初からそれが。
自分がAFOへ従った理由だったかのように。
そこに。
別の何かがあったとは。
一言も言わない。
透の名前を。
理由の中へ入れない。
誰にも。
入れさせない。
AFOが何をしたのかも。
語らない。
事情を知られれば。
自分の罪が薄まる。
少なくとも。
彼らはそう考えるかもしれない。
それを。
零無は許さなかった。
だから。
全てを。
自分へ向けた。
自分が選んだ。
自分が情報を渡した。
自分が裏切った。
自分が悪い。
それだけでいい。
その筈だった。
だが。
この部屋へ入る前より。
答えにくくなった問いがある。
社会が救えなかった人間を。
仕方のない犠牲として切り捨てることを。
許せないのなら。
何故。
自分だけは。
最初から。
救われる人間の数に入れていないのか。
――君自身も含めて。
緑谷の言葉が。
残っている。
耳郎の。
――自分のことだけ、誰にも分からせる気ないんだ。
という言葉も。
透の。
――私が零無をどう思うかは、私が決める。
という言葉も。
そして。
八百万の。
――ご自身だけを、処分可能な存在として扱っていませんか。
という問いも。
どれも。
すぐには否定出来なかった。
それが。
零無には。
何より厄介だった。