「正しい答え」 作:はい
あの会話から、数時間後。
零無は別室へ移されていた。
事情聴取は一度打ち切られ、A組の生徒達にも休むよう指示が出ている。
当然、まともに休めている者など、一人もいなかった。
◇
共有スペースへ戻ってから、誰も自室へ戻ろうとしなかった。
普段なら、誰かがテレビをつける。上鳴や芦戸が騒ぎ、瀬呂が混ざり、峰田が余計なことを言う。耳郎が突っ込み、爆豪が怒鳴り、飯田が注意する。
それが、この場所の日常だった。
しかし今日は、テレビの電源すら入っていない。
「……クソ」
爆豪が舌打ちした。
上鳴はソファへ深く沈み込んでいる。
「頭痛ぇ……」
「それは考え過ぎじゃない?」
耳郎が反射的に返す。
「いや考えるだろ普通!」
「……まあね」
いつもなら、そこで少しくらい笑いが起きる。今日は誰も笑わなかった。
芦戸も床へ座ったまま、膝を抱えている。
「何かさ……」
「うん」
瀬呂が応じる。
「頭ん中でずっと、金木の言ってたこと回ってる」
「私も」
「反論出来るところもあったんだけどさ」
芦戸は顔を伏せる。
「全部違うって言えないのが、すっごい嫌」
砂藤が腕を組んだまま言った。
「多分、あいつもそれ分かってて話してたんだろ」
尾白も頷く。
「答えを教えるつもりじゃなかったんだと思う」
「僕の言葉がおかしいなら反論しろ、か」
常闇が低く呟く。
「……腹立つな」
耳郎だった。
上鳴が顔を向ける。
「耳郎?」
「ずっと考えてたんだけど」
耳郎は顔を上げない。
「やっぱ、ムカつく」
「金木に?」
「それ以外に誰がいんの」
短く返して、少し黙る。
「……文化祭の時」
何人かが耳郎を見る。
「アイツ、手伝ってくれたじゃん」
誰も口を挟まない。
「最初、全然興味なさそうだったくせに、こっちが困ってたら、機材とか予定とか、勝手に色々考えて」
少し間が空く。
「私が礼言ったら、『礼を言うのは終わってからにしろ。まだ成功してない』って」
上鳴が僅かに口元を緩める。
「……言いそう」
「言ったんだよ」
耳郎は少し苛立ったように返す。
「で、さっき聞いたら、楽しかったって」
静かになる。
「……そこ、嘘だった方が良かった?」
芦戸が聞く。
「知らない」
即答だった。
「分かんない」
耳郎は髪を掻く。
「全部嘘なら楽だったんだよ。最初から任務でした。私達なんかどうでもよかったです。そうなら最低って言って終われる」
「……うん」
「でも違うんでしょ」
声が低くなる。
「楽しかったのも本当。友達だと思ってたのも本当。私達に期待してるってのも、多分本当」
そして。
「それで裏切ってんの」
耳郎は吐き捨てた。
「……意味分かんない」
◇
「私も」
麗日が言った。
全員がそちらを見る。
「私も、腹立ってる」
声は大きくない。けれど、抑えた分だけ重かった。
「私があそこで喋ったことを、金木君がどう受け取るかは、私には決められない」
膝の上で、指がゆっくり握られる。
「でも、あれを、壊れたから人は変わったって証拠みたいに言われるのは、やっぱり嫌」
緑谷が麗日を見る。
「お茶子ちゃん……」
「あの人達、怖かったんだよ。デク君が嫌いだったわけじゃない。ヒーロー全部が嫌いだったわけでもない。家族がおって、生活があって、やっと逃げてきた場所で、また危ない目に遭うかもしれない。怖かっただけなんだよ」
一度、息を吐く。
「それでも最後には聞いてくれた。私は、それを、壊れたから、だけで片付けたくない」
誰も口を挟まない。
「……でも」
麗日は目を伏せた。
「金木君が言ってることも、全部間違ってるって言えへん。平和だった時に同じこと言って、みんながあんなふうに聞いてくれたかって聞かれたら、分からへん」
少しだけ眉を寄せる。
「だから余計に腹立つ」
顔を上げた。
「何であの人、そんなこと、一人でずっと考えてたんやろ。もっと早く言えばよかったやん。社会がおかしいって。間に合わへん人がおるって。私らが答えられへんかったら、何回でも言えばよかった」
声は静かなままだった。
「何で、全部終わってから言うんやろ。裏切って、捕まって、もう自分がどうなってもええみたいになってから」
麗日は視線を落とす。
「……ずるい」
そして。
「今になって、君達なら考えられる、って」
一拍。
「それやったら、最初から信じてよ」
◇
緑谷は答えられなかった。
自分にも、似たところがあったからだ。
一人で雄英を出た。皆を危険から遠ざけるために、自分一人が背負えばいいと思った。
そして、皆に否定された。
「……デク君」
麗日が呼ぶ。
「うん」
「金木君、本当に、全部話してたと思う?」
緑谷はすぐには答えなかった。
「……分からない」
「話してねぇだろ」
爆豪が吐き捨てる。
「かっちゃん?」
「あの野郎、聞かれたことには答えてやがる。けど、自分から余計なことまで喋るタマじゃねぇ」
蛙吹が頷く。
「私もそう思うわ」
「梅雨ちゃんも?」
「嘘を言っている感じではなかったけれど、聞かれていないことを、自分から話していない感じがしたの」
轟も頷いた。
「ああ、俺もだ」
「どこ?」
「葉隠の話になった時」
空気が変わった。
◇
葉隠は部屋の隅にいた。
ずっと黙っていた。
「……私?」
「ああ」
轟は葉隠を見る。
「お前が、私のためだった、って聞いた時、あいつは明らかに答えを切り上げようとしてた」
飯田も腕を組む。
「確かに。僕が決めた。君には関係ない。その繰り返しだった」
八百万が続ける。
「葉隠さんが理由を尋ねても、自身の責任だ、という話へ戻していました」
耳郎が低く言う。
「……あそこだけ、絶対、こっちに触らせたくない感じだった」
芦戸が眉を寄せる。
「今考えると……変じゃない?」
葉隠は自分の腕を抱いた。
「でも、零無は……」
言葉が止まる。
――君には関係ない。
あの声が、頭から離れない。
◇
「葉隠さん」
八百万が尋ねた。
「以前から、何か違和感はありませんでしたか?」
「違和感?」
「金木さんの行動に」
葉隠は考える。
長い付き合いだった。中学の頃から。だからこそ、一つ一つは気にしていなかった。
「……あった」
全員が葉隠を見る。
「いつからか分かんないけど、私が一人になるの、すごく嫌がるようになった」
緑谷の表情が変わる。
「一人に?」
「うん。買い物とか、移動とか、ちょっと外に出るだけでも、誰かと一緒に行けって」
耳郎が眉を寄せる。
「過保護?」
「違う」
即答だった。
「もっと変だった。理由聞いてもちゃんと説明しないし……」
一拍。
「私の予定、妙に細かく確認してた」
緑谷が顔を上げる。
「それ……」
「え?」
「監視じゃなくて、安全確認だったんじゃ……」
葉隠の身体が固まった。
◇
「そういえば」
尾白が言う。
「俺も聞かれたことある」
「何を?」
「今日、透と一緒に帰るか、って」
「……え?」
「普通に仲が良いから、気にしてるんだと思ってた」
瀬呂も顔を上げる。
「俺もある」
「俺も」
上鳴だった。
芦戸も。
「……私も」
少しずつ、点が繋がっていく。
「ちょっと待って」
芦戸の声が小さくなる。
「それ、かなり前からじゃん」
障子が静かに言う。
「直接、常に守ることは出来ない。だから、周囲に誰かがいるか確認していた」
一拍。
「そう考えれば、辻褄は合う」
葉隠の手が震えた。
「……何それ」
耳郎がすぐに口を開く。
「まだ決まったわけじゃない」
「でも」
「決まってない」
少し強く言った。
「アイツが何考えてたかなんて、本人に聞かないと分かんない」
「……うん」
葉隠は小さく頷いた。
◇
それから、さらに時間が経った。
一時間。二時間。
教師側からの連絡はない。一度は自室へ戻るよう言われたが、それでも何人かは共有スペースに残った。結局、部屋へ戻った者達も、残った者のところへ少しずつ戻ってきた。
そして、日付が変わる頃。
玄関側の扉が開いた。
塚内が入ってくる。
ほぼ同時に共有スペースのモニターへ電源が入り、病室の相澤が映った。
その時点で、全員が立ち上がった。
「先生」
緑谷がモニターへ近付く。
「何か分かったんですか」
相澤は昼間よりさらに疲れた顔をしていた。
「少しな」
「少し?」
「あいつ」
相澤は眉間を押さえる。
「徹底的に消してやがった」
◇
塚内がテーブルへ端末を置く。
「金木本人の端末には、まともな通信履歴はほとんど残っていない」
八百万が尋ねる。
「復元出来なかったのですか?」
「端末そのものからは、ほぼ無理だった」
塚内が答える。
「通常の削除じゃない。履歴、バックアップ、一時保存、接続先の情報。復元に使えそうなものを、定期的に潰している」
緑谷が息を呑む。
「定期的に……」
「ああ」
相澤が続ける。
「捕まる直前にまとめて消したわけじゃない。ずっと前からやってる。自分が調べられる可能性を、最初から想定してたんだろう」
耳郎の顔が険しくなる。
「……アイツ」
「ですが」
八百万が口を開く。
「でしたら、何が分かったのですか?」
「本人の端末だけなら、ほぼ何も分からなかった」
塚内は端末を操作する。
「だから、別の記録と照合した」
画面へ大量の情報が表示される。
雄英側の通信記録、入退場記録、時間だけが残った接続ログ。そして、これまで警察が押収していた敵連合やAFO関連拠点の通信機器。
「零無の供述で、使用していた時期と方式の目星はついた」
塚内が続ける。
「それを基に、以前押収した中継機器の記録を洗い直した。完全な会話は残っていない。暗号化もされている。ただ、通信があった時刻、データ量、どの中継先を使ったか、その程度の断片は残っていた」
「それだけで?」
緑谷が聞く。
「内容までは分からない」
「ああ」
塚内は頷く。
「だから、内容を復元したんじゃない。周囲の記録と照合した」
◇
そこから、さらに説明が続いた。
通信日時、事件発生時刻、ヴィラン側の移動、雄英側の予定、生徒達の入退場記録、クラスメイト同士に残っていた当時のメッセージ。
そして、葉隠の行動。
それらを一つずつ重ねた。
◇
「最初は俺達も気付かなかった」
相澤が言った。
「何にですか?」
「金木が渡していた情報の偏りだ」
八百万の目が鋭くなる。
「偏り?」
「ああ」
塚内がいくつかの記録を表示する。
「完全に近い情報を渡している時もある。だが、妙に精度が落ちている通信がある。時刻が少しずれている。人数が曖昧になっている。移動経路が一つ抜けている。重要度の低い情報が先に出ている」
緑谷が画面を見る。
「……わざと?」
「可能性は考えた」
相澤が答える。
「だが、それだけなら証明出来ない」
「じゃあ……」
「葉隠の行動と重ねた」
全員が止まった。
◇
塚内は画面を切り替える。
「金木が情報の精度を落としている時期。その直後に、葉隠が敵側の行動範囲へ入る可能性が生じているケースがある」
一件、二件、三件。
「逆に」
八百万が尋ねる。
「葉隠さんが安全な位置にいる時は?」
「情報の精度が上がっている例がある」
葉隠の顔から血の気が引いていく。
「……偶然」
誰かが言った。
相澤が答える。
「その可能性も考えた。だから、それだけなら、ここまでの話はしていない」
◇
塚内が別のデータを開く。
「押収済みの中継端末に、一時記録として残っていた音声片があった」
「音声……」
「三秒弱だ」
「それだけ?」
「ああ。前後は欠損している。通信全体が保存されていたわけでもない。たまたま残った一部分だ。声紋は照合した」
そして、再生。
酷いノイズだった。ほとんど聞き取れない。
『――……条件……』
零無の声。
再びノイズが走る。
『……予定……変わった』
AFOの声。
また、ノイズ。
『――彼女は?』
◇
それだけで音が切れた。
葉隠が瞬きする。
「……これだけ?」
「ああ」
相澤が答える。
「これだけだ」
「じゃあ」
「これだけなら何も分からない。だから、その日を調べた」
◇
その通信が行われた日、葉隠は当初の予定を変更していた。
放課後、芦戸達と外出する予定だったが、急遽取りやめた。当時のメッセージが残っていた。
「……覚えてる」
芦戸が呟く。
「私が用事出来て」
葉隠も思い出す。
「それで、私、一人で帰ろうとして……」
「その十五分後」
塚内が言う。
「金木から通信が入っている」
さらに二十分ほど後、別の断片が残っていた。
文字の一部だけ。
《対象――変更――同行――確認》
「対象?」
緑谷が呟く。
「誰かは分からない」
塚内は答える。
「だが」
次に表示されたのは、その日の雄英への帰校記録だった。
葉隠と尾白が、ほぼ同じ時刻に戻っている。
尾白の顔が変わる。
「……あの日」
思い出す。
「金木に言われた」
「何を?」
「悪いけど、透と一緒に帰ってくれないか、って」
静寂。
葉隠が尾白を見る。
「……私、覚えてない」
「普通だったから。金木が何か頼んでくること自体は珍しかったけど」
尾白は息を呑む。
「理由聞いたら」
「何て?」
「僕は少し用事がある、って」
◇
誰も、すぐには喋れなかった。
「……待って」
耳郎が言った。
「じゃあ、その時点でアイツ……」
言葉が詰まる。
「透が一人になったこと、把握してたってこと?」
「可能性は高い」
相澤が答える。
「そして、AFO側も葉隠の予定を把握していた可能性がある」
葉隠の肩が震えた。
◇
「まだある」
塚内が言う。
今度は、復元された文章の断片だった。
《――必要性がない》
《――彼女を含める理由を説明してください》
《――作戦上――》
欠損。
《――なら別の人間で構わない》
一同が固まった。
◇
緑谷がゆっくり画面を見る。
「これ……」
八百万も理解する。
「誰かを、作戦から外そうとしている……?」
「断定は出来ない」
塚内は言った。
「名前は残っていない。前後も欠けている。だが」
次の資料が表示される。
通信日時。そして、その直後に敵側から別の生徒に関する行動情報が要求されている。
「……通ったんだ」
上鳴が呟く。
「アイツ、交渉して、透を外した……?」
◇
「そして」
塚内が言った。
「一番分かりやすいのが、これだ」
最後の音声。
僅か四秒。やはりノイズだらけだった。
最初に、AFOの声。
『――随分と慎重だね』
ノイズ。
そして、零無。
『あなたが信用出来ないので』
AFOの声。
『葉隠透について?』
一瞬の無音。
そして、零無。
『質問に答えてください』
そこで切れた。
◇
誰も喋らなかった。葉隠も動かなかった。
耳郎が小さく声を漏らす。
「……あ」
それだけだった。
全てが証明されたわけではない。断片ばかりで、前後もない。完全な会話ではない。
それでも、今までの行動と重ねれば、あまりにも繋がり過ぎていた。
◇
最初から「透を守れ」などとは言っていない。
そんな言葉を残せば、自分が何を恐れているのか、AFOへ改めて示すことになる。
だから、零無は言わない。
彼女を外せ、とも、出来る限り直接は言わない。
作戦上の必要性を問い、別の人間で代替出来ると主張する。情報の精度を落とし、誰かを同行させ、予定を確認する。
AFO側が葉隠へ関心を向ける度に、理由を聞き、条件を確認し、別案を出す。
そして、その痕跡すら出来る限り残さない。
◇
「……何、それ」
葉隠が呟いた。
「何、それ……」
今度は、少し大きかった。
「ずっと?」
相澤は答えない。断定出来ないからだ。
だが、葉隠には思い当たることが多過ぎた。
一人で帰るな。誰かと行け。今日は何時に帰る。明日は誰といる。休日はどこへ行く。
何度も、何度も。
鬱陶しいと思った。
「大丈夫だって」
そう言った。
その度、零無は「分かった」とだけ返していた。
◇
「……アイツ」
爆豪の声が低い。
「マジで」
拳が握られる。
「何も残す気なかったんじゃねぇか」
「恐らくな」
相澤が答えた。
「自分が捕まった後に、こういう部分まで発覚することを避けようとしていた可能性が高い」
麗日が顔を上げる。
「……何で」
誰に聞くでもなく呟いた。
「何でそこまで、自分が悪いってことだけ、残そうとするんやろ」
◇
「違うと思う」
緑谷が言った。
麗日が見る。
「悪いことにしたいんじゃない」
「……」
「金木君は、本当に、自分が悪いと思ってるんだ」
誰も何も言わない。
「葉隠さんを脅迫材料にされた。でも、それでも自分には、他の選択肢があったって思ってる。相談出来た。逃げられたかもしれない。戦えたかもしれない。もっと早く、助けを求められたかもしれない」
緑谷は拳を握る。
「その全部をやらずに、AFOの要求を飲んだ」
一拍。
「だから、自分の責任だって」
◇
「ふざけないでよ」
耳郎だった。
誰も声を挟めなかった。
「何それ。自分の責任だから、だから何?」
声が次第に強くなる。
「脅されたことまで消していい理由になんないじゃん! こっちには全部考えろって言ったくせに! 自分のことだけ、最初から答え決めてんじゃん!」
芦戸が声を掛ける。
「耳郎……」
「だってそうでしょ! 自分は悪い。自分が選んだ。自分が責任取る。だから透には関係ない。私達にも関係ない。全部!」
拳が震える。
「全部、自分で決めてんじゃん!」
一拍。
「……文化祭の時」
声が少しだけ落ちた。
「私が困ってる時は、聞かなきゃ分かんないって言ったくせに。何に困ってるって、ちゃんと聞いてきたくせに」
唇を噛む。
「自分の時は、何で誰にも聞かせないの」
◇
「私も」
麗日が言った。
耳郎ほど声を荒らげてはいなかった。
「それは嫌」
皆が麗日を見る。
「さっき、私達に期待してるって言った。君達なら考えられるって」
一度、息を吐く。
「だったら、透ちゃんが危ないって分かった時も、考えさせてほしかった。デク君も、先生も、私らもおった」
「……」
「頼ってほしかった、って言うたら……」
少し違う気もする。麗日は言葉を探した。
「違う」
そして、顔を上げる。
「選ばせてほしかった」
誰も口を挟まない。
「一緒に守るか、危なくても助けに行くか。それを、最初から無いことにせんといてほしかった」
◇
葉隠が立ち上がった。
「……透ちゃん?」
麗日が見る。
葉隠は震えている。
「会いたい」
塚内を見る。
「零無に」
一拍。
「今」
塚内はすぐには答えなかった。モニターの相澤を見る。
相澤も少し考える。
「……塚内」
「ああ」
塚内が頷く。
「もう一度だけ、俺達の立ち会いで話そう」
葉隠は強く頷いた。
結局、誰一人、自室へは戻らなかった。
◇
拘束室。
扉が開き、零無が顔を上げた。
葉隠。その後ろには緑谷、爆豪、麗日、飯田、轟、八百万、切島、蛙吹、障子、常闇、耳郎、上鳴、芦戸、瀬呂、尾白、砂藤、口田、青山、峰田。
二十人全員。
さらに塚内と数名の警察官。壁のモニターには病室の相澤が映っている。
零無は一度だけ全員を見る。
「……休むよう指示されていなかったか?」
爆豪が答える。
「誰のせいだと思ってんだ」
「僕だろうな」
「てめぇ以外にいんのか」
「だから、そう言っただろう」
葉隠は何も言わない。
端末を机へ置く。
零無の目が、ほんの僅かに変わった。
◇
「これ」
葉隠が言う。
「何?」
零無は画面を見る。
復元された断片。
数秒の沈黙。
「……随分、拾いましたね」
相澤の眉が動く。
「お前な」
「全て消したつもりでした」
「だろうな」
「君が使った端末からじゃない」
塚内が言う。
「押収済みの中継記録と、周囲のログを照合した」
零無が僅かに眉を寄せる。
「そこまで残っていましたか」
耳郎が声を上げる。
「そこじゃない!」
零無が見る。
「何だ?」
「何で消したの!」
「残す理由がない」
「あるでしょ!」
「何が?」
「これが!」
耳郎は端末を指差す。
「アンタが、透を守ろうとしてたってこと!」
零無は一拍、黙った。
「それがどうした?」
耳郎の顔が引きつる。
「……それがどうした?」
「僕が君達を裏切った事実と、何の関係がある?」
「あるに決まってんでしょ!」
◇
葉隠が机を叩いた。
「何で、言わなかったの」
零無は透を見る。
「言う必要がなかった」
「ある」
「ない」
「ある!」
「ない」
あまりにも、いつも通りだった。
葉隠の声が震える。
「私のせいだったんでしょ」
零無の目が変わった。
「違う」
即答だった。
「でも!」
「違う」
もう一度。
「AFOが私を――」
「透」
声が明確に鋭くなる。
「そこを混同するな」
葉隠が止まる。
◇
「AFOが君を脅迫材料にした。事実だ」
部屋の空気が変わった。
零無は続ける。
「僕がそれを受けて、要求を飲んだ。それも事実だ。だが、僕が以前から今の社会に問題があると考えていたことも、要求を飲んだ後、渡す情報を自分の判断で操作したことも、被害を減らせる場所では減らそうとしたことも、全部、僕の行動だ」
「でも」
「僕は元々、AFOの思想に賛同していたわけではない」
静かに続ける。
「だからといって、君を脅迫材料にされたから仕方がなかった、それだけで終わらせるつもりもない」
◇
「私がいなかったら」
葉隠が言った。
「やめろ」
一瞬だった。
全員が零無を見る。
「それだけは言うな」
「……」
「君が存在したから僕が裏切った。そう言いたいのか?」
「だって……」
「なら聞く」
零無は拘束されたまま、僅かに前へ身体を傾ける。
「僕が君を好きになったことは、君の罪か?」
「……違う」
「僕が君を守りたいと思ったことは?」
「違う……」
「AFOがそれを利用したことは?」
「違う」
「僕が要求を飲んだことは?」
葉隠は答えられない。
「僕だ」
零無は言った。
「そこだけは僕だ。君に渡すつもりはない」
葉隠は俯いた。
「……でも」
「何?」
「AFOに、選ばされたんでしょ」
零無は少し黙った。
「ああ」
否定しなかった。
「拒める形ではなかった」
「……」
「それは事実だ」
それでも、零無の声は変わらない。
「だが、最後に要求を飲んだのは僕だ。だから、その責任まで君に渡すつもりはない」
◇
「勝手に背負わないで!」
「君に言われたくないな」
「何で!」
「僕が先にやっているからだろう」
「だからだよ!」
葉隠が机を叩く。
「零無が、勝手に一人で持ってったんじゃん!」
「そうだ」
「認めるの!?」
「事実だからな」
「何で!」
「君に持たせる必要がない」
「私が決める!」
「これは、君の感情の話じゃない」
「同じだよ!」
「違う」
「同じ!」
◇
「ねえ」
耳郎だった。
零無がそちらを見る。
「何だ?」
「文化祭の時、私が困ってるの、見つけたよね」
「ああ」
「私が何も言わなくても、困ってることまでは分かったって」
「言った」
「じゃあ」
耳郎は零無を見る。
「何で、自分が困ってる時だけ、誰にも見つけさせないの」
零無はすぐには答えない。
「……見つけられれば、君達は来る」
「は?」
「助けようとする」
「当たり前でしょ!」
「だから困る」
耳郎の顔が歪む。
「何それ」
「君達なら、僕を助けようとする。透を助けようとする。AFOに挑む。誰かが傷付く。最悪の場合、死ぬ」
一拍。
「なら、僕一人で済ませた方がいい」
◇
「それ」
緑谷が言った。
「僕もやった」
零無を見る。
「皆を危険に巻き込みたくなくて、一人で雄英を出た」
「……」
「でも、皆が来た」
「ああ」
「僕は、間違ってた」
「状況が違う」
「同じところもあるよ!」
「僕の場合、透は明確に脅迫材料にされていた」
「だからって!」
緑谷の声が響く。
「僕らの選択肢まで、奪っていいことにはならない!」
◇
「そう」
麗日が言った。
零無が見る。
麗日は泣いてはいなかった。目元は赤い。それでも、声は落ち着いていた。
「そこ、私も同じこと思う」
「……」
「金木君。私らなら助けに来るって、分かってたんやろ?」
「ああ」
「私らなら、危なくても、透ちゃんも金木君も助けようとするって」
「ああ」
「その点は、信用してたんや」
零無が僅かに止まる。
「そうだ」
麗日はしばらく零無を見る。
「だったら」
静かに。
「私らが選ぶことまで、金木君が決めんといて」
零無の目が僅かに細くなる。
「危険を選ばせろ、と?」
「そうは言ってない」
「では?」
「危険かどうかも含めて、こっちにも考えさせてって言ってる」
一拍。
「金木君一人で、最初から答えを決めんといて」
「君達が死ぬ可能性が上がる」
「うん」
「それでも?」
「だから」
麗日は零無を見る。
「それを決めるのも、金木君だけじゃない」
◇
零無は答えなかった。
麗日は少しだけ眉を寄せる。そして、先程の言葉を思い出した。
「……金木君」
「何?」
「さっき、AFOに選ばされたって言ったよね」
零無の目が僅かに動く。
「……ああ」
「透ちゃんを使われて、断れんようにされたって」
「ああ」
麗日は一歩も動かなかった。ただ、真っ直ぐ零無を見る。
「じゃあ」
一拍。
「金木君が、私らにしたことは何なん?」
「……麗日」
「私らなら助けに来る。危ないことも選ぶ。だから言わない」
一つずつ。
「私らが何するか、何を選ぶか、先に金木君が決めた」
零無は黙っている。
「危ないからって、最初から選ばせんかった」
「それ」
一拍。
「AFOと何が違うの」
◇
長い沈黙。
零無の目が明確に鋭くなる。
「……その比較は」
一拍。
「かなり不愉快だな」
「うん」
麗日は引かなかった。
「でも、違うなら」
静かに。
「違うって言って」
零無は口を開く。
止まる。
何かを言おうとして、結局。
「……否定し難い」
それだけだった。
麗日の指が僅かに握られる。
「……そっか」
それ以上、何も言わなかった。
◇
「お前さ」
砂藤が言う。
「誰かが危険になるくらいなら、ずっと自分一人で片付けてたのか?」
「必要なら」
「必要かどうかも、お前が決めるんだろ」
「……」
「結局、誰にも頼る気ないんじゃないのか」
「必要があれば頼っていた」
「自分で必要だと思った時だけだろ」
零無は黙る。
「……そこは、否定しない」
◇
「……こわかった?」
口田が小さく聞いた。
零無が見る。
「何が?」
「葉隠さんが、傷付けられるの」
零無は少しだけ止まった。
「……ああ」
短かった。だから、誰も聞き間違えなかった。
口田は続ける。
「だったら、一人で怖がらなくても、よかったんじゃないかな」
零無はすぐには答えない。
「……その点は」
一拍。
「君の言う通りかもしれない」
◇
青山が静かに言う。
「怖かった人間が、助けて、と言うことまで、罪にはならないよ」
「分かっている」
青山は少しだけ首を傾げる。
「知識として?」
零無が少し黙った。
青山はそれ以上言わなかった。
◇
葉隠が零無を見る。
「じゃあ」
「何だ?」
「今度は、私達に選ばせて」
「何を?」
「零無をどうするか」
「……」
「助けるか、怒るか、許すか、許さないか、一緒にいるか、嫌いになるか」
声は震えている。
「全部、零無が決めないで」
◇
零無は何も言わない。
「私のせいじゃないって言うのは、分かった。でも、だからって私に何もさせないのは違う」
一歩、近付く。
「私は、零無が私を守ろうとしたことを、嫌だって言う権利もある」
「……」
「嬉しいって思う権利もある」
「……」
「怒る権利もある」
そして。
「それでも」
一拍。
「好きでいる権利もある」
零無の表情が止まった。
◇
「……それは」
言葉がほんの少し遅れた。
「随分、都合が良いな」
葉隠は泣きながら、少しだけ笑った。
「知ってる」
「僕を許すのか?」
「まだ決めてない」
「……」
「自分で決める」
長い沈黙。
「分かった」
それだけ。
「それでいい」とは言わなかった。
既に、自分にその決定権がないことを突き付けられている。
◇
「お前さ」
瀬呂が言った。
「さっき、社会が人を置いていくのが嫌だって、散々言ってたじゃん」
「ああ」
「で」
一拍。
「自分で俺ら置いてったんだな」
零無は黙る。
耳郎が続ける。
「しかも、置いてかれたって、こっちが気付かないように」
「……」
少し間が空く。
「私が一人で抱えてたら、勝手に見つけたくせに」
「……」
「自分の時だけ、見つけさせないんだ」
零無は耳郎を見る。
耳郎は逸らさない。
「それ」
声が僅かに掠れた。
「ずるいよ」
「……」
「私達のこと、友達だって言うなら」
一瞬、言葉が詰まる。
「……そういう時くらい」
一拍。
「友達にさせてよ」
零無は何も返さなかった。
◇
緑谷が零無を見る。
「金木君」
「何だ?」
「君が社会について言ってたこと、全部間違いだとは思わない」
「そうか」
「でも」
緑谷は復元された記録を見る。
「君自身も、一人で全部決めることで、誰かを置いていってたんじゃないかな」
「……」
「社会が人を置いていくことを嫌ってた君が、今度は僕らを置いていった」
一拍。
「それって、君が一番嫌ってたことじゃないの?」
◇
長い沈黙。
今度は社会の話ではない。
制度でもない。父でも、二人の母でも、AFOでもない。
金木零無、本人の話だった。
◇
やがて。
「……そうかもしれない」
零無が言った。
誰も勝ったとは思わなかった。零無も負けたとは思っていない。
ただ、否定出来なかった。
「ただし」
上鳴が顔をしかめた。
「まだあんのかよ!」
「ある」
爆豪が言う。
「言え」
零無は全員を見る。
そして、透を見る。
「僕が間違っていたとしても、次に同じ状況になれば、また同じことをする可能性は高い」
葉隠が声を上げる。
「何で!」
零無は答えた。
「君が死ぬよりは」
一拍。
「ましだからだ」
◇
空気が完全に止まった。
その言葉だけは、あまりにも自然だった。
理屈ではない。比較検討でもない。社会論でもない。
零無自身が、一瞬遅れてそれに気付いた。
葉隠が小さく言う。
「……それ」
一拍。
「今の」
零無は僅かに間を置く。
「聞かなかったことにしてくれ」
「するわけないでしょ!」
「そうか」
「そうか、じゃない!」
「では訂正しよう」
「訂正しなくていい!」
「何故?」
「そうやってすぐ言い直すから!」
◇
芦戸が小声で呟く。
「……今の」
耳郎が応じる。
「うん」
上鳴が続く。
「完全に」
瀬呂も。
「うん」
そして、峰田。
「好きじゃん」
「ちょっと!!」
葉隠が叫ぶ。
「黙ってて!」
「何で俺だけ!?」
耳郎が呆れたように言う。
「いや、今のは峰田が悪い」
「何でだよ!」
爆豪が怒鳴った。
「全員黙れ!」
ほんの僅かに、空気が崩れた。
◇
それでも、葉隠は零無を見る。
「零無」
「何だ?」
「それでも、次は言って」
「状況による」
「またそれ!」
「絶対に言うとは約束出来ない」
「じゃあ」
葉隠は食い下がる。
「一人で決める前に、誰かに話すことを、選択肢に入れて」
「……」
「私じゃなくてもいい。デク君でも、先生でも、誰でもいい」
「……」
「最初から、自分一人しかいないみたいに決めないで」
◇
零無は長く考えた。
「……それなら」
一拍。
「努力する」
「努力」
「ああ」
「約束出来るのは、そこまでだ」
葉隠は少し黙る。
そして。
「……分かった」
小さく。
「今は、それでいい」
◇
爆豪が鼻を鳴らす。
「で」
「何だ?」
「てめぇ、まだ自分だけで全部やるつもりか」
「状況による」
「ぶっ殺すぞ」
「拘束中の人間に言う台詞じゃないな」
「うるせぇ」
◇
相澤はモニターの向こうで、ずっと黙っていた。
最後に零無を見る。
「金木」
「はい」
「お前の責任については、今後、正式に整理する」
「はい」
「AFOに脅迫されていたことも、お前自身が選んだ部分も、両方だ」
「はい」
「どっちか一つに逃げるな」
「そのつもりはありません」
一拍。
「それと」
「はい」
「勝手に、自分一人で刑まで決めるな」
零無の目が僅かに動いた。
「……先生」
「何だ」
「それは、僕が決めることではないでしょう」
「分かってるなら」
相澤は疲れた目で零無を見る。
「余計な真似するな」
沈黙。
「……はい」
◇
その返事を、A組の全員が聞いていた。
葉隠透を、AFOは零無を縛るための脅迫材料にした。
その事実を、零無は誰にも知られないようにした。
通信履歴を消し、記録を消し、自分が葉隠を危険から遠ざけようとした痕跡さえ、可能な限り消した。
残ったのは、消し切れなかったほんの僅かな断片だけ。
そして、警察と教師達が零無の供述を手掛かりに過去の記録を拾い、繋ぎ、照合して、ようやくA組は知った。
それでも、零無の罪が消えるわけではない。
本人も、消すつもりはない。
社会への怒りも本物だった。一度壊れなければ変われないのではないかと考えたことも、AFOの要求を飲んだ後、自分の判断で情報を操作したことも、仲間を裏切ると分かっていながら情報を渡し続けたことも、全部嘘ではない。
だが、それと同時に、葉隠透をどうしても死なせたくなかった。
それも、同じくらい本当だった。
どちらか一方なら、簡単だった。
脅されただけの被害者。
自分の思想で仲間を売った裏切り者。
どちらかなら、怒ることも、許すことも、ずっと簡単だった。
けれど、金木零無はそのどちらかだけではない。
だから、耳郎は怒った。
楽しかった時間まで嘘ではなかったから。友達だと思っていたことまで嘘ではなかったから。
それなのに、自分達を友達として頼ることだけはしなかったから。
だから、麗日は怒った。
ただ声を荒らげるだけではなかった。零無が何を考え、どうしてそうしたのかを聞いた上で、それでも他人が選ぶ余地まで一人で奪ってはいけないと考えた。
零無自身が、AFOに選ばされたと言ったからこそ、なおさら。
そして、葉隠は初めて知った。
自分が何も知らずに過ごしていた日々の裏で、零無がどれほど細かく、自分が危険へ近付かないように手を回していたのかを。
誰かと帰れ。一人になるな。予定を教えろ。
あの日、あの時、何気なく言われた一つ一つが、全部違う意味に変わっていく。
けれど、零無はそれを恩にするつもりすらなかった。
だから、消した。
自分が透を守ろうとしたという証拠まで。
そして、A組はようやく彼の危うさを、別の角度から知り始める。
金木零無は、誰かを大切に思えない人間ではない。
むしろ、逆だった。
大切であればあるほど、その人間を自分の問題から遠ざける。
守るためなら、嫌われてもいい。誤解されてもいい。自分だけが悪人になってもいい。自分だけが罰を受ければいい。
そして最後には、自分自身まで、守られる人間の数から外してしまう。
それが、彼の一番危険なところだった。