「正しい答え」 作:はい
誰も、すぐには拘束室を出ようとしなかった。
塚内が一度だけ時計を見る。
壁のモニターには、病室から繋いでいる相澤の姿がある。
本来なら。
もう十分だった。
長い時間、話した。
聞くべきことも聞いた。
それでも。
誰も席を立たない。
そんな中。
「……まだ一個、言いたい」
耳郎が口を開いた。
零無がそちらを見る。
「何だ?」
「アンタさ」
耳郎は腕を組む。
「さっきから、自分がやったこと全部、やたら綺麗に分けるじゃん」
「綺麗に?」
「透を守った」
「それとは別に私達を裏切った」
「社会に怒ってた」
「AFOには賛同してなかった」
「脅されてた」
「それでも最後に選んだのは自分だから、自分の責任」
一拍。
「ずっとそんな感じ」
零無は少し考える。
「事実を混同しないためだ」
「それ」
耳郎が即座に返した。
「そこがムカつく」
零無が僅かに眉を寄せる。
「何故?」
「ほら、また」
「質問しただけだが」
「全部説明出来る形にしようとすんなっての」
「質問されたから答えているんだが」
「そういう話じゃない!」
「では、どういう話だ?」
「もう!」
耳郎が頭を掻いた。
その横から芦戸が口を挟む。
「……何か、分かるかも」
零無がそちらを見る。
「何が?」
「ほら、そういうとこ!」
「どういうところだ?」
「全部ちゃんと言葉にしないと気が済まないとこ!」
「話をしているんだから、言葉にはするだろう」
「そうなんだけどさぁ……!」
芦戸が頭を抱える。
「何て言えばいいのこれ!」
「感情まで、事実と同じように整理しようとしているように見える、ということでは?」
八百万が静かに言った。
「それ!」
芦戸が指を差す。
八百万は少し複雑そうな顔で零無を見る。
「あなたの説明には、筋が通っていますわ」
「ありがとう」
「褒めてはいません」
「そうか」
「……本当に、そういうところですわね」
八百万は小さく息を吐いた。
ただ。
そこで終わらない。
「ですが」
零無が見る。
「先程までの私は、それをあなたの長所でもあると考えていました」
「何故?」
「感情に流されず、複数の事実を分けて考えることが出来る」
八百万は続ける。
「脅迫を受けたことと、自身の行動に責任があること」
「葉隠さんを守ろうとしたことと、私達を危険に晒したこと」
「どちらか一方だけを取り上げない」
「それ自体は、とても大切なことだと思います」
「ああ」
「ですが」
八百万は零無を見た。
「ご自身についてだけ、その考え方が極端なのではありませんか?」
「極端?」
「脅迫された自分」
「葉隠さんを守りたかった自分」
「社会へ怒っていた自分」
「私達を裏切った自分」
「私達を友人だと思っていた自分」
一つずつ。
「全部」
「同時に存在していたのでしょう?」
零無は少しだけ間を置く。
「否定はしない」
「でしたら」
八百万の声は静かだった。
「何故ご自身についてだけ」
一拍。
「『裏切った』という一面を、結論として扱うのです?」
零無が僅かに黙った。
「結論?」
「あなたは、何を聞かれても最後には」
八百万は言う。
「自分が裏切った」
「自分が選んだ」
「自分が責任を取る」
「そこへ戻ります」
「事実だからだ」
「ええ」
八百万は頷いた。
「ですが、それだけがあなたではありません」
「……価値の話をしているのか?」
「いいえ」
即答だった。
「あなたという人間の話をしています」
零無は何も返さなかった。
◇
「くっだらねぇ」
爆豪が舌打ちした。
「爆豪君!」
飯田が咎める。
「何がくだらねぇって?」
爆豪は零無を睨んだ。
「こいつがだよ」
「僕か?」
「てめぇ」
爆豪は壁から身体を起こす。
「自分の母親や親父の話ん時は」
「社会だけが悪い訳じゃねぇ」
「本人の責任もある」
「両方あるって散々言ってただろうが」
零無は黙っている。
「なのに」
爆豪の声が低くなる。
「てめぇ自身のことだけ」
「裏切った」
「だから悪い」
「そこで終わらせんのかよ」
「終わらせてはいない」
「終わらせてんだよ」
即座だった。
「葉隠を守りたかった」
「社会にはムカついてた」
「壊れなきゃ変わらねぇんじゃねぇかとも思ってた」
「俺らのことも友達だと思ってた」
「それでも裏切った」
一拍。
「全部てめぇだろうが」
零無は答えない。
「どれか一個だけ選んで」
「これが俺です、みてぇに片付けてんじゃねぇ」
「僕は片付けているつもりはない」
「だったら」
爆豪は吐き捨てる。
「てめぇだけ例外にすんな」
零無の目が僅かに動いた。
「何の例外だ?」
「人間なんざ、綺麗に一個の理由で動かねぇって話だ」
「……」
「てめぇだけ全部筋が通ってなきゃ気が済まねぇのかよ」
部屋が静かになる。
「守りたかった」
「怒ってた」
「好きだった」
「裏切った」
爆豪は睨んだまま言った。
「全部あったんなら」
「それがてめぇだろ」
◇
切島が爆豪を見る。
普段なら。
もう少し言い方があるだろ、と止めたかもしれない。
今回は。
「……俺も、そこはそう思う」
零無が切島を見る。
「俺」
切島は眉を寄せた。
「今でもお前にめちゃくちゃムカついてるからな」
「当然だろう」
「それだよ」
「何が?」
「すぐ当然って言うだろ」
「僕が君達を裏切った以上――」
「分かってるって!」
切島が遮った。
「怒ってんのは事実だ」
「でも」
一拍。
「今怒ってるからって」
「この先ずっと、俺がお前をどう思うかまで決まった訳じゃねぇ」
零無は黙る。
「また話すかもしれねぇ」
「ずっと腹立ってるかもしれねぇ」
「俺にもまだ分かんねぇ」
切島は胸へ手を当てる。
「でも」
「今の気持ちだけで、お前全部を決めたくはねぇ」
「……そうか」
爆豪が鼻を鳴らした。
「なら、それでいいじゃねぇか」
「よくはないだろう」
「よくねぇよ」
即答だった。
「だから何だ」
零無の目が細くなる。
「……随分と雑だな」
「てめぇが細けぇんだよ」
「事実関係は重要だ」
「分かってる」
「なら――」
「けどな」
爆豪が一歩前へ出る。
「事実全部並べりゃ」
一拍。
「人間まで全部分かると思ってんのが気に食わねぇ」
零無は。
珍しく。
すぐには返さなかった。
◇
「俺も少し分かる」
轟が静かに言った。
爆豪が振り返る。
「何がだ」
「人の気持ちを、理由で全部説明しようとする感じ」
轟は零無を見る。
「親父のこととか」
「家のこととか」
「……」
「理由は分かる」
「何でああなったのかも」
「何が間違ってたのかも」
淡々と。
「でも」
「分かったから終わる訳じゃなかった」
零無は黙って聞いている。
「嫌いだった」
「でも、全部嫌いだった訳じゃない」
「許した訳でもない」
「それでも、今は話してる」
一拍。
「多分」
「そういうのって、全部整理し切れない」
零無は少し考えた。
「整理出来ないものを、そのままにしておくのか?」
「ああ」
「気持ち悪くないか」
「慣れる」
「……そうか」
耳郎が思わず吹き出した。
「そこ聞く?」
「重要だろう」
「重要かなぁ……」
芦戸も少し笑う。
瀬呂が肩を震わせた。
「でも、零無らしいっちゃらしいな」
「褒めているのか?」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「面倒くさい」
「そうか」
「だからその『そうか』やめろって!」
今度は。
何人かが笑った。
ほんの少しだけ。
部屋の張り詰めた空気が緩む。
零無は笑わなかった。
だが。
そのやり取りを拒絶もしなかった。
◇
「……理解と許容は別物だ」
常闇が低く言った。
再び。
空気が静まる。
「君の事情は理解した」
「葉隠を守ろうとしたことも」
「ああ」
「だが」
「俺達が危険に晒された事実は消えない」
「その通りだ」
「だから」
常闇は続ける。
「俺は今すぐ」
「以前と同じようにお前へ接することは出来ない」
「分かっている」
「だが」
常闇は僅かに目を細める。
「この先も同じかは」
「今の俺には分からない」
零無が見る。
「……そうか」
「それでいい」
障子も静かに頷いた。
「俺も同じだ」
一拍。
蛙吹が頬へ指を当てる。
「金木ちゃん」
「何?」
「私達には」
「これからどうするか考えろって言うのに」
零無が見る。
「自分のことだけ」
「もう結論が出たみたいに話すのね」
「……」
「そこは」
蛙吹はいつもの調子で言った。
「少し変だと思うわ」
零無は。
すぐには答えなかった。
「今日は」
やがて言う。
「色々な方向から同じ辺りを指摘されるな」
「それだけ」
耳郎が返した。
「そこが分かってないってことじゃない?」
「厳しいな」
「裏切られた側だからね」
「それは当然――」
耳郎の目が細くなる。
零無は。
途中で止めた。
「……」
耳郎が頷く。
「学習したじゃん」
◇
だが。
耳郎はそこで笑うのをやめた。
少しだけ。
視線を落とす。
「……私さ」
零無が見る。
「何だ?」
「さっき言ったこと」
「まだ腹立ってるから」
「どれだ?」
「友達だってやつ」
部屋が静かになる。
「今も友達だと思ってるって言ったでしょ」
「ああ」
「文化祭の時も」
「楽しかったって」
「ああ」
「それ」
耳郎は唇を噛む。
「多分」
「嘘じゃないんだよね」
「嘘を言う必要がない」
「そういう返しじゃなくて」
声が強くなる。
「嘘じゃないから腹立つって言ってんの!」
零無が黙る。
「私達のこと」
「どうでもよかったなら、まだ分かる」
「最初から全部演技だったなら」
「最低って言って終われる」
「でも違う」
「友達だった」
「楽しかった」
「困ってたら手伝った」
「私が悩んでたことまで気付いた」
耳郎の声が。
僅かに震えた。
「なのに」
「自分が困ってる時だけ」
一拍。
「私達を友達にしなかった」
零無の目が僅かに動く。
「……」
「それが、一番ムカつく」
耳郎は真っ直ぐ彼を見る。
「楽しい時は友達で」
「助ける時も友達で」
「自分が助けられる側になったら」
「勝手に関係切って」
「それで捕まってから」
「今も友達だと思ってる、って」
「……」
「ずるいよ」
今度のそれは。
怒鳴り声ではなかった。
だからこそ。
部屋によく響いた。
零無は少し黙った。
「……その点については」
「うん」
「反論が思いつかない」
耳郎が目を丸くする。
上鳴も。
芦戸も。
零無は続ける。
「僕は君達を友人だと思っていた」
「だが」
「自分が助けを求める相手として扱っていなかった」
一拍。
「矛盾していると言われれば」
「その通りだ」
耳郎はしばらく何も言わなかった。
そして。
「……分かればいい」
「許すのか?」
「何でそうなるの!」
「分かればいいと言っただろう」
「そこだけ切り取るな!」
「難しいな」
「ほんっと面倒くさい!」
◇
少しだけ。
また笑いが起きた。
その中で。
透はずっと零無を見ていた。
そして。
「ねえ」
「何だ?」
「さっき言ったよね」
零無が見る。
「何を?」
「『僕が君を好きになったことは、君の罪か』って」
部屋の空気が。
一瞬で止まった。
上鳴の目が大きくなる。
瀬呂がゆっくり顔を上げる。
芦戸の視線が二人の間を往復する。
耳郎が小さく。
「あ」
と言った。
零無は黙っている。
透は逃がさなかった。
「あれ」
一拍。
「どういう意味の『好き』?」
「どういう意味とは?」
「恋愛の意味?」
「……」
上鳴が盛大にむせた。
「ゲホッ!?」
瀬呂が両手で顔を覆う。
「今そこ行く!?」
芦戸の目だけが一瞬で輝く。
峰田が立ち上がりかける。
「おい待てこれってつまり――」
「座ってろ峰田」
瀬呂が即座に引きずり戻す。
「なんでだよ!」
砂藤が無言で峰田の肩を押さえた。
飯田は眼鏡を押し上げたまま固まっている。
八百万は僅かに顔を赤らめ。
静かに視線を逸らした。
青山は何も言わず。
二人を見ている。
零無は透を見る。
「その分類は必要か?」
「必要!」
「僕には」
「必要!」
「まだ何も言っていない」
「絶対いらないって言うつもりだったでしょ!」
「……」
「図星じゃん!」
耳郎が小声で言う。
「逃げてる」
零無がそちらを見る。
「逃げてはいない」
「じゃあ答えれば?」
「耳郎」
「何?」
「楽しんでいないか?」
「ちょっとだけ」
「正直だな」
透が机へ手を置く。
「零無」
「何だ?」
「恋愛?」
「……」
「違う?」
長い沈黙。
さっきまで茶化していた上鳴すら。
口を閉じる。
零無は。
視線を逸らさなかった。
「……そういう分類をするなら」
一拍。
「ああ」
透の手が止まる。
「そうだと思う」
「思う?」
「自分の感情を客観的に測定する方法はない」
「そこ今どうでもいい!」
「重要では?」
「重要じゃない!」
「そうか」
「じゃあ」
透が少しだけ身を乗り出す。
「好き?」
零無は数秒だけ考えた。
「好きだ」
今度は。
迷わなかった。
芦戸の口がぽかんと開く。
瀬呂は顔を覆ったまま天井を仰ぐ。
上鳴が無言で切島の腕を叩いた。
「痛ぇよ」
「いやだって!」
「静かにしたまえ!」
飯田が声を抑えながら言った。
◇
「……でも」
透は零無を見る。
「私、まだ怒ってるから」
「ああ」
「許してない」
「ああ」
「だから」
「好きって言われたからって」
「全部それで終わりにはしないよ」
「当然だろう」
透の目が細くなる。
零無が僅かに止まった。
「……」
「今」
「何?」
「当然って言った」
「言ったな」
「また勝手に決めた」
「いや」
零無は少し考える。
「今回は、君が先に言っただろう」
透が止まる。
「……」
零無は続ける。
「君が許していないと言った」
「僕はそれを認めただけだ」
透が少しだけ悔しそうな顔をした。
耳郎が吹き出す。
「そこは零無の勝ちじゃない?」
「勝ち負けじゃない!」
「そうだな」
「零無は黙ってて!」
「理不尽だな」
◇
緑谷が零無を見る。
「金木君」
「何だ?」
「一つ、聞いてもいい?」
「どうぞ」
「もし」
緑谷は慎重に言葉を選ぶ。
「もし葉隠さんのことがなかったら」
部屋が静かになる。
「それでも」
「君は僕達を裏切ってた?」
零無は。
すぐには答えなかった。
今度の沈黙は。
言葉を選んでいるのではない。
本当に。
その条件を外した自分を考えている。
やがて。
「……恐らく」
一拍。
「裏切っていない」
誰も声を出さなかった。
透が零無を見る。
緑谷も。
「少なくとも」
零無は続ける。
「AFOの要求を受け入れる理由はなかった」
「……じゃあ」
緑谷の声が少し低くなる。
「葉隠さんのことは」
「ああ」
零無は否定しなかった。
「決定的だった」
透の指先が僅かに動く。
「ただし」
「分かってる」
緑谷が先に言った。
零無が止まる。
「何を?」
「それと」
緑谷は真っ直ぐ零無を見る。
「君がしたことの責任は別だって言いたいんでしょ」
「……ああ」
「分かってる」
一拍。
「葉隠さんを使って脅された」
「だからAFOの要求を飲んだ」
「でも」
「その後に何を渡すか」
「どこまで従うか」
「何を隠すか」
「君自身が決めたこともあった」
「ああ」
「社会に怒ってたことも嘘じゃない」
「ああ」
「だから」
緑谷は続ける。
「脅されたから全部仕方なかった、とは僕も思わない」
「そうか」
「でも」
「脅されたことまで無かったことにもしない」
零無は。
少しだけ黙った。
「……君らしいな」
◇
「ならば」
飯田が口を開いた。
全員が見る。
飯田は拳を握っていた。
「我々も、そこを曖昧にしてはいけないと思う」
零無が見る。
「君が脅迫されていた被害者であることと」
「我々を危険に晒したことは」
「両立する」
「そうだな」
「僕はまだ」
飯田の声が少しだけ強くなる。
「君に対して怒っている」
「ああ」
「学級委員長としてではない」
一拍。
「一人の友人としてだ」
零無の視線が止まった。
「何故相談しなかった、と」
「相談出来る状況では――」
「分かっている!」
珍しく。
飯田が遮った。
零無が黙る。
「理屈では理解している!」
「葉隠君を危険に晒したくなかったことも!」
「我々なら助けに行くと考えたことも!」
「分かる!」
拳を握る。
「それでも」
「相談してほしかったと思う!」
「その二つは矛盾している」
「分かっている!」
「……」
「理解出来ることと」
飯田は零無を見る。
「納得出来ることは別だ!」
零無の目が。
僅かに動いた。
それは。
以前。
零無自身が芦戸へ言った言葉だった。
「……そうだな」
飯田は少し息を吐く。
「君の言葉を借りるなら、そういうことだ」
「随分、便利に使うな」
「君が言ったのだろう!」
上鳴が吹き出した。
今度は。
麗日も僅かに笑った。
◇
麗日は。
そのまま零無を見る。
「金木君」
「何だ?」
「私も」
一拍。
「まだ怒ってるよ」
「ああ」
「でも」
麗日は少し考えて。
言葉を続ける。
「さっきの話」
「社会が壊れてから、人が変わったって話」
「ああ」
「私」
「やっぱりこれからも」
「そこは金木君と喧嘩すると思う」
「構わない」
「それ」
麗日が少しだけ眉を寄せる。
「喧嘩する相手が決めることちゃうやろ」
零無が止まった。
「……確かに」
麗日がほんの少し笑う。
「金木君が」
「壊れなきゃ人は変われへんって言うなら」
「私は」
一拍。
「壊れる前でも変われるって言う」
「根拠は?」
「今はない」
即答だった。
零無の目が僅かに変わる。
「ないのか?」
「ない」
「随分と無責任だな」
「うん」
「認めるのか」
「だって」
麗日は真っ直ぐ言った。
「まだ出来てないもん」
一拍。
「だから、これから作る」
「誰かがヴィランになる前に」
「誰かが自分を嫌いになる前に」
「間に合うように」
零無は。
黙って聞いている。
「金木君が言ってたこと」
「全部忘れへん」
「でも」
「金木君の答えが」
「最後やとも思わへん」
零無は。
しばらく麗日を見る。
「そうか」
「うん」
「なら」
一拍。
「期待している」
麗日の目が。
少しだけ見開かれる。
「……そこは変わらへんのや」
「何が?」
「私達に期待するところ」
「変える理由がない」
麗日は。
少しだけ泣きそうな顔で笑った。
「ほんま」
「腹立つなぁ」
「何故だ?」
「そういうところ」
◇
緑谷が一歩前へ出る。
「なら」
「何だ?」
「僕も証明するよ」
「何を?」
緑谷は真っ直ぐ答えた。
「壊れる前に」
一拍。
「変えられるって」
零無の目が僅かに細くなる。
「どうやって?」
「これから考える」
「麗日と同じか」
「うん」
「根拠は?」
「これから作る」
「……」
零無が僅かに息を吐いた。
「困ったクラスだな」
「金木君もA組でしょ」
一瞬。
零無が黙った。
緑谷も。
それ以上は言わない。
◇
「君まで」
青山が静かに口を開いた。
零無が見る。
「自分で自分を」
一拍。
「教室の外へ出してしまわなくてもいいんじゃないかな」
零無は少しだけ目を細める。
「戻れるかどうかは」
「僕が決めることではない」
「うん」
青山は頷いた。
「だから」
「君一人で決めることでもないよ」
零無は。
何も言わなかった。
◇
塚内が時計を見る。
モニターの向こうで。
相澤も小さく息を吐いた。
「……今度こそ」
全員がそちらを見る。
「話はそこまでだ」
誰かが。
僅かに不満そうな顔をした。
相澤は気にしない。
「金木」
「はい」
「改めて言う」
「はい」
「お前の処遇は」
「これから正式に決まる」
「そうでしょうね」
「軽くは済まない」
「理解しています」
「AFOに脅迫されていたことも」
「考慮される」
零無は少しだけ目を細めた。
「それを判断するのは」
相澤が先に言った。
「お前じゃない」
沈黙。
「事実を全部扱えと言ったのは」
「お前自身だろ」
「……」
「脅迫されていた」
「自分でも選んだ」
「情報を渡した」
「一方で」
「被害を減らそうともしていた」
一拍。
「全部」
「事実だ」
零無は何も言わない。
「都合の良い方だけ」
「自分で切り捨てるな」
長い沈黙。
「……はい」
「それと」
「はい」
「お前が自分をどう評価してるかも」
「処分を決める材料の一つでしかない」
零無の眉が僅かに動く。
「理解しています」
「本当か?」
少しだけ。
間が空いた。
「……先程よりは」
相澤は。
ほんの僅かに目を細める。
「ならいい」
◇
「今日は終わりだ」
今度こそ。
皆が動き始める。
だが。
誰もすぐには扉へ向かわなかった。
切島が何か言おうとして。
やめる。
八百万も。
一度振り返る。
常闇と障子が先に動く。
「またね、金木ちゃん」
蛙吹が言った。
零無が見る。
「……また?」
「ええ」
「僕の処遇次第では」
「会える保証はないぞ」
蛙吹は平然と返した。
「だから何?」
「……」
「会える時に」
「また会えばいいでしょう?」
零無は。
少し黙る。
「……そうか」
蛙吹はそれだけ聞いて。
部屋を出ていった。
◇
「ちゃんと寝なよ」
耳郎。
「可能なら」
「そこは『分かった』でいいの」
「分かった」
「よし」
耳郎は数歩進む。
だが。
扉の前で止まった。
振り返らない。
「……あと」
「何だ?」
「文化祭」
零無が見る。
「楽しかったって言ったの」
一瞬。
「取り消すなよ」
「取り消す理由がない」
「ならいい」
それだけ言って。
耳郎は出ていった。
◇
麗日は。
最後まで少し迷っていた。
「金木君」
「何だ?」
「次に」
「私が人前で何か言う時」
零無が見る。
麗日は少しだけ考えて。
「今度は」
「壊れる前でも届くようにしたい」
「かなり難しいぞ」
「知ってる」
「届かない可能性もある」
「知ってる」
「失敗するかもしれない」
「それも知ってる」
麗日は笑った。
「でも」
「やる」
零無は何も言わない。
「だから」
「何だ?」
「見といて」
長い沈黙。
「……分かった」
麗日は。
少しだけ笑う。
「うん」
そして。
部屋を出ていった。
◇
緑谷も。
扉の前で振り返る。
二人の視線が合う。
「金木君」
「何だ?」
「僕も」
「証明するから」
「壊れる前に変えられる、と?」
「うん」
「随分と大きく出たな」
「うん」
「根拠は?」
「これから作る」
「本当に麗日と同じだな」
「うん」
「……困ったクラスだ」
緑谷が少し笑う。
「だから」
一拍。
「金木君もA組でしょ」
零無は。
何も返さなかった。
緑谷も。
返事を求めない。
「また」
それだけ言って。
出ていった。
◇
芦戸が透を見る。
何かを察したように笑う。
「じゃ」
「行こっか」
「透ちゃん」
麗日も振り返る。
透は首を振った。
「先行ってて」
「……分かった」
一人。
また一人。
部屋を出ていく。
A組の生徒の中では。
透だけが残った。
少し離れた壁際には。
塚内と警察官達がいる。
モニターの向こうには。
相澤もいる。
それでも。
誰も。
二人の会話へ口を挟まなかった。
さっきまで。
二十人分の声が飛び交っていた部屋が。
急に静かになる。
零無は透を見る。
「まだ何かあるのか?」
透は暫く何も言わない。
それから。
「怖かった?」
零無が僅かに目を細める。
「何が?」
「AFOに」
「私のことで脅された時」
沈黙。
「……分からない」
「またそれ」
「今回は」
「誤魔化している訳じゃない」
「じゃあ?」
零無は。
少し考える。
「恐怖を認識する余裕がなかった」
「……」
「君が死ぬ可能性がある」
一拍。
「なら」
「それを消す」
「そのことしか考えていなかった」
透は黙る。
「それ」
「普通は怖かったって言うんじゃない?」
「そうなのかもしれない」
「……ほんと分かってないね」
「自覚はある」
「そこだけは成長したね」
「今日一日で」
「随分言われたからな」
透は。
少し笑った。
◇
そして。
静かに聞く。
「私が死ぬの」
「そんなに嫌?」
零無は。
今度は迷わなかった。
「ああ」
「自分が死ぬより?」
「ああ」
「みんなに嫌われるより?」
「ああ」
「ヴィランになるより?」
「ああ」
一つも。
迷わない。
だからこそ。
透の声が。
少し震えた。
「……じゃあ」
「何だ?」
「私が」
一拍。
「零無に」
「そんなことしてほしくないって言ったら?」
零無が止まった。
長い沈黙。
透は待つ。
今までの零無なら。
恐らく。
即座に答えただろう。
君の安全の方が重要だ。
君がどう思うかは関係ない。
だが。
今は。
返事が来ない。
◇
「……困るな」
ようやく。
それだけ。
「何で?」
「君を守ることと」
「君の意思を尊重することが」
一拍。
「衝突する」
「うん」
「僕は」
零無は言いかけて。
止まった。
透がじっと見る。
「今」
「何だ?」
「私を守る方を選ぶって言おうとしたでしょ」
「……」
「言おうとしたよね」
「ああ」
「全然ダメじゃん」
「そうだな」
透が目を丸くする。
「認めるんだ」
「先程」
一拍。
「同じことを散々言われた」
「じゃあ」
「変える?」
零無はすぐには答えない。
「……分からない」
「また」
「だが」
透が顔を上げる。
「今までなら」
「君がどう思うかは、判断材料に入れていなかった」
「……」
「今は」
「入れる必要があると思っている」
「それだけ?」
「ああ」
「僕にとっては」
一拍。
「かなり大きい」
透は黙った。
それから。
ほんの少しだけ。
笑う。
「じゃあ」
「そこからでいいよ」
「何が?」
「次は」
透は言った。
「私のことも」
「ちゃんと計算に入れて」
「君の安全は」
「最初から入っている」
「違う」
首を振る。
「私の気持ち」
零無は黙った。
透も黙る。
今度は。
急かさない。
やがて。
「……難しいな」
「頑張って」
「努力はする」
「約束して」
零無が。
少しだけ眉を寄せる。
「努力すると約束する、では駄目か?」
「逃げてる」
「合理的な表現だと思うが」
「逃げてる!」
零無は。
しばらく考えた。
そして。
「……分かった」
透が待つ。
「君の意思を」
一拍。
「無視して決めない」
透の目が僅かに見開かれた。
「約束?」
「ああ」
「本当に?」
「ああ」
「破ったら?」
零無が少し考える。
「君に怒られる」
「当たり前でしょ!」
「なら」
「それを避ける努力もする」
「そこじゃない!」
透の声が。
また部屋いっぱいに響いた。
◇
廊下。
「聞こえた」
上鳴が言った。
「聞こえたね」
耳郎が答える。
「絶対また屁理屈言ったでしょ」
芦戸が笑う。
「盗み聞きは感心せんぞ!」
飯田が注意する。
「飯田も残ってんじゃん」
「俺は葉隠君を待っているだけだ!」
「俺らもそうだって」
「嘘をつけ!」
麗日は。
閉じた扉を見て。
小さく笑った。
緑谷もそこにいる。
轟も。
切島も。
八百万も。
常闇も壁にもたれている。
障子も。
尾白も。
砂藤も。
口田も。
青山も。
結局。
誰も先には行っていなかった。
少し離れたところには。
爆豪までいる。
瀬呂が見る。
「……帰ったんじゃなかったのか?」
「うるせぇ」
「待ってんじゃん」
「殺すぞ」
「はいはい」
◇
扉の向こうから。
また透の声が聞こえた。
続いて。
何を言っているのかまでは分からない。
零無の声。
それから再び。
「だからそういう意味じゃないって!」
透の声。
上鳴が吹き出した。
「絶対またやってる」
「やってるね」
耳郎も笑う。
緑谷は。
閉じた扉を見る。
少し前まで。
同じ相手と話していた。
社会。
ヒーロー。
壊れなければ変わらない世界。
救われなかった人。
二人の母。
父。
AFO。
裏切り。
その時の零無は。
何を聞いても答えた。
論点を整理し。
矛盾を指摘し。
こちらへ問いを返し。
そして。
自分の責任だけは。
一切譲ろうとしなかった。
だが。
今。
扉の向こうで。
透一人を相手に。
何度も言葉に詰まっている。
◇
緑谷は。
少しだけ笑った。
「……何笑ってんだ、クソデク」
爆豪が言う。
「え?」
「気持ち悪ぃ」
「酷くない!?」
「で?」
爆豪が顎をしゃくる。
「何だよ」
「いや」
緑谷は。
もう一度。
扉を見る。
「金木君にも」
少し考える。
「分からないこと」
「ちゃんとあるんだなって」
爆豪が露骨に顔をしかめた。
「当たり前だろ」
「うん」
緑谷は頷く。
「当たり前なんだよね」
◇
誰も。
零無を許したわけではない。
裏切られた事実は消えない。
USJも。
林間合宿も。
自分達が危険に晒されたことも。
零無自身が。
AFOへ情報を渡したことも。
これから下される処分も。
何一つ。
なかったことにはならない。
それでも。
緑谷は思う。
脅迫されたから。
全部仕方がなかった。
そんな話でもない。
思想があったから。
全部本人の責任だ。
そんな単純な話でもない。
その両方だった。
そして。
恐らく。
もっと多くのものが。
同時にあった。
◇
葉隠を守りたかった。
社会に怒っていた。
AFOを嫌っていた。
それでも。
その要求に従った。
従いながら。
自分に出来る範囲で。
情報を歪めた。
A組を裏切った。
A組を友達だと思っていた。
自分が悪いと思っていた。
それでも。
誰かに自分を助けさせることだけは。
最初から。
選択肢へ入れていなかった。
◇
――全部てめぇだろうが。
爆豪の言葉。
――自分が助けられる側になったら、勝手に関係切って。
耳郎の言葉。
――壊れる前でも変われるって言う。
麗日の言葉。
そして。
――私の気持ち。
透の言葉。
緑谷は。
閉じた扉を見る。
◇
「デク君」
麗日が呼ぶ。
「うん」
「行こ」
「うん」
「今度こそ本当に帰るぞ!」
飯田が腕を振る。
「葉隠は?」
「塚内さん達もおられる!」
「我々が全員ここに残る必要はない!」
「さっき待ってるって言ってたじゃん」
「状況が変わったのだ!」
「便利だなそれ」
「上鳴君!」
また。
騒がしくなる。
少しずつ。
A組の生徒達が歩き始める。
◇
緑谷は。
最後に一度だけ振り返った。
閉じた扉。
その向こうにいる。
仲間を裏切った人間。
AFOに脅迫されていた人間。
それでも。
自分で選んだ部分の責任から。
逃げようとしない人間。
社会へ怒り続けている人間。
自分達に。
より正しい答えを出せと言った人間。
そして。
透から。
自分の気持ちまで無視するなと怒られている人間。
どれか一つだけを。
金木零無と呼ぶことは。
多分。
出来ない。
◇
「緑谷!」
飯田の声が飛んでくる。
「今行く!」
緑谷は走り出した。
廊下の先。
A組のみんながいる。
まだ怒っている。
まだ混乱している。
まだ。
何も終わっていない。
それでも。
誰も。
「もう関係ない」とは言わなかった。