「正しい答え」 作:はい
誰も、すぐには拘束室を出ようとしなかった。塚内が一度だけ時計を見る。壁のモニターには、病室から繋いでいる相澤の姿がある。
本来なら、もう十分だった。長い時間話し、聞くべきことも聞いた。それでも、誰も席を立たない。そんな中、耳郎が口を開いた。
「……まだ一個、言いたい」
零無がそちらを見る。
「何だ?」
耳郎は腕を組む。
「アンタさ、さっきから、自分がやったこと全部、やたら綺麗に分けるじゃん」
「綺麗に?」
「透を守った。それとは別に私達を裏切った。社会に怒ってた。AFOには賛同してなかった。脅されてた。それでも最後に選んだのは自分だから、自分の責任」
一拍置いて、耳郎は続けた。
「ずっとそんな感じ」
零無は少し考える。
「事実を混同しないためだ」
耳郎が即座に返した。
「それ。そこがムカつく」
零無が僅かに眉を寄せる。
「何故?」
「ほら、また」
「質問しただけだが」
「全部説明出来る形にしようとすんなっての」
「質問されたから答えているんだが」
「そういう話じゃない!」
「では、どういう話だ?」
「もう!」
耳郎が頭を掻いた。その横から芦戸が口を挟む。
「……何か、分かるかも」
零無がそちらを見る。
「何が?」
「ほら、そういうとこ!」
「どういうところだ?」
「全部ちゃんと言葉にしないと気が済まないとこ!」
「話をしているんだから、言葉にはするだろう」
「そうなんだけどさぁ……!」
芦戸が頭を抱える。
「何て言えばいいのこれ!」
「感情まで、事実と同じように整理しようとしているように見える、ということでは?」
八百万が静かに言った。
「それ!」
芦戸が指を差す。八百万は少し複雑そうな顔で零無を見る。
「あなたの説明には、筋が通っていますわ」
「ありがとう」
「褒めてはいません」
「そうか」
「……本当に、そういうところですわね」
八百万は小さく息を吐いた。しかし、そこで話を終わらせるつもりはなかった。
零無が見る。
「ですが、先程までの私は、それをあなたの長所でもあると考えていました」
「何故?」
「感情に流されず、複数の事実を分けて考えることが出来る」
八百万は続ける。
「脅迫を受けたことと、自身の行動に責任があること。葉隠さんを守ろうとしたことと、私達を危険に晒したこと。どちらか一方だけを取り上げない。それ自体は、とても大切なことだと思います」
「ああ」
「ですが」
八百万は改めて零無を見た。
「ご自身についてだけ、その考え方が極端なのではありませんか?」
「極端?」
「脅迫された自分、葉隠さんを守りたかった自分、社会へ怒っていた自分、私達を裏切った自分、私達を友人だと思っていた自分」
八百万は一つずつ挙げていく。
「全部、同時に存在していたのでしょう?」
零無は少しだけ間を置いた。
「否定はしない」
「でしたら」
八百万の声は静かだった。
「何故ご自身についてだけ、『裏切った』という一面を、結論として扱うのです?」
零無が僅かに黙った。
「結論?」
八百万は言う。
「あなたは、何を聞かれても最後には、自分が裏切った、自分が選んだ、自分が責任を取る。そこへ戻ります」
「事実だからだ」
「ええ」
八百万は頷いた。
「ですが、それだけがあなたではありません」
「……価値の話をしているのか?」
「いいえ」
即答だった。
「あなたという人間の話をしています」
零無は何も返さなかった。
「くっだらねぇ」
爆豪が舌打ちした。
「爆豪君!」
飯田が咎める。
「何がくだらねぇって?」
爆豪は零無を睨んだ。
「こいつがだよ」
「僕か?」
「てめぇ」
爆豪は壁から身体を起こす。
「自分の母親や親父の話ん時は、社会だけが悪い訳じゃねぇ。本人の責任もある。両方あるって散々言ってただろうが」
零無は黙っている。
爆豪の声が低くなる。
「なのに、てめぇ自身のことだけ、裏切った。だから悪い。そこで終わらせんのかよ」
「終わらせてはいない」
「終わらせてんだよ」
即座だった。
「葉隠を守りたかった。社会にはムカついてた。壊れなきゃ変わらねぇんじゃねぇかとも思ってた。俺らのことも友達だと思ってた。それでも裏切った」
「全部てめぇだろうが」
零無は答えない。
「どれか一個だけ選んで、これが俺です、みてぇに片付けてんじゃねぇ」
「僕は片付けているつもりはない」
爆豪は吐き捨てる。
「だったら、てめぇだけ例外にすんな」
零無の目が僅かに動いた。
「何の例外だ?」
「人間なんざ、綺麗に一個の理由で動かねぇって話だ」
「……」
「てめぇだけ全部筋が通ってなきゃ気が済まねぇのかよ」
部屋が静かになる。
「守りたかった。怒ってた。好きだった。裏切った」
爆豪は睨んだまま言った。
「全部あったんなら、それがてめぇだろ」
切島が爆豪を見る。普段なら、もう少し言い方があるだろ、と止めたかもしれない。だが、今回は違った。
「……俺も、そこはそう思う」
零無が切島を見る。
「俺」
切島は眉を寄せた。
「今でもお前にめちゃくちゃムカついてるからな」
「当然だろう」
「それだよ」
「何が?」
「すぐ当然って言うだろ」
「僕が君達を裏切った以上――」
「分かってるって!」
切島が遮った。
「怒ってんのは事実だ。でも、今怒ってるからって、この先ずっと、俺がお前をどう思うかまで決まった訳じゃねぇ」
零無は黙る。
「また話すかもしれねぇ。ずっと腹立ってるかもしれねぇ。俺にもまだ分かんねぇ」
切島は胸へ手を当てる。
「でも、今の気持ちだけで、お前全部を決めたくはねぇ」
「……そうか」
爆豪が鼻を鳴らした。
「なら、それでいいじゃねぇか」
「よくはないだろう」
「よくねぇよ」
即答だった。
「だから何だ」
零無の目が細くなる。
「……随分と雑だな」
「てめぇが細けぇんだよ」
「事実関係は重要だ」
「分かってる」
「なら――」
「けどな」
爆豪が一歩前へ出る。
「事実全部並べりゃ、人間まで全部分かると思ってんのが気に食わねぇ」
零無は珍しく、すぐには返さなかった。
「俺も少し分かる」
轟が静かに言った。爆豪が振り返る。
「何がだ」
「人の気持ちを、理由で全部説明しようとする感じ」
轟は零無を見る。
「親父のこととか、家のこととか」
「……」
「理由は分かる。何でああなったのかも。何が間違ってたのかも」
淡々と話していた轟が、少し間を置く。
「でも、分かったから終わる訳じゃなかった」
零無は黙って聞いている。
「嫌いだった。でも、全部嫌いだった訳じゃない。許した訳でもない。それでも、今は話してる」
「多分、そういうのって、全部整理し切れない」
零無は少し考えた。
「整理出来ないものを、そのままにしておくのか?」
「ああ」
「気持ち悪くないか」
「慣れる」
「……そうか」
耳郎が思わず吹き出した。
「そこ聞く?」
「重要だろう」
「重要かなぁ……」
芦戸も少し笑い、瀬呂が肩を震わせる。
「でも、零無らしいっちゃらしいな」
「褒めているのか?」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「面倒くさい」
「そうか」
「だからその『そうか』やめろって!」
今度は何人かが笑った。ほんの少しだけ、部屋の張り詰めた空気が緩む。零無は笑わなかった。だが、そのやり取りを拒絶もしなかった。
「……理解と許容は別物だ」
常闇が低く言った。再び、空気が静まる。
「君の事情は理解した。葉隠を守ろうとしたことも」
「ああ」
「だが、俺達が危険に晒された事実は消えない」
「その通りだ」
常闇は続ける。
「だから、俺は今すぐ、以前と同じようにお前へ接することは出来ない」
「分かっている」
常闇は僅かに目を細める。
「だが、この先も同じかは、今の俺には分からない」
零無が見る。
「……そうか」
「それでいい」
障子も静かに頷いた。
「俺も同じだ」
一拍置いて、蛙吹が頬へ指を当てる。
「金木ちゃん」
「何?」
「私達には、これからどうするか考えろって言うのに」
零無が見る。
「自分のことだけ、もう結論が出たみたいに話すのね」
「……」
蛙吹はいつもの調子で言った。
「そこは、少し変だと思うわ」
零無はすぐには答えなかった。
やがて言う。
「今日は、色々な方向から同じ辺りを指摘されるな」
耳郎が返した。
「それだけ、そこが分かってないってことじゃない?」
「厳しいな」
「裏切られた側だからね」
「それは当然――」
耳郎の目が細くなる。零無は途中で言葉を止めた。
「……」
耳郎が頷く。
「学習したじゃん」
だが、耳郎はそこで笑うのをやめた。少しだけ視線を落とす。
「……私さ」
零無が見る。
「何だ?」
「さっき言ったこと。まだ腹立ってるから」
「どれだ?」
「友達だってやつ」
部屋が静かになる。
「今も友達だと思ってるって言ったでしょ」
「ああ」
「文化祭の時も、楽しかったって」
「ああ」
耳郎は唇を噛む。
「それ、多分、嘘じゃないんだよね」
「嘘を言う必要がない」
声が強くなる。
「そういう返しじゃなくて、嘘じゃないから腹立つって言ってんの!」
零無が黙る。
「私達のこと、どうでもよかったなら、まだ分かる。最初から全部演技だったなら、最低って言って終われる。でも違う。友達だった。楽しかった。困ってたら手伝った。私が悩んでたことまで気付いた」
耳郎の声が僅かに震えた。
「なのに、自分が困ってる時だけ、私達を友達にしなかった」
零無の目が僅かに動く。
「……」
「それが、一番ムカつく」
耳郎は真っ直ぐ彼を見る。
「楽しい時は友達で、助ける時も友達で、自分が助けられる側になったら、勝手に関係切って、それで捕まってから、今も友達だと思ってる、って」
「……」
「ずるいよ」
今度のそれは怒鳴り声ではなかった。だからこそ、部屋によく響いた。零無は少し黙った。
「……その点については」
「うん」
「反論が思いつかない」
耳郎が目を丸くする。上鳴も芦戸も、意外そうに零無を見た。零無は続ける。
「僕は君達を友人だと思っていた。だが、自分が助けを求める相手として扱っていなかった」
「矛盾していると言われれば、その通りだ」
耳郎はしばらく何も言わなかった。
「……分かればいい」
「許すのか?」
「何でそうなるの!」
「分かればいいと言っただろう」
「そこだけ切り取るな!」
「難しいな」
「ほんっと面倒くさい!」
少しだけ、また笑いが起きた。その中で、透はずっと零無を見ていた。
「ねえ」
「何だ?」
「さっき言ったよね」
零無が見る。
「何を?」
「『僕が君を好きになったことは、君の罪か』って」
部屋の空気が一瞬で止まった。上鳴の目が大きくなり、瀬呂がゆっくり顔を上げる。芦戸の視線が二人の間を往復した。耳郎が小さく「あ」と言った。零無は黙っている。透は逃がさなかった。
「あれ、どういう意味の『好き』?」
「どういう意味とは?」
「恋愛の意味?」
「……」
上鳴が盛大にむせた。
「ゲホッ!?」
瀬呂が両手で顔を覆う。
「今そこ行く!?」
芦戸の目だけが一瞬で輝いた。峰田が立ち上がりかける。
「おい待てこれってつまり――」
「座ってろ峰田」
瀬呂が即座に引きずり戻す。
「なんでだよ!」
砂藤が無言で峰田の肩を押さえた。飯田は眼鏡を押し上げたまま固まっている。八百万は僅かに顔を赤らめ、静かに視線を逸らした。青山は何も言わず、二人を見ている。零無は透を見る。
「その分類は必要か?」
「必要!」
「僕には」
「必要!」
「まだ何も言っていない」
「絶対いらないって言うつもりだったでしょ!」
「……」
「図星じゃん!」
耳郎が小声で言う。
「逃げてる」
零無がそちらを見る。
「逃げてはいない」
「じゃあ答えれば?」
「耳郎」
「何?」
「楽しんでいないか?」
「ちょっとだけ」
「正直だな」
透が机へ手を置く。
「零無」
「何だ?」
「恋愛?」
「……」
「違う?」
長い沈黙が落ちた。さっきまで茶化していた上鳴すら口を閉じる。零無は視線を逸らさなかった。
「……そういう分類をするなら」
「ああ」
透の手が止まる。
「そうだと思う」
「思う?」
「自分の感情を客観的に測定する方法はない」
「そこ今どうでもいい!」
「重要では?」
「重要じゃない!」
「そうか」
透が少しだけ身を乗り出す。
「じゃあ、好き?」
零無は数秒だけ考えた。
「好きだ」
今度は迷わなかった。芦戸の口がぽかんと開く。瀬呂は顔を覆ったまま天井を仰ぎ、上鳴が無言で切島の腕を叩いた。
「痛ぇよ」
「いやだって!」
「静かにしたまえ!」
飯田が声を抑えながら言った。
「……でも」
透は零無を見る。
「私、まだ怒ってるから」
「ああ」
「許してない」
「ああ」
「だから、好きって言われたからって、全部それで終わりにはしないよ」
「当然だろう」
透の目が細くなる。零無が僅かに止まった。
「……」
「今」
「何?」
「当然って言った」
「言ったな」
「また勝手に決めた」
「いや」
零無は少し考える。
「今回は、君が先に言っただろう」
透が止まる。
「……」
零無は続ける。
「君が許していないと言った。僕はそれを認めただけだ」
透が少しだけ悔しそうな顔をした。耳郎が吹き出す。
「そこは零無の勝ちじゃない?」
「勝ち負けじゃない!」
「そうだな」
「零無は黙ってて!」
「理不尽だな」
緑谷が零無を見る。
「金木君」
「何だ?」
「一つ、聞いてもいい?」
「どうぞ」
「もし」
緑谷は慎重に言葉を選ぶ。
「もし葉隠さんのことがなかったら」
部屋が静かになる。
「それでも、君は僕達を裏切ってた?」
零無はすぐには答えなかった。今度の沈黙は、言葉を選んでいるのではない。本当に、その条件を外した自分を考えている。やがて。
「……恐らく、裏切っていない」
誰も声を出さなかった。透も緑谷も、零無を見る。
「少なくとも」
零無は続ける。
「AFOの要求を受け入れる理由はなかった」
「……じゃあ」
緑谷の声が少し低くなる。
「葉隠さんのことは」
「ああ」
零無は否定しなかった。
「決定的だった」
透の指先が僅かに動く。
「ただし」
「分かってる」
緑谷が先に言った。零無が止まる。
「何を?」
緑谷は真っ直ぐ零無を見る。
「それと、君がしたことの責任は別だって言いたいんでしょ」
「……ああ」
「分かってる」
「葉隠さんを使って脅された。だからAFOの要求を飲んだ」
「でも、その後に何を渡すか、どこまで従うか、何を隠すか、君自身が決めたこともあった」
「ああ」
「社会に怒ってたことも嘘じゃない」
「ああ」
緑谷は続ける。
「だから、脅されたから全部仕方なかった、とは僕も思わない」
「そうか」
「でも、脅されたことまで無かったことにもしない」
零無は少しだけ黙った。
「……君らしいな」
「ならば」
飯田が口を開いた。全員が見る。飯田は拳を握っていた。
「我々も、そこを曖昧にしてはいけないと思う」
零無が見る。
「君が脅迫されていた被害者であることと、我々を危険に晒したことは、両立する」
「そうだな」
飯田の声が少しだけ強くなる。
「僕はまだ、君に対して怒っている」
「ああ」
「学級委員長としてではない。一人の友人としてだ」
零無の視線が止まった。
「何故相談しなかった、と」
「相談出来る状況では――」
「分かっている!」
珍しく、飯田が遮った。零無が黙る。
「理屈では理解している!葉隠君を危険に晒したくなかったことも!我々なら助けに行くと考えたことも!分かる!」
拳を握る。
「それでも、相談してほしかったと思う!」
「その二つは矛盾している」
「分かっている!」
「……」
飯田は零無を見る。
「理解出来ることと納得出来ることは別だ!」
零無の目が僅かに動いた。それは以前、零無自身が芦戸へ言った言葉だった。
「……そうだな」
飯田は少し息を吐く。
「君の言葉を借りるなら、そういうことだ」
「随分、便利に使うな」
「君が言ったのだろう!」
上鳴が吹き出した。今度は麗日も僅かに笑った。麗日はそのまま零無を見る。
「金木君」
「何だ?」
「私も、まだ怒ってるよ」
「ああ」
麗日は少し考えてから、言葉を続ける。
「でも、さっきの話、社会が壊れてから、人が変わったって話」
「ああ」
「私、やっぱりこれからも、そこは金木君と喧嘩すると思う」
「構わない」
麗日が少しだけ眉を寄せる。
「それ、喧嘩する相手が決めることちゃうやろ」
零無が止まった。
「……確かに」
麗日がほんの少し笑う。
「金木君が、壊れなきゃ人は変われへんって言うなら、私は壊れる前でも変われるって言う」
「根拠は?」
「今はない」
即答だった。零無の目が僅かに変わる。
「ないのか?」
「ない」
「随分と無責任だな」
「うん」
「認めるのか」
「だって」
麗日は真っ直ぐ言った。
「まだ出来てないもん」
「だから、これから作る。誰かがヴィランになる前に、誰かが自分を嫌いになる前に、間に合うように」
零無は黙って聞いている。
「金木君が言ってたこと、全部忘れへん」
「でも、金木君の答えが、最後やとも思わへん」
零無はしばらく麗日を見る。
「そうか」
「うん」
「なら、期待している」
麗日の目が少しだけ見開かれる。
「……そこは変わらへんのや」
「何が?」
「私達に期待するところ」
「変える理由がない」
麗日は少しだけ泣きそうな顔で笑った。
「ほんま、腹立つなぁ」
「何故だ?」
「そういうところ」
緑谷が一歩前へ出る。
「なら」
「何だ?」
「僕も証明するよ」
「何を?」
緑谷は真っ直ぐ答えた。
「壊れる前に変えられるって」
零無の目が僅かに細くなる。
「どうやって?」
「これから考える」
「麗日と同じか」
「うん」
「根拠は?」
「これから作る」
「……」
零無が僅かに息を吐いた。
「困ったクラスだな」
「金木君もA組でしょ」
一瞬、零無が黙った。緑谷も、それ以上は言わない。
「君まで」
青山が静かに口を開いた。零無が見る。
「自分で自分を教室の外へ出してしまわなくてもいいんじゃないかな」
零無は少しだけ目を細める。
「戻れるかどうかは、僕が決めることではない」
「うん」
青山は頷いた。
「だから、君一人で決めることでもないよ」
零無は何も言わなかった。
塚内が時計を見る。モニターの向こうで、相澤も小さく息を吐いた。
「……今度こそ」
全員がそちらを見る。
「話はそこまでだ」
誰かが僅かに不満そうな顔をしたが、相澤は気にしなかった。
「金木」
「はい」
「改めて言う」
「はい」
「お前の処遇は、これから正式に決まる」
「そうでしょうね」
「軽くは済まない」
「理解しています」
「AFOに脅迫されていたことも、考慮される」
零無は少しだけ目を細めた。
「それを判断するのは」
相澤が先に言った。
「お前じゃない」
沈黙。
「事実を全部扱えと言ったのは、お前自身だろ」
「……」
「脅迫されていた。自分でも選んだ。情報を渡した」
「一方で、被害を減らそうともしていた」
「全部、事実だ」
零無は何も言わない。
「都合の良い方だけ、自分で切り捨てるな」
長い沈黙。
「……はい」
「それと」
「はい」
「お前が自分をどう評価してるかも、処分を決める材料の一つでしかない」
零無の眉が僅かに動く。
「理解しています」
「本当か?」
少しだけ間が空いた。
「……先程よりは」
相澤はほんの僅かに目を細める。
「ならいい」
「今日は終わりだ」
今度こそ、皆が動き始める。だが、誰もすぐには扉へ向かわなかった。切島が何か言おうとしてやめ、八百万も一度振り返る。常闇と障子が先に動いた。
「またね、金木ちゃん」
蛙吹が言った。零無が見る。
「……また?」
「ええ」
「僕の処遇次第では、会える保証はないぞ」
蛙吹は平然と返した。
「だから何?」
「……」
「会える時に、また会えばいいでしょう?」
零無は少し黙る。
「……そうか」
蛙吹はそれだけ聞いて、部屋を出ていった。
「ちゃんと寝なよ」
耳郎が声をかける。
「可能なら」
「そこは『分かった』でいいの」
「分かった」
「よし」
耳郎は数歩進んだが、扉の前で足を止めた。振り返らないまま、口を開く。
「……あと」
「何だ?」
「文化祭」
零無が見る。
「楽しかったって言ったの」
一瞬。
「取り消すなよ」
「取り消す理由がない」
「ならいい」
それだけ言って、耳郎は出ていった。
麗日は最後まで少し迷っていた。
「金木君」
「何だ?」
「次に、私が人前で何か言う時」
零無が見る。麗日は少しだけ考えてから、続けた。
「今度は、壊れる前でも届くようにしたい」
「かなり難しいぞ」
「知ってる」
「届かない可能性もある」
「知ってる」
「失敗するかもしれない」
「それも知ってる」
麗日は笑った。
「でも、やる」
零無は何も言わない。
「だから」
「何だ?」
「見といて」
長い沈黙。
「……分かった」
麗日は少しだけ笑う。
「うん」
そして、部屋を出ていった。
緑谷も扉の前で振り返った。二人の視線が合う。
「金木君」
「何だ?」
「僕も、証明するから」
「壊れる前に変えられる、と?」
「うん」
「随分と大きく出たな」
「うん」
「根拠は?」
「これから作る」
「本当に麗日と同じだな」
「うん」
「……困ったクラスだ」
緑谷が少し笑う。
「だから、金木君もA組でしょ」
零無は何も返さなかった。緑谷も返事を求めない。
「また」
それだけ言って、出ていった。
芦戸が透を見る。何かを察したように笑った。
「じゃ、行こっか、透ちゃん」
麗日も振り返る。透は首を振った。
「先行ってて」
「……分かった」
一人、また一人と部屋を出ていく。やがて、A組の生徒の中では透だけが残った。少し離れた壁際には塚内と警察官達がいる。モニターの向こうには相澤もいる。それでも、誰も二人の会話へ口を挟まなかった。さっきまで二十人分の声が飛び交っていた部屋が、急に静かになる。
零無は透を見る。
「まだ何かあるのか?」
透は暫く何も言わなかった。それから。
「怖かった?」
零無が僅かに目を細める。
「何が?」
「AFOに、私のことで脅された時」
沈黙。
「……分からない」
「またそれ」
「今回は、誤魔化している訳じゃない」
「じゃあ?」
零無は少し考える。
「恐怖を認識する余裕がなかった」
「……」
「君が死ぬ可能性がある。なら、それを消す。そのことしか考えていなかった」
透は黙る。
「それ、普通は怖かったって言うんじゃない?」
「そうなのかもしれない」
「……ほんと分かってないね」
「自覚はある」
「そこだけは成長したね」
「今日一日で、随分言われたからな」
透は少し笑った。そして、静かに聞く。
「私が死ぬの、そんなに嫌?」
零無は今度は迷わなかった。
「ああ」
「自分が死ぬより?」
「ああ」
「みんなに嫌われるより?」
「ああ」
「ヴィランになるより?」
「ああ」
一つも迷わなかった。だからこそ、透の声が少し震えた。
「……じゃあ」
「何だ?」
「私が零無に、そんなことしてほしくないって言ったら?」
零無が止まった。長い沈黙が落ちる。透は待った。今までの零無なら、恐らく即座に答えただろう。君の安全の方が重要だ。君がどう思うかは関係ない。だが、今は返事が来ない。
「……困るな」
ようやく、それだけが返ってきた。
「何で?」
「君を守ることと、君の意思を尊重することが衝突する」
「うん」
「僕は」
零無は言いかけて止まった。透がじっと見る。
「今」
「何だ?」
「私を守る方を選ぶって言おうとしたでしょ」
「……」
「言おうとしたよね」
「ああ」
「全然ダメじゃん」
「そうだな」
透が目を丸くする。
「認めるんだ」
「先程、同じことを散々言われた」
「じゃあ、変える?」
零無はすぐには答えない。
「……分からない」
「また」
「だが」
透が顔を上げる。
「今までなら、君がどう思うかは、判断材料に入れていなかった」
「……」
「今は、入れる必要があると思っている」
「それだけ?」
「ああ。僕にとってはかなり大きい」
透は黙った。それから、ほんの少しだけ笑う。
「じゃあ、そこからでいいよ」
「何が?」
透は言った。
「次は、私のこともちゃんと計算に入れて」
「君の安全は、最初から入っている」
「違う」
透は首を振る。
「私の気持ち」
零無は黙った。透も黙る。今度は急かさなかった。やがて。
「……難しいな」
「頑張って」
「努力はする」
「約束して」
零無が少しだけ眉を寄せる。
「努力すると約束する、では駄目か?」
「逃げてる」
「合理的な表現だと思うが」
「逃げてる!」
零無はしばらく考えた。
「……分かった」
透が待つ。
「君の意思を無視して決めない」
透の目が僅かに見開かれた。
「約束?」
「ああ」
「本当に?」
「ああ」
「破ったら?」
零無が少し考える。
「君に怒られる」
「当たり前でしょ!」
「なら、それを避ける努力もする」
「そこじゃない!」
透の声が、また部屋いっぱいに響いた。
◇
廊下。
「聞こえた」
上鳴が言った。
「聞こえたね」
耳郎が答える。
「絶対また屁理屈言ったでしょ」
芦戸が笑う。
「盗み聞きは感心せんぞ!」
飯田が注意する。
「飯田も残ってんじゃん」
「俺は葉隠君を待っているだけだ!」
「俺らもそうだって」
「嘘をつけ!」
麗日は閉じた扉を見て、小さく笑った。緑谷もそこにいる。轟も切島も八百万も。常闇は壁にもたれ、障子、尾白、砂藤、口田、青山も残っていた。結局、誰も先には行っていなかった。少し離れたところには爆豪までいる。瀬呂が見る。
「……帰ったんじゃなかったのか?」
「うるせぇ」
「待ってんじゃん」
「殺すぞ」
「はいはい」
扉の向こうから、また透の声が聞こえた。続いて零無の声。何を言っているのかまでは分からない。それから再び。
「だからそういう意味じゃないって!」
透の声が響く。上鳴が吹き出した。
「絶対またやってる」
「やってるね」
耳郎も笑う。緑谷は閉じた扉を見ていた。少し前まで、自分達も同じ相手と話していた。社会、ヒーロー、壊れなければ変わらない世界。救われなかった人、二人の母、父、AFO、そして裏切り。その時の零無は、何を聞いても答えた。論点を整理し、矛盾を指摘し、こちらへ問いを返す。そして、自分の責任だけは一切譲ろうとしなかった。
だが今、扉の向こうでは、透一人を相手に何度も言葉に詰まっている。緑谷は少しだけ笑った。
「……何笑ってんだ、クソデク」
爆豪が言う。
「え?」
「気持ち悪ぃ」
「酷くない!?」
「で?」
爆豪が顎をしゃくる。
「何だよ」
「いや」
緑谷はもう一度、扉を見る。
「金木君にも」
少し考える。
「分からないこと、ちゃんとあるんだなって」
爆豪が露骨に顔をしかめた。
「当たり前だろ」
「うん」
緑谷は頷く。
「当たり前なんだよね」
誰も、零無を許したわけではない。裏切られた事実は消えない。USJも林間合宿も、自分達が危険に晒されたことも、零無自身がAFOへ情報を渡したことも、これから下される処分も。何一つ、なかったことにはならない。それでも、緑谷は思う。脅迫されたから、全部仕方がなかった。そんな話でもない。
思想があったから、全部本人の責任だ。そんな単純な話でもない。その両方だった。そして恐らく、もっと多くのものが同時にあった。葉隠を守りたかった。社会に怒っていた。AFOを嫌っていた。それでも、その要求に従った。従いながら、自分に出来る範囲で情報を歪めた。
A組を裏切った。A組を友達だと思っていた。自分が悪いと思っていた。それでも、誰かに自分を助けさせることだけは、最初から選択肢へ入れていなかった。――全部てめぇだろうが。爆豪の言葉。――自分が助けられる側になったら、勝手に関係切って。耳郎の言葉。
――壊れる前でも変われるって言う。麗日の言葉。――私の気持ち。透の言葉。緑谷は閉じた扉を見る。
「デク君」
麗日が呼ぶ。
「うん」
「行こ」
「うん」
「今度こそ本当に帰るぞ!」
飯田が腕を振る。
「葉隠は?」
「塚内さん達もおられる!我々が全員ここに残る必要はない!」
「さっき待ってるって言ってたじゃん」
「状況が変わったのだ!」
「便利だなそれ」
「上鳴君!」
また騒がしくなる。少しずつ、A組の生徒達が歩き始めた。緑谷は最後に一度だけ振り返った。閉じた扉。その向こうにいるのは、仲間を裏切った人間であり、AFOに脅迫されていた人間でもある。それでも、自分で選んだ部分の責任から逃げようとしない人間。社会へ怒り続け、自分達により正しい答えを出せと言った人間。
そして今、透から自分の気持ちまで無視するなと怒られている人間。どれか一つだけを、金木零無と呼ぶことは多分出来ない。
「緑谷!」
飯田の声が飛んでくる。
「今行く!」
緑谷は走り出した。廊下の先には、A組のみんながいる。まだ怒っている。まだ混乱している。まだ、何も終わっていない。それでも、誰も「もう関係ない」とは言わなかった。