「正しい答え」 作:はい
夜。
A組の生徒達が共有スペースへ戻ってから、少し時間が経っていた。
金木零無は、雄英の一室に残されていた。
窓はない。
机と椅子が二つ。
壁も床も無機質で、時計すら置かれていない。
両手には拘束具。
逃走防止という意味もあるのだろうが、それ以上に、現在の零無の立場を考えれば必要な措置だった。
本人も異を唱えていない。
外そうともしない。
ただ椅子へ座り、何をするでもなく正面を見ている。
考え事をしているようにも見える。
本当に何もしていないようにも見える。
扉の外には警察官がいる。
そして。
暫くして。
壁のモニターが再び点いた。
零無が顔を上げる。
映ったのは、病室の相澤だった。
「先生」
「まだ寝る気はなさそうだな」
零無は一瞬だけ考える。
「僕に寝ろという方が無理があると思いますが」
「それもそうだ」
相澤はベッドへ身体を預けたまま、眠そうな目でこちらを見ている。
書類もない。
端末も持っていない。
零無はそこに気付いた。
「事情聴取なら、もう随分話しましたよ」
「知ってる」
「では?」
「担任として話しに来た」
ほんの僅かに。
零無の眉が動いた。
「……まだ僕の担任なんですか?」
「少なくとも、処分が決まるまではな」
「律儀ですね」
「お前に言われたくない」
それきり。
相澤は何も言わない。
「……」
「……」
数秒。
十数秒。
零無も待った。
だが。
相澤は本当に何も聞かない。
このままなら、本当に一晩無言でこちらを見ているかもしれない。
そう判断して。
零無の方から口を開いた。
「何を聞きたいんです?」
「別に」
「では何故?」
「言っただろ。担任としてだ」
「担任というのは、生徒と無言で向かい合う仕事なんですか?」
「場合による」
「便利な言葉ですね」
「お前もよく使うだろ」
零無が黙る。
「……否定はしません」
◇
再び。
沈黙。
相澤は眠そうな目のまま零無を見ている。
零無も視線を逸らさない。
やがて。
「先生」
「何だ」
「本当に何も聞かないんですか?」
「お前は聞かれれば答える。答えたくないことは、嘘をつかずに別の事実で隠す」
零無の目が僅かに細くなる。
「……なるほど」
「葉隠の件もそうした」
「ええ」
「だから質問したところで、お前が答えると決めた範囲しか出てこない」
「それで観察ですか?」
「そうだ」
「何か分かりました?」
少し間を置いて。
「面倒なガキだってことくらいだ」
「今更ですね」
「今日で更新された」
「不名誉ですね」
「自覚しろ」
◇
そして。
相澤の声音が僅かに変わった。
「金木」
「はい」
「お前、何人死ぬところまで許容してた」
空気が変わる。
零無の表情から、僅かに残っていた軽さが消えた。
「僕が直接殺害するという意味ですか?」
「逃げるな」
「定義を確認しただけです」
「お前がAFOに情報を渡す。その結果、死ぬ可能性があった人間全部だ」
零無はすぐには答えなかった。
考える。
「可能な限り減らすつもりでした」
「ゼロじゃない」
「ええ」
「何人までなら許容した」
「人数で線を引いてはいません」
「なら何で決めた」
「得られる結果と、予測される被害です」
「人間も計算に入れた」
「必要ですから」
「自分もか」
「当然です」
即答だった。
あまりにも早い。
相澤は少し黙る。
零無が首を傾げた。
「何です?」
「そこだ」
「何がです?」
「お前の一番面倒なところだ」
零無の眉が僅かに寄る。
「質問に答えただけですが」
「人が死ぬ可能性を計算する時、お前は自分だけ妙に安い」
「安いという表現は不適切では?」
「じゃあ軽い」
「同じでは?」
「うるさい」
◇
相澤は小さく息を吐いた。
「さっき散々言われてただろ。自分を勝手に切り捨てるなって」
零無の眉が僅かに寄る。
「……聞いていたでしょうね」
「あれだけモニターの前でやられればな」
「趣味が悪いですね」
「担任だ」
「免罪符として便利ですね、その肩書」
「お前相手にはな」
相澤は少しだけ目を細める。
「で。何か分かったか」
「何について?」
「自分の扱いが雑だって話だ」
零無は少し考える。
「彼らがそう考えていることは理解しました」
「違う。お前はどう思った」
「……」
今度は返答が少し遅れた。
「僕自身の評価ですか」
「そうだ」
「特に変わっていません」
「だろうな」
「分かっていたなら、何故聞くんです?」
「確認だ」
「非効率的ですね」
相澤は気にせず続ける。
「葉隠と自分のどっちかしか助からないなら、どうする」
「透です」
一切。
間がなかった。
相澤の眉が動く。
「即答か」
「その質問については、先程本人にも似たようなことを聞かれました」
「答えは変わらない」
「ええ」
「クラスの誰かと自分なら?」
「状況によります」
「三人なら」
「僕を切る可能性が高いでしょうね」
「一人なら?」
「条件次第です」
相澤は少し黙った。
「葉隠だけ、条件がない」
零無は否定しなかった。
「……ええ」
「そういうことか」
◇
相澤は少しだけ身体を沈める。
「お前な。死にたいわけじゃないんだろ」
「ありません」
「人生に絶望してるわけでもない」
「ええ」
「生きることが苦痛なわけでもない」
「そうですね」
「なのに、必要だと思った瞬間に自分が死ぬ案を普通に採用出来る」
零無の目が僅かに動く。
「必要であれば」
「そこだ」
「何がです?」
「死にたいんじゃない。自分が死ぬ選択肢を簡単に採用し過ぎる」
零無は少し黙った。
「今日だけで、何度も似たような評価を受けましたよ」
「なら少しくらい気にしろ」
「多数決で人格を修正する気はありません」
「そういうとこだ」
「具体性に欠けますね」
「うるさい」
◇
少しして。
相澤が言う。
「葉隠と最後に何話してた」
零無の表情が僅かに変わる。
「……聞こえていたのでは?」
「細かいところまでは聞いてない」
「意図的に?」
「ああ」
「何故?」
「お前らの話だ。教師が全部拾う必要はない」
零無は少し黙った。
「言いたくないならいい」
相澤はそれ以上追及しない。
それがかえってやりにくい。
数秒して。
零無の方から口を開いた。
「自分の気持ちも考慮しろ、と」
「それで?」
「約束しました」
相澤が僅かに眉を上げる。
「お前が?」
「何です、その反応は」
「意外だった」
「僕も約束くらいします」
「守るのか」
「そのつもりです」
「葉隠が危険でも?」
零無が黙った。
相澤が鼻を鳴らす。
「ほらな」
「……努力はします」
「怪しいな」
「善処すると答えて怒られたので」
「だろうな」
「先生まで笑わないでください」
「笑ってない」
実際。
笑ってはいなかった。
◇
「なら、一個増やせ」
「何を?」
「葉隠の気持ちだけじゃない。お前が死んで傷つく奴のことも考えろ」
零無は数秒黙った。
「……範囲が曖昧過ぎます」
「知るか」
「人間関係は定量化出来ません」
「しなくていい」
「では、考慮しろという表現の方が適切では?」
「揚げ足取るな」
「先生が計算の話に寄せたんでしょう」
「面倒くせぇな」
「先程からそればかりですね」
◇
相澤は少しだけ目を細めた。
「じゃあ言い方を変える」
零無を見る。
「お前が自分の命をどう使うかは、お前一人にしか関係しない話じゃない」
零無は答えない。
「お前が死んで傷つく感情は、お前のものじゃない。葉隠の感情は葉隠のものだ。クラスの連中も、教師も同じだ」
「……そうですね」
「なら、自分の自己決定だけで全部終わらせるな」
零無は少し眉を寄せる。
「ですが」
「何だ」
「それを理由に僕の選択を止めるなら、結局、僕が透にしたことと似ていませんか」
相澤は間を置かなかった。
「似てる」
零無が僅かに目を見開く。
「認めるんですか?」
「認める」
「なら――」
「教師が生徒の選択を止めることはある。それが全部正しいとも言わない」
零無は黙る。
「でも、お前が危険な判断をした時に止めるのも俺の仕事だ。お前に傲慢だと言われてもな」
零無は数秒。
何も言わなかった。
◇
「先生は」
「何だ」
「今の社会に問題があると思いますか」
「ある」
即答だった。
零無が見る。
「ヒーロー社会にも?」
「ある」
「個性によって生じる――」
「ある」
「まだ最後まで言っていませんよ」
「大体分かる」
零無は少し黙った。
「……随分あっさりしていますね」
「何を期待してた」
「もう少し擁護されるかと」
「しない。現場にいる人間ほど、今の社会が完璧だなんて思ってない」
零無の目が僅かに鋭くなる。
「なら、一度壊れたこと自体には意味があったと思いますか」
相澤は少しだけ眉を寄せた。
「その話、さっき八百万達としただろ」
「しました」
「納得してない」
「ええ」
「なら考え続けろ」
零無が黙る。
「俺はその議論をしに来たんじゃない」
「……」
「俺は社会学者じゃない。お前の論文を採点しに来たわけでもない」
零無の眉が僅かに動く。
「随分乱暴ですね」
「社会の話なら、これから何年でも考えろ。本を読め。人と話せ。現場を見ろ。出てきてからでも勝手に議論しろ」
そして。
相澤は零無を真っ直ぐ見る。
「でも、目の前で自分を使い潰そうとしてる生徒なら、今止められる」
◇
「僕は自殺志願者ではありませんよ」
「知ってる」
「死にたいわけでもない」
「それも知ってる」
「なら」
「そこが厄介なんだよ」
零無が僅かに眉を寄せる。
「何故です?」
「さっき言っただろ。死にたいんじゃない。生きたいと思ってても、必要だと判断した瞬間に自分の命を切れる」
「……」
「それを普通の選択肢に入れ過ぎる」
零無は長く黙った。
完全に否定する言葉が。
すぐには出てこない。
◇
「先生」
「何だ」
「その時間を待てない人間がいることは、既に話しました」
「ああ」
「少しずつ良くする。時間を掛ける。制度を整える。人々の意識が変わるのを待つ」
零無の声は静かだった。
「それを待てずに、救われなかった人間もいる」
相澤は黙る。
「僕の母達は待てなかった」
それ以上。
零無は家族の話を繰り返さなかった。
「父も、もっと早く誰かが止められていれば、違ったかもしれない。勿論、それで彼の罪が消えるとは思っていません」
一拍。
「これから良くなるという言葉は、死者には届かない」
◇
「知ってる」
零無が止まった。
予想していなかった返答だった。
「……」
「救えなかった奴は戻ってこない。もっと早く気付けていれば。誰かが違う動きをしていれば。自分がもっと上手くやれていれば。そう思うことはある」
零無が相澤を見る。
「先生も?」
「現場にいればな」
一瞬だけ。
相澤の目が遠くなる。
だが。
それ以上は語らない。
「だからって、次に救える奴まで死者の側へ送る理由にはならない」
「僕はそんなことを――」
「してる」
「誰をです?」
「お前だ」
零無が僅かに眉を寄せた。
「……またその話ですか」
「そうだ」
「僕の社会観とは別でしょう」
「俺にはこっちが本題だ」
「ですが僕は――」
「俺は教師だ」
相澤が遮った。
「お前の思想を、今ここで矯正する気はない。でも、目の前で自分を壊す方向にだけ妙に理屈が通る生徒を、放っておく気もない」
◇
零無は少しだけ目を伏せる。
「先生」
「何だ」
「僕一人が死ねば、生徒全員が確実に助かる状況なら?」
相澤はすぐには答えなかった。
「その状況で何をするかは、その時俺が考える」
「答えになっていません」
「仮定だけで、生徒一人に死ねとは言わない」
「では、時間がなければ?」
「それでも、お前一人に決めさせる気はない」
零無が見る。
「非合理的ですね」
「そうかもな」
「教師だから?」
「ああ」
一切。
迷いがない。
零無は少し考える。
「緑谷君達にも、似たようなことを言われました」
相澤が露骨に嫌そうな顔をする。
「一緒にするな」
「結論はかなり似ていますよ」
「黙れ」
ほんの僅かに。
零無の口元が緩んだ。
一瞬。
相澤は気付いた。
だが。
何も言わない。
◇
しばらくして。
零無が口を開いた。
「先生は」
「何だ」
「僕を、まだ生徒だと思っているんですか?」
「思ってる」
即答。
今度は。
零無の方が完全に止まった。
「……何故?」
「在籍してるから」
「そういう意味ではありません」
「知ってる」
相澤は眠そうな目のまま答える。
「裏切ったら生徒じゃなくなるなら、教師なんて楽な仕事だ。問題起こした奴から切ればいい」
零無は何も言わない。
「お前がやったことは消えない。庇う気もない。処分は受けろ。責任も取れ。傷つけた奴がいるなら、許されなくても出来ることをしろ」
「はい」
「ただし、勝手に刑罰を増やすな」
零無が顔を上げた。
「……どういう意味です?」
「学校や社会がお前に科す責任と、お前が勝手に『自分には何も残らなくていい』と決めることは別だ」
「僕はそこまで――」
「雄英に戻れなくても仕方ない。友人に嫌われても仕方ない。将来がなくなっても仕方ない。必要なら死んでも仕方ない」
「……」
「全部同じだろ」
零無は反論しない。
「自分で選んだ結果だから。当然の帰結だから。責任だから。そう名前を付ければ、お前は何でも受け入れられる」
「……責任とは、そういうものでは?」
「違う」
即答だった。
「では?」
相澤は迷わなかった。
「生きて払え」
零無が止まった。
◇
短い。
あまりにも単純な言葉だった。
「……」
「お前が壊したものがあるなら直せ。傷つけた奴がいるなら、許されなくても出来ることをしろ」
相澤は続ける。
「社会が間違ってると思うなら、生きて出てきてから変えろ」
零無が僅かに目を細める。
「僕にヒーローを続けろと?」
「そこまでは言ってない」
「では」
「何になるかくらい自分で決めろ。お前、自己決定にはあれだけうるさいんだからな」
零無は少しだけ黙る。
「嫌味ですか?」
「半分」
「残り半分は?」
「教師としての説教だ」
「長いですね」
「誰のせいだ」
◇
少し。
沈黙が落ちる。
やがて。
零無がモニターの相澤を見る。
「先生」
「何だ」
「もし」
一拍。
「僕が今でも、この社会は一度壊れる必要があったのかもしれないと考えていると言ったら?」
相澤は間を置かなかった。
「別に」
零無の目が僅かに見開かれる。
「……別に?」
「考えるのは勝手だ」
「……」
「実行したことについては責任を取れ」
零無は相澤を見る。
「それだけですか?」
「それだけだ」
相澤は少しだけ目を細めた。
「教師が生徒の頭の中まで正しい形に直そうとし始めたら、それこそお前の嫌いな社会だろ」
零無は何も返さなかった。
反論出来ないからではない。
反論する理由がなかった。
◇
相澤が少しだけ身体を起こす。
「金木」
「はい」
「次に同じようなことがあったら、俺に言え」
零無の表情が僅かに硬くなる。
「……約束は出来ません」
「何も変わってねぇな」
「いいえ」
即座だった。
相澤の目が僅かに細くなる。
「以前なら、僕が危険だと判断した時点で、そこで終わっていました」
「今は?」
少し。
間が空く。
「透がそれを望まない。A組の皆も恐らく望まない。先生も同じでしょう」
「ああ」
「それを考慮します」
相澤は黙って聞く。
「それでも黙る可能性はあります。ですが」
零無はモニターの相澤を見る。
「少なくとも、僕一人の判断だけで終わらせないようにはします」
数秒。
相澤は何も言わなかった。
「……及第点には遠いな」
「厳しいですね」
「担任だからな」
「またそれですか」
「便利だろ」
◇
相澤は少しだけ目を伏せる。
「金木」
「はい」
「次は頼れ」
零無は黙る。
「命令ですか?」
「教師としての要求だ」
「拒否したら?」
相澤は眠そうな目のまま零無を見る。
疲れた顔。
病室のベッド。
それでも。
教師の顔だった。
「その時は」
一拍。
「教師舐めんな」
そこで。
通信が切れた。
◇
静かになる。
零無は一人残された。
扉の外にはまだ警察官がいる。
完全な一人ではない。
それでも。
室内にはもう誰の声もない。
暫く。
何も言わない。
やがて。
拘束された両手へ視線を落とした。
「……生きて払え、か」
小さく呟く。
死ぬ方が楽だとは思わない。
死にたいわけでもない。
自分の人生に絶望しているわけでもない。
ただ。
自分が失われることで。
他人が助かるのなら。
それを選ばない理由が。
今までの零無には。
ほとんどなかった。
◇
自分一人なら。
計算は簡単だった。
けれど。
今日。
それを何度も邪魔された。
爆豪は。
全部を自分で整理して終わらせるなと言った。
切島は。
この先、自分が零無をどう思うかまで零無に決めさせなかった。
耳郎は。
自分が助けられる側になった途端、友達をやめるなと怒った。
麗日は。
壊れる前でも変われると証明すると言った。
緑谷も。
同じ答えを選んだ。
透は。
自分の気持ちまで判断材料に入れろと言った。
そして。
相澤は。
生きて払えと言った。
◇
反論なら。
出来る。
いくらでも。
他人が悲しむことと。
自分の命を危険へ晒してはいけないことは。
常に同じではない。
教師が生徒を守ろうとすることも。
立場に依存した判断だ。
状況によっては。
自分の死によって。
他者を救える場面もある。
いくらでも。
反論出来る。
だが。
誰も。
零無との議論に勝とうとしていなかった。
◇
自分達の側から。
勝手に。
零無を計算へ入れてきた。
零無自身が。
自分という一人を。
どれだけ軽く扱おうと。
その値を。
採用しない人間がいる。
◇
透にとって。
緑谷にとって。
耳郎にとって。
切島にとって。
麗日にとって。
爆豪にとって。
相澤にとって。
金木零無が失われることは。
金木零無一人だけの損失ではない。
それを。
本人が勝手に決めることは。
出来ない。
◇
「……」
零無は目を閉じた。
今日一日で。
随分と多くのことを言われた。
怒鳴られた。
責められた。
否定された。
それでも。
誰一人として。
「お前はもう関係ない」
とは。
言わなかった。
そのことが。
一番。
扱いに困る。
◇
「……困ったな」
小さく呟く。
それはもう。
論理に困ったという意味ではなかった。
各話のタイトルを変更しました。管理しづらいと気付いたからです。