「正しい答え」 作:はい
扉が閉まった。
廊下に出たミッドナイトは、その場からすぐには動かなかった。
松葉杖を握ったまま、閉じた扉を背にして、一度ゆっくり息を吐く。
思っていたより、疲れた。
怪我のせいだけではない。
零無と言葉を交わすのは、昔から疲れる。
こちらが一つ言えば、その前提を確かめる。曖昧な言葉を使えば、その曖昧さを拾う。感情だけで押し切ろうとすれば、そこに理由を求める。
昔から。
本当に、可愛くない子だった。
けれど今、ミッドナイトの胸に残っているものは、疲労だけではなかった。
『僕は、先生に救われたことを、後悔していません』
そして、最後の。
『……あの日、僕を見つけてくれて、ありがとうございました』
「……」
ミッドナイトは唇を僅かに噛んだ。
危うく、部屋の中で泣きそうになった。
だから、「どういたしまして」とだけ返した。
それ以上言えば、多分、声が少し震えた。
◇
あの日。
母親を亡くしたばかりなのに、泣きもせず、取り乱しもせず、自分の今後に必要な手続きを確認していた子供。
『僕のことは大丈夫です』
そう言った。
大丈夫なわけがなかった。
それでも、あの子は本気でそう思っていた。
自分が動ける。考えられる。必要なことが出来る。
なら、問題はない。
だからミッドナイトは、本人が必要ないと言っても、勝手に手を伸ばした。
あれが正しかったのか。
その後、何度か考えたことはある。
ヒーローとしてではない。
一人の人間として。
あの子の人生に、あそこまで踏み込んでよかったのか。
もっと違うやり方があったのではないか。
自分が助けたことで、本当にあの子は幸せになったのか。
そして今日、知った。
少なくとも零無自身は、救われたことを後悔していなかった。
それだけで全部が報われるわけではない。その後の苦しみが消えるわけでもない。彼がしたことが消えるわけでもない。
それでも。
「……良かった」
誰にも聞こえないほど、小さな声だった。
本当に、良かった。
胸の奥に張っていた何かが、ほんの少しだけ解ける。
目頭が熱くなる。
ミッドナイトは目を閉じた。
数秒。
それだけ。
それから、一度だけ呼吸を整える。
「……ほんっと」
閉じた扉を振り返った。
「可愛くないんだから」
口元には、ほんの僅かに笑みが残っていた。
◇
歩き始める。
松葉杖の先が、静かな廊下に一定の間隔で音を落とす。
あの部屋の中では、今頃きっと、自分が言った言葉を一つずつ分解して、前提を確認して、反論出来る部分と出来ない部分を分けて。
その上で、都合の悪いものだけは、いつまでも頭の中に残しているのだろう。
実際、最後にはほんの少しだけ譲った。
『僕自身を救える可能性も、最初から除外しない』
約束と呼ぶには弱い。
明日になれば、「状況次第では」と、いくらでも条件を付けるだろう。
それでも、昔の零無なら、そもそも口にしなかった。
だから今日のところは、それでいい。
「……さて」
角を曲がり。
そして、止まった。
「……何してるの、あなた達」
そこには、見慣れた顔が大勢いた。
緑谷。麗日。飯田。轟。爆豪。蛙吹。八百万。切島。耳郎。上鳴。瀬呂。芦戸。障子。常闇。そして葉隠。
少し離れたところには、尾白、砂藤、口田、青山、峰田。
零無を除く、二十人全員。
隠れているつもりだったのだろう。
しかし、これだけ人数が集まれば、もう隠れるも何もない。
飯田が勢いよく姿勢を正した。
「ミッドナイト先生!」
「声が大きい」
「申し訳ありません!」
「それも大きい」
飯田が慌てて口元を押さえる。
「す、すみません……」
上鳴が小声で言った。
「完全に待ち伏せみたいになってんな」
耳郎が肘で脇腹を小突く。
「言うなって」
「痛っ」
ミッドナイトは一同をゆっくり見回した。
「まさか盗み聞きしてた?」
「してません!」
麗日が慌てて両手を振る。
「ほんまです!」
「防音だったしね」
瀬呂が補足する。
耳郎がすぐ振り向いた。
「聞こうとしてたみたいな言い方やめろ」
「違う違う。物理的に無理って意味」
「余計怪しい」
ミッドナイトは少し笑った。
「じゃあ?」
全員の視線が、なんとなく緑谷へ集まる。
緑谷は一瞬だけ困ったように周囲を見てから、一歩前に出た。
「ミッドナイト先生が、金木君のところへ行ったって知って」
「それで?」
「……待ってました」
「何を?」
緑谷が詰まる。
「えっと……」
爆豪が苛立たしげに舌打ちした。
「どうだったんだよ」
全員が爆豪を見る。
「何だよ」
「かっちゃん、直球すぎるよ」
「うるせぇ。気になってんのは全員一緒だろうが」
否定出来る者はいなかった。
ミッドナイトは少し考えるように爆豪を見る。
「どうだった、ねえ」
一拍。
「相変わらずだったわ」
「それだけ?」
葉隠が思わず聞いた。
ミッドナイトの視線がそちらへ動く。
「透ちゃん」
「……はい」
ほんの少し、空気が変わった。
呼ばれた葉隠自身も、それに気付いたらしい。
「何ですか?」
ミッドナイトはしばらく彼女を見る。
そして。
「あなた、大変ね」
「えっ」
「本当に」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
一番先に反応したのは芦戸だった。
「それどういう意味ですか!?」
その隣から上鳴も身を乗り出す。
「ミッドナイト先生、何か聞いたんですか!?」
「何かしらね」
「その言い方ずるい!」
芦戸が騒ぐ。
葉隠は透明な顔を両手で覆った。
手袋だけが、顔を隠すように宙へ浮いて見える。
「やだもう……」
耳郎が横でニヤついた。
「何で葉隠が恥ずかしがってんの」
「だって!」
「何を想像したの?」
「耳郎ちゃん!」
「はいはい」
ミッドナイトは少し笑った。
けれど、その笑みはすぐに消える。
◇
「安心して」
皆が見る。
「あの子の過去を、私が勝手に全部話すつもりはないわ」
葉隠が少しだけ姿勢を正した。
八百万も静かに頷く。
「当然ですわ」
「ええ。具体的なことは、本人から聞いて。あの子が自分で話すかどうか決めるべきことまで、私が代わりに話すつもりはないから」
緑谷の顔に、ほんの僅か、残念そうなものが浮かんだ。
ミッドナイトは見逃さなかった。
「緑谷君」
「はい!」
「顔に出てる」
「えっ」
「聞きたかった?」
「いや、その……」
緑谷は視線を泳がせ、結局。
「……はい」
正直に答えた。
ミッドナイトが笑う。
「素直ね」
「すみません」
「謝ることじゃないわ。気になるのは当然でしょう」
少し歩いて、壁際にあるベンチへ腰を下ろす。
皆も自然とその周囲へ集まった。
「でも、あなた達が気になっていることくらいなら、分かる気がする」
飯田が眼鏡を押し上げる。
「金木君と先生が以前から面識があったことは承知しています」
「そうね」
「しかし……かなり昔からのお知り合いなのですか?」
ミッドナイトは少し考える。
どこまでなら、自分が言っていいのか。
「昔からよ」
「どれくらい?」
上鳴が聞く。
「零無が今よりずっと小さかった頃」
「えっ」
芦戸が目を丸くする。
「子供の頃から!?」
「ええ」
「そんな長いんですか!?」
「長いわね」
瀬呂が腕を組んだ。
「俺ら、普通に『先生になる前から知り合いだった』くらいに思ってた」
耳郎も頷く。
「私も。インターンとか、そういう関係かと思ってた」
轟がまっすぐ聞く。
「どういう知り合いだったんですか」
ミッドナイトは彼を見る。
少しだけ間を置き。
「それは、本人から聞いて」
轟は数秒ミッドナイトを見た。
それから。
「分かりました」
あっさり引いた。
緑谷が横目で轟を見る。
「轟君、引くの早いね」
「話さないって言ってるからな」
「それはそうなんだけど」
「緑谷は聞きたいのか」
「聞きたいけど、聞いちゃ駄目なこともあるだろ」
「なら同じだ」
「うん……そうなんだけどさ」
蛙吹が静かに口を開いた。
「でも先生」
「何?」
「金木ちゃんのこと、かなり知っているのね」
ミッドナイトはそちらを見る。
「そう見えた?」
「見えるわ」
「どうして?」
蛙吹は少し考える。
「さっき、部屋から出てきた時。一瞬だけいつもと違う顔をしていたもの」
ミッドナイトが止まった。
「……」
周囲が一斉に彼女を見る。
上鳴が小声で言う。
「梅雨ちゃん、そこまで見てたの?」
「普通に見えたわ」
「マジか」
ミッドナイトは、ほんの一瞬だけ閉じた扉を見る。
「……よく見てるわね」
蛙吹は首を傾げる。
「何かあったの?」
「内緒」
「そう」
蛙吹はそれ以上聞かなかった。
ミッドナイトも、何故自分があんな顔をしていたのかは話さない。
あの「ありがとう」は、零無が自分へ渡したものだ。
少なくとも今は、自分だけが持っていればいい。
◇
麗日が少し迷ったあと、口を開いた。
「先生」
「何?」
「金木君って……昔から、あんな感じだったんですか」
空気が少し静かになる。
ミッドナイトはすぐには答えなかった。
「どんな感じ?」
「その……自分のことを、なんていうか。後回しにするっていうか。自分が我慢したらええっていうか、自分が大丈夫なら、それで問題ないって思うような……」
ミッドナイトの表情が変わった。
「……そうね」
短い。
でも、十分だった。
葉隠がすぐに聞く。
「昔から?」
「ええ」
その答えで、葉隠の両手が少しだけ握られる。
ミッドナイトは続ける。
「昔から、自分が耐えられるなら、それで問題ないと思う子だった」
誰もすぐに言葉を挟まなかった。
耳郎が眉を寄せる。
「それ、今と全然変わってないじゃん」
「根っこの部分はね」
耳郎が僅かに眉を上げる。
「根っこ?」
「ええ」
「じゃあ、何か変わったんですか」
ミッドナイトは少しだけ笑う。
「それは本人に聞きなさい」
「うわ、気になる言い方」
「気にしてなさい」
上鳴が横から聞く。
「先生もそこ言ったんですか? 自分を後回しにすんなって」
「ええ」
「何て返しました?」
「反論された」
一瞬の沈黙。
そして、全員がほぼ同時に。
「ああ……」
妙に納得した声を漏らした。
ミッドナイトが眉を上げる。
「何、その反応」
瀬呂が苦笑する。
「いや。金木だなって」
「ほんまそれ」
麗日も苦笑する。
切島が首を傾げる。
「先生相手でも普通に反論するんですね」
「当たり前でしょ」
ミッドナイトは即答した。
「え?」
「私だからって、あの子が手加減すると思う?」
皆が少し考える。
そして、爆豪が鼻で笑った。
「するわけねぇ」
「正解」
ミッドナイトは指を向ける。
「むしろ、昔から知っている相手の方が遠慮がないかもしれないわね」
葉隠が小さく言う。
「……それ分かるかも」
芦戸が振り向く。
「透?」
「私にもそうだから」
「何が?」
葉隠が少しムッとする。
「私が何か言ったら、普通に全部返してくる。こっちが気にしてるとか関係なく、間違ってると思ったら普通に言うし」
耳郎が呆れたように肩を竦める。
「そりゃそうでしょ。零無だし」
「好きな相手には優しくなるとかないの!?」
芦戸が思わず吹き出した。
「そこ!?」
「いやだって!」
上鳴も肩を震わせる。
「葉隠、そこ結構重要なんだ」
「重要だよ!」
ミッドナイトがくすっと笑った。
「ないでしょうね」
葉隠が振り向く。
「先生まで!?」
「少なくとも、大事な相手ほど馬鹿にしないんじゃない?」
葉隠が止まる。
「馬鹿に?」
「ええ。手加減するって、この子にはここまでしか分からない、この話は難しいから言わなくていい、これを言ったら傷つくだろうから黙っておこうって、そうやって勝手に相手の理解力を低く見積もることでしょう?」
「……」
「零無はそれ、嫌うと思うわ」
八百万が静かに頷いた。
「それは、非常に金木さんらしいですわね」
飯田も眼鏡を押し上げる。
「確かに。金木君はむしろ、相手に理解を要求する傾向があります」
「要求高すぎるけどな」
瀬呂が言う。
耳郎も続く。
「普通に言い方きついし」
葉隠が腕を組んだ。
「だから私にもあんな言い方するんだ」
「多分ね」
「嬉しくない」
「でしょうね」
「そこは否定して!」
ミッドナイトは笑った。
「でも、あなたをちゃんと、自分と同じように考えられる人間として扱っている証拠ではあるでしょうね」
葉隠は何も言わなくなった。
それをどう受け取ればいいのか。
嬉しいとだけ思うには、今までの出来事が重すぎる。
そして、その一方で。
大事に思っているからこそ、安全を理由に勝手に自分の問題から遠ざけた。
零無は、相手の理解力を低く見積もることは嫌う。
けれど、相手を守るためなら、その選択肢そのものを奪うことがある。
その矛盾も、もう葉隠は知っている。
ミッドナイトも、それ以上そこを掘らなかった。
◇
「それより」
ミッドナイトは全員を見る。
「あなた達。零無をどうするつもり?」
空気が少し変わった。
誰も、すぐには答えなかった。
ただ、迷っているからではない。
既に零無のいないところで、随分と話した。
最初に口を開いたのは爆豪だった。
「やったことはやったことだろ」
「そうね」
「だから責任は取らせる」
「ええ」
「でも、あいつが勝手に一人で全部終わらせんのは気に食わねぇ」
ミッドナイトの目が僅かに細くなる。
緑谷も続けた。
「僕達が金木君をどう思うかは、僕達が決めます。許すかどうかも、この先どう関わるかも、金木君一人が決めることじゃないです」
葉隠が短く。
「うん」
と頷いた。
ミッドナイトは三人だけではなく、その後ろにいる全員を見る。
反対する顔は、一つもなかった。
「……そう」
少しだけ笑う。
「もう、その話は済んでるのね」
上鳴が頬を掻いた。
「まあ……結構」
耳郎が横から言う。
「めちゃくちゃ話しました」
「でしょうね」
それ以上、ミッドナイトは聞かなかった。
◇
その中で。
常闇が静かに口を開く。
「教師として、先生はどう考えているのです」
ミッドナイトを見る。
「何を?」
「金木について」
また、周囲が静かになった。
ミッドナイトはしばらく答えなかった。
軽く笑って誤魔化すことも出来た。
けれど、そうはしなかった。
「そうね」
松葉杖へ手を置く。
「怒ってるわ」
誰も動かない。
「すごく」
一拍。
「私を助けたことにも」
何人かが驚いた。
緑谷が一番早く反応する。
「え? そこもですか?」
「そこも」
芦戸が首を傾げる。
「なんで? 先生、零無に助けられて」
「ええ」
「助かったんですよね?」
「助かったわ」
「じゃあ」
ミッドナイトは静かに答えた。
「死にかけたのよ、あの子も」
一瞬で、空気が沈む。
「あの状況で、私を助けるために自分の命を平気で賭けた。それを、恩返しだと思ってる」
葉隠がゆっくり顔を上げた。
「……恩返し?」
「ええ」
「昔」
ミッドナイトはそこで一度止まる。
どこまで話すかを、はっきり決める。
「私は零無を助けたことがある」
それだけ。
それ以上は言わない。
でも、十分だった。
「だから、自分が私を助けるのは当然だと思った」
葉隠が小さく言った。
「……それ」
ミッドナイトが見る。
「うん」
「私の時と一緒じゃん」
「そう思う?」
「思います。自分はどうなってもいいって、相手が助かればいいって、自分だけ勝手に外す」
ミッドナイトは静かに頷いた。
「そうね」
葉隠の手が強く握られる。
「昔からなんだ」
誰に言うでもなく。
「昔からなの」
「ええ。かなりね」
葉隠は黙った。
それは、安心出来る情報ではなかった。
むしろ、根が深いということだ。
ミッドナイトも分かっている。
だから続けた。
「でも、昔からだからって、仕方ないとは思わないでね」
「……」
「人間は、昔からこうだったから、これからもこうです、で終わる必要なんてないわ」
緑谷が小さく頷く。
「はい」
八百万も。
「そうですわね」
ミッドナイトはほんの少しだけ、閉じた扉へ目を向けた。
今日、あの子が最後に口にした言葉は、ここでは言わない。
でも、あれを聞いたからこそ。
今なら、少しだけ自信を持って言える。
「それに、全然変わらないわけでもないわよ」
葉隠が見る。
「え?」
「少なくとも、私はそう思う」
「何か言ったんですか?」
「内緒」
「またそれ!」
「本人に聞きなさい」
葉隠は不満そうに腕を組んだ。
ミッドナイトは笑う。
「ただし、変えようとすると死ぬほど面倒よ」
上鳴が乾いた笑いを漏らす。
「もう知ってます」
瀬呂も苦笑する。
「一言言ったら三倍くらい返ってきますからね」
耳郎が言う。
「三倍で済む?」
「済まないか」
「でしょうね」
ミッドナイトが笑う。
◇
轟が聞いた。
「先生は、金木の考えを変えたいんですか」
ミッドナイトは少し意外そうに轟を見る。
「いい質問ね」
「ありがとうございます」
耳郎が小声で。
「褒められた」
轟は無視した。
ミッドナイトは少し考えてから答える。
「別に」
何人かが目を瞬く。
「え?」
「考えそのものは、私が決めることじゃない。ヒーロー社会が嫌いでも、一度壊れる必要があったと思っていても、本人がそう考えるなら、それはそれ」
飯田が真剣に聞く。
「思想そのものを変えようとはしない、と?」
「ええ。ただし、その考えを理由に誰かを傷つけたなら、それは止める。責任も取らせる」
ミッドナイトの目が少し鋭くなる。
「そして、自分を傷つけることまで正当化するなら、それも止める」
葉隠がじっと聞いていた。
ミッドナイトは、その視線に気付く。
「何?」
「先生」
「うん」
葉隠は少し迷った。
「どうやったら」
一度、息を吸う。
「自分も守る側に入れてくれるんでしょう」
ミッドナイトはすぐには答えなかった。
慰めるために、簡単な答えを言うことも出来た。
けれど、それをすれば、この子まで零無一人を背負うことになる。
「分からないわ」
葉隠の肩が少し落ちる。
「先生でも?」
「私だって、ずっと失敗してるもの」
「……」
「今日だって、言いたいことが全部伝わったとは思ってない。反論もされた。多分、今頃まだ頭の中で私の言葉に反論してる」
爆豪が鼻を鳴らす。
「やってそうだな」
轟も真顔で。
「かなり高い確率でやってると思う」
緑谷が続く。
「僕もそう思います」
「でしょう?」
少し笑いが起こる。
「でも」
ミッドナイトは葉隠を見る。
「何度でも言えばいいんじゃない?」
「何度でも?」
「ええ。あなたを守りたいと思うのは、あの子の勝手。でも、そのために自分を捨てるのは嫌だって言うのも、あなたの勝手よ」
葉隠が止まる。
先程、自分が零無へ言ったことと、ほとんど同じだった。
「……うん」
「あの子が自分の考えを譲らないなら、あなたまで一回で諦める必要ないでしょう?」
「はい」
「何度でも言えばいいのよ」
「……分かるまで?」
「そう」
ミッドナイトは小さく笑った。
「しつこい相手には弱いから」
葉隠が少し前のめりになる。
「そうなんですか?」
「嘘」
「先生!」
「ふふ」
「もう!」
芦戸が笑う。
「葉隠、完全に遊ばれてるじゃん」
「笑わないでよ!」
上鳴まで続く。
「でもちょっと信じたよな」
「上鳴君!」
「ごめんごめん」
◇
ミッドナイトは笑ったあと、少しだけ真面目な顔に戻る。
「でも、一人でやろうとはしないで」
葉隠の身体が止まる。
「あなた一人で零無を何とかしようとしたら、今度はあなたが、あの子と同じことすることになる」
「……」
葉隠が目を見開く。
すぐには反論出来なかった。
麗日が小さく。
「それは……確かに」
緑谷も頷く。
「僕らもいる」
切島も。
「当たり前だろ」
耳郎が腕を組む。
「葉隠一人に押し付ける話じゃないし」
障子も静かに続ける。
「一人で誰かを背負わない。そのこと自体が、金木に見せるべきものかもしれない」
八百万が頷く。
「そうですわね」
飯田が勢いよく胸を張る。
「当然だ!」
「声」
「すみません!」
また、少し笑いが起きた。
葉隠は皆を見る。
透明な顔は見えない。
けれど、その声だけは先程より少し軽かった。
「……うん」
◇
ミッドナイトはそれを見て、ゆっくり立ち上がる。
すぐに緑谷が反射的に手を伸ばした。
「先生、大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「でも」
「大丈夫よ」
一歩。
少しだけ身体が傾く。
今度は切島と飯田まで動いた。
ミッドナイトが笑う。
「何よ」
切島が当然のように答える。
「いや、倒れたら困るんで」
ミッドナイトは少しだけ目を細めた。
さっきまで部屋の中で、零無にも似たことを言われた。
『転倒されると困るので』
あの子も、この子達も。
自分のこととなると、本当に。
「……そう」
今度は素直に手を差し出す。
「じゃあ手伝って」
「はい!」
切島が肩を貸す。
飯田が反対側へ回る。
「階段であれば私が――」
「飯田君」
「はい!」
「そこまで重病人じゃないわ」
「失礼しました!」
歩き始める。
数歩進んで、ミッドナイトが止まった。
振り返る。
「そうだ」
皆が見る。
「零無、あなた達のこと、ちゃんと大事に思ってるわよ」
葉隠が僅かに息を止めた。
緑谷が聞く。
「本人が言ったんですか?」
「いいえ」
「じゃあ、どうして」
ミッドナイトは少し笑った。
「昔から知ってるから」
それだけ。
具体的なことは何も明かさない。
でも、その言葉だけは自信を持って言った。
一瞬、誰も何も言わなかった。
◇
そして。
爆豪が不機嫌そうに口を開く。
「でも」
ミッドナイトが見る。
「だから何だって話だろ」
「ええ」
「大事なら裏切っていい理由にはならねぇ」
「ならないわ」
「大事なら勝手に死んでいい理由にもならねぇ」
「ならない」
「だったら」
爆豪は零無のいる部屋の方を見る。
「あとは本人に分からせるだけだ」
ミッドナイトは少し笑った。
「頼もしいわね」
「別に」
「褒めてるのよ」
「いらねぇ」
「可愛くない」
爆豪の眉が吊り上がる。
「誰がだ!」
「今日はそういう子ばっかり」
ミッドナイトは楽しそうに笑った。
そして、再び歩き出す。
皆も少しずつ散っていく。
◇
けれど。
葉隠だけは、しばらく閉じた扉の方を見ていた。
「昔から知ってる、か」
隣に残っていた麗日が聞く。
「気になる?」
「……うん」
「聞く?」
葉隠が振り向く。
「誰に?」
「本人」
少し考える。
あの部屋にいる男なら、聞けば多分、答える部分は答える。
答えたくない部分は、嘘をつかず、別の事実で隠す。
そして、自分が聞く権利がないと思えば、平気な顔でそう言うだろう。
「今はやめとく」
「そっか」
「でも」
葉隠はもう一度、扉を見る。
「いつか聞く」
「うん」
「本人から」
麗日は笑った。
「それがええと思う」
少し離れたところで、緑谷もその会話を聞いていた。
◇
誰も、ミッドナイトと零無の間に何があったのかは知らない。
どこで出会ったのか。
何故、零無があれほど彼女に恩義を感じているのか。
ミッドナイトが幼い彼の何を見て、何から彼を救ったのか。
そして、零無自身がその過去をどう思っているのか。
まだ、何も知らない。
ただ、一つだけ分かったことがある。
零無が自分の痛みを後回しにして、自分が耐えられるならそれを問題から外し、自分が傷つくことだけを妙に安く扱う。
その癖は、昨日や今日に始まったものではない。
◇
それでも。
少なくとも一度。
幼い零無が「大丈夫だ」と言ったのに、その言葉をそのまま信じなかった大人がいた。
本人が必要ないと言っても、勝手に手を伸ばした人がいた。
そして今も、その人は零無を見ている。
◇
今日。
その一つが、またほんの僅かに増えたことを、A組はまだ知らない。
けれど、それでいい。
ミッドナイトが代わりに教えることではない。
零無自身の言葉で。
いつか知ればいい。