ようこそ喫茶パンドラへ! 作:とくめい
最初に目に入って来たのは白い天井。
次いであたりを見渡す。レースのカーテンで閉められた窓からはかすかに日の光が差し込んでいる。手から伸びる管を視線でたどると点滴につながっていた。
ここまで見ればもうわかる。ここは病院だ。
「痛ぇ…」
体には包帯がまかれていた。正確には肩と…脇腹かな。傷があるってことは死んでないってことだ。気絶でもしたかな?
「にしても、なんでこんなとこいんのかなぁ」
のどが痛くてうまく声が出ない。割と長く眠っていたのかもしれない。
まずは何があったか思い出そう。
お店は普通に開いてたはずだよな。えーっとそっから…そうだ昔の同級生たちが来たんだ。そんで怒らせちゃって撃たれた。そこを見られた、モモイたちに。俺のせいで喧嘩になるなんて嫌だったから止めようとしたけど、結局撃たれた。
記憶はそこで途切れている。
状況を見るにみんなに助けてもらったとみて間違いない。
「…失敗したな」
記憶の整理を終えた俺の心にあるのは後悔のみ。
肩を撃たれた時点で…いやそもそも不良に気づいた時点で使うべきだった。二発目を食らってからなんて遅すぎる。
あの直後、ケガと衝撃でまともに話すことができなかった。だから権能も使えない。言葉にしなきゃ書き換えられないからな。例外は死んだときだけだ。
なんで考えてしまっただろう。俺でも先生のようになれると。話し合って、生徒を正しい道へと導く…そんな存在になれると。こんなものに頼らなくても、もしかしたらなんて。
ハァ…気が滅入る。最近、失敗してばかりだ。不良の時のことも、シッテムの箱の時もどちらも見通しの甘さだ招いた結果。先生がきたからとはいえ、気が緩みすぎている。なにも変わっていない。無知で、愚かで、権能がなければ何もできない惨めな存在のままだ。
本当に俺は俺が大嫌いだ。
…自己嫌悪はいいことだが、そればかりじゃダメだな。明るく楽しくすることも忘れちゃいけない。みんなを笑顔にするならまずは自分から、だ。笑っていよう。
さてさて、そろそろ目覚めたことを伝えなきゃな。こういうときってナースコールすればいいんだっけ。
ベッドに備え付けられているそれをとるために顔を横に向ける。同時に部屋の扉が開かれた。
「え?」
病室に入ってきたのはユズだった。目を覚ました俺を見て、顔は驚きに染まっている。
「店長ッ」
目が合ったかと思えば、次の瞬間には俺の方に飛び込んできた。
「うわっ」
慌てて手を添える。
俺の胸に顔をうずめる形になっていて表情は見えない。かすかにふるえる肩をみておそらく泣いているのだろうということは分かった。
「目が覚めて良かったです…」
「…心配かけて、ごめんね」
ユズの涙でしゃがれた声を聴いてを鋭い痛みが胸に走る。俺が傷つけたという事実が重く心にのしかかった。
「あ…」
突然ユズがか細い声と共に顔を上げた。
改めて見たユズの表情は暗かった。
「そうだ、怪我…」
ああ、そういうことか。咄嗟だったんだろう。俺がけがをしていることが頭から抜けてしまっていたらしい。
「ご、ごめんなさい。痛かったですよね。今、人を呼んできます」
部屋から出ていこうと、立ち上がる。
「待って」
それを呼び止める。
確かに傷は痛むけどそんなこと何の問題もない。元を言えば俺のせいなんだから気にする必要はない。そう言っても気にしまうだろう。
「大丈夫だよ」
代償のことが一瞬頭をよぎる。それでも笑ってもらえる方法が一つしか思いつかない。
△▼△▼△▼△
――神様、仏様、名も無き神々様。生涯、理想を追い求めないと誓います。
△▼△▼△▼△
『傷ならもうとっくに治ってるから』
「…嘘、ですよね」
信じてもらえないよな。ユズはこの力のこと知らないし。どうしよう…実際に見てもらえばいいか。
「ほんとだよ?見てみる」
包帯を自分で外す。シュルシュルという音が部屋が部屋に響く。
「ダ、ダメですよ。今外したら——」
制止する声は申し訳ないが無視する。
止めたいけど、無理やり止めるわけにもいかない。そんな心情が現れているようにあわあわと手を動かしている。
「あ、あれ?傷が、ない」
肩もお腹にも傷跡すら残っていない。完全回復だ。
「痛くないですか…」
傷がないことを確かめるように恐る恐る触れられた。
「う、うん。でもちょっとくすぐったいかな」
「あ…ご、ごごごごめ、ごめんなさい」
顔がみるみる赤くなっていき、挙動不審になって後ずさりした。
言わなきゃよかったかな…。とりあえず落ち着かせないと、謝りたいし。
「いや全然気にしてないからいいよ。それよりも——」
「私っ一応、看護師さんたちに伝えてきます!」
俺の静止も虚しく、ユズはすさまじい速度で病室を出て行った。
…戻ってきたら謝ろう。巻き込んでしまったことを、ちゃんと。
ああちなみに医者たちは超絶驚いてたよ。
◇◇◇
「あ、ヒナちゃん」
先ほどまでベッドの上で横になっていた彼は私を見て体を起こした。こうしていつも通りに話す彼を見てようやく心が落ち着いた。
「…店長」
窓の外は既に暗くなりかけている。
もっと早く会いに来たかったのに仕事が忙しくてすっかり遅くなってしまった。
「久しぶり、なのかな?」
「そうね。多分一週間は経っている」
彼が眠ってから心が休まることはなかった。命に別状はないと知ってもベッドで眠る彼を見ると、言いようのない不安感に襲われた。
「らしいね、あんま自覚はできてないけど」
「立ちっぱなしじゃ疲れるでしょ、座ってよ」
ベッドのわきに備えられた椅子を指さす。断る理由もないので従う。病み上がりだからなのか、いつもより声に覇気がない。
「ケガはまだ痛む?辛いようなら横になったままでもいいのよ」
かなりの重傷だったと聞いている。先生の応急処置が間に合わなければ死んでいたかもしれないとも。
「いや、全然。念のため治したからね元気いっぱいだよ!」
治した…あの不思議な能力のことか。じゃあ元気に振舞っているのは別の理由ね。
「そう、それは良かった。にしては浮かない顔だけどどうかしたの?」
なんとなく見覚えのある顔だ。昔によく見ていた罪悪感にまみれた顔。
「あの子たちのこと、ヒナが対応してくれたんでしょ。先生から聞いたよ」
「…ええ、そうね」
気絶していたあいつらを私が回収した。今はゲヘナの牢屋にとらわれている。ちょうどその話もしようと思っていたところだ。
「仕事を増やしたこと謝りたくてさ。…迷惑かけてごめんね」
…そんなこと全く気にする必要なんてないのに。あいかわらず他人に気を使いすぎている。悪い癖だ。
「あの程度、迷惑だなんて思ってない」
むしろもっと頼ってほしい。こんなことになる前に。
「…ほんとに?」
「当たり前でしょう。あなたはただの被害者、気にする必要なんてない」
店長はいつもと同じように働いていただけ。悪いのはすべて彼女たちだ。
「でも——」
「私が気にしてないって言ってるの。だからこの話はこれでおしまいよ」
無理やり話をかぶせて、否定する。少し強引になってしまうがこれでいい。
「…せめてお礼は言わせて。ありがとうヒナ」
「ええ、どういたしまして」
ありがとう、その言葉を聞いて少し心が弾む。だからと言ってこの後に容赦するつもりはない。
「ところで店長、今日は一つ聞きたいことがあるの」
私がここに来た目的がこれだ。質問が一つになるかは答えによる。
「もちろんいいよ。何でも聞いて!」
「あなたを撃ったあの子たち、今はゲヘナで預かっている。」
キヴォトスでもほとんど起こらない殺人未遂事件。本来なら矯正局に送られるはずだった。今もまだゲヘナにいるのは彼女たちがゲヘナの生徒であったことと私が止めたことが関係している。
「これからの処遇はあなたに委ねられているけど、どうする?」
答えによってはこのまま帰ろうと思っていた。できるならそうであってほしかった。でもそうならないことを私は半ば確信している。
「うーん…じゃあ無罪!もう帰してあげていいよ」
やはり、私の最悪の想像が当たってしまった。彼が生徒を憎まないのは幼いころから変わらない。それは美徳ともいえるけどひどく危ういものでもある。
「本当にいいの?」
「うん?」
自分を殺しかけた相手を笑って許すことは果たして良いことなのか。少なくとも私はそうは思えない。そんな性格のままでいたら、きっといつか取り返しのつかないことになる。
「あなたを襲った理由を聞いたとき彼女たちがなんて言ったと思う?」
…ああ、今思い出しても腸が煮えくり返る。その顔に弾丸を撃ち込まなかった過去の自分をほめてあげたい。
「えぇー?なんだろう…思いつかないなぁ」
「…面白そうだったからだそうよ」
これで怒ってくれるならまだよかった。そんな理由で、だとか俺のことを何だと思ってるんだとかそういう当たり前の怒りを見れたら、私は安心できたんだと思う。
「そっか」
ただ一言。告げたのはそれだけだ。
前はもっと泣いたり、苦しいって言ったりしていた。それがいいことだとは決して言えないけれど、今よりも人に頼ろうとはしていたと思う。
「なんでそんなに…死にかけたのよ、その意味が分かってる?」
「大丈夫ちゃんと分かってるよ」
「いや、分かってないわ。あなたは何も…」
「店長が病院に運ばれたって聞いたとき、私がどれだけ心配したか知らないでしょう?」
心配だけじゃない。また守れなかったというあの無力感を忘れることはできない。あんなこともう経験したくない。
ベッドに少し身を乗り出す。
「それは」
もう傷ついてほしくない。もっと自分を大切にしてほしい。だから一番聞きたかったことを聞く。
「それに襲われた時も、抵抗すらしなかったそうね」
「その力を使えばどうにでもなったんじゃないの?ねぇ、なんで?」
どうしてもこれだけは聞きたかった。だって…殺されそうになっても何の抵抗もしないなんて。そんなの…
「うーん…なんていえばいいのかなぁ」
場を沈黙が支配する。たった数秒が恐ろしく長く感じる。
怖い。もし、もし「死にたかったから」なんて言われたら私はどうすればいい。
「自分の力で何とかしたかったから…かな」
その答えはあまりにも予想外だった。
「それはあなたの力じゃないの?」
意味が分からない。
「違うよ。これはただの借りもので、しかも彼女には遠く及ばない偽物だ。ま、それが悪いことばっかりでもないんだけど」
彼の言うことが理解できない。
「あと…詳しくは言えないけどこれに頼ってばかりじゃいけないんだ。」
彼女ってだれ?頼っちゃダメってどういう意味?
様々な疑問が私の中で渦巻いてく。
「でももう大丈夫。俺にはこれしかないって理解した。理想を追うのはもうやめるよ」
そう言って店長は笑っていた。笑っているはずなのにその顔があまりにも悲しそうで——
「失礼します」
唐突に病室に知らない声が響く。振り向いてみると、それは病院の看護師さんだった。
「院長が念のためもう一度検査を、と。検査室まで来ていただいてもよろしいですか」
検査…は邪魔をしてはいけない。それは分かってる。でもだめだこのまま別れるなんて。
「もうそんな時間か」
よっ、と言いながらベッドから立ち上がる。
「多分問題ないから早いうちに退院できると思うよ。次はお店で会おっか」
「待って」
「ん?どうしたの?」
先ほどまでの悲しげな表情はもうない。普段通りの笑顔に戻っている。
何か言わなければいけない。そう理解しているのに何を伝えればいいのかわからない。散々迷って出た言葉は——
「あなたが傷ついて悲しむ人は多くいる。それだけは覚えておいて」
そんなありきたりなことしか言えなかった。でもせめて知ってほしかった。
「…やっぱりヒナちゃんは優しいね」
「それは店長も同じでしょう」
「そうかなぁ」
「そうよ。店長に何度も助けられた私が保証する」
頑張ったねってほめて貰えて嬉しかった。作ってくれた料理はどれもおいしかった。再会してからの生活は以前にもましてずっと楽しかった。店長のおかげだ。
「そっか。…ありがとう、なんか元気出たよ」
今度は心からの笑顔を見せてくれた気がする。
「あの、そろそろ…」
しびれを切らしたように看護師さんが声をかけてきた。…もう待たせるわけにはいかない。
「じゃ、またね」
そう言い残し店長は病室を後にした。一人、部屋に残された私は考える。
結局私は何もできなかった。守ると誓った決意は何の意味もなさなかった。きっとこれからも私たちだけでは限界がある。それに…彼のゆがみの原因も聞き出すことができなかった。
…先生に相談してみようかな。