転生したらメタルギアREXだった件 作:段ボール
レーダーに映った小さな反応は、どうやらこちらへ向かっていた。円形の表示の端に浮かんだ点が、ゆっくりと中心へ近づいてくる。速度はほぼ一定で、止まる気配もない。俺はその反応を追いながら、下手に動かず待つことにした。逃げようにも右脚はまだまともに動かないし、さっき一歩踏み出しただけで警告が出た状態だ。少なくともレーダー上の反応は俺より遥かに小さいが、小さいから安全とも限らない。
ここがどこなのかも、何がいる場所なのかも分かっていない。前世での「小さい生き物なら大丈夫」なんて感覚を、そのまま当てはめるのは危険だろう。それにしても、反応は迷う様子もなく普通に近づいてくる。逃げているというより、さっき俺が立ち上がった時の振動を確かめに来ているようにも見えた。
《MOVING OBJECT――APPROACHING》
(分かってる)
通知を頭の隅へ追いやり、反応のある方向へ視界を向ける。内部で小さくモーター音が響き、光学ユニットが動いた。低照度モードのおかげで、人間だった頃なら真っ暗にしか見えなかったはずの洞窟にも、岩壁の形や地面の起伏が浮かんでいる。映像には細かなノイズが走り、所々で明暗が潰れていたが、何も見えないよりは遥かにましだった。
曲がりくねった岩壁の向こうで、小さな影が動いた。最初は何か分からなかった。地面すれすれを移動する、丸っこい何か。それが岩陰から出てきて、視界の中央へ入る。
『……え?』
青い。丸い。
というか。
(スライム?)
見間違いかと思って光学系へ意識を集中すると、ピントがわずかに調整され、輪郭がはっきりした。多少ノイズは残っているが、見えている形は変わらない。やっぱりスライムだった。丸みを帯びた青い身体が、地面をぴょん、と跳ねるようにしながら近づいてくる。ゲームや漫画で何度も見た姿だが、実際に目の前を移動しているのを見るのは当然ながら初めてだった。
予想していたものとは、だいぶ違う。獣かもしれない。人間かもしれない。最悪、見るからに危険そうな怪物が出てくる可能性まで考えていた。
結果、スライム。
(いや……スライムも十分怪物側か?)
前世の感覚だと、どうしてもゲーム序盤の雑魚敵という印象が先に来る。だが今の俺自身がメタルギアになっている以上、見た目だけで何かを決めつけるのはやめた方がいい。俺だって外から見れば、話しかけるより逃げた方がいい存在だろう。
青いスライムは俺から少し離れたところで止まった。俺はセンサーを向けたまま動かず、向こうも身体ごとこちらを向いている。たぶん見ているのだと思う。目らしいものは見当たらないが、雰囲気としてはそんな感じだった。
巨大な二足歩行兵器と、小さな青いスライムが洞窟の中で向かい合う。傍から見たら、相当意味の分からない光景だ。
(……どうする?)
こっちから話しかけるか。いや、そもそも言葉が通じるのか。さっき自分の声を外へ出せることは確認したが、いきなり巨大兵器からあの低い声で話しかけられたら普通は怖い。できれば威圧感を出さずにいきたいが、この身体でどうやればいいのか分からない。頭を下げようにも首周りは怪しいし、しゃがもうものなら今の右脚ではそのまま崩れそうだ。
結局、動かないのが一番安全だった。
そんなことを考えていた時だった。
『でっか……何だこれ?』
『……は?』
反射的に返したあと、すぐに違和感に気づく。洞窟の中へ音が響いていない。さっき自分で声を出した時は、低い機械音声が岩壁へ反射して戻ってきた。今はそれがない。それなのに声だけは、はっきりと頭の中へ届いていた。
『ん? 今、返事した?』
目の前のスライムが小さく揺れる。また頭の中へ声が響いた。若い男の声だ。それ以上に気になったのは、妙に普通の喋り方だった。目の前にいるのは青いスライムなのに、声だけ聞けばその辺にいる日本人男性と話しているようにしか思えない。
『……聞こえてる』
試しに今度はスピーカーを使わず、頭の中だけで返してみる。相手へ言葉を向けるように意識すると、外から音は出なかった。代わりに、目の前のスライムがぴくりと動く。
『おお、通じた』
(念話みたいなものか?)
仕組みはさっぱり分からない。ただ、声に出さなくても会話できるなら助かる。低い機械音声を洞窟中へ響かせるより、こっちの方が少なくとも相手を驚かせずに済みそうだ。
『あー……俺の言葉、分かる?』
『分かる』
『よかった。いや、さっきからすごい音してたからさ。何かいるのかなと思って見に来たんだけど……』
スライムが俺を下から見上げるように身体を傾けた。たぶん見上げている。目らしいものは見当たらないので確信はないが、向きとしてはそんな感じだった。
『思ったより、すごいのがいた』
『俺も、スライムが来るとは思ってなかったよ』
『やっぱスライムに見えるよな、俺』
『違うのか?』
『いや、スライムなんだけど』
何だこの会話。
少なくとも敵対する気はなさそうだった。向こうは距離を詰めすぎないし、こちらへ飛びかかってくる様子もない。俺もまともに武器を使える状態ではないし、そもそも争う理由がない。
それより、こいつの話し方が気になった。
『その喋り方……』
『ん?』
どう聞いても日本語だ。もちろん、この念話らしきものが勝手に意味を変換している可能性もある。だが、言葉の選び方や間の取り方に妙な馴染みがあった。「でっか」とか、「何だこれ?」とか。ファンタジー世界の魔物が喋っているというより、知らない日本人と普通に話しているような感覚に近い。
『お前、日本語分かるのか?』
スライムの動きが止まった。
『……日本語?』
数秒の沈黙。
そして。
『もしかして、お前も日本人?』
『……「も」?』
今度は俺が固まった。機械なので外から見れば何も変わっていないだろう。視界も、脚も、そのまま。それでも中身だけは完全に止まった。
『待て。その言い方、お前もってことは』
『俺、元日本人』
『マジで!?』
思わず声が出た。今度は念話ではなく、外部スピーカーから低い声が洞窟全体へ響き、目の前のスライムがびくっと跳ねる。
『うおっ、びっくりした!』
『悪い!』
慌てて念話へ戻す。
でも、仕方ないだろう。死んだと思ったら巨大兵器になっていて、場所も分からず、身体の使い方も分からない。右脚は壊れ、武器もほとんど使えない。そんな状態で初めて会った相手が、元日本人だった。
『いや……よかった』
『何が?』
『俺以外にもいるんだな。こういうの』
自分でも思っていた以上に気が抜けた。機械の身体だから、息を吐くことも肩を落とすこともできない。それでも、さっきまで張り詰めていたものが少し緩んだのは分かった。この世界について何も知らない状況は変わらないし、目の前のスライムを完全に信用したわけでもない。ただ、少なくともこいつは日本を知っている。同じ場所で、人間として生きていた。
それだけでも、今はありがたかった。
『俺も最初は驚いたけどな。まさか、こんなところで日本人に会うとは思わなかった』
『こっちの台詞だよ』
改めてスライムの身体を見る。小さい。本当に小さい。俺の足元にいるせいで余計にそう見える。人間だった頃の俺なら抱えられるかどうかという大きさだろう。一方で俺は、立ち上がっただけで洞窟の天井が近く感じる。向こうから見れば、俺の全体像を一度に見るのも大変かもしれない。
『ちなみに、俺は田中。前は普通の人間だった』
『田中か。俺は……三上悟。こっちではまだ特に名前とかないけど』
三上悟。頭の中で名前を反芻してみるが、聞き覚えはない。少なくとも前世で知り合いだったわけではなさそうだ。
『三上さん?』
『いやいや、もう同じ転生者みたいなもんだし、悟でいいよ。俺も田中って呼ぶから』
『分かった』
普通に名前を交換しているだけなのに、妙な感じがする。片方はスライム。片方はメタルギア。前世なら絶対に成立しない自己紹介だ。
そこまで話したところで、悟が少し間を置いた。
『で、田中は……』
身体の向きがわずかに変わる。下から上まで、俺の機体を眺めているらしい。
『何になったんだ?』
『……だよな。それ聞くよな』
『そりゃ聞くよ。俺はスライムだけど、お前どう見ても生き物じゃないだろ』
否定できない。少なくとも前世の常識では、生き物には見えない。
『俺にもまだよく分からないんだけど、多分――』
一度、言葉を切る。自分の身体を自分で説明するというのは、何とも変な感じだ。
『METAL GEAR REX』
悟が黙った。
『……え?』
『メタルギアREX』
『あのメタルギア?』
今度は俺が驚いた。
『知ってるのか?』
『ゲームのだろ? さすがに名前くらいは知ってるぞ。……いや待て』
悟がぴょん、と横へ移動し、そのまま数回跳ねて俺の正面から少し外れた位置へ移った。別の角度から機体を見ているらしい。
『でかい二本脚で、その形……ああ、確かにこんなんだった気がする』
『俺も細かいところまでは覚えてないけど、多分そう』
『多分って、自分の身体だろ?』
『目覚めたばっかりなんだよ。俺だって困ってる』
思わず言い返すと、悟は少し黙ったあと、納得したように身体を揺らした。
『あー……それは分かる』
『分かる?』
『俺も最初、自分がスライムになってるって理解するまで結構かかったからな』
『……そうか』
その言葉を聞いて、初めて実感した。こいつも同じだ。人間だったのに、人間ではない身体になった。俺は巨大兵器で、悟はスライム。方向性は正反対なくらい違うが、自分の身体そのものが別物になってしまったという点では同じだった。
『お前、身体は大丈夫なのか?』
悟が聞いてきた。
『大丈夫ではないな』
即答した。視界の隅では、今も複数のエラー表示が消えずに点滅している。
『右脚が壊れてる。武器もほとんど動かない。さっきようやく一歩歩けた』
『一歩であの音だったのか……』
『聞こえてた?』
『そりゃもう。洞窟が揺れたぞ』
『……悪い』
やっぱり相当響いていたらしい。俺の中では「どうにか一歩歩いた」という感覚だったが、周囲からすれば地面が揺れる規模になるらしい。自分で思っている以上に、この巨体で動くというのは厄介そうだ。
『でも、それ自分で直せるのか?』
『それが、何か分からないエネルギーを吸って、少しずつ勝手に直ってる』
『エネルギー?』
『電気とも熱とも違う。俺には分からない』
悟が黙った。何か考えているようだった。
『もしかして、魔素とかか?』
『……魔素?』
聞き慣れない単語だった。
『俺も詳しく説明できるほど分かってないけど、この辺にはそういうのが多いらしい』
『魔素……』
視界の隅に表示されている《UNKNOWN ENERGY》へ意識を向ける。数値は相変わらず、ゆっくりと増えている。少なくとも候補はできた。
魔素。
聞いただけなら完全にファンタジー用語だ。
(スライムが喋ってる時点で今さらか)
『それで田中……いや、そのREXって、どんな兵器なんだ?』
『え』
『ゲームの名前は知ってるけど、細かい設定までは覚えてないんだよ』
『俺もそんな詳しくないぞ』
『自分なのに?』
『だから俺に言うなって』
また同じことを言われた。仕方なく、覚えている範囲だけ頭の中から引っ張り出す。ゲームを遊んだことはある。REXも知っている。でも、設定資料を暗記するほど詳しかったわけではない。
『二足歩行の大型兵器で、ミサイルとか機関砲とか……まあ、かなり物騒な兵器だよ』
『ずいぶん雑な説明だな』
『細かいところまで覚えてないんだから仕方ないだろ』
『でもメタルギアなんだよな?』
『多分な』
『また多分かよ』
『だから目覚めたばっかりなんだって!』
念話なのに、だんだん普通の言い争いみたいになってきた。ただ、不思議と嫌な感じはしない。さっきまで俺は一人で暗い洞窟の中にいて、視界に出るのはエラーと警告ばかりだった。それが今は、スライム相手に「自分の身体なのに知らないのか」と突っ込まれている。
状況だけ見れば相当おかしい。
でも、悪くなかった。
『まあ……今すぐ何か撃てるわけじゃないんだよな?』
『ミサイルは駄目だし、他の武器もほとんど死んでる。今のところまともには使えない』
『じゃあ、今のお前って』
『でかくて歩くのも大変な置物』
『自分で言うのかよ』
『事実だからな』
悟の声が少し笑っていた。スライムなので表情は分からないが、声の調子くらいは何となく分かる。
俺も改めて目の前の小さな身体を見る。前世なら、スライムなんて人間より遥かに弱い存在だと思っていた。でも今、悟は自由に動ける。狭い岩の隙間も通れそうだし、転んだところで俺みたいに洞窟を揺らすこともない。それに比べて俺は、立ち上がるだけで一苦労。一歩踏み出せば床が揺れ、方向転換するだけでも壁との距離を気にしなければならない。
(同じ転生でも、全然違うな)
片方は手のひらに乗りそうなスライム。もう片方は、洞窟に収まるかどうか心配になる巨大兵器。どっちが便利かと聞かれたら、今のところ圧倒的に向こうだった。
『そうだ』
『何?』
『紹介したい奴がいるんだけど』
『紹介?』
『俺がここで最初に会った奴。ちょっと……いや、かなり変わってるけど、悪い奴じゃない』
友達なんだ、と悟は続けた。
その言葉を聞きながら、俺はふとレーダーへ意識を向ける。さっきからずっと気になっていたものがある。悟が現れるより前から、この洞窟のさらに奥に妙な反応が出ていた。
距離のせいなのか、それとも今のレーダー自体が壊れかけているせいなのか、表示は安定しない。点として固定されることもあれば、周囲にノイズが広がるだけの時もある。それでも、一つだけ分かる。
悟とは比較にならない。
俺の機体サイズとも関係がない。
何か、とんでもないものが奥にいる。
《WARNING》
《UNKNOWN SIGNATURE》
視界の端に警告が出た。続いてレーダー表示がわずかに乱れ、円の一部へ砂嵐のようなノイズが走って消える。
『……悟』
『ん?』
俺は洞窟の奥へセンサーを向けた。反応自体はさっきからほとんど動いていない。近づいてきてもいない。それなのに、そこを探ろうとするたびに表示がざらつく。距離だけの問題ではないように思えた。
『あれ、お前の知り合いなの?』
『ああ』
悟は何でもないことのように答えた。
『暴風竜ヴェルドラっていうんだ』