世の中には、絶対に怒らせたらあかん人間がおる。例えば、晩飯前に食料庫の干し肉を盗み食いしたトーラを見つけたバオ。例えば、俺が船体に穴を開けた直後のミラ。例えば、帳簿の数字が合わへんときのゼン。いずれも命に関わる危険人物であり、うちの海上自警団では特に警戒すべき三大災害に指定されとる。
そして今、俺の目の前に、四人目の候補が立っていた。
「覚悟はよいな、ウラガン・ガルド」
長い黒髪を揺らし、ゆっくりと剣を構える女。九蛇海賊団を率いる若き女帝、グロリオーサ。その切っ先には、すでに武装色の覇気がまとわりついとる。
……いやあ、困った。めっちゃ美人やねん、この人。せやけど、目が怖い。笑ってへんときのミラと同じ目をしとる。あれは完全に「とりあえず一発殴ってから話を聞いたろか」という人間の目や。
「なあ、ほんまに戦わなあかん?」
「今さら怖じ気づいたか」
「いや、できれば話し合いで……」
「その口で、我らが同胞の居場所を知っていると言うたな」
「言うたけど、酒場で聞いた話やで?」
「ならば、その情報が真実であることも、貴様が敵ではないことも、実力をもって示してみせよ!」
……何やそれ。面接の実技試験か?
俺が荒凪を構え直した瞬間、グロリオーサが地面を蹴った。
速い。
地面を踏み抜いた音が聞こえたときには、もう俺の懐に入っとる。狙いは右脇腹。剣の軌道も鋭いが、それ以上に踏み込みがえげつない。四メートル半の俺にとって、普通の人間の間合いはほとんど足元や。ところが、この女はそこを一瞬で詰めてきよった。
俺は荒凪を斜めに下ろし、その剣を受け止めた。
ギィィィン!!
黒い刃と黒い刃がぶつかり、火花が散る。足元の石畳が、衝撃で放射状にひび割れた。
「おおっ!」
「……何を喜んでおる!」
「いや、久しぶりにちゃんと受け止めなあかん攻撃が来たから!」
言い終わる前に、左から蹴りが飛んできた。
うわ、危なっ!
俺は首を傾けて避けたが、蹴りにまとった覇気が頬をかすめた。ひやりとした感覚が走り、次の瞬間には細い傷から血がにじむ。
……ほう。なるほどな。
「自然系といえど、覇気の前では無敵ではない。知らなんだか?」
「いや、知っとるで。せやけど、実際にやられるんは久しぶりやなと思って」
「……貴様!」
あかん。今の、煽りに聞こえたらしい。俺としては純粋な感想やってんけどな。世の中、言葉選びが難しいわ。
グロリオーサは一度距離を取り、屋根の上に立っとる戦士へ手を伸ばした。
「弓を!」
「はっ!」
投げ渡された長弓を受け取ると、彼女はその場で三本の矢をつがえた。矢じりが黒く染まる。いや、矢じりだけやない。矢の全体に、武装色の覇気が流れ込んどる。
……おいおい。九蛇名物、覇気の矢やんけ。
漫画で見たときから思っとったけど、これ、撃たれる側は全然笑えへんな。
「避けてみせよ!」
三本の矢が、同時に放たれた。
俺はとりあえず、いつもの癖で右肩を雷に変えた。普通の矢なら、これで身体をすり抜けて終わりや。ところが、一本目が雷化した肩に触れた瞬間、ばちりと嫌な感触が走った。
「いったァ!?」
慌てて身体をひねる。二本目は荒凪で弾き、三本目は左腕の武装色で受け流した。
……あっぶな!
そうやった。武装色をまとった攻撃は、自然系の実体を捉えられる。分かっとった。知識としては完璧やった。せやけど、頭で分かっとることと実際に矢が飛んでくることは、まったく別問題や。
「自然系の能力に頼りきりではないようじゃな」
「そら、父ちゃんが剣士やったからな」
「父……?」
「めっちゃ怖い父ちゃんでな。剣の稽古で一回も褒めてもらえへんかったんや」
「戦いの最中に身の上話をするでない!」
言いながら、さらに五本。
いや、多ない!?
さっき三本やったやろ! 何で会話しとる間に弾幕が増えとんねん!
俺は荒凪を回し、矢をまとめて弾き落とした。弾いた矢が背後の建物に飛ばんよう、刃からごく弱い風を流して地面へ落とす。
……よし。今のは、我ながら上手いこといったな。
なお、グロリオーサはそんな俺の努力に気づいた様子もなく、さらに弓を引き絞っとった。
あかん。この女、射撃訓練の的か何かと勘違いしとらんか?
―――
結論から言おう。
九蛇の女帝、めっちゃ強い。
まず、速い。弓を撃っていたかと思えば、次の瞬間には目の前におる。剣を持っとると思えば、蹴りが飛んでくる。蹴りを防いだら、今度は肘。肘を避けたら膝。挙げ句の果てに、俺の荒凪を足場にして頭上を飛び越え、背後から覇気をまとった踵落としを食らわせてきよった。
何やねん、この人。全身武器庫か?
「遅い!」
グロリオーサの右足が、俺のこめかみを狙って飛んでくる。俺は左手を上げて受け止めたが、衝撃で足元の石畳が砕けた。
「おおっ、ええ蹴りやな!」
「……っ!」
続けざまに左足。さらに身体をひねって、今度は剣を横薙ぎに振るってきた。俺は蹴りを手の甲で逸らし、剣を荒凪で受け流す。そのまま一歩前へ出ると、彼女は即座に後ろへ跳んだ。
いや、ほんまに上手いわ。
攻撃を止められたときの判断が早い。俺の懐に入ったままやと不利やと見れば、迷わず下がる。逆に、俺が大太刀を振るった直後は、刃が戻る前に距離を詰めてくる。
しかも、毎回狙う場所が違う。この短時間で、俺の間合いを覚え始めとるんや。
「……何故じゃ」
「ん?」
「何故、打ち返してこぬ!」
……えっ? 俺、ちゃんと打ち返しとるやん。
「さっきから剣で受け流しとるやろ?」
「それは防御じゃ! 妾が言うておるのは、攻撃のことじゃ!」
「いや、そら……」
俺は周囲を見回した。
細い路地。左右に並ぶ倉庫。その奥には民家らしき建物が何軒もある。少し離れた場所には、興味本位で集まってきた野次馬までおった。
うーん。ここで荒凪を本気で振ったら、たぶん三軒くらいなくなるんよな。
「場所が悪いやん?」
「……何?」
「もっと広い場所やったらええんやけど、ここ民家の近くやし」
「妾を侮辱しておるのか!」
ちゃうねん! 何でそうなるん!?
グロリオーサは地面を強く蹴り、再び俺の懐へ飛び込んできた。今度は剣やなく、武装色をまとわせた拳。俺は左腕でそれを受け止め、荒凪を横へ寝かせる。
ゴガァン!!
空気が震えた。路地の両側に積まれとった木箱が、衝撃だけで転がっていく。
「おい! 木箱!」
「よそ見をするな!」
あっぶな!
俺は慌てて視線を戻した。目の前には、すでに次の拳を振りかぶったグロリオーサ。
あかん。この人、話を聞く気が一ミリもない。
しゃあないな。
「ほな、ちょっとだけ打ち返すで」
俺は左足を踏み込み、荒凪を下段から振り上げた。狙いはグロリオーサの剣。身体に当てるつもりはない。まずは得物を弾いて、ちょっと落ち着いてもらおう。
ところが。
「……っ!」
グロリオーサは即座に剣を引き、刃を斜めに立てて受け流した。そのまま荒凪の刀身を滑るように駆け上がり、俺の顔面へ蹴りを叩き込もうとしてきた。
おいおいおい! 俺の剣、階段ちゃうぞ!?
「おらっ!」
左手で足首をつかもうとした瞬間、彼女は空中で身体をひねって蹴りの軌道を変えた。俺の指先をすり抜け、踵が顎の真下へ迫る。
うわ、上手っ!
俺は思わず笑ってもうた。
グロリオーサの表情が、一瞬だけ変わる。
ん? 何や? さっきまで怒っとったのに、何か楽しそうな顔になっとる。
「……面白い」
「せやろ!」
「これほどの巨体で、その反応速度……。貴様、いったいどのような鍛錬を積んできた?」
「父ちゃんに毎日ボコボコにされとったで!」
「……何じゃと?」
「朝起きたら剣! 朝飯食ったら剣! 昼飯食ったら剣! 晩飯食ったら反省会!」
「……それは鍛錬というより拷問ではないのか?」
「俺もちょっと思うとった!」
あれ? 何や。ようやく会話が成立したやん。
グロリオーサは、ふっと口元を緩めた。しかし、それも一瞬や。次の瞬間には、鋭い目つきで剣を構え直しとる。
「ならば、その鍛錬の成果……妾に見せてみよ!」
「おう!」
俺も荒凪を構えた。
何やろな。最初は面倒くさい女に絡まれたと思っとったのに、だんだん楽しくなってきたで。
しかも、相手が強いからこそ、俺もいつもより細かく力を調整せなあかん。変に力任せで戦うより、よっぽどええ稽古になる。
あれ? もしかして、俺、今めっちゃ得しとる?
「行くぞ!」
「来いや!」
再び、黒い刃同士がぶつかり合った。
―――
十合。二十合。三十合。
……いや、もう数えるの面倒くさなってきたわ。
グロリオーサの剣は、速いだけやない。斬撃の途中で角度が変わるし、体勢が崩れたように見せかけて、そこから蹴りが飛んでくる。しかも、覇気の強弱まで変えてきよるから、受けるたびに感触が違うんや。
最初のうちは、俺も普通に感心しとった。十合目くらいまでは、純粋に剣術勝負。二十合目くらいからは、体術も混ざり始めた。三十合目を過ぎたあたりで、グロリオーサが俺の剣の癖を読もうとし始めた。
いやあ。ほんま、研究熱心な人やな。
「そこじゃ!」
グロリオーサが、俺の左膝へ剣を振り下ろした。俺は荒凪で受け止めると、刃をひねって彼女の剣を外側へ弾いた。
ギィン!!
その瞬間、グロリオーサの左拳が俺の腹へ迫る。俺は腹に武装色を集中させ、真正面から受けた。
ドゴンッ!!
鈍い衝撃。
おお。結構効くな。
「……何じゃ、その顔は!」
「ん?」
「何故、笑っておる!」
「いや、強いなぁと思って」
「……貴様!」
あっ。また怒らせた。
いや、ちゃうねん。ほんまに褒めとるんやって。
グロリオーサは大きく後ろへ跳び、荒く息を吐いた。肩が上下しとる。額にも、うっすら汗が浮かんどった。
おお。さすがに疲れてきたんか。
俺は荒凪を肩に担いで、ちょっと首を回した。
「……何故じゃ」
「何や?」
「妾は、まだ一撃もまともに入れられておらぬ……!」
いや。さっき、頬かすったやん。あと、腹も殴られたで。
「いや、結構当たっとるやろ?」
「……貴様にとっては、あの程度なのか!」
えっ。何や。俺、また失言した?
グロリオーサは、ゆっくり剣を握り直した。その刃に、さっきまでよりも濃い武装色がまとわりついていく。
おっ。今度は、ちょっと本気みたいやな。
俺も荒凪を持ち直し、刃に覇気を流した。
さて。どう来る?
「妾の全力……受けてみよ!」
グロリオーサが、地面を蹴った。
速い。
さっきまでとは、まるで違う。
俺の見聞色が捉えた未来では、彼女の剣が真正面から迫っとる。しかも、途中で軌道を変える気配がない。
真正面から、力比べか。
おお。ええやん。
俺は荒凪を両手で握り、真正面から受け止めた。
ギィィィィィン!!
激しい金属音が、街中に響き渡る。
そして。
ドゴオオオオオン!!
衝撃が、周囲へ広がった。
……あっ。あかん。強すぎた。
石畳が砕け、路地の両側にあった木箱がまとめて吹き飛んだ。すぐ近くの倉庫は壁にひびが入り、背後の民家からは、嫌な音が聞こえてきた。
ミシッ。
あっ。あかんあかんあかん!!
俺は、荒凪を押し返すと同時に、背後へ風を流した。
ゴオオオッ!!
ただし、強く吹き飛ばすための風やない。崩れかけた民家の壁を外側から押さえ、屋根を支えるための風や。ついでに、窓から飛び出しかけた木材も空中で受け止める。
よし。今度はちゃんと間に合った。
「……っ!?」
グロリオーサが、目を見開いた。
何や。そんな驚かんでもええやん。
「おい! そこの家! 誰かおるか!?」
俺は、背後の民家へ叫んだ。
「ひ、ひええええ!!」
窓から、年配の男が顔を出した。
おお。おったわ。
「大丈夫か!?」
「な、何なんだ、お前らはァァァ!!」
「すんません! ちょっと喧嘩してまして!」
「ちょっとで家が壊れてたまるかァァァ!!」
せやな。ごもっともや。
「ほんま、すんません!」
俺は風で壁を支えたまま、頭を下げた。
あかん。ミラに知られたら、絶対怒られる。しかも、今回は海賊船ちゃうねん。普通の民家やねん。
補修費、いくらかかるんやろ。
俺の頭の中で、ゼンが帳簿を投げつけてくる未来が見えた。
これ、見聞色ちゃうで。ただの経験則や。
―――
「……貴様」
振り返ると、グロリオーサが剣を下ろして立っとった。
何や? まだ続けるんか?
「……今、何をした」
「ん? 風で家を支えたんやけど」
「それは見れば分かる!」
ほな、何を聞いとんねん。
「妾の攻撃を受け止めながら、背後の建物にまで能力を使っておったのか?」
「せやけど?」
「……」
グロリオーサが、ゆっくり俺の背後を見た。崩れかけた壁は、まだ風で支えとる。家の中からはさっきの親父が飛び出してきて、必死に荷物を運び出し始めた。
おお。避難してくれるんやったら助かるわ。
「……何故じゃ」
「何が?」
「妾との戦いの最中に、何故そこまで周囲へ気を配れる!」
「いや、そら……」
俺は、首を傾げた。何でやろな。別に、難しいことを考えとるわけちゃうねん。
「……家、壊したらあかんやろ?」
「……」
グロリオーサが黙り込んだ。
あれ? また何か変なこと言うた?
「……貴様、妾との戦いに集中しておらぬのか」
「いや、しとるで?」
「そのうえで、周囲の民家を守り、飛び散る破片まで操っておったと……?」
「せやな。まあ、さっきはちょっと危なかったけど」
俺は頬をかいた。
実際、あれは危なかった。グロリオーサの攻撃を受け止めること自体は、そこまで難しくない。問題は、その衝撃が周りへ逃げることや。
俺一人なら、別にええねん。多少ぶっ飛んでも、雷になったら戻れるしな。でも、民家はそうはいかん。
ほんま、こういう力加減って難しいわ。
「……面白い」
グロリオーサが、ぽつりと呟いた。
「……何や?」
「貴様ほどの力を持ちながら、なお周囲の人間を気にかけるとは……」
彼女は、ゆっくり剣を構え直した。
おい。またやるんか!?
「……妾は、貴様を見誤っておったようじゃ」
「おお! ほな、話し合いを――」
「じゃが、まだ終わりではない!」
あかん。この人、戦闘民族や。絶対、脳みそまで筋肉でできとる。
いや。それ、俺もやって言われそうやから、黙っとこ。
「……次で決めるぞ、ウラガン・ガルド!」
「……まだやるん?」
「無論じゃ!」
はあ。しゃあないな。
俺は荒凪を握り直し、足元に弱い風をまとわせた。民家の親父も、ようやく通りの向こうまで逃げてくれた。戦闘の衝撃で飛び散った瓦礫も、全部路地の端へ寄せてある。
よし。これで、ちょっとは動きやすくなったな。
「ほな、次は俺から行くで」
「……来い!」
俺は、一歩踏み出した。
そして。
バチィッ!!
身体を雷に変えた。
「……っ!?」
次の瞬間、俺はグロリオーサの背後に立っとった。
おお。ちゃんと回り込めたな。
俺は荒凪の峰を、そっと彼女の首筋へ近づけた。
「……はい、一本」
沈黙。
グロリオーサの身体が、ぴたりと止まった。
何や。そんな驚くことか?
「……いつの間に妾の背後へ?」
「さっきから何回か回っとったけど」
「何回かじゃと!?」
あっ。言うてもた。
グロリオーサが、ものすごい勢いで振り返った。
「何故、妾が気づかなんだ!」
「いや、何回か気づいとったやろ? 途中で蹴り飛んできたし」
「あれは気配を感じて反応しただけじゃ! まさか、すでに背後へ回り込まれておったとは……!」
おお。そうやったんか。
俺としては、普通に移動しとるつもりやってんけどな。まあ、雷になったら速いから、しゃあないか。
「……貴様、今の速度で最初から動けたのか?」
「せやで」
「……ならば、何故使わなんだ!」
えっ。何でって。
「いや、剣の勝負しとったから」
「……」
「雷になって一瞬で背後取ったら、剣術も何もないやん?」
「……っ!」
あれ? 何や。グロリオーサ、めっちゃ悔しそうな顔しとる。
いや、待て。もしかして、俺、また煽った?
「いや、ちゃうで!? 別にお前の剣術がどうとか言うとるわけやなくてな!」
「……分かっておる!!」
ほんまか? めっちゃ怒っとるやん。
グロリオーサは、しばらく俺を睨みつけとった。
そして。
「……妾の負けじゃ」
おお。ようやく終わった。
「せやな! ほな、仲直りしよか!」
俺は、ニッコリ笑って手を差し出した。
グロリオーサが、俺の手を見た。
そして。
「……まだじゃ!!」
ええええええ!? 何でやねん!!
「今のは勝負に負けただけじゃ! 貴様が信用できる男かどうかは、まだ分からぬ!!」
「いや、もうええやろ!!」
「よくない!!」
あかん。この女帝様、めっちゃ負けず嫌いや。
いや、分かるで。俺も、父ちゃんに負けたときは毎回こんな感じやったしな。でも、ちょっと休憩したいわ。
「……なあ、グロリオーサ」
「何じゃ!」
「……腹減らへん?」
「……」
あかん。めっちゃ変な顔された。
―――
「そこまでにせえやァァァ!!」
そのとき、路地の入り口から聞き慣れた怒号が響いた。
おっ。ダグやん。
巨大な錨を肩に担ぎ、めっちゃ険しい顔でこっちへ歩いてくる。その後ろにはイヴォ。そして、なぜかミラまでおった。
あっ。あかん。
ミラ、めっちゃ怒っとる。
「ガルドォォォ!!」
「……はい!」
「あんた、潜入するんちゃうかったん!?」
「……はい!」
「何で民家が壊れかけとんねん!!」
「……ちょっと剣の稽古を」
「街中で稽古すんなァァァ!!」
あかん。女帝様より、こっちの方が怖い。
俺は荒凪を鞘に納め、素直に頭を下げた。
「……すんません」
「謝る相手は私ちゃう! あそこの家の人や!!」
「……はい!」
おお。せやった。あとで補修費も払わなあかんな。
ゼン、ごめん。
「……何じゃ、貴様らは」
グロリオーサが、ダグたちを睨んだ。
そういや、こっちはまだ話が終わってへんかったな。
「九蛇の女帝さんやな。俺はダグ。こいつの副団長や」
ダグが、巨大な錨を地面に下ろした。
「……貴様が、我が戦士たちを制圧した男か」
「せや。けど、全員無事やろ?」
「……それは認めよう」
おお。ダグ、普通に会話できとるやん。俺とは何が違うんやろな。
「ほな、そろそろ落ち着いて話そうや。俺ら、あんたらと喧嘩しに来たわけちゃうねん」
「……その男が、妾の前で武器を構えたのじゃぞ」
「お前も構えとったやろ」
おお。ダグ、正論や。
グロリオーサが、ちょっと言葉に詰まった。
いや。俺も最初から、それ言うたらよかったんちゃう?
「俺らの目的は、黒檻島の奴隷市場を潰すことや」
ダグが、真面目な顔になった。
「競売に出される奴らを助けて、安全な場所まで運ぶ。それが今回の仕事や」
「……何故、そのようなことをする」
「……」
ダグは、俺を見た。
ん? 何や?
「ガルド。お前から説明せえ」
「……俺?」
「当たり前やろ。お前が言い出したことや」
ああ。せやった。
俺は、グロリオーサに向き直った。
「……俺らの故郷にな、凪岩島って島があるんや」
グロリオーサの表情が、わずかに変わった。
「……凪岩島?」
「せや。そこに、昔、逃げてきた奴隷たちが漂着したことがあってな。俺らは、そいつらを助けたんや」
あのときのことは、今でも覚えとる。
首輪をつけられとった奴ら。鎖でつながれとった奴ら。まともに飯も食わせてもらえず、ガリガリに痩せとった子供たち。
あんな光景、二度と見たない。
「……黒檻島にも同じような奴らがおるって聞いた。ほな、助けに行こうやってなったんや」
「……それだけか?」
「……それだけやで」
何や。そんなに不思議なことか?
「金も名誉も得られぬかもしれぬぞ」
「金は護衛の仕事で稼いだらええし、名誉は……」
俺は、自分の手配書を思い出した。
二億八千万ベリー。しかも、あの最悪な写真。
「……名誉は、もうちょい欲しいな」
「何の話じゃ!?」
いや。俺としては切実な問題やねんけど。
「ともかく! 俺らは奴隷商人の手先ちゃう。むしろ、奴隷商人をぶっ飛ばしに来たんや!」
「……」
グロリオーサは、じっと俺を見とった。
おお。今度こそ、伝わったか?
頼むで。もう一戦は勘弁してほしい。
俺はまだ元気やけど、民家とゼンの財布がもたん。
「……グロリオーサ様」
九蛇の戦士の一人が、彼女に近づいた。
「先ほど、我らが倉庫街を調査していた際、この男たちも奴隷商人の動向を探っておりました」
「……何?」
「また、彼らは奴隷を運ぶ荷車に手を出そうとしておりましたが、仲間に止められております。奴隷商人側の者であれば、不自然な行動かと」
おお。見とったんか。
せやで。俺、めっちゃ助けようとしとったで。
「……ほら!」
「貴様は黙っておれ!!」
「何でやねん!!」
あかん。まだ信用されてへん。
イヴォが、静かに一歩前へ出た。
「女帝陛下。もしよろしければ、我々が救出した奴隷たちの証言をお聞きになりますか?」
「……証言?」
「ええ。昨日、黒檻島へ向かう途中で、奴隷輸送船を一隻拿捕いたしました。乗せられていた人々は、現在、我々が確保した安全な場所で保護しております」
おお。さすがイヴォ。めっちゃ説明が上手い。
俺が同じこと言うても、たぶん「船を一隻ぶっ壊してきたで!」になってまうからな。
いや。今回は、ちゃんと沈めてへんで? 転覆しかけただけや。
あかん。余計悪いわ。
「……その話、真実か?」
グロリオーサが、俺を見上げた。
「せやで! 護衛船は俺が制圧して、輸送船はダグが助けたんや!」
「……何故、輸送船を助ける必要があった?」
「……ちょっと、俺が風を強くしすぎてな」
沈黙。
グロリオーサが、ゆっくり目を閉じた。
「……貴様という男は」
「……何や?」
「……本当に、何を考えておるのじゃ」
「……俺も、たまに分からん」
あかん。自分で言うて、ちょっと悲しなってきた。
―――
それから、しばらく話し合いが続いた。
俺らがベルカで聞いた競売の噂。黒檻島へ向かう途中で助けた奴隷たちの証言。奴隷商人が使っとる倉庫の位置。そして、九蛇海賊団がこの島へ来た理由。
グロリオーサたちは、行方不明になった仲間を探していた。海へ出ていた若い戦士が、何者かに捕らえられ、この島の競売へ送られたという。
「……必ず、連れ戻す」
そう言ったときのグロリオーサの顔は、さっきまでの戦闘中とはまるで違っとった。
ああ。この人も、仲間を大事にしとるんやな。
「ほな、話早いやん」
俺は、ニッコリ笑った。
「俺らは競売場の奴隷を全員助けたい。お前らは仲間を助けたい。目的、一緒やろ?」
「……たしかに、利害は一致しておる」
「ほな、一緒にやろうや!」
「……しかし、妾が貴様を信用したわけではないぞ」
「ええで! 俺もお前のこと、まだよう知らんし!」
「……っ!」
何や。また変な顔しとる。
俺、何かおかしいこと言うた?
「せやけど、一緒に戦うんやったら、ちょっとずつ分かるやろ?」
「……」
グロリオーサが、俺をじっと見た。
おお。さっきまでと違って、何やら妙に静かやな。
もしかして、疲れたんか? そらそうや。あんだけ戦ったら、誰でも疲れるわ。
「……貴様は」
グロリオーサが、ぽつりと呟いた。
「……本当に、妙な男じゃな」
「せやろ!」
「褒めておらぬ!!」
「何でやねん!!」
あかん。この女帝様、めっちゃ難しい。
でも、まあ。悪い奴ではなさそうや。
「団長。そろそろ戻りましょう」
イヴォが、俺の袖を引っ張った。
おっ。そうやな。もう日も傾いとるし、帰って作戦を練らなあかん。
「ほな、グロリオーサ! また明日な!」
俺は、大きく手を振った。
グロリオーサが、俺を見上げた。
おお。何や?
「……待て」
「ん?」
「……明日、どこへ行けばよい」
「白羊号や! 港の西側に停めとる、でっかい船!」
「……分かった」
おお。ちゃんと来てくれるんやな。
「ほな、またな!」
俺は、ダグたちと一緒に歩き出した。
いやあ。今日は、なかなか楽しかったな。
九蛇の女帝。グロリオーサ。
あんな強い女がおるんやな。世界は広いわ。
「……なあ、ダグ」
「何や?」
「……あの女帝様、強かったな」
「……せやな」
「……また戦いたいわ」
「……お前、ほんまに戦闘狂やな」
何でやねん。俺、平和主義者やで?
まあ、強い奴と戦うんは好きやけど。
―――
白羊号へ戻る途中、ふと気になって、俺は後ろを振り返った。
おっ。まだおるやん。
グロリオーサは、九蛇の戦士たちに何やら指示を出しとった。けど、俺が振り返った瞬間、なぜかこっちを見ていた彼女と目が合うた。
「おーい!」
俺は、もう一度手を振った。
グロリオーサが、びくっと肩を揺らした。
ん? 何や?
さっきまで、あんなに堂々としとったのに。
彼女は一瞬だけ俺を見つめ、それから慌てたように顔を背けた。
あれ? 何か、耳まで赤ない?
もしかして。
「……なあ、ダグ」
「何や?」
「……あの女帝様、熱でもあるんちゃう?」
「……は?」
いや。だって、顔赤かったで? さっきまで元気に剣振り回しとったのに。
あかん。風邪引いたんかもしれへん。
「……ネネに診てもらった方がええかな?」
「……お前、ほんまに何も分かっとらんな」
「……何がやねん!!」
何や。ダグまで、変な顔しとる。
まあ、ええわ。とりあえず、明日、ちゃんと元気に来てくれたら、それでええ。
ちなみに、このときの俺は、まったく気づいてへんかった。九蛇の女帝様が、俺の背中を見送ったまま、しばらくその場を動けずにおったことも。その胸の高鳴りを、本人が必死に戦いの興奮やと思い込もうとしていたことも。
いや、そんなもん分かるか!!
俺、見聞色は使えるけど、人の恋心まで読めるわけちゃうねん!!
しかも、俺自身、女帝様との戦いが、めっちゃ楽しかったんや。
これは、明日の作戦会議、ちょっと楽しみになってきたな。
――第10話 了