第3話 船を投げるな、嵐を起こせ
十三歳のある日、俺の木刀はまた折れた。正確には、俺が握ると木刀が『もう無理です』と退職する。これで何本目や。木工職人の労働組合が俺を敵視し始めてもおかしくない。
ゴルドの造船場で、廃船の船首が転がっているのを見つけた。長さ、重さ、握り心地。……握り心地? いや船首やぞ。普通そこ評価するもんちゃう。
俺は船首を持ち上げ、素振りを始めた。地面が揺れた。カモメが逃げた。ゴルドが泣いた。
「ガルド! それ船や!」
「廃船やろ?」
「船首だけでも船は船や!」
「ほな木刀の代わりに船刀やな」
「新しい単語を作るな!」
ゴルドは額を押さえ、やがて妙に真剣な顔で言った。
「いつかお前専用の刀、俺が造ったる。船を振らんで済むやつをな」
「それ、俺より島の建物が喜ぶな」
ところが武装色だけはどうにもならん。見聞色は気配を拾えるのに、武装色は『硬くしろ』と言われても筋肉に力が入るだけ。木剣は砕け、船首はひび割れ、ゴルドの顔から表情が消えた。
「力を込めるんやない。流せ」
「どこへ?」
「必要なところや」
「目的地の住所を教えてくれ!」
ワカバの説明は相変わらずマニュアル未満。けれど十四歳の稽古中、受け止めた剣の衝撃を腕全体で抱え込まず、刃の一点へ押し返す感覚が生まれた。力を握り込むのではなく、通す。身体の奥にあった熱が、腕を伝って木剣の先へ走った。
「……できた?」
「ほう」
「その『ほう』、合格って意味でええな?」
「もう一回」
合格通知は届かなかった。でも次の一振りは、確かに武装色をまとっていた。
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十四歳の冬。俺の身長は四百八センチになっていた。
武装した密輸業者の一団が、夜の港へ上陸した。
五人。いや、八人か。暗くて正確には数えられない。刃物と銃を持っている。小型の船で夜間に密入港し、倉庫を漁るつもりだろう。
見張りをしていた俺は、鐘を鳴らした。音が夜の丘に響く。自警団の連中が動き出す。
だが、密輸業者は鐘を聞いて慌てた。逃げようとした。逃げる方向に、民家がある。
「逃がすな!」
ダグの声だけ聞けば、もう立派な現場指揮官である。なお普段は錨を持って人の身長をからかう男や。
ダグが叫んだ。十八歳のダグは、すでに自警団の若手をまとめていた。錨を振り回す姿は、十四歳とは思えないほど怖い。
俺は民家の前に立った。逃げようとする密輸業者の前に、三百五十センチの体を置く。
「通さんでええ」
「邪魔しやがって!」
一人がナイフを振るった。速い。いや、十四歳の俺には速かった。未来が見えた。ナイフが右肩に来る。一瞬先の光景。でも体が追いつかない。
ナイフが右腕を掠めた。痛い。血が出る。
次の一人が銃を向けた。銃口が俺の腹に向いている。
この距離で銃は避けられない。いや、未来が見えた。弾の軌道は、腹の右側。少しだけ動けば外れる。でも「少しだけ」ができない。体が硬い。怖い。
怖いという感情の中で、何かが弾けた。
腹のあたりが、硬くなった。いや、硬くなったというより、何かが凝縮されたような感覚。体の中から力が溢れて、皮膚の表面を覆っている。
銃弾が、俺の腹に当たった。
弾かれた。
「……え?」
密輸業者も驚いている。俺も驚いている。腹を見る。腹の皮膚が、ほんの少しだけ黒く硬くなっている。数秒で、その感覚は消えた。腹の硬さが元に戻る。
「何や今の」
一番聞きたいのは俺や。自分の腹に実装された新機能のリリースノートを誰か寄越してくれ。
ダグが駆けつけて、残りの密輸業者を錨で薙ぎ倒した。俺は、腹を押さえて座り込んだ。
「ガルド! 大丈夫か!」
「……大丈夫やと思う。なんか、変なことになった」
「変なことって」
「腹に弾が当たったんやけど、弾かれた」
「は?」
「俺も分からん」
事件後、ワカバが俺を座敷に呼んだ。
「ガルド、お前の腹に何が起きたか、分かるか」
「分からん。でも、何か、体の中から力が出た」
「それは覇気や」
「覇気……」
ついに来た。原作知識の核心。武装色の覇気。
「知っとる。知っとるけど、知っとるだけで使い方は知らん」
「知っとる?」
「夢で見た」
「また夢か」
ワカバは呆れたような顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
「覇気には三種類ある。見聞色は気配を感じる力。これは、お前はもう使っとる。武装色は体や武器を硬化する力。今夜お前が使ったのがそれや。覇王色は……選ばれた者しか使えん。今は気にせんでええ」
「使い方は?」
「使うな。まだ使える状態じゃない」
「使える状態じゃないって、さっき使ったやん」
「無意識に使っただけや。意識して使おうとすると失敗する。お前の体が、勝手に覚えとる。それを、俺が少しずつ形にしてやる」
「少しずつってどんくらい」
「数年や」
「数年!?」
研修期間、長っ。前世なら三か月目には現場へ放り込まれとる。いや、それで死んだんやった。ほな数年でええわ。
「急ぐな。お前は長生きするんや。急いで覚える必要はない」
数年。十四歳から数年。十八歳くらいか。前世の俺なら「数年の研修は長すぎる」と文句を言っただろう。でも今の俺には、文句を言う資格がない。弾かれたのは幸運だ。次に同じことが起きる保証はない。
武装色は、まだ局所的だった。拳か腕の一部。数秒しか維持できない。無意識に発動する。使った後に強い疲労が来る。全身硬化は不可能。武器に安定してまとわせることもできない。
「原作のルフィは戦いの中で勝手に覚えた」と俺は知っている。でも俺はルフィじゃない。俺は、前世の記憶と、五歳からの素振りと、ワカバの不親切な教えしか持っていない。
それでも、少しずつ分かってきた。覇気というのは、知識で使えるものじゃない。体で覚えるものだ。ワカバの教え方が感覚派すぎるのも、実は理にかなっているのかもしれない。
……いや、やっぱりもう少し説明してほしい。
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十五歳になっても、俺は自分の力の加減が分からんかった。分からんまま海賊船が島を襲ってきた。巨大なガレオン船。帆は真っ黒、砲門はずらり。いかにも悪役ですという自己紹介を船体全体でしている。
港の前で奴らが大砲を向けた瞬間、俺は浅瀬へ踏み込んだ。海水が腰まで来る。まだ悪魔の実は食べてへんから泳げる。今のうちに人生最後の海水浴でも楽しむか。まぁ食べれるか知らんけども。いやそれより砲弾飛んでくるわ。
船腹へ両手をかけ、踏ん張って、持ち上げた。船上から悲鳴。港から悲鳴。俺の腰からも悲鳴。誰か湿布を用意してくれ。
「ガルド! 何しとんねん!」
「船をどかす!」
「どかすって、どこへ!」
「海!」
「元から海や!!」
俺はガレオン船を沖へ放り投げた。海賊船が宙を舞う。鳥も逃げる。ダグの口が開いたまま閉じない。着水と同時に巨大な水柱が上がった。
「……やりすぎた?」
「船を投げる奴があるか!」
「船の不法駐車やったし」
「解決方法が豪快すぎるわ!」
なお、このあと海賊たちを救助する羽目になった。船を投げる前に人員の避難確認をすること。自警団の新しい手順書に俺の名前付きで記載された。恥ずかしい。
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十五歳の夏。俺の身長は四百二十八センチ。
大型ガレオン船が、島へ向かってきた。
見張りが鐘を鳴らした。昼過ぎ。空は晴れている。南風が吹いている。海は穏やかだ。穏やかすぎるくらいだ。
「船だ! 大型船や!」
俺は丘の上の見張り台から海を見た。ガレオン船。三本マスト。帆は黒。船首に髑髑髏の飾りがある。海賊旗だ。
船は港へ向かってきている。速い。風に乗っている。
「全員、避難準備! 港の防衛班は集合!」
ワカバの声が響く。自警団が動き出す。
俺は、船の気配を感じた。敵意。強い敵意。そして、貪欲さ。食料、資材、港。それらを奪う気配。
「ダグ、避難班を頼む」
「分かった。お前は港か?」
「港や。あの船を近づけすぎたらあかん」
「無理するなよ」
「お前こそ」
こいつは俺の右腕を自称しとるけど、避難班の指揮まで勝手に請け負うあたり、働きぶりだけは本物や。役職の申請書は依然として未提出やけど。
俺は港へ走った。港には自警団の団員が十人ほど集まっている。全員が剣や槍を持っているが、正直、海賊の大型船相手には心許ない。
「ガルド、来たか」
バオが巨大な包丁二本を手に立っていた。場数を踏んでいるだけあって、戦う準備はできている。
「バオさん、避難は」
「ダグがやってる。港は俺らで持つ」
「持つって、あの船の大きさ見たやろ」
「見た。デカい。せやからお前がおるんやろ」
俺か。十五歳、四百二十八センチ、自警団の見習いも同然の巨体。確かに、体格では負けない。でも、海賊船には大砲がある。
そのとき、見聞色が警告を出した。船の甲板で、何かが動く。大砲だ。
「来る! 砲撃や! 下がれ!」
俺は叫んだ。一秒後、船の側面から砲撃が来た。砲弾が港の石壁を砕いた。破片が飛ぶ。団員が伏せる。
「弾が見えたんか?」
「見えたというか、感じた」
「ええから、次も教えてくれ。頼む」
砲撃の瞬間は見聞色で察知できる。でも、全ての砲弾を一人で止めることはできない。一発目は外れた。二発目も外れた。だが三発目が倉庫に当たった。木の壁が吹き飛ぶ。中の食料が散乱する。
「倉庫が!」
「落ち着け。倉庫は直せる。人は直せん。下がれ」
ワカバが港へ来ていた。いつの間に来たんや。指示を出す声は冷静だ。住民の避難状況を聞き、火災の確認をし、港の防衛班の配置を決める。
「ガルド、お前は船へ乗り込め」
「乗り込む?」
「あの船を止めるには、船頭を潰すのが一番や。砲撃を止めれば、こっちは持てる」
「一人でか?」
「ダグも連れて行け。泳げんようになったんは辛いが、あの船まで泳ぐ距離じゃない。船を岸に寄せてから乗り込め」
「分かった」
俺は港の防波堤から海へ向かった。船はまだ港の入り口にいる。接岸しようとしている。それを止めなあかん。
俺は防波堤の先端に立った。ここから船まで、大体三十メートル。跳べるか。いや、跳べない。四百二十八センチの体でも、三十メートルは跳べない。
「ガルド、俺が錨を投げる。それを引き金に船へ渡れ」
ダグが、後ろから言った。いつの間に来たんや。
「お前いつの間に」
「副長が港行け言うたやろ」
「副長ちゃう。俺はまだ見習いや」
「細かいこと言うな、未来の副長!」
「未来の役職で呼ぶな! お前も勝手に俺の右腕を名乗るな!」
「右腕はもう決まっとる!」
「誰が決めた!?」
「俺や!」
組織図が本人の脳内だけで完成しとる。人事部、仕事してくれ。
「見習いでもええから行け。錨投げるで」
ダグが錨を振り回した。遠心力で錨が飛ぶ。鎖が伸びる。錨の爪がガレオン船の舳先に刺さった。
「渡れ!」
俺は鎖を握った。鎖が張られる。俺の体が引かれる。船へ向かって俺が飛ぶ。三十メートルの距離を、鎖を使って一気に詰める。
船の甲板に着地した。木板が軋む。四百二十八センチの巨体が着地すればそりゃあ鳴る。
「海賊か。ええ船やな。いただき」
「何者だ!」
海賊たちが剣を構える。十人。いや、十五人くらいか。
「この島の自警団や。用があるのは船頭だけや。お前らは下がれ」
「ハ! ガキが! デカいだけのガキが!」
デカいだけ。確かにデカいだけかもしれん。でも、デカいだけでも、立ちはだかることはできる。
俺は木剣を構えた。十五歳の俺が持っているのは、まだ木剣だ。鉄の剣は、俺の身長に合わせて作るには時間がかかる。だから木剣だ。でも、俺の木剣は、大人の torso くらいの長さがある。これで叩かれたら、死なないまでも痛い。
「来い」
海賊たちが一斉に斬りかかってきた。剣、斧、鉤。いろんな武器が俺に向かってくる。見聞色が反応する。右から剣。左から斧。正面から鉤。
未来が見える。一秒先。剣が右肩に来る。斧が左脇腹に来る。鉤が正面の顔面に来る。
分かっていても、体が追いつかない。
右の剣を避けると左の斧が来る。斧を避けると鉤が来る。全部は避けられない。
俺は右の剣を木剣で受けた。衝撃が腕に来る。硬い。鉄剣と木剣がぶつかって、木剣に深い傷が入る。もう数発受けたら折れる。
「くそっ」
斧が左脇腹を掠めた。血が出る。痛い。鉤が左肩を引っ掛けた。皮膚が裂ける。痛い。痛い。痛い。
未来が見えても、体が追いつかない。これが「見聞色があるだけでは勝てない」という現実だ。
「ガルド!」
ダグが甲板に飛び込んできた。錨の鎖を伝って船に乗り移ったのだ。錨を振り回して、海賊二、三人を薙ぎ倒す。
「一人で全員相手にするな! 無茶や!」
「無茶せんと全員止められへんやろ!」
「俺がおるやろ! 背中預けろ!」
こういうときだけは、ほんまに頼もしい。普段の自称右腕活動を一時停止してくれたら、もっと頼もしいんやけどな。
ダグの錨が、俺の左側の敵を薙ぎ払った。俺は右側の敵を木剣で押さえる。
「船頭どこや」
「船長室やろ。下の」
「行くで」
俺は甲板の敵を蹴散らしながら船長室へ向かった。ドアを蹴破る。
中に、一人の男が立っていた。細身。長髪。剣を一本持っている。他の海賊とは明らかに違う立ち方だ。
「お前が船頭か」
「船頭ちゃう。船長や」
「名前は?」
「聞いてどうする。お前みたいな島のガキに名前を覚えられる筋合いはない」
「覚えなくてええ。ただ、この船をここから動かさんでほしいだけや」
「断る」
船長が動いた。速い。俺の見聞色が反応したが、体が間に合わない。剣が俺の左腕を斬った。深い。血が噴き出す。
「遅い」
船長が言った。
「お前、見えてるんやろ。見えても動けへんのなら、見えても意味ない」
その通りだった。痛いほど正しい。
ダグが後ろから錨を投げた。船長はそれを剣で弾いた。一瞬の隙ができた。俺はその隙に木剣を振った。渾身の一撃。木剣が船長の脇腹を打つ。船長が呻んで膝をついた。
「……やるやないか、ガキ」
「ガキちゃう。ガルドや」
「ガルド……。覚えとく」
船長は気絶した。ダグが錨で背中を一発叩いた。それで終わりだった。
船の上の海賊たちは、船長が倒れたのを見て戦意を失った。投降してきた。俺たちは海賊たちを船から下ろし、港で縛り上げた。
「ガルド、腕、大丈夫か」
「大丈夫ちゃう。深いんやこれ」
「ネネさん呼ぶで」
「頼む」
俺は甲板に座り込んだ。左腕と脇腹から血が出ている。痛い。未来が見えても勝てない。武装色があれば、もう少しマシだったかもしれない。でも武装色はまだ不安定だ。意識して使おうとすると、出ない。無意識に出るか出ないか。
未熟だ。めちゃくちゃ未熟だ。でも、守れた。港を、住民を。ダグと一緒に。一人じゃない。
「ダグ」
「何や」
「助かった」
「ほな右腕として認めてくれるか?」
「今このタイミングで人事面談始めるな」
「当たり前やろ。背中預けたんやから」
ダグは笑った。血のついた顔で笑った。
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戦闘後、海賊船の船長室を調べた。
バオとダグと三人で、積荷目録や財宝を確認する。海賊船の積荷は食料と酒と武器と、何かいろいろ入った木箱だ。
「この箱、変な模様がついとるな」
バオが木箱を指した。黒い模様。いや、模様じゃない。渦巻きだ。
俺は、箱を開けた。
中にあったのは、一つの果実だった。
紫色。渦巻き模様。異様な形。見るからに不気味な果実。
「……これ」
俺は知っている。悪魔の実だ。
原作で何度も見た。ルフィが食べたゴムゴムの実も、エースのメラメラの実も、全部こんな形をしていた。螺旋状の模様。果物らしくない果実。
「何やこれ。腐っとるんか」
バオが眉をひそめた。
「腐ってない。たぶん悪魔の実や」
「悪魔の実?」
「食ったら特殊能力が手に入る代わりに泳げなくなる。海にも海楼石にも弱くなる」
「お前、なんでそんなこと知っとるんや」
「……夢で見た」
「夢で覚える情報が多すぎるやろ」
せやねん。俺の夢、毎回やたら設定資料が充実しとるねん。
俺は果実を手に取った。船の記録を漁ると「アラアラの実」という名前が記載された紙片が見つかった。悪魔の実図鑑の断片らしい。名前と「自然系かどうか不明」という注釈だけが書かれている。
アラアラの実。
名前からすると、嵐か荒天か何かそういう能力だろうか。でも詳細は分からない。
「ガルド、それ食うんか?」
ダグが聞いた。
「食うたら泳げなくなる。この島は海に囲まれとる。泳げんのは不便や」
「せやな」
「でも、もし強い能力やったら、島を守るために使える」
「せやな」
「どっちやねん」
「お前が決めることや。俺が決めることちゃう」
珍しく正論を言うた。明日は嵐かもしれん。……俺が嵐の実を食おうとしてる場面で言うことちゃうな。
俺は、悩んだ。
前世の俺は、自分の人生を選べなかった。仕事も、休むことも、逃げることも選べなかった。今世では、自分で選びたい。
でも選ぶということは、選ばなかった方を捨てるということだ。泳げなくなる。海へ出る可能性がある。この島で一生暮らすなら泳げなくても困らないかもしれない。でも、俺は、ワカバの言葉を覚えている。「海はどこまでも行ける」と。
海へ出るなら、泳げないのはリスクだ。
でも、海へ出る理由が、まだない。
いや、あるのか。あるのかどうか、俺にも分からない。
「父ちゃん」
俺はワカバのところへ行った。悪魔の実を見せた。
ワカバはそれを見て、煙草を吹かした。
「食うか食わんか、お前が決めろ」
「どっちとも言わんの?」
「言わん。お前の体や。お前の力や。お前が決めろ」
「もし失敗したら」
「失敗したら、やり直せばええ。泳げんでも生きていける。この島でなら」
「……俺が決めるんやな」
「そうや」
俺は、決めた。
アラアラの実を、食べる。
なぜなら、守る力が欲しいからだ。今の俺は、未熟だ。見聞色があっても体が追いつかない。武装色があっても不安定だ。剣術はまだ半人前だ。このままでは、次に来る敵に勝てないかもしれない。
力が欲しい。自分の意志で選べるだけの力が。
俺は、果実にかじりついた。
不味い。
不味い。
不味い。
前世で食べたものの中で、最悪だ。腐った魚の内臓に、泥と鉄さびを混ぜて、さらに苦い薬を塗したような味。いや、それ以上だ。舌が拒否する。喉が拒否する。でも、一旦口に入れたものは吐き出せない。能力が移るか分からないから、ある程度食わなあかん。
「ぐっ、うううう……」
「ガルド、大丈夫か!?」
「大丈夫ちゃう! 最悪や!」
「吐くのか?」
「吐かへん! 食ったもんは食ったんや!」
俺は、果実を半分くらいまで食った。もう無理だ。残りは投げ捨てた。
「うええ……二度と食わん」
「食えるか普通これ。お前が変なのや」
食べた直後、異常が起きた。
まず、室内へ風が吹いた。窓が閉まっているのに、風が吹く。書類が飛ぶ。煙草の煙が渦を巻く。
「何やこれ!」
バオが驚いて立ち上がった。
次に、俺の頭上に、小さな雲ができた。
室内に、雲。
俺の頭の上に、灰色の雲が浮いている。
「……俺の頭に雲あるんか」
「ある」
「何で」
「知らん」
雲から、雨が降った。
俺だけが、雨に降られている。室内に、俺の頭の上だけ、雨が降っている。
個人専用の局地的豪雨。天気予報で言うなら「ガルド周辺のみ降水確率百パーセント」。傘を差したら家の中で怒られるやつや。
「ぬれてる」
「当たり前やろ。雨降っとるんやから」
「いやここ室内やろ!」
もはや俺の頭上だけ別の気候帯である。引っ越し先を探す前に、まず自分の天気をどうにかしたい。
俺が驚いた瞬間、雷が鳴った。
バリバリバリッ。
室内に雷が落ちた。いや、落ちたというより弾けた。俺の頭上の雲から、小さな雷が放電した。机の上の書類が焦げた。
「ひええええ!」
「何やこれ! お前、何になったんや!」
「知らん! 俺も知らん!」
俺の感情が乱れるたびに、風が吹き、雲が揺れ、雨が強くなり、雷が鳴る。
怒ったら風が強くなった。悲しんだら雨が降った。驚いたら雷が鳴った。
「これ、あかん。感情を落ち着かせんとあかん」
「落ち着け!」
「落ち着こうとしても、落ち着かんから雷鳴っとるんやろ!」
俺は深呼吸をした。何回も。何回も。風が収まった。雲が薄くなった。雨が止んだ。雷が消えた。
「……止まった」
「……おいガルド」
「何や」
「お前、もしかして自然系か?」
「自然系?」
「悪魔の実には三種類あるんやろ。超人系、動物系、自然系。お前が風も雲も雨も雷も出せるんなら自然系やないか」
「いやまだ分からん。制御できとらんし」
「せやな。とりあえず外で試せ。室内でやられると家が壊れる」
俺は外へ出た。港の防波堤で能力を試した。
風を起こそうとする。手を振る。風が吹く。いや吹くというより突風が起きる。制御不能。洗濯物を乾かそうとして吹き飛ばす。雨を降らそうとする。自分の頭の上だけ雨が降る。他の場所には降らない。雷を出そうとする。出ない。驚いたら出る。意識して出せない。
「あかん。全然あかん」
「ガルド一つずつやれ」
ダグが付き合ってくれた。バオも見てくれた。ネネは「怪我したら言えや」と言って近くで待機してくれた。
「まず風や。小さく出すんや」
「小さく」
手を振る。風が吹く。少し強い。
「もうちょい弱く」
手を振る。風が止む。
「加減が分からん」
「分からんのは最初だけや。続けろ」
ワカバは遠くから見ていた。何も言わない。ただ見ている。
それが、俺にはありがたかった。
あの果実、舌が人生の走馬灯を見るほど不味かった。苦い、酸っぱい、おまけに妙な塩気。海水に漬けた雑巾を煮詰めたような味や。食レポの仕事が来ても絶対に断る。
「……しょっぱない?」
「屋根飛んでるけどな」
ダグの指差す先で、俺が無意識に起こした小さな竜巻が詰所の屋根を持っていった。屋根だけ綺麗に飛ぶな! 施工業者が泣くぞ!
数日後、ワカバが稽古で振った剣が俺の肩をすり抜けた。痛みがない。斬られた部分から黒い雲が噴き出し、すぐ人間の形に戻る。父ちゃんの剣を避けた覚えはない。
「お前、雲になっとるぞ」
「父ちゃん、息子が雲になったらもうちょい驚け!」
「雨降らせられるんか?」
「第一声が水不足対策!?」
どうやらアラアラの実は、嵐雲へ変化できる自然系らしい。風、雲、雨、雷。使い方次第では海戦の化け物や。ただし、能力を得た瞬間に泳げなくなった。ガロに海へ突き落とされて判明した。検査方法が雑すぎる。
「ダグ、助けろ!」
「右腕として助けたる!」
「右腕の承認と救命をセット販売すんな!」
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十六歳。身長四百四十二センチ。
風、雲、雨を少しずつ発生させられるようになった。雷は特に制御が難しい。
感情が乱れると天候まで乱れる。怒ると突風が吹く。泣くと雨が降る。驚くと雷が鳴る。
室内で使うと家や家具を壊す。だから修行は外で行った。
「ガルド今日は風の制御や」
「分かっとる」
「怒るなよ」
「怒っとらん」
「怒っとる顔しとる」
「これ地顔や」
ある日訓練中に事故が起きた。
ダグが錨を投げた。俺はそれを避けようとして風を出した。強すぎた。風がダグの錨を弾き返した。錨が俺に向かって跳ね返ってくる。
避けきれない。
その瞬間俺の体が霞んだ。
いや霞んだというより一瞬で俺の体の一部が黒い雲のようなものに変わった。錨が雲を突き抜けて後ろの木に突き刺さった。
「……え?」
俺は自分の体を見た。左肩から腕にかけて黒い雲のようなものになっている。いや戻ってきた。すぐに元の腕に戻った。
「今の何や」
「お前の体一瞬で消えたぞ」
「消えたというか雲みたいになった」
「自然化か」
「自然系か……俺」
「自然系やったんか」
自然系だ。
悪魔の実の中で最も攻撃力が高いとされる自然系。
俺は原作の知識から自然系の強さを知っている。攻撃をすり抜けられる。物理攻撃が効かない。
「自然系や勝った」
勝利宣言が早すぎた。チュートリアルで無敵アイテムを拾った小学生のテンションである。
俺がそう言った瞬間腹に衝撃が走った。
「ぐっ」
ワカバが俺の腹を殴っていた。
「痛っ! 何すんねん!」
「自然系や勝ったと思ったらあかん」
「なんでや! 物理攻撃効かんのやろ!」
「覇気で殴れば効く」
「……覚えとく」
身をもって理解した。実技試験の採点方法が腹パンなの、どう考えてもおかしいやろ。
覚えとく。確かに原作でもそうだった。自然系でも覇気で殴られれば痛い。海楼石でも効く。海に落ちれば動けなくなる。
自然系は無敵じゃない。ただ攻撃の選択肢が増えただけだ。
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十七歳から十八歳。
俺の身長は四百五十一センチから四百五十六センチへ伸び十八歳で止まった。
見聞色武装色剣術能力を組み合わせ始めた。部分的な自然化を意識して行えるようになった。でも全身を完全な嵐へ変えることはまだ不安定だ。大規模な天候操作には準備と集中が必要だし味方を巻き込む危険もある。雷を自在に扱える段階じゃない。
でも少しずつできることが増えた。
嵐眼風待という技の原型ができたのはこの頃だ。嵐の中に自分だけ無風の空間を作る。避難するための技だ。
風砲という技もできた。掌から風を撃つだけだが威力はそこそこある。
覇王色はまだ発現していない。
十八歳の春。
俺は島の自警団副長になった。
団長はワカバだ。
ダグはいつの間にか俺の右腕を自称するようになった。頼んだ覚えはないし、正式に認めた覚えもない。本人だけは妙にやる気で、何かあるたびに俺の隣に立とうとする。実際、背中を預けられる相手ではある。せやけど、それと右腕に任命するんは別の話やろ。他の初期メンバーも自警団員や島の若者として背景にいる。バオは料理番兼兵糧係。ネネは医療係で、ミラ女性は航海士見習い。ゴルドという大男は造船係見習いキットという若い男は見張り係トーマとトーラという双子は港の防衛係ゼンという男は会計係ボンゴという男は通信係イヴォという男は外交係ガロという魚人の男は海中での見張り係。
全員が自警団員として島を守っている。
俺が副長になったのはワカバの指名だ。
「副長はお前や」
「俺?」
「俺以外におらんやろ」
「ダグは?」
「お前の右腕や言うて、本人が張り切っとるぞ」
「いや、俺は認めてへんで」
「ほな今から認めたらええ」
「父ちゃんまで何言うてんねん。本人の希望だけで役職作るな」
「ほな、本人に言うたれ。副長はお前や」
「……分かった。副長の話だけな」
こうして俺は、人生二度目の管理職に就任した。部下に一人、正式採用されてへんのに勝手に右腕を名乗る男がおる。人事制度が崩壊しとる。
でも俺は自分が副長だという実感がない。まだ十八歳だし能力もまだまだ未完成だし剣術も師匠には遠く及ばないし覇気も不安定だ。「ようやく島を守る仕事を任されるようになった」程度の認識だ。
ある日の夕方。俺は港の見張り台に立っていた。
ダグが報告に来た。本人いわく、右腕としての仕事らしい。俺はまだ一度も任命してへんのやけど。
「ガルド今日の見張りは俺やろ」
「交代や。お前昨日も遅うまで起きとったやろ」
「寝てへんわけちゃう」
「目の下クマできとるぞ」
「お前もや」
「俺は元々や」
「右腕の健康管理も仕事やで」
「自称やろ。まず寝ろ」
ダグは俺の隣に座った。見張り台は俺の体格に合わせて作られているので二人座っても余裕がある。
「ガルド最近島の外で噂になっとるらしいぞ」
「噂?」
「あの島には巨大な剣士がいるって」
「巨大な剣士て俺か」
「お前以外におらんやろ。あと嵐を呼ぶ若者がいるとか海岸に怪物が立っているとか船を近づけると風向きが変わるとか」
「怪物て」
「お前や」
「俺怪物なんか」
「身長四百五十六センチで剣振ってたらそう見えるわ」
「……人間やぞ俺」
「人間やけど怪物や」
褒めとるんか貶しとるんか、どっちかに統一してくれ。俺の自己紹介欄がどんどん面倒なことになる。
俺は海を見た。夕方の海は穏やかだ。波が港の防波堤に打ち寄せる音だけが聞こえる。
「ガルド。何か来るぞ」
ダグが指差した。
沖合に船影が見える。帆が破れている。進路が安定していない。風に流されているだけのようにも見える。
「あれ政府の旗や」
見張りの一人が叫んだ。
政府の旗。海軍の船か?
俺は見聞色を伸ばした。
船の気配を感じる。人々の気配。でも敵意がない。いや敵意がないというより恐怖と助けを求める気配が強い。
「……あの船何かおかしい」
「おかしいて」
「敵やない気がする。でも普通の船でもない」
「どうする?」
「父ちゃんに伝えろ。政府の船が来る。でも敵意はない。助けを求めとるかもしれん」
「分かった」
ダグが走っていった。
俺は海を見据えた。
破れた帆の船がゆっくりと島へ近づいてくる。
この船が何を運んでくるのか俺はまだ知らない。
でも見聞色が告げている。
あの船には俺が守らなあかん何かが乗っとる。
風が変わった。
俺は剣を握った。まだ木剣だ。鉄の剣はまだ手に入っていない。でもこの木剣でここまで来た。
あの船が港に着くまで俺はここに立つ。
島の怪物として。自警団副長として。
俺の物語はまだ始まったばかりや。たぶん。しらんけど。まだ始まったばかりや。