砲弾が飛んできた。
見聞色が叫んだ。三分先まで枝分かれする未来を読める俺でも、乱戦の最中に全員分の未来を追うんは無理や。今は一秒先に絞る。黒い鉄の塊が三発、弧を描いて島へ向かってくる。港の桟橋。倉庫。そして俺たちが立っている防波堤。
「来る! 下がれ!」
俺は叫んだと同時に両手を前に出した。掌から風を放つ。風壁。いや、風の盾だ。これくらいで全力を出してたら、副団長の肩書きが泣く。砲弾の軌道を逸らす。一発目。風が砲弾の側面を叩いて軌道を左へずらした。海へ落ちる。水柱が上がる。
二発目。
来る。速い。一発目より右。
風を変える。右へ。
逸れた。倉庫の屋根を掠めて裏の空き地へ落ちた。土煙が上がる。
三発目。
来い。
……来ない?
いや、来とる。でも軌道が違う。三発目は高く上がって、真っ直ぐ防波堤へ落ちてくる。俺が風で逸らそうとした、その瞬間。
横から何かが通り過ぎた。
風じゃない。剣圧だ。
ワカバが、仕込み杖型の長剣を一本振った。ただ振っただけに見えた。でも空気が割れた。砲弾が空中で弾かれ、方向を変えて海へ落ちた。
三発とも落ちた。
「……え」
俺は振り返って親父を睨んだ。
いや、今のは俺が取れたやろ! こっちが未来を読んで風を組み立てとる横から、涼しい顔で横取りしていきよった。十八年も稽古をつけてもらえば分かる。あの一振りは、ワカバにとって準備運動みたいなもんや。腹立つことに、俺も同じことができるようになってきた。ただし剣筋の正確さでは、まだ親父の方が一枚上や。
十五歳の頃は何度挑んでも歯が立たんかった。それが十八になった今では、まともに打ち合えば親父にも汗をかかせられる。百回やって百回負ける相手では、もうない。勝ち越せるかと言われたら……まあ、話題を変えよう。
電伝虫がまた鳴った。
「凪岩島の住民に告げる。要求に応じなければ、次は全艦の一斉砲撃を行う。投降せよ」
ダグが舌打ちした。
「一斉砲撃とか脅しきってんな。四隻くらいあるぞあれ」
「五隻や」ミラが修正してきた。
「先頭の艦が旗艦。後ろに四隻。中規模艦隊やな」
「五隻の軍艦を相手に三百人の島民と数十人の自警団で戦うんか」
「戦うんやない。守るんや」ダグが言った。「せやけど、五隻はきつい。ガルド、お前の風でどんくらい持つ」
「風だけで五隻分の砲弾を全部受けるんは効率悪い。船ごとひっくり返す方が早いけど、海兵まで巻き込むやろ」
「せやな。ほな副団長、船を壊さんと止める方法を考えろ」
「無茶振りが団長そっくりになってきたな、お前!」
電伝虫の向こうで、敵指揮官の声が再び響いた。
「自警団責任者は出頭せよ。さもなくば——」
「わしだ」
ワカバが電伝虫を取った。
ワカバの声は静かだった。いつも通りだ。煙草を吸うのと同じ調子で、軍艦の指揮官に向かって「わしだ」と言った。
電伝虫の向こうで、沈黙があった。
長い沈黙。
そして、指揮官の声が変わった。脅しの声じゃない。驚愕の声だ。
「その声……その体格……いや、まさか」
望遠鏡を構える音がした。
「“白羊大将”……! なぜ貴様が生きている!」
俺は、その言葉を聞いた。
白羊大将。
大将。
大将って、あの大将か。海軍の。世界政府の最高戦力の。あの大将か。
待て待て待て待て。
大将? 今、大将言うた? うちの父ちゃん、島の自警団長になる前の役職が海軍大将なん? 転職前後の落差が激しすぎるやろ。大企業の役員が町内会の防犯担当になっとるようなもんやぞ。いや比喩になっとらん。自衛隊の幕僚長が畑の防人になっとるレベルや。
十八年間。十八年間、元海軍大将と同じ屋根の下で暮らしてたのに聞かされた経歴が「昔ちょっと海に出てた」だけやったんやけど。
「ちょっと海に出てた」の規模に軍事組織の最高戦力を含めるな!
いや落ち着け。まだ確認してない。聞き間違いかもしれん。俺の見聞色は完璧ちゃうし、砲撃の音で耳もおかしくなっとるかもしれん。
でも電伝虫の向こうの男は、はっきりと言った。
「海軍を裏切った大将、“白羊”ワカバ……!」
聞き間違いちゃうかった。
ワカバパパが海軍大将やった。
俺の親父が。俺に素振りを教えて、飯を作って、熱を出したときに一晩中隣にいてくれた親父が。世界政府の最高戦力の一人やった。
「……父ちゃん」
「ガルド、今はええ」
「ええことないやろ! 大将って何や! 大将ってあの大将か!」
「あの大将や」
「なんで今まで言わへんかったんや!」
「言う必要がなかった」
「あるやろ! めちゃくちゃあるやろ! 18年越しに聞いたオトンの昔話を敵から聞くとか、俺どんな気持ちなったらええねん!?」
「そこかい」
「一番大事やわ! 今夜家族会議やで!? 二人しかおらんけども!?」
ワカバは煙草を取り出した。戦場のど真ん中で煙草や。この親父、神経が太すぎるんちゃうか。いや元大将ならこれが普通なんか。分からん。
ワカバは火をつけて、一口吸って、それから電伝虫に向かって言った。
「何か用か」
用があるから艦隊連れてきとるやろ。
電伝虫の向こうで、敵指揮官の声が震えている。怒りと驚愕が混じっている。
「海軍大将という地位を捨て、天竜人様の所有物を奪い、そのうえ今度は政府船から逃げた奴隷を匿うか。どこまで海軍の正義を踏みにじれば気が済む、“白羊”」
ワカバは静かに答えた。
「人間を所有物と呼ぶ正義なら、あの日に捨てた」
格好ええ。
格好ええけど息子としては事前説明を要求したい。敵艦隊から親の履歴書を読み上げられる身にもなってくれ。
「ここに荷物はない」ワカバは続けた。「おるのは自分の足でここまで逃げてきた人間だけや」
「貴様は海軍を裏切った」
「海軍を裏切ったんやない。人を守れんようになった海軍に、わしが従うのをやめただけや」
敵指揮官の声が更に高くなった。
「それでも貴様は海軍大将だった!」
「“元”や」ワカバは煙草を吐き出した。
「退職手続きは少し派手になったがな」
護衛部隊を壊滅させて逃亡することを退職手続きと言うな。円満退職から一番遠いわ。
俺は叫びたかったが、今は叫んどる場合やない。軍艦の砲門がまだ開いている。次の一斉砲撃が来れば、俺の風だけじゃ防げない。
「父ちゃん、話は後で。今はあれをどうにかせなあかん」
「そうやな」ワカバは頷いた。
「副団長、お前は港を守れ。わしは海へ出る。砲弾はお前の風と剣で捌けるやろ」
「一斉射撃の角度次第やな。俺が風で散らす。抜けた分は剣で斬る。父ちゃんは旗艦を頼むわ」
「分かった。お前が取りこぼした分はわしがやる」
「取りこぼす前提で話すなや。副団長の面子があるやろ」
「ほな、取りこぼすな」
相変わらず人使いが荒い。俺が自警団のナンバー二になっても、親父の中では五歳の頃に木を引っこ抜いて怒られたガキのままなんやろな。いや、あれは木刀の代用品やったんやけど。
「ダグ」ワカバが言った。
「住民の避難は」
「完了してる。全員高台の洞窟に入った。奴隷たちも一緒や」
「バオは」
「食料と水は洞窟へ運んだ」
「ネネは」
「負傷者の手当て完了。動ける奴は全員配置についとる」
ワカバは頷いた。
「ほな、始めるか。ガルド、副団長として指揮は任せるで」
始めるかって。戦争始めるんか。三百人の島と五隻の軍艦の戦争を。
でも拒否権はない。奴隷を返せば助かるかもしれんけど、返さないと決めたのは島の連中や。怖いけど返さへんと決めた。その決定を守るのが、俺たちの仕事や。
「ミラ」俺は言った。
「風向きと砲撃のタイミングを読んでくれ。いつ来るか分かった方が防ぎやすい」
「分かってる。北西からの風が強くなっとる。砲撃の合間に風が変わるから、その瞬間を狙え」
「ガロ、海中から船の底を見てくれ。もし上陸されたら船足を殺ぎたい」
「分かった」ガロは海へ消えた。
「ダグ、港の防衛班をまとめてくれ。俺は防波堤で風を出す」
「分かった。死ぬなよ」
「お前こそ」
俺は防波堤の先端に立った。前と同じ場所だ。でも前は漂流船を助けるためやった。今は軍艦を止めるためや。
同じ場所でも、やることの重さが違う。
電伝虫の向こうで、敵指揮官が最後の警告を出した。
「“白羊”ワカバ。最後の警告だ。奴隷を引き渡し、政府船を返還せよ。さもなくば——」
「せん」
ワカバは、短く言った。
「何があっても、せん」
沈黙。
それから、指揮官の声が冷たくなった。
「全艦、砲撃用意」
来る。
俺は両手を広げた。風を集める。湿った空気を腕の中に呼び寄せる。雲が頭上に集まり始めた。俺だけの雲だ。灰色の、重い雲。
「一斉砲撃——始め!」
五隻の軍艦の砲門が一斉に火を吐いた。
砲弾の数は——多い。多すぎる。数十発。
見聞色が叫ぶ。あちこちから来る。右、左、正面、上。全部同時には防げない。
俺は風を壁にした。防波堤の前に、風の壁を作る。ただの力押しやない。未来視で砲弾の密度が薄い場所を探し、風向きを一発ずつ変える。
一発、二発、三発。風の壁に当たって軌道が逸れる。海へ落ちる。
四発、五発。風壁を抜けてきた二発を、俺は木剣に武装色を流して打ち返した。海上で爆ぜる。……木剣がミシッと鳴った。頼むから今は折れるな。
六発、七発。上から来る。高角砲弾や。上空の気流を捻って軌道を変える。八発目までまとめて海へ落とした。
「上から来とる!」ミラが叫ぶ。
「分かっとる! 今やっとる!」
俺は上空へ風を回した。横からの砲弾は双子が弾き、ダグの錨が一発を叩き落とす。副団長っちゅうんは、全部一人でやる役職やない。味方を使って守り切る役職や。……そう親父に教わったのは、昨日の晩やった気がする。
一発が倉庫の端を掠め、木の壁が吹き飛ぶ。
次の一発が——防波堤に当たりそうになった。俺は剣を返したが、親父の方が半歩早い。
その瞬間、横から剣圧が来た。
ワカバが剣を振っていた。
ただ振っただけに見える。でも空気が割れる音がした。砲弾が空中で真っ二つに割れて、両側へ逸れていった。
十発目。十一発目。ワカバの剣が、砲弾を斬る。砕く。逸らす。
俺は見た。十八年間、嫌というほど打ち合ってきたワカバの剣術を。稽古ではなく、守るべきものを背負ったときの剣を。
派手じゃない。
派手じゃないんや。
ワカバの剣は、敵を斬り倒すための剣やない。攻撃を受け流す剣や。砲弾の軌道を逸らす剣や。衝撃を地面へ逃がす剣や。何も壊さずに、何も殺さずに、ただ守る剣や。
「守りの剣豪」。
昔から知っとる呼び名やけど、この瞬間、俺はようやく本当の意味を理解した。ワカバの剣は守るためにある。そして今、俺も同じ場所に立っとる。まだ勝てへんけど、隣に並ぶことくらいはできる。
砲撃が止まった。
煙が晴れた。
港の一部は壊れた。倉庫が半壊している。桟橋に穴が開いている。でも、人は死んでいない。防波堤は持った。俺の風と、ワカバの剣で、全部の砲弾を防いだわけちゃう。何発かは逸らした。何発かはワカバが斬った。残りは——外れた。運が良かったんやない。ワカバが位置取りを変えて、当たっても被害の出ない方向へ砲弾を誘導しとったんや。俺は今それに気づいた。
「父ちゃん、今の——」
「まだ終わってへん」
ワカバは剣を構えたまま、海を見ていた。
軍艦が動いている。接岸してくる。上陸のつもりか。
「上陸してくるなら、海上で止める」
ワカバが前に出た。
「ガルド、港の指揮は任せた。上陸されたら住民と避難してきた連中を守れ」
「父ちゃん、旗艦を頼む。残りはこっちで何とかする」
「頼んだで、副団長」
「言われんでも。今度こそ俺が全部取ったるわ」
「ほう。ほな、帰ったら久しぶりに一本勝負やな」
げ。勝負の予約が入ってもうた。砲撃よりそっちの方が怖いんやけど。
「ダグ!」俺は振り返った。「俺は港へ戻る。上陸班を組んでくれ」
「もう組んどる。トーマ、トーラ、お前らが先頭や。ガルドの横に立て」
双子のボルト兄弟が前に出た。十八歳。俺と同い年。片刃斧をそれぞれ二本ずつ持っている。身長は百九十センチくらいだが、腕力は自警団でトップクラスだ。
「ガルド兄、任せろ」トーマが笑った。
「兄ちゃう。副長や」
「兄の方がええわ」トーラが笑った。
「呼び方どうでもええから構えろ。来るで」
軍艦の小舟が降りられた。海兵が乗っている。数十人。銃と剣を持っている。
俺は防波堤の上に立った。四百五十六センチ。武装色で補強した木剣を構える。副団長が前に出れば、後ろの連中も落ち着く。……たぶん。
風を起こした。横風だ。小舟が揺れる。海兵が慌てる。
「風が変わった! 進まん!」
「何だこの風!」
俺の風や。悪いか。
風を強める。小舟が横に流される。港への接岸を遅らせる。
でも全部は止められない。二隻目の小舟が風の弱い側面から回り込んできた。
「ダグ、右から来る!」
「分かっとる! トーマ、トーラ、右側だ!」
双子が走った。斧を構えて桟橋の端に立つ。
小舟が桟橋に当たった。海兵が飛び降りてくる。
「突撃せよ! 奴隷を奪還しろ!」
海兵の号令が響いた。
俺は防波堤から飛び降りた。四百五十六センチの体が、桟橋の石畳に着地する。石が割れる。衝撃で海兵が数人よろめいた。
「通さんでええ。言うたやろ」
海兵の一人が剣を振ってきた。俺は木剣で受けた。鉄と木がぶつかる。木剣に深い傷が入る。もうそろそろ限界や。この木剣、十五歳から使っとるからな。そろそろ鉄の剣が欲しい。
武装色を右の拳にまとった。拳が黒く硬くなる。海兵の腹を殴った。吹き飛んだ。
「うおっ、でかいのがいるぞ!」
「あれが島の怪物だ!」
怪物って。俺まだ十八歳やぞ。名前もついとらんのに。
海兵たちが囲んでくる。十人、十五人、二十人。多すぎる。
見聞色が反応する。右から剣。左から銃。正面から槍。
未来が見える。静かに集中できれば三分先まで読めるが、今は乱戦や。一秒先に絞って、分岐を拾う。剣が右肩に来る。銃が左足に来る。槍が腹に来る。
分かっても、全部を俺一人で防ぐ必要はない。
俺には仲間がおる。
俺は右の風を出した。横風で海兵を吹き飛ばす。三人が港へ転がった。左の銃弾は武装色で硬化した左腕で弾く。痛いけど耐えられる。正面の槍は木剣で薙ぎ払う。
「ガルド! 後ろ!」
ダグの声。
振り返る。後ろから海兵が二人。剣を振り上げている。
ダグの錨が飛んできた。二人を薙ぎ倒した。
「背中預けろ言うたやろ!」
「預けとる! 預けとるから今助けてくれたんやろ!」
「預けとるなら俺が助けに来る前に倒せ!」
「無理言うな!」
戦いは泥沼になりかけた。海兵の数が多い。俺たちの数が少ない。一人倒しても二人来る。
でも、海兵たちは士気が低かった。本気で戦っている奴と、嫌々戦っている奴が混じっている。政府船の逃亡奴隷を取り返すための戦闘に、全員が命を懸けているわけじゃない。
「なんで俺たちが奴隷取り戻すだけで命賭けなきゃなんねえんだ」
一人の海兵が呟いた。聞こえた。俺の見聞色は、戦場のざわめきの中でも個人の感情を拾えるようになっている。
「上の命令だろ! やらねえと俺たちが罰される!」
「でもあいつ、子供を守ろうとしてるぞ。あのデカいの」
「怪物だ! 怪物を倒せ!」
怪物。また怪物。俺は怪物ちゃう。名前もまだついとらんのに。
そのとき、海面が割れた。
ガロだ。
ガロが水中から飛び出して、軍艦の底に何かを仕掛けた。爆発音。いや、爆発ちゃう。船底に穴を開けた音だ。魚人の握力で船の外板をへこませて、浸水させたんか?
「一隻、足止めした!」ガロが水面から叫んだ。
「やったか!」
「完全には沈めへん! でも接岸はできん!」
一隻減った。残り四隻。
でもまだ四隻ある。
そのとき、海の向こうから、別の音が聞こえた。
風が変わった。いや、風が止んだ。
ワカバの戦場の方角だ。
俺は見た。
遠くの海上で、ワカバが軍艦の甲板に立っていた。いや、軍艦の間に立っていた。二隻の軍艦の間に、小舟に乗って、剣を構えている。
二隻の軍艦の砲撃を、一人で受け流している。
砲弾が来る。ワカバが剣を振る。砲弾が割れる。もう一発。剣を振る。逸れる。もう一発。
全部防いでいる。
五隻の軍艦の砲撃と上陸部隊を、ワカバと俺を軸に自警団の連中で受け止めている。
普通なら無理やろ。せやけど、普通の島に元大将と、その息子で自警団副団長がおるかいな。おまけに錨を振り回す自称右腕までついてくる。人材配置どうなっとんねん。
でもワカバはやっている。
元海軍大将「白羊」が、守りの剣で、全弾を受け流している。
「海軍を捨てた貴様が、今さら何を守るというのだ」
電伝虫が拾ったのか、風に乗って指揮官の声が聞こえた。
ワカバの声が返った。
「海軍におった頃から、守りたかったもんは変わっとらん。助けを求めとる人間を守る。それができん組織やったから、わしが出ていっただけや」
敵指揮官が何か叫んだが、風で聞こえなかった。
代わりに、別の音が聞こえた。
ワカバの剣が、軍艦のマストを斬った音だ。帆が落ちる。船が進めなくなる。
一隻。二隻。ワカバが剣でマストを落としていく。
三隻目のマストが落ちたとき、残りの軍艦が後退し始めた。
退いた。
五隻の艦隊が、ワカバと俺たち自警団に押し返された。旗艦を抑えた親父の功績が一番でかい。せやけど港を守り切ったのは、俺たち全員や。
戦闘が終わった。
夜が明けていた。朝の光が、壊れた港を照らしている。
桟橋は半壊している。倉庫は全壊している。防波堤に穴が開いている。でも、人は死んでいない。島民も、自警団も、奴隷たちも、そして不思議なことに海兵も——ワカバが殺さなかったから。
ワカバパパが戻ってきた。
小舟で港に戻ってきた。服は破れていない。髪も乱れていない。煙草をくわえている。
「終わったか」
「終わったんか? あれで?」
「あれでや」
「旗艦の相手を一人でやって、ようそんな平然としとれるな」
「お前らが港を守ったから、わしも海で好きに動けたんや。副団長、ご苦労やったな」
理屈が分からん。でも終わったなら終わったでええ。
俺は防波堤に座り込んだ。全身が疲れている。風を操り続けた腕が重い。武装色を使った拳が痛い。まだまだ親父ほど余裕はない。せやけど、昔みたいに稽古のたび一方的に転がされるだけの俺でもない。
ダグが隣に座った。
「ガルド、生きとるか」
「生きとる。たぶん」
「たぶんでええ。確認してから座れ」
「座っとるから確認できんのやろ」
ネネが来た。俺の腕を診ている。
「筋肉が炎症しとる。二、三日は風を出すな」
「二、三日? 戦闘中に言われたら困るんやけど」
「戦闘は終わったやろ。大人しくしとけ」
ネネに逆らえない。十八歳でも逆らえない。
ワカバが、俺の前に立った。
「ガルド」
「何や」
「話すことがある」
「今さら? もう敵艦隊から全部バラされた後やけど」
「せやから話す」
「順序が逆やろ」
「わしの人生や。順序はわしが決める」
俺は起き上がった。膝が痛い。でも立った。
ワカバと二人で、港の端に座った。朝の海が穏やかだ。昨日の砲撃が嘘みたいに静かだ。
ワカバは煙草を吸って、それから短く話し始めた。
「わしはな、昔、海軍大将やった」
「知っとる。敵が大声で言うてたから」
「当時の異名は“白羊”やった」
「それも知っとる」
「天竜人が行う奴隷狩りの護衛任務に派遣されたことがあった」
「……それで」
「現場で見た。天竜人が人間を狩る様子を。子供もおった。女もおった。老人もおった。縄で縛って、檻に入れて、船に積んでいく。家を焼いて、抵抗する者を殺して」
ワカバの声は、静かだった。怒りがない。悲しみもない。ただ事実を述べている。
「わしは上司と意見が合わんようになってな」
「意見の相違で海軍大将が失踪して政府艦隊に追われるか!」
「ちょっと上司と揉めて、退職した」
「護衛部隊を壊滅させて逃亡することを退職と言うな。円満退職から一番遠いわ!」
遠くで「天竜人の護衛部隊を壊滅させておいて、意見の相違で済ませるな!」と誰かが叫んだ気がした。幻聴かもしれん。でも敵指揮官の声に似とった。
「敵側から詳細情報を追加すんな! 親子間の情報共有が敵に負けとる!」
ワカバは煙草を揉み消した。
「昔の話や」
「政府が艦隊を連れてきとる時点で現在進行形や。昔の話ちゃう」
ワカバは俺を見た。五十代の、皺の深い顔。舘ひろしを思わせる渋い顔立ち。いや、この世界で舘ひろしを知る者は俺しかいないか。
「捕らえられていた人々を解放して、海軍を出た。その後しばらく海をさまよって、最終的にこの島へ辿り着いた。それだけや」
「それだけって。それだけの話を十八年間黙っとったんか」
「聞かれなかったから言わんかった」
「聞くわけないやろ。大将だったかって聞く機会があるか」
「ほな聞かんかったわしも悪いし聞かなかったお前も悪い」
「俺は悪くない。被害者や」
「被害者ちゃう。息子や」
俺は口を閉じた。息子。そうや、息子や。大将だろうが何だろうが、俺の親父はワカバや。十八年間飯を作ってくれて、剣を教えてくれた人や。
「父ちゃん」
「何や」
「白羊号の“白羊”って、父ちゃんの大将時代の異名やったんか」
ワカバは頷いた。
「あれは、この島に来てから造った船や。大将時代に乗ってた船ちゃう。島の連中と一緒に造ったんや」
「名前は」
「他に思いつかんかったから、昔の異名をつけた」
「自分の昔の異名を船名にしたん?」
「分かりやすいやろ」
「父ちゃん、格好ええ過去に対して命名能力だけ妙に雑やな! 俺の名前も嵐の日に拾ったからガルドやったし、命名に気を使ったことないやろ!」
「ガルドはええ名前やろ」
「ええ名前やけど経緯が雑なんや」
ワカバは笑った。低く、短く笑った。
「ほな、これからどうする」
「どうするって」
「政府が来た。お前の正体が知れた。また来るで」
「来るやろうな」
「来たらまた戦うんか」
「せやな」
「島が巻き込まれるで」
「巻き込まれる」
「それは俺がおるからや。俺がおらんければ政府はこんな島に来へん」
俺は、その言葉の重さを感じた。
ワカバがこの島におるから政府が来た。ワカバが奴隷を返さなかったから艦隊が来た。でも、根本的な原因はワカバの存在そのものだ。元海軍大将が生きていることが、世界政府にとって脅威なんや。
「父ちゃん、俺が考えとることがある」
「聞く」
「俺が海へ出る。政府の目を島から逸らす。俺が海賊になれば政府は俺を追う。俺が目立ち続ければ父ちゃんのことは忘れるかもしれん」
「なるほど」
「どうや」
「アホやな」
「アホって」
「お前が海賊になって目立てば、政府はお前を追う。せやけどお前が目立てば目立つほど、お前の周囲の人間も目に入る。わしのことも、この島のことも、お前の仲間のことも全部」
「……」
「一人で目立って一人で逃げればええというても、世界はそんなに単純やない」
俺は黙った。
ワカバは煙草を取り出さなかった。代わりに、俺の方を向いた。
「ガルド、お前は何のために海へ出るんや」
「……島を守るためや。俺が政府の目を引けば、少しは父ちゃんらへの追及も減るかもしれん」
「それだけか」
「それだけって、十分大きな理由やろ」
「そうやな。せやけど、お前は昔から、この島の外におる人間まで助けようとしとったやろ」
俺は黙った。
漂流船から助け出した奴隷たちの顔が浮かんだ。あの連中がこの島に流れ着かへんかったら、俺は何も知らんままやったかもしれん。
「父ちゃん、俺が海へ出たら島は」
「わしがおる」
「でも父ちゃん一人で」
「わし一人やない。お前らが連れて行く連中以外にも、自警団も島の連中もおる。誰が残るかは、これから皆で決めたらええ」
「でも」
「ガルド」
ワカバは俺の目を見た。
「恩は返すものやない。受け取ったものを、次の奴へ渡せ」
恩は返すものではない。受け取ったものを、次の奴へ渡す。
ワカバが俺に教えたこと。剣の振り方も、覇気の使い方も、飯の作り方も、全部。
いや、飯の作り方に関しては若干疑問が残る。親父の料理、基本的に焼くか煮るかの二択やし。味付けは塩。文明の発展を拒否しとる。
「俺が受け取ったもんを次の奴に渡すには、海へ出なあかんのか」
「それはお前が決めることや。ただ、海へ出れば、この島では出会えん人間にも手を伸ばせる」
「……せやな」
俺は港を見渡した。
壊れた桟橋。砲撃で穴の開いた防波堤。修理の段取りを話し合う自警団の連中。
ここは俺の故郷や。
この島を守りたい。せやけど、この島に帰るためだけに、ずっとここにおる必要はない。
「父ちゃん」
「何や」
「ありがとう」
「礼はいらん。行け」
「いや、まだ出航の準備もできてへんのやけど」
「ほな準備せえ」
「余韻! 親子の感動的な別れの余韻をもうちょっと大事にせえ!」
ワカバは笑った。低く、短く笑った。
この親父には一生勝てる気がせん。剣でも、口でも。
---
俺が海へ出ることを決めたのは、その日の昼だった。
理由は二つ。
一つ。政府がワカバの生存を知った。また艦隊が来る。俺が島にいても、政府の目は島から離れない。俺が海へ出て目立てば、少なくとも俺への注意が分散するかもしれない。もちろん、親父の言う通り、俺が目立てば島まで余計に注目される危険もある。そこは覚悟せなあかん。
二つ。俺が守れる範囲が、この島だけやったら、この島で終わる。船の中にいた奴隷たちを見た。あの怯えた目。あの細い腕。あの首輪。あれはこの島だけの問題やない。海の向こうにもある。俺が海へ出れば、もっと広い場所で、もっと多くの人を守れるかもしれない。
「ガルド、俺も行く」
ダグが言った。
「当たり前やろ。お前一人で海に出したら沈むぞ」
「泳げへんのは知っとる」
「知っとるならなんで行くなって言わんのや」
「お前がおらんかったら、誰がツッコむんや」
「俺はボケとるわけちゃう。あと俺は船長になる気か」
「なったらええやないか。船長。ワカバの息子やから、海へ出るんやろ」
「ワカバの息子やから海へ出るんちゃう。自分で決めたんや。自分で選んだんや。自分の人生を」
ダグは、黙って俺を見た。
「かっこつけよって。行くぞ。海へ」
「もう決めたんか」
「決めた。お前を追いかけて海に出なあかん気がする」
「俺が海賊になるとしてもか」
「お前と一緒なら海賊でもなんでもええわ」
ダグ・ハーケンとの船出は、そうやって決まった。
まだ船はある。白羊号がある。ワカバの古い船が、港に係留されている。
俺は港の端から白羊号を見た。帆は白い。船首に白羊の飾りがある。
俺はまだ十八歳。島の自警団副団長で、実質ナンバー二。アラアラの実と、発展途上の覇気と、使い慣れた木剣を持った、ただの大きな青年や。
この先、何が起きるのか。どうせろくでもないことやろ。ふざけた世界やから。
でも、自分で決めた道や。自分の足で進む。
自分の帰る場所を、自分で選ぶために。
俺は海へ出る。