第一次世界大戦という未曾有の総力戦において、泥沼の塹壕線を乗り越えるために生み出された兵器が「戦車」であるならば――そのすぐ隣で、暗黒の産声を上げたもう一つの兵器が存在した。
毒ガス。
塩素ガス、ホスゲン、マスタードガス。
肺を溶かし、皮膚を爛れさせ、あまりにも非人道的な苦痛と死傷者をもたらしたそれらの化学兵器は、大戦後に国際条約によって戦場での使用が厳格に禁止されることとなった。
その惨禍を知るフリストフォルにとって、無差別な致死性毒ガスを解き放つことなど、人道面でも、何より国際世論を味方につける外交戦略の上でも絶対に許容できるものではなかった。
しかし同時に、彼は戦略家として冷徹に理解していた。
地下に潜り、強固なトーチカや塹壕に亀のように閉じこもる敵兵を炙り出す上で、気体兵器の持つ効果は「絶対的」であるという事実を。
だからこそ、フリストフォルが化学工兵たちに極秘裏に開発させたのは、命を奪う毒ガスではなく――強烈無比な「催涙ガス兵器」であった。
フリストフォルが調合を指示したのは、前世の知識と極東の物資を組み合わせた、身近でありながら凶悪な刺激剤のブレンドであった。
燃焼させることで喉にへばりつくような粘膜刺激を生む日本の線香の粉末。
極東や中東から掻き集めた唐辛子から抽出した高濃度カプサイシン。
さらには、酸性とアルカリ性の薬剤を反応させて瞬時に噴出させる、白煙と刺激性の複合ガス。
それらを薄い鉄板のキャニスターに詰め込み、導火線付きの「催涙手榴弾」や、迫撃砲で投下する「催涙発煙弾」へと仕立て上げたのである。
重たい刺激性の白煙は、空気よりも重い性質を持つため、投げ込まれれば吸い込まれるように塹壕の底や地下壕へと沈み込んでいく。
ひとたびそれが塹壕内で炸裂すれば、地獄の釜の蓋が開いた。
致死性ではない。
しかし、唐辛子と刺激煙の洗礼を浴びた兵士は、目から滝のように涙を流し、焼けるような激痛に視界を完全に奪われ、喉を掻きむしって激しく嘔吐する。
息を吸おうにも肺が拒絶し、まともに目を開けることすら叶わない。
銃を構えて照準をつけるなど、生物学的に不可能であった。
そして、この催涙ガスこそが、フリストフォルが考案した「シールド歩兵」の真価を極限まで引き出すピースとなった。
防塵用の濡れ布や初期型の防護眼鏡を装着したロシア歩兵部隊は、催涙弾を撃ち込んで敵の防衛線を無力化させた後、悠然と前進を開始する。
ファランクスの如く強固なタワーシールドの壁を組み、シールドの陰から一方的な制圧弾幕を浴びせながら、塹壕へと肉薄していくのだ。
敵からの正確な反撃射撃は、白煙と涙の前に完全に沈黙しているため、味方の被害は奇跡的なまでに最小限に抑えられる。
塹壕に到達した後の掃討戦術も、徹底して合理的であった。
「悶えて大人しく地面に転がっている敵は、そのまま放っておけ」
それがフリストフォルの定めた交戦規定であった。
激痛にのたうち回り、武器を落としてうずくまっている兵士は、もはや脅威ではない。
わざわざ銃剣で突き殺す必要などなく、後続の部隊が安全に捕虜として回収すればよいのだ。
もしも、呼吸困難に耐えかねて塹壕の壁を這い登り、外へ飛び出してのたうち回る敵兵がいれば――シールドを構えた兵士が長靴で無慈悲に蹴り転がし、再び塹壕の中へとリターンさせる。
外をうろつかれて反撃の機会を探られるのを防ぎ、煙の中で大人しくさせておくための冷徹な処理であった。
だが――。
「涙と鼻水に塗れながらも、立ち上がって銃を構えようとする敵だけは、躊躇うことなく撃ち殺せ」
それだけは厳格に徹底された。
視界を奪われながらも戦意を捨てない敵は、至近距離からのモシン・ナガン歩兵銃の斉射によって即座に排除される。
亀のように防衛陣地に立て籠もり、味方に多大な流血を強いてきた敵兵を、煙で強制的に炙り出し、無力化し、戦場を一方的に制圧する。
命を奪う化学兵器ではなく、戦闘能力のみを奪う非致死性の刺激ガス――。
「……恐ろしい兵器ですな。敵の誇りも勇気も、涙と鼻水に変えてしまうとは」
演習を視察した陸軍将校が、青ざめながら呟いた。
どれほど勇敢な古参兵であろうと、目を焼かれ息を止められれば、ただの無力な赤子のように地べたを這い回るしかない。
「誇りで戦争に勝てるなら、軍隊はいらないよ」
帝都の執務室で、アナスタシアに剝いてもらった蜜柑を口に運びながら、フリストフォルは事も無げに鼻を鳴らした。
「敵の命を無駄に奪わず、こっちの兵隊も無駄に死なせない。……勝つってことは、こういうことだよ」
悪魔の所業のようでありながら、結果として両軍の流血を最も少なく抑え込む究極の塹壕制圧ドクトリン。
幼き専制君主が紡ぎ出す新兵器の体系は、日露の戦場のみならず、やがて訪れる世界大戦の様相すらも根底から書き換えようとしていた。
◇◇◇
ウラル山脈を越え、バイカル湖の険しい南岸を迂回するシベリア鉄道の複線区間を、無数の軍用列車が東へ向かってひた走っていた。
吐き出される黒煙が冬の凍てつく空にたなびく中、延々と連なる無蓋車の上には、分厚い防水帆布で厳重に覆われた「異形の塊」が幾重にも固定されていた。
トラックの車体に防弾鋼板をボルト止めした装甲車。
無限軌道を軋ませながら鈍重に佇むトラクター戦車。
そして、有蓋貨車の奥深くに整然と積載された無数の木箱――そこには、帝都の兵器廠から送り出されたばかりの多種多様な最新鋭装備が眠っていた。
目的地は、乾いた砂塵が舞う満州平原。
日露戦争という、生身の人間同士が命を削り合う現実の戦場こそが、フリストフォルの頭脳から生まれた新兵器たちにとって、これ以上なくおあつらえ向きの実戦試験場であった。
兵器の真価は、演習場の的を撃ち抜くだけでは決して分からない。
実戦の泥にまみれ、敵の反撃の銃弾を浴び、極限状態に置かれた兵士の手で扱われて初めて、設計の歪みや真の強みが浮き彫りとなるのだ。
満州の最前線基地に列車が滑り込み、幌が剥ぎ取られた時、前線で泥にまみれていたロシア兵たちは息を呑んで立ち尽くした。
「……なんだ、この化け物たちは?」
「ペテルブルクの小さき殿下が、俺たちにくださった『鉄の盾』だ!」
現れたのは、これまでの戦争の常識を覆す兵器の群れであった。
鉄条網を軽々と踏み越えるトラクター戦車や、歩兵を乗せて疾走する装甲車、そして一人ひとりに支給された軽量トラス構造の防弾シールド。
さらに、工兵隊の木箱から取り出されたのは、従来の黒色火薬や綿火薬の常識を塗り替える特殊弾薬の数々であった。
敵を窒息と涙の海に沈めるカプサイシンと酸アルカリの「催涙弾」。
そして――夜の戦場を支配するために用意された、マグネシウムを用いた「閃光弾」と「照明弾」であった。
日露戦争における日本陸軍は、日中の火力戦でロシアに劣る分を補うため、闇夜に乗じた「夜襲」を極めて得意とし、多用していた。
灯火を消し、抜き身の銃剣を煌めかせて闇の中から突如として塹壕へ雪崩れ込んでくる白兵突撃は、ロシア守備隊にとって最大の心理的脅威となっていたのだ。
だが、フリストフォルが送り込んだ新兵器は、その日本の伝統的な戦術の急所を、完膚なきまでに叩き潰すものであった。
パラシュート付きのマグネシウム照明弾が夜空高くに打ち上げられれば、数万カンデラの純白の閃光が戦場を真昼のように照らし出す。
闇という唯一の隠れ蓑を剥ぎ取られた日本兵は、ロシア軍の機関銃座の前に剥き出しの標的として晒されることになる。
さらに、塹壕やトーチカへの突入戦においては、小型のマグネシウム閃光弾が威力を発揮する。
狭い空間へ投げ込まれた瞬間に炸裂する強烈無比な閃光と轟音は、直視した敵兵の網膜を焼き、三半規管を激しく狂わせる。
視界を真っ白に奪われ、平衡感覚を失って千鳥足になった敵陣へ、シールドを構えたロシア歩兵が悠然と踏み込んでいくのだ。
「……殿下の仰った通りだ」
前線で受領検査に当たっていた第1シベリア軍団の指揮官は、手にした閃光弾を凝視しながら、身震いとともに呟いた。
「この装備があれば、我が軍の損害は激減し、敵は戦う形すら保てなくなる。……これは戦争ではない。近代兵器による、一方的な外科手術だ」
装甲車が道を拓き、トラクター戦車が塹壕を跨ぎ、空からは照明弾と催涙ガスが降り注ぎ、閃光弾で目を眩まされた敵を、シールドの壁が確実に押し潰していく。
帝都の宮殿で、姉アナスタシアに甘えながら三歳の幼児が書き殴った設計図。
それが今、数千キロ彼方の極東の荒野において、数万の将兵の命を奪い、あるいは救うための冷徹な鋼鉄の暴力となって、満州の乾いた大地にその爪を立てようとしていた。
◇◇◇
フリストフォルはチヨノーチェが淹れてくれた温かい緑茶をすすりながら、手元の報告書に目を落としていた。
それは極東の戦況ではなく、帝都サンクトペテルブルクから送られてきた国内各都市の「工場・鉱山監察報告」であった。
自らの提言によって空中艦隊が建造され、国家の最高軍事方針すら塗り替えたことで、フリストフォルは皇帝ニコライ二世から絶大な信任と、三歳の幼児としては前代未聞の政治的発言権を獲得していた。
そして、その発言権を彼が何に行使したかといえば――ロシア帝国の屋台骨を揺るがしかねない、苛烈極まる「労働環境の是正」、すなわち国家規模の働き方改革であった。
当時のロシアにおける労働実態は、前世で会社勤めを経験していたフリストフォルからすれば、正気の沙汰とは思えない地獄絵図であった。
薄暗く煤煙の立ち込める工場で、一日十二時間から十四時間にも及ぶ過酷な重労働。
休日は週に一日あるかないかで、安全対策など皆無。
結核や珪肺で血を吐いて倒れれば路傍に捨てられ、代わりの貧農が補充される――文字通りの「人間使い捨て社会」である。
1905年の『血の日曜日事件』を引き起こした民衆の嘆願書に何が書かれていたか。
その筆頭こそが「八時間労働制の導入」と「最低限の人間的処遇」であったのだ。
(労働者は使い捨ての歯車じゃない。すり減って欠けた歯車を無理に回し続ければ、いずれ機械そのものが爆発してぶっ壊れる……そんなの、ビジネスマンにとっちゃイロハのイだろ)
彼らもまた血の通った人間なのだ。
基本的人権に沿った権利を与え、心身を健康に保たせることこそが、結果として不良品を減らし、工場の生産性を最大化させる最も合理的な投資である。
世間では「労働者の権利」と口にすると、すぐに過激な「共産主義者」のスローガンが連想されがちであったが、フリストフォルからすれば、そんな赤い思想など持ち出さずとも、人間が人間らしく働くための権利が守られるのは「資本主義社会の維持において当然の前提」に過ぎなかった。
フリストフォルが父帝ニコライ二世を動かし、皇帝勅令として発布させた労働法規は、当時の世界水準を半世紀以上も先取りした驚天動地の代物であった。
第一に、午前九時始業を基準とした「1日8時間労働制」。
午前10時に10分、正午に1時間、午後4時に10分の休憩を挟み、午後5時には終業の鐘を鳴らさせる。
工場の操業効率を落とさぬよう、午後6時から午前2時までの遅番、午前3時から午前8時までの早番・深夜番を組み合わせた「三交代制」を導入。
そして深夜労働に従事する者には、明確な割増賃金としての「深夜手当」の支給を義務付けた。
第二に、個人のローテーションによる「週休2日制」の制定。
さらに、理由を問わず取得可能な「有給休暇」と、女性労働者のみならず男性にも適用される「育児休暇」の権利を明文化させた。
そして第三に、過酷を極めていた炭鉱や金属鉱山における「安全衛生基準」の徹底である。
防塵マスクがまだ存在しない時代にあって、鉱夫たちには口元を覆う目の細かい布の着用を厳命した。
ほんの一枚の布切れであっても、吸い込む粉塵を減らし、鉱夫たちの肺を珪肺の恐怖から守るための現実的な防護壁となる。
さらに、ダイナマイトによる発破作業を行った現場は、落盤の危険を考慮して「丸一日の立ち入り禁止」を義務化。
これらに加え、危険な職務には「危険手当」を、熟練工にはその技術を正当に評価する「技能手当」を上乗せして給付させた。
当然ながら、資本家や工場主たちからは猛烈な反発の声が上がった。
「そんな甘言を許せば工場が破綻する」「社会主義者の回し者ではないか」と騒ぎ立てる強欲なブルジョワジーに対し、フリストフォルが振り下ろした槌は、専制君主国家の権力を極限まで悪用した冷酷無比な一手であった。
勅令を破り、労働者を不当に搾取した鉱山や工場は、即座に帝室監察官の「ブラックリスト」に登録され、抜き打ちの行政指導が入る。
それでも改善が見られなければ――その工場の「運営権」を剥奪し、容赦なく国営企業へと強制改編する。
私有財産の没収を恐れた資本家たちは、青ざめて膝を屈した。
彼らは血眼になって工場の換気扇を回し、時計を睨みながら労働者を定時に帰宅させ、手当の小銭を積み上げる羽目になったのである。
その結果、何が起きたか。
工場の稼働率は落ちるどころか、劇的な跳ね上がりを見せた。
十分な睡眠を取り、家族と過ごす時間を手に入れ、揚げたてのジャガイモを腹一杯に食べた労働者たちは、前代未聞の活力をもって機械に向かったのだ。
疲労による産業事故は激減し、前線へ送られる砲弾や小銃の初期不良率は半分以下へと激減した。
そして何より――この改革は、ロシア国内で蠢いていた革命思想家たちの足元を、完全に根こそぎにしてしまった。
ウラジーミル・レーニンをはじめとする亡命革命家たちが、地下組織を通じて「万国の労働者よ、団結せよ! 八時間労働を勝ち取れ!」と扇動しようにも、現場のロシア人労働者たちは首を傾げるばかりであった。
『……おい、あのアカの野郎は何を言ってるんだ?』
『8時間労働なら、フリスチューシュカ殿下がとっくに下さったぞ』
『先週も有給を取って、子供と川へ釣りに行ってきたばかりだ』
『おまけに今夜の夜勤は手当が弾むからな。帰りに熱々のフライドポテトを買って帰るんだ』
革命のスローガンが、何一つとして労働者の胸に響かない。
労働者が求めていた切実な願いを、赤色革命ではなく、三歳の皇子が皇室の慈悲と近代的な経営論によって先回りして満たしてしまったのだから、扇動など成立するはずもなかった。
「……ふふ、あいつら、今頃スイスのカフェで頭を抱えて発狂してるんじゃないかな」
報告書を閉じ、フリストフォルは楽しげに喉を鳴らした。
労働者の胃袋を満たし、生活の権利を保障し、革命の導火線を物理的に切断する。
怠惰な平穏を守るための彼の布石は、すでにロシアという帝国の社会構造そのものを、誰も手出しのできない強固な城塞へと作り変えていた。
◇◇◇
ロシアの広大な大地を支える作物――その筆頭たるのは「ジャガイモ」である。
フリストフォルが帝都で成し遂げていたもう一つの内政的偉業が、まさにこの大地に巨大な変革をもたらしていた。
彼が宮廷厨房で開発したポテト関連のレシピと、板スライサーをはじめとする調理器具の設計図は、惜しげもなく帝国全土の民草へと公表されていたのである。
従来のロシアにおける庶民の芋料理といえば、皮ごと大鍋でただ茹でるか、味気ない塩辛いスープに放り込む程度のものであった。
過酷な冬を越すための飢えしのぎに過ぎず、美味を追求する対象とは見なされていなかったのだ。
だが、幼き皇子が民衆に与えたのは、革命的な「美食」と「カロリー」の魔術であった。
ジャガイモも、油も、塩も、貧しい民草の手ですら十分に手に入る。
町角の金物鍛冶が王室御用の設計図を真似て安価な板スライサーを叩き上げると、ロシアの食卓の風景は一変した。
薄く削いだ芋を油でカラリと揚げた「ポテトチップス」の小気味よい歯応え。
棒状に切って香ばしく揚げた「フライドポテト」のホクホクとした甘み。
人参の薄切りと挽いたコショウさえあれば、わずかな酢と塩で驚くほど美味しく仕上がる「ポテトサラダ」。
そして何より、熱々に蒸し上げた大ぶりの芋を割り、手に入る限りのバターやマーガリンを落とし込む「じゃがバター」の濃厚な背徳感――。
あるいは、ただ蒸かしたての芋に粗塩をほんの少し振りかけ、皮ごと豪快に齧るだけでも、引き出された芋本来の滋味に誰もが目を丸くした。
これまで喉を通すだけの泥臭い塊だったジャガイモが、子供から大人までが歓声を上げて奪い合う「極上のご馳走」へと変貌を遂げたのだ。
そしてこの料理革命は、単に民衆の舌を喜ばせるに留まらなかった。
極寒の冬を耐え忍び、過酷な工場労働や農作業に追われるロシアの庶民にとって、これらは何よりも不足していた「高カロリー爆弾」として機能したのである。
炭水化物に油脂と塩分を掛け合わせることで、安価かつ爆発的な熱量を胃袋へと叩き込むことができる。
工場の門前には、揚げたてのフライドポテトを新聞紙に包んで売る屋台が立ち並び、労働者たちはわずかな銅貨で腹を満たし、体温を取り戻して家路についた。
冬の寒さに凍える農村でも、塩と脂を纏った蒸かし芋が、子供たちの頬を健康的な赤色へと染め上げていった。
(……腹が減ってりゃ人は怒るし暴れるけど、腹一杯美味いもん食ってりゃ、命を賭けて暴動なんて起こす気力も湧かないさ)
歴史上、民衆が体制を打倒しようとする最大の引き金は、いつの時代も「飢え」であった。
ロシア革命のスローガンが『パンと平和』であったように、日々の食糧難こそが革命家にとって最高の発火剤だったのである。
だが、その発火剤は今、芳ばしい揚げ油とジャガイモの香気によって、急速に湿気り始めていた。
帝都のパン屋の前に暴動の列ができる代わりに、屋台の前に美味いポテトを買い求める笑顔の行列ができている。
民衆の間では、この魔法のようなレシピを無償で下賜した幼き皇子フリスチューシュカの名が、早くも「慈悲深きパンと芋の小聖人」として、草の根の信仰に近い熱狂をもって囁かれ始めていた。
日露戦争の開戦から半年、ロシア帝国の銃後が暴徒の火の手ではなく、芋を揚げるパチパチという長閑な音に包まれていたのは、他ならぬこの三歳のツァレーヴィチが投下した「高カロリー爆弾」のおかげであった。