Shogun the master sword 作:六位漱石斎正重
義輝はその数々の業物の一つ一つに目をやり、これからこの室内で起こる死闘に血をたぎらせるのだが……。
糸千代丸、龍丸、虎丸は武器裏から持ち出した宝物(ほうもつ)ともいえる業物の数々を両手に抱え、義輝の前で静かに立ち尽くしていた。義輝はそんな彼らの姿を見てかすかに首をかしげたが、すぐに糸千代丸に声をかけた。
「いかがした。鞘ぬき、早う床に刺せ」
「ゆ、床に刺す……のでございますか?」
糸千代丸が驚いた表情でそう尋ねた。義輝は呆れた顔でそれに答えた。
「知れたことよ。鞘ぬき刃を出さずしては太刀の役を果たせまい」
糸千代丸たちが武器蔵から持ち出した三日月宗近や大典太光世をはじめこれら業物の多くは、平安時代より五、六百年もの長きにわたって大切に保存されてきた、もはや国宝と言ってもよいくらいの太刀だ。
それを鞘抜いて床に刺せと言われて、はいそうですかといって簡単に床に刺せる代物ではなく、そのような命を下されれば、ためらうのも当然であった。
そんな彼らの様子を見て義輝はすっと立ち上がると、両手で太刀を山のように抱えた糸千代丸に歩み寄り、彼の両手から三日月宗近と大典太光世を奪い取った。義輝はそれらの鞘を抜き捨てそのまま乱暴に床板に刃を突きさした。
刃長八十センチメートルの宗近と刃長六十五センチメートルの光世が、無機質な光を放ち床板に直立しているさまを見て、糸千代丸が衝撃のあまり気を失いそうな様子でフラフラしていると、義輝は糸千代丸が抱えていたそのほかの数多くの太刀を叩き落とした。
糸千代丸は、業物の数々が両手から次々に零れ落ち、床に鈍い音を立てて落ちるのを見て、ああ、国綱が安綱が、と悲鳴にも似た声を上げた。
義輝は、かつて見たこともないほど糸千代丸が動揺している姿を見て満足げな表情を浮かべたが、糸千代丸の背後にいて、大量の太刀を抱えたまま呆然とした表情で立ち尽くしている龍丸、虎丸を見ると、イライラした表情で彼らに向かって怒鳴った。
「そこの者ども、何をいたしておる。さっさと床に太刀をささぬか!」
義輝は糸千代丸にも幾人かの配下がいることを知ってはいた。これまでに龍丸、虎丸を幾度か目にしたこともあったが、当然、彼らの名前は知らなかったし、知る必要もないことだった。義輝は武家の頂点に立つ身分の者であり、彼が何かを知る必要はなく、常に相手が彼を知る必要のある立場なのだ。
龍丸、虎丸は命に従うべきだとは思ったが、本当にこれらの業物を床板に刺していいものか判断に迷い、困惑した表情を浮かべ糸千代丸の後姿を見つめた。
糸千代丸は、肩越しに軽く彼らの方に横顔を向けるとささやくように二人に命じた。
「龍丸、虎丸、命じられたとおりにいたせ」
龍丸、虎丸は小さな声ではいと答えると、抱えている多くの太刀を床板の上に静かに置き、次々と鞘を抜きながら太刀を床板に刺し始めた。
それを見た糸千代丸は、すっかりあきらめたように小さなため息を一つつくと、一つ一つ丁寧に太刀や槍を床板に刺していった。
しばらくすると義輝の室内は異様な様相を呈した。床板の上に国宝と言えるほどの名剣、豪槍など数々の業物が、床から生えている。それはまさしく太刀の林だった。それが、義輝の左右に配されている。
その太刀の林の中に、もとどりを切ったざんばら髪の義輝が不敵な笑みを浮かべて仁王立ちしていた。その姿は、著名な画家がこの瞬間を絵画に描いて残したいと思えるほどの華美で絢爛な様子だった。
義輝はふとあることを思い出して、背後に控えている糸千代丸を肩越しに振りかえり尋ねた。
「大陽院と母上はいかがしておる?」
それを聞いた糸千代丸は悲痛な表情を浮かべ、ためらいながらそれに答えた。
「大陽院様、慶寿院様、お二方とも自室にこもり……自害の支度をいたしております」
それを聞いた義輝は特に感想を述べず、そうか、と短く答えたのみだった。
大陽院は太政大臣近衛稙家の娘で義輝の正室で、慶寿院は義輝の母だ。戦に負けた時に女がどういう目に合うか、この時代の女たちは普段から目にしていた。この時代、命よりもメンツを大事にするのは男性同様女性も同じだった。いやむしろ女性の方こそ誇りを踏みにじられるはめになりがちだったため、男性以上に自害する女性は多かった。
この時代、女性に求められる貞操の観念は、現代に比べて著しく高いものだった。妻は武将の伴侶としてよりも、むしろその家に属する存在としての立場の方が重視され、不貞はもちろんのこと、敵の雑兵どもに身体を辱められたと知られればとても生きてはいかれないのが常であった。この時代の大名家にとって、女性が辱められることは家を辱められることと同義だった。
とくに高貴な身分の女性ならなおさらで、この身を雑兵どもに汚されるくらいならのどを突いて自害するのは当然、と考える悲しい時代でもあったのだ。
三好の軍勢を迎え撃つ前に、義輝は酒宴の準備を小者たちに命じている間に、一人の武者が、身体に二本の矢を突きたてたまま、義輝の居室の入り口の前に片膝をつき報告を行った。
「申し上げます! この美作(みまさか)、一生の不覚をいたしました。それがし無能故、三好が雑兵どもの館への侵入を阻止できませなんだ。この不始末、腹斬ってお詫びいたします」
武者はそう言って、鎧を外しもろ肌を脱ぐと脇差の刃を腹に添えた。それを見た義輝は慌てて武者に怒鳴った・
「ま、待て、晴舎(はるいえ)。そなたのせいでは……」
義輝はそう言いかけたが、武者はあっさりと腹に脇差を深々と突き刺し、真一文字に脇差を横に引こうとした瞬間、武者の従者が「殿!」と叫んで武者の首を落とした。
義輝と糸千代丸の両社は、その様子を見てあっけにとられてしばしの間閉口した。義輝はもちろん、糸千代丸も、その武者の息子である藤丸をよく知っていたからだった。それと同時に義輝と糸千代丸の二人は、藤丸がこの場に居合わせなかったことに心底安堵した。
この切腹した武者の名前は、進士美作守晴舎(しんじみまさかのかみはるいえ)。義輝と義輝の父である義晴の二代にわたって仕えてきた重臣の一人だった。
晴舎は三好・松永軍との取次役もかねて館の門の一つを守護しており、戦にならぬよう調整に尽力していたもののうまくいかず、門を突破されてしまったのだった。
晴舎は門を突破した三好の雑兵の何人かを背後から斬って急いで義輝の居室へ駆け戻り、自分の不手際を詫び切腹したのだ。
だが、一万一千もの大兵力を動員している軍に対し、せいぜい三十名足らずの兵しか持たない立場で対等な交渉が最初からできるはずもなかった。
そもそもの話、仮に大将が撤兵を命じても、乱取りを期待してこの戦に参加した兵どもが従うはずもなく、遅かれ早かれ放火・略奪が開始され、館の門を突破されてしまうのは自明の理であった。
義輝は怒りに燃える目で、切腹して果てた進士晴舎の亡骸を見下ろしながら大喝した。
「たわけっ! 三好の軍勢と戦う前に一人減ってしまったではないかっ!」
だが、義輝はすぐに目から怒りの成分を消し去ると、小者たちに命じた。
「この状況ではまともに弔ってやることもできぬが、亡骸を空いている室に置いてやってくれ……くれぐれも丁重にな」
四人ほどの小者どもが晴舎の亡骸を丁重に運び出すのを視線の先で見送りながら、糸千代丸が口を開いた。
「晴舎殿は此度の三好との交渉、是が非でも内々に修めるつもりだったのだと、糸は思います。残念なことにそれが不首尾に終わり……」
義輝はそれに答える。
「晴舎は父とワシ二代に仕えた重臣中の重臣じゃ。不器用な男であったが、まことの武士じゃった。だが、敵と戦う前に自害するとはな」
「まことのますらおでございました。ところで、上様はお腹をお召しにならないので?」
義輝はそれを聞いて少しムッとした表情を浮かべ、糸千代丸の問いに答えた。
「ワシか? ワシは腹など切らぬよ。ワシは自分の剣技がどれほどのものであるか知りたい。それを知るまで死ぬわけにはいかぬ」
自身の命よりも身につけた剣技を確認するために戦う、そんな義輝の愚直なまでの求道心を知って、糸千代丸は控えめに小さく笑った。