Shogun the master sword 作:六位漱石斎正重
義輝、糸千代丸及び幾人かの家臣団達がささやかな酒宴を楽しんでいるさなか、龍丸と虎丸は三好勢を迎え撃つ準備のさなかにあった。
三好勢は主に長槍隊で構成され、そこに弓隊も数多く組み込まれていたのを、すでに偵察していた龍丸と虎丸はいち早く知っていた。
そこで、迎え討つのに不利な長弓や種子島のような長筒などを自身の武装の候補から外し、相手の隊列に飛び込んでかき回すといった戦術をとることに決めていた。彼我の距離を空ければ、敵の長弓や種子島の餌食になることがわかりきっていたからだ。
また、龍丸と虎丸は、戦いのさなかに互いのいずれかが動けなくなったり、討たれたりしても相手のことは完全に無視し、より多くの敵兵を討ち取ることに専念する、そのような約束事を決めていた。
龍丸と虎丸は、自分と同じ顔を持つ相手が美しい色合いの薄茶色の瞳で自分を見つめ同じことを考えていることを悟り、その約束事を固く守ることを改めて心に誓った。
それでも彼ら双子の心の中には、かすかな違いが生じていた。虎丸はあくまで糸千代丸のために剣をふるい、死ぬことを覚悟しており、それは龍丸も同様だったが、龍丸の心の中には別の要素が入り混じっていた。それは、虎丸が窮地に立たされた時に我が身をもって彼の犠牲になろうという固い決意だった。
そんな中、二杯ほど杯を重ねた義輝は、居室の外で武器の手入れをしている龍丸、虎丸に目を止めて糸千代丸に尋ねた。
「お糸、あの者達は?」
糸千代丸は、龍丸、虎丸のほうに顔を向けると、そのままの姿で義輝の疑問に答えた。普段なら義輝の顔を見ずに言葉を発するなど不敬の限りだと糸千代丸も十分に承知していたが、糸千代丸、龍丸、虎丸の三人は、兄弟のように成長してきた間柄。今際の際に義輝のために命を捨てる覚悟をしている彼らに背を向けて話を続けるなどできない事だった。
「我が配下の龍丸と虎丸です。三好の軍勢を迎え撃つ準備をしているのでありましょう」
そう言って、義輝の方を振り返った。義輝はしばしの間黙ったが、間もなく口を開いて糸千代丸に命じた。
「あの者共をこちらへ」
糸千代丸はその命にほんのわずかの間迷ったが、柔らかな笑みを浮かべながら龍丸と虎丸を呼んだ。
「龍丸、虎丸、室に入り上様の言葉を賜れ」
龍丸と虎丸は突然の呼びかけに困惑し、その場に座ったままお互いの顔を見合わせ困惑した表情を浮かべていたが、糸千代丸の更なる呼びかけに応じて、静かに居室に足を踏み入れると、糸千代丸の背後で平伏した。義輝は龍丸と虎丸に声をかけた。
「龍丸と……虎丸とか、申したな? 面を上げよ」
「はっ」
義輝は二人の顔を見てかすかに驚いた表情を浮かべた。
「双子か!」
「はい。六井家の者たちです」
無論、義輝は六井家のことなど知らない。六井家は足利家に仕える身分ではなく、糸千代丸の摂津家に仕える身分だからだ。わずかに首をかしげていた義輝だったが、当然すぎる一つの疑問を投げかけた。
「しかし、よう似ておるの……で、どちらが龍丸でどちらが虎丸か?」
龍丸と虎丸は義輝という存在に対し、直視したり口をきける身分の相手ではないことを十分承知していたので、黙って平伏したままだった。そのため、糸千代丸がその問いに答えた。
「上様から見て左に座すが龍丸です、ほら左の眉が龍眉に似ておりましょう? そして右に座すは虎丸です。この者のあごは、まさに虎のような力強さを表しておりましょう」
糸千代丸のその言葉に驚いた龍丸と虎丸は、驚愕して糸千代丸の顔を見上げた。そんなわずかな違い、自分たちでさえ意識したことがないというのに、このお方は。二人は感激のあまりかすかに拳を震わせた。
だが、糸千代丸の言葉を聞き鼻白んだ義輝は、少しムっとした表情を見せると疑わし気な様子で糸千代丸に言葉を返した。
「そ、そのような違い、ワシにはわからぬ!」
「ほほ……我ら上様にお仕えする前からの間柄ですほどに」
自慢げにも聞こえる糸千代丸の顔をかすかに睨みながら、義輝はさらに疑問を投げかけた。
「この者共の姿かたちの違いはさておき、剣技にたけた者共と期待してよいのだろうな、糸よ」そう言って義輝は杯をあおった。
「無論でございます、上様。わたくしが剣技にたけていない者をそばに置くはずがありますまい。両名ともその命果てるまで敵兵どもをなぎ倒し、上様のために命を投げ出す覚悟にございます」
義輝はその言葉に満足すると、龍丸と虎丸に声をかけた。
「そこの者共、杯を取らす。近う」
「いえ、上様、そのようなお気遣いは無用に存じます」と糸千代丸は慌てて答えたが、義輝はそれを片手で制し、よい、最後の酒じゃ許す、と言って、再度二人を呼び寄せた。
龍丸と虎丸はどうしていいか判断に迷い、困惑した表情を浮かべたまま平伏していると、糸千代丸は、龍丸と虎丸に向かって優し気に声をかけた。
「龍丸、虎丸。上様の御意に従え」
龍丸と虎丸は、義輝からそれぞれ薄い黒磁器の杯を受け取ると、杯を持った両手を小さく震わせながら、義輝がそれらの盃になみなみと酒を注ぎこむ様子を見守った。
「これ! そのように手を震わせては酒がつげぬ。震えるな」
義輝は笑いながらそう言ったが、糸千代丸よりもはるかに位の高い、武家の頂点に立つ身分の相手に対して、震えずにいられぬはずもない。それでも二人はなんとか手の震えを抑えて、杯に酒が注ぎ終わるのを待ち続けた。
「あおげ」と義輝が命じると、龍丸と虎丸は一瞬互いの顔を見た後、一気に杯をあおった。そして杯の口をつけた部分を小袖で拭った後、義輝に杯を差し出した。それを見た義輝は、「よい。杯もとらす」と言った。
それら二つの盃は、美濃の名工に作らせた薄くて黒い磁器でできており、表面に金色の桜の花びらが二、三枚描かれたものだった。そのいかにも高価そうに見える杯を受け取ってよいものか判断できず、二人は恐る恐る糸千代丸の顔を見つめた。
「龍丸、虎丸。良いものを賜ったな。これで六井家の家宝が二つできた。これは獅子奮迅の闘いをし、何としても生きて帰らねばな」そう言って糸千代丸はかすかに笑みを浮かべた。
糸千代丸が龍丸と虎丸を下がらせた後、表情を改めて義輝に向き直ると、糸千代丸は真剣な表情で義輝に小声で話しかけた。
「上様に一つご了承いただきたいことがございます。申し上げてよろしゅうございますか」
改まってそう尋ねた糸千代丸の顔を見つめた義輝は、申してみよ、と小さく答えた。
「さきほどの龍丸と虎丸についてですが……あの者達の使う武具は無論のこと、正統なる筋の剣技とは程遠く、むしろ忍び技に近しいものでございます。かの者達の剣技を見たもの達の中には、鶏鳴狗盗(けいめいくとう)などとさげすむ者もおります……わたくしはそうは思いませんが」
鶏鳴狗盗とは、ニワトリの鳴きまねをして人を欺いたり、イヌのように忍び込んで物を盗むことしかできない下卑た者を指すが、ここでは武家にも拘らず卑しい技能を持つ者の意である。義輝が黙ったままだったので、糸千代丸は話を続けた。
「ですが、あの者達の技、余人にはまねのできぬ凄まじい技の数々。中には上様のお気に沿わぬ技もあろうかと思われますが……」糸千代丸がそのように話しかけてきたさなかに義輝は割って入った。
「剣技に下法も上法もあるか! 今この場においては敵をより討ち取る剣技こそが上法よ」
糸千代丸が、「それを聞いて安心いたしました」と答えると、義輝は、今度は龍丸、虎丸に向かって声をかけた。
「そこの者共、お前たちの技で一人三百殺が叶うか?」
龍丸と虎丸は、一瞬お互いの顔を見合わせると、「一人三百殺は無理でも、一人二十殺くらいは……」と答えた。
「よい。存分に剣を振るえ。いかなる武具を使ってもかまわぬ。一人でも多くの雑兵を刈り取れ」
義輝が満足そうな表情を浮かべそう言うと、龍丸と虎丸は「はっ、御意のままに」と小さく答えた。