Shogun the master sword   作:六位漱石斎正重

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 高い木の上から御所の周りの様子を把握した虎丸と龍丸、彼ら報告を聞くために虎丸と龍丸の前に現れた人物は、幼い顔立ちではあるものの尋常でない気品に包まれた少年だった。この少年は、虎丸と龍丸が当主様と呼んで敬服している人物だった。この当主様とは……。


第三話 糸千代丸

 龍丸と虎丸は屋敷の周り廊下を前にした地面にそろって片膝をつき、廊下に座った人物に状況報告をした。龍丸も虎丸もこの人物を前にしたときは体が震えるほど緊張するのが常だった。渡り廊下の板の上に座った人物は涼やかな声で二人に優しく声をかけた。

 

「虎丸、龍丸、面を上げよ」

「はっ!」

 

 そう言って二人は顔を上げたが、彼らは男の目を無遠慮に見つめたりせず、視線をわずかに下に逸らした。

 

 廊下に座っている男は白い小袖にあざやかな萌葱色の肩衣(かたぎぬ)を着た白磁のような肌を持つ少年だった。

 

 肩衣の両胸の上部には、唐(から)の国に由来するという抱き花杏葉(だきはなぎょうよう)の摂津家家紋が白い絹糸刺繍で丁寧に縫い込まれている。その少年が白い顔に和やかな表情を浮かべて龍丸と虎丸を見つめていた。

 

 少年の歳は恐らく十三歳前後。虎丸、龍丸より二歳ほど年が若く、まだ声変りを終えていないためソプラノとテノールの中間色を感じさせる声だ。だが、その声は決して甲高い不快な声ではなく、まるで天から遣わされた特別な楽器から奏でられたかのような美しい声だった。

 

 髪はかすかな明るい渋茶色で、月代(さかやき。頭髪を剃りあげた成人男性の髪型)を剃った龍丸、虎丸とは異なり小さな総角(あげまき)を右にだけ結わえ、後ろ髪は後頭部の上方で鮮やかな菜の花色の絹糸によってまとめられ下方へ下がっている。その姿は明らかに元服前の少年のそれだった。

 

 この少年こそが摂津糸千代丸、つまり六位家の二人が仕えている『当主様』で、いかなる手段を選ばずこの少年を守るのが虎丸・龍丸に課せられた使命だった。その少年が二人に問いかける。

 

「して、館の外はどのような様子か」その問いに少年から見て右側に控えている虎丸が答えた。

「はっ、残念ながら当主様のご推察通り、安宅家を先鋒とする三好軍約一万一千余、当館へと押し寄せておりまする当主様」

 

 それを聞いた少年は少し表情を崩して、「我ら三人で話すときは『当主様』はよせと申したはずだ。糸千代丸でよい」と二人を窘めた。二人は即座に恐れ入りますと同時に答えた。

 

 少年はしばらく何かを考え込むかのようにつぶやいた。

 

「そうか、三階菱の左京太夫めがな……御屋形様に『義』の一字を下賜されておきながら弓引くとは、痴れ者め」

 

 三階菱にくぎ抜きは三好家の家紋であり、左京太夫は三好家当主三好義重のことを指す。後の三好義継である。

 

 少年は顔を下げしばらくの間床の間の板の木目を見つめたが、すぐに顔を上げ二人を見つめると、再び彼らに問いかけた。

 

「それで我ら、この館を生きて落ちていくことはできるか?」

「極めて難事なれど、館の包囲が完成していない今ならどうにか。ただ……」

 

 そのまま中途半端な物言いで話を中断させた虎丸の様子を訝しんだ糸千代丸はわずかな時間待ったが、すぐにその先を話すように問いかけた。

 

「いかがした? ただ、なんじゃ? 一刻を争う時ぞ。方法があるならどのようなものでもよい、申せ」

 

 虎丸は歯切れの悪い終わり方で口をつぐんだが、そのためにはなかなか言い出せない条件があるようだった。

 

 糸千代丸はその言葉の先を催促するかのように一歩膝を乗り出して、虎丸を見つめ、しばらく黙ったものの虎丸がどうしても先を話そうとしないことにじれて、再び口を開こうとした瞬間に、虎丸の横から唐突に言葉が紡がれた。

 

「我々とご当主、いえ、糸千代丸様の三名のみであれば……」

 

 言葉の主は龍丸だった。それを聞いた糸千代丸は一瞬厳しい視線を龍丸に投げかけたが、すぐに小さなため息をついてうつむいた。

 

 しばらく無言の時間が過ぎた後、糸千代丸は顔を上げ再び彼らに問いかけた。

 

「お主達はワシに御屋形様を見捨てて館を落ちよと申すのか? そしてそのようなことができる糸千代と思うてか? そう思案されているとすれば残念なことじゃな……」

 

 そう言って彼は目を伏せた。その表情は諦観ともつかない複雑なものに彩られていた。それを聞いた龍丸の表情には恐れ入った様子はわずかにも表さず、すぐに言葉をつなげた。

 

「はい、私もそうは思いません。お尋ね事にお答えしたまででございます」

 

 龍丸のその言い草にかすかに鼻白んだ糸千代丸だったが、そのことについては特に何も言わず、話を続けた。

 

「そのようなあり得ぬ策について申す必要はない……」

 

 そう言った少年は、少し怒りを抑えているかのような様子だったが、しばらく黙った後、再び口を開いたが、今度は明らかに怒りをあらわにした口調だった。

 

「それはともかく、なぜ我らは御屋形様とともに落ちることが叶わぬのじゃ? 御屋形様の剣技が退き戦に通用せぬと申すかっ! おぬしらも存じているように御屋形様は高幹(たかもと)様より一之太刀を伝授されたお方ぞ」

 

 高幹とは、塚原新右衛門高幹といって、後世に知られた剣聖の一人である。俗にいう塚原卜伝のことで、甲冑の継ぎ目の部分を積極的に狙う流儀である鹿島新當流の開祖でもある。

 

 少年の吐き捨てるような言葉聞いて虎丸はしばらく黙り込んでいたが、その内ためらいがちに口を開いた。

 

「無論、存じております。御屋形様の剣技は高幹師範をうならせるお腕前、百人程度の雑兵相手であれば決して遅れはとりますまい。ただ此度の敵方の目的はこの館を落とすことではないと愚考いたしまする。もう既に伏草(ふせぐさ。夜の闇にまぎれた忍びの工作。忍び自身を指すことも)も紛れ込んでおりましょう。何よりいかな鬼神の如き御屋形様なれどこの兵力差ではいかんともし難く……無念でございます」

 

 虎丸はそう一気に答えた後、うつむいて何かを耐えるかのように肩を小さく震わせた。それを見た龍丸も虎丸の言い分に説得力を持たせるために加勢に加わった。

 

「また、御屋形様が高幹師範の剣技の精神を継いで戦われたとしても、そもそも雑兵らはそのようなものを知らず、草どもに至っては恥も外聞もなくあらゆる手段を使い、犠牲のいかんに関わらず必ずや御屋形様の御命を奪いに来ると思われます……ですから先ほど我ら三人のみであれば、とお答えしたのです」

 

 その龍丸のあからさまな物言いに糸千代丸はあっけにとられ、少しムッとした表情を見せたものの、すぐに相好を崩して龍丸に語り掛けた。

 

「言い難いことを言う……さすが龍丸よの」

 

 糸千代丸からそう言葉を投げかけられた龍丸は、足下の地面を見つめながらかすかに驚いた。彼から叱責されるのが当然だと思っていたからだった。だが、すぐに龍丸の顔はお穏やかな表情で覆われた。

 

「恐れ入ってございます。しかしながら言わねばならぬことを糸千代丸様のために進言するのが我らが使命。何卒ご寛恕賜りたく……」

 

 龍丸はそう言ったが、内心は喜びで震えていた。実の父であっても見紛う我らが姿。我々二人を常に明確に見分けるのは亡き母上と、このご当主様だけだ。それで十分だ。だからこそ我らはこのご当主様のために命を捨てることができる、彼はそう思った。

 

 しかしながら今の糸千代丸の話しぶりだと、とても自分たちと一緒に義輝を置いて館を落ちるとは思えない。すなわち、今日が糸千代丸と自分たちの命日となることに間違いはなかった。

 

 虎丸も龍丸も、糸千代丸を守るためだけに武術を極め、それ以外は何もしてこなかった人生だった。二人とも見目麗しき容姿を備えながらおなごの一人も知らず、贅を尽くした食を嗜んだこともない。何の楽しみも知らず十五の歳で命を散らすのだ。かすかに思うところが全くないわけではない。

 

 だが、これ以上の『ご当主様』がこの世に存在するであろうか? この素晴らしい当主に自分たちの命を捧げる事に今更不満などあろうはずもなく、むしろ至高の誉れに違いない。

 

 この上は糸千代丸の名を汚すことがないよう、美しき最期を迎えられる膳立てをするのが自分達の最後の使命だ。そして我ら二人もご当主様と共に黄泉路を歩いていこう、彼らは二人ともそう強く決心した。

 

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