Shogun the master sword 作:六位漱石斎正重
本来なら戦にもならない楽な戦いとなるはずだったが、表門の前で奮闘するある武辺者を前に、三好の兵たちは腰が引けてしまう。そんな事態を解消すべく三好勢からある一人の武者が現れ一騎打ちを仕掛けるのだが……。
二条御所の南門の前で小さからぬ小競り合いが起きていた。本来ならばその兵力差から、二時間にも満たない間に戦の決着がつくはずだったのだが。
御所の南門を取り囲んだ三好勢は、門を背に立つその若武者に何者か問いかけた瞬間、武者のすぐ近くにいる一人の兵の首が飛ばされたのを目にした。慌てた雑兵たちは今度はいっぺんに二人がかりで討ちかかったが、瞬きする間に彼らの首も飛んだ。
その武者は、三好の兵たちがひるんでいる様子を逃さず、疾風のような速さで三好勢に打ち掛かり、ものの数分で十人余りの死体の山を御所の南門の前に築いた。まさに恐るべき手練れだった。
今では門の周りには十数名にも及ぶ三好勢の死体が転がっており、三好の兵たちは困惑した表情を浮かべ、門の前に立つ男を見つめていた。
そこには、無表情の一人の若武者が返り血を浴び、門を背に仁王立ちしていた。涼やかな表情に似合わず、その若武者からはここからは一歩も先には行かせぬといった無言の気迫が放たれていた。
この時代、ある程度名のある将であれば誰であれ、まずは名乗りを上げて戦いを開始するのが源平合戦から続くある種の作法でもあった。名を名乗るのは、有名な武将であればその名が敵兵の心の中に引き起こす恐怖心が目的であったし、無名の者であれば、出世のための足がかりになる効果を狙うためである。
現代とは異なり、戦国時代では戦による戦果はリアルタイムでの証跡を残すことができない。結果的に自然と自己申告にならざるを得ず、大げさな申告や虚偽報告になることも多かった。故に、自分の戦果を周囲に知らしめるためにも大声で名乗りを上げるのは当然の所作でもあったのだ。
だが、兵たちの前にいる血まみれの武者は名乗りも上げず、淡々と目の前にいる雑兵たちをまるで雑草でも刈り取るかのように討ち取った。
大勢の雑兵どもがいるにもかかわらず咳ひとつ聞こえない静かな空間に、その若武者の静かなささやきのようにも聞こえる言葉が紡がれる。
「いかがした? 今少し我と戯れ候え」
そう言ってその武者かすかにニヤリと凄みのある笑みを浮かべた。それを見た三好の兵たちはぞっとしたような表情を浮かべ浮足立った。
三好の兵たちは、みな自分の命を懸けてまで戦うつもりなどサラサラない。この戦に馳せ参じたのは、この後確実に起こるであろう乱取りに参加するためだった。
だれもが美味しい思いをしたいのだ、それも何の危険もなく。目の前にいる死の化身と渡り合うなど、まっぴらごめんだった。
三好勢の兵の長はしばらく呆然としていたものの、その若武者の挑発ともとれるセリフを聞いて我に返り、手勢の兵たちに一気に打ちかかるように命じた。
「いかがしたっ、敵は一人ぞ! いかな手練れであれ、一気に多勢でかかれば討ち取ることは可能じゃ。かかれっ!」
長はそう激しい口調で配下の兵たちを叱咤したが、兵たちは自分たちの目の前に立つ武者を前にすっかり腰が引けてしまい、恐怖の表情を顔に張り付かせたまま、遠巻きにその武者を見つめるのみだった。
三好の兵たちは、隊の後方から叫ぶ長の声を聞きながら思った。お前さんはそのような安全な場所から声をかけるだけだが、我らには命を懸けてまであの『鬼神』と戦う義理はない。
この戦に参加したのは戦そっちのけで価値ある品々を略奪し、落ちている武具を拾って金に換えるためだ。そんなに戦いたいなら、まずお前が先に行け。みな心の中でそうつぶやいた。
誰も命に従わず、しり込みする自分の手勢を見て歯ぎしりするも何もできない長だったが、その内、自分の身体が右へ押しのけられるのを感じ、イラつきながら自分を押しのけた相手の方を向いた瞬間、長は驚愕して小さな叫び声をあげた。
「日向守様……」
長を押しのけた人物は、三好日向守長逸(ながやす)。俗にいう三好三人衆のうちの一人で、今回の二条御所攻囲戦を指揮する大将の内の一人だった。
本来直接口をきくことすら許されないこのような高位の人物が、最前線まで出張ってきたことに長は大層驚いたが、長逸は三好家の中でも武辺者の一人として兵たちの間でもよく知られていた。
門を背に血まみれの胴丸を身につけた武者を長逸は一瞥した。兜はつけず、鉢金で頭部を覆い、胴丸には『丸に二つ引き』の家紋がその表面に描かれていたが、それはほとんど血にまみれた状態だった。
『丸に二つ引き』の家紋は主に足利家が好んで使用した家紋で、恐らくこの武者は身分の高い者の一人であり、足利一門に連なる者であることは間違いのないことだったが、この期に及んで名乗りも上げないのはいかにも妙だと長逸も感じた。
さらに妙なのはその武者の持つ得物だ。それは柄の両端に、それぞれ約十五センチメートルほどの刀身をつけた奇怪な両刀の薙刀であった。
あの奇妙な得物に正統ならざる剣技……外法(げほう)だ。どちらかというと忍び技に近いものを感じる。主君を守るためだけのみに剣を振るう。あれはそういった類のものだ。
名乗りを上げないのは、その剣技が足利家の名を汚すものだと自覚しているからからだろう。先ほどから軍勢の中ほどでその若武者の剣技を目にした長逸はそう思った。
長逸は味方の兵たちに下がっているように命じ、門の前の若武者に声をかけた。
「なかなかの腕前。いずれの家の名の聞こえた武者と見た。我は、三好日向守長逸。死なすには惜しい、我が配下になることを許す」
若武者はしばらく黙っていたが、その内フッと笑みを浮かべてささやいた。
「……下郎に仕える気などない。ここを通りたくば我を斬る他なし」
よりによって、三好家の中枢にいるような高位の人物に対し、下郎とはあまりに言葉が過ぎるが、長逸は腹を立てなかった。
なぜなら、こやつの目を見ればわかる。目の前のこの男はすでに死の門をくぐっている。この者は、すべての力を主を守るために注ぐ死人(しびと)なのだ。死人相手に言葉は通じない、長逸はそう思った。
それに武者は先ほどから隠しようもないほど息切れしている。もう鬼神のような剣技は発揮できまい、そう彼は考え、自身の業物である恒平(つねひら。刃長三十センチの豪槍)を構えて静かに口を開いた。
「礼をわきまえぬ野の獣ならば致し方なし。参れ」
それを聞いた武者はいきなり仕掛けるようなことはせず、静かに息を整えていた。長逸もすぐさま仕掛けるのは避けた。相手の疲れに乗じて斬りかかるは、三好日向守長逸の名を汚すことになる、彼はそう思った。そして武者の様子を観察しながら、彼が手にしている得物と戦技を再度検証し始めた。
あの双頭の薙刀、刀身はたいして長くない上に、持ち手の場所は武器の中心のため、殺傷範囲が太刀や槍に比べて著しく狭い。また、太刀とは異なり、刃先に遠心力を加味した強力な打ち掛かりもできない。刃の可動範囲が狭いからだ。
街中でよく力自慢などが長槍を頭上で激しく回転させるパフォーマンスをしているが、あんなものは旅芸人の余興にすぎず、実戦では使い物にならない。
槍でも刀でも薙刀のいずれにおいても、刀身を相手の体に打ち込むためには持ち手をしっかり握り、刀身が当たったら渾身の力で相手の体に埋め込むような力が必要だ。
ましてやこちらは当世具足の全身防具装備だ。刃先で引いて斬るなどと言ったソフトタッチな戦い方では、こちらに致命傷を与えるなど到底望めない。
一方、自分の使う槍である恒平の長さはおよそ約四メートル半あり、こちらの力を込めた突きや打ち掛かりを受け太刀することはできないはずだ。こちらのリーチの方が圧倒しているため、かなり遠間でこちらの勢いのついた突き込みを受けざるを得ないからだ。
つまり、ヤツの戦術は、素早い動きで接近戦に持ち込み、防御を捨て攻撃のみに特化した戦技だ。先ほどの武者の立ち回りを加味したうえで、長逸はそう判断した。
そうこうしている間に、門を守る若武者も息が整ったのか長身の身体をまっすぐ引き起こし、双頭の薙刀を構えなおした。