Shogun the master sword 作:六位漱石斎正重
そんな中、三好勢の中から軍勢を率いる将が武者の前に立つ。この人物こそ、三好勢を率いる大将の内の一人三好日向守長逸(ながやす)その人だった。長逸は、足利将軍を討つなどという不敬極まりない戦に参加せざるを得ないことに内心嫌気がさしていたが、今自分の目の前に立つ無名の剣の達人の存在に心を動かされるのだった。この二人の闘いの行方は……。
南門を守護する武者と長逸の二人の間の距離は、およそ八メートルほど。どちらにとっても一足で相手の体に刃を通せる位置にない。今二人の立ち合いが静かに始まった。
近接武器の立ち合いは銃撃によるものとは異なり、技量の差が相当ない限り一撃で勝敗が決まることはほぼない。ましては達人同士の間ではなおさらだ。
これまでに太刀や長槍を持つあまたの相手を長逸は自身の得物である長槍で屠ってきた。だが、自身の目の前に立ちふさがる武者の持つ武器は双頭の刀身を持つ異形の薙刀で、その剣筋は通常の太刀筋とはまるで違う。今までに立ち会ったことのない相手だ。
長逸は相手がいかな剣の達人であれ、戦場の内外を問わず恐れを抱いたことはなかった。そもそも既に三好の兵たちと斬りあって息が上がっている武者相手に、後れを取ることなどありえないはずだった。
それでも長逸はいきなり武者に切りかかったりはしなかった。無論、臆しているからではない。それどころか、これほどの剣の達人を自分の前に送り込んできた神仏に感謝の念さえ覚えていた。
だが、彼は身分の低い兵ではないし、小部隊を率いる単なる一介の部将でもない。三好家筆頭格の『武将』なのだ。武将は負けることは許されない。負けは三好家の敗北を意味するからだ。
さりとて、勝つためには忍びのような何でもありの外法を使うことはあり得ないし、そもそもそのような外法を使うという発想は、高位の家を代表する人間の想像の外だった。家格がそれを許さないのだ。
三好の兵たちは、門を守る武者と自分たちの大将の立ち合いを食い入るように見つめていた。これだけ多くの人間が集まっているのにもかかわらず咳一つ聞こえず、兵たちのつばを飲み込む音が聞こえるかのような静けさだった。他に聞こえるのは虫の音や野の鳥および獣の鳴き声のみだ。
しばらくして、機が熟したのか長逸は初太刀として、相手の頭上への打ちおろしを狙った。この槍の打ち下ろしには相当な威力がある。槍自身の重量に加え、遠心力が加わるためだ。
相手の頭に槍の穂先が命中しなくても、槍のどこかが頭に当たれば、兜をかぶっていても相手は昏倒しやすくなるし、持っている武器に当たれば、ほぼ確実に武器を取り落とす。
意表を突いた大ぶりの打ち下ろし。槍自体が重いせいもあるが、突きに比べてはるかに攻撃速度が遅く隙の大きい攻撃だった。だが、武者は頭上から降りかかる槍の穂先を飛びずさって避けたり、横に移動して交わしたりはしなかった。
重量のある槍とはいえ、幾分遅い攻撃だ。武者はそう思った。少なくとも自分が今までに渡り合ってきた槍の名手との競り合いとは比べ物にならない攻撃速度の遅さに違和感を感じたが、それと同時にこれでは避けるのも容易だとも思った。
武者は、長逸の槍の打ち下ろしを見ながら、その穂先を避ける代わりに例の双頭の刀身を持つ薙刀の片刃で長逸の槍の穂先を受け流し、一気に相手との間の距離を詰め、もう片方の刀身で長逸の小手を正確に狙い打った。
長逸は飛びのいてかろうじてその攻撃を避け、それと同時にかすかに驚いた。大ぶりな攻撃とはいえ、完全に意表を突いたのにもかかわらず、双頭の刀身を持つ薙刀の特性を生かしあのような体術で逆にこちらに打ち掛かるとは……。
武者の持つ薙刀は両刀なので、持ち手は中心となり、片刃で打撃を受ければ受け流しの際に遠心力が加味され、もう一方の片刃の威力が増す。つまり、防御と同時に相手の勢いを上乗せした攻撃が可能となるのだ。
……とはいえ、理屈は頭でわかったとしても、頭上から降りかかる槍の穂先の脅威は相当なものだし、受け流しに失敗して槍の直撃を受け、武器を取り落とす可能性も十分にある。それでも武者は長逸の攻撃を見事に受け流し、反撃すら行った。自分の剣技に自信のある証拠だ。
昨日今日身につけた付け焼刃の技ではあるまい。目の前にいるこの若武者はその年齢にそぐわず、ただ主君のためだけにあのような異様な得物を使う外法を磨き続けたのだ。生半可な覚悟ではあるまい。むしろ執念とさえいえる。あの者をそこまで覚悟させるものとは何であろうか、長逸はその武者の心に想いを馳せた。
初合わせは引き分けに終わった。長逸は再度これからの打ち合いを考え始めた。重量のある槍を重力に逆らって持ち上げ、それを渾身の力を込めて打ち下ろす、剛力を誇る長逸でさえ、そんな槍の打ち下ろしを何度も継続はできない。
仮に再度打ち下ろしを試みても、先ほどの受け流しで双頭の薙刀のもう一方の刀身が長逸を襲う。一方、戦術を突きに変更しても攻撃範囲の狭さゆえ、かわされれば懐に入られ刀身を叩きこまれる。
しかし、武者の体力の消耗も相当なものだろう。武者は槍の長さ以上の遠い場所に位置している上に、薙刀の殺傷範囲が狭いため、かなりの距離を踏み込んでこなければ相手に刀身が届かない。なんのことはない、体力上の厳しい条件をかかえているのは両者とも同様なのだ。
武者同士の立ち合いは何合にも及ぶことが少なくない。自分も相手も胴丸や大袖(盾の代わりに肩から上腕をカバーする)で覆われているからだ。
だが、武者と長逸のいずれも何合も打ち合うつもりは毛頭なかった。お互いに自分の太刀筋の技法を相手に見られたくないのが理由だった。
世に知れ渡る技なら、平時にいくらでも対抗策を編み出すことが可能だが、知らない技を繰り出されるのは、命のやり取りをしている人間にとって極めて脅威に感じる。
戦場では太刀よりもむしろ槍での戦闘が多く、槍の威力や間合い、及び戦術などはこの時代の闘いに従事する者達にはよく知られていた。
槍の戦術は主に突くか、上からたたき落とすかの主に二択だが、門を守る武者の双頭の薙刀は、そのいずれにも属さない異形の武器だった。
その点、いくら四メートル半もある豪槍を持つ長逸でも戦術上の不利な点は否定できない。それでも長逸は不敵な笑みを浮かべ、口を開いた。
「奇妙な得物だが、剣技は理にかなっておるな。なまなかな修練で身につけられぬ技じゃ、見事」
武者はその言葉にかすかに心が動かされたのであろうか、自分の名前さえ名乗らなかったのに、この長逸の独り言のような感想には言葉をもって応えた。
「ヌシも大したものよ。我が初太刀を躱されるは、久しくなかったことじゃ。だが片刃の槍ではワシは倒せぬぞ」
「さて、それはどうかな」長逸は口の端をかすかに上げて独り言のようにそうつぶやくと、槍の持ち手の位置を変えた。
長逸は先ほどまでは石突(槍の後端の部分)よりわずかに上の付近を右手で握っていたが、その右手を槍の中央付近に持ち替えたのだ。武者と長逸は互いの武器の長さにこそ違いはあれ、これで全く同じ構えになった。
武者は、長逸が持ち手の位置を変えたことに多少違和感を感じたものの、やるべきことは決まっている、心配には当たるまい。身につけた剣技で相手を屠るのみだ、そう考えた。
武者と長逸はじりじりと相手ににじり寄って、互いに機をうかがっていたが、その距離がお互いの刃先に触れそうになった瞬間、長逸は鋭い突きを武者の顔面に向けて放った。
武者は遅い攻撃だと思い、長逸までの距離を一気に詰め、余裕の表情で薙刀の刀身で槍の柄の部分を強打した。無論、槍の柄を叩き折るつもりだった。
柄の部分が叩き折られる木材独特の音がすると想像していた武者は、金属同士がぶつかる鈍い音を聞き、まさかと小さく叫んで驚愕した。
鋼(はがね)だ! 柄は木製ではなかったのだ。先ほどからのこやつの槍の攻撃が遅かった理由がこれでわかった。武者は慌てて後ずさった。だが……気づくのが遅かった。
長逸は外側に柄をはじかれた勢いを利用して、手元を中心に槍を半回転させた。そしてその勢いのまま、若武者の方へ大きく一歩踏み込んで石突の部分を武者の胴丸を斜め下部から叩きつけるように突いた。狙いどころが小手ではない事以外、それはまるで先ほどの武者の攻撃方法を鏡に映したかのようだった。
武者は、長逸の槍の穂先を注視していたため、自分の体から最も遠い位置にある石突で自分がつかれることを想定できず、胴丸の上からとはいえ長逸の攻撃をもろに喰らってしまった。
武者の身体は石突の衝撃で身体がわずかに九の字に曲がり、後方へよろめいた。長逸はそのすきを逃さず、そのまま石突でよろめく武者ののどを突いた。
武者はのどへの石突の直撃をもろにくらい、激しくせき込みつつ倒れた。
「勝負あったな……」
長逸はそう静かに宣告した。長逸は武者の息の乱れを待ってやり、再び話しかけた。
「おぬしの負けじゃ、最後に名だけ聞いておこうか」
武者は激しい咳こみを抑えつつ、長逸をにらみ、答えた。
「……名などない……無名であることこそ……我が誇りよ。斬るがよい」
「そうか……惜しいな」
長逸はそうつぶやくように答えると、豪槍を一閃させた。武者の首は瞬時に宙に舞い、鈍い音とともに地面に落下した。
長逸は落下した武者の首に向かって片手拝みで一礼した。その瞬間、三好の兵たちの間で大きな歓声が上がった。
「おお、さすが日向守様じゃ。あの鬼神をたったの二合で討ち取るとは……」
「素晴らしきかな。なんと見事な日向守様が槍技よ」
三好の兵どもは次々に長逸を称えたが、長逸は大した興味もない表情でその様子を冷ややかに見つめてこう思った。
此度のくだらぬこの戦で唯一の心躍らせる立ち合いだった。だが、勝ったところでなんだというのだ。ワシはこんなむなしさを抱えてこれからも生きてゆかねばならぬのか、長逸は雲一つない晴れ渡るすがすがしい 空を見上げながらも、その心は虚無で覆われていた。