MOTOR DRIVER   作:宗詩

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第十話

 翌朝。

 火星方面軍司令部。

 緊急将校会議。

 招集されたのは、佐官以上――二十三名。

 長い会議卓を囲む顔ぶれを、イムサ・マーセウスはゆっくり見渡した。

 火星へ赴任して三年。

 見慣れた顔ばかりだった。

 採掘事故の救援で泥まみれになった者。

 部下の遺体を自分で運んだ者。

 休暇の夜に酒を酌み交わした者。

 つい数か月前、月から赴任してきたばかりの者もいる。

 いつもと同じ会議室。

 同じ机。

 同じ軍服。

 だが今日は、その全てが違って見えた。

 これから口にする言葉次第でこの中の誰かが敵になる。

「閣下」

 沈黙に耐えきれなくなったように、一人の大佐が口を開いた。

「何の会議でしょうか」

 イムサは答えず。

 卓上端末へ指を置いた。

 中央スクリーンが点灯する。

 最初に映ったのは、月政府中央人事局から届いた出頭命令。

 続いて。

 人事資料。

 ――アルバート・レイン准将。

 ――火星方面軍着任予定。

 室内に低いざわめきが走った。

「これは……」

「まだ正式発令前では?」

「ああ」

 イムサはスクリーンを見たまま答えた。

「だが着任予定日は、俺が月へ出頭する二日後だ」

 ざわめきが止まった。

 誰かが小さく呟く。

「更迭……」

「そう考えるのが自然だ」

 椅子の脚が床を擦った。

 一人の男が立ち上がる。

 ベルナール・ハース大佐。

 月本国出身。

 火星赴任一年。

 規律を重んじる男だった。

「ならば」

 ハースが言った。

「命令に従うべきです」

 壁際に控えていたロウ・ガルディア大尉が、僅かに顔を上げた。

 イムサはハースを見る。

「理由を聞こう」

「軍人だからです」

「それだけか」

「それ以上が必要でしょうか」

 迷いのない声。

 イムサ自身。

 三年前なら同じことを言ったかもしれない。

「中央政府が召還を命じた。後任も用意されている。ならば指揮権を引き継ぐ。それが軍です」

 数名が小さく頷いた。

 イムサはその顔を見た。

 責める気にはなれなかった。

「ハース大佐」

「はい」

「火星へ来て一年だったな」

「そうです」

「ここをどう思う」

 ハースの眉が動く。

「質問の意味が分かりません」

「そのままだ」

「軍務上の評価なら――」

「違う」

 イムサは遮った。

「ここに住む人間をどう思う」

 ハースは一瞬だけ言葉を失った。

「……民間人です」

「そうだ」

「だから軍が守る」

「誰から」

 空気が変わった。

 ハースは答えない。

「火星解放戦線からか」

「治安を乱す者からです」

「月政府からは?」

 一瞬。

 部屋の温度そのものが下がったようだった。

「閣下」

「答えろ」

「その質問自体が不適切です」

「そうか」

 イムサは端末を切り替えた。

 スクリーンに数字が並ぶ。

 採掘事故。

 医療予算。

 水循環設備。

 テラフォーミング予算。

 そして資源輸出量。

「この三年、俺はこれを見てきた」

 イムサの声は低かった。

「火星から出ていくものは増えた」

 一拍。

「火星へ戻るものは減った」

 誰も口を開かない。

「事故が起きた。設備更新を要求した。却下」

 次の資料。

「医薬品を要求した。却下」

 さらに。

「水設備。却下」

 イムサは室内を見回す。

「自治を求めたんじゃない」

 静かに。

「独立を求めたわけでもない」

 拳が知らず卓上で固くなる。

「人が死なないための金を求めただけだ」

「政治の話です」

 ハースが言った。

「そうだ」

「我々は軍人です」

「だから黙って見ていろと?」

「軍が政治に口を出せば」

 ハースは一度息を吸った。

「それは反乱です」

 反乱。

 その言葉が初めて会議室の中央へ置かれた。

 誰も動かなかった。

 イムサはハースの顔を見た。

「まだ反乱ではない」

「なら月へ戻ってください」

「戻れば?」

「中央政府の命令に従ったことになる」

「そして、お前たちは?」

「新司令官の指揮下に入ります」

「九日後には、中央直轄の治安維持部隊も来る」

 何人かの将校が顔を上げた。

 ハースも一瞬だけ反応する。

「……何の話です」

「知らないのか」

 イムサが画面を切り替える。

 月から火星へ向かう軍輸送。

 二個中隊。

 装甲車両。

 弾薬。

 拘束用装備。

 到着予定――九日後。

 ざわめきが広がった。

「情報源は?」

 ハースが問う。

「言えない」

「では信用できません」

「確認は取った」

「誰が」

 そこで議卓の中ほどに座っていた男が手を上げた。

「事実です」

 視線が集まる。

 補給担当のヨナス・ベル少佐だった。

「昨夜、輸送照会に引っかかりました。中央直轄部隊です」

 ハースがベルを見る。

「なぜ報告しなかった」

「今朝する予定でした」

「誰に」

 ベルはゆっくりイムサを見た。

「現司令官に」

 空気が変わった。

 ハースは周囲を見回す。

「……これは踏み絵ですか」

「違う」

「なら何です」

「確認だ」

「何を」

 イムサは立ち上がった。

 二十三人。

 一人ずつ。

 顔を見る。

「誰が」

 一度息を吸う。

「火星に残るか」

 誰かが椅子の上で身じろぎした。

「閣下」

「俺は月へ戻らない」

 小さく誰かが息を呑んだ。

 言ってしまった。

 だが口にした瞬間、不思議なほど迷いが消えた。

「中央政府からの召還命令を拒否する」

 ハースが立ち上がった。

「それは軍規違反です」

「ああ」

「指揮権を返上してください」

「断る」

「閣下!」

「俺は月を憎んでいるわけじゃない」

 イムサの声が初めて強くなる。

「王政を倒したいわけでもない」

「なら!」

「だから三年待った!」

 声が会議室に響いた。

 静まり返る。

「三年だ」

 拳を握る。

「要求した。報告した。頼んだ。正規の手続きを全部使った」

 頭に浮かぶ。

 採掘坑。

 病院。

 壊れた救助車両。

 白い布を掛けられた遺体。

「その間にも人が死んだ」

 ハースは何も言わない。

「俺はただ」

 イムサは声を落とした。

「これ以上、ここで暮らす人間を数字として扱う命令には従えない」

 長い沈黙。

 最初に動いたのはロウだった。

 壁際から離れイムサの後ろへ立つ。

 何も言わない。

 次にベル少佐。

 椅子を引きこちらへ来る。

 一人。

 また一人。

 半数ほどがイムサの側へ立った。

 残った者たちは動かない。

 ハースがその光景を見る。

「……正気か」

「大佐」

 ロウが言った。

「たぶん全員、正気です」

「黙れ、大尉」

「階級はまだ有効なんですね」

「ロウ」

「すみません」

 イムサは小さく息を吐いた。

 ハースがこちらを見る。

「最後に聞きます」

「何だ」

「これは」

 一語ずつ。

「反乱ですか」

 イムサは数秒黙った。

「まだ違う」

「まだ?」

「俺は火星方面軍の指揮権を維持する」

「中央の命令を拒否して?」

「ああ」

「それを反乱と呼ぶんです」

「なら」

 イムサは静かに言った。

「月がそう呼べばいい」

 ハースの顔が変わった。

「……残念です」

「ああ」

「拘束させていただきます」

 ロウの手が腰へ伸びる。

 同時にハース側の将校たちも姿勢を変えた。

 銃。

 まだ抜かない。

 だが次の瞬間。

 司令部全体へ警報が走った。

 短い電子音。

『司令部より全区画』

 通信士の声。

『月中央軍から緊急指令』

 全員が止まる。

『イムサ・マーセウス司令官の指揮権を即時停止』

 空気が凍った。

『繰り返す。イムサ・マーセウス司令官の指揮権を即時停止』

 続いて。

『ベルナール・ハース大佐を臨時司令官に任命する』

 ハースが目を見開いた。

 イムサも彼を見る。

「知らなかったのか」

「……知りません」

 その表情だけは嘘ではなかった。

『マーセウス前司令官を拘束。月中央軍到着まで身柄を確保せよ』

 前司令官。

 その言葉を聞いた瞬間。

 イムサは妙に冷静になった。

 早い。

 早すぎる。

「ハース大佐」

「……」

「命令だぞ」

 イムサが言った。

「俺を拘束しろ」

「閣下」

 ロウが振り返る。

「黙ってろ」

 ハースは動かない。

「どうした」

「……」

「中央の命令だ」

 長い沈黙。

 やがてハースの手が腰へ伸びた。

 銃を抜く。

 構える。

 銃口がイムサの胸へ向く。

「閣下」

「ああ」

「あなたを拘束します」

「分かった」

 その瞬間ロウも銃を抜いた。

 何人もの将校が続く。

「動くな!」

「銃を下ろせ!」

「ハース大佐!」

「ロウ!」

 怒号。

 椅子が倒れる。

 端末が床へ落ちる。

 それでも誰も引き金を引かない。

 イムサだけがハースの銃口を見ていた。

「撃て」

 ハースの目が揺れた。

「命令だろ」

「……」

「俺は抵抗している」

 イムサが一歩前へ出る。

「来るな!」

 ハースが叫ぶ。

「撃て」

「来るな!」

 もう一歩。

 銃口が震える。

「ハース」

 イムサは静かに言った。

「お前も」

 一拍。

「火星で一年暮らした」

 銃口が僅かに下がった。

「……くそ」

 ハースが歯を食いしばる。

 そして銃を床へ落とした。

 乾いた金属音。

「俺は」

 声が震える。

「反乱には加わらない」

「ああ」

「だが」

 ハースがイムサを見る。

「お前を撃つこともできない」

 イムサは小さく頷いた。

「それでいい」

「よくない!」

 ハースが叫んだ。

「何もよくない!」

 それは怒鳴り声というより。

 悲鳴に近かった。

「我々は軍人だぞ!」

「ああ」

「命令に従えばよかった!」

 イムサは答えなかった。

「それだけだったのに……!」

 ハースは力が抜けたように椅子へ座り込む。

 ロウが銃を下ろした。

 やがて。

 一人。

 また一人。

 全員の銃口が下がった。

 イムサは部屋を見渡した。

「全員に告ぐ」

 誰も声を出さない。

「ここを出たい者は止めない」

 一拍。

「月へ戻る者もだ。武器も持たせる」

 ロウがこちらを見る。

「だが残る者には」

 イムサは言葉を選んだ。

「覚悟してもらう」

 そして。

「今日から」

 静かに。

「中央政府の命令は、ここには届かない」

 

 *

 

 その日の午後。

 通信管制室。

 兵器庫。

 宇宙港。

 MD格納庫。

 火星方面軍の主要施設は、次々とイムサ支持派によって押さえられていった。

 大きな戦闘は起きなかった。

 抵抗した兵士もいた。

 だが火星で何年も同じ空気を吸い。

 同じ食堂で飯を食い。

 同じ事故現場で仲間を運んだ者同士だった。

 最後の一線を誰も越えられなかった。

 夕方。

 司令部屋上。

 火星の薄い風の中。

 王立宇宙軍旗がゆっくりと降ろされていく。

 代わりの旗はない。

 誰もそんなものを用意していなかった。

「ついにやりましたね」

 隣でロウが言った。

「何をだ」

「軍を乗っ取りました」

「言い方」

「事実です」

「接収だ」

「便利な言葉ですね」

「覚えておけ」

「使う機会がないことを祈ります」

 足音。

 振り返るとパウロ・エンダースが歩いてくる。

「終わったか」

「一応な」

「死人は」

「ゼロだ」

 パウロがほんの少し笑った。

「上出来だ」

「まだ何も始まってない」

「いや」

 パウロは空になった旗竿を見る。

「もう始まってる」

 イムサも同じ場所を見る。

「……そうかもな」

「それで」

 パウロが言う。

「一つ見せたいものがある」

「何だ」

「格納庫」

「MDか」

「まあな」

「今じゃないと駄目か」

「俺は今の方が面白いと思う」

「意味が分からん」

 パウロは歩き出した。

「見れば分かる」

 三人は格納庫へ向かった。

 その最深部。

 照明を落とされた区画で。

 イムサの知らない一機が赤い装甲を沈黙させたまま静かに待っていた。

 

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