MOTOR DRIVER   作:宗詩

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第七話

 三日後。

 火星中央宇宙港。

 到着ロビーの壁面には、月と火星を結ぶ定期便の情報が淡い文字で流れていた。天井は高く、白い照明が磨かれた床へ冷たく反射している。

 イムサ・マーセウスは、その一角に立っていた。

 軍服姿で腕を組み、いかにも落ち着いているように見える。

 少なくとも本人は、そう思っていた。

「さっきから時計ばっかり見てますよ」

 隣に立つロウ・ガルディア大尉が言った。

「見てない」

「今ので七回目です」

「数えるな」

「暇なんで」

「帰っていいぞ」

「ここまで来たのに?」

 ロウは面白そうに笑う。

「奥様が来るんでしょう」

 イムサが横目で睨んだ。

「余計なこと言うな」

「緊張してるんですね」

「黙れ」

 その時。

 到着ゲート上部の表示が切り替わった。

 ――月発・火星中央便。

 ――接続完了。

 胸の奥が、僅かに跳ねた。

 イムサは気づかないふりをして腕を組み直す。

 やがてゲートが開き、人が流れ始めた。

 商人。

 技術者。

 月政府の職員。

 休暇帰りらしい軍人。

 その中に。

「イムサ」

 声を聞いた瞬間。

 探す必要はなかった。

 人波の向こう。

 妻が立っていた。

 片手で小さく手を振っている。

 髪型も。

 笑い方も。

 月にいた頃と変わらない。

 その姿を見た途端、三年間離れていた時間が急に現実味を帯びた。

 イムサは歩み寄り。

 最初に出た言葉は。

「それだけか」

 妻が足元の二つの荷物を見る。

「第一声がそれ?」

「いや」

「久しぶり、とかないの?」

「……久しぶり」

「遅い」

 妻が笑った。

 つられて。

 イムサも少しだけ笑う。

 久しぶりに。

 何かを警戒せずに笑った気がした。

「こちら、ロウ・ガルディア大尉」

「初めまして。マリア・マーセウスです」

 マリアが頭を下げる。

「こちらこそ。いつも旦那さんには振り回されてます」

「ロウ」

「事実です」

「やっぱり?」

 マリアが楽しそうに笑う。

「何がだ」

「月にいた時と変わってないんだなって」

 三人は宇宙港を出た。

 外部連絡通路の透明隔壁の向こうに。

 火星の大地が広がっている。

 赤。

 赤褐色。

 その上を、低い砂煙がゆっくりと流れていく。

 遠くには採掘塔。

 配管群。

 居住区を覆う気密構造。

 月の都市のような、整えられた光景ではない。

 マリアの足が止まった。

「……これが火星」

「ああ」

「もっと、街みたいなの想像してた」

「月の宣伝映像なら、そう見える」

 マリアが振り返る。

「違うの?」

「だいぶな」

 車へ乗り込み、居住区へ向かう。

 マリアは窓の外から目を離さなかった。

 古びた配管。

 補修材の色が違う外壁。

 砂に晒された輸送路。

 作業服姿の人間たち。

 ところどころ。

 設備の古さを隠すように、新しい月政府の標章だけが妙に目立っていた。

「思ってたより……」

「何だ」

「古い」

 イムサは答えなかった。

 運転席のロウも。

 何も言わない。

「月だと、火星はもっと開発が進んでるって聞いてた」

「俺も来る前はそう思ってた」

「違った?」

 イムサは窓の外を見る。

 昨日までなら。

 どう説明しただろう。

「違った」

 短く。

 それだけ言った。

 マリアはそれ以上聞かなかった。

 だが。

 窓の外を見る彼女の表情から。

 最初にあった観光地へ来たような好奇心だけが。

 少しずつ消えていった。

 

*

 

宿舎は、軍用居住区の一角にあった。

 外観は無骨だったが、室内は思っていたより普通だった。

 簡易キッチン。

 小さな食卓。

 端末。

 二人掛けのソファ。

 寝室には、広くはないが二人で使えるベッドがある。

「ここ?」

「ああ」

 マリアは荷物を床へ置き、室内を見回した。

「思ったより普通」

「何を想像してた」

「もっと軍人っぽい部屋」

「どういう部屋だ」

「壁に剣が飾ってあるとか」

「いつの時代だ」

「あなた士族でしょ」

「下級な」

「そこ気にするんだ」

 マリアが笑いながら机へ近づく。

 その手が一枚の紙へ伸びた。

「これ何?」

 イムサの身体が反応した。

「触るな」

 思った以上に強い声が出た。

 マリアの指が止まる。

 室内の空気まで一瞬止まったように感じた。

「……ごめん」

「いや」

 イムサはすぐに紙を取った。

 月政府特別調査局。

 第十一採掘区への無許可立入を確認した。

 たったそれだけの通知。

「俺が悪い」

 マリアは何も言わなかった。

 だから余計に自分の声の強さが胸に残る。

「仕事のものだ」

「そう」

「大したものじゃない」

「嘘」

 即答だった。

 イムサが黙る。

「何?」

「何でもない」

「またそれ?」

 マリアの顔から笑みが消えた。

「火星に来てって言われて」

「ああ」

「仕事辞めて」

「悪かった」

「責めてない」

「じゃあ」

「でも」

 マリアは椅子へ座った。

 長い移動で疲れているはずなのに。

 その目だけは真っ直ぐイムサを見ていた。

「何も話さないなら、私を呼んだ意味ないでしょ」

 言葉が出なかった。

 マリアは少し間を置く。

「ねえ」

「何だ」

「あなた、何かしようとしてる?」

「……」

「月にいた時より、顔が怖い」

「そんなにか」

「うん」

「老けた?」

「そういうことじゃない」

 イムサも向かいに座る。

 机を挟んでしばらく二人とも黙っていた。

「火星に」

 ようやく。

 イムサが口を開いた。

「おかしなものがある」

「おかしなもの?」

「ああ」

「何?」

「それ以上は言えない」

「言えないの?」

「ああ」

「私にも?」

「……今は」

 マリアが息を吐く。

「じゃあ、別の質問」

「何だ」

「あなたは月に戻る?」

 その問いは予想していなかった。

 イムサは答えられない。

 マリアの顔が少しだけ寂しそうになる。

「戻らないんだ」

「まだ決めてない」

「でも、そう思ってる」

「……」

「だから私を呼んだのね」

 イムサは目を逸らした。

「親父たちは月にいる」

「お兄さんも」

「ああ」

「妹さんも」

「ああ」

「みんな置いて?」

「だからこそ」

「どういうこと?」

「全員を動かせば目立つ」

 口に出した瞬間しまったと思った。

 マリアの表情も変わる。

「……目立つ?」

「違う」

「違わないでしょ」

「言葉の綾だ」

「イムサ」

 マリアの声が低くなる。

「あなた、私を逃がしたの?」

 返事ができない。

「月から」

 沈黙。

 それだけで十分だった。

 マリアが立ち上がる。

 怒っている。

 怖がっている。

 その両方かもしれなかった。

「何が起きるの」

「まだ何も起きない」

「また“まだ”?」

 イムサは目を閉じた。

「本当に、何も決めてない」

「でも」

「ただ」

 マリアを見る。

「もし何かあった時」

「……」

「お前が月にいるのは嫌だった」

 マリアは何も言わない。

「それだけだ」

 長い沈黙。

 やがてマリアが小さく息を吐いた。

「ずるい」

「何が」

「そう言われたら怒れない」

「怒っていい」

「もう怒ってる」

「そうか」

「かなり」

「悪かった」

「それで済ませないで」

「努力する」

「何を」

「怒られ方を考える」

「馬鹿」

 マリアがほんの少し笑った。

 イムサも少しだけ。

 その夜、久しぶりに何も考えず眠った。

 オーパーツ。

 月政府。

 第十一採掘区。

 パウロ・エンダース。

 火星。

 全部。

 ほんの数時間だけ頭から消えた。

 翌朝。

 端末に一件の通知が入っていた。

 月政府中央人事局。

 イムサ・マーセウス。

 火星方面軍司令部。

 出頭命令。

 送信元。

 月。

 期日。

 十日後。

 イムサは画面を見つめたまましばらく動かなかった。

「……早いな」

 背後からマリアの声。

「何が?」

 イムサは端末を閉じる。

 画面が消える。

「いや」

 振り返る。

「仕事だ」

 それだけ答えた。

 

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