MOTOR DRIVER   作:宗詩

9 / 11
第八話

 月政府中央人事局。

 出頭命令。

 期日、十日後。

 イムサ・マーセウスは、執務机の上に浮かぶその文字を、もう何度目か分からないほど読み返していた。

 理由はない。

 事情聴取とも、任務変更とも、査問とも書かれていない。

 ただ。

 ――王都中央庁舎へ出頭せよ。

 それだけだった。

 火星の朝は、相変わらず無機質だった。

 窓の向こうには赤褐色の地表と採掘塔。遠くでは砂塵が薄く流れ、居住区の外壁を叩いている。

 室内では空調が低く唸っていた。

「で?」

 ロウ・ガルディア大尉が言った。

 端末から顔を上げ、椅子の背へ身体を預ける。

「行くんですか」

「命令だ」

「質問に答えてません」

 イムサは端末を閉じた。

「行かない理由がない」

「ありますよ」

「何だ」

「第十一採掘区」

 短い沈黙。

 ロウは指を一本立てる。

「無断侵入」

 二本目。

「オーパーツに接近」

「触ってはいない」

「近づいたら光った」

「それは事実だ」

「それで処分なし」

 ロウはそこで手を止めた。

「普通なら、どれか一つでも問題でしょう」

「だからといって今回の出頭命令と結びつける理由にはならん」

「本当にそう思ってます?」

 イムサは答えなかった。

 ロウは続ける。

「採掘区から戻って三日後、マリアさんが火星到着」

「それは関係ない」

「その翌朝に月から呼び出し」

「偶然だ」

「タイミング良すぎません?」

 イムサは椅子から立ち上がり、窓のそばまで歩いた。

 赤い大地。

 三年間、毎日のように見てきた景色。

 赴任したばかりの頃は、ここは一時的な勤務地だと思っていた。

 任期が終われば月へ帰る。

 それだけだった。

 今は月へ戻るという言葉に、以前とは違う重さがある。

「俺は月政府の軍人だ」

 背を向けたまま言う。

「今のところは」

「ロウ」

「冗談です」

「笑えない」

「だから言ってるんですよ」

 イムサは振り返った。

「出頭する」

 ロウの表情から軽さが消える。

「本気で?」

「ああ」

「そのまま更迭されたら?」

「あり得る」

「拘束されたら」

「それもな」

「なら――」

「だからといって命令を無視した瞬間」

 イムサはロウの言葉を遮った。

「俺は反逆者になる」

 その言葉だけが、室内へ重く落ちた。

 ロウは何も言わなかった。

 イムサ自身も口にして初めて、その境界線の薄さを意識した。

「俺はまだ」

 ゆっくり言う。

「反逆者じゃない」

 その日の夕方。

 私用端末に、短い通信が入った。

 発信者、パウロ・エンダース。

 本文は一行。

 ――話がある。

 場所も以前と同じだった。

 

 *

 

 旧水処理施設。

 日が落ちたあとの建物は、以前にも増して寒々しく見えた。

 役目を終えた配管が暗闇の中を這い、足元には薄い砂埃が積もっている。遠くで水滴の落ちる音だけが、やけに大きく響いていた。

「またここか」

 イムサが言う。

 薄暗い制御室の壁にもたれていたパウロ・エンダースが、肩をすくめた。

「家賃が安い」

「住んでるのか」

「住めると思うか?」

「お前なら住みそうだ」

「ひどいな」

 軽口。

 いつもなら、そこで少し空気が緩む。

 だが今日は違った。

 パウロの顔は笑っていない。

「月から呼ばれたそうだな」

 イムサの目が細くなる。

「情報が早いな」

「火星は狭い」

「それで?」

「行くのか」

「ああ」

 即答だった。

 パウロは目を閉じ、小さく息を吐いた。

「戻ってこれないぞ」

「ロウにも同じことを言われた」

「なら部下の話くらい聞け」

「根拠は」

「ない」

「なら話にならない」

「根拠がなきゃ危険を感じちゃいけないのか」

「軍人はそれでは困る」

「だから軍人は面倒なんだ」

 パウロは壁から身体を離した。

「イムサ」

 初めて卿を付けなかった。

「何だ」

「お前は、自分が思ってるより今の火星で目立ってる」

「知ってる」

「知らない」

 パウロは一本ずつ指を折った。

「火星に三年いる」

「住民側に寄る」

「中央政府に何度も予算を要求する」

「機密区画へ侵入する」

 そして最後の一本。

「反政府組織の指導者と会ってる」

「それだけ聞くと最低だな」

「だろ?」

「お前が言うな」

 パウロが少し笑った。

 だがすぐ目だけは真剣なまま戻る。

「月から見れば、それで十分なんだよ」

 イムサは黙った。

「行くなら止めない」

「そうか」

「ただ」

「何だ」

「帰って来られると思うな」

 イムサは返事をしなかった。

 

 *

 

 宿舎へ戻った頃には、夜も深くなっていた。

 扉を開けると温め直した料理の匂いがした。

 マリアは荷解きの途中だった。

「遅かったね」

「ああ」

「夕飯、冷めた」

「悪い」

「温める」

「そのままでいい」

「まずいよ」

「腹に入れば同じだ」

 マリアが呆れたように笑う。

「そういうところ、本当に変わらない」

 食卓に向かい合わせに座る。

 久しぶりに夫婦で食事をしている。

 それだけのことなのに。

 イムサには妙に遠い日常のように感じられた。

「月に行くの?」

 箸が止まった。

「聞いたのか」

「端末の予定表に出てた」

「見るなと言っただろ」

「予定表くらい見える」

「……そうか」

「一人で?」

「ああ」

「十日で帰ってくる?」

「たぶん」

「たぶん?」

 マリアが手を止める。

「ねえ」

「何だ」

「戻ってくる?」

 また同じ質問。

 ロウ。

 パウロ。

 そしてマリア。

 三人目だった。

「戻る」

 今度は自分に言い聞かせるように答えた。

 その夜。

 マリアが眠ったあと枕元の端末が、小さく震えた。

 私用回線。

 発信元、月。

 表示された名前を見て、イムサは眉を寄せた。

 兄だった。

 こんな時間に連絡してくることなど、ほとんどない。

 寝室を出る。

 扉を閉め照明を落としたまま通話を開く。

「兄上?」

 画面に兄の顔が映った。

『イムサ』

「どうした」

『今、一人か』

 声が低い。

「マリアは寝ている」

『そうか』

「何かあったのか」

 返事がない。

 背後は暗い。

 見慣れた自宅ではない。

「どこにいる」

『それはいい』

「よくない」

『聞け』

 その一言でイムサは黙った。

 兄がこんな話し方をするのを初めて聞いた。

『中央から出頭命令が来ただろう』

「ああ」

『何日だ』

「十日後」

 兄の表情が僅かに歪んだ。

『……やはりか』

 イムサの背筋を、冷たいものが走る。

「何を知ってる」

『何も』

「嘘をつけ」

『イムサ』

「何だ」

 兄は一度画面の外を見る。

 誰かの気配を気にしているように。

 そして声を落とした。

『月へ戻るな』

 イムサは動かなかった。

「……何?」

『戻るな』

「理由を言え」

『言えない』

「兄上」

『俺から連絡があったことも忘れろ』

「待て」

『いいか』

 声がさらに小さくなる。

『絶対に――』

 通信が切れた。

「兄上?」

 応答なし。

 再接続、失敗。

 別回線、失敗。

 もう一度、繋がらない。

 イムサは端末を握ったまま。

 暗い部屋に立ち尽くした。

 寝室からはマリアの静かな寝息が聞こえる。

 火星の夜。

 遠くに響く居住区の機械音。

 月へ戻れば、何が待っている。

 戻らなければ、自分は何になる。

 答えはどちらも分かっていた。

 そしてどちらも、選びたくなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。