夏休みが明けて、残暑の厳しい九月。高校生活も、残すところあとわずか。
受験が近付く一方で、私の片思い歴は月日を重ねて順調に延び続けている。でも、一学期に比べたら、佐竹くんとの距離が縮まったと思う。不思議なのだけど、佐竹くんのほうから私に話しかけてくれることが増えたのだ。
夏休みの「思い出作り」の時のように二人きりになる、ということはないけれど、休み時間に私が友達の由莉耶と話していると、そこに佐竹くんが加わることが何度かあった。由莉耶は「佐竹が話しかけてきた! 珍しい!」と目を輝かせて喜んでいた。それは私も同じで、何度かそうやって佐竹くんから声をかけてくれたから、そのうちに、「もしかしたら、もしかして」と期待する心が、ありもしない考えを言葉にし始めた。
佐竹くんはただのクラスメイトだけど、私にとっては大好きな男の子。彼と話すときはいまだに緊張してしまうし、ちゃんと話さなきゃと思って空回りして、かわいくない返答もしてしまう。私よりも由莉耶のほうが彼と多く言葉を交わしていると、由莉耶にその気はないことを知っていても、薄汚れた嫉妬心が頭をもたげてくる。
それでも少しずつ少しずつ、佐竹くんと過ごす時間が降り積もっていく。報われることのない片思いだけれど、私は幸せだ。佐竹くんと一緒に過ごした時間を反芻するだけで、毎日胸がドキドキして嬉しくなる。
そんなふうに幸せな時間が続いていたから、私は忘れていた。君にとって、私はなんでもない存在なんだってことを。
ある日の昼休み、私は生物のプリントをコピーしようと思って図書室に行った。その帰り道、開いている窓からふと中庭を見ると、佐竹くんと仲のいい日暮くんが、女子生徒と楽しそうに話していた。日暮くんはバスケ部だから、たぶん、女の子はバスケ部のマネージャーさんかな。
男子バスケ部の女子マネージャーには、各学年で一人か二人くらいしかなれないらしい。それなのに、顔で選ばれているんじゃないかと思うくらい、どの学年のマネージャーもきれいな子が多い。だから男子部員のやる気が出るのか、うちの高校のバスケ部は、過去に何度も大会で優勝している。
日暮くんはバスケ部らしい、背が高くてよく笑う、笑顔が眩しいタイプのさわやかな男子だ。そんな日暮くんがきれいなマネージャーさんと一緒にいると、普段以上にキラキラと輝いているように見える。その二人の周囲だけ、別世界のようだ。私のような平々凡々の一般人には、こうして遠くからの見学だけが許されている、華やかな空間。
「あっ! なあ、佐竹! 今日の部活に助っ人で出てくれよ。引退した三年生が二年生と特別に試合をするんだけど、有志の三年の数が足りなくてさ」
「断る」
「え~。今日、予備校はないだろ? 帰っても勉強するだけじゃんか。そんな必死にならなくても、お前の頭なら医大でも大丈夫だって」
「俺の模試の成績を見ても同じことが言えるか? まだ合格確実なラインじゃねぇんだよ」
そんな日暮くんたちの輪に加わったのは、ちょうど通りがかった佐竹くんだ。
その瞬間、聞こえてきた会話を拾おうと、私の耳は無意識のうちに張り詰めていた。なんでもない会話だけど、佐竹くんのこととなると、どんなに小さなことでも知りたいと思ってしまうのだ。
「富岡、バスケ部はそんなに人が足りてないのか」
「そんなことないわよ。最悪、三年生が五人いなくても、別の二年生がチームに入ればいいだけだし、足りないなら足りないでなんとかするでしょ、きっと。慎二は
「だーって! こいつ、運動神経いいじゃん。せっかくの高校生活という青春を部活に入らずに過ごすなんて、もったいなくね!?」
「部活はだるい。それに、どの部活でも三年生はもう引退してるだろ。今さらだ」
「ちょっと斗真! あたしたち、そのだるい部活に真面目に取り組んできたんだから、そういう萎えるようなこと、言わないでよ」
「富岡はバスケ部にカレシがいるからだろ」
「カレシができる前から、あたしはこの高校のバスケ部を心底応援してるの!」
佐竹くんは親しげに、富岡さんという女子生徒に話しかける。そして富岡さんも、気心の知れたふうに堂々と佐竹くんと言葉を交わす。名前で呼んでいるところに、佐竹くんとの距離が私よりも近しいものなんだと、私は無性に思い知らされた。
格好いい佐竹くんと、キラキラ輝く笑顔の日暮くん。そして、きれいで大人っぽくて、利発そうな富岡さん。彼らは私と同じ、普通の高校生のはずなのに、まるで学園ドラマのワンシーンでも見ているような、不思議と遠い気持ちになった。
(私……勘違い、してた……)
開いていた窓に背を向けて、私は今し方コピーしたばかりの生物のプリントに視線を落とした。
私は勘違いをしている。思い上がって、自分に都合のいいことを考えていた。二学期になって佐竹くんのほうから話しかけてくれることが増えた気がしていたから、「もしかしたら特別に想われているかも……」なんて、勝手に期待していた。
でも違った。そんなことなかった。
佐竹くんはほかのクラスにも当たり前のように友達がいる。しかも同性だけじゃなくて、異性の友達だっている。私が知らないだけで、彼には彼の広い交友関係がある。
そんな佐竹くんがクラスメイトに話しかけることは、特別なことでもなんでもない。高校生活という日常の一部だ。私が特別に想われていた、なんてことはなくて、私はただ、佐竹くんと同じクラスだから、話しかけられていただけだ。
一学年に二百人も生徒がいれば、全然知らない、親しくない生徒がいたって不思議じゃない。高校三年間で一度も同じクラスにならず、部活などの接点もなく、知人にすら至らない同学年の人だっている。
そんな中で佐竹くんと同じクラスになれて、毎日同じ教室で一緒に授業を受けて、時々話ができるだけで、私の幸運は尽きている。それ以上に幸運で特別なことなんてない。「もしかしたら」なんて、考えること自体がおこがましいのだ。
(恥ずかしい……私、勝手に舞い上がってた)
一学期に比べて、話しかけられることが増えた? 当たり前だ。数カ月も同じクラスで過ごしていれば、それくらい仲良くなることは不自然じゃない。佐竹くんは猫みたいで、基本的に一人でいることが好きなようだけど、一日中一人で過ごしたい、というわけでもない。クラスメイトと当たり障りのない付き合いができる、スマートな人だ。話しかけられたことぐらいで浮かれて思い上がっていた私が、ただ幼稚なだけだ。
自分だけは特別かもしれないなんて、そんなことあるわけない。私なんか、佐竹くんからしたら同級生の一人にすぎない。富岡さんのようにきれいで利発なわけでもなくて、なんの取り柄もない凡人なんだから、佐竹くんから「特別な人」と思われるわけがないんだ。
(ばか……馬鹿っ……!)