これまで俺は、千葉が持つ妙に心地いい空気感を好ましく感じていて、いつの頃からか千葉のことを好きになっていた。けど、そこで停止していた。距離を縮められたような感覚を嬉しく思っていたわりには、彼女と具体的にどうなりたいか――つまり、告白して付き合いたいかどうかは、真剣に考えたことがなかった。
「それって……なんか、答えがないといけないのか」
「まあ、普通はそうじゃね? だって好きなら一緒にいたいし、ほかの奴にとられるのも嫌じゃんか。なら告白して付き合って、カレシになって独占しないと。あと、えっちもしたいじゃん」
「黙れ童貞」
「照れるなよ、童貞二号♡」
ふざけた日暮は無視して、俺は焼肉丼を食べ進めながら考える。
一応、女子と付き合った経験はある。でもそれは、付き合うまでの過程をゲームのように楽しんだにすぎない関係だったり、どうしてもと言われて断るのが面倒だったから適当に頷いただけの関係性だったりした。相手を大事にしたいと願い、自分から手を伸ばして求めたことはない。
だからなのか、自分が千葉とどうなりたいのかについて具体的に考えると、明確な自分の意思を言葉にできず、頭を抱えてしまう。これなら、国公立大学の赤本を片っ端から解いているほうが気楽だ。
(千葉と……どうなりたい?)
今のような、「近付くな」オーラは出してほしくない。避けているなら、避けないでほしい。それは不覚にも、寂しいとか思ってしまうから。
だからといって、急接近したいわけじゃない。だけど少しでいいから、昨日よりも今日、今日よりも明日、千葉との距離が縮まったら嬉しいと思う。そして、千葉と一緒に過ごせた夏休みのあの日のような時間がまたいつか来たらいいなと、願ってもいると思う。
(つまり、一緒にいたい……のか)
言葉も自覚もなしに希求するのは赤ん坊のすることだ。成長した人間なら、自分が抱く欲求を理性と言葉で把握していかなければならない。でも、己の中にある欲望の姿を明確にとらえ、言葉にすること――それは意外と難しいのだと気付く。
(俺は、少しでもいいから距離を縮めたい……)
今はまだ、小さな願い。だがきっとこの先、それは大きくなる。独占したいとか、カノジョにしたいとか。たぶん、日暮の言うように性的なこともしたいとか。
[好きな人ならいるんだけどね]
そう考えたら、いつかの千葉の言葉が脳裏をよぎった。
そうだ、千葉には好きな奴がいる。ほかに好きな奴がいる相手への気持ちは――欲求は、許されるのだろうか。
「千葉ちゃんって、好きな奴とかいるのかな」
「日暮、お前……」
「なんだよ」
「いや、人の心の中でも読めるのかと思って」
「いいねえ、そういう能力。でも、普通に疑問に思っただけだぜ?」
「いる……と、一学期に言ってた」
「あれま。でもカレシがいるようには見えないから告白してないか、告白したけど振られちゃったか……だな。いいじゃん、佐竹にも勝ち目はありそうだな」
(勝ち目……)
これは勝負なのか。誰との勝負なんだ。その勝負に、俺は勝ちたいのか。どうしたいのか。好きな奴がいると言った千葉を、そんな奴より俺と一緒にいてくれと、勝手な願いを押し付けてもいいのだろうか。
(告ってきた女と変わらねぇな)
付き合ってみてよ、そしたらきっと、あたしのことを好きになるから――なんて、たいそう身勝手で自信満々な告白をしてきた女子が、過去にはいた。けれど、千葉に対する今の自分も、そうした身勝手な人間になっているような気がする。
俺は千葉が好きで、でも千葉にとって、俺はただのクラスメイト。それだけの関係でいいと思っていたはずなのに、こうして千葉との距離が遠くなると、それが寂しいなんて勝手に思っている。
柄じゃない。こんなふうに女々しく状況を嘆くのは、俺らしくない。
「まあ、告白しろとは言わないけどさ。本当に千葉ちゃんがお前を避けているのか、だったらなんで避けるのか、それくらいははっきりさせてもいいんじゃね? 何事も、〝わからない状態〟ってのが一番不安で不愉快になるものヨ」
「ばっ……突然のおネエ口調はやめろ」
日暮の語尾がツボに入り、俺は思わず噴き出して笑ってしまう。俺には到底できそうにない、こういうおかしなことをしれっとやってのけるところが、日暮の面白いところだ。
自分の心が抱えているものすら曖昧で見えないのに、他人との関係性なんていう、もっと不確かなものが曖昧だと、たしかに不安で不愉快になるかもしれない。白黒つけることだけが正義ではないが、俺が感じている千葉への違和感の理由くらい、たしかめてみてもいいかもしれない。
「ん~、今日もカツ丼とカレーうどん最高」
「野菜が足りないんじゃないか」
「やぁーねっ、ママみたいなこと言わないでちょうだいっ!」
「ぷっ……だから、その口調はやめろって」
なおもふざける日暮のおかげでもやもやした気持ちがすっかり晴れた俺は、一つの決心をしてから教室に戻った。
◆◇◆◇◆
昼休みが終わり、午後の授業が始まった。
三年生は進路別に分けられたクラスによって、授業数が異なる。私がいるこのクラスは国公立大学を第一志望にしている生徒が多く、二学期になってもまだ多くの授業がある。油断するとすぐに佐竹くんのことを考えて胸の中がもやもやしてしまうけど、それをどうにか振り払って今日も授業を受けた。
そして、ホームルームが始まるまでの、ほんのわずかな休み時間。帰り支度をしていると、私の机の上にぽとり、と畳まれたメモ用紙が落とされた。誰? と思って顔を上げると犯人は佐竹くんで、でも彼は特に何を言うでもなくささっと自分の席に座ってしまった。
(佐竹くんから?)
私は恐る恐るそれを開いて、中身に目を通す。
――今日の放課後、特別教室棟の四階、北階段で待ってる。
それは佐竹くんからの呼び出しだった。
(えっ、どうしよう……行くべきなのかな)
突然のことに、私はとても驚いた。ホームルームが始まっても、妙にそわそわしてしまって落ち着かない。誰かに見られないように、佐竹くんがくれたメモ用紙をスクールバッグの中に早々に隠し、でも、それをちらちらと見ては、どうしよう、どうしようと胸の中で狼狽する。
(なんで……どうしてだろう)
何の用事かな。何を言われるのだろう。
ここ最近、私はずっと佐竹くんを避けている。これ以上、「もしかして」なんて期待をしないように。これまでどおり、佐竹くんにとってはただのクラスメイトであるように。佐竹くんへ視線を向けそうになるのも必死で自制して、佐竹くんのことを考えそうになっても、すぐに違うことを考えるようにして……。
でも、そんなうわべの努力はなんの意味もない。
だって、自制してもほかのことを考えようとしても、気付けばいつだって、私の頭の中、心の中、全部に佐竹くんがいる。意識が全部、佐竹くんに向いてしまう。佐竹くんが好きって気持ちがあふれて止まらないのだ。
君が好き。ただ、君が好きなだけ。それでいい。それでいいの。
ずっとそうだと思っていた。それでいいと、自分に言い聞かせていた。
だけど、私はもう、佐竹くんの引力に捕まってしまっていて、離れたくないとか、もっと一緒にいたいとか思って、「ただ好き」なだけじゃ足りなくなっている。