何を言われるのかな。勘違いするなって言われるのかな。
なんでもいい。何を言われてもいい。「迷惑だ」って言われたら、きっと終わりにできる。佐竹くんにからめ取られたこの気持ちを、佐竹くんの言葉で終わらせられる。どうせ叶わない思いなら、彼自身の言葉で終わりにさせてほしい。
ホームルームが終わる。あいにく掃除当番だったので、私はいつも以上にテキパキと動いて掃除を終わらせる。そしてその間に、佐竹くんと向き合う覚悟を決めた。
そういえば一学期のあの日、珍しく掃除をしている佐竹くんと話したことがあったなあ。思えば、あれが始まりだったのかもしれない。「君が好き」という気持ちが、こんなにも大きく成長した始まりの日。
私はスクールバッグを肩に掛けると、怯える足をなんとか動かして特別教室棟に向かった。
理科室や調理室などがある特別教室棟は、授業以外で使われることはほとんどない。だから放課後のこの棟は、掃除当番がいなくなれば無人に近い。それも、一番上の四階ならなおさらだ。
(佐竹くん……もういるかな)
スクールバッグの持ち手をぎゅっと握り締めて、私は特別教室棟の北階段を上った。緊張しているせいで、一段上がるごとに心拍数が一ずつ上がっていくように感じる。
(覚悟して……〝もしかして〟なんて……ないんだから)
佐竹くん。「本当の」佐竹くんはどんな人?
医者の息子、成績優秀、運動神経良好、イケメン、大人びている。
そんな上っ面じゃなくて、「本当の姿」が見たいと思った。理解したいとも。
でも、私なんかが見たり知ったりしていいことじゃないよね。気持ち悪いよね、ただのクラスメイトから、そんなふうに内面を理解したいなんて思われたら。ごめんね。私は、ただのクラスメイトっていうだけの存在なのにね。
「あ、の……お待たせ……しました」
一番上の段に座っている佐竹くんを見つけて、私は階段の中腹で足を止めた。そして、待たせたことをぎこちない声で詫びる。
黙ったままの佐竹くんはちらりと私を見ると、視線を横にそらした。
私も佐竹くんを見るにはいたたまれない気持ちなので、足元の階段を見やって、「あ、埃が溜まってる。今日のここの掃除当番の人、真面目に掃除をしなかったのかな」なんて、場違いな感想を抱いていた。
佐竹くんが何も言わないので、私も何も言えない。いつまでこの重い沈黙が続くのだろう。そう思ったら、ようやく佐竹くんの声が聞こえた。
「なんか最近、俺のことを避けてないか」
「えっ……そ、んなこと……」
「そんなことない? 本当に?」
佐竹くんの質問は単刀直入すぎだった。
どうしよう。
たしかにここ最近、意識して佐竹くんを避けているんだけど、それを肯定するのってどうなの。でも追及されてしまっては、これ以上わざとらしく否定することもできない。
「俺、千葉に何かしたか。何か気に障ること、したのか」
「しっ……してないよっ! 別に、佐竹くんは……何も」
そう、何もしてないよ。
二学期に入ってから、佐竹くんは私に話しかけてくれるようになった。でもそれは、私にだけじゃない。親しい人が相手なら、当たり前にすること。日暮くんと一緒にいたバスケ部の富岡さんにも、佐竹くんは普通に話しかける。「自分だけ特別扱いされているのかも」なんて、私はありもしないことを勝手に妄想していただけ。佐竹くんが私の気に障るようなことをしたなんて、あるはずがない。
佐竹くんはまたしばらく黙ると、すっと立ち上がって階段を下りてきた。
私は条件反射のように、佐竹くんが階段を下りるのに合わせて階段を下りてしまう。背後の段差をちらちらと確認しながら、まるで佐竹くんから逃げるように。
そうして、私は踊り場の壁に背中をくっ付けてしまった。
もう、逃げ場所はない。佐竹くんがゆっくりと、私との距離を詰めてくる。
「千葉」
首を曲げて見上げないと視線が合わないほどの距離まで、佐竹くんが近付いた。私は佐竹くんの目を一瞬だけ見たけれど、ずっと視線を合わせていることなんてできなくて、佐竹くんの肩越しに、いま下りた階段を見つめる。バクバクとうるさいくらいに心臓が高鳴っていた。
こんなにも近くに佐竹くんがいる。鼻に感じるのは、佐竹くんの汗の匂いなのかな。それとも香水? 放課後の特別教室棟はシーンとしていて、どこかの運動部の掛け声がとても遠くから残響のように聞こえるだけで、ほかに音はない。いまここで一番大きな音を出しているのは、私の心臓かもしれないと思うほどだ。
佐竹くんは私の左肩越しに、壁に右手を突いた。そして、上半身を少しだけ私に向かって傾けてくる。佐竹くんのひたいとさらさらな前髪が、私の左肩に乗る。
「俺を避けるな。俺は、もっとお前と一緒にいたい」
とても近くで聞こえた佐竹くんの声は、自信に満ちあふれたいつもの彼からは想像できないような切なさをはらんでいた。それは普段教室で聞くよりも驚くほどセクシーで、だけど震えているような気もする。
「え、っと……」
佐竹くんが言ったことを、私はオーバーヒートしそうな思考回路で一生懸命理解しようとした。でも心に浮かぶのは、佐竹くんがどうしてそんなことを言ったのかということよりも、「嬉しい」という気持ちだった。
ねえ、佐竹くん。私、思い上がってもいいの? 舞い上がってもいいの?
「もしかしたら、佐竹くんに好かれているかも」なんて勘違いをしていいの? 自分だけは特別かもしれないなんて、自惚れてもいいの?
「私、も……」
勇気を。人生で一番の勇気を必死で振り絞る。
「私も……佐竹くんと一緒に……いたい」
痛い。
切なくて、胸が痛い。
気持ちを言葉にして紡ぐって、こんなにも痛いことだっけ。
喉から出てくる自分の声を聞きながら、私は痛くて仕方がなかった。
佐竹くんも、こんなふうに痛かっただろうか。
切なくて痛いのに、それでもさっきの言葉を紡いでくれたのだろうか。
ああ、もしそうなら、私は一生大事にしよう。
佐竹くんがくれた言葉を――佐竹くんの声を、絶対に忘れないように。
死ぬまでずっと憶えていよう。私の一番大事な宝物にしよう。
佐竹くんは何も言わなかった。
無言のまま、佐竹くんは首を少しだけ動かして、私の首元に寄ってくる。そのしぐさは、まるですり寄ってくる猫みたいだ。
これが、「本当の」佐竹くんなのかもしれない。実は臆病な心を抱えていて、だけど恐れずに進もうと、いつも一生懸命に振る舞っている。そして、安心すると無言で距離を詰めて、人に甘えたくなる。きっと、こんな佐竹くんを見たことのある人は少ないだろう。
「駄目……かな」
ほかの誰か、誰でもいい――じゃなくて。
私が一番近く、佐竹くんの傍にいる。それは、許されること?
「駄目じゃない……だから、俺を避けるな」
「うん……」
佐竹くんがいまどんな表情をしているのか、見えないのが残念だ。私と一緒にいたいと言ってくれた佐竹くんのその心がどんな大きさでどんな色で、どんな思いで満ちているのか、私にはまだ、完璧にはわからない。
でもこの日、ほかに誰もいない場所でひっそりと、私たちの関係はたしかに動いた。