部屋の正面、上座には声の主が静かに座っていた。
人を使う立場の人間……それもかなり高い位置に居る者特有の雰囲気を醸し出し、その瞳は俺を射る様だった。
まるで井ノ口の街で出会ったあの老人、斉藤道三の様だった。
年齢は道三より随分と若い様だが。
平手政秀、森可成は上座を挟む様に左右に別れ着席する。
さて、俺はどこに座るかな?と考えを巡らせていると平手殿から座る場所を指示される。
俺の場所は下座の様だ。
ぶっちゃけて言えば俺を呼びつけた人物の正面だ。
表情は平静を保ちつつ心の中では泣きたくなった。
勘弁してくれ。
面倒事は確定かな。
そんな予感しかしなかった。
意を決して座ろうとする俺に背後から声がかかる。
「御腰の物を。」
言って来たのは高い位置でポニーテールを結った桜色の着物を纏った少し勝気そうな少女。
しばしの間見定める様に彼女を見る。
少女は一瞬ビクリと体を震わせた後、決意したかの様に同じ言葉を口にする。
「御腰の物を。」
ふむ、なかなか肝が据わった少女だ。
俺は悪党の笑みを浮かべ腰に刺さった二本の小太刀を………………抜いた。
ゆっくりと。
見せつける様に。
部屋の中に居る俺の知らない二人は息をのむ。
少女の方など涙目になっていた。
ゆっくりと引きぬかれる二本の小太刀。
鞘から現れる鈍く光る二本の刃………………ではなく紙。
正確に言えば折り曲げた紙。
簡単に言えばハリセン。
当たり前だろう、俺の小太刀はヒルデとの決闘で折れているから。
「ここではハリセンによる突っ込みは禁止かな?」
意地悪く少女に問う。
少女は頭を垂れプルプルと震えた後。
「何なんですかあなたは! 悪ふざけにしても性質が悪すぎです! 時と場所を考えないんですか!」
一気にまくしたてる。
それに呼応するように可成殿が立ち上がり
「そうだ! お前は迷惑しかかける事が出来んのか!」
言って近寄って来る。
イラッと来た。
迷惑しかかける事が出来んのか?お前が言うか。
俺は少女から目線を外し振り向きざまに
「うっさいんじゃ! お前が言うな鬼瓦がぁ!」
言って森殿の頭をひっぱたく。
ハリセンで。
力一杯。
全力全開で。
スパン! と言う心地いい音を立ててヒットした。
畳に突っ伏す森殿。
俺はそれを無視する様に少女に向き合い
「すまんな。鬼瓦が迷惑をかけた。」
言って二本のハリセンを少女に渡す。
場は静寂に包まれる。
平手殿は滝の様な汗をかき、森殿の顔は真っ赤だ。
一触即発、そんな言葉がピッタリな空気だった。
乱闘かな? これで帰れる。
今後清州に、いや、尾張に居られるかは天のみが知る所だが。
そうだ、旅に出よう。
現実逃避する俺の下から真っ赤な鬼瓦、いや、可成殿が起き上がる。
準備万端、戦闘態勢だ。
「おのれ貴様……」と言いながら這い上がって来る可成殿。
派手な喧嘩が今始る、その瞬間
「止めんか!」
迫力ある低い声が響く
その声で場に居る全員の動きが止まり、視線は上座の男に注がれる。
件の男は立ち上がると静かに俺の横へと歩みよる。
いや、俺の後、ポニーテールの少女の下へ。
男が右手を差し出すと少女は黙って男に俺のハリセンを渡した。
右手に持ったハリセンを左手にポンポンと二度三度打ちつけ
“スパーン!”
可成殿の頭を力一杯打ちつけた。
残身の姿勢を解き男は口を開く。
「全く。全くじゃ。可成よ、お主は我慢と言う物を少しは身につけぬか。家老と言う身分、少しは考えて見よ。」
言われた可成殿は姿勢を正し
「申し訳ございませぬ」
一言だけ発し頭を垂れる。
その後俺の方へ向き直り
「さてお客人。仮にも織田家の家老の頭をひっぱたいたのじゃ、タダで済むとは思うておらんだろうな?」
言葉と共に不吉な笑みを浮かべてくる。
俺は表情は平静を保ちつつも内心は冷や汗ダラダラだ。
だが、ここで弱みを見せれば付け込まれる。
だから俺は
「どうしろと? 俺の首でも持っていくのかい?」
精一杯の悪党の笑みで返す。
男は虎の様な笑みを漏らしながら値踏みするように俺を見つめ
「ふっ、あーはっはっはっはっ!」
いきなり笑いだした。
目に涙まで浮かべて。
「気に入った。気に入ったぞお客人。今回の事不問にいたそう。さて、話を続けようぞ。良いなお客人。」
少女にハリセンを渡し、有無を言わせぬ迫力で男は上座の席へと戻って行く。
ドスンと乱暴に腰を下ろし、腕を組み目で俺への着席を促して来る。
俺はこれ見よがしにため息を吐き、しぶしぶと言った態度をありありと見せ付けながら着席した。
荒事が一段落して一瞬の静寂が訪れる。
「で、話とは?」
沈黙を破ったのはもちろん俺だ。
その言葉を聞いて目の前の男はにんまりと表情を崩し
「うむ。実はのう、わしには今年元服する娘が居るのだ。」
「ほう。それはおめでとさん。」
話が見えない。
ここは適当でも話を合わせるしかないか。
「それでな、天才なのじゃよ。わしの娘は。」
「は?」
「天才なのじゃよ。」
なるほど、重度の親バカか。
「お主、わしを親バカと思ってはおらぬか?」
胡坐をかいた姿勢で膝に肘をつき拳に顎を乗せた砕けた姿勢で上座の男は語って来る。
そりゃあ思う、誰だって思う、思わない人間は居ない。
沈黙でその言葉を受け止め
「それで、その天才と俺にどう言った関連が?」
改めて質問する事でこの話題を回避する。
上座の男は「そこじゃよ。」と言って話を再開した。
「そこじゃよ。今の時代、十年先、五十年先を見つめておる者がおったらどうなると思う?」
「まあ、嫌われますね。一歩間違えば頭が可笑しい人物だ。」
「そんな者が次期大名だったらどうじゃ?」
「間違い無く潰されるだろうな。色々な手口はあるだろうが。」
上座の男は一度大きく頷き
「今は守ってやる事も出来るが……解るじゃろう。」
ああ、解った。
解ったが………俺、一介の商人だぞ。
「お主の考えておる事は解る。そこは何とかしよう。どうじゃ? わしらが死した後、守ってやってはくれぬか?」
俺がか?
何で?
誰を?
初めて会ったおっさんの娘を?
喉、いや、舌の先まで「いやだ!」と言葉が出ていたが
「まあ、その時は自分に出来る限りはお手伝いいたしましょう。」
そう答える事にした。
何度も言うぞ、大人だからな。
上座の男、いや、もういいや。
上座のおっさんは下知を取ったとばかりに表情を崩しやっと俺は解放された。
幻灯館主人の帰った座敷では残った四人の人物が輪になって悪だくみの総決算を開始していた。
「しかし殿、本当に先ほどの方でよろしいんで?」
最初に口を開いたのは高い位置でポニーテールを結った桜色の着物を纏った少女だった。
「うむ。恒興よ、あれは一見そうは見えんかも知れんが、あれの、吉の守としては最上の者ぞ。」
高い位置でポニーテールを結った桜色の着物を纏った少女、池田恒興は天井を見上げながら「はあ。」と返事を返すだけだった。
その態度に何かを感じたのか世話役である平手政秀が口を開く。
「姫様と乳姉妹であるお主なら気付いておるとは思うが、今から三年程前、姫様の行動が変わったであろう?」
言われた恒興はしばしの間首をひねっていたが、何かを思いついたのか目を見開いた。
「あっ! そう言えばそうです。それまでは勘十郎様を木に吊るしたり、勘十郎様を川に流したり、勘十郎さを……えーと……」
「もうよい。」
恒興の発言に吉姫の弟である勘十郎が不憫になり平手政秀は止めに入る。
「はいぃ。その姫様が、そうですね、三年程前でしたね。急に書物を読みふけったり日がな一日やぐらの上で考え事をしたりするようになったのは。」
「それだけでは無かろう? あ奴が天下や政事と言う言葉を言い出したのも………」
「三年前………ですね。確か山の向こう側を見る方法?」
殿と呼ばれた男の言葉に恒興はそう返す。
「ちなみに長秀の点数癖や、勝家の槍の訓練も………」
「三年前………ですね。」
森可成の言葉に探りながらも返事をする恒興。
そして、追い討ちをかける様に平手政秀は
「この清洲に幻灯館が出来たのは?」
「三年前!」
今までの会話を全て受け取る様に殿と呼ばれた男が口を開く。
「三年前、今でもよう覚えておる。あの夜あ奴、吉が嬉しそうに語っておった。吉のあんな笑顔は昔宣教師に会った時以来じゃったな。今日、街で不思議な男と出会ったと。金の髪をした少女と二人連れの男だったと。その人物は自分の中の霧を晴らしてくれたとな。」
「姫様がそんな事を。」
今の話を初めて聞いた恒興は驚いた顔で、知っていた平手政秀と森可成は黙って次の言葉を待つ。
「町人の話や平手、森の話を聞いて、わしはあの男しか居ないと断言出来る。」
「しかし殿、彼は一介の商人ですよ。それをどうやって姫様の守役に?」
恒興の質問に殿と呼ばれた男は意地の悪い笑みを漏らし
「勘違いするでない恒興。誰が守役と言った。」
「えっ!だって先ほど姫様の守って………」
「そうじゃ。吉の守じゃな。誰が守“役”と言った。」
恒興は頭を抱えた。
何を言っているかが解らない。
殿と呼ばれた男は意地の悪い笑みから虎の様な笑みに表情を変え
「吉には守と同時に鈴もいる。あれは思い込んだら一直線じゃからな。ぶん殴ってでも止める者が必要であろう。」
池田恒興もその意見には素直に賛成出来る。
出来るが………
「一介の商人がそんな事をすれば大変な事になりますよ!それに、そんな不敬な事皆が許すはずありません!」
恒興の当たり前の発言に殿と呼ばれた男は大きく頷く。
何を言おうとしているのか知っている平手政秀と森可成は苦笑いを浮かべるだけ。
双方の表情を見つめつつ殿と呼ばれた男、尾張大名、織田信秀は
「あ奴をわしの息子にすれば良い。」
と豪快に笑いながら言いきった。
いかがでしたか?
次話からは場所を雫里の里へと移します。
そして、彼の災厄はまだ続きます。