織田信秀の葬儀が行われてから数日、空はまるで悲しみから覚めぬかの様に大粒の雨を降らせていた。
バチバチと地面を打つ雨の雫を眺めながら、幻灯館主人は縁側に座り杯を傾ける。
ゆっくりとゆっくりと思い出を確かめるかの様に酒を飲み干す。
「大丈夫じゃんか?」
背後から声が掛る。
ゆっくりと振り向くと、そこには村上花梨の姿があった。
幻灯館主人は薄く笑みを浮かべると
「ああ」
とだけ答え視線を再び雨へと移す。
しばしの間空間を沈黙が支配するが、不意に幻灯館主人は口を開く。
「なあ花梨、知っているか? 未練を残した人が死ぬ時、決まって葬儀の日には雨が降るそうだ」
「む、昔、親父から聞いた事があるじゃん」
いきなり声を掛けられた事に驚いたのか、どもりながら花梨は言葉を返す。
「しかし葬儀から早三日。どんだけ未練を残してんだよ、あの親父は」
愉快そうに寂しそうに幻灯館主人は呟く。
「後の事は俺に任せたんじゃ無かったのかい? まあ、妹の暴挙を止められなかった俺が言うのも何だがな……」
「暴挙って……ああ、抹香をぶちまけたってやつじゃん?」
「ああ、葬儀の場でな」
そう言う幻灯館主人の表情は先ほどとは打って変り、すこぶる楽しそうだ。
だが花梨はその表情に違和感を感じる。
それはそうだろう、自分の父親の葬儀の場をぶち壊すなど本来ならばあってはならない事なのだから。
それも織田家の当主が、尾張の大名がだ。
ならば何故こうも彼の表情は明るいのだろうか?
「五十鈴さ、ううん、信長様って呼んだ方がいいじゃんか?」
花梨はおずおずと少し寂しげに呼びかける。
この問いに幻灯館主人はクスリと笑みをもらし
「俺は真中五十鈴だよ、そして八房美津里であって織田信長。お前の好きなように呼べばいいさ」
「じゃあ五十鈴さんじゃん。あたしにとってはずうっと五十鈴さんじゃん」
そう言って花梨はほがらかな笑顔を浮かべた。
が、その表情はすぐに強張った物に変化した。
そしてニヤリと悪そうな笑みを見せると
「それでも、五十鈴さんが武家の者と言う事は変わらないじゃん?」
「まあ、まあそうだな」
幻灯館主人の肯定の言葉を聞いて花梨の表情は満面の笑みへと再び変化を見せる。
花梨のこの変化に幻灯館主人は怪訝な表情を浮かべながら首をひねる。
だが、当事者の花梨はそんな事知った事かと自分の世界へと沈んで行く。
「ふっふっふっ。やったじゃん。勝ちじゃん。世界はあたしの為に回っているじゃん」
そう言うとおもむろに立ち上がり、足早に部屋を去って行く。
「待ってるじゃん、腹黒白狐! あたしの勝利は確定じゃん! あたしは武家に嫁ぐじゃん! やったじゃんか親父! 村上の未来は明るいじゃん!」
そう謎の言葉を残して。
「本来信長が居るべき場所には信奈が居て、信長がやるはずの事を信奈が行った、か。立位置としての信長と、信長と言う名。はたして世界はどう回るのか。ふっ、歴史は俺の知らない方向へと進む様だな。ならば、俺は俺の好きに世界と関わらせて貰うとしよう。」
そう言って、織田信長と言う名を貰った男は薄く笑みを浮かべ、盃をあおった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あれから幾日かが過ぎた。
世は平静を取り戻し、織田信秀の死は人々の歴史の一部となっていた。
葬儀の日から降り続いた雨は、何かを託すように一旦は上がったが、今また空は涙を流している。
まるで、来訪を拒む様に。
それでも一人の男は、そこへと足を向ける。
金糸で彩られた蝶が羽ばたく真黒な着流しに、羽織を纏い、黒と蒼の瞳で世を見つめ、煙管をくゆらせる男が。
男が目指す場所、現代ならば、愛知県名古屋市中区にある万松寺。
先代の尾張大名、織田信秀の菩提寺。
丁度、那古野城の南に位置する場所だ。
本堂へと続く石畳を折れ、墓地へと向かう。
その最奥、力持つ者達が眠る場所へと歩を進める。
目当ての人物が眠る場所が、瞳に映る。
だが、その場所には自分以外の影が一つ。
傘もささずに、その身を雨で濡らした姿は、まるで身体中で涙を流している様だった。
男はゆっくりと近づくと、隣に立ち、少女を傘の広がりに入れる。
「はーあ。何をしているんだ、お前は。何かの呪い(まじない)か? それとも……馬鹿、か?」
「うるさいわね! アンタには関係無いでしょ!」
隣にいる人物、少女がイラついた様に言葉を返して来る。
「そうかい」
そう言って、持参した諸白を墓へとかける。
そして、残った酒を一口飲み
「なかなか楽しい葬儀だったらしいな」
「何、嫌味?」
「いや。俺も仲間に入れてほしかったな、と。なあ、バカ親父」
そう言って悪党の笑みを浮かべる。
「バカ親父って。あんた、腐っても尾張の大名よ」
「知るか。俺やお前にとっては、只のバカ親父だ。迷惑しか残して行かなかったからな。違うか、吉」
隣に立つ少女、幼名 吉法師。現尾張大名 織田信奈。
「そうね。そうかも知れないわね、美津里」
男の名は、八房美津里。
そう言った信奈は、沈んだ顔を明るい物に変化させる。
それを最後に、名残を残しながら信秀の元から立ち去った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二人の姿は、寺の庫裡にあった。
濡れ鼠であった信奈は、僧服で縁側に座る。
隣には幻灯館主人、八房美津里が座る。
二人は何も話さず、ただ眼前の雨だれを見つめていた。
そんな中、信奈は呟く様に口を開く。
「どれくらいぶりかしらね」
「そうだな、随分と顔を見ていない気がするな」
「あの娘は元気? あのたの奥さん」
「元気すぎて気が滅入りそうだ」
そんな会話と共に、二人は口角を上げる。
「ねえ、美津里。私に兄がいるんだって」
「ほう」
「驚かないの?」
「驚いているさ。十分に、な」
飄々と返す幻灯館主人に対し、信奈の眼は半眼だ。
相も変わらずだと。
「信長って言うらしいんだけどね」
「どうかしたのか?」
「私の兄って言ったら、織田家の長男じゃない。それなのに、父上の葬儀にも顔を出さずに、どう思う!」
徐々に信奈の感情はヒートアップして行く。
「さあな。別れはすでに済ませてあったんじゃ無いか?」
「それでもよ! 親不幸にも程があるじゃ無い!」
そう言って詰め寄る信奈に対して
「抹香撒き散らせたお前が言うか?」
「なによ! 私が何したって? 私は素敵な香りを運んだだけじゃ無い!」
「盗っ人猛猛しい。キャンキャン騒ぐな、発情期か」
開き直る信奈に対し、幻灯館主人はそう言って、おでこをピシャリと張り付ける。
若干赤くなったおでこを信奈は押さえ、涙目になりながらも言葉は続く。
「それでさぁ、何か変なおっさんが、城内をうろつき始めるし。なんなのよ、もー!」
「変なおっさん?」
「そう! 森そう何とかっておっさん!」
「森宗意軒、か?」
「それ、そいつ!」
人差し指を立て、信奈はさらに顔を寄せる。
幻灯館主人は、それを手でのけると
「その男なら、ウチの従業員だ。それでもって、医者だ。万千代から聞いて無いのか?」
「はぁ? だ、だって、あのおっさんは、信長の手の者だって……」
信奈の動揺に、幻灯館主人は「ああ」と納得の意を表しながら頷く。
「まあ、そう言う事だ。信長様お抱えの医師であり、ウチの従業員、と言う事だ。納得いったか?」
言いながら、悪党の笑みを見せる。
「納得行く訳ないじゃない! なに? すると美津里は信長を知っている訳?」
「ああ、知っている。話した事は無いがな」
「ふーん。それで、どんなヤツなのよ」
問われた幻灯館主人は、雨の上がった庭に立ち、数歩歩いた後振り返り
「碌なヤツじゃないな」
そう言って楽しそうに笑う。
それを最後に、幻灯館主人は立ち去って行った。
そして、信奈はその背中を優しげな微笑みで見送るのだった。
プチ復活。