ここはロスカリファ。
そして俺が現在働いている場所――
百年前とは何もかも変わってしまったこの街で、俺は今日も平和な一日を過ごしていた。
……はずだった。
「ほらアステル、この仕事も早く片付けるのだ!」
目の前に追加の書類がどさりと置かれる。ただでさえ俺の机には処理途中の書類が積まれているというのに、さらに追加だ。
しかも、その書類にはしっかり見覚えがあった。
「これ、お前の仕事じゃねーか!」
「うるせーのだ!上司がやれって言ったら黙ってやるのだ!」
小さい身体でふんぞり返りながら、偉そうに言い放ったこいつはノルムー。一応、俺の上司だ。
そして――命の恩人でもある。
現代のロスカリファで路地裏に行き倒れていた俺を拾い、この少々訳ありな身体を調整してくれた。そのことについては、今でも感謝している。
感謝しているのだが……。
「あと喉が渇いたのだ。アステル、茶でも淹れるのだ」
それを差し引いても有り余るくらい、こいつは横暴だ。
「それくらい自分で淹れろよ」
「あーあ。誰かさんが路地裏でぶっ倒れてたところを、親切なノルムーがわざわざ拾って助けてやったというのに……その誰かさんはノルムーの頼みひとつ聞いてくれねーのだ」
わざとらしくため息までつきやがった。
「お前、それいつまで使うつもりだよ……」
「命の恩は一生モノなのだ!」
「くそっ……」
これを言われると俺は弱い。それを理解しているからこそ、ノルムーも事あるごとに持ち出してくる。
結局いつもと同じように折れて、飲み物を用意しようと席を立った――そのときだった。
「ノルムー?」
穏やかな声が聞こえた瞬間、ノルムーの身体がぴたりと止まった。恐る恐る振り返り、その顔が露骨に引きつる。
「げぇっ、ヴェリナ!?」
「まあ。随分な挨拶ね、ノルムー」
そこに立っていたヴェリナは笑っていた。穏やかで、いつも通り上品な笑顔。
なのに、なぜだろう。
ものすごく怖い。
「その書類、あなたに任せていたものだったと思うのだけれど……私の勘違いかしら?」
「ち、ちげーのだ!これは適材適所なのだ!ノルムーはもっと重要なことをする必要があるから、アステルに任せてやっただけなのだ!」
言い切ったノルムーが勢いよく俺を見る。その目は明らかに訴えていた。
――分かってるよな?
するとヴェリナも俺へ視線を向ける。
「そうなの、アステル?」
なるほど。俺の証言にノルムーの命運がかかっているらしい。
もう一度ノルムーを見る。ものすごい圧で睨まれた。
なので俺は、にっこりと笑って答えた。
「押しつけられました!」
「貴様、裏切りやがったのだ!?」
「ノルムー。いつも言っているでしょう?自分の仕事は自分でやりなさいって」
「だぁって、アステルがやった方がはえーのだ!早く終われば、その分ノルムーは他のことができるのだ。こっちの方が効率いいのだ!」
「俺は他のことできないんですけど……」
「それに!アステルはノルムーが拾ったのだ!ノルムーが仕事を頼んだって文句を言われる筋合いはねーのだ!」
「俺の権利は!?」
「そんなもんねーのだ!」
即答しやがった。
俺が抗議の視線を向けていると、ヴェリナが小さくため息をつく。
「ノルムー。確かにあなたがアステルを拾って、今まで面倒を見てきたのは事実だけれど……」
「あれ?俺、ペットか何かだと思われてる?」
ヴェリナは俺の言葉をさらりと流し、腕を組んだ。
「ここに勤めている以上、あなたにもアステルにも、それぞれ任された仕事に対する責任があるわ。責任者であるあなたが自分の仕事を部下に押しつけていては、他の人たちに示しがつかないでしょう?」
笑顔のままなのに、反論を許さない圧がある。さっきまで威勢のよかったノルムーが、みるみる小さくなっていった。
「うぅ……わかったのだ……」
よしよし。
俺はヴェリナの後ろで腕を組み、うんうんと頷く。
やはり悪は滅びる運命にあるのだ。
そう満足していると、ヴェリナが突然こちらを振り返った。
「それから、アステル」
「はい?」
「あなたも悪いのよ?」
「んなっ!?急に刺された!?」
突然こっちに矛先が飛んできた。
ヴェリナの後ろを見ると、さっきまでしょげていたノルムーが『ざまぁみろ』と言わんばかりの顔をしている。
こいつ……!
「あなたがなんだかんだ言いながら毎回引き受けるから、ノルムーも調子に乗るの。嫌ならきちんと断らないとダメでしょう?」
「いや、でもノルムーが――」
「言い訳は聞きたくないわ?」
「はい……」
笑顔なのに怖い。
ヴェリナは俺たち二人を見比べると、少し考えるように頬へ手を添えた。
「そうね……罰として、今日は二人のうち一人に掃除当番をお願いしようかしら」
その言葉が聞こえた瞬間――俺とノルムーは勢いよく向き合った。
視線がぶつかる。
言葉はいらない。
「「最初はグー!じゃんけん、ぽん!」」
俺はグー。
ノルムーはチョキ。
勝った。
「っしゃ!オラ!ボケが!!」
「あぁぁぁぁぁっ!嫌なのだぁぁぁぁ!!」
ノルムーが絶叫しながらその場にうずくまる。
「も、もう一回!三回、三回勝負なのだ!!」
「弱ぇ奴は掃除場所も選べねぇんだよ、ノルムー」
「意味わかんねーのだ!」
勝負は勝負だ。
敗者に後を任せ、俺はさっさと帰ることにした。
「それじゃ、お疲れさまでーす」
「あら?」
あと少しで逃げ切れる。
そう思ったところで、肩をがしっと掴まれた。
「まだあなたへのお願いが残っているのだけれど?」
恐る恐る振り返ると、そこにはにこやかなヴェリナがいた。
「…………」
このとき俺は知った。
自分だけ助かろうなんて考えが、いかに甘かったのかを。
◇
「これと、あれと……って、買うもの多すぎだろ!」
現在、俺はヴェリナの命令でロスカリファの街へ買い出しに来ている。
渡された買い物リストはやたらと長く、両腕にはすでに紙袋がぶら下がっていた。
買い出しと聞いたときは掃除よりマシだと思った。
訂正しよう。
掃除の方がマシだったかもしれない。
「あと何軒だよ……」
紙袋を抱え直しながら歩いていると、不意に横から声をかけられた。
「アステル?」
「ん?」
振り向くと、そこには見知った顔がいた。
「あれ?リンドヴェルヌ。何してるんだ?」
現代のロスカリファには三人のサンブリンガーがいる。
リンドヴェルヌは、そのうちの一人だ。
「わたし?買い物。お前こそ、その大荷物どうしたの?」
「俺はパシリみたいなもんだよ」
「なにそれ。相変わらず大変そうじゃん」
「他人事だと思いやがって……」
俺の愚痴を聞いて、リンドヴェルヌが楽しそうに笑う。
そんな彼女を見ているうちに、ふと思い出した。
「そういや最近、物騒だろ?」
「ん?」
「ミス・サンブリンガーの暗殺未遂。お前も一人で出歩いてて大丈夫なのか?」
一応、目の前にいるのもサンブリンガーだ。
俺なんかが心配する相手じゃないことくらい分かっている。
それでも、あんな事件が起きた直後なら多少は気になる。
するとリンドヴェルヌは一瞬きょとんとしてから、にやっと笑った。
「え、なに?わたしの心配してくれてるわけ?」
「一応な」
「あはっ、大丈夫だって。わたしを誰だと思ってるの?」
「サンブリンガー」
「そういうこと!」
確かに。
こいつらの強さを考えれば、俺が心配する必要なんてほとんどないだろう。
強いて言うならドラキナくらいか。
あいつ小さいし。
……いや、あいつもサンブリンガーだったわ。
「じゃ、わたしそろそろ行くね。お前も買い出し頑張んなよ!」
「はいはい」
リンドヴェルヌは軽く手を振り、そのまま歩き出す。
だが数歩進んだところで、何かを思い出したようにこちらを振り返った。
「あ、そうだ!」
「ん?」
「お前もたまにはお茶会に顔出しなさいってば!最近ぜんぜん来ないじゃん!」
「ああ。今度のお茶会には参加するよ」
「ほんと?」
リンドヴェルヌの表情がぱっと明るくなる。
「絶対だからね!約束したから!」
「ああ、分かったって」
「じゃ、またね!」
今度こそ満足したらしい。
リンドヴェルヌは手を振りながら、そのまま人混みの中へ消えていった。
俺も再び買い物リストへ視線を落とす。
「それにしても、暗殺未遂ねぇ……最近はそこまで物騒じゃなかったと思うんだけどな」
残っている店を確認し、少しでも早く買い物を終わらせようと近道の裏路地へ入る。
そこで、壁に貼られた一枚の紙が目に入った。
手配書。
どうやら、さっきリンドヴェルヌと話していた事件の重要容疑者らしい。
普段なら気にも留めず、そのまま通り過ぎていただろう。
けれど――。
「…………は?」
足が止まった。
一度通り過ぎかけた身体を戻し、改めて手配書を見る。
ピンク色の髪。
見覚えのある顔。
そして、その下に書かれた名前。
レミエール・ダン。
「…………」
いや。
待て。
百年だぞ?
見間違いじゃないかと、手配書へ顔を近づける。
何度見ても変わらない。
百年前の知り合いが、そこにいた。
「生きてたのかよ!?」
まずそこに驚いた。
だが、すぐにその下に書かれた罪状が目に入る。
――ミス・サンブリンガー暗殺未遂。
「……何やってんだあいつ!?」