新エリー都から戻って数日。
いつも通り外計局で仕事をこなし、ようやく次の休みを迎えた俺は、外計局の前に立っていた。
数日前の夜、ヴェリナから届いたメッセージ。
『今度、珍しく一日休みを取れることになったの』
『……こういう日は、どう過ごすのがいいのかしら?』
総務官から送られてきたとは思えない相談だった。
だから俺は、
『好きに過ごせばいいんじゃない?』
と返した。
その結果。
『それが分からないから聞いているのだけれど』
と返ってきた。
最終的に、話の流れで俺も付き合うことになったわけだが――。
「……遅かったかしら?」
「いや、俺がちょっと早く来ただけ」
外計局の入口からヴェリナが歩いてくる。
普段ならこの時間にはとっくに仕事を始めているはずなのに、今日は休み。
それだけなのだが、なんとなく違和感がある。
「それじゃあ行きましょうか」
「ああ。ちなみに今日はどこ行く?」
俺が聞くと、ヴェリナは待っていましたと言わんばかりに端末を取り出した。
「一応、予定は組んでおいたわ」
「……予定?」
「ええ。まず九時から九時四十分までベックフォード街を散策。その後は移動時間を十五分ほど確保して――」
待て待て待て。
ヴェリナが端末を操作する。
画面には今日一日の予定が、隙間なく並んでいた。
食事。
散策。
休憩。
買い物。
移動。
それぞれ開始時間と終了時間まで決められている。
「……ヴェリナ」
「何かしら?」
「休みだよな、今日」
「ええ」
「なんで仕事の予定表みたいになってるの?」
「せっかく一日空いているのだから、有効活用した方がいいでしょう?」
駄目だ。
この人、休み方が分かってない。
この前の相談は、思っていた以上に深刻だったらしい。
「ちょっと見せて」
「あら?」
ヴェリナが持っていた端末を覗き込む。
本当にびっしりだ。
しかも途中に『予備時間』まで設定されている。
何が起きても予定通り休む気だ。
「はい。今日これなし」
「え?」
俺は端末の画面を閉じた。
ヴェリナが珍しく目を瞬かせる。
「アステル?まだ予定の説明が途中なのだけれど」
「休みなのに予定通り動いてどうするんだよ。この前聞いたろ?どう過ごせばいいかって」
「それで予定を立てたのよ?」
「それがもう仕事なんだって」
「……」
納得していない顔だ。
「今日は行きたいところがあったら行く。疲れたら休む。腹減ったら何か食う。それでいいだろ」
「随分と行き当たりばったりね」
「休みなんだからそれくらいでいいんだよ」
ヴェリナはしばらく俺の顔を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「分かったわ。今日はあなたに従ってみましょう」
「そうそう」
「ただし、あまりにも非効率だと判断した場合は――」
「仕事じゃないって」
「……そうだったわね」
ヴェリナが少しだけ笑う。
こうして、何をするのかほとんど決まっていない休日が始まった。
◇
まずは適当に街を歩くことにした。
目的地はない。
というより、決めなかった。
店を覗いたり、気になるものがあれば足を止めたり。
普段なら何とも思わない道でも、時間を気にせず歩いてみると意外といろんなものが目につく。
……俺はそう思っていたのだが。
「アステル、少し待ってちょうだい」
「ん?」
振り返る。
ヴェリナは店先に置かれている案内板を見ていた。
「この表示、少し分かりづらいと思わない?観光客が来た場合、入口を間違える可能性が――」
「ヴェリナ」
「何かしら?」
「仕事禁止」
「……これは仕事ではなく、ただ気になっただけよ」
「その気になったことをあとで担当部署に伝える気だろ」
「……」
図星らしい。
ヴェリナが何も言わなくなった。
「今日は総務官じゃなくていいんだから」
「そう簡単に切り替えられるものでもないのだけれど」
「だから練習してるんだろ?」
「練習……」
自分の休み方を練習する。
言ってから俺も変な言葉だと思った。
だが、ヴェリナには妙に響いたらしい。
「……そう考えれば、多少は納得できるわね」
「だろ?」
「では先生、ご指導をお願いできるかしら?」
「急に責任重くするのやめてくれない?」
ヴェリナが口元を隠すように笑った。
◇
それからしばらく歩いた。
途中、外計局の職員らしい人とすれ違ったが、ヴェリナを見つけた瞬間に足を止めた。
「あっ、総務官!ちょうど確認していただきたい書類が――」
ヴェリナが反射的に振り返る。
「分かったわ。内容は――」
「今日は休み」
俺が横から口を挟んだ。
二人の視線が一斉にこっちへ向く。
「え?」
「今日ヴェリナ休みだから。明日にしてやって」
職員はしばらく俺とヴェリナを交互に見た。
「あ……そ、そうでした!すみません総務官!明日で大丈夫です!」
「ええ。急ぎでなければ――」
「急ぎじゃありません!失礼します!」
ものすごい勢いで去っていった。
「……」
「……」
ヴェリナが俺を見る。
「何?」
「いえ」
少し間を置いて、ヴェリナが微笑む。
「私の代わりに断られるというのは、随分と久しぶりな気がして」
「自分で断らないからだろ」
「そうかもしれないわね」
ヴェリナは去っていった職員の背中を眺める。
「いつもなら、あの程度の確認ならその場で済ませてしまうもの」
「今日は駄目」
「厳しい先生ね」
「休ませるために来てるからな」
口にしてから、少しだけ引っかかった。
別に頼まれたわけじゃない。
この前ヴェリナから相談されて。
ちょうど休みが重なったから付き合って。
それだけのはずだ。
「……アステル?」
「いや、なんでもない」
そのまま歩き出す。
後ろから、ヴェリナが少し楽しそうについてきた。
◇
昼を過ぎた頃。
俺たちはベックフォード街のカフェに入った。
ヴェリナは慣れた様子で店員に声をかける。
「紅茶をお願い。それと――」
ヴェリナが俺を見る。
「アステルは?」
「適当に甘いの」
「随分と曖昧な注文ね」
「俺そういうの詳しくないし」
ヴェリナは少し考えてから、店員へいくつか注文を伝えた。
席に着く。
いつもならここでも仕事の話を始めそうなものだが、今日は俺が先に釘を刺してある。
ヴェリナもそれを覚えているのか、端末へ手を伸ばすことはなかった。
しばらくして紅茶と菓子が運ばれてくる。
「おお」
見るからに甘そうだ。
「あなた、甘いものは好きだったでしょう?」
「よく覚えてるな」
「何度か一緒に食事をしていれば、それくらいは分かるわ」
「そんな分かりやすかった?」
「ええ。甘いものを見ている時だけ、少し目が違うもの」
「マジか……」
そこまで顔に出ていたとは思わなかった。
ヴェリナはそんな俺を見て、わずかに口元を緩める。
「嫌いではないのでしょう?」
「むしろ好き」
「なら、問題ないわね」
「いただきます」
一口食べる。
美味い。
「当たりだな」
「それはよかったわ」
ヴェリナも紅茶に口をつける。
いつものお茶会よりずっと簡素な時間だった。
作法を気にする必要もない。
誰かと交渉する必要もない。
ただ二人で座っているだけ。
「……不思議ね」
ヴェリナがぽつりと呟いた。
「何が?」
「何もしていないわ」
「してるだろ。茶飲んでる」
「そういう意味ではなくて」
ヴェリナが紅茶の表面へ視線を落とす。
「成果を出す必要もない。誰かの判断を仰ぐ必要もない。次の予定を考えなくてもいい」
少しだけ間を置く。
「最初は落ち着かなかったけれど……思っていたほど悪くないわね」
「だろ?」
「あなたが得意げにすることではないでしょう?」
「今日の先生だからな」
「ふふっ。そうだったわね」
紅茶の香りがゆっくりと広がる。
急いで飲む必要もない。
次の予定もない。
結局、俺たちは予定していた――いや、予定そのものが存在しないまま、思っていたより長く店にいた。
◇
店を出る頃には、空の色が少し変わり始めていた。
「次どうする?」
俺が聞く。
朝ならヴェリナはすぐに予定表を確認していたはずだ。
だが今度は端末を取り出さない。
代わりに辺りを見回した。
「……少し歩きましょうか」
「了解」
それだけで歩き出す。
向かったのは、街を見渡せる静かな場所だった。
行き交う人。
車。
空を進んでいく輸送機。
普段から見ている景色のはずなのに、立ち止まって眺める機会はあまりない。
ヴェリナは手すりの近くで足を止めた。
「こうして見ると、不思議なものね」
「ロスカリファが?」
「ええ」
風が吹く。
ヴェリナの髪が僅かに揺れた。
「普段は問題が起きていないか、人の流れに滞りがないか、設備に異常がないか……そんなことばかり考えて見ているもの」
「今日は禁止な」
「分かっているわ」
ヴェリナが笑う。
「だから今日は、ただ綺麗だと思っているところよ」
俺も同じ景色を見る。
百年前にはなかった街。
俺が死んだあとに作られたものばかりだ。
最初に目を覚ました頃は、何を見ても知らないものにしか見えなかった。
今は少し違う。
ノルムーがいて。
外計局の連中がいて。
ヴェリナがいる。
少なくとも、知らない場所ではなくなった。
「アステル」
「ん?」
「今日はありがとう」
「急だな」
「ちゃんと言っておこうと思ったの」
ヴェリナがこちらを見る。
「この前あなたに相談した時は、本当に休暇の過ごし方が分からなかったのよ。休みを取るなら、有意義な時間にしなければいけないと思っていたから」
「それであの予定表か」
「ええ」
「休みなのに忙しそうだったな」
「今思えば、少し詰め込みすぎていたかもしれないわね」
少し?
かなりだと思う。
「次に休める時は、もう少し予定を減らしてみるわ」
「まだ予定立てる気なの?」
「いきなり全部は無理よ」
「まあ、それもそうか」
ヴェリナが小さく笑う。
一日で全部変わるわけでもない。
それでも朝と比べれば、端末を見ずにここまで歩いてきただけでも十分な気はした。
少しだけ静かになる。
風の音。
遠くから聞こえる街のざわめき。
それだけが続く。
やがてヴェリナが口を開いた。
「ひとつ、聞いてもいいかしら?」
「どうぞ」
「今日……退屈ではなかった?」
意外な質問だった。
「なんで?」
「あなたには何の用事もなかったでしょう?私の休暇に付き合っただけだもの」
「別に」
俺は少し考える。
今日やったことといえば、歩いて、茶を飲んで、また歩いたくらいだ。
この前リンと出かけた時みたいにゲームをしたわけでもない。
何か珍しいものを見たわけでもない。
それでも――。
「ヴェリナと一緒だったし、普通に楽しかったよ」
「……」
ヴェリナが黙った。
「何?」
「いえ……」
一度視線を逸らし、またこちらを見る。
「そういうことを、あなたは随分と自然に言うのね」
「変なこと言った?」
「いいえ。何も」
ヴェリナの口元が少し緩む。
「むしろ……嬉しいわ」
その声は、普段より少しだけ柔らかかった。
しばらく二人で景色を眺める。
もう帰ってもいい時間だ。
ヴェリナもそれは分かっているはずだった。
けれど。
「アステル」
「ん?」
「……もう少しだけ歩かない?」
ヴェリナが街の方を見る。
朝のような予定表はない。
目的地もない。
「いいよ」
俺たちは再び歩き始めた。
どこへ行くかは決めていない。
今日は、それでよかった。
◇
その夜。
休暇を終えたヴェリナは、自室で端末を開いていた。
今日一日は一度も確認しなかった仕事用の端末。
未読の通知はいくつも並んでいる。
その中に、一件だけ優先度の高い連絡があった。
新エリー都側から届いた、プロキシ兄妹に関する報告。
ヴェリナは内容へ目を通す。
「……そう」
少し前まで浮かんでいた柔らかな表情が、ゆっくりと総務官のものへ戻っていく。
報告を読み進めるほど、どうやらロスカリファも無関係ではいられなくなりそうだということが見えてきた。
ヴェリナは必要な資料を開きながら、小さく息を吐く。
「次の休暇は……また少し先になりそうね」
ふと、今日のことを思い出す。
予定も決めず。
目的地もなく。
ただ隣を歩いていた時間。
以前なら、きっと落ち着かなかった。
けれど今は。
次に同じ時間ができたとしても、悪くないと思える。
その時も――。
今日隣を歩いていた男の顔が浮かぶ。
ヴェリナは一瞬だけ手を止めた。
「……次もお願いしてみようかしら」
誰に聞かせるでもなく呟いてから。
彼女は、新エリー都側の報告にもう一度目を通した。
少し今後の参考にしたいのでアンケートさせてください!シグリット回はギャグ多めで作ったんですがギャグの量はどれくらいが好みですか?
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シグリット回と同じくらい多め
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普段と同じくらい
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話の内容とキャラに合わせて