午後。
外計局で仕事をしていた俺は、ヴェリナから頼まれた追加資料を届けるため、再び算枢局へ来ていた。
朝にも来たばかりなのだが。
今日は妙に縁がある。
受付で書類を渡し、このまま外計局へ戻ろうとしたところで、見覚えのある一行を見つけた。
リン。
アキラ。
ビリー。
シーシィア。
そして、その先にはヴェリナとドラキナがいる。
治療を担当していたなら、ドラキナがいるのは当然か。
「アステル?」
最初に気づいたリンがこちらを見る。
「お疲れ」
「また来たの?」
「仕事だよ。追加の資料届けに来ただけ」
言いながらリンを見る。
朝と比べても顔色は悪くない。
むしろ、治療前より少しすっきりしているようにも見える。
「治療、終わった?」
「うん。一応」
「一応?」
引っかかる言い方だ。
リンがアキラを見る。
アキラも少し困ったように笑った。
「治療そのものは進んだんだけど、予定していなかったことが起きてね」
「予定してなかったこと?」
「説明するより、見た方が早いかも」
またそれか。
俺が首を傾げていると、ドラキナがこちらを見た。
「あら、アステル」
「どうも」
「ちょうどいいところに来たわね」
嫌な予感。
「その言い方すると大体何かあるよな」
「別に何もさせないわよ」
ドラキナが楽しそうに笑う。
「これからリンちゃんに、治療で変化した力を制御するための訓練をしてもらうの。見ていく?」
「俺が見てもいいの?」
「構わないわ。邪魔さえしなければね」
「じゃあ見てく」
単純に気になる。
リンの治療については朝から引っかかっていた。
本人も元気そうだし、何が起きたのか確認できるなら、その方がいい。
「演習室の準備は整っています」
ヴェリナが端末を確認する。
「リンさんが周囲を意識しすぎないよう、内部の環境も調整してありますわ」
「ありがとう、ヴェリナ」
「いえ、ドラキナ様」
仕事中の二人を見ると、やっぱり立場の違いがよく分かる。
普段俺の予定表を容赦なく埋める人とは思えない。
「それで、相手は?」
「俺だぜ!」
ビリーが勢いよく手を上げた。
「お前か」
「なんだよその反応!」
「いや、むしろ適任だと思ってる」
「だろ!?」
リンとの付き合いが長い。
戦える。
加減もできる。
確かにちょうどいい。
「店長の新しい力、俺が真正面から受け止めてやるぜ!」
「だから張り切りすぎないでって!」
シーシィアが横から釘を刺す。
「リンちゃん、こういうの初めてなんだからね!」
「分かってるって!」
賑やかだ。
治療直後とは思えない。
それくらいの方が安心できるけど。
◇
演習室。
リンとビリーが訓練区域へ入る。
俺たちは観察側。
ドラキナがリンの状態を確認し、ヴェリナが設備を見ている。
「リンちゃん。無理に引っ張り出そうとしなくていいわ。まずは、自分の中にいる存在を意識してみて」
『うん』
リンが目を閉じる。
少しして。
『……ピュロイス』
名前を呼んだ。
空気が揺れた。
リンの周囲でエーテルが大きく揺らぎ、その気配が少しずつ輪郭を持っていく。
やがて。
リンの隣へ、一つの姿が具象化した。
「…………」
思わず黙った。
百年も生きていれば、それなりに色々見る。
ホロウも。
エーテリアスも。
普通なら一生関わらないようなものも。
それでも。
まだ初めて見るものはあるらしい。
「……増えたな」
『言い方!』
すぐ怒られた。
「だって朝はいなかっただろ」
『私だって、こんなことになると思ってなかったよ!』
元気そうだ。
なら、とりあえず安心した。
あれがピュロイス。
リンの体内にいたエーテル特異体が、治療中のトラブルをきっかけに強く共鳴し、形を取れるようになったらしい。
ただし。
「まだ自由に使えるわけじゃないんだな」
「ええ」
ドラキナが頷く。
「だから今から確かめるの」
治療で変わったのは、力そのものだけじゃない。
リンとピュロイスの距離も、以前とは違う。
今はその新しい感覚に慣れる段階というわけか。
『なんか……変な感じ』
リンがピュロイスを見る。
『そこにいるのも分かるし……自分の視界とは別に、もう一つ見えてるみたいな』
「焦らなくていいわ。一つずつ慣れていきましょう」
『うん』
向かいではビリーが構える。
訓練が始まった。
最初は慎重だったリンも、一度感覚を掴み始めると早かった。
ビリーの動きに合わせながら、ピュロイスを動かす。
外す。
修正する。
また動かす。
その繰り返し。
『おお!いいじゃねぇか!』
『ほんと?』
『コツ掴むの早いぜ!』
俺も同感だった。
「リンって覚えるの早いよな」
隣にいたアキラが笑う。
「昔からそうだよ」
「やっぱり?」
「ただ、調子に乗るのも早いけどね」
『お兄ちゃん聞こえてるからね!?』
通信入ってた。
アキラは全く動じない。
強いな。
新エリー都で遊んだ時もそうだった。
リンは一度相手の癖を掴むと、一気に対応してくる。
俺がゲームで何度も引っかかったのを思い出す。
あれと同じとは言わないが。
変わらないところもあるらしい。
少しだけ笑った、その時だった。
床が揺れた。
「ん?」
一度。
そして、二度目。
今度は大きい。
『うおっ!?』
ビリーが足を止める。
リンも動きを止めた。
『何これ!?』
「訓練じゃないわ」
ヴェリナの表情が一瞬で変わる。
端末にも警報が入った。
「リンさん、ビリーさん。訓練は中断よ。すぐに一階へ戻って」
『分かった!』
『了解だぜ!』
ピュロイスの姿が消える。
同時に。
俺の端末にも、外計局から緊急情報が届き始めた。
エネルギー区。
嫌な単語が目に入った。
◇
一階へ戻る頃には、算枢局全体が緊急対応へ切り替わっていた。
エネルギー供給の不安定化。
異常な振動。
通信障害。
そして。
「エネルギー区って……」
リンが俺を見る。
俺も同じことを考えていた。
今朝。
そこへ向かったやつがいる。
「ノルムー」
ヴェリナの表情が硬くなる。
「連絡は取れていないわ」
胸の奥がざわついた。
朝まで普通だった。
いつも通り偉そうで。
いつも通り好き勝手言って。
そのまま仕事へ向かった。
「……マジか」
ドラキナは算枢局側の異常対応から離れられない。
ヴェリナは中央エレベータへ向かい、救援の状況を確認することになった。
俺たちも一緒に向かう。
ノルムーがいる。
それだけで、俺には十分だった。
◇
中央エレベータは停止していた。
すでに空巡局が救助隊を編成している。
その中心にはシグリッドもいた。
「アステル殿」
「状況悪そうだな」
「ああ。芳しいとは到底言えぬ」
人手も足りていない。
エネルギー区へ向かう方法も限られている。
そんな中。
リンたちは救援への参加を申し出た。
ビリーも。
シーシィアも。
ヴェリナは一度だけ考えたあと、シグリッドのところへ向かう。
空巡局の管轄。
外計局の立場。
リンたちの経験。
一つずつ説明した上で、現場では空巡局の指揮下に入ることを条件に参加が認められた。
俺も当然、その中に入る。
「アステル殿には、あえて言う必要もないと思うが」
シグリッドが俺を見る。
「勝手に突っ込むな?」
「理解が早くて助かる」
「信用ないな」
「逆だ。知っているから言っている」
それ信用って言うのか?
準備へ移る中、アキラはアンバー・ホールへ戻ることになった。
Fairyと一緒に外から支援する。
現場へ全員入るより、その方がいい。
リンもすぐ納得した。
別れ際。
「リンも気をつけるんだぞ」
「分かってるって」
兄妹のやり取りを見てから、俺たちは非常用出入口へ向かった。
そこでシグリッドから最低限の注意だけを受ける。
シンギュラ・リーク。
ホロウの一部が外側へ滲み出したような危険現象。
遭遇しても、不用意に近づくな。
「了解」
百年生きていても、知らない危険はいくらでもある。
知った気になる方が危ない。
それは昔から身に染みている。
救援隊は二手に分かれた。
シグリッドたちは被害の大きい区域へ。
俺たちは、ノルムーが最後に向かった方へ。
ようやく。
探しに行ける。
◇
エネルギー区。
中へ入った瞬間、空気が違うと分かった。
濃いエーテル。
肌にまとわりつく感覚。
「うわ……ここ、ほとんどホロウの中じゃん」
シーシィアが顔をしかめる。
「皆さん、気をつけて」
ヴェリナの声も普段より硬い。
俺は武器へ手を添えながら歩く。
ノルムー。
あいつなら簡単にはくたばらない。
そう思っている。
でも。
思っているだけじゃ、もう安心できなかった。
しばらく進むと、深部へ向かうレールカーが見えた。
ただし。
「……あれ、動かなくない?」
リンが言う。
その通りだった。
壊れている。
かなり派手に。
「おいおい……」
ビリーが頭を抱える。
ヴェリナも周囲を見るが、すぐ使える代替手段はなさそうだ。
「でもよ」
ビリーがレールを指差した。
「最悪、あれ伝って――」
「はぁ!?」
シーシィアの声が響く。
「行くならビリー一人で行ってよ!あーし絶対イヤだから!」
「いや、でも――」
「リンちゃんも絶対行かせないかんね!」
「俺も反対」
横から入る。
ビリーがこっちを見る。
「アステルまで!?」
俺はレールの下を見る。
高い。
かなり。
「落ちても拾えないぞ」
「そこは助けるって言ってくれよ!」
「落ちる前に止めてるだろ」
「そういう問題か!?」
多分。
リンも下を見たあと、すぐ顔を戻す。
「……別の方法探そ」
全会一致だな。
その時。
リンの表情が変わった。
目を閉じる。
胸元へ手を当てる。
「……ピュロイス?」
「どうした?」
「分かんない。なんか……何か伝えようとしてる感じがする」
姿はない。
でも、何かは起きている。
『……フン』
「え?」
リンが目を開く。
「ピュロイス?」
周囲のエーテルが揺らいだ。
「何する気――」
次の瞬間。
世界が歪んだ。
「は?」
足元が消える。
身体が一気に前へ引っ張られた。
「なんだこりゃ!?」
ビリーの叫び。
「ねえ!あーしらどこにいんの!?」
シーシィアの悲鳴。
俺にも分からない。
目の前に伸びるのは、空中を走るような光の軌道。
「リン!」
「私も知らないって!」
「お前の相棒だろ!」
「今日こうなったばっかりだよ!」
そうだった。
無茶を言った。
加速する。
曲がる。
一瞬、下が見えた。
「高っ!」
「アステル前見て!」
「見てる!」
百年生きた。
戦場も見た。
天災も見た。
一回死んだ。
それでも。
これは知らない。
後ろからビリーとシーシィアの悲鳴が続く。
ヴェリナまで普段より明らかに余裕がない。
俺も同じだ。
◇
地面へ戻った。
「…………」
立っている。
一応。
ビリーはふらついている。
シーシィアはしゃがみ込んでいた。
ヴェリナも珍しく息を整えている。
俺も平気じゃない。
「アステル、大丈夫?」
リンが聞く。
「大丈夫に見える?」
「見えない」
「正解」
リン自身も似たような顔色だった。
そのまま、自分の中にいる相手へ意識を向ける。
「ピュロイス」
少し間があった。
『……フン』
「その反応!」
リンが額を押さえる。
「次こういうことするなら、先に教えてよ。私だって何が起きたのか全然分かんなかったんだから」
「全面的にリンに同意」
「でしょ!?」
姿は見えない。
それでも、何かしら意思は伝わっているらしい。
「ただ……」
ヴェリナが周囲を見回す。
「結果だけ見れば、深部へ移動することには成功したわね」
「制御できてたかな、今の……」
リンが遠い目をする。
「そこはこれからね」
大変そうだ。
けれど。
朝まで治療の対象だった力が、今はこうしてリンを助ける力になっている。
悪いことばかりじゃない。
その時。
「ンナ……」
遠くから声がした。
全員が止まる。
もう一度。
「ンナ……ンナナ……!」
ボンプ。
助けを求めている。
シーシィアが真っ先に顔を上げた。
「今の、ボンプちゃんじゃない?」
「確認しましょう」
ヴェリナがすぐに動く。
俺も武器へ手を伸ばした。
ノルムーを探すのが目的だ。
でも。
目の前に助けを求めているやつがいるなら、放ってはいけない。
「行こう」
リンが前へ出る。
俺も続く。
ノルムーがいるのは、この先。
何が起きているかはまだ分からない。
ただ。
「無事でいろよ」
朝から胸に引っかかっていた不安は、もう誤魔化せなくなっていた。
顔を見るまでは、安心できそうにない。