すみません!
以前連絡した通り、俺は
ここには前にも、リンやアキラたちと一緒に少しの間いたことがある。ただ、二人みたいに入門したわけじゃない。俺はあくまで付き添いで、
「ここも久しぶりだな……」
そう呟きながら中へ入る。見覚えのある建物に、見覚えのある庭。最後に来た時と大して変わっていない。そんなことを考えていると、少し離れたところでオレンジ色の耳がぴくりと動いた。続いて、尻尾も大きく揺れる。
「あっ!」
目が合った次の瞬間。
「アステルさーん!お久しぶりですっ!」
こっちへ走ってきたのは
「おう、久し――」
言い切る前に、福福が地面を蹴った。そのまま勢いよく俺へ飛び込んでくる。久しぶりに会った勢いのまま抱きついてくるつもりなんだろう。
俺も特に疑わず、受け止めようと両腕を広げた。
「……ん?」
そこで気づく。思ったよりずっと高い。福福自身も気づいたらしく、空中で目を見開いた。
「えっ」
「え?」
俺の胸元へ来るはずだった身体が、そのまま顔の横を通り過ぎる。止まれない。俺も咄嗟に受け止めようと手を伸ばした。
その結果、福福の身体が妙に綺麗に俺の肩へ乗った。
「…………」
「…………」
肩車。
いや、違う。
福福の両脚が、俺の首を挟んでいる。しかも勢いはまだ死んでいない。
「福福」
「アステルさん」
「これ、まずくない?」
「まずいですっ!」
言った直後、福福の身体が横へ流れた。首を挟んだ両脚が締まり、そのまま俺の重心が持っていかれる。福福の身体は、長年染みついた動作でもなぞるみたいに綺麗に回転した。
『転蓮華』
そんな文字が見えた気がした。
「ちょ――」
天地がひっくり返る。次の瞬間、俺は地面に叩きつけられていた。
「…………」
空が青い。鳥が飛んでいる。今日もいい天気だ。そして、俺の首は無事に終わった。
「ア、アステルさぁぁぁん!?」
福福が慌てて俺の横へ降りてくる。
「ご、ごめんなさいっ!あたし、普通に飛びつこうとしただけなんです!途中から身体が勝手に……!」
「普通の飛びつきから投げ技まで派生することある?」
「勢いが良すぎたんですぅ!」
「なんだ、騒々しい」
声のした方へ目を向けると、白い髪の女性がこちらへゆっくり歩いてきていた。
儀玄。ここ
「お、お師匠さまぁ!大変なんですっ!」
福福が勢いよく振り返る。
「アステルさんの首が!首が大変なことに!」
「首?」
儀玄が俺を見る。地面に転がっている俺と、今にも泣きそうな福福を交互に見て。
「ああ」
それだけだった。
「こいつなら、そのうち元気になるだろ。福福、中まで引きずってこい」
「は、はいっ!分かりましたぁ!」
「いや待て。もっと他に運び方――」
遅かった。福福が俺の服を掴む。
「ご、ごめんなさいアステルさん!」
「謝りながら引きずるなって……」
ずるずると背中が石畳を擦る。儀玄は振り返りもせず、そのまま適当観の中へ入っていく。福福も半泣きになりながら俺を引っ張って、その後を追った。
「帰りてぇ……」
呟いた言葉も、石畳を擦る音に紛れて消えていった。
◇
俺は福福に引きずられたまま、本堂まで連れてこられた。ようやく服を離してもらい、床に転がったまま身体を起こす。そんな俺を見下ろしながら、儀玄が口を開いた。
「それで?わざわざ連絡まで寄越して、今度は何を習いたいんだ?」
ようやく本題だ。俺は立ち上がり、儀玄を見る。
「儀玄。俺、空を飛べるようになりたいんだ」
「私はドラ○もんじゃないぞ?」
「タケ○プターの話はしてねぇよ!!」
横にいた福福が目を丸くした。
「アステルさん、の○太だったんですか!?」
「だからそうじゃなくて!!」
あまりにも話が進まない。俺は一度大きく息を吐いた。このままじゃ本当に何をしに来たのか分からなくなる。気を取り直して、儀玄へ向き直る。
「……真面目な話だ」
俺の声が変わったのを感じたのか、儀玄からもさっきまでの軽い雰囲気が消えた。
「もう一度、教えてほしい」
「何をだ?」
「前に教えてもらった、
儀玄が黙る。少しだけ目が細くなった。
「お前さん、分かって言ってるんだろうな?青溟鳥に関わる術法は、一朝一夕で身につくようなものじゃない」
「ああ」
「それに――」
儀玄はそこで一度言葉を切った。
「前にも教えたが、お前さん、まともに形にならないまま諦めたじゃないか」
「……それは」
否定できない。以前、新エリー都で研修していた頃、俺は一度、儀玄から似た修行をつけてもらった。理由は単純で、飛べたら格好いい。ほとんどそれだけだった。結果、身体を浮かせるところまでは何とかできたが、高さを保てば前に進めず、進もうとすれば姿勢が崩れる。少し欲張ればそのまま墜落して、最後には俺の方から諦めた。
「前はそうだった」
「ほう?」
「でも今回は違う」
儀玄が続きを促すように黙る。
「全部を覚えたいわけじゃない。青溟鳥と同じことができるようになりたいわけでもない」
俺は自分の胸元を指差す。
「俺が欲しいのは、飛ぶための部分だけだ」
「そこだけでいいのか?」
「ああ。自分の身体を空中で維持して、前へ進んで、高度と方向を変えられればそれでいい。俺向けに使える形にできれば十分だ」
儀玄は腕を組んだ。
「ずいぶん都合のいい話をするな」
「分かってるよ」
「前に一度諦めたものを、今度は必要なところだけ教えてくれ、と」
「……そうなるな」
「随分と虫がいい」
何も言い返せない。その通りだ。だから俺は頭を下げた。
「それでも、頼む」
空気が静かになった。横にいた福福も、今度は何も言わない。
「どうしても必要なんだ」
少し前、ピュロイスに運ばれる俺たちの外で、一人、異形を引きつけていた白い翼を思い出す。あの時は、それでよかった。俺には俺の役目があった。でも、次も同じとは限らない。
「人を助けるために必要なんだ」
今度は、地面がないから何もできないなんて言いたくない。
「だから、もう一度教えてほしい」
しばらく返事はなかった。頭を下げたまま待つ。やがて、
「……顔を上げろ」
儀玄の声がした。言われた通りに顔を上げると、儀玄はじっと俺を見ていた。さっきまでより、少しだけ柔らかい表情で。
「表へ来い」
「……え?」
「聞こえなかったか?」
儀玄が本堂の出口へ向かう。
「もう一度見てやる」
「いいのか?」
「お前さんが誰かのために頭を下げる時くらい、私だって分かってる」
「儀玄!」
「喜ぶのはまだ早いぞ」
振り返らないまま、片手だけを上げる。
「前より酷かったら、今度こそ諦めてもらうからな」
「分かってる!」
急いでその後を追おうとすると、隣から小さな声がした。
「でもお師匠さま、アステルさんから連絡が来てから、ずっと楽しみにしてましたよね?」
儀玄の足が止まった。
「……福福」
「はい?」
「余計なことを言うな」
「だって昨日も『まだ来ないのか』って何回も外を――」
「福福」
「はいっ!すみません!」
一瞬で背筋が伸びた。俺は前を歩く儀玄を見る。
「……へえ」
「なんだ?」
「別に?」
「その顔をやめろ」
「いやあ、楽しみにしてくれてたんだなって」
「修行をやめてもいいんだぞ?」
「すみませんでした」
危ない。始まる前に終わるところだった。
「ほら、早く来い」
「はいはい」
「返事は一回だ」
「はい」
その後ろを福福もついてくる。
「頑張ってくださいね、アステルさん!」
久しぶりの適当観。到着早々ひどい目には遭ったが、ようやく始まった修行は、以前一度諦めたものへの再挑戦だ。それでも今回は、途中で投げ出すつもりはなかった。
◇
儀玄の後について外へ出ると、そのまま適当観の裏手にある開けた場所まで連れてこられた。前にも何度か使った修行場で、周囲には岩壁や柱代わりに立てられた木杭があり、少し離れたところには建物の屋根も見える。
「さて」
儀玄がこちらを振り返った。
「まずは前に教えたところまでやってみろ。どれだけ忘れているか見てやる」
「忘れてる前提なんだな」
「お前さん、途中で投げ出して帰ったじゃないか」
「……否定できない」
少し離れたところで福福が拳を握る。
「頑張ってください、アステルさん!」
「おう」
儀玄が片手を上げると、青い影が頭上を横切った。見覚えのある青溟鳥が寄ってきたかと思えば、その身体が大きくなる。
「その前に、もう一度見せておく」
儀玄が片手で青溟鳥に掴まった次の瞬間、その身体がふわりと地面から離れた。そのまま俺たちの頭上まで上がり、ゆっくりと一周して戻ってくる。何度見ても簡単そうにやる。
「……それができれば苦労しないんだけど」
「勘違いするな。今飛んでいるのは私じゃない」
儀玄が地面へ降りる。
「青溟鳥だ。私はこいつに身体を預けているだけだからな」
「じゃあそれ貸してよ」
「無理だ」
「即答かよ」
青溟鳥まで俺から顔を逸らした気がする。
「鳥にまで嫌われてません?」
「……福福?」
「な、なんでもないです!」
儀玄がため息をついた。
「前にも言っただろう。お前さんに青溟鳥そのものを与えることはできない。だから学ぶのは、こいつが身体を支え、動かす時の術理だ」
「青溟鳥と同じ力を使うんじゃなくて、そのやり方だけ借りる」
「そういうことだ。お前さん自身の力をどう動かすか、それを覚えろ」
以前も同じことをやった。青溟鳥そのものを再現する必要はなく、教わるのは、身体を空中に留め、進みたい方向へ運ぶために、どこへどれだけ力をかければいいのかという術理だけだ。あとは、それを俺自身のやり方へ置き換える。言葉だけなら簡単だが、実際にやると地獄だった。
前に教わった感覚を思い出しながら意識を集中させる。自分の力を身体の周囲へ巡らせ、まずは重さを受け止める。足が少しだけ地面から離れた。十センチ、二十センチ。
「おおっ!」
福福の声が聞こえる。前回よりは安定している。
「……いけるんじゃないか?」
「余所見するな」
「分かってるよ」
もう少し高く、と身体を預ける。腰くらいの高さまで浮いたところで、今度は前へ進もうと意識を切り替えた。その瞬間、身体を受け止めていた流れが大きく歪んだ。
「あ」
右へ傾く。慌てて反対側へ回そうとすると、今度は身体を支えきれなくなった。
「ちょ――」
そのまま地面へ落ち、受け身を取って転がって仰向けになる。
「……前よりはマシだな」
儀玄が見下ろしている。
「今ので?」
「前は浮いた直後に落ちていた」
「比較対象が酷い」
「成長してますよ、アステルさん!」
「嬉しくない成長だなあ……」
もう一度。今度は身体を支える範囲を狭くして浮き、前へ進もうとする。三歩分ほどの距離を進んだところで流れが乱れ、身体が横回転して墜落した。またやる。浮く。落ちる。浮く。今度はなぜか後ろへ飛んだ。
「なんでだよ!」
起き上がりながら、服についた土を払う。以前より感覚は覚えているし、身体を浮かせるところまでは悪くない。問題はそこからだった。空中に留まりながら、さらに前へ進む。姿勢が崩れれば、その修正にも意識を使わなければならない。青溟鳥なら自然にやっていることを、俺は全部自分で処理しないといけない。
何度目かの失敗を終えたところで、俺は儀玄を見た。
「なあ、なんかコツとかないの?」
「コツか」
儀玄が少し考える。ようやくまともな助言が来そうだ。
「こう……最初にぐっと支えて、それからふわっと浮かせる」
「…………」
「進む時は、すっとだな」
「待って。お前マジか」
真顔だった。冗談を言っている顔じゃない。横を見ると、福福も少し困った顔をしている。
「お師匠さま、もう少し分かりやすく教えてあげた方が……」
「十分分かりやすいだろう?」
「どこがだよ」
儀玄は少し首を傾げ、それから空を指差した。
「なら、ほら。あれだ」
「……あれ?」
視線を向けると、青溟鳥が悠々と頭上を飛んでいる。上昇して、曲がって、速度を落とし、また滑らかに加速していく。儀玄はそれ以上何も言わない。
「最終的に見て覚えろってこと?」
「目の前に答えが飛んでるんだから、それを見るのが一番早いだろう」
「教える時だけ語彙力なくなるのやめてくれない?」
「失礼だな、お前さん」
本気で不満そうな顔をされた。どうやら自覚はないらしい。
仕方なく、もう一度青溟鳥を見る。さっきまでと違って、今度は動きを細かく追った。上がって、曲がり、速度を落としてから再び加速する。滑らかで、俺みたいに身体全体を無理やり固定している感じがない。身体を受け止める位置も、進む方向も、その瞬間ごとに変わっている。
「……ずっと同じように支えてるわけじゃないのか」
儀玄の目が少し細くなった。
「そうだ」
さっきまでの擬音説明が嘘みたいに即答する。
「必要な時に必要なところへ流す。全部を固めようとするから、向きを変えた瞬間に崩れるんだ」
「急に説明上手くなるじゃん」
「お前さんがようやく聞く段階まで来たんだ」
「絶対後付けだろ」
「もう一度やれ」
流された。
再び意識を集中させる。今度は身体全体を無理やり固定せず、その時に必要な場所だけを受け止めながら、進みたい方向へ流れを変えていく。身体が浮いたところで前を見て、そのまま身体を押し出した。さっきより少しだけ速い。これなら――そう思ったところで、均衡が大きく崩れた。
「うわっ!」
今までより高い。身体が一気に落ちる。反射的に足を伸ばしたが、当然そこには何もない。それでも、いつものように地面を踏もうとした。その瞬間、足の裏へ力が集中した。
「……っ?」
散りかけていた流れが、一瞬だけ足元へ集まる。足一つ分にも満たない、小さな足場だった。そこへ足が乗った。考えるより先に蹴ると、ぱん、と足場が弾けるように消え、落ちていた身体が横へ飛ぶ。近くに立っていた木杭へ手が届き、そのまましがみついた。
一瞬、静かになった。
俺は木杭に掴まったまま下を見る。福福が目を丸くしていた。
「アステルさん!」
「なに」
「今、空を蹴りましたよ!」
「……俺もそう見えた」
「もう一回やれ」
儀玄だけが妙に落ち着いていた。
「もうちょっと心配するとかない?」
「無事だろ」
「まあそうだけど」
どうにか地面へ戻る。儀玄は俺ではなく、さっき足場が消えた辺りを見ていた。
「なるほど」
「何か分かった?」
「ああ。お前さん、身体全体を支えるのは相変わらず下手だが、一点に集中させるのは悪くない」
儀玄が何もない空中を指差す。
「今度は身体を浮かせようとするな。さっきと同じように、そこへ足を置け」
「……何もないけど」
「だから作るんだ」
さっきの感覚を思い出す。身体全体を支える必要はなく、踏み込むその一瞬だけ受け止めてくれればいい。右足を持ち上げて前へ踏み出すと、身体が落ちる。その直前、足裏へ力を集中させる。小さくて不格好だが、確かに踏める場所ができた。
「……できた」
体重を乗せると沈み始めたため、慌てて蹴る。足元の感触が消え、身体が前へ進む。
「次だ!」
儀玄の声が飛ぶ。
「次!?」
「そのままだ。左!」
落下しながら左足の下へ次の一歩を作って踏み、蹴った瞬間にそれが消えると、今度は右足の先へ踏める場所を作る。一つ、二つ、三つ。歩くなんて綺麗なものじゃなく、落ちながら、そのたびに次の一歩を無理やり作っているだけだ。それでも地面には落ちていない。
「うおおおっ……!」
「アステルさん、進んでます!進んでますよ!」
「分かってる!でもこれ止まり方どうするんだ!?」
「まず進め。その後だ」
「順番逆じゃない!?」
前方に岩壁が迫る。止まれず、咄嗟に壁へ片足をついて蹴ると、身体の向きが変わった。何もない空中へ一歩を作り、そこをもう一度蹴る。さっきまでとは比べものにならないくらい自然に身体が動いた。壁、空中の一歩、木杭、また一歩と、踏める場所がある。それだけで、急にいつもの感覚へ近づいた。
最後に地面へ降り、数歩よろけてから何とか止まる。息を整えて振り返ると、福福がぱちぱちと拍手していた。儀玄は腕を組んだまま俺を見ている。
「……どうよ」
「なるほどな」
「褒めてもいいぞ」
「お前さん、やっぱり飛ぶのには向いてない」
「手心とかないの?」
「最後まで聞け」
即答された。儀玄が、さっき俺が空中を踏んだ辺りを見る。
「青溟鳥と同じことを丸ごとやろうとするから無理が出る。お前さんは空に留まるより、踏んで進む方がずっと得意らしい」
「まあ、長いこと地面で戦ってたからな」
「なら、無理に捨てる必要もない」
儀玄が笑った。
「空を飛べないなら、空に地面を作ればいい」
俺も自分の足を見る。さっきの感触がまだ残っていた。ほんの一瞬だったが、そこには確かに踏める場所があった。
「……空を走るってこと?」
「そういうことだ」
悪くない。むしろ俺には、そっちの方がしっくりくる。
「よし。じゃあ次は――」
「待て」
「ん?」
「お前さん、もうできたつもりになってないか?」
嫌な予感がする。儀玄が修行場の奥を指差した。岩壁、木杭、屋根と、さっきより遥かに高い位置まで続いている。
「今のでようやく入口だ」
「……まさか」
「まずは落ちずに一周してこい」
福福が笑顔で拳を握った。
「頑張ってください、アステルさん!」
「他人事だと思って楽しそうだな」
「応援してるんですよ!」
「ほら、さっさと行け」
儀玄に背中を押され、仕方なく一歩踏み出す。足元へ力を集中させ、踏んで、蹴る。消えた一歩の先へ、もう一つ踏める場所を作る。
レミエールのように空を自由に飛ぶことはできない。儀玄みたいに、何もない空に留まり続けることもできない。それでも、地面がないなら作ればいい。
俺は次の一歩を蹴って、もう一段高い場所へ跳んだ。
◇
当然、一周できるようになるまでには、それなりに時間がかかった。
最初のうちは十歩も続かなかった。踏む位置が少しずれれば足を外し、力を込めすぎれば支えきる前に消える。上へ行こうとすれば前へ進めず、前へ急げば今度は高度が落ちた。何度も繰り返しているうちに、どうにか落ちずに修行場を回れるようにはなったが、止まるのは相変わらず苦手だった。
「止まれ止まれ止まれ――!」
最後の一歩を蹴った勢いのまま地面へ降り、靴底で土を削りながらどうにか停止する。あと少し遅ければ、そのまま壁に突っ込んでいた。
「……惜しいな」
「何が?」
「あと少しだったのに」
「何を期待してるんだよ」
儀玄の隣で福福が笑いを堪えている。
「笑ってるだろ」
「わ、笑ってませんっ!」
「じゃあこっち見て言って」
顔を逸らされた。
それからもしばらく、同じことを繰り返した。空中に一歩を作ること自体には、少しずつ意識を割かなくて済むようになっていく。右へ行きたいなら右前に、上へ行きたいなら少し高い位置に。着地する場所から逆算して、次に踏む場所を決める。そうして何度も繰り返すうちに、ようやく落ちながら踏める場所を探すのではなく、自分から次の一歩を作れるようになっていった。
空中で方向を変えたところで、儀玄の声が飛んできた。
「遅い」
「分かってる!」
「それだけ考えながら動いていたら、実戦じゃとっくに斬られてるぞ」
言い返せない。空中には地面がない。当然のことだけど、実際に動くとこれが思った以上に面倒だった。敵を見て、次に進む方向を決めて、踏む場所を作って、蹴り、姿勢を整える。それをやりながら刀まで振るうとなれば、地上と同じようにはいかない。
儀玄がそれを分かった上で、木の棒を一本拾った。
「今度はこれを避けながら回れ」
「待って。それで何する気?」
「安心しろ。刃はついてない」
「そういう問題じゃないだろ」
言い終わる前に飛んできた。身体を捻って避けたせいで次の一歩を作るのが遅れ、身体が沈む。慌てて足元へ踏める場所を作って蹴り上がった。二本目は身体を傾けるだけで避け、三本目は空中を一度蹴って横へ跳ぶ。
「そうだ」
儀玄の声が聞こえた。
「全部を空中だけで済ませようとするな」
「どういう――」
言い切る前に、目の前へ壁が迫る。反射的に足をついて蹴ると、自分で作った足場よりずっと強い反発が返ってきた。身体が一気に前へ飛ぶ。その勢いを殺さず、次の位置へ一歩を作って踏み、さらに先の屋根へ。着地する直前に縁を蹴り、そのままもう一段上へ跳ねた。何もない空だけで進んでいた時とは、まるで違った。
「……こっちの方が楽だな」
「だろう?」
地上でやってきたことを全部捨てる必要なんてなかった。壁があるなら蹴ればいいし、屋根があるなら使えばいい。何もない場所だけ、自分で次の一歩を足す。そう考えた瞬間、動きが一気に単純になった。壁、空中、屋根、また空中。次にどこへ足を置けばいいか、考えるより先に身体が動いていく。
最後の木杭を蹴り、その先へ作った一歩に足を乗せる。そこから地面へ。今度は勢いを前へ逃がさず、着地と同時に膝を曲げた。土が少し舞う。それだけだった。
「…………」
自分の両足を見る。止まれた。ちゃんと。
「できた……」
「おおーっ!」
福福が拍手しながら走ってくる。
「アステルさん!今のすごかったです!」
「見た?」
「見ました!途中から本当に空を走ってるみたいでした!」
悪くない響きだ。振り返ると、儀玄もこちらへ歩いてきていた。
「まあ、これなら使い物にはなるか」
「評価低くない?」
「高くしたら調子に乗るだろ、お前さん」
「否定はしないけど」
儀玄が修行場を見上げる。
「ただし、勘違いするなよ」
さっきまでの軽い調子が少しだけ消えた。
「今のお前さんは、空を自由に飛べるわけじゃない。次の一歩を作り続けなければ落ちるし、何もない場所ではそれだけ意識を持っていかれる」
「地上みたいには戦えない」
「そういうことだ」
儀玄が頷く。
「逆に、壁や建物がある場所なら今みたいに使える。全部自分で踏める場所を作る必要がない分、お前さん本来の動きに近づけるだろう」
「市街地向きってことか」
「そうなるな」
完全な飛行じゃないし、何もない空を自由に漂うこともできない。でも、それで十分だった。俺が欲しかったのは、誰かより上手く飛ぶ力じゃない。届かなかった場所へ、届くための方法だ。
試しにもう一度、地面を蹴る。一つ目を踏み、二つ目へ。その先には何もない。それでも、もう迷わなかった。足を出せば、そこに次の一歩を作れる。
高度を上げて振り返ると、適当観の屋根が少し下に見えた。
「アステルさーん!あんまり遠くまで行かないでくださいねー!」
福福の声が届く。
「分かってるー!」
返事をしながら、もう一歩。足元の感触が消える。
ふと、白い翼が頭に浮かんだ。あの時、俺はピュロイスの中から、外を飛ぶレミエールを見ることしかできなかった。別に、あの時の選択を後悔しているわけじゃない。でも、次も同じように、あいつが一人で空へ行くことがあったなら。
今度は、ただ見送るだけじゃなくて済みそうだ。
俺は足元に新しい地面を作り、そのまま空を蹴った。
今後の展開についてアンケートです。 現在は原作ストーリーに沿って進めていますが、今後はどちらが読みたいでしょうか? ①原作沿いの展開を続けてほしい ②原作は必要な部分だけ取り入れ、オリジナル中心にしてほしい ②になった場合、現在の第13・14話と投稿予定の第15話は削除し、第13話から書き直す予定です。
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原作ストーリーに沿った展開
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アステルたちのオリジナルストーリーを中心