外計局の訳あり男とロスカリファ   作:Bestmeever

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昨日は予約投稿できてるつもりだったんですができてませんでした……
すみません!


空を歩く

以前連絡した通り、俺は適当観(てきとうかん)まで来ていた。

 

ここには前にも、リンやアキラたちと一緒に少しの間いたことがある。ただ、二人みたいに入門したわけじゃない。俺はあくまで付き添いで、儀玄(いーしぇん)からいくつか教わったことはあっても正式な弟子ではなかった。

 

「ここも久しぶりだな……」

 

そう呟きながら中へ入る。見覚えのある建物に、見覚えのある庭。最後に来た時と大して変わっていない。そんなことを考えていると、少し離れたところでオレンジ色の耳がぴくりと動いた。続いて、尻尾も大きく揺れる。

 

「あっ!」

 

目が合った次の瞬間。

 

「アステルさーん!お久しぶりですっ!」

 

こっちへ走ってきたのは福福(ふーふー)だった。見た目だけなら小柄な茶トラ猫にも見えるが、本人にそんなことを言ったらたぶん怒られる。れっきとしたトラのシリオンで、適当観の大姉弟子だ。

 

「おう、久し――」

 

言い切る前に、福福が地面を蹴った。そのまま勢いよく俺へ飛び込んでくる。久しぶりに会った勢いのまま抱きついてくるつもりなんだろう。

 

俺も特に疑わず、受け止めようと両腕を広げた。

 

「……ん?」

 

そこで気づく。思ったよりずっと高い。福福自身も気づいたらしく、空中で目を見開いた。

 

「えっ」

 

「え?」

 

俺の胸元へ来るはずだった身体が、そのまま顔の横を通り過ぎる。止まれない。俺も咄嗟に受け止めようと手を伸ばした。

 

その結果、福福の身体が妙に綺麗に俺の肩へ乗った。

 

「…………」

 

「…………」

 

肩車。

 

いや、違う。

 

福福の両脚が、俺の首を挟んでいる。しかも勢いはまだ死んでいない。

 

「福福」

 

「アステルさん」

 

「これ、まずくない?」

 

「まずいですっ!」

 

言った直後、福福の身体が横へ流れた。首を挟んだ両脚が締まり、そのまま俺の重心が持っていかれる。福福の身体は、長年染みついた動作でもなぞるみたいに綺麗に回転した。

 

『転蓮華』

 

そんな文字が見えた気がした。

 

「ちょ――」

 

天地がひっくり返る。次の瞬間、俺は地面に叩きつけられていた。

 

「…………」

 

空が青い。鳥が飛んでいる。今日もいい天気だ。そして、俺の首は無事に終わった。

 

「ア、アステルさぁぁぁん!?」

 

福福が慌てて俺の横へ降りてくる。

 

「ご、ごめんなさいっ!あたし、普通に飛びつこうとしただけなんです!途中から身体が勝手に……!」

 

「普通の飛びつきから投げ技まで派生することある?」

 

「勢いが良すぎたんですぅ!」

 

「なんだ、騒々しい」

 

声のした方へ目を向けると、白い髪の女性がこちらへゆっくり歩いてきていた。

 

儀玄。ここ雲嶽山(うんがくさん)の第十三代宗主。そして今回、俺がわざわざここまで来た理由でもある。

 

「お、お師匠さまぁ!大変なんですっ!」

 

福福が勢いよく振り返る。

 

「アステルさんの首が!首が大変なことに!」

 

「首?」

 

儀玄が俺を見る。地面に転がっている俺と、今にも泣きそうな福福を交互に見て。

 

「ああ」

 

それだけだった。

 

「こいつなら、そのうち元気になるだろ。福福、中まで引きずってこい」

 

「は、はいっ!分かりましたぁ!」

 

「いや待て。もっと他に運び方――」

 

遅かった。福福が俺の服を掴む。

 

「ご、ごめんなさいアステルさん!」

 

「謝りながら引きずるなって……」

 

ずるずると背中が石畳を擦る。儀玄は振り返りもせず、そのまま適当観の中へ入っていく。福福も半泣きになりながら俺を引っ張って、その後を追った。

 

「帰りてぇ……」

 

呟いた言葉も、石畳を擦る音に紛れて消えていった。

 

◇

 

俺は福福に引きずられたまま、本堂まで連れてこられた。ようやく服を離してもらい、床に転がったまま身体を起こす。そんな俺を見下ろしながら、儀玄が口を開いた。

 

「それで?わざわざ連絡まで寄越して、今度は何を習いたいんだ?」

 

ようやく本題だ。俺は立ち上がり、儀玄を見る。

 

「儀玄。俺、空を飛べるようになりたいんだ」

 

「私はドラ○もんじゃないぞ?」

 

「タケ○プターの話はしてねぇよ!!」

 

横にいた福福が目を丸くした。

 

「アステルさん、の○太だったんですか!?」

 

「だからそうじゃなくて!!」

 

あまりにも話が進まない。俺は一度大きく息を吐いた。このままじゃ本当に何をしに来たのか分からなくなる。気を取り直して、儀玄へ向き直る。

 

「……真面目な話だ」

 

俺の声が変わったのを感じたのか、儀玄からもさっきまでの軽い雰囲気が消えた。

 

「もう一度、教えてほしい」

 

「何をだ?」

 

「前に教えてもらった、青溟鳥(せいめいちょう)の術理だ。あれを使って、自分で空を移動できるようになりたい」

 

儀玄が黙る。少しだけ目が細くなった。

 

「お前さん、分かって言ってるんだろうな?青溟鳥に関わる術法は、一朝一夕で身につくようなものじゃない」

 

「ああ」

 

「それに――」

 

儀玄はそこで一度言葉を切った。

 

「前にも教えたが、お前さん、まともに形にならないまま諦めたじゃないか」

 

「……それは」

 

否定できない。以前、新エリー都で研修していた頃、俺は一度、儀玄から似た修行をつけてもらった。理由は単純で、飛べたら格好いい。ほとんどそれだけだった。結果、身体を浮かせるところまでは何とかできたが、高さを保てば前に進めず、進もうとすれば姿勢が崩れる。少し欲張ればそのまま墜落して、最後には俺の方から諦めた。

 

「前はそうだった」

 

「ほう?」

 

「でも今回は違う」

 

儀玄が続きを促すように黙る。

 

「全部を覚えたいわけじゃない。青溟鳥と同じことができるようになりたいわけでもない」

 

俺は自分の胸元を指差す。

 

「俺が欲しいのは、飛ぶための部分だけだ」

 

「そこだけでいいのか?」

 

「ああ。自分の身体を空中で維持して、前へ進んで、高度と方向を変えられればそれでいい。俺向けに使える形にできれば十分だ」

 

儀玄は腕を組んだ。

 

「ずいぶん都合のいい話をするな」

 

「分かってるよ」

 

「前に一度諦めたものを、今度は必要なところだけ教えてくれ、と」

 

「……そうなるな」

 

「随分と虫がいい」

 

何も言い返せない。その通りだ。だから俺は頭を下げた。

 

「それでも、頼む」

 

空気が静かになった。横にいた福福も、今度は何も言わない。

 

「どうしても必要なんだ」

 

少し前、ピュロイスに運ばれる俺たちの外で、一人、異形を引きつけていた白い翼を思い出す。あの時は、それでよかった。俺には俺の役目があった。でも、次も同じとは限らない。

 

「人を助けるために必要なんだ」

 

今度は、地面がないから何もできないなんて言いたくない。

 

「だから、もう一度教えてほしい」

 

しばらく返事はなかった。頭を下げたまま待つ。やがて、

 

「……顔を上げろ」

 

儀玄の声がした。言われた通りに顔を上げると、儀玄はじっと俺を見ていた。さっきまでより、少しだけ柔らかい表情で。

 

「表へ来い」

 

「……え?」

 

「聞こえなかったか?」

 

儀玄が本堂の出口へ向かう。

 

「もう一度見てやる」

 

「いいのか?」

 

「お前さんが誰かのために頭を下げる時くらい、私だって分かってる」

 

「儀玄!」

 

「喜ぶのはまだ早いぞ」

 

振り返らないまま、片手だけを上げる。

 

「前より酷かったら、今度こそ諦めてもらうからな」

 

「分かってる!」

 

急いでその後を追おうとすると、隣から小さな声がした。

 

「でもお師匠さま、アステルさんから連絡が来てから、ずっと楽しみにしてましたよね?」

 

儀玄の足が止まった。

 

「……福福」

 

「はい?」

 

「余計なことを言うな」

 

「だって昨日も『まだ来ないのか』って何回も外を――」

 

「福福」

 

「はいっ!すみません!」

 

一瞬で背筋が伸びた。俺は前を歩く儀玄を見る。

 

「……へえ」

 

「なんだ?」

 

「別に?」

 

「その顔をやめろ」

 

「いやあ、楽しみにしてくれてたんだなって」

 

「修行をやめてもいいんだぞ?」

 

「すみませんでした」

 

危ない。始まる前に終わるところだった。

 

「ほら、早く来い」

 

「はいはい」

 

「返事は一回だ」

 

「はい」

 

その後ろを福福もついてくる。

 

「頑張ってくださいね、アステルさん!」

 

久しぶりの適当観。到着早々ひどい目には遭ったが、ようやく始まった修行は、以前一度諦めたものへの再挑戦だ。それでも今回は、途中で投げ出すつもりはなかった。

 

◇

 

儀玄の後について外へ出ると、そのまま適当観の裏手にある開けた場所まで連れてこられた。前にも何度か使った修行場で、周囲には岩壁や柱代わりに立てられた木杭があり、少し離れたところには建物の屋根も見える。

 

「さて」

 

儀玄がこちらを振り返った。

 

「まずは前に教えたところまでやってみろ。どれだけ忘れているか見てやる」

 

「忘れてる前提なんだな」

 

「お前さん、途中で投げ出して帰ったじゃないか」

 

「……否定できない」

 

少し離れたところで福福が拳を握る。

 

「頑張ってください、アステルさん!」

 

「おう」

 

儀玄が片手を上げると、青い影が頭上を横切った。見覚えのある青溟鳥が寄ってきたかと思えば、その身体が大きくなる。

 

「その前に、もう一度見せておく」

 

儀玄が片手で青溟鳥に掴まった次の瞬間、その身体がふわりと地面から離れた。そのまま俺たちの頭上まで上がり、ゆっくりと一周して戻ってくる。何度見ても簡単そうにやる。

 

「……それができれば苦労しないんだけど」

 

「勘違いするな。今飛んでいるのは私じゃない」

 

儀玄が地面へ降りる。

 

「青溟鳥だ。私はこいつに身体を預けているだけだからな」

 

「じゃあそれ貸してよ」

 

「無理だ」

 

「即答かよ」

 

青溟鳥まで俺から顔を逸らした気がする。

 

「鳥にまで嫌われてません?」

 

「……福福?」

 

「な、なんでもないです!」

 

儀玄がため息をついた。

 

「前にも言っただろう。お前さんに青溟鳥そのものを与えることはできない。だから学ぶのは、こいつが身体を支え、動かす時の術理だ」

 

「青溟鳥と同じ力を使うんじゃなくて、そのやり方だけ借りる」

 

「そういうことだ。お前さん自身の力をどう動かすか、それを覚えろ」

 

以前も同じことをやった。青溟鳥そのものを再現する必要はなく、教わるのは、身体を空中に留め、進みたい方向へ運ぶために、どこへどれだけ力をかければいいのかという術理だけだ。あとは、それを俺自身のやり方へ置き換える。言葉だけなら簡単だが、実際にやると地獄だった。

 

前に教わった感覚を思い出しながら意識を集中させる。自分の力を身体の周囲へ巡らせ、まずは重さを受け止める。足が少しだけ地面から離れた。十センチ、二十センチ。

 

「おおっ!」

 

福福の声が聞こえる。前回よりは安定している。

 

「……いけるんじゃないか?」

 

「余所見するな」

 

「分かってるよ」

 

もう少し高く、と身体を預ける。腰くらいの高さまで浮いたところで、今度は前へ進もうと意識を切り替えた。その瞬間、身体を受け止めていた流れが大きく歪んだ。

 

「あ」

 

右へ傾く。慌てて反対側へ回そうとすると、今度は身体を支えきれなくなった。

 

「ちょ――」

 

そのまま地面へ落ち、受け身を取って転がって仰向けになる。

 

「……前よりはマシだな」

 

儀玄が見下ろしている。

 

「今ので?」

 

「前は浮いた直後に落ちていた」

 

「比較対象が酷い」

 

「成長してますよ、アステルさん!」

 

「嬉しくない成長だなあ……」

 

もう一度。今度は身体を支える範囲を狭くして浮き、前へ進もうとする。三歩分ほどの距離を進んだところで流れが乱れ、身体が横回転して墜落した。またやる。浮く。落ちる。浮く。今度はなぜか後ろへ飛んだ。

 

「なんでだよ!」

 

起き上がりながら、服についた土を払う。以前より感覚は覚えているし、身体を浮かせるところまでは悪くない。問題はそこからだった。空中に留まりながら、さらに前へ進む。姿勢が崩れれば、その修正にも意識を使わなければならない。青溟鳥なら自然にやっていることを、俺は全部自分で処理しないといけない。

 

何度目かの失敗を終えたところで、俺は儀玄を見た。

 

「なあ、なんかコツとかないの?」

 

「コツか」

 

儀玄が少し考える。ようやくまともな助言が来そうだ。

 

「こう……最初にぐっと支えて、それからふわっと浮かせる」

 

「…………」

 

「進む時は、すっとだな」

 

「待って。お前マジか」

 

真顔だった。冗談を言っている顔じゃない。横を見ると、福福も少し困った顔をしている。

 

「お師匠さま、もう少し分かりやすく教えてあげた方が……」

 

「十分分かりやすいだろう?」

 

「どこがだよ」

 

儀玄は少し首を傾げ、それから空を指差した。

 

「なら、ほら。あれだ」

 

「……あれ?」

 

視線を向けると、青溟鳥が悠々と頭上を飛んでいる。上昇して、曲がって、速度を落とし、また滑らかに加速していく。儀玄はそれ以上何も言わない。

 

「最終的に見て覚えろってこと?」

 

「目の前に答えが飛んでるんだから、それを見るのが一番早いだろう」

 

「教える時だけ語彙力なくなるのやめてくれない?」

 

「失礼だな、お前さん」

 

本気で不満そうな顔をされた。どうやら自覚はないらしい。

 

仕方なく、もう一度青溟鳥を見る。さっきまでと違って、今度は動きを細かく追った。上がって、曲がり、速度を落としてから再び加速する。滑らかで、俺みたいに身体全体を無理やり固定している感じがない。身体を受け止める位置も、進む方向も、その瞬間ごとに変わっている。

 

「……ずっと同じように支えてるわけじゃないのか」

 

儀玄の目が少し細くなった。

 

「そうだ」

 

さっきまでの擬音説明が嘘みたいに即答する。

 

「必要な時に必要なところへ流す。全部を固めようとするから、向きを変えた瞬間に崩れるんだ」

 

「急に説明上手くなるじゃん」

 

「お前さんがようやく聞く段階まで来たんだ」

 

「絶対後付けだろ」

 

「もう一度やれ」

 

流された。

 

再び意識を集中させる。今度は身体全体を無理やり固定せず、その時に必要な場所だけを受け止めながら、進みたい方向へ流れを変えていく。身体が浮いたところで前を見て、そのまま身体を押し出した。さっきより少しだけ速い。これなら――そう思ったところで、均衡が大きく崩れた。

 

「うわっ!」

 

今までより高い。身体が一気に落ちる。反射的に足を伸ばしたが、当然そこには何もない。それでも、いつものように地面を踏もうとした。その瞬間、足の裏へ力が集中した。

 

「……っ?」

 

散りかけていた流れが、一瞬だけ足元へ集まる。足一つ分にも満たない、小さな足場だった。そこへ足が乗った。考えるより先に蹴ると、ぱん、と足場が弾けるように消え、落ちていた身体が横へ飛ぶ。近くに立っていた木杭へ手が届き、そのまましがみついた。

 

一瞬、静かになった。

 

俺は木杭に掴まったまま下を見る。福福が目を丸くしていた。

 

「アステルさん!」

 

「なに」

 

「今、空を蹴りましたよ!」

 

「……俺もそう見えた」

 

「もう一回やれ」

 

儀玄だけが妙に落ち着いていた。

 

「もうちょっと心配するとかない?」

 

「無事だろ」

 

「まあそうだけど」

 

どうにか地面へ戻る。儀玄は俺ではなく、さっき足場が消えた辺りを見ていた。

 

「なるほど」

 

「何か分かった?」

 

「ああ。お前さん、身体全体を支えるのは相変わらず下手だが、一点に集中させるのは悪くない」

 

儀玄が何もない空中を指差す。

 

「今度は身体を浮かせようとするな。さっきと同じように、そこへ足を置け」

 

「……何もないけど」

 

「だから作るんだ」

 

さっきの感覚を思い出す。身体全体を支える必要はなく、踏み込むその一瞬だけ受け止めてくれればいい。右足を持ち上げて前へ踏み出すと、身体が落ちる。その直前、足裏へ力を集中させる。小さくて不格好だが、確かに踏める場所ができた。

 

「……できた」

 

体重を乗せると沈み始めたため、慌てて蹴る。足元の感触が消え、身体が前へ進む。

 

「次だ!」

 

儀玄の声が飛ぶ。

 

「次!?」

 

「そのままだ。左!」

 

落下しながら左足の下へ次の一歩を作って踏み、蹴った瞬間にそれが消えると、今度は右足の先へ踏める場所を作る。一つ、二つ、三つ。歩くなんて綺麗なものじゃなく、落ちながら、そのたびに次の一歩を無理やり作っているだけだ。それでも地面には落ちていない。

 

「うおおおっ……!」

 

「アステルさん、進んでます!進んでますよ!」

 

「分かってる!でもこれ止まり方どうするんだ!?」

 

「まず進め。その後だ」

 

「順番逆じゃない!?」

 

前方に岩壁が迫る。止まれず、咄嗟に壁へ片足をついて蹴ると、身体の向きが変わった。何もない空中へ一歩を作り、そこをもう一度蹴る。さっきまでとは比べものにならないくらい自然に身体が動いた。壁、空中の一歩、木杭、また一歩と、踏める場所がある。それだけで、急にいつもの感覚へ近づいた。

 

最後に地面へ降り、数歩よろけてから何とか止まる。息を整えて振り返ると、福福がぱちぱちと拍手していた。儀玄は腕を組んだまま俺を見ている。

 

「……どうよ」

 

「なるほどな」

 

「褒めてもいいぞ」

 

「お前さん、やっぱり飛ぶのには向いてない」

 

「手心とかないの?」

 

「最後まで聞け」

 

即答された。儀玄が、さっき俺が空中を踏んだ辺りを見る。

 

「青溟鳥と同じことを丸ごとやろうとするから無理が出る。お前さんは空に留まるより、踏んで進む方がずっと得意らしい」

 

「まあ、長いこと地面で戦ってたからな」

 

「なら、無理に捨てる必要もない」

 

儀玄が笑った。

 

「空を飛べないなら、空に地面を作ればいい」

 

俺も自分の足を見る。さっきの感触がまだ残っていた。ほんの一瞬だったが、そこには確かに踏める場所があった。

 

「……空を走るってこと?」

 

「そういうことだ」

 

悪くない。むしろ俺には、そっちの方がしっくりくる。

 

「よし。じゃあ次は――」

 

「待て」

 

「ん?」

 

「お前さん、もうできたつもりになってないか?」

 

嫌な予感がする。儀玄が修行場の奥を指差した。岩壁、木杭、屋根と、さっきより遥かに高い位置まで続いている。

 

「今のでようやく入口だ」

 

「……まさか」

 

「まずは落ちずに一周してこい」

 

福福が笑顔で拳を握った。

 

「頑張ってください、アステルさん!」

 

「他人事だと思って楽しそうだな」

 

「応援してるんですよ!」

 

「ほら、さっさと行け」

 

儀玄に背中を押され、仕方なく一歩踏み出す。足元へ力を集中させ、踏んで、蹴る。消えた一歩の先へ、もう一つ踏める場所を作る。

 

レミエールのように空を自由に飛ぶことはできない。儀玄みたいに、何もない空に留まり続けることもできない。それでも、地面がないなら作ればいい。

 

俺は次の一歩を蹴って、もう一段高い場所へ跳んだ。

 

◇

 

当然、一周できるようになるまでには、それなりに時間がかかった。

 

最初のうちは十歩も続かなかった。踏む位置が少しずれれば足を外し、力を込めすぎれば支えきる前に消える。上へ行こうとすれば前へ進めず、前へ急げば今度は高度が落ちた。何度も繰り返しているうちに、どうにか落ちずに修行場を回れるようにはなったが、止まるのは相変わらず苦手だった。

 

「止まれ止まれ止まれ――!」

 

最後の一歩を蹴った勢いのまま地面へ降り、靴底で土を削りながらどうにか停止する。あと少し遅ければ、そのまま壁に突っ込んでいた。

 

「……惜しいな」

 

「何が?」

 

「あと少しだったのに」

 

「何を期待してるんだよ」

 

儀玄の隣で福福が笑いを堪えている。

 

「笑ってるだろ」

 

「わ、笑ってませんっ!」

 

「じゃあこっち見て言って」

 

顔を逸らされた。

 

それからもしばらく、同じことを繰り返した。空中に一歩を作ること自体には、少しずつ意識を割かなくて済むようになっていく。右へ行きたいなら右前に、上へ行きたいなら少し高い位置に。着地する場所から逆算して、次に踏む場所を決める。そうして何度も繰り返すうちに、ようやく落ちながら踏める場所を探すのではなく、自分から次の一歩を作れるようになっていった。

 

空中で方向を変えたところで、儀玄の声が飛んできた。

 

「遅い」

 

「分かってる!」

 

「それだけ考えながら動いていたら、実戦じゃとっくに斬られてるぞ」

 

言い返せない。空中には地面がない。当然のことだけど、実際に動くとこれが思った以上に面倒だった。敵を見て、次に進む方向を決めて、踏む場所を作って、蹴り、姿勢を整える。それをやりながら刀まで振るうとなれば、地上と同じようにはいかない。

 

儀玄がそれを分かった上で、木の棒を一本拾った。

 

「今度はこれを避けながら回れ」

 

「待って。それで何する気?」

 

「安心しろ。刃はついてない」

 

「そういう問題じゃないだろ」

 

言い終わる前に飛んできた。身体を捻って避けたせいで次の一歩を作るのが遅れ、身体が沈む。慌てて足元へ踏める場所を作って蹴り上がった。二本目は身体を傾けるだけで避け、三本目は空中を一度蹴って横へ跳ぶ。

 

「そうだ」

 

儀玄の声が聞こえた。

 

「全部を空中だけで済ませようとするな」

 

「どういう――」

 

言い切る前に、目の前へ壁が迫る。反射的に足をついて蹴ると、自分で作った足場よりずっと強い反発が返ってきた。身体が一気に前へ飛ぶ。その勢いを殺さず、次の位置へ一歩を作って踏み、さらに先の屋根へ。着地する直前に縁を蹴り、そのままもう一段上へ跳ねた。何もない空だけで進んでいた時とは、まるで違った。

 

「……こっちの方が楽だな」

 

「だろう?」

 

地上でやってきたことを全部捨てる必要なんてなかった。壁があるなら蹴ればいいし、屋根があるなら使えばいい。何もない場所だけ、自分で次の一歩を足す。そう考えた瞬間、動きが一気に単純になった。壁、空中、屋根、また空中。次にどこへ足を置けばいいか、考えるより先に身体が動いていく。

 

最後の木杭を蹴り、その先へ作った一歩に足を乗せる。そこから地面へ。今度は勢いを前へ逃がさず、着地と同時に膝を曲げた。土が少し舞う。それだけだった。

 

「…………」

 

自分の両足を見る。止まれた。ちゃんと。

 

「できた……」

 

「おおーっ!」

 

福福が拍手しながら走ってくる。

 

「アステルさん!今のすごかったです!」

 

「見た?」

 

「見ました!途中から本当に空を走ってるみたいでした!」

 

悪くない響きだ。振り返ると、儀玄もこちらへ歩いてきていた。

 

「まあ、これなら使い物にはなるか」

 

「評価低くない?」

 

「高くしたら調子に乗るだろ、お前さん」

 

「否定はしないけど」

 

儀玄が修行場を見上げる。

 

「ただし、勘違いするなよ」

 

さっきまでの軽い調子が少しだけ消えた。

 

「今のお前さんは、空を自由に飛べるわけじゃない。次の一歩を作り続けなければ落ちるし、何もない場所ではそれだけ意識を持っていかれる」

 

「地上みたいには戦えない」

 

「そういうことだ」

 

儀玄が頷く。

 

「逆に、壁や建物がある場所なら今みたいに使える。全部自分で踏める場所を作る必要がない分、お前さん本来の動きに近づけるだろう」

 

「市街地向きってことか」

 

「そうなるな」

 

完全な飛行じゃないし、何もない空を自由に漂うこともできない。でも、それで十分だった。俺が欲しかったのは、誰かより上手く飛ぶ力じゃない。届かなかった場所へ、届くための方法だ。

 

試しにもう一度、地面を蹴る。一つ目を踏み、二つ目へ。その先には何もない。それでも、もう迷わなかった。足を出せば、そこに次の一歩を作れる。

 

高度を上げて振り返ると、適当観の屋根が少し下に見えた。

 

「アステルさーん!あんまり遠くまで行かないでくださいねー!」

 

福福の声が届く。

 

「分かってるー!」

 

返事をしながら、もう一歩。足元の感触が消える。

 

ふと、白い翼が頭に浮かんだ。あの時、俺はピュロイスの中から、外を飛ぶレミエールを見ることしかできなかった。別に、あの時の選択を後悔しているわけじゃない。でも、次も同じように、あいつが一人で空へ行くことがあったなら。

 

今度は、ただ見送るだけじゃなくて済みそうだ。

 

俺は足元に新しい地面を作り、そのまま空を蹴った。

今後の展開についてアンケートです。 現在は原作ストーリーに沿って進めていますが、今後はどちらが読みたいでしょうか? ①原作沿いの展開を続けてほしい ②原作は必要な部分だけ取り入れ、オリジナル中心にしてほしい ②になった場合、現在の第13・14話と投稿予定の第15話は削除し、第13話から書き直す予定です。

  • 原作ストーリーに沿った展開
  • アステルたちのオリジナルストーリーを中心
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