あわせて、オリジナルストーリーの話にはタイトルに「OS」と付けています。
少しでも読みやすくなっていれば嬉しいです!
レミエールの部屋を出た頃には、外はすっかり暗くなっていた。
還流区で起きたことを思い返しながら、リンはアンバー・ホールへの道を歩く。セルピコの写真、レミエールの記憶、そして百年前のアステル。考えたいことはいくらでもあるのに、頭の中で一番鮮明なのは雨に濡れた墓石だった。
「……ただいま」
アンバー・ホールへ入ると、待ち構えていたようにアキラが振り返った。
「リン!」
普段より強い声に、リンは思わず足を止める。
「え、なに?そんな怖い顔して」
「還流区で急に通信が切れたんだぞ。Fairyから異常を聞いて、どれだけ心配したと思ってるんだ」
「あ……」
そういえば、記憶を見たあとレミエールの部屋へ運ばれ、そのまましばらく眠っていた。その間、アキラへ連絡した覚えはない。
「ごめん。レミエールが連絡してくれてると思ってた」
「してくれたよ。君の端末からね」
「私の?」
リンはポケットから端末を取り出した。ロックは掛かったままだ。
「……どうやって?」
「僕の方が聞きたいくらいだよ」
兄妹揃ってしばらく端末を見つめる。百年前の虚狩りに今さら普通の常識を当てはめても仕方がない気がしてきた。アキラが疲れたように息を吐く。
「それでリン……Fairyとの接続が切れたあと、何があったんだ?」
リンは還流区で起きたことを順番に話した。トビーの記憶に残っていた場所、セルピコに似た人物の画像、暴走しかけた機械、レミエールに助けられた瞬間に意識が別の場所へ引きずり込まれたこと。
「レミエールの記憶を見た……ということか?」
「たぶん。あっちも前に似たことがあったみたい」
「ふむ……知能水晶体とタウミエルの共鳴が関係しているのかな」
「分かんない。でも、偶然って感じはしなかった」
リンはそこまで話して、言葉を止めた。アキラが気づく。
「他にも何か見たのか?」
「……色々」
アステルの名前が喉まで出かかった。
軍服姿で笑っていたこと。百年前からレミエールやベリオラと一緒にいたこと。その後に、彼の名前が刻まれた墓があったこと。
けれど、レミエールですら詳しく語ろうとはしなかった。本人に何も聞いていないうちから、自分が勝手に話していいことなのか分からない。
「レミエールとベリオラさん、それに昔のサンブリンガー様。私の知らない人も何人かいたよ」
「そうか」
アキラはそれ以上追及しなかった。そのことが少しだけありがたかった。
「なら、明後日の歓迎会でドラキナ様に聞いてみようか?」
「ドラキナ様に?」
「知能水晶体とタウミエルの共鳴について。算枢局なら何か分かるかもしれない」
アキラが端末を操作すると、来賓向けの予定が表示された。同じ頃、ヴィルリウムでもリンドヴェルヌと外計局を中心に別の歓迎行事が行われるらしい。ヴェリナとノルムーは、すでにそちらへ入り、準備を始めているという。
「アステルもそっちかな」
名前が口から出た瞬間、リンは自分でも少し驚いた。アキラは気にした様子もなく頷く。
「外計局なら、たぶんそっちだろうな」
「……そっか」
今は会わない方がいい。そう思った直後、どうしてそんなことを考えたのか、自分でも分からなくなった。別に避けたいわけじゃない。ただ、今アステルの顔を見れば、軍服姿の彼とあの墓石まで一緒に思い出してしまいそうだった。
◇
その夜、リンはなかなか眠れなかった。
ベッドへ入っても考えが止まらず、結局また端末を手に取る。還流区から持ち帰った情報を開き、被害に遭ったボンプ、シンギュラ・リーク、場所、時刻、セルピコに似た人物と、これまでの事件を最初から並べ直した。どこかに繋がりがあるはずなのに、見つからない。気づけば机へ突っ伏したまま、意識が途切れていた。
◇
深夜、リンの部屋の前を通りかかったアキラは、まだ明かりが点いていることに気づいた。声をかけても返事はない。中を覗けば、リンは机へ突っ伏して眠っている。
「まったく……」
傍らには途中まで整理された大量の記録が残っていた。Fairyが画面上に姿を現す。
『マスターの睡眠状態は安定しています。起床を促す必要性は低いものと判断します』
「起こすつもりはないよ」
アキラは毛布をリンの肩へ掛け、散らかった記録へ視線を移す。被害に遭った者たちに、目立った共通点は見つからない。所属も行動もばらばらだった。
「……Fairy。少し付き合ってくれるかい?」
『訂正。「筆頭助手の指導のもと」が抜けています』
「わかった……それじゃあ頼むぞ、筆頭助手」
小さく息を吐きながら椅子を引く。リンが追っていた情報を、一度全部崩して並べ直した。誰が狙われたかではない。もし犯人が最初から被害者そのものには興味を持っていなかったとしたら。
「リークの方が目的……?」
発生場所、時刻、活性化した時間。一度消失したあと、再び反応した地点も加えていく。個別に見れば無関係に思えたが、発生した順に繋げると違う。
「Fairy。シンギュラ・リークが再活性化した時刻も重ねてくれ」
『処理を実行します』
複数の情報が画面上で組み替えられていく。スカモールホロウ側の反応と、都市部で起きた複数のリーク。それらが一定の順番で連なっていた。
アキラの表情が変わる。
「……通路を作っている?」
偶発的に裂け目が生まれたのではない。意図した場所にリークを発生させ、利用可能な状態へ整えていた。一連の事件が、初めて一本の線で繋がった。
「……これは」
アキラはしばらく画面を見つめたあと、机へ突っ伏しているリンへ目を向ける。ここまで分かれば、明日の動きも決められる。けれど、その前に一度リンにも見せておいた方がいい。
「リン、悪いけど少し起きてくれるかい?」
「……ん」
肩を揺すられ、リンがゆっくり顔を上げた。
「お兄ちゃん……?」
「起き抜けで悪いね。さっきの続きを調べていたんだけれど、一つ分かったことがある」
「なに……?」
まだ眠そうなリンの前へ、アキラは画面を向けた。複数のシンギュラ・リークが、発生した順番に表示されている。
「犯人が狙っていたのは、ボンプそのものじゃないのかもしれない。このリーク、一度消えたあと再活性化しているだろう?時刻まで重ねると、ばらばらに見えた反応が繋がるんだ」
「繋がるって……」
Fairyが表示を切り替える。スカモールホロウと都市部の間に、一つの経路が浮かび上がった。リンの眠気が薄れていく。
「これ……」
「リークを重ねて、通路を作っていたんじゃないかと思う」
「何のために?」
口にしてから、二人とも同じ名前を思い浮かべた。
「ギルタブルル……?」
「可能性はある」
まだ推測に過ぎない。それでも確かめる価値は十分にあった。
「夜が明けたら、発生した順番にリークの痕跡を辿ってみよう。ビリーとシーシィアにも手伝ってもらうつもりだ」
「分かった」
リンは頷いたあと、大きく欠伸をする。アキラが苦笑した。
「今はもう少し寝よう。僕もさすがに眠いからね」
「お兄ちゃんが起こしたんじゃん……」
「それは悪かったよ」
「……じゃあ、朝になったら起こして」
「了解」
リンは今度こそベッドへ向かう。数時間だけでも休んでおいた方がいい。明日は、また動くことになる。
◇
朝、階下からシーシィアの明るい声が響いた。
「リンちゃーん!起きてるー?」
「起きてるー……」
答えながら階段を下りる。一応寝直したものの、寝不足なのは変わらない。下ではシーシィアとビリーが待っていた。
「店長!話は聞いたぜ!黒幕の尻尾が見えてきたんだってな!」
「まだ尻尾かどうかも分かんないよ。今日は確かめに行くだけ」
「そーそー、そういう現場調査ならあーしたちの出番ってワケ!」
「シーシィアってそういう担当だったっけ?」
「細かいこと気にしなーい」
通信越しにアキラのため息が聞こえた。
『二人とも、リンを頼むよ。昨日みたいなことが起きたら、調査より退避を優先してくれ』
「分かってるって!」
「昨日も似たこと言ってなかった?」
『だから心配なんだよ』
リンは返事の代わりにピュロイスとの接続を確認した。今度こそ、何かを掴む。
◇
エネルギー区。アキラが割り出した順番に、シンギュラ・リークの痕跡を辿っていく。何度か敵に道を塞がれながらも、リン、ビリー、シーシィアの三人は一つずつ反応を追った。
「次は右!」
『リン、その先のリーク反応は不安定だ。接触のタイミングを合わせろ』
「分かってる!」
ビリーが前方を塞いでいた敵を吹き飛ばす。
「道は任せろ!」
「じゃ、こっちも片づけちゃおっか!」
シーシィアも続く。最後の反応へ踏み込んだ瞬間、周囲の景色が変化した。リンは足を止める。ホロウ内部の景色ではない。整えられた室内に、豪華な調度品。見覚えのある場所だった。
「……ここって」
シーシィアが周囲を見回す。
「ずいぶんいい部屋に出ちゃったね。どっかのお偉いさんの部屋?」
「算枢局……」
リンは以前、一度だけここへ来たことがある。
「ドラキナ様の執務室だよ」
三人が顔を見合わせた。
「なんでリークがここに繋がってるの……?」
その時、扉の向こうから足音が聞こえた。
「ん?待って、誰か来てる!」
シーシィアが声を潜める。三人が身構えるより早く、扉が開いた。
「あら?」
入ってきたドラキナが、こちらを見て目を丸くした。
「あなたたち、どうしてここにいるの?」
事情を説明すると、ドラキナは思ったよりも落ち着いていた。数日前、この執務室の付近でも小規模なシンギュラ・リークが観測されていたらしい。アキラが見つけた規則性と照らし合わせれば、偶然とは考えづらい。
「つまり、誰かが意図的にシンギュラ・リークを繋いでいるかもしれないってこと?」
「うん。まだ確定じゃないけど」
ドラキナは少し考え込んだあと、ビリーとシーシィアへ目を向けた。
「ええと……ごめんなさい、リン。二人には少し席を外してもらえるかしら?」
「え?」
「この先、算枢局の最高機密に触れる可能性があるの。知っている人間は少ないに越したことはないでしょう?」
ドラキナは二人を順番に見る。
「地上の治安官と……それから、えっと……無職?」
「あー……無職で合ってるぜ!」
ビリーが胸を張る。
「そこ誇るところなの!?」
リンが思わず突っ込む。シーシィアは横で笑いかけたものの、すぐにドラキナの顔を見て表情を引きつらせた。
「えっと……あーしたち、知ったらマズいやつだったりする?」
「できれば、そんなことはしたくないのだけれど」
ドラキナは困ったように笑う。
「状況は複雑なの。リンとしばらく話し合うから、二人はアンバー・ホールに戻っていて」
「でも、この二人は今までだって一緒に動いてくれてたよ。前の事件でもそうだったし、治療の時だって――」
「分かっているわ」
ドラキナは穏やかな口調のまま遮った。
「だからこそ、余計な危険には巻き込みたくないの。分かってくれる?」
「……うん」
理由は分かる。それでも、どこか引っかかった。今までなら、この程度のことでドラキナが二人を強く遠ざけることはなかった気がする。
考えすぎだろうか。
ビリーがリンの肩を軽く叩く。
「心配すんな、店長。オレたちは外で待ってるぜ!」
「何かあったらすぐ呼んでねー」
シーシィアも手を振る。二人が部屋を出て、扉が閉まった。途端に、部屋が静かになる。ドラキナが窓際へ視線を向けた。
「リークが出た時、この辺りにかなり強いエーテルの気配が残っていたの」
「強いエーテル……」
「リンなら分かるかもしれないでしょう?少し見てくれる?」
「うん」
リンは意識を集中させる。確かにエーテルの気配がある。完全に消えたわけではなく、今も部屋のどこかに薄く残っていた。ドラキナは机に散らばった資料へ目を向ける。
「当時の記録も残っているわ。何か分かるかもしれない」
リンは一枚を拾い上げた。リーク観測記録、人員配置、ロゼッタデータに関する報告。読み進めながら、ふと手が止まる。
「……待って」
事件が起きたのは数日前。
それなのに。
「なんで、まだこんなにエーテルが残ってるの……?」
残留反応にしては強すぎる。リンはもう一度意識を集中させた。机でも、資料でも、床でもない。エーテルの発生源は、この部屋そのものではない。
もっと近い。
すぐ後ろ。
『リン』
ピュロイスの声と、リンの認識が重なる。
「後ろっ――ピュロイス!」
黒い影が割り込む。次の瞬間、凄まじい衝撃が室内を走った。机が吹き飛び、資料が宙へ舞う。リンはピュロイスの背後から顔を上げる。ドラキナが、さっきまでリンの立っていた場所へ腕を振り抜いていた。
「……ドラキナ様?」
笑顔が消える。目の前にいるドラキナの輪郭が歪み、穏やかな外見の奥から隠されていた異形が覗いた。
「あんた、何者なの……?」
答えはない。偽者がこちらへ踏み込もうとした、その時、扉が開いた。
「ドラキナ様?」
リンの血の気が引いた。
「トリヴィア!?」
何か用事があったのだろう。何も知らないトリヴィアが部屋へ入ってくる。
「来ちゃダメ!逃げて!」
声を上げる。だが遅かった。偽ドラキナの腕が動く。
「――っ!」
トリヴィアの身体が大きく揺れ、そのまま床へ崩れた。
「トリヴィア……?」
頭が真っ白になる。駆け寄ろうとしたリンの前へ、ピュロイスが立ちはだかった。
『……呆けるな!』
「でも、トリヴィアが!」
『行くぞ!』
「待って、ピュロイス!」
リンの言葉を聞かず、ピュロイスが身体を抱え上げる。次の瞬間、窓が砕けた。風が身体へ叩きつけられる。リンは手を伸ばした。けれど、床へ倒れたトリヴィアの姿は瞬く間に遠ざかっていった。
◇
少しして、警報を受けたシグリッドが執務室へ駆け込んできた。
「ドラキナ様、ご無事ですかっ!算枢局内で何かあったと知らせが――」
言葉が止まる。床へ倒れているトリヴィアを見つけ、シグリッドの目が大きく見開かれた。
「なっ……トリヴィア殿!?なぜ、彼女が……!」
「よく来てくれたわ、シグリッド」
ドラキナは落ち着いた声で言った。
「あたしは大丈夫。それよりトリヴィアを止血してほしいの。お願いできる?」
「はっ、仰せのままに!」
シグリッドはすぐにトリヴィアのもとへ駆け寄った。応急処置を始めながら、傷の状態を確かめる。
「これは……一体、誰が」
「あたしが迂闊だったわ。トリヴィアとリンを二人きりにするべきじゃなかったの」
シグリッドの手が一瞬止まった。
「リン殿が……?」
顔を上げる。
「失礼を承知で伺います、ドラキナ様。トリヴィア殿を傷つけたのは、リン殿だとおっしゃるのですか?」
「残念だけど、そうよ」
ドラキナは目を伏せる。
「二人の間に、あたしたちが思っていた以上に深い溝があったみたい。まさか、こんなことになるなんて思わなかったわ」
倒れているトリヴィアへ視線を落とす。
「でも、きっと衝動的なものよ。まずはリンを見つけて、ちゃんと話を聞いてあげましょう」
「……」
シグリッドはすぐには答えなかった。ドラキナがその顔を見る。
「シグリッド?」
「いえ……何でもありません、ドラキナ様」
短い間のあと、シグリッドは頭を下げた。
「早急にリン殿を探し出し、こちらへお連れします」
「お願いね。リンドヴェルヌは今ヴィルリウムにいるでしょう?あなたなら安心して任せられるわ」
シグリッドの目がわずかに動いた。
「……はっ」
「それと、このことはまだ内緒にしてちょうだい。島に来たばかりのお客様を、余計に混乱させたくないの」
「御意に」
ドラキナは穏やかに頷いた。シグリッドは再びトリヴィアの傷へ意識を戻す。誰にも見えないところで、ドラキナの口元が静かに緩んだ。
◇
雨が降っていた。
リンはどこを歩いているのか、自分でもよく分からなかった。警報の音はもう聞こえない。それでも算枢局から逃げた以上、このままアンバー・ホールへ戻るわけにはいかない。アキラに連絡すれば、今度は兄まで巻き込むかもしれない。そして何より、トリヴィアが倒れた瞬間が頭から消えなかった。
「ピュロイス……」
『なんだ』
「なんで逃げたの」
『あの女はもう手遅れだった』
リンの足が止まった。
「……え?」
『あの傷は致命傷だ。あの場に残っても、お前に救える状態ではなかった』
「そんなの、分かんないじゃん」
『分かる』
「でも、助けられたかもしれない!」
雨音に負けないくらい声が大きくなる。ピュロイスは容赦しなかった。
『ならばどうするつもりだった』
「どうって……」
『あの偽サンブリンガーに勝てたのか?』
言葉が詰まる。
『今のお前では勝てない。あの場に残れば、トリヴィアを救えないまま、お前まで倒れていた』
「だからって……」
『旧友一人を救うために、自分の命だけでなくロスカリファすべてを道連れにする覚悟があるのか』
「そんなこと言ってない!」
『同じことだ』
反論しようとして、できなかった。自分が倒れれば、今追っている事件を止められる人間も減る。それでも、頭では分かっていても、目の前でトリヴィアを置いて逃げた事実だけは消えてくれなかった。
「……最悪」
雨が髪を濡らし、頬を伝っていく。自分でも、どこから雨でどこから涙なのか分からなかった。
聞き覚えのある声がした。
「あーあ、ひどい有様だね」
リンが顔を上げる。白い翼、ピンク色の髪。傘も差さずに、レミエールがそこに立っていた。
「……レミエール?」
「たった一日会ってないだけで、どうしてそんなにボロボロになってるのかな?」
いつもの調子で言いながら、レミエールはリンの顔を見る。わずかに目を細めた。
「空巡局の警報があんなに鳴ってたら、私だって様子くらい見に来るよ。最初は私の一斉捜索でも始まったのかと思ったけど」
「……」
「それで?キミはどうして、こんなところで濡れねずみになってるの?」
リンは答えられなかった。レミエールもしばらく待ったが、やがて肩をすくめる。
「はいはい。今は言いたくないならいいよ」
そう言って、リンの肩へ手を置いた。
「でも、雨の中で棒立ちになるのはやめよっか。このままじゃ本当に風邪引くよ」
「帰れない」
「アンバー・ホールに?」
リンが頷く。レミエールは少し考えた。
「まあ、どのみちあっちはもう空巡局に囲まれてるだろうし、今戻るのはやめた方がいいかな」
「でも、お兄ちゃんが」
「今キミまで捕まったら、もっと困るでしょ?」
返す言葉がない。レミエールはしばらく黙っていたが、やがて何かを思い出したように顔を上げた。
「……今日は、アステルのところにしよっか」
リンの足が止まった。
「え?」
「アステルの家」
「……なんで?」
「前に言ってたでしょ。何かあったら来いって」
「それ、あんたに言ってたんじゃないの?」
「私が連れて行くんだから大丈夫」
「そういう問題?」
「細かいこと気にしてたら雨止んじゃうよ」
「止んだ方がいいんだけど」
レミエールが少し笑う。リンはその顔を見たあと、視線を落とした。アステル。その名前を聞くだけで、昨日見た記憶が蘇る。軍服姿で笑っていた男と、雨に濡れた墓石。今から会いに行くのは、その両方と同じ顔をした人だった。
「……今、アステルに会いたくない?」
レミエールが聞く。リンは少し迷った。
「分かんない」
正直に答える。
「でも、他に行くところもないし」
「じゃあ行こ」
レミエールはそれ以上聞かなかった。リンも黙って後を追った。
◇
ヴィルリウムから戻ってきて、まだそれほど経っていなかった。俺は脱いだ上着を椅子へ掛けながら、今日一日分の疲れを吐き出す。
「……歓迎会の準備って、なんで本番前からこんな疲れるんだよ」
ノルムーに言えば、最近いなかった分だと返されるのが目に見えている。明日もヴィルリウム。逃げたい。本気でそう考え始めたところで、呼び鈴が鳴った。
「こんな時間に誰だよ」
端末で玄関前を確認する。そこに映った二人を見て、思わず眉を寄せた。扉を開けると、レミエールとリンが立っていた。二人ともびしょ濡れで、特にリンは、雨に濡れただけでは説明できないくらい顔色が悪い。
「……何したの、お前ら」
「私は何もしてないよ」
レミエールが答える。少し間を置いて、隣のリンを見る。
「リンちゃんもね」
「その言い方だと余計怪しいんだけど」
「ひどいなあ」
軽口を返すレミエールとは対照的に、リンは黙ったままだった。俺を見る目が、妙に落ち着かない。
「リン?」
「……なに?」
「いや。なんか言いたそうだったから」
「別に」
そう言って視線を逸らす。さっきから、こいつは時々こんな目で俺を見る。理由は分からないし、今聞くことでもなさそうだ。
「とりあえず入れよ。二人ともそのままだと床までびしょびしょになる」
「もうなってるよ?」
「誰のせいだと思ってる」
レミエールが足元を見る。
「あ」
「今気づいたのかよ」
リンの口元が少しだけ緩んだ。それを見てから、俺は二人を中へ入れる。
「そこで待ってろ。タオル持ってくる」
「はーい」
「レミエール、お前は特に動くなよ」
「なんで私だけ?」
「翼」
白い翼の先から、水がぽたぽたと床へ落ちている。
「……ごめん」
珍しく素直だった。俺は洗面所から大きめのタオルを何枚か持って戻り、一枚ずつ二人へ渡す。リンは受け取ったタオルを肩に掛けたまま、まだ少し俯いていた。何かあったのは間違いない。でも、今すぐ話せと言ってどうにかなる顔でもなかった。
「今日は泊まってけ」
リンが顔を上げる。
「……え?」
「今からその状態で外に出すわけにもいかないだろ」
「でも」
「事情は話したくなった時でいい。とりあえず風邪引く前に着替えろ」
「アステル」
レミエールがこちらを見る。
「ありがと」
いつものふざけた調子ではなかった。
「どういたしまして」
俺はリンへも視線を向ける。
「着替え探してくる。二人ともその間に少し休んどけ」
「……うん」
今度はリンも素直に頷いた。俺はそのまま部屋を出る。扉を閉める直前、レミエールが濡れた翼を気にしながら、向かいにいるリンへ視線を戻すのが見えた。今日は二人とも色々あったらしい。少しでも落ち着けばいい。そう思いながら、俺は着替えを探しに向かった。