朝、目が覚めた時には、まだ目覚ましが鳴るまで少し時間があった。
昨日の雨はすっかり上がり、窓の外には青空が広がっている。俺はしばらく寝台の上で天井を眺めていたが、三代目と稽古をする約束を思い出して身体を起こした。昨夜は二人に散々脅かされたものの、久しぶりに剣を見てもらえること自体は楽しみだった。
もっとも、無事に帰れるかどうかは別の話だが。
軽く朝食を済ませ、着替えを鞄に詰める。稽古が終わったらそのまま軍へ戻るつもりなので、忘れ物がないか確認しておかなければならない。荷物をまとめているうちに目覚ましが鳴り、俺は少し得意になって時計を止めた。
これなら遅刻する心配もないだろう。
◇
稽古場に着いた時、すでにベリオラの姿があった。動きやすい服装に着替え、木剣を何本か並べている。俺に気づくと、手を止めてこちらへ顔を向けた。
「おはようございます、アステル。今日は随分と早いですね」
「三代目を待たせたら大変だって、昨日散々言われたからな。これでも結構頑張ったんだぞ」
「ふふ、感心ですね。普段からそれくらい早起きできるといいのですが」
「俺、軍ではちゃんと起きてるからな?」
「ええ、知っていますよ。ですが、休暇になると途端に朝が苦手になるでしょう?」
昔からの付き合いとはいえ、そこまで覚えていなくてもいいと思う。
ベリオラは並べていた木剣の中から一本を選び、俺へ差し出した。受け取って軽く振ってみると、以前使っていたものと似た重さだった。
「これ、昔も使ってたやつか?」
「ええ。あなたが使いやすいと言っていたものです。まだ残っていたので、今日はそちらを用意しておきました」
「へえ、よく覚えてたな。俺なんて、使いやすいって言ったことすら忘れてたぞ」
「使い慣れたものの方が、今の動きも確認しやすいでしょうから」
ベリオラはそう言って、残りの木剣を整え始めた。俺は試しにもう何度か振ってみる。なるほど、確かに手に馴染む。最後に使ったのがいつだったかは覚えていないが、こうして持ってみると懐かしいものだ。
「む、もう来ていたか」
稽古場の奥から声が聞こえた。三代目だった。昨日も子午館で顔を合わせたばかりだが、こうして剣を手にした姿を見るのは久しぶりだ。普段と変わらない落ち着いた様子でこちらへ歩いてくるのを見て、以前の稽古を思い出した。あの時は確か、最初の一太刀を振り終える前に転がされていたはずだ。
「おはよう、三代目。今日はよろしくな」
「ああ。ベリオラから話は聞いている。軍での経験も積んだそうだな。以前より腕を上げていることを期待しているぞ」
「期待に応えられるといいんだけどな。前みたいに一瞬で終わったら、ちょっと情けないし」
「そう身構えることはない。まずは今のお前の動きを見せてもらおう」
三代目はベリオラへ視線を向けた。
「最初はお前が相手をしてやるといい。私は二人の動きを見ておこう」
「承知しました」
ベリオラが木剣を持って俺の正面へ立つ。思いがけず、最初から彼女と手合わせすることになった。俺は木剣を握り直しながら、軽く首を回す。
「最初からベリオラか。まあ、ちょうどいいかもしれないな」
「そうですね。以前よりどれくらい上達したのか、私も楽しみにしていたんですよ」
「……その笑顔、ちょっと怖いんだけど」
「失礼ですね。怪我をしないよう、気をつけてお相手しますよ」
「じゃあ手加減してくれるってこと?」
「それとこれとは別のお話です」
やっぱりな。何となく予想はしていたが、期待するだけ無駄だったらしい。
互いに距離を取り、木剣を構える。軍で何度も訓練を重ねてきたおかげで、昔よりは自分の動きにも自信があった。相手がベリオラだからといって、何もできずに終わるつもりはない。
「いつでもどうぞ」
彼女の声に合わせて、俺は一歩踏み込んだ。
最初の一撃は正面から。ベリオラは木剣で受け止めると、こちらの力を横へ流すようにして刃を逸らしてくる。予想していた動きだったので、そのまま踏み込む足を切り替え、空いた側へ回り込んだ。ところが、二撃目を振り抜くより早く、ベリオラの木剣が俺の手元へ滑り込んできた。
「うおっ!」
反射的に後ろへ下がり、辛うじて直撃を避ける。しかし、彼女はもう次の位置へ移動していた。慌てて構え直した俺を見て、ベリオラは少しだけ目を細める。
「足運びは随分よくなりましたね。以前なら、今ので剣を落としていたと思います」
「そりゃどうも。俺だって毎日遊んでるわけじゃないからな」
「ええ、十分伝わってきますよ。ただ、少し肩に力が入りすぎていますね。もう少し楽に構えた方がいいでしょう」
言われたとおりに力を抜くと、ベリオラは俺の構えを一通り確かめ、再び木剣を持ち上げた。
今度は先ほどより速い攻撃が飛んでくる。俺は正面から来た木剣を受け流し、反撃の機会を探した。ベリオラの動きには、昔からいくつか覚えている癖がある。踏み込む直前に重心が移ることも、攻撃を切り替える時に肩が動くことも、何度も手合わせするうちに見慣れていた。
右から来る。そう判断した瞬間、俺は先に剣を振った。ところが、予想していた位置にベリオラの姿はなかった。
踏み込んだ足の外側から木剣を軽く押さえられ、無理に身体を捻って避けようとしたせいで体勢が崩れる。どうにか踏みとどまろうとしたが、次の瞬間には尻から地面に座り込んでいた。
「……痛って」
ベリオラがすぐに木剣を下ろし、こちらへ手を差し出した。
「無理に避けようとしましたね。怪我はありませんか?」
「大丈夫。ちょっと尻打っただけだから」
その手を借りて立ち上がると、彼女は俺の動きを確かめてから、ようやく表情を緩めた。
「それならよかったです。ですが、今の攻撃はもう少し綺麗に受けられたと思いますよ」
「分かってる。途中まではちゃんと見えてたんだけどな……」
ベリオラは何か言いかけたものの、稽古場の端から三代目が声をかけたため、そちらへ顔を向けた。
「アステル。今、お前には何が見えていた?」
「ベリオラの重心が右へ動いたんだ。それで、次はそっちから来ると思ったんだけど……完全に読み違えたな」
「なるほど。では、私も少し相手をしよう」
三代目はベリオラから木剣を受け取り、俺の前に立った。
「構えてみるといい。今度は攻めず、私の一撃を受けることだけ考えろ」
「分かった」
言われるまま木剣を構える。三代目はゆっくりと剣を持ち上げた。その動きに合わせて俺も構えを調整するが、どこから攻撃が来るのか、まるで分からない。木剣を持つ手にも肩にも、これといった変化が見えなかった。
次の瞬間、三代目が踏み込んできた。
速い。だが、受けられないほどではない。俺は反射的に剣を動かし、どうにか最初の一撃を受け止めた。手のひらに重みが伝わる。続けて力の向きを変えようとしたところで、三代目の木剣がするりと離れた。
気づけば、俺の右手首の少し手前で、その切っ先が止まっていた。
「……参った」
「最初の一撃はよく受けたな。今の感覚を覚えておくといい」
三代目が剣を下ろす。
「相手の動きを読むのは悪いことではない。だが、読んだ先の結果まで決まったものとして動けば、そこを利用される」
俺は自分の手元に目を落とした。思い返してみれば、先ほどのベリオラとの手合わせも同じだった。
「……つまり、俺が勝手に決めてたってことか」
「そうだ。お前は以前から相手をよく観察していた。しかし、その目を信用しすぎるところがあるな」
三代目は少し間を置き、俺の顔を見た。
「お前が一番危ういのは、相手の動きを見切ったつもりになった時だ。目に映ったものがすべてとは限らんぞ」
その言葉には、思い当たるところがあった。軍の訓練でも、相手の癖を覚えてからの方が妙に失敗することがある。最初は慎重に動いているのに、何度か攻防を重ねるうちに、次に何が来るのか分かる気になってしまう。昨日の食事の席で、ベリオラたちを守れるくらい強くなりたいと言ったばかりだというのに、これでは先が思いやられるな。
「……分かった。もう一度頼むよ」
「いいだろう。ただし、今度はすぐに反撃しようとするな。まずは最後まで相手を見てみることだ」
俺は改めて木剣を構えた。
◇
それからしばらく、三代目の指導が続いた。最初は攻撃を受けるだけ。それができるようになったら、相手の動きに合わせて位置を変える。内容だけ聞けば簡単そうだったが、実際には何度も同じところで失敗した。特に厄介だったのは、三代目がわざと隙を見せてくることだ。攻撃できそうな場所が目に入ると、どうしても身体が先に動いてしまう。そこを何度も突かれるうちに、自分が思っていた以上に単純な動きをしていたことに気づかされた。
「今のはよかったな。先ほどより余裕ができている」
「そうか?自分じゃあんまり分かんないんだけど」
「自分の変化ほど、気づきにくいものだ。修行を重ねれば、いずれ実感できるだろう」
三代目は満足そうに頷き、それから何か思いついたように木剣を下ろした。
「では、次は目を閉じて構えてみるか」
「……目を閉じて?」
「視覚に頼りすぎる癖を直す修行だ。周囲の気配を感じ取るところから始めるといい」
真面目な顔でそんなことを言われても、どう反応すればいいのか分からない。いや、三代目なら本当にそれで修行になるのかもしれないが、俺が同じことをしても、何も見えないまま転がされる未来しか想像できなかった。
「三代目。その修行は、また別の機会にしましょう」
ベリオラが横から声をかけてくれた。
「アステルは午後には軍へ戻りますし、そろそろ休憩を挟んだ方がよいかと」
「そうだったな。では、いったん休むとしよう。目を閉じる修行は次の機会だ」
助かった。もっとも、次に会った時まで覚えていられると、それはそれで困るのだが。
俺が木剣を置くと、ベリオラは用意していたタオルを差し出してきた。
「お疲れさまでした。水もありますから、少し休みましょう」
「ありがと。いやあ、助かったよ。さすがに目を閉じて三代目の相手をするのは無理だって」
「三代目も、あなたならできると思ったのでしょう。ですが、今日は十分頑張っていますから」
受け取ったタオルで顔を拭き、水を飲む。ベリオラは俺の隣に腰を下ろしたものの、自分から話しかけてくることはなかった。こうして隣にいると、昔を思い出す。稽古で疲れ果てるたび、俺は同じようにここへ座り込んでいた。あの頃もベリオラは、自分の訓練が終わったあとに付き合ってくれたものだ。
「そういや、お前も結構動いたのに平気そうだな。少しは休んだ方がいいんじゃないか?」
「私は慣れていますから。それより、あなたが持っているタオル、まだ使いますか?」
「ん?もういいけど」
返すと、ベリオラはそれを受け取って畳み、隣に置いた。俺の使いやすい木剣といい、今日の準備は随分と行き届いている。
「いつも悪いな、いろいろ世話になって」
「……急にどうしたのですか?」
「いや、何となく。昔から結構面倒見てもらってるよなって」
ベリオラは俺を見たあと、少し視線を逸らした。
「私は、自分がしたいことをしているだけですよ」
「そうなのか?まあ、助かってるからいいけどさ」
「ええ。それなら、よかったです」
そう答える声が少しだけ柔らかく聞こえた。
◇
休憩していると、稽古場の入口から聞き慣れた声が飛んできた。
「おーい、アステル!まだ生きてるー?」
レミエールだった。昨日の雨で散々濡れていた翼も、今日は綺麗に乾いている。片手に小さな袋を提げ、こちらへ大きく手を振りながら近づいてきた。
「朝一番に会ってそれかよ。おはようくらい言えって」
「おはよ!それで、どうだった?もう三代目には転がされた?」
「……お前、見に来たんじゃなくて笑いに来たんだろ」
「もちろん応援もするよ。でも、もう始まってたんだね。もっと早く来ればよかったなあ」
レミエールは残念そうに稽古場を見渡したあと、俺の前へ回って顔を覗き込んできた。
「へえ、思ってたより元気そうじゃん」
「何を期待してたんだよ」
「前は稽古が終わったあと、しばらく立てなかったでしょ?あの頃よりは強くなったってことかな」
「そりゃそうだろ。俺だって成長してるんだぞ」
「うん、そうみたいだね。じゃあ、後半はちゃんと見届けないと」
何やら楽しそうに笑っている。どうせ俺が転がされるところも含めて楽しみにしているのだろう。
そんな俺たちのやり取りを聞いていたベリオラが、レミエールの持っている袋へ目を向けた。
「ところで、レミ。そちらは?」
「あ、そうそう。差し入れ持ってきたんだ。朝ご飯、ちゃんと食べたか分からなかったし」
袋の中から取り出したのは、いくつかの小さな焼き菓子だった。
「ちょうど近くのお店で焼きたてだったんだよ。ほら、アステルも食べて」
「お、助かる。朝飯は食ったけど、結構腹減ってたんだよな」
一つ受け取って口に運ぶ。外側は少し硬めだが、中は柔らかく、甘い香りが広がった。
「うまいな、これ」
「でしょ?私も好きなんだよね、そのお店」
レミエールは嬉しそうに笑い、袋からもう一つ取り出した。
「……レミ、少しいいですか?」
ベリオラが静かに声をかけた。
「その差し入れ、アステルのために買ってきたのですよね?」
「もちろん。ちゃんと渡したでしょ?」
「ええ。ですが、あなたが全部食べてしまっては意味がありませんよ。三代目の分も残しておきましょうね」
「……それもそうだね」
言いながら、レミエールは手にした焼き菓子を口へ運んだ。
「いや、今のは食うんだな」
「もう持っちゃったからね」
悪びれる様子もないレミエールを見て、ベリオラは小さく息を吐いた。昨日の食事とまったく同じ光景だった。
ベリオラは袋の中身を確認すると、俺と三代目の分を取り分けた。その手際のよさを見ていると、今まで何度同じことをしてきたのか分からなくなってくる。
「はい、アステル。こちらもどうぞ」
「ありがと。ベリオラも食べろよ?」
俺がもう一つ焼き菓子を渡すと、彼女は一度俺の顔を見てから受け取った。
「……ありがとうございます」
「いや、お前の分もあるだろ。ほら、冷めないうちに食おうぜ」
「ええ。そうですね」
ベリオラは小さく笑い、そのまま俺の隣へ腰を下ろした。反対側にはレミエールも座っている。三人で休憩していると、昨日の食事の続きみたいな気分になってきた。
「そういや、今日は研究の方はいいのか?昨日あんなに忙しそうだったのに」
「午前中は少し余裕があるんだよ。昨日の結果を整理する時間も必要だしね。それに、せっかくキミが稽古するんだから、見逃すのももったいないじゃん」
「どうせなら、お前も一緒にやればいいのに」
「私は応援担当だって言ったでしょ?頑張る人を応援するのも大事な仕事なんだよ」
「随分都合のいい仕事だな……」
俺が呆れていると、レミエールは楽しそうに笑った。そのまま稽古場の中央へ目を向け、片付けをしている三代目を眺める。
「でもさ、アステルって昔より結構強くなったよね。軍に入ってから、動き方も変わったし」
「そりゃ訓練してるからな。まあ、二人にはまだ全然敵わないけど」
「ベリと三代目が相手なんだから、そこは気にしなくていいと思うけどなあ。昔は木剣を振るだけでも大変そうだったのにね」
「さすがにそこまでひどくなかっただろ」
「どうだったかなあ。ベリは覚えてる?」
レミエールが隣のベリオラへ顔を向けた。
「ええ、覚えていますよ。ですが、アステルは昔から努力家でしたから。できないことがあっても、何度も練習していましたね」
「お、珍しく褒めてくれるじゃん」
「珍しく、ですか?」
「いや、いつも注意されてる気がするからさ」
「それは、あなたが何度注意しても同じことをするからでしょう?」
ベリオラは穏やかな口調のまま言い返した。レミエールが楽しそうに笑う。二人とも、俺の昔の失敗談をいくつも覚えているらしい。
「……その辺の話はもういいだろ。そろそろ次の稽古も始まるしさ」
「ふふ、逃げたね」
「逃げてないって」
俺は残っていた水を飲み干し、再び木剣を手に取った。
◇
休憩を終えると、今度はベリオラとの手合わせになった。三代目は少し離れた場所から見ている。レミエールも邪魔にならないところへ移動し、先ほどの焼き菓子の袋を抱えながらこちらを見守っていた。
「準備はいいですか?」
「ああ。さっきみたいにはいかないからな」
「それは楽しみですね」
ベリオラが木剣を構えた。こちらも呼吸を整え、彼女の動きに集中する。
最初の攻撃は先ほどとよく似ていた。正面から打ち込んできた木剣を受け止めると、ベリオラの重心がわずかに右へ移る。さっきなら、ここで反撃していた。俺は踏み込もうとした足を止め、相手の次の動きを待った。
すると、ベリオラはそのまま右へ動かず、木剣の向きを変えて正面から打ち込んできた。俺は辛うじてそれを受け止め、剣を合わせたまま一歩下がった。やっぱり、三代目の言ったとおりだった。相手がどう動くのかを最後まで見なければ、こちらの判断を逆手に取られてしまう。
次の攻撃を受けながら距離を調整し、少しずつ相手の動きを追う。ベリオラは無理に距離を詰めることなく、こちらの反応を見ながら攻撃の方向を変えてきた。何度か剣を交えるうちに、彼女の左側に隙が見えた。だが、すぐには踏み込まない。もう一度、相手の足と剣の位置を確認する。
そこへベリオラが攻撃してきた。俺は木剣を受け流し、そのまま左へ身体を移動させる。今度は先ほどより余裕を持って動けた。彼女が向きを変えるより先に、俺は空いた場所へ剣を振り込んだ。
今度こそ届く。そう思った直後、ベリオラの木剣が俺の刃を横へ押し流した。気づけば、もう一方の手を添えた彼女の剣が、俺の肩の手前で止まっていた。
「……参った」
「はい。お疲れさまでした」
ベリオラはすぐに木剣を下ろした。また負けた。しかも、今度こそ行けると思ったところで。
「……最後、結構よかったと思ったんだけどな」
「ええ。先ほどよりずっとよくなっていましたよ。途中までは、私も少し驚きました」
ベリオラはそう言ってから、俺が最後に振り込んだ場所へ目を向けた。
「ただ、最後は少し急ぎましたね。あそこで無理に踏み込まなくても、もう一度相手の動きを確認する余裕はあったはずです」
「……確かに」
せっかく相手の動きをよく見ようと意識していたのに、反撃できると思った途端、また先走ってしまったらしい。
「でも、前よりはちゃんと動けただろ?」
「もちろんです。以前のあなたなら、最初の攻撃を受け止めるだけで精一杯でしたから」
「だよな!いやあ、軍で訓練してきた甲斐があったよ」
「ええ。本当によく頑張りましたね」
ベリオラはそう言うと、俺の顔を見て微笑んだ。その表情が妙に柔らかかったので、何かおかしなことを言ったかと思ったが、彼女はすぐに三代目の方へ向き直ってしまった。
「今のは悪くなかったぞ。最初に比べれば、随分と動きがよくなっている」
近づいてきた三代目に、俺は肩をすくめた。
「そう言ってもらえると助かるけど、結局また負けたよ」
「勝ち負けだけで考える必要はない。お前は先ほど、自分の判断を一度止めることができた。それだけでも十分な収穫だ」
三代目は俺の持っている木剣へ目を落とした。
「軍で学んだことも、確かに身についているようだな。ただ、経験を積むほど自分の判断に頼りすぎるところがある。それには気をつけるといい」
「分かった。次からはもっと意識してみるよ」
「ああ。剣を交える時は、最後まで目を離すな」
俺は木剣を握り直した。言われたことは理解できる。だが、実際にできるようになるには、まだ時間がかかりそうだった。
「……ありがとな、三代目」
三代目は短く頷いただけだった。俺は軽く頭を下げる。
すると、稽古場の端から拍手が聞こえてきた。
「お疲れさまー!アステル、結構頑張ってたじゃん!」
拍手の主はレミエールだった。いつの間にかすっかり観戦する姿勢になっており、楽しそうにこちらへ手を振っている。
「お前、ずっと見てたのか?」
「もちろん。応援担当だからね。でも、今のはちょっと惜しかったなあ。最後の一撃、私も届くと思ったよ」
「俺もそう思ったんだけどな。やっぱりベリオラは強いわ」
「そりゃそうでしょ。ベリだもん」
レミエールは当然のように言い切り、木剣を片付ける俺の隣へ並んだ。そのまま俺が持っていた木剣を一度眺め、何か思いついたように口を開く。
「ねえ、アステル。さっきから気になってたんだけど、キミってベリと三代目から刀ばっかり教わってるよね?」
「……そりゃ、今日は剣術の稽古だし」
「それは分かってるよ。でもさ、私だって剣を使うんだけどなあ」
レミエールはわざとらしくため息をつき、俺の方へ顔を寄せた。
「ベリとは何度も手合わせして、三代目にも教えてもらってるのに。私には一度も教えてほしいって言ってくれないじゃん」
「いや、そもそもお前が応援担当でいいって言ってたんだろ?」
「それは見学するつもりだったからでしょ。でも、こうして見てると、私だって何か教えてあげたくなるんだよね」
随分と勝手な理屈だった。とはいえ、レミエールの剣術を間近で見られる機会はそう多くない。俺が少し考えていると、彼女はその隙を見逃さなかった。
「あ、そうだ!だったら私が光剣の使い方を教えてあげる!」
「……は?」
「キミ、刀ばっかりでしょ?違う武器も扱えるようになれば、今まで気づかなかったことも分かるかもしれないし。いい勉強になると思わない?」
「いや、理屈は分かるけど、俺もう結構稽古したんだぞ」
「大丈夫、最初は基本だけにするから。せっかく私がいるんだし、試してみようよ」
言いながら、レミエールはすでにベリオラと三代目の方へ歩き始めていた。
「ねえベリ、三代目!アステルに光剣の扱いを教えてあげたいんだけど、少し稽古場を借りてもいいかな?」
「レミ、あなたが教えたいだけではありませんか?」
「ふふ、そうとも言うかな。でも、せっかくだし、刀以外の動きも覚えてもらいたいんだよね」
レミエールは悪びれる様子もなく笑った。ベリオラは一度俺の方を見てから、三代目へ視線を向けた。
「光剣か。それもよい修行になるだろう。異なる武器を扱えば、自分の癖にも気づきやすくなるからな」
「ほら、三代目もこう言ってるし!」
「……お前、最初からこうなるの分かってただろ」
「さあ、どうかな?」
レミエールは楽しそうに笑い、俺へ手を差し出してきた。
「では、午後の帰隊に支障が出ない程度にしましょう。レミも、教えることに夢中になりすぎないでくださいね」
「分かってるって。ちゃんと考えてるよ」
「……その言葉を信じていいのでしょうか」
「ベリまでそんなこと言うの?」
二人のやり取りを聞きながら、俺はレミエールの後について稽古場の中央へ戻った。どうやら、まだ帰れそうにないらしい。
◇
レミエールは腰の光剣を二本取り、そのうち一本を俺へ差し出した。
「はい、これ。まずは持ち方からね」
「……本当に使っていいのか?」
「いいよ。私が貸すって言ってるんだから」
受け取った光剣を、恐る恐る構えてみる。普段使っている刀とは勝手が違った。握りやすい位置も、剣先の向きを意識する感覚も、どこか馴染まない。何より、借り物の武器だと思うと、うっかり傷つけてしまわないか気になって仕方がなかった。
「そんなに緊張しなくてもいいのに。キミ、もっと気楽に持ってみなよ」
「気楽にって言われてもな。これ、お前の大事な武器だろ?」
「そうだけど、キミなら大丈夫だよ。それに、ちゃんと私が見てるし」
レミエールは俺の横へ回り込むと、持ち方を確かめるように手元を覗き込んだ。
「うーん、やっぱり刀を持つ時の癖があるね。ちょっと貸して」
光剣を受け取ったレミエールは、俺から少し離れて構えてみせた。彼女が剣を振るうと、光の軌跡が空中に描かれる。普段の戦いでも何度か目にした動きだったが、改めて近くで見ると、剣を振る速度だけでなく、その前後の身体の運び方まで独特だった。
「ほら、こう。身体を固めすぎないで、動きに合わせて剣を運ぶの。キミはどうしても、刃を振り切ろうとするでしょ?」
「……確かに、そうかもしれないな」
「だから、最初から思い切り振ろうとしなくていいんだよ。まずは動きに慣れるところから。慌てなくていいから、私の動きをよく見ててね」
レミエールは説明しながら、もう一度ゆっくりと動いてみせた。その足運びは滑らかで、剣を持った手もほとんど止まらない。
「……簡単そうにやるなあ」
「ふふん。私だって虚狩りなんだから、これくらいできなくちゃね」
「それは分かってるけどさ。見てる分には簡単そうなのが余計に悔しいんだよ」
「なら、実際にやってみよっか」
再び光剣を渡され、俺は先ほど見せられた動きを真似してみた。……が、これが思った以上に難しい。普段なら踏み込みと同時に剣を振るところを、レミエールは身体を動かしながら次の動作へ繋げていた。力任せに真似すると、どうしても途中で動きが止まってしまう。
「もう少し力を抜いてみて。キミ、今は剣を落とさないことばっかり考えてるでしょ?」
「……よく分かったな」
「見れば分かるよ。昔からキミって、何かに集中するとすぐ肩に力が入るんだもん」
レミエールは俺の背後へ回り、肩と腕の位置を確かめながら構えを直してくれた。
「ほら、ここ。もっと楽にしていいよ。私が支えてるから、少し動かしてみて」
言われたとおり、腕の力を抜いて剣を動かしてみる。すると、先ほどよりはずっと滑らかに動けた。
「……お、今のはちょっとよかったかも」
「でしょ?こういうのは慣れだからね。何度か練習すれば、もっと自然に動かせるようになるよ」
レミエールは満足そうに笑い、俺の腕から手を離した。
「それにしても、教えるの上手いな。さすがだわ」
「……そう?」
「ああ。刀とは使い方が違うってのも分かったし。お前にももっと早く教わっとけばよかったな」
何気なく答えたつもりだったが、レミエールはしばらく俺の顔を見つめていた。
「……じゃあ、もっと早く言ってよ」
「いや、だってお前忙しいだろ?研究だってあるし、わざわざ俺の稽古に付き合わせるのも悪いかなって」
「そんなの気にしなくていいって。キミの稽古くらい、時間が合えばいつでも付き合うよ」
レミエールはそう言って、楽しそうに頷いた。
「よーし。だったら、もう少し難しい動きも覚えてもらおうかな」
「……まだやるの?」
「せっかく私に教わりたかったって言ってくれたんだから、途中で終わっちゃもったいないでしょ?」
どうやら軽い気持ちで口にした言葉が、余計にやる気を出させてしまったらしい。
少し離れた場所では、ベリオラがこちらを眺めていた。俺が助けを求めるように目を向けると、彼女は小さく笑って近づいてきた。
「レミ、随分楽しそうですね」
「もちろん!アステル、思ってたより飲み込みが早いんだよ。ちゃんと光剣も使えるようになりそう」
「それはよかったですね。ですが、あと少しにしておきましょう。帰隊の時間もありますから」
「分かってるよ。もうちょっとだけ!」
「……その『もうちょっと』が長いのですよ」
ベリオラがそう返すと、レミエールは笑ってごまかした。俺も苦笑しながら、手にしていた光剣を構え直す。
「まあ、ここまで来たら最後まで付き合うよ。せっかく教えてくれてるんだし」
「ほら、アステルもこう言ってるし!」
「ふふ。でしたら、私は少し離れたところで見ておきますね」
ベリオラはそう言って一歩下がった。そのまま歩き出しかけた彼女が、ふと足を止める。
「……アステル」
「ん?」
「慣れない武器ですから、握り方だけは気をつけてくださいね。レミの剣は、あなたが普段使っているものとは違いますから」
「分かってる。気をつけるよ」
「ええ。では、頑張ってください」
彼女はいつものように微笑み、三代目の方へ戻っていった。
◇
結局、「最初は基本だけ」で終わることはなかった。途中でベリオラから何度か声がかかり、三代目にも休憩を勧められたおかげで、どうにか稽古は終了した。俺は稽古場の端に腰を下ろし、すっかり疲れ切った腕を揉んだ。
「……お前、教えるの結構厳しいんだな」
「そうかな?私としては、かなり優しく教えたつもりなんだけど」
「それでこれかよ……」
「でも、最後の方はかなりよかったよ。初めて使ったにしては上出来じゃない?」
レミエールは満足そうに笑い、光剣を元の位置へ戻した。俺も最初に比べれば動きに慣れた気がする。まだ実戦で使えるようなものではないが、刀とは違った動き方を学べたのは確かだった。
「……まあ、面白かったよ。ありがとな、レミ」
そう言うと、レミエールは嬉しそうに目を細めた。
「素直でよろしい。じゃあ次の休みも練習しようね」
「……やっぱりそうなるのか」
「せっかく始めたんだから、ちゃんと使えるようになるまで付き合ってあげるよ。キミが途中で飽きちゃわなければ、だけど」
「俺が飽きるより先に、体力が尽きそうなんだが」
「そこは頑張ってもらわないとね」
レミエールは当然のように言い切った。俺が思っていた以上に本気らしい。
「それなら、私も次の稽古に参加しないといけませんね」
ベリオラが近づいてきた。
「レミだけに任せていたら、アステルが休暇のたびに疲れ果ててしまいそうですから」
「もう、ベリったら。私だってちゃんと考えてるよ?」
「ええ。でしたら、次は時間を決めておきましょうね」
「……はーい」
ベリオラにそう言われると、レミエールも素直に頷くしかないらしい。
俺が立ち上がろうとすると、ベリオラが手を差し出してきた。その手を借りて立ち上がると、彼女は何かを確かめるように俺の顔を見たが、すぐに手を離した。
「アステル、着替える場所はあちらに用意してありますよ。午後の予定もあるでしょうから、先に済ませてしまいましょう」
「ああ、そうだな」
言われて時計を確認する。まだ余裕はあるが、あまりのんびりしていると帰隊に間に合わなくなりそうだった。
「それにしても、今日は思ったよりいろいろ教わったな。三代目にもベリオラにも世話になったし、最後はレミエールにまで光剣教えてもらうとは思わなかったよ」
「いい経験になっただろう?」
三代目が静かに声をかけてきた。
「今日覚えたことを、これからの修行にも活かすといい」
「分かった。三代目もありがとな」
「ああ。また機会があれば、続きを見てやろう」
その言葉を聞きながら、俺は荷物を取りに歩き出した。少なくとも、次に帰ってくるまでにはもう少し上達しておきたいものだ。
◇
稽古を終えた頃には、昼が近づいていた。予定どおり午後には軍へ戻るため、俺は着替えを済ませて荷物をまとめる。稽古場の外まで見送ってくれた三代目へ改めて礼を言うと、彼女はいつもの落ち着いた表情で頷いた。
「今日の修行はここまでだな。軍でも鍛錬を怠らず、また腕を上げて戻ってくるといい」
「ああ。次はもう少しいいところを見せられるように頑張るよ」
「楽しみにしているぞ」
三代目に見送られ、俺たちは門の近くまで歩いた。通りには昼食を買いに出た人々の姿が増え、子午館の方角からは研究所へ向かう車両の音が聞こえてくる。昨日は一日中あそこにいたのに、今日はもう帰るのか。休暇というのは、どうしてこうも早く終わるんだろうな。
「次はいつ帰ってくる予定ですか?」
ベリオラが尋ねてきた。
「まだ分かんないな。次の任務次第だけど、休暇が取れたらまた顔出すよ」
「そうですか。では、その時はまた一緒にお食事でもしましょうね」
「ああ。今度は俺が店探しとくよ」
「それなら楽しみにしています」
ベリオラが穏やかに微笑む。そのまま少し歩いていると、彼女はふと思い出したように俺を呼び止めた。
「そうだ、アステル。次に休暇が取れそうな時は、できれば少し早めに教えていただけますか?」
「ん?別にいいけど、何かあるのか?」
「いえ、予定を調整しておきたいだけです。せっかく帰ってきても、私たちが忙しくて会えなかったら残念でしょう?」
「そうだな。じゃあ、分かった時点で連絡するよ」
「ええ。お願いしますね」
ベリオラはそう言って、静かに頷いた。その隣でレミエールがこちらを見ていたが、すぐに会話へ加わってきた。
「だったら、私にもちゃんと連絡してよ?せっかく光剣の稽古を始めたんだし、次の予定も決めておきたいからさ」
「お前、本当に次もやるつもりなんだな」
「当たり前じゃん。今日教えたこと、忘れちゃったらもったいないでしょ?」
「まあ、それはそうだけど……」
「それに、キミが私の剣を使えるようになったら、いつか一緒に戦えるかもしれないしね」
レミエールは何でもないことのように笑った。その言葉を聞いて、俺は少しだけ考える。確かに、いつか彼女と肩を並べて戦えるようになれたら、それは嬉しいことだろう。もちろん、今の俺ではまだまだ力不足だが、今日のように少しずつ学んでいけば、いつかは役に立てるかもしれない。
「……そうだな。じゃあ次までに、今日教わったことくらいは覚えとくよ」
「ふふ、約束だからね」
レミエールはそう言って、小指を差し出した。
「……何だよ」
「約束。ほら、指切り」
「子供じゃないんだから……」
そう言いながらも、俺は仕方なく小指を絡めた。レミエールは満足そうに指を離すと、ベリオラの方へ振り返った。
「ベリも見てたよね?次は私の稽古も予定に入れておいてね」
「ええ、見ていましたよ。ただし、アステルの休息時間もきちんと確保しましょうね」
「分かってるって」
ベリオラはそれ以上何も言わず、小さく微笑んだ。
二人のやり取りを聞きながら、俺は荷物を肩に掛け直す。
「じゃあ、そろそろ行くよ。二人とも、またな」
「ええ。気をつけて帰ってくださいね」
ベリオラはそう答えたあと、俺の肩に掛かっていた鞄へ目を向けた。
「アステル、少し待ってください。留め具が緩んでいますよ。そのまま歩くと、途中で荷物を落としてしまうかもしれません」
そう言って、彼女は俺の鞄の留め具を直してくれた。
「ほら、これで大丈夫です」
「うわ、本当だ。助かった」
「あなたは昔から、こういうところが少し抜けていますから」
「……そこまで言わなくてもいいだろ」
ベリオラは楽しそうに笑いながら、俺の鞄から手を離した。
「では、今度こそお気をつけて」
その隣で、レミエールが大きく手を振っている。
「アステル、次はもっと上手くなって帰ってきてよ!」
「努力はするよ!」
そう答えて歩き出す。少し進んだところで振り返ると、レミエールはまだこちらへ大きく手を振っていた。その隣にはベリオラもいて、いつものように穏やかな顔で見送ってくれている。次に会う時こそ、もう少しいいところを見せたい。今日教わったことを忘れないようにしないとな。
そう考えながら歩いていると、遠くからレミエールの声が聞こえてきた。
「アステルー!次はちゃんと光剣も使えるようになってねー!」
「無茶言うなー!」
振り返らずに返事をすると、後ろから二人の笑い声が聞こえた。
まったく、人の苦労も知らないで。次に帰ってきた時、またあの二人が笑って迎えてくれるなら、訓練くらいは頑張ってやろうと思う。