「こんなところで同窓会か?俺、呼ばれてないんだけど」
聞き慣れた声だった。
レミエールは目を見開いたまま、目の前の背中を見つめていた。つい数時間前、仕事が忙しくて来られないと話していた男が、今は自分を庇うように立っている。振り下ろされた剣を刀で受け止めたまま、アステルは少しだけ顔を横へ向けた。
「……レミエール、怪我は?」
「アステル……?どうして、ここに……」
「それは後で。とりあえず、無事そうでよかった」
アステルはそう言って、相手の剣を押し返した。硬い金属音が響き、二人の間にわずかな距離が生まれる。レミエールへ向けられていた刃が離れたのを確かめると、アステルは改めて目の前の人物へ視線を戻した。その横顔からは、先ほどまでの軽い調子が消えていた。
「……本当に、そっくりだな」
その声は、いつもの軽い調子からは想像できないほど静かだった。目の前にいるのは、彼にとって見慣れた顔だった。百年前、軍の任務を終えて帰るたび、何かと世話を焼いてくれた相手。幼い頃には剣を教わり、成長してからも休暇のたびに顔を合わせていた。最後に会った時の姿と、何も変わっていない。
「ベリオラ……」
名前を口にしたところで、相手が剣を構え直した。返事はなかった。
「……そっか」
アステルは刀を握り直し、レミエールへ一度だけ視線を向けた。ベリオラがもういないことは、彼女から聞かされている。目の前の相手が本人ではないと分かっていても、レミエールの動揺した様子を見れば、これがどれほど残酷なことなのかは想像できた。
「リン、レミエールを頼む」
「アステル!あいつ、普通の相手じゃない!ピュロイスとレミエールが二人がかりでも……!」
「見れば分かる。だから、まずは二人とも下がってくれ」
リンは何か言いかけたものの、すぐにレミエールの傍へ駆け寄った。
「レミエール、立てる?」
「……うん」
その時、後方の通路から見慣れたボンプが姿を現した。
『リン、大丈夫かい?』
「お兄ちゃん!?」
イアスから聞こえてきたのは、アキラの声だった。H.D.D.を通じてイアスと感覚を同期し、こちらの状況を確認しているらしい。
「私は大丈夫。でも、レミエールが怪我してて……!」
『分かった。まずは二人とも安全なところへ。アステル、後は頼むよ』
「おう。案内、助かった」
アステルは相手から目を離さないまま答えた。
「アキラから連絡が来てさ。イアスに案内してもらいながら、ここまで走ってきたんだ。間に合ってよかったよ」
その言葉に、レミエールは再びアステルを見つめた。自分たちのために、仕事を抜けてここまで来てくれた。
「アステル……あれは、ベリじゃないんだよ」
アステルがこちらを振り返る。
「……分かってるよ」
「でも、戦い方まで同じで……私、どうしても……」
レミエールはそこで言葉を詰まらせた。アステルは彼女の傷ついた脇腹へ一度だけ目を向け、それから小さく頷いた。
「だったら、今は無理するな。俺が何とかするから」
その言い方が、あまりにも普段どおりだった。百年前も、アステルは時々そう言っていた。自分の力が足りないことを誰よりも気にしていたくせに、何かあれば真っ先に前へ出ようとする。レミエールは反射的に彼の腕を掴もうとした。
「待って、アステル!キミだって、ベリの強さは知ってるでしょ!?」
「知ってるさ。何度転がされたと思ってるんだよ」
アステルは苦笑した。
「だから、甘く見るつもりはないよ」
そう答えた直後、相手が動いた。アステルはレミエールを庇う位置へ踏み込み、迫ってきた刃を受け止める。重い衝撃が腕を抜け、握った刀が大きく震えた。
「っ……!」
覚えのある重さだった。アステルは正面から力を競うのを避け、刀を傾けて斬撃を逸らした。そのまま相手の横へ踏み込み、胴を狙って刀を振るう。相手は剣を引き戻して受け止めたが、アステルはすぐに次の一撃を重ねた。二度、三度と刃がぶつかり、相手が後退すると、今度はアステルが距離を詰める。振り下ろされた剣を受け流し、その腕が戻る前に刀を突き出すと、刃先が相手の服を裂いた。
「……おっ」
思わず声が漏れた。昔の稽古では、こうして一撃を届かせるだけでも苦労したものだ。しかし、相手もすぐに反撃へ転じた。横から迫った剣をアステルは身を引いてかわしたものの、続く一撃は避けきれず、上着の袖が浅く裂ける。互いに距離を取り、再び剣を構えた。
「……さすがに、簡単にはいかないか」
アステルが笑うと、相手は無言のまま踏み込んできた。刀と剣が激しくぶつかり合い、一撃を受け止めればすぐに反撃を返す。両者の立ち位置が何度も入れ替わった。どちらかが攻め続ける展開にはならず、アステルが踏み込めば相手が受け流し、逆に押し込まれれば、アステルも刀を合わせて攻撃を逸らす。少なくとも、今のところは。
◇
アステルは刀を構え直し、呼吸を整えた。相手の動きには確かに見覚えがあった。幼い頃から何度となく目にしてきた剣の扱いで、いくつかは自分も教わったものだ。だからこそ、次にどんな攻撃が来るのか、ある程度の予測はできた。ただ、それは向こうも同じらしい。アステルが反撃へ移ると、相手は待っていたように剣を合わせてくる。こちらが強引に押し込もうとしても、簡単には崩れてくれない。
「……ほんと、嫌になるくらい上手いな」
呟きながら、アステルは再び踏み込んだ。相手の剣を受け流し、そのまま肩口へ刀を振るう。今度は相手も避けきれず、刃先が肩を掠めて服に新たな裂け目が走った。それでも反撃は素早かった。下から迫る剣を刀を戻して受け止め、続けて横へ振り抜かれた一撃を避け、すれ違いざまにもう一度斬りかかる。刃が噛み合い、互いの足が止まった。
一瞬だけ力が拮抗し、アステルが押し込むと、相手も押し返してくる。どちらも容易には退かず、やがて同時に距離を取った。
「……はあ」
アステルは息を吐いた。肩で呼吸するほどではないが、気を抜ける相手ではない。昔もそうだった。ベリオラと稽古をするたび、教わったことを意識しているつもりでも、実際に剣を交えると上手くいかなかった。それでも、百年前とは違う。あれから自分だって、何もしてこなかったわけではない。
「……少しは、成長しただろ?」
返事がないことは分かっていた。ただ、そう言いたくなる程度には、今の自分の剣が通じていた。アステルは刀を握り直し、相手も剣を構える。
その時だった。ふと、目の前の相手の動きが止まった。
「……?」
剣を握った腕が、ゆっくりと下がる。ほんのわずかな動作だったが、何度もベリオラと剣を交えてきたアステルには、その変化が妙に気になった。相手は何も言わず、こちらを見据えている。次の瞬間、足元の地面が砕けた。
「――っ!?」
剣が迫っていた。先ほどまでとは、明らかに速さが違う。辛うじて刀を合わせたが、受け止めた瞬間、腕ごと身体を持っていかれた。
「ぐっ……!」
数歩後退したところへ、すぐに次の一撃が来る。受け止めたと思えば、別の角度から剣が迫った。
「……おいおい!」
反撃する暇がない。先ほどまでなら、相手の攻撃を受け流した直後に踏み込めていた。それが今は、次の攻撃を防ぐだけで精一杯だった。横へ飛んで距離を取ろうとしても、相手はすでに目の前にいる。振り下ろされた剣を避けた先へ斬撃が重なり、刀で受け止めても衝撃を殺しきれない。
「……っ、くそ!」
肩に鋭い痛みが走り、服が裂けて血が滲んだ。それでも相手は止まらなかった。続けて踏み込んできた剣を受け流すと、今度は刀を握る手首が痺れる。
「……まだ、上があったのかよ」
さっきまでは互いに攻撃を返せていた。それなのに、相手が一段ギアを上げた途端、こちらが対応するより先に次の攻撃が始まっている。このままでは押し切られる。アステルは一度大きく後退し、呼吸を整えようとしたが、相手はその隙すら与えてくれなかった。
「アステル!」
離れた場所から、リンの声が聞こえた。アステルが一瞬だけそちらへ目を向けると、レミエールはまだ立っていたものの、脇腹を押さえながらこちらを見ていた。その傍ではピュロイスが待機し、リンがいつでも援護できるように備えている。できれば、もう少し離れていてほしかった。今の戦いに巻き込めば、二人とも危ない。
「リン!こいつがそっちへ行ったら、ピュロイスで止めてくれ!」
「分かった!でも、あんたも無茶しないでよ!」
「努力はする!」
そう答えたところへ、再び剣が迫ってきた。アステルは刀を掲げて受け止めたが、重い。踏ん張った足が地面を滑り、さらに力を込めて押し返そうとした瞬間、相手の剣が動いた。
「……っ!」
腕に強い衝撃が走る。咄嗟に刀を引き戻して次の一撃を防いでも、その間に相手は距離を詰めてきた。動きは見えている。それなのに、身体が追いつかない。こちらが反撃できそうな瞬間には、すでに相手の体勢が整っていた。何とか刀を振るって押し返そうとしても、その刃は容易に受け止められる。
再び剣が迫り、刀を合わせた瞬間、目の前の顔が、ほんのわずかに近づいた。
「……っ」
見慣れた顔だった。稽古を終えたあと、笑いながら手を差し出してくれた顔。休暇で帰ってくれば、いつも何かと気にかけてくれた顔。百年前、最後に別れた時も、ベリオラは笑っていた。次の休暇には、また一緒に食事をしようと、そんな約束を交わした。
アステルは歯を食いしばった。
「……悪いな」
目の前の相手に向かって呟く。
「お前が何なのかは知らないけど、ベリオラの顔をしてるからって、手加減はできないんだ」
刀に力を込めて相手の剣を押し返し、そのまま踏み込んで胴へ向けて斬撃を放つ。相手はその一撃を受け止めた。刃が噛み合い、一瞬の停滞。次の瞬間、相手が強引に刀を弾き上げた。
「――っ!」
手首に激痛が走った。握力が抜け、刀が宙を舞う。まずい。反射的に後ろへ飛んだが、相手はすぐさま距離を詰めてきた。刃が迫る。その向こうに、レミエールの姿が見えた。彼女もこちらへ動こうとしていた。
「来るな!」
アステルは叫び、両足で地面を踏みしめた。回避できる距離ではない。刀も手元にない。咄嗟に身体を捻って致命的な一撃を避けようとしたが、相手の剣はその動きすら追ってきた。胸の奥に、冷たいものが入り込んだ。
「……がっ」
息が止まる。視線を落とすと、相手の剣が自分の胸を深く貫いていた。信じられないほど静かな一瞬だった。痛みを感じるより先に、身体から力が抜けていく。剣が引き抜かれ、アステルは一歩後ろへよろめいて膝をついた。
「……くそ」
手を伸ばして地面を支えようとしたが、腕に力が入らない。そのまま、身体が横へ倒れた。視界の端で、レミエールが何か叫んでいる。けれど、もう声が聞き取れない。
――また、心配かけちまうな。
◇
「アステル!!」
レミエールは、目の前で起きたことが信じられなかった。つい先ほどまで剣を交えていたアステルが、胸を貫かれて倒れた。力なく地面に横たわる身体の下から、血が広がっていく。助けに行かなければ。そう思って一歩踏み出した時、ベリオラの姿をした何者かがこちらを向いた。剣を持ったまま、ゆっくりと歩いてくる。
「……っ!」
咄嗟に光剣を構えたが、切っ先が定まらなかった。握っている手が震えている。力を込めても、震えは収まらない。
「……止まってよ」
レミエールは自分の手を見つめた。
「お願いだから……今だけは、止まってよ……!」
アステルが倒れている。今すぐ駆け寄って、傷を確かめなければならない。それなのに、目の前の相手へ剣を向けているだけで、指先が震えてしまう。ベリではない。そんなことは分かっている。それでも、あの顔が近づいてくるたびに、百年前の記憶が蘇ってしまう。
「……何で」
レミエールは歯を食いしばった。
「何で、こんな時まで……!」
震える光剣を握り直す。相手は何も言わずに歩いてくる。その向こうには、倒れたまま動かないアステルがいた。
「……どいて」
レミエールは一歩踏み出した。
「アステルのところに、行かせて……!」
返事はない。相手が剣を持ち上げた。レミエールは光剣を構え直そうとしたが、腕が思うように上がらない。
その時だった。
「……っ、ぐ……!」
聞き覚えのある声がした。レミエールは思わず顔を上げた。ベリオラの向こうで、倒れていたアステルの身体が動いている。
「……アステル?」
地面についた手が震え、ゆっくりと上体が起き上がった。その胸元は血に染まっている。確かに深く貫かれていたはずの場所で、裂けた服の下に何かが脈打つような光が見えた。アステルは苦しそうに息を吸い、片手で胸を押さえる。
「……いってぇ……」
かすれた声だった。だが、次の瞬間、その身体に異変が起きた。
首筋に、金色の細い筋が浮かび上がっていた。皮膚の下から滲み出るように広がり、鈍い光を帯びている。胸の奥で脈が打たれるたびに、その筋もわずかに明滅した。
レミエールは息を呑んだ。あの金色の輝きを、見間違えるはずがなかった。百年前から何度も目にしてきた、業核の力に伴う光によく似ている。今では自分自身もその力を宿しているのだから、見覚えがあるのは当然だった。ただ、アステルの首筋に細い筋となって現れる現象まで、知っているわけではない。
「……まさか」
結使。その言葉が頭をよぎった。けれど、アステルはまだ動いていた。地面についていた手に力が入り、ゆっくりと上体を起こす。先ほどまで血を流していた胸元を押さえながら、アステルは大きく息を吸った。その呼吸に合わせるように、金色の光が一度だけ強く脈打つ。
「……おいおい」
アステルは苦笑した。先ほどまで苦しげだった呼吸が落ち着いていく。胸元から手を離しても、そこに痛みが残っている様子はなかった。レミエールは目を見開いた。胸を貫かれた傷が塞がっている。そればかりではない。先ほど斬られた肩も、何度も剣を受け止めて痛めていたはずの手首も、元どおりになっていた。あれほど傷ついていた身体が、何事もなかったかのように戻っている。
ただし、服だけは違った。胸元には大きな穴が開き、肩口も裂けている。乾き始めた血が布地を汚し、そこに確かに致命傷があったことを物語っていた。
アステルは立ち上がった。先ほどまでのふらつきはない。軽く肩を回し、手を開いたり握ったりしてから、目の前の相手を見据える。
「稽古の時、ベリオラのやつ、ずっと手ぇ抜いてたのかよ……」
ベリオラが振り返った。アステルは苦笑したまま、足元を確かめるように一歩踏み出す。その動きは、傷を負う前よりも軽かった。
「……アステル、キミ……」
レミエールの呼びかけに、アステルは一瞬だけこちらを見た。
「悪い。驚かせたな」
軽く笑ってみせるが、その首筋では金色の筋がまだ消えずに残っている。肉体の傷が完全に治っても、あの光だけは消えていない。レミエールは、それが何を意味するのか確かめるのが怖かった。
アステルは息を整え、再びベリオラへ向き直った。刀は少し離れた場所に落ちている。それでも彼は逃げようとしなかった。
「リン!ピュロイス、少し借りるぞ!」
「えっ……う、うん!ピュロイス、アステルを援護して!」
ピュロイスが素早く動き、ベリオラの側面へ回り込んだ。相手がそちらへ剣を向ける。その隙を使い、アステルは落ちていた刀へ手を伸ばし、柄を掴んで拾い上げると、軽く振って握りを確かめた。肩にも手首にも、先ほどまでの痛みはない。身体は万全だった。ただ、首筋に浮かんだ金色の筋は、傷が治ったあとも消えずに残っていた。
アステルは刀を構え、口元を歪めるように笑った。
「……二回戦だ」
◇
レミエールは、その場から動けずにいた。アステルが生きている。胸を貫かれ、あれほど血を流していたのに、今は刀を握って戦おうとしている。喜びより先に、混乱が押し寄せてきた。百年前、確かに死んだはずだったアステルが、今も生きている理由。あの異様な修復と、首筋に浮かんだ金色の光が、その答えに繋がっているような気がした。けれど、今は考えている場合ではなかった。
アステルが再びベリオラと剣を交え始めた。ピュロイスが横から援護すると、アステルはその動きに合わせて踏み込み、先ほどまで苦戦していた剣を正面から受け止めて、今度は自分から押し返している。明らかに動きが違っていた。踏み込みにも、刀を振るう腕にも、迷いがない。
「……本当に、治ってる」
思わず声が漏れた。アステルはもう一度、ベリオラの斬撃を受け止め、刀を滑らせるように相手の剣を逸らして、返す刃で肩口を狙う。ベリオラは素早く身を引いたが、アステルも追撃を重ねた。先ほどのように、一方的に押し込まれてはいない。もっとも、ベリオラの強さが変わったわけではなかった。相手はすぐに反撃へ転じ、アステルの攻撃を受け流してから鋭く踏み込んでくる。再び刃がぶつかり合った。
「……でも」
レミエールはアステルの首筋を見つめた。金色の光。あれだけは、どうしても気になった。身体は元どおりになっているのに、あの光が消えない。自分自身が結使の力を宿しているからこそ、目の前で起きていることを単純に喜べなかった。
「レミエール!」
リンが駆け寄ってきた。
「アステル、どうなってるの!?さっき、確かに……!」
「……分かんない」
レミエールは首を振った。
「傷は全部治ってるみたい。でも、あの光は……」
言いかけて、口を閉じる。リンは一度アステルへ目を向け、それからレミエールの震える手に気づいた。光剣を握ったまま、その指が小刻みに震えている。
「……レミエール」
「……ごめん」
声が掠れた。
「私、まだ……」
言い終えることができなかった。レミエールの視線は、ベリオラへ向いていた。その顔を見るたびに、百年前の記憶が蘇る。ベリを自分の手で殺した日のこと。あの人が最後に見せた姿。何度も名前を呼んだのに、もう返事をしてくれなかったこと。そして今、アステルまで失いかけた。
「……私のせいだ」
小さく呟いた。
「私が、ちゃんと戦えていれば……」
「レミエール」
リンがその肩を掴んだ。
「こっち見て」
レミエールはゆっくりと顔を上げた。リンの表情は厳しかったが、その目にも恐怖が浮かんでいる。
「あんたがどれだけ辛いかなんて、私には分かんない」
思いがけない言葉だった。レミエールが何も言えずにいると、リンは続けた。
「百年前に何があったのか、記憶を見たからって全部理解できるわけじゃない。ヴァイク大佐を自分の手で失った時に、あんたが何を感じたのかだって……私が分かったようなことを言うのは違うと思う」
その言葉に、レミエールの目が揺れた。リンは一度だけアステルへ視線を向け、それからレミエールの肩を掴む手に力を込めた。
「でも、今ここで何が起きてるのかは分かるよ。アステルは、あんたを助けるために来たんでしょ?」
「……うん」
「だったら、あのまま一人で戦わせていいの?」
レミエールは答えられなかった。少し離れた場所で、金属音が響く。アステルがベリオラの剣を弾き返し、すぐに反撃へ移る。その動きに合わせて、首筋の金色の筋がわずかに光った。
「……アステル、あんなに戦えてるのに」
「うん」
リンは頷いた。
「でも、相手だってすごく強い。アステル一人じゃ、いつまで戦い続けられるか分からないよ」
その言葉に応えるように、ベリオラが攻撃の勢いを強めた。アステルは刀を合わせて受け止めたものの、数歩後ろへ押し込まれる。すぐに体勢を立て直したが、ベリオラは休む間もなく追撃してきた。ピュロイスが横から割り込んで相手の注意を引き、その隙にアステルは距離を取って再び刀を構える。
「……レミエール。私だって、怖いよ」
レミエールが顔を上げる。
「さっき、アステルが倒れた時、本当に死んじゃったと思った。今は元気そうに戦ってるけど、また同じことになったらどうするのか、私にも分からない」
リンは震える声を押さえながら続けた。
「でも、怖いからって何もしないでいたら、きっと後悔する」
レミエールは、手元の光剣を見た。その刃はまだ震えている。
「……ベリのこと、忘れられないよ」
「うん」
「あの日のことも、ベリの顔も……ずっと覚えてる。もう一度あの顔に剣を向けるなんて、私には……」
「だったら、怖いままでいいよ」
リンは言い切った。
「怖くなくなるまで待つ必要なんてない。あんたが今、何をしたいのかだけ考えて」
レミエールはアステルを見た。彼は再び刀を構えている。胸元の服は血で汚れ、首筋にはあの不気味な金色の筋が残っている。それでも、目の前の相手から視線を逸らさない。
「……私」
唇が震えた。
「……アステルに、死んでほしくない」
「私もだよ」
リンはすぐに答えた。
「あんたにも死んでほしくない。お兄ちゃんだって、きっと同じ。だから私は、二人とも連れて帰りたい」
「……うん」
「置いていかれるのが寂しいことも、怖いことも、あんたは誰より知ってるんでしょ?」
「……リンちゃん」
「だったら、今度はあんたが手を伸ばしてよ。アステルが一人で戦わなくて済むように、隣に立ってあげてよ」
その言葉が、レミエールの胸に落ちた。隣に立つ。そんな簡単なことすら、いつの間にか考えられなくなっていた。百年前に失った人のことばかり見つめて、今、目の前にいる大切な人を守ることまで諦めようとしていた。レミエールは光剣を握り直した。まだ、怖かった。相手の顔を見るだけで胸が苦しくなるし、手の震えも完全には収まっていない。けれど、アステルを一人で戦わせたままにはしたくなかった。
「……そうだね」
レミエールは小さく頷いた。
「私、また……置いていかれるのが怖かったんだ」
何もかも変わってしまった世界で、ようやく再会できた人。一緒に笑って、食事をして、明日の約束まで交わせるようになった人。それを、もう一度失うことが怖かった。だから、目の前の現実から逃げようとしていた。
「……ありがとう、リンちゃん」
レミエールは涙を拭った。
「私、行ってくる」
リンは頷いた。
「うん。でも、絶対に戻ってきて」
「……もちろん」
レミエールは小さく笑った。
「まだ、ご飯の約束も残ってるからね」
◇
アステルは、相手の攻撃を受け止めながら、少しずつ間合いを測っていた。致命傷を負う前とは、身体の状態がまるで違う。胸を貫かれた傷はもちろん、肩や手首に受けた怪我もすべて治っていた。全身に十分な力が入り、刀を振るう動きにも支障はない。自分でも驚くほど、完全な修復だった。
服の下には、もう傷一つ残っていない。それでも、胸元を染めた血や破れた上着は、先ほどまでの出来事が現実だったことを示している。そして、首筋に残る金色の光。今までにも修復が起きるたび、身体の奥に妙な負荷がかかる感覚はあった。傷がすべて治っても、その違和感だけは残っている。なぜなのか、アステル自身にも分からなかった。
「……また、助けられたな」
小さく呟き、アステルは刀を構え直した。相手は相変わらず無言で、すぐに剣を振り下ろしてきた。アステルは刀で受け止めてそのまま押し返し、続く攻撃を身を捻ってかわして、踏み込みながら反撃した。以前よりも余裕を持って動けている。それでも、相手の強さは変わらない。本物のベリオラに匹敵する技量を持つ相手が本気で剣を振るっている以上、一度傷が治ったからといって簡単に勝てるわけではなかった。
「……ほんと、厄介だな!」
アステルは刀を振るい、相手の剣を押し返した。その時、横合いから白い光が飛び込んできて、相手の剣が弾かれる。
「……え?」
アステルは目を見開いた。自分の隣に、レミエールが立っていた。光剣を握り、肩で息をしている。頬には涙の跡が残っていた。それでも、まっすぐに相手を見据えている。
「……レミエール?」
呼びかけると、レミエールがこちらを見た。
「……遅くなってごめんね」
その声は、少し震えていた。
「もう、キミ一人に任せたりしないから」
アステルは一瞬だけ目を丸くした。それから、少し困ったように笑う。
「……そっか。じゃあ、頼りにしてる」
「ふふ。最初からそうしてくれればよかったのに」
レミエールは小さく笑い返したあと、アステルの首筋へ視線を向けた。あの金色の筋は、まだ消えていない。
「……アステル。キミ、その身体……」
「悪い、説明は後でいいか?」
アステルは苦笑した。
「怪我なら全部治ってる。さっきまで痛かった手首も、もう何ともないよ」
刀を握る手を軽く動かしてみせると、レミエールは少しだけ安心したようだった。けれど、その視線はすぐに首筋へ戻る。
「……でも、あの光は?」
「今は、こいつを何とかしないと。正直、一人じゃ厳しい相手だからな」
レミエールは何か言いかけたものの、やがて小さく頷いた。
「……うん。分かった」
レミエールは聞きたいことを飲み込むように唇を結び、光剣を握り直した。アステルには、彼女の表情に安堵と不安が入り混じっているように見えた。ベリオラの姿をした相手へ視線を向けるたび、わずかに緊張が走っている。それでも、もう目を逸らそうとはしていなかった。
◇
「……アステル」
レミエールが隣から声をかけた。
「ん?」
「キミ、本当に平気なんだね」
「そうだな。自分でも変な感じだよ」
アステルが答えると、レミエールは少し考えるように目を伏せ、離れた場所に転がっている光剣へ目を向けた。最初の戦闘で弾き飛ばされた、もう一本の光剣だった。アステルは彼女へ視線を向ける。
「……レミエール」
「なに?」
「無理して笑わなくてもいいからな」
レミエールは少しだけ目を見開いた。アステルは続ける。
「ベリオラのこと、忘れろなんて言わないよ。俺だって、あいつの顔を見ると色々思い出すし」
「……うん」
「ただ、今のお前まで失いたくないんだ」
その言葉に、レミエールの指が止まった。アステルは照れくさそうに頭を掻く。
「だから、一緒に帰ろうぜ。今日の飯、まだ食ってないだろ?」
レミエールはしばらく何も言わなかった。やがて、ゆっくりと頷く。
「……そうだね」
光剣を握る手に、力が戻ってくる。
「キミに奢ってもらう約束、まだ残ってるもんね」
「いや、そこは冗談じゃなかったのかよ」
「ふふ。どうだろうね?」
レミエールが笑い、アステルもつられて笑った。その二人へ向かって、ベリオラが剣を構える。
◇
戦いは、すぐに始まった。
ピュロイスが相手の注意を引く間に、レミエールは落としていたもう一本の光剣を拾い上げた。アステルがその動きを隠すように正面から踏み込み、刀を振るうと、相手は素早く刃を合わせてきた。強い衝撃が腕を伝わる。やはり重い。だが、今のアステルには十分に受け止められるだけの力があった。刀を傾けて攻撃を逸らし、すぐに反撃へ転じる。
「レミエール!」
「分かってる!」
アステルの声に応じ、レミエールが横から斬り込む。相手はその攻撃を防ごうとしたが、アステルがすぐに追撃を仕掛けた。刀と光剣が相手を挟むように迫り、ベリオラは一度距離を取って二人の動きを見据える。
「……やっぱ、簡単にはいかないな」
「そりゃそうだよ。ベリと同じくらい強いんだもん」
レミエールはそう答えてから、少しだけ表情を曇らせたが、すぐに光剣を構え直した。
「……でも、今は一人じゃないから」
アステルは頷き、再び相手へ踏み込んだ。刀を振り下ろしたところへ、ベリオラの剣が鋭く打ち込まれる。
「……っ!」
アステルは刀で受け止め、そのまま相手の剣を逸らそうとした。しかし、ベリオラはその動きを読んでいた。受け流されるより早く剣を引き戻し、角度を変えてもう一度打ち込んでくる。アステルは咄嗟に刀を合わせたが、刃が噛み合った瞬間、相手が強引に力を加えた。
「――っ!」
刀が大きく跳ね上がる。握った手から柄が滑り、武器が宙を舞った。
「しまっ……!」
今のは、完全に技量で崩された。すぐに体勢を立て直そうとしたが、相手はすでに踏み込んでいる。無防備になったアステルへ、剣が振り下ろされた。
「アステル!!」
レミエールの声が響いた。同時に、白い光が視界の端を横切る。レミエールが投げ渡した光剣だった。アステルは反射的に手を伸ばし、飛んできた柄を掴む。握りを確かめる余裕もないまま振り上げると、ベリオラの剣が目の前まで迫っていた。
「――っ!」
二つの刃が激突する。アステルは踏ん張った足を軸に身体を捻り、受け止めた剣を横へ弾いた。振り下ろされた一撃が逸れ、すぐ脇の地面を深く抉る。間一髪だった。アステルが相手から距離を取ると、レミエールがその前へ滑り込んで追撃を牽制した。
「……助かった!」
「ふふ、ちゃんと受け取れたね」
アステルは手元の光剣を見た。慣れ親しんだ刀とは違う重さだったが、握り直すうちに、百年前の稽古場が頭をよぎった。ベリオラと三代目に散々転がされたあと、レミエールが自分にも光剣を教えたいと言い出した日のことだ。最初は軽い稽古のつもりだったが、始まってみれば思いのほか本格的で、帰隊する時間ぎりぎりまで付き合わされることになった。あの時、レミエールは言っていた。いつか一緒に戦えるかもしれない、と。
「……本当に使うときが来るとはな」
アステルが苦笑すると、レミエールは嬉しそうに笑った。
「練習しといてよかったね」
「ああ。あの時よりは上手く使えると思うぞ」
「ふふ、じゃあ期待してるね」
レミエールが光剣を構え直し、アステルもその隣へ並んだ。
ベリオラが再び剣を構えると、二人はほとんど同時に踏み込んだ。最初に動いたのはアステルだった。正面から斬りかかり、相手の剣を受け止める。その隙にレミエールが翼を広げ、斜め横から光剣を振るった。ベリオラは素早く身を引いたが、追いかけようとしたレミエールの前へ反撃の刃が迫る。それをアステルが受け止めた。
「っと、危ない!」
「ありがと!」
レミエールは相手の間合いから離れ、再びアステルの背後を通るように位置を変える。アステルが攻めれば、その死角をレミエールが補い、レミエールが翼を使って上へ回り込めば、アステルは相手が追撃できないように正面から圧力をかけた。一方が退けば、もう一方が前へ出る。ベリオラの剣がレミエールへ向いた瞬間にはアステルが割り込み、アステルの光剣が押し返されれば、今度はレミエールがその隙を埋めた。
どちらかが一方的に守られることも、相手に合わせようとして無理に動くこともない。長い付き合いの中で、互いの癖を知っている。アステルが少し身体を傾ければ、レミエールは次にどこへ踏み込もうとしているのか分かった。レミエールが翼を動かして上へ抜ければ、アステルも自然に相手の足元へ剣を向ける。二人が並ぶことで、ようやく攻撃が繋がり始めていた。
少し離れたところで戦闘を見ていたリンは、思わず目を見開いた。
「……すごい」
ピュロイスを援護に向かわせながら、二人の動きを追う。先ほどまでレミエールは満足に戦うこともできず、アステルは一度倒れている。今、アステルの傷は治っているようだが、レミエールはまだ脇腹を負傷しているはずだった。それなのに、二人の動きは驚くほど噛み合っている。アステルが引いた場所へレミエールが入り、レミエールが空けた位置をアステルが補う。互いに視線を交わすことさえほとんどない。
「……なんか、踊ってるみたい」
思わず口から零れた。激しく剣を交えているのに、二人の位置が入れ替わる様子は不思議なくらい滑らかだった。相手の動きに合わせるだけでなく、互いの次の一歩を分かっているように見える。
その時、レミエールがアステルの肩越しに光剣を突き出した。ベリオラがその一撃を受け止めるが、アステルはすでに反対側へ回り込んでいる。彼の斬撃を避けようとした相手へ、今度はレミエールが踏み込んだ。二人の動きが重なり、ベリオラが初めて大きく後退する。
「……いける!」
リンは端末を握り直した。ピュロイスも二人の動きに合わせて位置を変え、相手が反撃しようとするたびに横から攻撃を仕掛ける。アステルとレミエールが作った流れを、今度はリンが繋いでいった。
「リン!」
レミエールが叫ぶ。
「お願い!」
「任せて!」
ピュロイスがベリオラの側面へ回り込み、相手がその攻撃を受け止めた瞬間、アステルが踏み込んだ。光剣を振るうと、ベリオラはすぐに剣を合わせてきたが、アステルは押し込まず、刃を滑らせて相手の構えを崩す。その隙を突いてレミエールが横から斬り込み、ベリオラをさらに後退させた。これまで何度も攻撃を受け流されてきた相手が、今は二人の動きに対応しきれなくなっている。
それでも、決定的な一撃にはまだ届かない。ベリオラは即座に体勢を立て直し、レミエールへ向けて剣を振るった。アステルがその刃を受け止める。
「……っ!」
重い衝撃を腕に受けながら、アステルは視線を横へ向けた。レミエールは光剣を構え直している。その目は相手から逸れていない。けれど、相手の顔を見るたび、彼女の表情がわずかに強張ることにも気づいていた。百年前、レミエールは自分の手でベリオラを殺した。今、目の前にいるのが偽物だと分かっていても、同じ顔をした相手へ最後の一撃を振り下ろすことが、どれほど辛いことなのか。アステルには、そのすべてを理解することはできない。それでも、もう一度同じ役目を背負わせたくはなかった。
「……レミエール!」
アステルが呼びかけると、レミエールがこちらを向いた。
「最後は俺がやる。お前は、あいつの剣を頼む!」
その言葉に、レミエールは一瞬だけ目を見開き、アステルの顔を見つめた。彼が何を考えているのか、何となく分かった。
「……うん!」
レミエールは頷いた。
「任せて、アステル!」
アステルはベリオラへ向き直り、再び踏み込んだ。剣がぶつかり合い、相手が反撃へ移るより早く、アステルは光剣を押し当てて動きを制限する。ベリオラは強引に押し返そうとするが、そこへレミエールが翼を広げて飛び込んできた。
「――っ!」
レミエールの光剣が、ベリオラの剣へ横から打ち込まれる。金属音が響き、相手の刃が大きく逸れた。それでもベリオラは剣を戻そうとしたが、レミエールは退かず、もう一度光剣を合わせて相手の剣を押さえ込んだ。
「……今だよ、アステル!」
その声を聞くより早く、アステルは動いていた。レミエールが剣を封じている間に、一歩踏み込む。相手がこちらを向いた。その顔が、はっきりと見えた。百年前、何度も自分を叱り、稽古に付き合ってくれたベリオラの顔だった。アステルは光剣を握り直す。
「……悪いな」
小さく呟いた。
「その顔をしてるお前を、放っておくわけにはいかないんだ」
ベリオラは何も答えなかった。アステルは迷わず踏み込み、白い光が一直線に走って、ベリオラの身体を貫いた。
「――っ!」
強い衝撃が腕を伝わる。ベリオラの手から剣が離れ、地面へ落ちるより早く輪郭を失い始めた。アステルが光剣を引き抜くと、貫かれた場所から身体が揺らぎ、足元が薄れ、指先からも形が失われていく。
「……何だ?」
アステルが一歩退く。ベリオラの身体は膝をつくこともなく、その場で崩れるように消えていった。宙にあった剣も同じように消え、何一つ残らなかった。最後まで、言葉はなかった。
◇
しばらく、誰も口を開かなかった。アステルは光剣を握ったまま、相手が消えた場所を見つめていた。本当に、ベリオラによく似ていた。立ち姿も、剣の扱いも、最後に見せた表情さえ、昔の記憶と重なってしまう。それでも、あれが本物ではないことは分かっている。
「……終わった、のか?」
アステルが呟くと、リンがこちらへ駆け寄ってきた。
「Fairy、相手の反応は!?」
『対象の反応が消失したことを確認しました。ただし、詳細な構造および正体については、現時点で解析できていません』
「……そっか。正体は分からないままか」
リンは小さく息を吐き、それから二人を見た。
「二人とも、大丈夫!?」
「……ああ。俺は問題ないよ」
アステルが答えると、レミエールがすぐにその胸元へ視線を向けた。
「……本当に?」
「ああ。ほら、この通りだ」
アステルは光剣を握った手を軽く動かし、肩を回してみせた。その動きに痛みを堪える様子はなかった。けれど、レミエールは血に染まった服と、首筋に残る金色の筋が気になって仕方なかった。
「……キミ、さっきあんな怪我したんだよ?」
「分かってる。俺だって、できれば二度と御免だよ」
アステルは苦笑し、光剣をレミエールへ返した。
「……ありがとな。助かった」
「……うん」
レミエールは光剣を受け取った。アステルの身体には確かに傷が残っていない。しかし、それを喜んでいいのか、まだ分からなかった。あの金色の輝きが、どうしても頭から離れない。それに、百年前のアステルのこともある。あの時、アステルは確かに死んだと聞かされていた。遺体は見つからず、葬儀だけが行われた。それなのに、今こうして目の前にいる。さらに、致命傷を負っても身体が完全に修復される。
レミエールはアステルの顔を見つめた。聞きたいことは、いくつもあった。なぜ、今も生きているのか。どうして身体が修復されるのか。そして、あの金色の光は何なのか。けれど、少なくとも目の前のアステルは、自分を守るために戦ってくれた。それだけは、紛れもない事実だった。
「……ねえ、アステル」
「ん?」
「……ありがとう」
アステルは少しだけ目を丸くした。
「どうしたんだよ、急に」
「別に。言いたくなっただけ」
レミエールはそう答え、彼の腕へそっと手を添えた。
「それより、ちゃんと歩ける?無理してない?」
「大丈夫だって。お前こそ、脇腹は平気なのか?」
「うん、これくらいなら」
レミエールは小さく笑った。その笑顔を見て、アステルもようやく肩の力を抜いた。
レミエールは彼の腕へ添えた手を離さず、そのまま歩き出した。百年前、もう会えなくなったと思っていた人。再会できた今でも、いつかまた失ってしまうのではないかと、心のどこかで怯えていた。今日、その恐怖は現実になりかけた。そして、自分はまた何もできなくなるところだった。
けれど、今は違う。アステルが隣にいる。リンも、ピュロイスもいる。まだ何もかもが解決したわけではないし、あの偽物の正体も分からない。アステルの首筋に残る金色の光についても、いずれ確かめなければならないだろう。それでも、今は帰る場所がある。
「……帰ろっか、アステル」
「ああ。帰ろうぜ」
アステルは弾き飛ばされた刀を拾い、鞘に収めた。それから二人は歩き出した。少し離れた場所では、リンがピュロイスと一緒に周囲の安全を確認していた。その背中を見ながら、レミエールはもう一度だけ振り返った。あの相手が消えた場所には、何も残っていない。あの顔を思い出せば、きっとこれからも胸が痛むだろう。ベリを失った日のことも、忘れられない。
「……またね、ベリ」
レミエールは小さく呟き、アステルの隣へ戻った。彼は何も聞かず、いつもと変わらない様子で歩いている。けれど、破れた襟元から覗く金色の筋に目が留まると、レミエールはどうしても視線を逸らせなかった。百年前、帰ってこなかったアステル。今日、目の前で胸を貫かれ、倒れたアステル。そして、何事もなかったかのように立ち上がり、再び自分の隣を歩いているアステル。
ずっと聞きたかったことがあった。再会できた嬉しさに、今まで口にすることができなかった疑問だった。レミエールは彼の腕に添えていた手へ、少しだけ力を込めた。
「……ねえ、アステル」
「ん?どうした?」
レミエールは足を止め、振り返ったアステルの目をまっすぐに見つめた。
「キミは、何者なの?」