この日、俺はシグリットとの手合わせのため、空巡局を訪れていた。
「むっ!アステル殿!来てくれたか!」
俺の姿を見つけたシグリットが、ぱっと表情を明るくする。
「まあ、約束してたしな。俺もたまには身体動かさないと鈍るし」
「うむ!某も今日を楽しみにしていたぞ!」
「シグリット!ノルムーもわざわざ来てやったのだ!」
横から割って入ったノルムーが、胸を張りながら自分を指差す。
「おお!ノルムー殿も来てくれたのか!」
「当然なのだ!」
……いや、当然ではない。
俺が空巡局へ行くと言ったら、
「ノルムーも行ってやるのだ!帰りに甘いものでも買うのだ!」
とか言いながら、勝手についてきただけである。
完全に帰りの買い物が目的だろ。
そんな話をしながら三人で訓練場へ向かっていると、前方から見知った顔が歩いてきた。
「あれ?今日は手合わせの日だったっけ?」
「おっ、リンドヴェルヌ」
「リンドヴェルヌ様!」
シグリットがすぐさま姿勢を正す。
「本日はアステル殿と、訓練場にて手合わせを行う予定です」
「へえ、そうなんだ」
リンドヴェルヌは俺とシグリットを交互に見ると、楽しそうに笑った。
「面白そうじゃん!わたしも見に行く!」
「見世物じゃないんだけどな……」
「あはっ、いいじゃんいいじゃん。減るもんでもないでしょ?」
どこかで聞いたような理屈だな。
こうして俺たちは四人で、訓練場へ向かうことになった。
◇
訓練場に着くと、シグリットがこちらへ向き直った。
「しかし、某も腕にはそれなりの覚えがある。だがアステル殿の強さは、それだけでは説明がつかぬ。何か秘訣でもあるのか?」
「秘訣ってほどじゃないけどな」
そう言われて、ふと思い出した言葉がある。
「北国には、こんなことわざがある。北風が――」
「『ノルムー殿がブドウを作った』であろう?」
「いや、違っ――」
「『北風が勇者サンブリンガーを作った』!」
「だから違っ――」
「分かり申した!」
「聞けよ!!人の話をよ!!」
一回くらい最後まで喋らせろ。
というか、ノルムーがブドウを作る話はどこから出てきた。
「つまり……!」
俺の抗議など聞こえていないのか、シグリットは一歩後ろへ下がる。
そして槍を構え、真っ直ぐこちらを見据えた。
「某にとって、アステル殿が北風というわけだ!」
「…………」
なんでこいつ、一ミリも話聞いてないのにそこだけ正解に辿り着けるの?
「うむ!では参るぞ、アステル殿!」
「いやまだ俺、ことわざ最後まで言えてないんだけど!?」
そんな俺の言葉を置き去りにして、シグリットは地面を蹴った。
「ほんと、なんで俺の周りには話を聞いてくれないやつばっかりなんだ!」
そう叫びながら、俺は振り下ろされた槍を刀で受け流す。
甲高い金属音が訓練場に響き、シグリットの穂先が俺のすぐ横を通り抜けた。
「むっ!?今の初撃を防ぐとは……!やはり只者ではないな、アステル殿!」
「百年も生きてればな!色々経験するし、色んなやつから教わる機会もあるんだよ!」
実際、この百年で随分と色んな人間に会った。
立場も、生き方も、所属している場所もバラバラ。
当然、教わったことだって数え切れないほどある。
そう。
数え切れないほど――。
『なに?福福が肉を咥えて離さない?逆に考えるんだ。あげちゃってもいいさ、と』
『むっ?アステル、知っているか?メロンパンにメロンは入っていないらしい』
『4280円』
『アステルくん!照ちゃん先輩はね、水を浴びると背が伸びるんだよ!』
「…………」
なんで今そればっかり出てくるんだよ。
もっとあるだろ。
剣術とか。
戦い方とか。
生き残るための心得とか。
俺が百年かけて築いてきた人脈、もっと役に立つはずだろ。
「俺にクソみたいな情報ばっかり思い出させるんじゃない!!」
「むっ!?」
突然叫んだ俺に、シグリットが一瞬だけ槍を止める。
少し離れたところでは、ノルムーが呆れた顔でこちらを見ていた。
「あいつ、一人で何騒いでるのだ?」
「さあ?」
隣にいたリンドヴェルヌも、呆れたように肩をすくめる。
「あいつ、たまに変だからね」
「聞こえてるぞ!!」
「なら戦いに集中するのだ!」
「お前にだけは言われたくねぇよ!!」
「隙あり!」
「うぉっ!?」
俺は咄嗟に首を傾け、迫ってきた穂先を紙一重でかわした。
「危なっ!?」
「アステル殿!」
シグリットが槍を構え直し、少しだけ眉を寄せる。
「今は某との手合わせに集中して、真面目にやっていただきたい!」
「いや、今のは俺だけが悪いわけじゃ――」
「やーい!怒られたのだー!」
少し離れたところから、ノルムーの楽しそうな声が飛んでくる。
「おこられたー!」
その隣では、リンドヴェルヌまで面白がって便乗していた。
「お前らなぁ……!」
「アステル殿!」
「はい!今度こそ集中します!」
反射的に背筋を伸ばす。
するとシグリットは満足そうに頷き、再び槍を構えた。
「うむ!では、改めて参る!」
「切り替え早ぇな!」
言い終わるより先に、今度こそ容赦のない突きが飛んできた。
俺は迫ってきた槍を刀で弾き、その勢いを利用してシグリットとの距離を取った。
「すぅ……ふぅ……」
一度、大きく息を吸う。
吐く。
さっきまで頭の中を飛び交っていたどうでもいい記憶も、外野の声も、全部いったん追い出した。
「いくぞ、シグリット」
その瞬間。
俺の表情から、普段の軽さが消えた。
地面を蹴る。
次の瞬間には、俺の姿はシグリットの正面から消えていた。
「っ!?」
横へ回り込み、そのまま刀を振り抜く。
シグリットはほとんど反射だけで盾を差し込み、ぎりぎりのところで刃を受け止めた。
「なんと……!まだ上を隠し持っていたとは!」
驚きながらも、シグリットはすぐさま槍を返す。
鋭い突き。
そこから薙ぎ払い。
さらに踏み込みながらの連撃。
だが――。
一つ目を刀で逸らす。
二つ目は身体を沈めてかわす。
三つ目は半歩だけ後ろへ下がり、穂先が届く直前で止める。
まるで次に何が来るのか、最初から分かっていたみたいに。
「シグリットの攻撃、全部いなしてるのだ……」
いつの間にかノルムーの声から、さっきまでの茶化すような調子が消えていた。
隣で見ていたリンドヴェルヌも、二人の動きを目で追いながら小さく息を吐く。
「あいつには百年分の経験があるのよ。技術だけじゃなく、色んな相手と戦ってきた積み重ねまで含めてね」
「百年……」
「そう簡単にひっくり返せる差じゃないわ」
それでも、シグリットの目から闘志は消えなかった。
「それでも!」
槍を強く握り直す。
「某は、リンドヴェルヌ様のためにも負けられん!」
一度大きく息を吸い、腰を落とす。
「百戦錬磨――その一撃に!」
「来い!」
シグリットが地面を蹴った。
俺も刀を構え直し、真正面から迎え撃つ。
互いの間合いが一気に消えていく。
槍の穂先と刀がぶつかろうとした――その瞬間。
「そこまでよ!」
鋭い声が訓練場に響いた。
俺とシグリットの動きが、寸前で止まる。
「リンドヴェルヌ様!?なぜですか!」
シグリットが振り返る。
リンドヴェルヌはいつもの軽い笑顔を消し、真っ直ぐこちらを見ていた。
「シグリット。お前、あのまま続けてたら怪我してたわよ」
「しかし――」
「ダメ」
短く言い切る。
それから今度は、俺へ視線が向いた。
「アステル。お前も」
「俺?」
「真面目にやるのは結構だけど、限度ってものがあるでしょ」
「だってシグリットが真面目にやれって」
「そういう問題じゃないの!」
「理不尽じゃない?」
「理不尽じゃない!」
隣からノルムーがこくこくと頷く。
「今回はリンドヴェルヌが正しいのだ」
「お前さっきまで俺のこと煽ってただろ」
「それとこれは別なのだ!」
「都合いいな!?」
◇
俺とシグリットは武器を収め、改めて向き直った。
「相変わらず、凄まじい強さをしているな。アステル殿は……」
「別に。純粋な腕だけなら、どっこいか、お前の方が強いよ」
「む?」
俺は少し間を置いてから、言葉を続ける。
「ただ、俺は一応、経験と知識を使ってるからな。相手の癖を見たり、次に何をしてくるか読んだり。そういうので誤魔化してる部分が大きい」
百年分の経験。
それが今の俺を支えているものの一つだ。
「だから、お前がそのうち同じくらい経験を積んだら、俺も勝てなくなるさ」
「アステル殿」
シグリットが少しだけ眉を寄せる。
「過度な謙遜は、時として嫌味になるぞ」
「えぇ……」
「某では、まだその域には届いておらぬ。だからこそ――」
シグリットは真っ直ぐこちらを見る。
「また手合わせをお願いできるだろうか?」
「まあ、俺でよければ。気が向いた時になら」
「うむ!よろしく頼む!」
その後もしばらくシグリットと話していたが――。
「アステル!そろそろ帰るのだ!甘いものを買いに行くのだ!」
少し離れたところからノルムーの声が飛んできた。
「結局それが目的だったんじゃねぇか!」
そうして俺はシグリットたちと別れ、ノルムーと一緒に空巡局を後にした。
◇
「それにしても、ほんとアステルもシグリットも馬鹿みたいな強さしてるのだ」
帰り道。
隣を歩くノルムーが、呆れたようにこちらを見る。
「だから、俺のは経験から来る先読みが大きいんだって。腕っぷしそのものは、そんな強くないよ」
「そんなに強くないやつは、そもそもシグリットと打ち合えねーのだ!」
「それは……まあ……」
言われてみれば、そうかもしれない。
そんなくだらない話をしながら歩いていると、不意に見覚えのある道へ出た。
「おっ」
「あっ!」
ノルムーも気づいたらしい。
少し先にある路地を指差しながら、嬉しそうに声を上げる。
「アステル!見るのだ!ここ、ノルムーがお前を助けてやったところなのだ!」
「うぉ、懐かしい……!」
足を止めて周囲を見渡す。
建物も。
道の形も。
多少変わってはいるが、確かに覚えている。
「確か、あの時もこんな天気だったよな」
「そうだったのだ?」
「たぶんな」
「覚えてねーのか!」
「死にかけてたんだから仕方ないだろ!」
そう言いながら、俺は路地の奥へ目を向ける。
あの日。
俺が現代のロスカリファで初めてノルムーと出会った場所。
そして――。
俺の二度目の人生が、本当の意味で始まった場所。
懐かしい景色を眺めながら、俺は当時のことを思い出していた。