「はぁ……はぁ……」
俺は路地裏を、壁に手をつきながらふらつくように歩いていた。
胸が痛い。
心臓を掴まれているような痛みが、さっきからずっと続いている。
それでも足を止めるわけにはいかなかった。
見覚えがあるはずなのに、何もかもが知らない街。
変わり果てた景色の中を、俺はただ彷徨っていた。
「うわっ……!」
足がもつれる。
次の瞬間、身体が地面へ叩きつけられた。
「こんなところで……」
腕に力を入れてみる。
動かない。
もう起き上がるだけの力も残っていなかった。
……ここで終わりか。
そんなことを考えた、その時だった。
◇
「なのだなのだなのだ~!」
ノルムーは機嫌よく路地裏を歩いていた。
「ここを通ればかなり近道なのだ!やっぱりノルムーは天才なのだ!」
自分の判断に満足しながら進んでいると、少し先に何かが転がっているのが見えた。
「……ん?」
近づく。
人だった。
「うおっ!なんか倒れてるのだ!」
ノルムーはしばらく眺めたあと、しゃがみ込んで頬を指先でつついた。
「……死んでるのだ?」
「……生きてる」
「うわっ!?死体が喋ったのだ!!」
「生きてるって言ってるだろうが……!」
「なんだ、生きてるのだ?」
「最初からそう言ってる……」
「まあ、生きてるならそれでいいのだ!」
ノルムーは立ち上がる。
「じゃあノルムーはもう行くのだ!」
「待ってくれ……!」
「なんなのだ?」
「もう……動けなくて……助けてほしい……」
「そんなの病院でもなんでも行けばいいのだ。ノルムーは忙しいのだ」
「色々事情があんだよ……!」
「そんなのノルムーには関係――」
そこまで言いかけて、ノルムーは口を閉じた。
倒れている俺を見る。
少し考える。
(……待つのだ)
もしここで助けてやれば。
(恩を売れるのでは?)
ノルムーの口元が、ゆっくりと吊り上がった。
(あとで色々頼めるかもしれないのだ!)
「……ふふん」
「なんだその顔……」
「しょうがねーから、ノルムーが拾ってやるのだ!」
胸を張って宣言する。
「ありが――」
「名前はポチなのだ?タマなのだ?」
「俺は犬でも猫でもねぇよ……」
「じゃあ、なんて呼べばいいのだ?」
少しだけ息を整える。
「……アステル」
「アステル?」
「ああ」
ノルムーはその名前を一度口の中で転がしてから、満足そうに頷いた。
「分かったのだ、アステル!」
そう言って、ノルムーは俺へ手を差し出した。
◇
俺はノルムーとかいうちんちくりんに連れられ、大きな建物の中へ入っていった。
正直、ここが何の施設なのかすら分からない。
そんな俺を引っ張りながら、ノルムーは扉を開けるなり大声を上げた。
「ヴェリナー!なんか人間拾ったのだー!」
「返してきなさい、ノルムー」
間髪入れず、奥から声が返ってきた。
「ちゃんとお世話するから許してほしいのだー!」
「だから俺はペットじゃないっての……」
こいつ、さっきから完全に俺を拾った犬か何かだと思ってないか?
そんなことを考えていると、奥の方から白い髪に扇子を持った女性が歩いてきた。
俺とノルムーを見比べる。
それから、明らかに顔色の悪い俺を見て小さく眉を寄せた。
「あなた、お名前は?」
「……アステル」
「アステルさんね」
女性は穏やかに頷くと、今度はノルムーへ視線を向けた。
「ノルムー?この方をどこで拾ったのかしら?」
「路地裏なのだ。なんか倒れてたし、訳ありらしいから連れてきたのだ」
「訳あり……?」
もう一度、女性の視線が俺へ戻る。
「アステルさん。確かにかなり顔色が悪いわ。でも、ここは病院ではないの。体調が悪いのなら、きちんと医療機関へ行くべきだと思うのだけれど?」
「それは……」
言葉に詰まる。
病院に行けばいい。
普通なら、その通りだ。
ただ、今の俺には説明できないことが多すぎる。
「ヴェリナ!」
何か言おうとした俺より先に、ノルムーが割って入った。
「人間だろうがボンプだろうが、不調ならまず原因を調べればいいのだ!ノルムーが見てやるのだ!」
「あなた、人体は専門外でしょう?」
「ノルムーは天才だから大丈夫なのだ!」
「その言葉、あまり安心材料にならないのだけれど……」
「ひどいのだ!?」
……大丈夫なのか、こいつに任せて。
◇
ノルムーに連れられ、診察室のような場所へ入る。
中には見たことのない機械がいくつも並び、壁際のモニターには様々な数値や波形が表示されていた。
「ほら!まずはそこに横になるのだ!」
「ほんとに大丈夫なんだろうな……」
「ノルムーを誰だと思ってるのだ!」
「さっき人体は専門外って言われてたやつ」
「細かいことは気にしなくていいのだ!」
不安しかない。
とはいえ、今さら他に行く当てもない。
俺は言われるまま、診察台らしき場所へ横になった。
するとノルムーは慣れた手つきで機械を起動し、俺の身体へいくつかのコードやセンサーを取り付けていく。
さっきまでのふざけた様子とは違い、手際だけはやけにいい。
「それじゃあ始めるのだ!」
ノルムーがキーボードを叩く。
モニター上の数字が次々と変化し、波形が流れていく。
しばらく画面を眺めていたノルムーは、軽い調子のまま口を開いた。
「ふむふむ……別に身体そのものには大きな問題はなさそう――」
そこで。
ノルムーの指が止まった。
「……ん?」
「どうした?」
返事がない。
さっきまで忙しなく動いていた目が、一点だけを見つめている。
「……おい、アステル」
「なんだよ」
ノルムーがゆっくりこちらを向いた。
「これ、何なのだ……?」
「何って?」
「ここなのだ!」
画面を指差す。
俺には数字が並んでいるようにしか見えない。
だが、ノルムーの顔からはさっきまでの余裕が消えていた。
「こんなの、普通の人間の数値じゃねーのだ!」
「……色々あるんだよ」
「色々!?」
「言っただろ。訳ありだって」
「『訳あり』で済ませていい数値じゃねーのだ!!」
ノルムーは椅子から勢いよく立ち上がった。
「ヴェリナー!ちょっと来てほしいのだ!」
少しして、奥からヴェリナが姿を見せる。
「ノルムー?今度はどうしたのかしら」
「ここ見てほしいのだ!」
ノルムーがモニターを指差す。
「この反応、どう考えても普通じゃねーのだ!こんなの人間じゃ――」
「失礼だな……」
一応まだ人間のつもりなんだけど。
ヴェリナは俺の抗議には答えず、しばらくモニターを見つめていた。
その表情が、少しずつ真剣なものへ変わっていく。
「……なるほど」
「な?おかしいのだ?」
「ええ」
ヴェリナは静かに頷き、今度は俺へ視線を向けた。
「少なくとも、あなたが『訳あり』と言っていたのは嘘ではないみたいね」
「だから最初からそう言ってるだろ……」
「問題は、その『訳』が思っていたよりずっと大きそうなことかしら」
「…………」
……やっぱり誤魔化せないか。
ノルムーは再び画面へ顔を近づける。
「心臓……?これ、本当に人間の心臓が出せる数値なのだ?」
「説明すると長くなる」
「三行で説明するのだ!」
「いや無理だろ」
「使えねーのだ!」
「俺が悪いのかよ……」
そんなやり取りをしていると、それまで黙っていたヴェリナが口を開いた。
「……とりあえず、症状が落ち着くまではここにいていいわ」
「え?」
「その後のことは、身体が楽になってから話しましょう。今の状態で無理に聞いても仕方がないもの」
「!?ヴェリナがデレたのだ!」
「ノルムー?」
にこり。
笑っている。
笑っているのに、なぜか怖い。
「じょ、冗談なのだ!」
「まったく……」
ヴェリナは小さく息を吐くと、俺へ視線を戻した。
「アステルさん。そこに仮眠用のベッドがあるわ。少し横になった方がいいと思うの」
「……悪い。甘えさせてもらう」
身体に取り付けられていたケーブルを外し、俺は言われた通りベッドへ向かう。
正直、限界だった。
横になっただけで、身体から一気に力が抜けていく。
その時。
「ノルムー?少しいいかしら」
「ん?今行くのだ」
二人はベッドへ横になる俺を一度だけ振り返ると、そのまま部屋を出ていった。
◇
「ノルムー。単刀直入に聞くわ」
部屋を離れたところで、ヴェリナが足を止めた。
「彼をどうしたい?」
「どうって……どういうことなのだ?」
「さっきの数値、あなたも見たでしょう?」
「見たのだ」
「はっきり言って異常よ。それも、少し変わっているなんて程度ではないわ」
ノルムーの表情から、いつものふざけた様子が少し消える。
「……そんなの、ノルムーにだって分かってるのだ」
「なら分かるでしょう?今の彼は、身元も分からない。身体には説明のつかない異常まである」
ヴェリナは扇子を閉じる。
「この情報が不用意に外へ出れば、彼自身の意思とは関係なく、詳しい調査を求められる可能性があるわ」
「…………」
ノルムーは黙り込んだ。
もし自分が見たあの数値を、知らない誰かが見たら。
珍しい。
調べたい。
もっと詳しく知りたい。
そうやって本人の事情など後回しにされる可能性だってある。
「……そんなのダメなのだ」
小さく呟く。
「ノルムーが拾ったのだ。勝手にどっかへ持っていかれるなんて許さねーのだ」
その答えを聞いて、ヴェリナはほんの少しだけ笑った。
「そう言うと思ったわ」
「……なんなのだ?」
「もう一つ、気になることがあるの」
ヴェリナは手元の端末をノルムーへ見せた。
「念のため、名前と顔から古い記録まで調べてみたのだけれど……」
「何か出たのだ?」
「ええ」
画面に映っていたのは、古い記録だった。
写真もある。
今、隣の部屋で眠っている男と同じ顔。
ノルムーが目を丸くする。
「……アステル?」
「そう」
ヴェリナは静かに画面をスクロールした。
「記録上、この人は――」
一拍。
「百年前に亡くなっているわ」
「…………は?」
ノルムーの間の抜けた声が、廊下に響いた。
◇
翌日。
久しぶりにゆっくり休めたおかげか、身体は昨日よりずっと楽になっていた。
まだ完全に元通りとは言えないものの、起き上がっていても辛くはない。昨日まで身体の奥に残っていた重さも、かなり薄れている。
そんなことを考えていると、扉を軽く叩く音がした。
こんこん、と二度。
「アステルさん?起きているかしら」
ヴェリナの声だ。
「ああ、起きてるよ」
そう返すと、ほどなくして扉が開いた。
入ってきたのはヴェリナとノルムー。
ノルムーは部屋に入るなり真っ先に俺のところまで寄ってくると、顔を覗き込むようにじっと見つめてきた。
「うむ!昨日よりずっと顔色がいいのだ!」
満足そうに頷くノルムー。
「おかげさまでな。久しぶりによく寝たよ」
「当然なのだ!昨日のお前は、見てるこっちまで心配になるような顔色だったからな!」
相変わらず遠慮がない。
苦笑していると、その隣に立っていたヴェリナがこちらを見る。
先ほどまでのノルムーとは対照的に、その表情は少し真剣だった。
「アステルさん。少し、お話があるの」
その声色に、俺も自然と姿勢を正す。
「なんだ?」
ヴェリナは一度ノルムーと視線を交わしてから、ゆっくりと口を開いた。
「申し訳ないのだけれど、あなたのことを少し調べさせてもらったわ」
一拍。
「――百年前に、あなたが死亡したことになっている件も含めてね」
「……そこまで分かったのか」
思ったより早い。
とはいえ、外務計策局という組織を考えれば、不思議でもないのかもしれない。
するとノルムーが、待ちきれなかったように身を乗り出した。
「それで、本当に一回死んでいるのだ?」
俺は少し迷ったものの、ここで誤魔化しても仕方がない。
「ああ。一回死んでる」
ノルムーが目を丸くした。
冗談だと思っていたわけではないだろうが、実際に本人の口から聞くと重みが違うらしい。
「今こうして生きてる理由については……まあ、話すとかなり長くなるんだけどな」
「その話はまた後で聞かせてもらうわ」
ヴェリナがそう言って話を戻す。
どうやら今重要なのは、俺がなぜ生きているのかではないらしい。
「問題はこれからのことよ。色々確認したうえで、あなたには大きく分けて二つの選択肢があると思っているの」
そう言うと、ヴェリナは人差し指を立てた。
「一つ目。然るべき医療機関を受診して、あなたの身体を徹底的に調べてもらうこと」
「一番まともそうだけど?」
「ええ。一番確実よ」
そこでヴェリナは少し表情を曇らせる。
「でも――同時に一番危険でもあるわ」
「危険?」
「百年前に死亡している人間が、当時とほとんど変わらない姿で生きている。そのうえ、昨日見せてもらったデータを見る限り、あなたの身体には普通では説明できない部分が多すぎる」
ヴェリナは淡々と告げる。
「もし詳細な検査結果とあなたの経歴がどこかへ漏れれば、もう普通に暮らすのは難しいでしょうね。研究対象として目を付けられる可能性もあるわ」
「つまり……」
「悪い言い方をするなら、モルモットね」
「そんなのノルムーが許さないのだ!」
即座にノルムーが声を上げた。
拳を握りしめ、本気で怒っている。
「せっかく生きているのに、好き勝手に実験されたらたまったものではないのだ!」
「いや、まだ実験されると決まったわけじゃないからな?」
「可能性の話なのだ!」
「可能性を盛るなよ……」
とはいえ、俺だって実験動物になるつもりはない。
「まあ、モルモットは俺も御免だな」
俺はヴェリナを見る。
「でも、二つってことはもう一つあるんだろ?」
「もちろん」
今度はヴェリナが二本目の指を立てる。
そして先ほどまでの真剣な表情を少しだけ和らげた。
「二つ目――アステルさん。あなた、ここで働かないかしら?」
「……は?」
思わず間の抜けた声が出た。
隣ではノルムーまで固まっている。
「ヴェ、ヴェリナ!?」
どうやらこいつも初耳らしい。
ヴェリナはそんな俺たちを見ても動じず、静かに続ける。
「あなたが外務計策局の一員になるのなら、少なくとも私たちの目が届くところであなたを守ることができるわ。身元についても、こちらである程度対応できる」
さらに扇子を開き、口元へ添えた。
「身体についても同じよ。信用できる相手を選んで、必要な検査だけを少しずつ進めることができる。あなたの今の状態について調べられれば、身体を安定させる方法が見つかる可能性だってあるわ」
「……ずいぶん至れり尽くせりだな」
「悪い条件ではないでしょう?」
悪いどころではない。
俺からすれば願ったり叶ったりだ。
行く場所もなければ、今の時代について知らないことも多い。そのうえ身体まで診てもらえるというのだから、断る理由の方が少ない。
それでも、一つだけ気になることがあった。
「俺としてはありがたいよ。でも……なんでそこまでしてくれるんだ?」
百年前の記録に名前が残っていたとはいえ、今の俺はヴェリナにとってほとんど赤の他人だ。
そんな人間を組織に抱え込むのは、少なからず面倒もあるはずだ。
ヴェリナは俺の問いを聞くと、ちらりと隣を見た。
「そうね」
その視線の先にはノルムー。
「ノルムーがあんなに誰かのことを心配しているところを見るのは、珍しいもの」
「ヴェ、ヴェリナ!?」
ノルムーが跳ねるように振り返った。
「余計なことを言うんじゃねーのだ!」
「事実でしょう?」
「事実でも言わなくていいことはあるのだ!」
随分と分かりやすい反応だ。
俺は少し意外に思いながら、ノルムーを見る。
するとこちらの視線に気づいたノルムーが、わずかに頬を赤くしながら睨み返してきた。
「な、なんなのだ、その顔は?」
「いや。そこまで心配してくれてたんだなって」
「当然なのだ!ノルムーは自分の行動にきちんと責任を持つタイプなのだ!」
胸を張る。
いつもの調子に戻ったノルムーを見ていると、自然と笑みが零れた。
「そっか」
一度だけ息を吐く。
「ありがとうな、ノルムー」
「っ……!」
今度こそノルムーが言葉に詰まった。
数秒ほど固まったあと、顔を逸らして早口になる。
「そ、そんな真正面から礼を言われると照れるのだ!ええい、この恩は一生かけて返してもらうから覚悟するのだ!」
「恩を売るの早くない?」
「当然なのだ!」
「一生って相当だぞ?」
「それくらい当然なのだ!」
何を威張ってるんだ。
そんなやり取りを聞いていたヴェリナが、扇子で口元を隠す。
隠しきれていない目元は、明らかに笑っていた。
「それじゃあ、決まりね」
「あ」
そうだった。
まだ肝心の返事をしていなかった。
俺は改めてヴェリナを見る。
「俺でいいなら、世話になるよ」
「ええ。歓迎するわ」
ヴェリナは扇子を閉じると、そのまま扉へ向かって歩き出した。
「それじゃあ私は手続きをしてくるわ。色々と面倒な書類もあるでしょうけれど――その辺りは私に任せてちょうだい」
「助かる」
扉に手をかけたところで、ヴェリナがふと足を止める。
「ああ、そうそう」
振り返る。
先ほどまでとは少し違う、柔らかな笑みだった。
「――アステル」
名前を呼ばれ、俺はヴェリナの方を見る。
「ようこそ、外務計策局へ」
一瞬だけ遅れて、その言葉の意味が胸に落ちる。
百年後。
知っているものなんて、ほとんど残っていない世界。
そんな場所で初めて、自分の居場所になるかもしれない場所ができた。
俺も小さく笑う。
「ああ。よろしく、ヴェリナ」
「ノルムーもなのだ!」
横から勢いよく声が飛んできた。
思わず笑ってしまう。
「分かってるよ」
二人を見る。
「――よろしく。二人とも」
◇
その日の夕方。
買い物を済ませて外務計策局へ戻った俺は、机の上に積まれた書類を眺めながら、さっき通った路地のことを思い出していた。
「……そういえば、そんなこともあったな」
向かいの机では、ノルムーが何かの端末を弄っている。
俺の言葉を聞いたノルムーは顔を上げると、少しだけ首を傾げた。
「なんの話なのだ?」
「俺がここに入った時のこと。お前、一生かけて恩を返せって言ってただろ」
一瞬。
ノルムーの手が止まった。
「あれは……そういう意味ではないのだ!」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味なのだ!お前はノルムーに一生感謝していればいい!」
「結局同じじゃないか」
笑いながらそう返すと、ノルムーは少し不満そうに頬を膨らませる。
ただ、すぐにその表情を緩めた。
「……でも、あの時ヴェリナがああ言ってくれてよかったのだ」
珍しく静かな声だった。
俺も手元の書類から目を離す。
「そうだな」
あの時。
何一つ決まっていなかった俺に、ヴェリナは居場所を用意してくれた。
それは間違いなく、今でも感謝している。
でも――。
最初に俺を見つけたのは、こいつだった。
あの路地裏でノルムーが足を止めなければ。
あそこで気まぐれを起こして、俺を拾わなければ。
今こうして向かい合って、くだらない話をしていることもなかっただろう。
「……お前にも、もう少しくらい感謝しとくか」
「もう少しじゃ足りねーのだ!」
即答だった。
「一生なのだ!一生感謝するのだ!」
「まだ言うのかよ」
「当たり前なのだ!ノルムーは命の恩人なのだ!」
「最初、恩を売るために拾ったくせに」
「な、なんでそれを知ってるのだ!?」
「顔に書いてあった」
「嘘つくんじゃねーのだ!」
そんな話をしていると、ちょうど部屋の扉が開いた。
「二人とも、随分楽しそうね」
噂をすればなんとやら。
入ってきたヴェリナは、俺とノルムーを交互に見る。
「私の話でもしていたのかしら?」
「してないのだ!」
「してたよ」
「アステル!?」
ノルムーが勢いよくこちらを振り向く。
ヴェリナはそんな俺たちを見て、扇子で口元を隠しながら小さく笑った。
「相変わらず仲がいいのね」
「どこを見たらそうなるんだ」
「全部よ」
即答された。
否定しようとしたところで、ヴェリナが俺の机の前まで歩いてくる。
「ちょうどよかったわ。アステル、明日は何か予定がある?」
「明日?」
「ええ」
ヴェリナは少しだけ考えるように扇子を顎へ添える。
それから、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「少し付き合ってほしいところがあるの」
「仕事か?」
そう尋ねると、ヴェリナはすぐには答えなかった。
代わりに、どこか楽しそうに目を細める。
「それは――明日になってからのお楽しみ、ということにしておきましょうか」
「……嫌な予感がするな」
「失礼ね」
隣を見ると、ノルムーまで妙に楽しそうな顔をしている。
どうやら味方はいないらしい。
こうして俺は、理由も分からないままヴェリナとの予定を一つ増やすことになった。
少し今後の参考にしたいのでアンケートさせてください!シグリット回はギャグ多めで作ったんですがギャグの量はどれくらいが好みですか?
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シグリット回と同じくらい多め
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普段と同じくらい
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話の内容とキャラに合わせて