偽マーリン「シンジくん!ヒーローになるんだ!」シンジ「はい!マーリンさん!」 作:Tommy's Workers
最近、エヴァを見直してシンジくんが、常に痛くて寂しそうなので。ヒーローやハッピーエンドの製作に定評のある彼に来ていただきました!まぁ偽物の転生者なんですけれどもね。
「ヒーローになるんだ、シンジくん。そうすれば、君は誰からも愛される」
その優しい“呪い”がかけられたのは、彼がまだ五歳の頃だった。
母を亡くし、冷酷な父親に捨てられるようにして親戚の家に預けられた幼い碇シンジ。誰もいない公園のブランコで、声もなく膝を抱えて泣いていた彼の前に、ハラハラと白い花びらが舞い散り──白銀の髪を持った綺麗な男が現れた。
『やあ、初めましてシンジくん。僕はマーリン。君を助けるためにやってきた魔術師さ』
行く当てのない孤独の中で出会った、自分だけにしか見えない優しいお兄さん。
マーリンはいつだって温かかった。お腹が空けば甘いパフェや温かいスープを出してくれ、寂しくて泣きそうな夜には背中を優しく撫でながら、何時間でも抱きしめてくれた。
『大丈夫。君はこんなところで傷ついて終わる存在じゃない。君はね──いずれ訪れる滅びから世界を救う、選ばれたヒーローなんだから』
「僕が……ひーろー……?」
『そうさ。だからね、泣かないで、強く、優しく、みんなに誇れる自分でありなさい。そうすれば世界中の人たちが君を大好きになる。僕がずっとそばで味方をしてあげるからね』
悲惨な現実に打ちひしがれていた幼いシンジにとって、その言葉は暗闇に差した唯一の光だった。
──僕がヒーローになれば、みんな僕を好きになってくれる。お父さんも、僕を認めてくれるかもしれない。マーリンさんの期待に応えたい。
それから九年間。
シンジは「傷つきやすく臆病な本当の自分」の上に、「明るく、健気で、決して屈しない完璧なヒーロー」というペルソナを被り続けた。
マーリンに与えられる甘やかしとメンタルケアを心の栄養にして、無理をして笑い、好青年を演じることが、彼の生きる術になっていたのだ。
◇
そして──十四歳になったシンジに、ついに「運命の日」が訪れた。
第3新東京市。襲来する未知の生命体、第3使徒。
地鳴りのような響きと警報が吹き荒れる中、葛城ミサトの車に揺られ、ネルフ本部の地下深くへと連れてこられたシンジは、制服の裾を強く握りしめていた。
「すごい地下都市ですね……! 僕、なんだかワクワクしてきました」
ミサトに向かって弾むような声を上げる。
だが、その手のひらは嫌な汗でぐっしょりと濡れ、指先は微かに震えていた。怖い。逃げ出したい。理由のわからない圧迫感に息が詰まりそうだ。
それでも、彼はペルソナの笑顔を崩さない。
地下ドックに佇む、巨大な紫色の巨人──エヴァンゲリオン初号機。
自由を奪うように拘束具に固定された巨躯を前に、シンジの心拍数が跳ね上がる。さらに、上方のガラス越しに見下ろす冷酷な眼差し──実の父親、碇ゲンドウ。
「久しぶりだな、シンジ」
「……お父さん」
「出撃だ。乗らなければ帰れ」
九年ぶりに再会した父親から投げつけられたのは、あまりにも冷たい拒絶と命令だった。
胸の奥で、カチリと何かが凍りつく。息が上手く吸えない。やっぱり僕は愛されていない。要らない子なんだ──血の気が引いていくシンジの耳元で、甘く、優しい声が滑り込んできた。
『──聞こえるかい、シンジくん』
不意に、隣に立つマーリンの手が、そっとシンジの肩に触れた。ミサトにもゲンドウにも見えない白銀の魔術師が、どこか切なさを孕んだ夢魔の微笑みを浮かべて囁く。
『いよいよ来たね。覚えておくといい……君はね、選ばれた人類を救うヒーローなんだよ』
(マーリンさん……)
『あの巨大な悪から世界を守るため、君は生まれてきた。大丈夫、僕はこの日のために現れたんだ。君がヒーローとして輝くために、ずっと一番近くでサポートしてあげる』
マーリンの細い指先から、うっすらとした桃色の魔術の光がシンジの頭へと溶け込んでいく。
途端に、胸を押し潰しそうだった恐怖と動悸が、薄紙を剥ぐようにスッと遠のいていった。麻痺していく。自分が怯えているという事実すら、甘い霧の向こう側へと追いやられていく。
(……そうだ。僕は……僕はヒーローなんだ。マーリンさんが、僕をヒーローにしてくれるんだ……!)
その時、重厚な扉が開く音が響き、不吉な金属音が地下ドックに跳ね返った。
運ばれてきたのは、血の滲む包帯で全身を痛々しく巻かれた一人の少女。
「……レイ。動けるか」
ゲンドウの問いかけに、ストレッチャーの上から冷たい機械のような声が返る。
「はい。」
痛みに顔を歪める素振りすら見せず、感情の削ぎ落とされた声で淡々と答える少女──綾波レイ。
命を惜しむ色彩を一切感じさせないその姿に、ゲンドウは冷淡に告げた。
「再起動だ。初号機にレイを移せ」
「はい。」
痛みに耐えかねて途切れがちな呼吸のまま、レイはストレッチャーから力なく体を起こそうとする。命じられれば死に至る負担すら疑いなく受け入れる、抜け殻のような諦念と無機質さ。
その痛々しくも人間味を拒絶するような姿を見た瞬間、シンジの胸の奥で魔術を突き破る強烈な痛みが走った。
(あんな……あんな死んでいるみたいな目で、命を投げ出そうとするなんて……!)
『シンジくん』
マーリンの声が再び脳内に響く。優しく、しかし確実に彼の「ペルソナ」を強く呼び覚ます声。
『見ただろう? ヒーローはね、自分を痛めつける誰かを庇って立つものなんだ。君があの女の子の代わりに立ち上がる時、君は本当のヒーローになる』
「……っ!」
麻酔とペルソナが再びシンジの瞳から恐怖の影を覆い隠し、澄んだ誇らしげな光を宿らせる。
シンジはすっと背筋を伸ばすと、倒れそうなストレッチャーの側へ駆け寄り、血の気の失せたレイの小さな手をそっと包み込んだ。
「大丈夫だよ。僕が乗るから……君は、もう痛い思いをしなくていいんだ」
「……え……?」
包帯の隙間から覗く、紅い瞳が揺れた。
そこに宿るのは戸惑いすら浅い、ただ「未知の行動」に対する純粋な無理解。
何のために自分を庇うのか。自分の代わりなど、他にいくらでもいるというのに。
「……なぜ……? 私が乗れば……いい。……私は……壊れても……代わりがあるから」
感情の起伏を一切排した、静かで冷酷な自己の否定。
しかし、シンジはその言葉を打ち消すように、包み込んだ手に少しだけ力を込め、眩しいほどの笑みを向けた。
「代わりなんてないよ。君は君だもの。……だから、僕に任せて」
「…………」
レイの薄い唇がかすかに開いたが、それ以上の言葉は紡がれなかった。
手に残る、理解の及ばない温かさ。その理由を解し兼ねたまま、ただ紅い瞳でまっすぐ自分を見つめる少年を追うことしかできない。
シンジは上階のゲンドウに向かって、誰もが胸を打たれるような健気で爽やかな笑みを向けた。
「わかりました、お父さん。僕が乗ります! 僕がこの子も、この世界も守ってみせます!」
「…………」
「し、シンジくん……本気なの……!?」
「はい! 僕には……頼れるお兄さんがついていますから!」
ミサトやネルフの大人たちは、十四歳の少年の異常なまでの覚悟と精神力に息を呑んだ。
誰一人として知らなかった。彼が被っているペルソナの重さを。そして、その心がすでに魔術という名の麻酔なしでは保てないほど、脆く歪み始めていることを。
『……うん、良い子だね、シンジくん。行ってらっしゃい』
プラグスーツへ着替えに向かうシンジの小さな背中を送り出し、マーリンは仕込み杖を静かに突いた。
その瞳には、世界の破滅を防げる安堵と──また一つ、愛しい少年に取り返しのつかない嘘と負荷を重ねてしまったことへの、深い罪悪感が揺れていた。