偽マーリン「シンジくん!ヒーローになるんだ!」シンジ「はい!マーリンさん!」 作:Tommy's Workers
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世界が、白くなった。
シンジがネルフを飛び出して三日目の朝。第3新東京市の空は、白い光に飲み込まれていた。
──いや、空ではない。
使徒が、空を食べていた。
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第10の使徒は「拒絶」そのものの形をしていた。
巨人の輪郭。人型。だがその姿は人間の形を借りた終わりだった。白い仮面のような頭部。左右非対称に展開する腕。胴体には目が──無数の目が埋め込まれている。そして何より異様なのは、使徒の身体が「変化」していたことだった。
零号機を捕食した後、使徒はその質量と能力を吸収し、巨大化していた。レイを──綾波レイを──取り込んだまま。
「──レイさんが、捕まった」
シンジは、避難所のモニターでその光景を見ていた。
臨時避難所として使われている学校の講堂。逃げ遅れた市民たちが詰めかけ、壁にかかったテレビに映し出されるニュース映像を食い入るように見つめている。アナウンサーの声が震えている。
『──第10使徒はネルフ本部へ向かって進行中。零号機は使徒に捕食され、パイロットの生死は──』
「──レイさんが、中にいる」
シンジの声は平坦だった。
三日前。シンジはネルフを飛び出し、街を彷徨い、避難所にたどり着いた。アスカが重傷を負ったあの夜以来、シンジの「ヒーロー」のペルソナは──ヒビが入ったままだった。
笑ってはいた。避難所の子供たちの世話をし、老人に水を汲んでやり、パンを配った。「大丈夫ですよ、僕がいますから」と笑った。完璧な好青年。完璧なヒーロー。
だが──その笑顔の裏には何もなかった。
空洞。虚無。ヒビの入ったガラスの向こう側に、何も映っていない。
(──僕はヒーローだ)
(──僕はヒーローだ)
(──僕はヒーローだ)
呪いのように繰り返す。だが言葉は空洞を反響するだけだ。意味を返さない。アスカを壊した自分の手が、まだ感覚に残っている。ダミーシステムが動かした自分の手が、レイを守れなかった自分の無力が──三日経っても消えない。
(──ヒーローは人を守る)
(──でも僕はアスカちゃんを壊した)
(──ヒーローじゃない)
(──でもヒーローでなきゃ捨てられる)
(──でもヒーローになれない)
(──でも──)
思考が循環する。迷路。出口のない迷路。五歳の頃から続く、同じ迷路。
──その時。
モニターの映像が変わった。
弐号機が動いていた。
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「──アスカちゃん!?」
弐号機。だがその姿は異様だった。装甲を一部解除し、獣のような形態へと変化している。獣化形態。パイロットの制御を意図的に外し、EVAの本能を解放する形態。
「──アスカ、まだ本調子じゃないはずなのに!」
ミサトの声が通信から漏れる。重傷から回復しきっていないアスカが、無理に出撃した。
弐号機が使徒に向かって突進する。牙を剥き、爪を振り上げ、獣の咆哮を上げながら。
「──うおおお!」
アスカの叫びが通信から届く。だが──使徒は、強かった。
腕が振られる。ただそれだけの動作で、弐号機が弾き飛ばされる。装甲が剥がれ、腕が捻じれ、脚が折れる。獣の力すら通用しない。圧倒的な質量と能力の差。
「──アスカ!」
弐号機がビルに叩きつけられる。崩れたコンクリートの下に埋もれ、動かなくなる。
「──弐号機、沈黙!」
「アスカちゃん! アスカちゃん!」
シンジはモニターにすがりついていた。指が震えている。息が荒くなっている。
(──アスカちゃんも壊される。僕の手じゃなくても、アスカちゃんが──)
(──レイさんも。レイさんもあの中に──)
(──僕がいなかったから。僕が逃げたから。僕が──)
避難所の市民たちが騒ぎ始める。泣き声。叫び声。祈りの声。シンジの周囲で、人々が恐れ、おののき、すがりつく。
その中で──シンジだけが、立ち上がっていた。
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避難所を出た。
外は地獄だった。
第3新東京市の半分が崩壊していた。ビルが折れ重なり、道路が裂け、ガラスが雨のように降り注いでいた。遠くに見える使徒の白い巨体が、ネルフ本部に向かってゆっくりと進んでいる。
シンジは走った。
瓦礫を越え、裂けた道路を飛び越え、崩れたビルの隙間を縫って。行く当てなどない。ただ走った。ネルフ本部へ。初号機のいる場所へ。
(──僕が救わなきゃ)
思考が、戻ってきた。いや──戻ってきたのではない。噴き出した。
(──僕がレイを救うヒーローにならなきゃ)
(──僕の存在価値がない)
(──ヒーローでなければ、僕は何でもない)
(──ヒーローでなければ、捨てられる)
(──なら、僕は──)
恐怖を超えた場所に、狂気があった。
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ネルフ本部。ケージ。
シンジは辿り着いた。
全身泥だらけ、制服は破れ、頬に血が滲んでいる。息が切れ、肺が焼けるように痛い。だが──目が違っていた。
暗い。奥底まで暗い。だがその闇の中心に、小さな──極小の──炎が燃えていた。
(──僕がレイを救う)
(──僕がレイを救うヒーローにならなきゃ、僕の存在価値がない)
(──僕の存在価値がないなら、僕は──要らない子に戻る)
(──要らない子には戻りたくない)
(──だから──)
「──初号機に乗せてください」
シンジはゲンドウの前に立っていた。
ガラス越しに見下ろす冷酷な眼差し。その前で、シンジは頭を下げなかった。目を逸らさなかった。ただ──真っ直ぐに、父を見た。
「お父さん。僕を、初号機に乗せて」
ゲンドウは何も言わなかった。
「──お願いします」
その言葉に、ゲンドウの眼鏡の奥の目が──ほんの一瞬だけ──揺れた。
すぐに消えた。だが確かに揺れた。九年ぶりに、息子が自分を見た。逃げずに、すがりつかずに、ただ真っ直ぐに。
「──初号機を起動しろ」
ゲンドウの声は変わらなかった。だが冬月が、隣で小さく息を呑んだ。
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プラグスーツ。エントリープラグ。LCL。神経接続。
いつもの手順。いつもの感覚。だが──今夜は、何かが違った。
シンジの心拍数が異常値に達していた。恐怖からではない。執念からだ。
(──僕がレイを救う)
(──僕がレイを救う)
(──僕が──)
「──シンクロ率、上昇中! 60%……70%……80%……!」
「異常値です! 通常の起動シークエンスを超えています!」
「シンジくん!?」
ミサトの声が届かない。届いていても、止める権利がない。いや──誰にも、もう止められない。
『──シンジくん』
マーリンの声が、脳内に響いた。
だがその声は──以前とは違っていた。優しく、甘く、花の香りを纏った声──ではなく。切迫し、震え、どこか怯んだ声だった。
『──シンジくん、聞こえるかい』
「マーリンさん」
シンジの声は平坦だった。
「マーリンさん、いたんだ」
『──いたよ。ずっと、いたよ。ただ──アヴァロンの反動で、声が届かなかった。ごめんね』
「……うん」
シンジは笑った。だがその笑みは──以前の完璧な笑顔でも、ヒビの入った笑顔でもなかった。もっと──奥底のない笑顔だった。
「マーリンさん。僕、レイさんを救うよ」
『──シンジくん』
「僕がヒーローにならなきゃ。レイさんを救うヒーローに戻らなきゃ──僕の存在価値がないから」
『──待って。シンジくん、それは──』
「マーリンさんは僕をヒーローにしてくれたよね? 僕を愛してくれたよね? なら──僕がヒーローでいられるように、もう一度、力を貸して」
『──』
マーリンは、言葉を失った。
(──君は「ヒーローだから愛される」と信じている。でも、今の君は──「愛されるためにヒーローになる」と言っている。逆だ。因果が逆だ。君は──)
(──ペルソナが壊れかけている。ヒビが入ったまま無理に動けば──砕ける)
(──でも──)
マーリンは、シンジの瞳を見た。
暗い。奥底まで暗い。だがその闇の中心に──極小の炎が燃えている。レイを救いたい。救わなければ自分の価値がない。その狂気と純粋さが混ざり合った──美しくも恐ろしい炎。
(──止められない)
マーリンは知った。今のシンジは止められない。どんな言葉も、どんな優しさも、どんな麻酔も──この炎を止めることはできない。
(──なら、せめて──壊れないように支えるしかない)
(──それが、僕の罪だ)
『──わかった。僕が支える。君がレイくんを救うまで、僕の全てを使って君を支える。──ただ、約束して』
「何を?」
『──君自身を、捨てないで』
シンジは──笑った。
「僕を捨てないでって? マーリンさん、僕は──」
答えを言いかけた。だが──その時、使徒がネルフ本部の壁を突破した。
爆音。振動。天井が崩れ、発令所のガラスが割れ、警報が鳴り響く。
「──使徒、本部侵入!」
「発令所、被害甚大!」
「──初号機、出撃!」
シンジの指が操縦桿を握った。その瞬間──マーリンの魔力と初号機のコアが、異常同期した。
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光が、弾けた。
初号機から、虹色の光が噴き出した。
A.T.フィールドではない。もっと根源的な──もっと危険な何か。初号機のコアが共鳴し、マーリンの魔力がそれに重なり合い、制約が──剥がれていく。
「──初号機の制約、解除!」
「リミッター、カットされています! これ──何が起きてるの!?」
「シンクロ率──計測不能! 計器が追いつきません!」
発令所が騒然となる。だがシンジには聞こえていなかった。
ただ──見えていた。
使徒の体内に、レイがいる。小さく、白く、儚い光が、使徒の核心に囚われている。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ──
『──シンジくん。僕の魔力を、全部使っていい。君の目が、君の手が、君の足が届くまで──僕が支える』
マーリンの声が、全身に浸透していく。だが今夜の魔術は──これまでのような「麻酔」ではなかった。痛みを消すのではない。恐怖を消すのではない。
──限界を超えるための、推進力。
マーリンの「世界を救え」という呪いが、初号機の制約を解除する。EVAの限界を、人間の限界を、物理法則の限界を──無理やりにこじ開ける。
「──僕が、レイさんを救う」
初号機が立ち上がった。
だがそれは初号機ではなかった。
光が溢れている。虹色の光が初号機の全身から噴き出し、装甲が溶け、フレームが変質し、巨人の形が──「何か別のもの」へと変わっていく。
目が光っている。だがそれは獣の目ではない。神の目でもない。ただの──少年の執念が作り出した、歪んだ光。
「──人の粋を越えている…」
リツコの声が震えていた。
「初号機が──変質している。これは──」
「まさか」冬月が呟く。「 あれは──」
「止めて!」ミサトが叫ぶ。「シンジくんを止めて! このままでは──」
ゲンドウが呟いた。「あれは、もう──」
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初号機が──いや、変質した巨人が、動いた。
使徒の前に立つ。白い巨体を見上げる。使徒の無数の目が初号機を凝視している。圧倒的な質量。圧倒的な能力。だが──シンジには関係なかった。
「──返して」
声がプラグ内に響く。平坦で、静かで、感情がないようでいて──奥底に狂気が渦巻いている声。
「──レイさんを、返して」
使徒の腕が振られる。光の衝撃波が初号機を直撃する。だが──弾かない。初号機の周囲に展開した虹色の光が、衝撃を吸収する。マーリンの魔力が、物理法則を無視して初号機を守っている。
「──返して!」
初号機の手が使徒の胴体を掴む。使徒の質量が初号機を押し潰そうとするが──動かない。マーリンの魔力が、限界を超えた筋力を初号機に与えている。骨が砕け、腱が切れ、関節が外れる。だが魔術の枠がそれを繋ぎ止める。以前の第8使徒戦と同じ。だが今夜は──桁が違う。
『──シンジくん。君の背中は僕が支える。でも──』
マーリンの声が、震えていた。
『──僕の魔力には限界がある。この状態を維持できるのは──あと数分だ』
「数分でいい」
シンジの声は変わらなかった。
「レイさんを救えれば、それでいい」
初号機の手が使徒の胴体を──引き裂いた。
物理的に。質量を無視して。使徒の身体が左右に割かれ、内部の構造が露わになる。その中心に──赤いコアが見える。コアの中に、小さな白い光が──レイが──囚われている。
「──見つけた」
シンジの目が、光った。
だがそれはヒーローの目ではなかった。ペルソナの目でもなかった。ただの──壊れかけた少年の、狂気の目。
「──僕はどうなったっていい」
その言葉が、プラグ内に響いた。
「──僕が君を救うんだ」
初号機の手がコアに伸びる。使徒が抵抗する。無数の目が光を放ち、衝撃波が初号機を叩く。だが──止まらない。マーリンの魔力が全てを押し退け、初号機の手をコアの中へと導く。
指が──コアの中の、レイに触れた。
温かい。小さくて、儚くて、温かい。レイの手。あの病院で卵焼きを受け取った手。あの零号機の中で盾を構えた手。あの「ありがとう」と言った唇。
「──綾波さん」
シンジは泣いていた。
「──助けに来たよ」
コアが割れた。
レイの身体が使徒の中から引き抜かれる。小さくて白くて──生きている。生きている。レイは生きている。
「──よかった」
シンジは笑った。泣き笑いのような、壊れたような、それでもどこか──美しい笑顔。
「──よかった。君が無事で、よかった」
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だが──その瞬間。
初号機から溢れた虹色の光が──空に届いた。
空が、割れた。
文字通り。大気圏の上空に亀裂が走り、空の向こう側に──別の何かが見え始めた。光。巨大な光。天使の輪のような、幾何学的な光の輪が、空に浮かび上がる。
「──まさか、これは」
リツコが息を呑む。
「──サードインパクトの、兆候」
「サードインパクト!?」ミサトが叫ぶ。
「初号機が、臨界点を超えた。このままでは──世界が」
発令所が凍りつく。シンジがレイを救った。だがその代償として──世界が崩壊し始めている。
一見エモーショナルな救出劇。少女を救うために巨人が神に等しい力を振るう。だがその実態は──ペルソナの暴走による、世界の崩壊の引き金だった。
「──シンジくん!」
ミサトの声が届く。だがシンジには聞こえていなかった。レイを抱きしめた腕の中で、ただ泣いていた。レイが無事ならいい。世界がどうなってもいい。僕はレイを救った。僕はヒーローだ。僕は──ヒーローだ──
『──シンジくん』
マーリンの声が、遠くから響いた。弱く、途切れ途切れの声。
『──ごめんね。君を止められなかった。君の「ペルソナ」が──世界を壊してしまいそうだ』
「──マーリンさん?」
『──僕の魔力は、もう残っていない。アヴァロンの反動と、今の変質の維持で──使い果たした』
「──え?」
『──あと少しだけ。君に伝えなきゃいけないことがある』
マーリンの幻影が、プラグ内に現れた。だがそれは──これまでになく薄い。蜃気楼よりも儚い。輪郭が溶け、手が透け、声が風に溶けていく。
『──君はね、シンジくん。ヒーローだから愛されたんじゃない』
「──え?」
『──君が、君だったから愛されたんだ。優しくて、料理が上手くて、真っ直ぐで──君自身が、愛される存在だったんだよ』
「──でも、マーリンさんは言ったよね。ヒーローになれば、世界中の人が僕を好きになるって──」
『──それは、僕の嘘だ。僕の呪いだ。君に重荷を背負わせるための──』
声が途切れた。幻影が揺らぐ。マーリンの魔力が、限界を超えていた。
『──ごめんね。き──』
花びらが舞った。最後の花びらが、LCLの中に溶けていく。
マーリンの幻影が──消えた。
「──マーリンさん?」
シンジは手を伸ばした。空を切る。誰もいない。温かい手は届かない。
「──マーリンさん!」
叫びがプラグ内に響く。だが答えはない。
その間にも、空の亀裂は広がり、光の輪は巨大化し、世界は──崩れ始めていた。
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──世界が白くなる。
シンジがレイを救った。ヒーローとして。ペルソナの暴走として。
その代償は、世界だった。
初号機の擬似シン化が臨界点を超え、サードインパクトが始まった。空が割れ、海が変わり、大地が震える。全ては──十四歳の少年が「僕が君を救うんだ」と叫んだことの代償。
だがシンジは気づいていなかった。レイを抱きしめた腕の中で、泣きながら、笑いながら、壊れながら──ただ「よかった」と繰り返していた。
──よかった。
──僕はヒーローだ。
──僕は、ヒーロー──
──嘘だ。
──全部嘘だ。
──でも、嘘でも──
──嘘でもいいから──
──僕をヒーローだって言って。
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誰も答えない。
マーリンは消えた。ゲンドウは沈黙した。ミサトは叫んでいるが声が届かない。アスカは──重傷で動けない。レイは──シンジの腕の中で、意識がない。
少年は一人だ。
世界を救ったヒーローが、世界を壊している。
その事実にすら気づかず、ただ泣きながら笑っている。
──誰も気づかない。
その笑顔が、もう──笑顔ではないことを。
その笑顔が、世界を壊す呪いであることを。
その笑顔の裏で──魔術師が消えかけ、何もかもが──終わろうとしていることを。
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◆◆◆
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空が、白くなる。
世界が、終わる。
少年は、腕の中の少女を抱きしめて、笑っている。
──ヒーローのように。
自分の意思を突き通す美少年っていいですよね!