偽マーリン「シンジくん!ヒーローになるんだ!」シンジ「はい!マーリンさん!」 作:Tommy's Workers
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シンジは、床に座っていた。
ネルフの居住区。薄暗い部屋。壁一面に並んだパイプの隙間から、蒸気の漏れる音がする。遠くで非常灯が点滅し、オレンジ色の光が一定の間隔で廊下を舐めていく。
シンジの目は開いていた。だが何も映していなかった。
(──レイさんは消えた)
(──母さんのクローンだった)
(──僕が救ったのは何だったのか)
(──僕が世界を壊したのは何のためだったのか)
(──マーリンさんはいない)
(──ミサトさんは僕を殺そうとした)
(──アスカちゃんは僕を拒絶した)
(──お父さんは僕を利用している)
(──僕は──)
(──僕は、何のために──)
思考が循環する。出口のない迷路。五歳の迷路。十四歳の迷路。十四年後の迷路。何度回っても同じ壁にぶつかり、同じ行き止まりに突き当たる。
(──ヒーローなら全部救えたはずだ)
(──でも僕はヒーローじゃなかった)
(──でもヒーローじゃなきゃ捨てられる)
(──でもヒーローになれない)
(──でも──)
「──シンジくん」
カヲルの声がした。
シンジは顔を上げなかった。カヲルが部屋に入ってきた気配はあった。足音が近づき、目の前で止まった。そして──何も言わずに、隣に座った。
沈黙。
遠くで非常灯が点滅している。一定の間隔で。規則的に。機械的に。世界の心臓のように。
「──13号機に乗る命令が下った」
カヲルが言った。静かに。だが──その声には、以前のような柔らかさがなかった。何かを決意した人の、硬い声だった。
「──僕と君とアヤナミレイで、セントラルドグマに向かう。そこに刺さっている2本の槍を抜く」
「──槍」
シンジの唇が動いた。乾いた唇。何日も水しか飲んでいない。
「──槍を抜いたら、どうなるの」
「──世界を作り替えられる。やり直せる。あの夜を。サードインパクトを。全部」
シンジの目が──微かに動いた。
(──やり直せる)
(──あの夜を。世界が壊れたあの夜を。やり直せる)
(──僕がヒーローに戻れる)
その考えが、暗闇の中に小さな炎を灯した。
(──やり直せば、本物のレイさんも戻る。アスカちゃんも。ミサトさんも。お父さんも。マーリンさんも──全部、元通りに)
(──僕は、またヒーローになれる)
(──ヒーローになれば──愛される)
マーリンの呪いが、まだ残っていた。薄くなっている。カヲルが言った通り、残滓は薄れている。だが──完全には消えていない。五歳の公園で刻まれた呪いは、十四年経っても、十四年の空白を経ても──まだ、根を張っている。
「──やる」
シンジは言った。
「──やるよ、カヲルくん。槍を抜く」
カヲルは──一瞬だけ、表情が曇った。だがすぐに消え、静かな微笑みに戻った。
「──わかった。でも、その前に──」
カヲルは立ち上がり、部屋の隅に置かれていたものを手に取った。黒い金属の首輪。DSSチョーカー。シンジの首にかけられている、エヴァに乗ったら爆発する仕組みの首輪。
「──これは、外すね」
カヲルはシンジの首に手を伸ばし、チョーカーのロックを解除した。カチリ、と乾いた音がして、黒い金属がシンジの首から外れた。
「──外れたの?」
シンジは自分の首に手を触れた。金属の冷たさが消えている。
「──でも、僕がエヴァに乗ったら──」
「大丈夫だよ。僕が止める」
カヲルは外したチョーカーを──自分の首にかけた。
シンジは目を見開いた。
「──カヲルくん!? 何して──」
「──君が怖いだろう? 僕を信じられないだろう?」
カヲルの声は静かだった。赤い瞳が、シンジの瞳を真っ直ぐに見ている。
「──君に、「信じて」と言うのは残酷だ。だから──僕が、君の命を預かる。君が信じられないなら、僕が君に信じてもらえるように──僕の命を賭ける」
「──カヲルくん、でも──」
「──大丈夫。でも──もし君が間違った方向へ行ったら、このチョーカーが起動して──僕が止まる。君が世界を壊さないように、僕が、最後の止まる場所になる」
シンジは──泣いた。
「──なんで」
「え?」
「──なんで、そこまでしてくれるの? 僕なんかのために。僕は──僕は、世界を壊して、レイさんを救えなくて、みんなに嫌われて──何の価値もないのに」
「──君に価値はないなんて、誰が決めたの?」
カヲルはシンジの隣に座り直した。肩が触れる距離。
「──マーリンかい? 彼は『ヒーローになれば愛される』と言った。でもそれは、『ヒーローでなければ愛されない』という裏返しだ。君はその呪いを9年間背負ってきた。でも──」
「──でも、僕は──」
「──君は君だよ、シンジくん。ヒーローでもなくて、パイロットでもなくて、誰かの息子でもなくて。ただの──碇シンジという人間。僕はその人間を、愛している」
シンジの手が震えた。
「──愛してるって──僕を?」
「うん」
「──ヒーローじゃない僕を?」
「ヒーローじゃない君を。痛くて、怖くて、弱くて、でも優しい──ただの君を」
シンジは──カヲルの胸に顔を押し付けた。マーリンの胸に顔を押し付けた夜のように。だが──マーリンの時とは違った。マーリンの胸は甘くて温かくて、痛みを消してくれる場所だった。カヲルの胸は──痛みを消さない。ただ「そこにある」だけだ。でも──それが、逆に──
(──温かい)
(──痛みを消してくれないのに、温かい)
(──マーリンさんとは違う温かさ)
(──これが──「認める」ってことなのかな)
「──カヲルくん」
「ん?」
「──僕、槍を抜く。世界をやり直す。そしたら──僕、ヒーローに戻れるかな」
カヲルは──一瞬だけ、表情が揺れた。
(──まだ、「ヒーローに戻りたい」と言う)
(──マーリンの呪いは、まだ──完全には抜けていない)
だがカヲルは、その揺れを隠した。
「──世界をやり直せば、君は君になれるよ。ヒーローじゃなくて──ただの君に」
「──ただの、僕」
「うん。それでいいんだよ」
シンジは顔を上げた。涙で濡れた目が、カヲルを見た。
「──うん。やろう、カヲルくん」
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◆◆◆
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第13号機。
黒い巨人だった。初号機とは異なる、より鋭利な、より人工的なシルエット。だがその姿には、初号機と同じ──いや、それ以上の「何か」が宿っていた。危険な何か。
ダブルエントリーシステム。二人のパイロットが同時に乗り込むシステム。シンジとカヲルが、並んでプラグに収まった。
LCLが満ちる。神経接続が始まる。シンジの意識が13号機にリンクしていく。
(──乗った。エヴァに乗った)
(──チョーカーは──起動しない。カヲルくんがつけてるから)
「──シンクロ率、安定。ダブルエントリーシステム、正常稼働」
オペレーターの声が響く。
「──出撃するよ、シンジくん」
カヲルの声が、隣から届く。静かで、力強い声。
「──うん」
13号機が進む、アヤナミレイと共に。
セントラルドグマへ。地下深く。さらに深く。螺旋階段を降りるように、世界の底へと沈んでいく。
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セントラルドグマ。
巨大な空間が広がっていた。天井が見えない。壁が見えない。ただ──白い液体の海が広がり、その中央に、十字架に磔にされた巨人がいる。リリス。人類の始祖。その胸に、2本の槍が刺さっていた。
「──あれが」
「うん。ロンギヌスの槍と、カシウスの槍。その2本を抜けば──世界を作り替えられる」
カヲルが言った。だが──その声には、微かな違和感があった。
13号機がリリスの前に立つ。2本の槍が見える。一本は白く、一本は赤い。白いのがカシウス、赤いのがロンギヌス──のはずだった。
だが──
「──カヲルくん」
シンジが言った。
「──何か、変だよ。あの槍──」
「──見えてる」
カヲルの声が、鋭くなった。
「──両方とも、ロンギヌスだ」
「──え?」
「──カシウスの槍がない。両方ともロンギヌスの槍になっている。これは──おかしい」
カヲルの瞳が、揺れた。赤い瞳の中で、何かが──警告信号のように明滅している。
「──シンジくん、撤退しよう。これは罠かもしれない」
「──罠?」
「うん。槍の形が変わっているということは、誰かが意図的に変えたということだ。ゼーレか、あるいは──」
「──お父さん?」
「──かもしれない。とにかく、今は引こう。状況が確認できるまで──」
「──待って」
シンジの声が、カヲルの声を遮った。
「──待って、カヲルくん。引くって──どういうこと?」
「──危ない。槍を抜けば、何が起きるかわからない。撤退して──」
「──撤退したら、どうなるの? 世界はやり直せないの? 僕は──ヒーローに戻れないの?」
カヲルの表情が──歪んだ。
「──シンジくん。今は「ヒーロー」のことを──」
「──ヒーローに戻らなきゃ、僕の存在価値がない!」
シンジの声が叫びに変わった。プラグ内に反響する。LCLが振動する。
「──僕は14年間眠ってた! 起きたら世界はめちゃくちゃで、みんな僕を嫌ってて、レイさんは消えてて、マーリンさんはいなくて──何もかもなくなってる! 僕に残ってるのは──僕がヒーローだったって記憶だけなのに──」
「──シンジくん──」
「──槍を抜けばやり直せるんでしょう!? なら抜くよ! ロンギヌスでもカシウスでも──抜けばいいんでしょう!?」
「──ダメだ! シンジくん、待って!」
カヲルが叫んだ。これまで聞いたことのない、必死な声。
「──槍の形が違うということは、世界の理が変わっているということだ。今抜けば──制御できない。フォースインパクトが──」
「──インパクト?」
シンジの手が止まった。一瞬だけ。一瞬だけ──恐怖が、麻痺していない恐怖が、胸の奥を掠めた。
だが──すぐに消えた。
(──インパクト? また世界が壊れる? でも──)
(──やっぱり、やるしかない。やらなきゃ僕は何のために生きてるのかわからない。ヒーローに戻らなきゃ──存在価値がない──捨てられる──)
マーリンの呪いが、最後の力を振り絞った。
「ヒーローになれば愛される」。五歳の公園で刻まれた呪い。十四年経っても消えない呪い。マーリンが消えても、魔術が薄れても──シンジの魂に根を張り続けている呪い。
「──やる」
シンジの手が、操縦桿を握った。
「──僕が、槍を抜く」
「──シンジくん!」
13号機の手が、リリスの胸の槍に伸びた。
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◆◆◆
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その時。
頭上から、何かが降ってきた。
赤い装甲。弐号機。改2号機だ。
「──させるかぁぁっ!」
アスカの叫びが通信から炸裂した。改2号機が13号機に体当たりする。その勢いのまま、改2号機がMark9を吹き飛ばす。衝撃がプラグ内を振動させ、シンジの身体が揺さぶられる。
「──アスカちゃん!?」
「バカシンジ! あんた何やってんのよ! 槍を抜いたら世界が終わるってわかってないの!?」
アスカの声が、鋭く、必死に響く。だがシンジには──その声が、以前の「拒絶」と同じに聞こえた。
(──また、止められる。また、僕の邪魔をする。僕がヒーローに戻るのを──)
「──邪魔しないで!」
シンジの声が、叫んだ。自分の声とは思えないほど──狂気が混じった声。
「──僕はやる! 世界をやり直す! 僕はヒーローに戻らなきゃ──」
「──ヒーロー? あんたまだそんなこと言ってんの?」
アスカの声が、怒りと──哀れみを含んでいた。
「──いい加減目覚ませよ、バカシンジ。あんたはヒーローなんかじゃない。ただの──」
言葉が途切れた。アスカは言いかけた。「ただの子供だ」と言おうとしたのだろう。だが──言わなかった。そんなこと言えなかった。代わりに、改2号機の腕が13号機の腕を掴み、槍から引き離そうとした。
「──離して!」
13号機の腕が、改2号機を弾き飛ばした。マーリンの魔力の残滓が──いや、残滓すらない。シンジの純粋な執念が、13号機を動かしていた。
「──シンジくん、お願いだ! やめて!」
カヲルの声が、隣から届く。悲痛な声。
「──槍は両方ともロンギヌスだ。これは罠だ。ゼーレと──君のお父さんの罠だ。抜けば──」
「──わかってる!」
シンジは叫んだ。
「──わかってるよ、カヲルくん! 罠かもしれない! でも──やるしかないんだ! 僕には──これしか残ってないんだ!」
13号機の手が──槍に触れた。
「──僕は、ヒーローだ」
呪いのように、繰り返す。
「──僕は、ヒーローだ」
「──ヒーローは、世界を救う」
「──だから──」
両手で、2本の槍を掴んだ。
「──抜く」
──引き抜いた。
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◆◆◆
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世界が、割れた。
──二度目だった。
空が裂け、大地が震え、赤い海が沸騰する。リリスの身体が光り出し、13号機が虹色の光に包まれる。
「──フォースインパクト、始動!」
どこかで──誰かの声が響く。オペレーターの叫び。発令所の警報。世界の終わりのファンファーレ。
「──やっぱり」
カヲルの声が、震えていた。
「──やっぱり罠だった。2本のロンギヌスの槍を抜くことで、第12使徒が解放される。それが──フォースインパクトのトリガー」
13号機の周囲に、黒い光が渦巻き始めた。使徒のエネルギーが解放され、世界の理が歪んでいく。空がさらに裂け、雲が渦を巻き、地平線の向こう側が白く染まっていく。
「──カヲルくん」
シンジの声が、小さかった。
「──カヲルくん、何か変なの。世界が──」
「──シンジくん。聞いて」
カヲルの声が、逆に──静かになった。悲痛な静けさ。決意を含んだ静けさ。
「──僕が止める。13号機に、2本の槍を刺す。そうすれば──フォースインパクトを止められる」
「──止める? でも──」
「──シンジくん。君は君でいいんだよ。ヒーローじゃなくて。ただの君でいい」
「──カヲルくん?」
カヲルは──笑った。
静かで、悲しくて、それでいて──どこか安堵したような笑み。
「──君に出会えてよかった、シンジくん。君は辛かったね。怖かったね。痛かったね。でも──もう、大丈夫だ」
13号機の手が、2本のロンギヌスの槍を掴み直した。そして──自分自身の胸に、突き立てた。
「──カヲルくん!?」
「──これで、フォースインパクトは止まる。君が──これ以上壊れなくて済む」
2本の槍が13号機のコアに突き刺さる。光が弾け、衝撃波がプラグ内を満たす。シンジの身体が揺さぶられ、視界が白く染まる。
そして──
カチリ。
乾いた音が、プラグ内に響いた。
DSSチョーカー。カヲルの首につけられた、黒い首輪。それが──起動した。
「──カヲルくん」
シンジは見た。隣に座っていた少年の首に、赤い光が集まっていくのを。チョーカーの中心に埋め込まれた起爆装置が、フォースインパクトのトリガーとして認識され──作動したのを。
「──カヲルくん! ダメ! ダメだよ!」
シンジは手を伸ばした。カヲルの首のチョーカーに手をかけ、引き剥がそうとした。だが──
「──大丈夫だよ、シンジくん」
カヲルは笑んでいた。
静かに、穏やかに、悲しく。
「──君には、もう──魔術はいらない」
──爆光。
プラグ内が、白く染まった。
シンジの視界が、白一色に塗りつぶされる。耳が聞こえなくなる。身体が吹き飛ぶような衝撃。そして──
白が消えた時。
隣に、誰もいなかった。
カヲルの席は、空だった。
LCLが、赤く濁っていた。
シンジは──その空席を見ていた。何も考えられなかった。何も感じられなかった。ただ──空席を見ていた。
「──カヲルくん」
声が漏れた。
「──カヲルくん」
返事はない。
「──カヲルくん」
返事はない。
「──カヲルくん!」
叫びがプラグ内に反響し、LCLの振動となって消えていった。
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◆◆◆
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だが──止まらなかった。
カヲルが13号機に槍を刺し、チョーカーが起動し、カヲルが死んだ。だが──フォースインパクトは止まらなかった。
空の裂け目が広がり続け、黒い光が渦巻き続け、世界の理が歪み続けている。
「──何で!?」
発令所──いや、WILLEのブリッジで、ミサトが叫んでいた。
「──カヲルくんが13号機に槍を刺したはずなのに! なんで──」
「──ガフの扉が閉じない!」オペレーターの叫び。
「──トリガーを除去しても、ガフの扉が閉じないということは──」
リツコがモニターを睨みながら言った。
「──別の要因が、インパクトを維持している」
「──別の要因?」
「──シンジくん……」
リツコの声が、冷たかった。
「──残りのパイロットよ。碇シンジくんが、まだ13号機の中にいる。彼が──ガフの扉を開き続けている」
ミサトの顔が、歪んだ。
「──シンジくんが?」
「──彼の執念、あるいは──魂のあり方が、13号機と共鳴してインパクトを維持している。彼を13号機から引き離さない限り──止まらない」
ミサトは──一瞬だけ、目を閉じた。
冷徹な指揮官の顔。軍人の顔。かつて「あなたはもう何もしないで」と言った女の顔。だがその奥で──かつてシンジの作った味噌汁を飲んで、「美味しい」と言った女の顔が──微かに震えていた。
「──アスカ」
ミサトは通信を開いた。
「──シンジくんのエントリープラグを、引き抜いて」
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◆◆◆
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改2号機が、13号機に向かって突進した。
アスカの目は──潤んでいた。いや、潤んでなどいない。汗だ。LCLの飛沫だ。涙なんかじゃない。アスカ・ラングレーは、涙なんか流さない。
「──バカシンジ」
アスカは呟いた。
「──あんた、本当に──何にもわかってないのね」
改2号機の手が13号機の背中に伸び、エントリープラグを掴んだ。金属が軋み、ロックが外れ、プラグが引き抜かれていく。
シンジは──その瞬間、何かを見た。
白い空間。
何もない空間。壁も床も天井もない。ただ白い──白い──白い。
その中に、カヲルがいた。
微笑んでいた。静かに、穏やかに、悲しく。
『──君にはもう、魔術はいらないよ、シンジくん』
『──痛くても、怖くても、自分で歩けるから』
『──さよなら、シンジくん。愛しているよ』
カヲルの姿が、白く溶けていく。
光の中に。
世界の中に。
──消えた。
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プラグが引き抜かれた。
13号機からシンジのエントリープラグが物理的に分離され、ガフの扉との共鳴が断絶する。
空の裂け目が──ゆっくりと、閉じ始めた。
フォースインパクトが──止まった。
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◆◆◆
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世界は、めちゃくちゃになっていた。
フォースインパクトは阻止された。だが、その代償は──大きかった。空はさらに赤くなり、大地はさらに歪み、かつて第3新東京市だった場所は、完全に異質な地形へと変貌していた。
砂漠。赤い砂の海。崩れた建造物の残骸が、歯のように突き出している。
その中を、三つの影が歩いていた。
アスカ。アヤナミレイ。そして──
シンジ。
シンジは、歩いていた。だが──目が死んでいた。
瞳は開いている。足は動いている。呼吸もしている。だが──そこに「意志」はなかった。ただの肉体が、アスカに引かれるようにして歩いている。
「──バカシンジ。しっかり歩きなさいよ」
アスカの声が届かない。シンジの耳には、音が入ってこない。言葉が意味を成さない。
(──カヲルくんが死んだ)
(──僕の手で。僕が槍を抜いたから。僕がヒーローに戻りたかったから)
(──カヲルくんは僕を止めようとして、死んだ)
(──レイさんも消えた。ミサトさんも僕を殺そうとした。マーリンさんも消えた。カヲルくんも──)
(──僕が、全部壊した)
(──ヒーローになりたくて、愛されたくて、捨てられたくなくて──全部壊した)
(──僕は、ヒーローじゃなかった)
(──僕は──)
(──僕は、何?)
答えはなかった。
マーリンの声は来ない。カヲルの声も来ない。花の香りも、温かい手も、膝枕も──何も来ない。
ただ赤い砂の上を、歩いている。
足が動くから。アスカに引かれているから。それ以外の理由はない。
「──碇くん」
アヤナミレイが声をかけた。レイの声。だがレイの温度はない。
シンジは──反応しなかった。
アヤナミレイは、シンジの顔を覗き込んだ。空ろな目。何も映していない瞳。かつて「代わりなんてないよ。君は君だもの」
笑ってくれた少年の顔が──今は人形のように無機質だった。
「──碇くん」
レイはもう一度呼んだ。
だが──答えはなかった。
三つの影が赤い砂漠を歩いていく。
世界はめちゃくちゃだ。シンジもめちゃくちゃだ。何もかもが──めちゃくちゃだ。
だが──歩いている。
足が動く限り。
世界が続く限り。
美少年同士の友情っていいですよね!