偽マーリン「シンジくん!ヒーローになるんだ!」シンジ「はい!マーリンさん!」 作:Tommy's Workers
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第3村を後にした二人は、赤い荒野を歩いた。
マーリンは仕込み杖を杖代わりに、シンジの隣を歩いていた。幻影ではない。実体のある足が、赤い砂を踏む。白銀の髪が風に揺れ、白い肌に砂がつく。かつてのように「見えない存在」ではない。ただの──やつれた大人が、少年の隣を歩いていた。
シンジは黙っていた。だが、以前の「沈黙」ではなかった。以前の沈黙は、何も感じないがゆえの沈黙だった。今の沈黙は──感じている。感じているからこそ、言葉にならない。そういう沈黙だった。
「──マーリンさん」
「ん?」
「──ヴィレまで、どれくらいかかるかな」
「そうだね。徒歩なら──二日ってところかな」
「──遠いね」
「──うん。でも、君が歩けるなら遠くないよ」
シンジは──小さく笑った。
「──僕、歩けるよ。自分の足で」
「──うん」
マーリンは歩調を合わせた。シンジの歩幅は狭い。十四歳のままの身体は、十四年間眠っていた分筋肉が落ちている。ふらつくこともあった。だが──手を貸さなかった。支えなかった。魔術もかけなかった。
ただ──隣を歩いた。
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二日後。ヴィレの拠点が見えた。
赤い荒野の果てに、巨大な飛行戦艦が横たわっている。ヴンダー。WILLEの旗艦。その周囲に、小さな集落のようなものが広がっている。テント。プレハブ。畑。洗濯物。第三村と同じ、人間の営みの最後の砦。
シンジは立ち止まった。
「──緊張してる?」
「──うん。ちょっと」
「──大丈夫。君は、もう──」
マーリンは言葉を探した。
「──君は、君だから」
シンジは──笑った。小さく。不器用に。そして──歩き出した。
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◆◆◆
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ヴィレのゲート。
武装した兵士たちが立っていた。シンジの姿を見て、ざわめきが起きる。かつてサードインパクトを引き起こした少年。世界を二度も壊しかけた少年。危険物。DSSチョーカーの対象者。そんな囁きが、風に乗って届く。
シンジは──俯かなかった。前を向いていた。怖かった。足が震えていた。でも──歩いた。
「──碇シンジ」
門番の兵士が声を上げた。銃を構える。
「──DSSチョーカーはどうした。外しているのか」
「──外しました」
「──誰が許可した」
「──僕が」
シンジは言った。震える声で。でも──自分の言葉で。
「──僕が、外しました。」
兵士がざわめく。だが──そのざわめきの中に、別の声が割り込んだ。
「──通しなさい」
振り返ると、そこにアスカが立っていた。
赤いジャケット。眼帯。腕を組み、不機嫌そうな顔。だが──その目は、シンジをまっすぐに見ていた。以前のような「拒絶」の目ではなかった。何か──探るような、確かめるような目。
「──アスカちゃん」
「アスカでいいって言ったでしょ」
アスカは歩み寄った。シンジの前に立ち、上から下まで見た。
「──ずいぶん、歩けるようになったじゃない」
「──うん。マーリンさんが──」
「──マーリン?」
アスカの目が、シンジの隣に向いた。マーリンが立っていた。実体のある、白銀の髪の男。アスカは──初めてそれを見た。かつては幻影でしか見えなかった存在。それが今、実体としてシンジの隣に立っている。
「──あんたが、マーリン?」
「──そうだよ。アスカくん。初めまして」
「──初めましてじゃないわよ。あんた、シンジの中にいたやつでしょ。あたしには見えなかったけど──感じてた。ずっと」
アスカの目が鋭くなった。
「──あんたが、シンジを──」
「──そうだよ。僕が、シンジくんを壊した」
マーリンは言った。誤魔化さず、隠さず、ただ──事実を。
「──僕が彼に『ヒーロー』の呪いをかけた。彼を利用した。彼の痛みを麻痺させた。──それが、彼を壊した」
アスカは──黙った。
(──こいつ、認めるんだ)
(──自分の罪を、誤魔化さずに)
アスカはシンジを見た。シンジは──マーリンの隣に立っていた。震えていた。でも──逃げなかった。
「──アスカちゃん。マーリンさんのせいだけじゃないんだ。僕が──僕が弱かったから」
「──弱い?」
アスカは鼻で笑った。
「──あんた、弱いなんて言うけどね。あんたは──」
言葉が途切れた。アスカは視線を逸らした。何か言いかけて、飲み込んだ。
「──まあいいわ。ミサトが待ってる。ついてきなさい」
踵を返して歩き出す。シンジはマーリンと顔を見合わせ、その後を追った。
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◆◆◆
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ヴンダー。艦内。会議室。
ミサトが座っていた。短い髪。軍服。隻眼。冷徹な指揮官の顔。だが──シンジが入ってきた時、その指が微かに震えたのをアスカは見逃さなかった。
「──来たわね」
「──ミサトさん」
沈黙。
シンジとミサトの間に十四年の空白がある。いや、十四年だけではない。サードインパクト。フォースインパクト。DSSチョーカー。「あなたはもう何もしないで」。冷たい言葉。拒絶。そういうものが、二人の間に積み重なっている。
「──DSSチョーカーを外したそうね」
「──はい」
「──誰の許可で」
「──僕の意志で」
ミサトは──微かに目を細めた。
「──あなたは、危険物よ。エヴァに乗れば世界を壊す。サードインパクトもフォースインパクトも──あなたが引き起こした」
「──はい」
「──わかっているなら、なぜ戻ってきたの」
シンジは──答えた。
「──初号機が、まだあるから」
ミサトの眉が──微かに動いた。
「──初号機を、どうするつもり」
「──乗ります」
ミサトの目が──鋭くなった。アスカが息を呑んだ。マーリンは──何も言わなかった。ただ、シンジの後ろで静かに立っていた。
「──世界を、もう一度壊すつもり?」
「──いいえ」
シンジは首を振った。
「──終わらせます」
「──終わらせる?」
「──エヴァを。使徒を。この世界の戦いを。──全部」
ミサトは──シンジを見た。十四歳の少年。だが──目が違った。以前の「ヒーロー」の目ではない。空ろでもない。死んでもいない。何か──静かな光が、奥底に灯っている。
「──あなたに、できるの?」
「──わからない」
シンジは正直に言った。
「──でも、僕がやらなきゃいけないことだと思う。僕が始めたことだから。僕が──父さんと、話さなきゃいけないから」
ミサトは──長い沈黙の後、立ち上がった。
「──ゲンドウは、ネルフの最深部にいる。マイナス宇宙への扉が開いている。そこに──初号機と共に、行くのね」
「──はい」
「──一人で?」
「──マーリンさんと」
ミサトの視線が、マーリンに向いた。白銀の魔術師。半夢魔。シンジを壊した存在。だが──今、そこにいる。
「──あなたが、ついていくの?」
「──はい」
「──シンジくんを、また壊すつもり?」
マーリンは──首を振った。
「──もう、魔術は使いません。彼を支えるのではなく──彼と共に歩きます。彼が倒れたら、私も倒れる。彼が歩くなら私も歩く。──それだけです」
ミサトは──何も言えなかった。
(──この男は、変わったのか。それとも──)
だが、シンジの目を見てミサトは悟った。
(──シンジくんが、この男を選んだ。信じた。なら──私が口を出すことじゃない)
「──わかりました。初号機を、あなたに預けます」
ミサトは席を立った。シンジの前を通り過ぎる時、一瞬だけ──足を止めた。
「──シンジくん」
「──はい」
「──生きて、帰ってきなさい」
その声は──冷たい指揮官の声ではなかった。ほんの少しだけ──かつての、ミサトの声だった。
「──はい。行ってきます、ミサトさん」
シンジは笑った。小さく。不器用に。ペルソナではない笑み。
ミサトは──振り返らなかった。だが、その背中が、微かに震えていた。
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◆◆◆
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廊下に出ると、アスカが待っていた。
腕を組み、壁に寄りかかり不機嫌そうな顔。だが──シンジが出てきた時、その目が動いた。
「──決めたの?」
「──うん」
「──死ぬかもしれないわよ」
「──うん」
「──あんた、それでも行くの?」
「──うん」
アスカは──舌打ちした。
「──バカ」
「──うん。バカだと思う」
「──ほんとにバカ。あんた、十四年間寝てただけのくせに。世界のこと何も知らないくせに。みんながどれだけ苦労したかも知らないくせに──」
言葉が途切れた。
アスカは──シンジを見た。十四歳のままの少年。かつて自分の腕を噛んでいた少年。かつて「僕はヒーローだ」と泣きながら呟いていた少年。かつて世界を二度も壊した少年。
(──シンジが憎かった)
(──シンジの「完璧な笑顔」が憎かった)
(──シンジが「ヒーロー」ぶって、自分の痛みを隠して私の痛みを理解しないふりをして──それが憎かった)
(──でも)
(──あの夜、洗面所で泣いてたシンジを──忘れられなかった)
アスカは──壁から離れた。シンジの前に立った。そして──
「──生きて帰ってきなさいよ」
「──うん」
「──もし死んだら、許さないから」
「──うん」
「──あんたが死んだら、私が──」
言葉が途切れた。アスカは──拳を握りしめた。
「──私が、悲しむから」
その一言が、廊下に落ちた。
シンジは──目を見開いた。
(──アスカちゃんが──悲しむ?)
(──僕が死んだら?)
(──アスカちゃんが?)
「──アスカちゃん」
「──何よ」
「──ありがとう」
アスカは──振り返らずに歩き出した。
「──バカ」
背中越しに、そう言った。だがその声は──震えていた。
シンジは──その背中を見送った。そして、隣に立つマーリンを見た。
「──マーリンさん」
「──うん」
「──僕、生きて帰るよ」
「──うん」
「──ミサトさんにも、アスカちゃんにも──生きて帰るって、約束したから」
「──うん」
マーリンは──シンジの肩に手を置いた。魔術ではない。ただの──手。
「──行こう、シンジくん」
「──うん」
二人は歩き出した。初号機のケージへ。ゲンドウの待つ、ネルフの最深部へ。マイナス宇宙への扉へ。
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◆◆◆
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初号機のケージ。
巨大な紫の巨人が、拘束具に固定されて横たわっている。十四年間、眠っていた。サードインパクトの後、フォースインパクトの後ずっと──眠っていた。
シンジは──その前に立った。
(──初号機)
(──僕の──いや、僕だったもの)
(──これを動かせば、また世界を壊すかもしれない)
(──でも、これを終わらせなきゃいけない)
「──乗るの?」
アスカが来ていた。改2号機のパイロットとして、出撃準備を整えている。眼帯の下の目が、シンジを見た。
「──うん」
「──私も行くわ。ヴィレの総力戦よ。ゲンドウを止めるために」
「──アスカちゃんも」
「──当然でしょ。あんた一人に任せられるわけないじゃない」
アスカは──少しだけ笑った。嘲笑ではなく──本当に、少しだけ。
「──あんた、ヘタレだから。一人じゃ何もできないでしょ」
「──うん。そうかも」
「──だから、私が行くのよ」
シンジは──笑った。
「──ありがとう、アスカちゃん」
「──だから、ちゃん付けはやめてって」
アスカは踵を返し、改2号機へ向かった。その背中は、以前より──少しだけ柔らかかった。
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プラグスーツ。
シンジは着替えを終えエントリープラグの前に立った。十四年間眠っていた身体には、少しだけ大きい。だが──着られた。
マーリンが隣に立っていた。
「──マーリンさんは、どうするの?」
「──君の中に入るよ。魂として。エントリープラグに同乗する」
「──魔術は?」
「──使わない。ただ──君のそばにいる」
「──痛くても?」
「──痛くても」
「──怖くても?」
「──怖くても」
「──僕が泣いても?」
「──泣いても」
シンジは──笑った。
「──じゃあ、行こう」
エントリープラグに乗り込む。LCLが満ちる。神経接続が始まる。かつては恐怖で震えたその感覚が──今は、静かだった。怖い。痛いかもしれない。でも──自分で選んだことだから。
『──シンジくん』
マーリンの声が、脳内に響く。魔術ではない。ただの声。
『──準備はいい?』
「──うん。マーリンさん」
『何かな』
「──今まで、ありがとう」
『──うん』
「──これからも、よろしく」
『──うん。こちらこそ』
初号機が、起動する。
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発令所。
ミサトがモニターを見ていた。初号機の起動シークエンス。シンクロ率。パイロットの生体反応。全てが正常。異常なほどに正常。
「──シンクロ率、正常。起動確認」
「──初号機、発進準備完了」
ミサトは──マイクを握った。
「──シンジくん」
「──はい、ミサトさん」
「──ゲンドウは、マイナス宇宙の最深部にいる。そこに、初号機と共に行きなさい。──私たちも、援護する」
「──はい」
「──シンジくん」
「──はい」
「──生きて、帰ってきなさい」
「──はい。行ってきます」
初号機が、発進する。
赤い空の下、紫の巨人が、マイナス宇宙への扉へと向かって飛び立った。
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その頃。ネルフ最深部。
ゲンドウは、一人で立っていた。マイナス宇宙への扉の前に。手袋をはめた手が、微かに震えている。
(──シンジが、来る)
(──ユイ。君の息子が──)
扉の向こうに、ユイの面影が見えた気がした。気のせいだ。ユイは初号機の中にいる。ずっと。十四年前から。
(──ユイ。私は、君に会いたい。そのために──全てを捨てた)
(──だが、シンジが来る。私の息子が。私を止めるために)
ゲンドウは、眼鏡を押し上げた。
(──来い、シンジ)
(──お前と、話すことがある)
扉が、開いた。
マイナス宇宙への扉が、完全に開く。