偽マーリン「シンジくん!ヒーローになるんだ!」シンジ「はい!マーリンさん!」 作:Tommy's Workers
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空に、裂け目ができた。
──そう見えた。
衛星軌道上から降ってきたのは、質量の塊だった。岩石と金属が融合したような巨大な球体。直径数百メートル。それが、大気圏を突き破り、第3新東京市へ向かって真っ直ぐに落下してくる。使徒というより隕石だ。自らの質量と運動エネルギーを以って、ネルフ本部を粉砕しに来た。
大気との摩擦で表面が赤熱し、夜空に彗星のような尾を引いている。その光景は美しかった。美しく、そして絶望的だった。
「──落下予測ポイント、ネルフ本部直上! 到達まであと180秒!」
「全機、A.T.フィールド展開! 物理的に受け止めるしかないわ!」
ミサトの声が発令所に響く。三人のパイロットに同時に指示が飛ぶ。
「アスカ、レイ、シンジくん! 三機のA.T.フィールドを重ねて衝撃を分散させるのよ! 一機でも外れたら終わりよ!」
「了解!」
「……はい」
「──はい! やります!」
三機の巨人が並んだ。
弐号機、零号機、初号機。三機のEVAが本部の地上出口を囲むように立ち、空を見上げる。赤い、青い、紫の巨人が、降ってくる死を見上げている。
「──でかい……」
アスカの呟きが通信に漏れた。
肉眼で見えるほどの大きさになっていた。赤熱した球体が空の半分を占め始めている。大気が震え、地鳴りのような轟音が街を包み込んでいる。ビルのガラスが共鳴で割れ始め、車のアラームが一斉に鳴り響く。
(──あれを受け止める? 僕たちが?)
シンジの指が操縦桿を握りしめた。指先が震えている。心拍数が上がる。呼吸が浅くなる。
(──無理だ。あんなの、受け止められるわけがない。僕たちが──)
『──シンジくん』
マーリンの声が脳内に響いた。
『怖いよね。あれは、本当に怖い。でも──僕がついている』
桃色の光が、シンジの神経に溶け込む。恐怖が薄れる。呼吸が整う。指先の震えが止まる。
『君の背中は僕が支える。君の腕は僕が支える。君の足は僕が支える。全部、僕が支えるから──だから、立っていられる』
(──うん。マーリンさんがいるから。僕は、大丈夫だ)
「──A.T.フィールド展開!」
三機の巨人が同時に光の壁を展開した。
六角形のオレンジ色の光が三枚重なり、空を覆う盾となる。
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到達まで30秒。
赤熱した質量が、大気を裂きながら降ってくる。轟音が鼓膜を圧倒し、プラグ内のLCLが振動する。
「全機出力最大! フィールド強度限界まで引き上げて!」
「出力、115%! 限界値超えました!」
「構わない! 耐えて!」
到達10秒。
5秒。
3秒。
──接触。
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世界が、揺れた。
物理的な衝撃が三機のEVAを同時に叩いた。
A.T.フィールドが衝撃を吸収するが、そのエネルギーは桁違いだった。三枚の盾が同時にたわみ、六角形の光がひび割れ始める。フィールドの裏側でEVAの腕が震え、脚が地にめり込み、アンカーが悲鳴を上げる。
「──ぐっ……!」
シンジの体が前のめりに折れた。
衝撃が伝達される。初号機の両腕がA.T.フィールドを押し支える形になっているが、その腕に──使徒の質量がかかっている。数万トンの質量が、二本の腕に懸かっている。
骨が、軋む。
──いや、砕ける。
「──っあ……!」
初号機の両腕の骨が砕けるような錯覚。いや、錯覚ではない。神経接続がシンジの脳に伝達している。腕の骨が粉砕される感覚。腱が切れる感覚。関節が外れる感覚。指が、一本一本、折れていく感覚。
「──いっ、あ、ああ……!」
叫びが漏れる。痛い。痛い。痛い。腕が、砕けている。僕の腕が、壊れていく。目の前で、自分の骨が折れていく感触が、生々しく伝わってくる。
だが──
(──痛くない)
魔術が効いている。
マーリンの麻痺が、激痛を甘い痺れに変換する。骨が砕かれる感触はある。だが、痛みだけが──届かない。
『──耐えるんだ、シンジくん。僕が神経を肩代わりする。あと少しだけ』
マーリンの声が、脳の奥から全身の神経にまで浸透していく。初号機の伝達神経に魔術が割り込み、肉体的・精神的な圧迫感を直接肩代わりし始める。
シンジの呼吸が整う。表情が平坦になる。痛みが消えた恐怖が消えた、ただ「目的」だけが残る。
(──耐える。僕が耐えれば、みんなが助かる。僕はヒーローだから)
「──シンジくん! フィールド維持して!」
ミサトの声が届く。
「はい! 維持しています!」
声は平静だった。腕が砕かれている最中に、声だけは平静だった。
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だが、限界は近かった。
使徒の質量がA.T.フィールドを押し潰そうとする圧力は増す一方だった。三機のフィールドがたわみ、ひびが広がり、光が明滅する。
「フィールド強度低下! 78%……71%……!」
「あと60秒持たせて! その間に本体のコアを露出させるのよ!」
使徒の表面が剥がれ始めた。摩擦熱で溶けた外殻が剥離し、内部の構造が露わになる。中心に──赤いコアが見える。
「コア確認! アスカ、レイ! 今よ!」
「──もらった!」
弐号機が動いた。アスカがフィールドの一角を解除し、使徒の側面に回り込む。パレットガンをコアに向ける。
「零号機も! レイ!」
「……はい」
零号機が反対側から回り込む。スナイパーライフルを構える。
だが──初号機は動けない。
シンジは、使徒の質量を一人で受け止め続けていた。アスカとレイが攻撃に回った分、フィールドの負荷が初号機に集中する。二機分の衝撃が、一本の腕に──いや、砕けかけた両腕にかかっている。
「──くっ……!」
初号機の脚が地にめり込む。膝が折れそうになる。アンカーが引き抜かれ、コンクリートが砕け、地下の構造が露出する。
「シンジくん! あと30秒!」
30秒。
永遠のような30秒。
(──長い。長いよ。腕が、もう感覚がない。壊れてる。僕の腕、もう──)
『──シンジくん』
マーリンの声が、震えていた。
これまでのように平坦でもなく優しくもなく、どこか必死な響きを含んだ声。
『君の背中は僕が支える。耐えるんだ、ヒーロー! あと少しで終わる。僕が全部引き受けるから──』
マーリンの魔力が、限界まで引き上げられた。
初号機の神経回路に直接干渉し、シンジの脳に届く全ての疼痛信号を強制遮断する。同時に、筋力出力の限界を解除し、初号機の腕が物理的に砕けるのを魔術で「繋ぎ止める」。骨が折れ、腱が切れ、関節が外れても、魔力の枠で無理やり形を保つ。
(──痛くない。痛くない。僕はヒーローだから。マーリンさんが支えてくれるから)
シンジの瞳が、変わった。
血走った目が、澄み切った静寂に覆われる。感情が削ぎ落とされ、ただ「目的」だけが残る。ヒーローの仮面の下にある──人間性すら麻痺した、完璧な守護者の目。
「──僕は、ヒーローだ」
声が、プラグ内に響いた。平坦で、静かで、感情のない声。
初号機の両腕が光った。マーリンの魔力が、砕けた骨を繋ぎ止め、折れた関節を固定し、切れた腱を仮初めの枠で結ぶ。本来なら動かないはずの腕が、魔術だけで形を保っている。
「──維持します。撃って、アスカちゃん! レイさん!」
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アスカは、その声を聞いて背筋が冷たくなった。
(──何よ、あの声)
(──あいつ、今、腕が砕けてるんでしょ? なんで、あんなに平気なの)
だが、今は考える時間がない。
「──くらぇっ!」
弐号機のパレットガンが火を噴く。同時に零号機のライフルが閃く。二方向からの同時射撃が、使徒の露出したコアを──貫いた。
赤い光が弾け、使徒の質量が崩壊する。巨大な球体が内側から崩れ、瓦礫の雨となって降り注ぐ。
「──使徒沈黙!」
「コア破壊確認!」
歓声が上がる。だが──
初号機が、崩れ落ちた。
砕けた両腕が、ついに魔力の枠を外れ、だらりと下垂する。膝が折れ、巨体が地面に倒れ込む。土煙が上がり、地響きが響く。
「──シンジくん!」
ミサトが叫ぶ。
「シンジくん! 返事をして!」
沈黙。
数秒の、永遠のような沈黙。
そして──
「──……はい。平気です」
声が届いた。掠れて、震えていて、それでも無理に笑みを含んだ声。
「使徒も、倒せましたし……僕は、大丈夫です」
発令所に安堵が広がる。拍手。歓声。大人たちが互いの肩を叩き合う。
だが、その歓声の中心で──プラグ内のシンジの瞳は、何も映していなかった。
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回収後。メディカルベイ。
「複雑骨折。肋骨の打撲。内臓に圧迫による出血あり。全身の筋肉断裂──」
医療スタッフが淡々と告げる損傷リストを聞きながら、ミサトは唇を噛みしめていた。
「……これだけの怪我で、あの声で『平気です』って言ったの?」
「信じられません。普通なら意識を失っていてもおかしくないレベルです」
リツコがモニターを見つめながら言った。その声には、科学的興味と──忌々しさが混じっている。
「シンクロ率は戦闘中ずっと高止まりしていたわ。痛みを感じていないか、感じていても認識していないか──どちらにせよ、異常よ」
「痛みを……認識していない?」
ミサトがリツコを見た。
「彼は人間よ、ミサト。痛覚がないわけがない。ただ──痛みを『処理』しているだけ。なにかに、」
リツコの言葉に、ミサトは何かを思いかけたが──結びつかなかった。
ベッドの上で、シンジは笑っていた。
「すみません、ご心配おかけして。でも本当に大丈夫です。ちょっと骨が折れちゃっただけで──」
「ちょっと!?」
アスカが声を荒らげた。ベッドサイドに立って、シンジの顔を覗き込む。包帯でぐるぐる巻きにされた両腕。顔色は青白く、目の下に隈が浮かんでいる。それなのに笑っている。
「あんた、骨折れてんのよ? 全身ボロボロなのよ? なんで笑えるのよ!」
「だって──」
シンジは眩しいほどの笑顔を向けた。
「みんな無事だったでしょう? それが一番大事なんだから」
アスカは──何も言えなかった。
(──この子、本当に自分のことどうでもいいの?)
(──両腕が折れて、全身ボロボロで、それでも「みんなが無事ならいい」って──)
(──それ、優しさじゃないわよ。病気よ)
不気味さと、恐怖と、哀れみが混ざった感情が、アスカの胸の中で渦を巻く。
だが、その感情を言葉にする前に、レイがベッドの反対側から口を開いた。
「──碇くん」
「綾波さん。ご心配かけたね」
「あなたは……無理をしている」
静かで、淡々とした声。だがその奥に──確かな温度があった。
「私たちは、あなたに怪我をしてほしくない。あなたが傷つくことは、私たちのためにならない」
「綾波さん……」
「だから……やめて」
「やめるって、何を?」
「自分を犠牲にすることを、やめて」
シンジは──一瞬だけ、笑顔が崩れた。
唇が震い、瞳の奥が暗く揺れ、何か言いかけて──止めた。そして、すぐに笑顔を貼り付け直す。
「僕は無理してないよ。僕はヒーローだから、みんなを守るのが当たり前なんだから」
「──……」
レイは何も言わなかった。だがその紅い瞳は、シンジから視線を外さなかった。
(──この人は、嘘をついている)
レイにはわかっていた。シンジの笑顔の裏に、痛みがある。自分と同じ種類の痛みが。壊れても代わりがあると言った自分と、同じ種類の──
だが、レイにはまだ、その痛みを言葉にする術を持たなかった。
「……卵焼き、まだ作れる?」
「え?」
「甘い卵焼き。約束した」
シンジは──破顔した。
「うん。作れるよ。包帯取れたら、すぐ作る」
「約束」
「うん。約束」
レイは、小さく頷いた。そして何も言わず、病室を出ていった。
アスカは、レイの背中を見送り、それからシンジを見た。
「……あんた、本当バカね」
「え?」
「バカ。大バカよ」
アスカは踵を返し、病室を出た。廊下を歩きながら、拳を握りしめていた。
(──なんで、あんなに無理すんのよ)
(──なんで、自分のことなんてどうでもいいのよ)
(──なんで、アタシは……何もできないのよ)
廊下の突き当たりで、アスカは壁を叩いた。鈍い音が響く。拳が痛い。でも、それくらいの痛みが──今は、心地よかった。
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その夜。ミサトの家。
シンジは一人、自室の床に座っていた。
メディカルベイから退院許可が出て、タクシーで帰宅した。ミサトが送ってくれたが、シンジは「一人で大丈夫です」と笑って断った。ミサトは、その笑顔の前で何も言えなかった。
──今。
シンジの身体に、波が来ていた。
魔術が切れた。
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「──っお、ぐ……!」
身体が折れる。
四つん這いになり、床に額を押し付け、声を殺して吐く。吐血。激しい吐血。胃液と血が混ざった液体が床に広がり、シンジの寝間着を染める。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い。
両腕が──砕けた両腕が、遅れて来た激痛に悲鳴を上げる。折れた骨が擦れ合い、砕けた関節が軋み、切れた腱が引きつる。全身の筋肉が断裂した反動で痙攣し、肋骨が内臓を圧迫する。
「──かはっ、あ、ああ……!」
呼吸ができない。空気を吸おうとしても肺が動かない。過呼吸。過呼吸。過呼吸。指先が痺れ、視界が白く染まり、意識が引き剥がされていく。
(──死ぬ。死ぬ。僕、死ぬんじゃないかこれ)
(──痛い。痛いよ。マーリンさん。マーリンさん──)
『──シンジくん!』
マーリンがいた。
幻影ではなく──今夜は、ほとんど実体に近い形で現れていた。白銀の髪が薄暗い部屋で淡く光り、仕込み杖が床に突かれている。その顔には、これまでにない焦りと──深い、深い苦悩が浮かんでいた。
『落ち着いて。呼吸を整えて。いち、に、さん、し──僕に合わせて』
マーリンの手が、シンジの背中に置かれる。魔術が、再び痛覚信号を遮断し始める。だが──今夜は、効きが遅い。限界まで酷使した神経回路が、魔術の介入を拒んでいる。
「──っ、ま、マーリンさ……ん…いたい……いたいよぉ……」
シンジは泣いていた。声を殺して、床に額を押し付け、身体を丸めて泣いている。十四歳の少年の、ただの泣き声だ。ヒーローの仮面もペルソナも剥がれ落ちた、ただの怯えた少年の声。
『わかってる。わかってるよシンジくん。もう少しだけ耐えて。麻酔が効くまで、もう少し──』
マーリンはシンジを抱き上げた。
膝に乗せ、背中を撫で、髪を梳く。片手で温かいスープのカップを作り出し、震える唇に宛がう。一口。二口。温かさが胃に届き、痙攣した身体が少しだけ緩む。
「……マーリンさん」
『ん?』
「僕……今日、みんなのために、僕の骨、砕けちゃった」
『……うん』
「でも、僕、平気だって言ったんだ。笑って言ったんだ」
『……うん』
「みんな、喜んでくれた。『よくやった』って。『すごい』って。僕が痛いって言わなかったから、みんな安心したんだ」
『──シンジくん』
「僕、役に立ったよね? ヒーローとして、役に立ったよね?」
マーリンは──答えられなかった。
(──役に立った。君はそう言う。役に立ったから、笑ってくれた。役に立ったから、褒めてくれた。役に立ったから──必要としてくれた)
(──でも君、自分が痛いことを隠して、自分が壊れていることを隠して、やっと「役に立った」って──)
(──それを教えたのは、僕だ)
『──役に立ったよ、シンジくん。君は今日も、みんなを守った。立派なヒーローだった』
「……そっか」
シンジは安堵のため息を吐き、マーリンの胸に顔を押し付けた。
「……よかった」
その「よかった」が、どれほど重い言葉か。十四歳の少年が、自分の身体が壊れた後に吐くべき「よかった」ではないことを。マーリンは知っていた。
だが──言えなかった。
「君はヒーローなんかにならなくていい」と。言えば、シンジの世界が崩れる。「ヒーローであること」が彼の唯一の支えだから。それを取り上げれば、シンジは──五歳の頃に戻る。誰にも必要とされない、要らない子に戻る。
だから、マーリンは言うしかなかった。
『君は、最高のヒーローだよシンジくん。僕が保証する』
「……うん。僕は、ヒーローだ」
シンジは目を閉じた。震えが少しずつ収まっていく。マーリンの手の温もりと、スープの温かさが、壊れかけた心を「ヒーローの形」へと繋ぎ止めていく。
「……マーリンさんは、ずっとそばにいてくれるよね」
『──うん。ずっと』
「……よかった」
シンジは、マーリンの腕の中で眠りに落ちた。
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マーリンは、眠る少年を抱いたまま、夜を明かした。
──また、夜を明かした。
何度目だろう。もう数え切れない。
シンジの寝顔は安らかだった。口元がわずかに緩み呼吸が整い十四歳の少年としての無防備な顔が露わになっている。両腕の包帯が、薄暗い部屋で白く光っている。
マーリンは、その包帯にそっと触れた。
(──君の骨は砕けた。君の腱は切れた。君の関節は外れた。それを、僕が魔術で無理やり繋ぎ止めた。だから君は「平気です」と笑えた。だから君は「ヒーロー」として機能した)
(──でも、君の身体は覚えている。君の神経は覚えている。砕かれた痛みを、切れた痛みを、外れた痛みを。魔術が切れたら、全部返ってくる。君は、それを一人で抱える)
(──僕が、そうさせている)
マーリンは目を閉じた。
仕込み杖を握る手が、白くなるほど力がこもっている。
(──ごめんね。ごめんね、シンジくん)
(──君を「ヒーロー」にしたのは僕だ。君に痛みを麻痺させたのは僕だ。君に「平気です」と笑わせたのは僕だ)
(──でも、僕には──もう、君から「ヒーロー」を取り上げられない。それをすれば君が壊れる。君の世界が崩れる。君が──消えてしまう)
(──だから、僕は続ける。君が壊れるまで、君が笑えるまで、君が「ヒーロー」でいられるまで──僕は、麻酔を打ち続ける)
(──それが、僕の罪だ)
花びらが舞い、月が沈み、夜が明けていく。
魔術師は──また、夜を明かした。
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翌朝。
「──おはようございます、ミサトさん! 今日はお粥にしましたよ。消化にいいから!」
完璧な笑顔。完璧な朝食。完璧な好青年。
両腕の包帯が、長袖のシャツの下に隠されている。スプーンを持つ手が微かに震えているが、シンジはそれを笑顔で覆い隠す。
「シンジくん……本当に大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ! 骨がくっつくまで少し時間がかかるかもしれないけど、料理はできますから」
「料理どころじゃないでしょう! あんた骨折れてたのよ!」
アスカが席につきながら叫ぶ。だが、その声には以前ほどの刺々しさはなかった。代わりに──焦りと、心配と、どう接していいかわからない苛立ちが混じっている。
「平気だよ、アスカちゃん。僕はヒーローだから」
「またそれ! また「ヒーローだから」! あんたねぇ──!」
「二人とも、朝から喧嘩しないの」
ミサトが窘める。だが、その視線はシンジの包帯巻かれた腕に止まっていた。
(──この子、また無理してる)
(──昨日の夜、一人でどう過ごしたのかしら)
(──「平気です」って。いつまで「平気」を演じ続けるの)
ミサトは粥を一口食べた。
「──美味しい。すごく美味しいわ、シンジくん」
「よかった!」
シンジは破顔した。太陽のような笑顔。
ミサトは、その笑顔を見て──胸の奥の棘が、また少し大きくなったのを感じた。
アスカは、粥を口に運びながら、シンジの震える手を見ていた。
(──震えてる。スプーンを持つ手が、震えてる)
(──それでも笑ってる)
(──この子、いつまで笑ってられるの)
2人の女性の視線が、一人の少年に集まっていた。だが、誰も言葉にしなかった。誰も踏み込まなかった。シンジの完璧すぎる笑顔の前では、どの言葉も無力だった。
「ごちそうさまでした! いただきますね!」
シンジは立ち上がり、皿を片付け始めた。包帯の下で骨が軋む音を、誰も聞かなかった。
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