バイト先にいるお金が大好きで世界一可愛い後輩に恋しそうです。助けてください。 作:周知丸
人には好みというものがある。
犬が好きか猫が好きなのか。
米かパンか。
きのこかたけのこか。
どれが正しいなんて話ではない。ただ人それぞれ、譲れないものがあるというだけだ。
そして俺の場合、それは女性の好みの話であった。
恋をするなら年上か年下か?
そう聞かれたならば、俺はなんの躊躇いもなく「年上のお姉さん」と即答することだろう。
普通に考えればそうではないだろうか、自分よりも多い人生経験からくる包容力、余裕、落ち着き。
年下好きの皆さんには悪いが、年上のお姉さんが年下のよく分からない子供に負けているところなんて一切ない。
昔から、このスタンスは全くブレていない、俺は『年上好き』であることを誇りに思っている。
甘えるならともかく、甘えられるなんて御免だ。
長々と語ってしまったが、上記の通り、この俺が年下なんかに恋するはずが……
「初めまして!」
……なかった。
「今日からここでアルバイトさせてもらいます、藤田ことねです!」
とある、冬の放課後。
バイト先の喫茶店で、新しく入ったという後輩が俺の前に立っていた。
金色の髪を三つ編みにした、小柄な女の子。
二つも年下らしい、つまり完全なる俺の守備範囲外。
「先輩ですよね?」
彼女が顔を上げる。
ぱっちりとした瞳が、真っ直ぐ俺を捉えて。
「これからよろしくお願いします!」
にぱっ、と笑った。
(かわッッッッッ!!!)
「…………」
「……先輩?」
もちつけ、俺。
あ、いや、落ち着け、俺。
今のは違うんだ。
何が違うのかと聞かれても困るが、とにかく違う。
確かに目の前にいる
目なんてキラキラしてるし、笑うとちょっとだけトロンと垂れるし、こっちを真っ直ぐ見てくるし…
……って、なんで俺は会ったばかりの年下の女の子をこんなに観察してるんだ。
まさか
「どうかしました?」
「……いや」
俺はそっと目を逸らした。
(そんなはず無い、俺は生粋の年上好きのはず…!)
そう、ちょっと「あっ」と思っただけ、犬とか猫を見て可愛いと思うのと一緒だ。
少しだけテンションが上がっちゃっただけで、一目惚れとかでは断じてない。
十年以上貫いてきた俺の美学を、こんなぽっと出の年下美少女に曲げられてたまるか。
「ほんとにだいじょぶです?なんか顔色悪くないですか?」
少し眉を下げながら、俺の顔を覗き込む藤田。
「…大丈夫」
(クソっ、心配そうな表情も可愛いのかよ…!)
まずい予感がしてきた。
「…?」
俺がチラリと視線を上げると、その瞳と目が合い、藤田がコテンと小さく首を傾ける。
「…………」
まずい。
このまま普通に接してたら…ナニカ、大切な物を失ってしまう気がする。
それだけは良くない。
(…そ、それなら)
…バイトの先輩としては失格かもしれないが、ちょっと距離を置こう。
こっちがそっけない態度を取っていれば、向こうだってわざわざ近づいてはこないはずだ。
(…決めた)
必要以上に仲良くならないように、こいつの前ではちょっとクールで寡黙な先輩を演じよう。
「先輩?」
「……ん?」
「やっぱりなんか変ですよ?」
「コホン…別に、なんでも無い」
咳払いを一つ、努めて表情を無にして口を開く。
「…俺、仕事戻るから」
「え、あ、はい」
さっきまでより明らかに短くなった返事に、藤田が少しだけ目を瞬かせる。
「じゃあ……これからよろしくお願いしますね、先輩」
「……ああ」
短く返すと、藤田は不思議そうな表情を浮かべながら、店長の元へ戻っていった。
今の俺はかなりクールだったはずだ。
これなら向こうも、必要以上に俺へ近づいてくることはない、よって俺が彼女を好きになってしまうことも…
……ない、はず。
・
・
・
あれから、数ヶ月。
「……藤田」
「ん~、どうしましたか?先輩」
窓から差し込む淡い陽光の中で、立ちのぼる湯気がゆるやかに形を変え、珈琲豆の深い香りを落とす。
昼下がりの、とある喫茶店。
俺はカウンターの向こうで細口のケトルを握る後輩へ声をかけた。
「お湯、そんな勢いで注いだらせっかくの高い豆が台無しだ」
「え?でもこの前教えてくれたみたいに、ちゃんと真ん中に注いでますよ?」
藤田はケトルを片手に可愛らしく首を傾げた。
金色の三つ編みが、ふわりと揺れる。
「真ん中に入れりゃいいってもんじゃない。ちょっと貸して」
「むぅ……」
「また最初から教えるから、そろそろ覚えてやってくれ。店長直伝なんだから」
「はーい」
「返事だけはいいよな」
「返事以外もいいですよ?ほらっ、顔とか!」
藤田は首を傾げ、片目を瞑った。
ついでに顎の下で両手を組み、上目遣い。
『きゅるん♪』とでも効果音がつきそうな仕草だった。
「……」
「どうです?」
(宇宙一可愛いに決まってんだろ)
「あいあい」
俺は適当に受け流して、藤田からケトルを取り上げた。
「ちょっと!なんですかその反応!」
知らん、てかどんな反応を期待していたんだ。
「豆、新しいの取って」
「誤魔化しましたね?」
この数ヶ月で分かったことがある。
藤田ことねは、とにかく距離が近い、物理的に。
先輩後輩の壁というものを、こいつはたぶん三日目くらいでどこかに置き忘れた。
一方の俺はというと、未だクールでそっけない先輩を続けている。
俺は新しい紙をドリッパーへセットし、挽いた豆を入れる。軽く揺すって表面を平らにしてから、ケトルを構えた。
「最初はちょっとだけ湯を入れる。ほんとにちょっとな」
「そんなに少なくていいんですか?」
「蒸らすためだ。前も教えたろ?」
「……あはは」
藤田は気まずそうに笑い、自分の頭を撫でた。
「……まあいいや。豆の中に残ったガスを抜くためだ。いきなり大量に注ぐと、湯がうまく染み込まない」
「ほぇ~」
藤田は呆けた声を出しながら、俺の肩越しにドリッパーを覗き込んでくる。
身を乗り出した拍子に、その髪が俺の肩へ軽く触れた。
「…………」
いや、近い近い近い。
こいつはどうしてこう、いちいち人との距離が…
「藤田、近い」
「だって見えないんですもん……って」
藤田が俺の顔を覗き込む。
その瞳が、いたずらっぽく細められた。
「もしかして先輩、照れてるんです?」
「……」
「無視しないでください」
断じて照れてはいない。
ただちょっと心臓に悪いだけだ。
それを世間一般では照れていると言うのかもしれないが、俺の中では違う。
「……ここから三十秒待つ」
「また誤魔化しました?」
「いーや?」
「またまた~」
「いいから黙って三十秒待つ」
「はーい」
藤田が、少し不貞腐れたように頬を膨らませて返事を返した。
駅前の大通りから外れ、細い路地を二つ曲がったところに、この喫茶店はある。
古い木製の扉。
壁を覆う蔦。
店名の半分が隠れた、小さな看板。
偶然見つけて入ってくる客は滅多にいない。
六つあるテーブルのうち、今埋まっているのは窓際の一卓だけ。
そこでは長年通っている常連の老人が新聞を広げ、すっかり冷めた珈琲を少しずつ飲んでいる。
店長はというと、奥の部屋で休憩中。
たぶん寝ている。
古時計の秒針と、珈琲がサーバーへ落ちる音だけが店内に響いていた。
「次、中心から円を描く」
俺はケトルを傾ける。
「紙には直接かけるなよ。豆を通らずに下へ落ちるから薄くなる」
「へぇー」
「ちゃんと見てるか?」
「見てますって。私って結構いつも真面目なんですよ?」
「そうは見えない」
「ひどくないですか?」
「先週、客がいないときカウンターで爆睡してた」
「あ、あれは!とにかく疲れてたんです!」
「にしては、ずいぶん幸せそうな寝顔だったけど」
「かっ、勝手に寝顔見ないでくださいよ!」
藤田の頬がみるみる赤くなる。
珍しい。
いつも俺をからかってくるくせに、こういうのは弱いらしい。
「あれ?自慢の可愛い顔なんじゃなかったっけ?」
「……ッ~!もー先輩!デリカシー皆無なんですか!?そんなんじゃ女の子からモテないんですからねっ!」
藤田はそう言ってプイとそっぽを向いた。
しまった、ちょっといつもの調子で喋りすぎてしまったかもしれない。
そっけなく、そっけなくしないと。
「何ですかその顔!」
「別に」
「今絶対楽しんでましたよね!?」
「まあまあ。これ飲んで落ち着け」
俺は出来上がった珈琲をカップへ注ぎ、藤田の前へ差し出した。
「……砂糖とミルクは?」
「はいはい。かしこまりましたよ、お嬢様」
角砂糖を二つ。
たっぷりのミルクをカップへ注ぐ。
黒かった液体が、瞬く間に白っぽい茶色へ変わる。
ここまでやるなら珈琲の意味はあるんだろうかとか思っちゃうけど、それは言わない。
以前言ったら、「これがいいんです」と頬を膨らませながら力説されたからだ。
藤田は両手でカップを包み、一口飲んだ。
そして少しだけ眉を寄せる。
「五十点です」
「低いな」
「味は百点ですけど、ノンデリの先輩が作ったのでマイナス五十点でーす」
「味が百点なら俺は満足だよ」
「そこは反省してください」
俺は空いているカウンター席へ戻り、伏せていた参考書を開いた。
分厚い英語の問題集。
隣には数学の参考書と単語帳が積まれている。
椅子を引く音がしたと思えば、藤田がカフェオレを抱えて、さも当然のように俺の隣へ座っていた。
「なんか先輩って、いっつも勉強してません?」
「どうせ暇だ、店長も寝てるし」
「暇だからって普通は勉強しませんよ。スマホ見たり、寝たり、誰かと電話したり。他にも色々あるじゃないですか」
「ソイツらは仕事中にやることじゃない」
「勉強も仕事中にすることじゃないんですケド。ちゃんと働いてくださーい」
藤田は俺の肩に手を置き、軽く身体を揺らした。
シャープペンシルを持つ手がぶれて、ノートに書きかけていた英文がぐにゃりと歪む。
「お前……」
「いっぱいいっぱい働け~♪」
「……はぁ」
俺は手を止め、立ち上がって窓際へ足を向けた。
「おじいちゃん、珈琲、おかわりいる?」
老人が新聞の上から顔を出した。
「いや、まだいいよ」
「一杯で2時間くらい粘ってんだけど、罪悪感とか湧かない?」
「他に客がいないんだからいいだろう」
「まあ、それもそっか、いつもご利用いただきありがとうございます」
「礼には及ばんよ、君の淹れるコーヒーは絶品だからね」
「「わっはっはっは」」
俺と老人の笑い声が重なった。
「先輩!?」
横から突き刺さる視線と藤田の驚いた声が響いた。
俺は笑うのをやめて、無表情に戻して口を開く。
「なんだよ」
「今めちゃくちゃ普通に喋ってたじゃないですか」
「そりゃ喋るだろ」
「しかも笑ってた!」
「俺だって笑うよ」
「私といるときは全然笑わないのに!」
ギクッ。
「気のせいだろ」
「気のせいじゃないですよ!私、先輩が笑ってるところほとんど見たことないですもん!」
それはまあ。
藤田の前では意識して笑わないようにしているからな。
『好きになりそうだから』なんて理由は死んでも言えないけど。
俺はゆっくりとカウンター席へ戻る。
「はい、働いてきたぞ」
「おじいちゃんに一声かけただけじゃないですか!」
「声を落とせ。お客様に失礼だろうが」
「誰のせいですか!」
俺は参考書へ視線を戻した。
藤田もカウンターへ頬杖をつく。
横から視線を感じる。
非常に勉強しづらい。
「何の勉強してるんです?」
「英語」
「それは見れば分かります。大学受験ですか?」
「ああ」
「どこ目指してるんです?」
大学名を答える。
藤田は目を丸くした。
「えっ。そこ、すっごく頭いいところじゃないですか」
「まだ受かってない」
「でも目指せるくらいには成績いいんでしょ?」
「去年は悪くなかった」
「もっと自慢すればいいのに」
「藤田に自慢して何になる」
「可愛くて優しい後輩が褒めてあげます」
「ちょっと自己肯定感高すぎる節あるなぁ」
「ふふ」
俺の返答に、藤田は小さく笑った。
「なんで今笑う?」
「いや、今の先輩、ちょっと『普通』だったナーって」
「普通ってなんだよ」
「なんていうか……いつもの『俺、クールなんで』みたいな感じじゃなかったです!」
危うくシャープペンシルを落としかけた。
「だっ、誰がそんな感じ出してんだよ」
「先輩ですけど?」
「……気のせいだ」
鋭い。
妙なところで鋭いんだよな、こいつ。
「そうですかね〜…ってそんな事よりも…」
それから藤田は、暇な時間を埋めるように今日あった出来事を話し始めた。
授業中に寝てしまい、教師に怒られたこと。
何故か高等部の生徒会長に執拗に追い回されていること。
実家に帰ったら、妹たちが消失したプリンを巡って大喧嘩していたこと。
スーパーで惣菜に半額シールが貼られるのを三十分待ったこと。
「スーパーの半額シール三十分待つなら、その時間働いた方が得じゃないか?」
「何言ってるんですか先輩! スーパーの半額シールにはロマンがあるんです!」
「ロマンで腹は膨れない」
「半額弁当なら膨れます!」
「……た、たしかに」
「ふっふーん、ことねちゃんの勝ちですね〜♪」
楽しげなドヤ顔を披露する藤田。
てか、なんでコイツは半額シール待ちというなんとも言えない行為をここまで誇らしげに話せるんだ。
「…ははっ」
浮かんだ考えと藤田の謎のドヤ顔の差異に思わず頬が緩む。
「あっ!笑いました!先輩今笑いましたね!」
「…あ?なんのこと?」
すぐさま表情を無に戻し、何事もなかったかのように参考書に目を移した。
「とぼけてもダメです。ちゃんと見ましたからね!」
藤田が、参考書と俺の顔の間へひょこっと顔を出す。
近っ、あと、英文が全部見えなくなった。
「…邪魔」
「もう一回」
「何が?」
「もう一回笑ってくださいよ」
「無茶言うな」
笑顔ってそんな注文して出てくるもんじゃないだろ、マックのドナルドじゃないんだぞ俺は。
「さっきは笑ってくれたじゃないですか」
「初めて見たんだ、半額弁当であそこまで得意げになれる奴」
「……それ、私が面白いんじゃなくて、私をバカにして笑ってません?」
「気づいた?」
「むぅ……!」
藤田は不満そうに唇を尖らせ、ようやく自分の席へ戻った。
危なかった、あのまま至近距離で見られ続けたら、笑うどころかニヤけるとこだった。
俺が安堵したのも束の間、手に持ったカフェオレを一口飲んだ藤田が、気を取り直して再び口を開いた。
「でもでも、先輩もお金に関してはケッコー細かそうですよね」
シャープペンシルの先が、一瞬だけ止まった。
「そう見えるか?」
「だって、まかないのパンの耳まで全部持って帰るじゃないですか」
「捨てるのがもったいない」
「ほら。私と同類です」
「同類ではない」
短く返して、再びペンを動かす。
藤田が頬を膨らませているのが、視界の端に見えた。
少しだけ沈黙が続く。
古時計が三回、針を刻んだところで俺は口を開いた。
「……んで、どうなんだ?」
「何がです?」
「最近。アイドル活動」
「あー……」
藤田の声が、分かりやすく沈んだ。
「相変わらずダメダメです。ダンスはまだマシなんですケド……他は下から数えた方が早い感じです…もうすぐ高等部なのに、プロデューサーも付く気配ありませんし…」
自分で言いながら、肩まで落ちていく。
さっきまであれだけ騒がしかったのに。
さっきまであんなに高かった自己肯定感が爆下げされちゃった。
「むぅ~……私、早くすっごいアイドルになって……大金持ちになりたいのに〜」
頬を膨らませ、彼女は不貞腐れたようにカウンターへ突っ伏した。
「…………」
藤田は、よく働く。
学校の授業にアイドルのレッスン。
その上、バイトもここだけじゃなく、掛け持ちしているらしい。
いつ寝ているのか不思議なくらいだ。
いや。
カウンターで寝ているところを見るに、たぶんあんまり寝ていない。
「学校の授業、バイト掛け持ちに加えてレッスン……藤田、たまにはちょっと休んでもいいんじゃないか?」
「休んでる暇あるなら、お金を稼ぎます!」
即答だった。
「……はっ。逞しいこってな」
そう言って俺はシャーペンを置いた。
「先輩? 急にどうしたんです?」
「単語帳、裏に忘れた」
それだけ答えて、俺は席を立つ。
「早く戻ってきてくださいね〜、暇なんで〜」
そんな藤田の声を背に、厨房を通り、そのまま店の奥へ向かった。
・
・
・
一人カウンターへ残されたことねは、両手で包むようにカップを持っていた。
濁りのあるベージュの表面から、白い湯気が立ちのぼる。
珈琲のキリッとした香りの中に、ミルクと砂糖の甘い匂いが混ざっていた。
「……ん」
ふと、視界が揺れる。
瞼が重い。
頭の中がぼんやりと霞む。
(昨日も遅くまで自主練してたからナー…)
眠いのも無理ないかぁ。
そんなことを考えながら、藤田は無理やり目を覚まそうとカフェオレを口へ運んだ。
(……って、ダメダメ!)
さっき先輩に、寝ていたことをからかわれたばかりだ。
また寝たら何を言われるか分かったものではない。
何より。
(寝顔!見られるし!)
藤田は両手で自分の頬を叩いた。
「おしっ…!」
窓際の老人が新聞から顔を上げる。
藤田は気まずそうに笑った。
「……アッ、なんでもないで〜す」
老人は何も言わず、また新聞へ視線を戻した。
「…………」
静かだ。
先輩がいなくなっただけで、店の中が驚くほど静かになったように感じる。
聞こえるのは、新聞をめくる音と古時計の針が時を刻む音だけ。
いつもなら、この静けさを埋めるように自分から話しかける。
その度に先輩は面倒そうな顔をしながら、なんだかんだ返事をしてくれる。
……たまに無視されるけど。
(やっぱり、嫌われてるのかな……)
ふと、そんなことを考える。
他のお客さんとは普通に話している。
店長とも普通。
この前、先輩の学校の友達らしき人が店へ来たときなんて、驚くほど楽しそうに話していた。
なのに自分だけには、いつもあんな感じだ。
(……ま、いっか)
嫌われていたとしても、ただのバイトの先輩後輩、気楽なものだ。
でも…
『ははっ』
(…先輩の笑顔、意外と可愛いかったかも)
そう思ったところで。
「ふぁ……」
大きなあくびが漏れた。
(……ダメだぁ、眠い)
瞼が落ちる。
持っていたカップをどうにかカウンターへ戻す。
自然と頭が落ちていき、突っ伏した頭を包むように自分の腕を挟み込む。
(ちょっとだけ……)
先輩が戻ってくるまで。
(……あ~……ダメだ……)
意識が遠のいていく。
コツ。
コツ。
コツ。
薄れゆく意識の中で、こちらへ近づいてくる足音が聞こえた。
やば、戻ってきた。
起きないと。
そう思うのに、身体が言うことを聞かない。
その時。
ふわりと、肩から背中にかけて、何かが掛けられた。
「…………」
それから、隣で椅子を引く音。
「……ゆっくり寝とけ」
聞き慣れた声がした。
「どーせ、暇なんだから」
ことねの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
・
・
・
すぅ、すぅ。
隣から小さな寝息が聞こえてくる。
俺はそれを横目で確認してから、再び問題集へ視線を落とした。
黄色のブランケットを背に、藤田がカウンターへ突っ伏している。
……やっぱし寝たか。
超眠そうだったもんな。
こいつは自分のことになると、ちょっと頑張りすぎちゃうタイプなんだろう。
「…………」
俺は隣でシャープペンシルを走らせる。
「んぅ……」
藤田が小さく身じろぎした。
ブランケットが肩からずれかける。
俺は少し迷ってから、それを引っ張り上げた。
「……はぁ」
世話の焼ける後輩。
ただのバ先の後輩。
それ以上でも、それ以下でもない。
あの初星学園のアイドル科に通ってるって聞いた時は、ちょっと驚いたけど…
てか、あの学校行ってる奴ってみんなお嬢様じゃなかったんだな、今更だけど。
「…………」
ふと、金色の前髪の隙間から、閉じた瞼が見えた。
(なんで、これでアイドル活動うまくいってないんだ?アイドルってのはかわいいだけじゃダメなのか?)
そんなことを考えながらも、初めて会った日のことを思い出す。
俺を真っ直ぐ見つめてきた、大きな瞳。
あのとき。
本当に一瞬だけ、心臓が跳ねた。
だから俺は、こいつと距離を置こうと思った。
必要以上に喋らない。
必要以上に仲良くならない。
クールで。
寡黙で。
余裕のある先輩。
そうなろうとした結果が、これだ。
「…………」
俺は横を見る。
俺の淹れたカフェオレ。
俺が掛けたブランケット。
俺のすぐ隣で眠る後輩。
(どこが距離を置けてるんだか)
思わず、小さく笑った。
「…ハッ…アホらしい」
…でも。
(まぁ、いっか)
藤田の笑った顔も。
怒った顔も。
調子に乗っている顔も。
眠っている顔も。
あざといところも。
めちゃくちゃ頑張り屋なところも。
ちょっと色々背負いすぎちゃうとことかも。
悔しいけど、全部『カワイイ』。
でも、俺は年上のお姉さんが好きだ。
だから、これは違うんだ。
ただ、可愛い後輩を放っておけないだけ。
ただ、こいつと話している時間が少し楽しいだけ。
ただ、他の人と話すより、ほんの少しだけ気になるだけ。
それだけ。
「…ん…せん…ぱい……」
「…っあ?」
突然呼ばれて、心臓が跳ねた。
起きたのかと思って横を見る。
「…………すぅ」
寝てた。
「びっくりさせんな……」
そう小声で呟く。
一体何の夢を見ているのか、藤田は少しだけ笑っていた。
俺は頬杖をついて、そんな彼女をぼんやりと眺める。
「……」
閉じられた瞳、その向こうに。
初めて会った日、俺を真っ直ぐ見つめる瞳を思い出した。
ただ、なんとなく…
もう一度、彼女の大きな瞳が開いたときに。
(…一番最初に映るのが俺だったら、いいな)
…とか。
そんなくだらないことを、ほんのちょびっとだけ、考えただけだ。
だから。
『君の瞳に恋してない』
多分、続きます。多分。