W.I.S.Eに紛れて、何年が過ぎただろう。
ツムギの仕事は、荒野の各地から上がってくる偵察の報告を取りまとめ、先へ流すことだった。どこで何が目撃されたか。どこに人間が隠れていそうか。偵察に出た者たちが持ち帰る切れ切れの情報が、ツムギの手元を通っていく。
その中に、ときおり奇妙な報告が混じる。
荒廃した世界には似つかわしくない、整った身なりの者たちを見た、という報告だ。どこから来たのかは、誰にも分からない。気づいたときにはそこにいて、追いかけようとしたときには、もう姿がない。現れる瞬間も、消える瞬間も、見た者はいなかった。
彼らが通ったあとには、倒されたタヴーの骸が転がっていることもあった。
報告を重ねるうちに、ツムギは気づいた。痕跡は、九州から東へと、少しずつ移ってきている。
そのたびにツムギは、報告を持ち帰った者の首筋に、そっと針を留めた。痕跡の場所を少しずつずらし、東へ向かう流れが読み取れないように散らしていく。報告は、あちこちで見かけたありふれた生存者の目撃談として、先へ流れていった。
誰にも気づかれない。上の者たちとは一度も顔を合わせたことがない。末端の構成員たちの記憶の中にだけいる、前からそこにいた仲間。それが、ツムギの居場所のすべてだった。
過去から来る者たちは、確かにいる。何度も報告を書き換えるうちに、それは確信に変わっていた。
けれど、ツムギはまだ、一度も彼らの前に立ったことがなかった。
上がってくる報告のほとんどは、見つけたという報せではなく、捕らえたという報せだったからだ。捕らわれた者は、もう元の世界には帰れない。手を伸ばしたところで、何も託せはしない。
ごく稀に、それらしい者がいた痕跡や、目撃の報せが届くこともあった。けれど報告がツムギの手元に届く頃には、彼らはとうに姿を消している。駆けつけた先に残っているのは、踏み荒らされた地面だけ。いつも、ひと足遅かった。
***
その日の報告は、いつもと様子が違った。
ある地域を警戒していたタヴーが、がなり立てながら詰め所に駆け込んできた。
PSIによる広域テレパスの反応があった。間違いない、レジスタンスだ、と。
「ドルキ様に報告する。すぐにだ」
タヴーはそのまま上階へ向かおうとする。詰め所にいた何人かが、ざわめきながらタヴーの周りに集まってきていた。
星将が自ら動けば、あの者たちはひとりとして生き残れないだろう。ようやく見つけた過去からの旅人に、何ひとつ託せないまま終わってしまう。
ツムギは、その進路をふさぐようにタヴーの前へ出た。
「待って。どこで反応があったのか、もう一度聞かせて」
苛立たしげに唸るタヴーの腕に、なだめるように手を添える。触れた瞬間に生まれた針が、ごつごつとした皮膚にそっと留まった。
糸をたどると、タヴーが捉えた光景が流れ込んでくる。テレパスの反応を追った先。崩れた建物の陰に身を寄せる数人の人影。この世界の者とは思えない身なり。
過去から来た者たちだ。
止めることはできない。レジスタンスの話は、もうこの場の者たちの耳に入っている。全員の記憶をいっせいに書き換えれば、どこかに必ず綻びが出る。報告が上へ届かなければ、それこそ怪しまれるだけだ。星将が動くことそのものは、変えられない。
けれど、ほんの少しなら。
反応を捉えた場所を、ひとつ隣の区画にずらす。反応があった時刻を、少し前に巻き戻す。気づかれないほどの小さなずれ。それでも、追手がまっすぐ彼らのもとへ向かうまでに、いくらかの時間が生まれるはずだ。
針を引くと、タヴーはひと声吠えて、上階へと駆け上がっていった。
ツムギはその背を見送り、何事もなかったように詰め所を出た。
足は、自然と速くなっていた。
***
崩れた建物の陰に、彼らはいた。
ツムギが瓦礫を踏む音に、いくつもの視線が一斉にこちらを向く。鋭い目つきの少年が一歩前に出て、仲間をかばうように身構えた。張りつめた空気の中で、誰かの手のひらに、PSIの気配が集まるのが分かる。
ツムギは目深にかぶったフードの縁を引き下げ、口元を覆う布を確かめてから、両手を上げた。万が一この者たちが捕らわれたとき、自分の顔を覚えられていてはたまらない。
「戦う気はない。時間がないから、聞いて」
「……何者だ、あんた」
少年が低く問う。ツムギは一瞬ためらい、それから口を開いた。
「ツムギ」
自分の名前を、自分の声で誰かに告げるのは、いったい何年ぶりだろう。
「あなたたちの敵じゃない。それだけは信じて」
「信じろって言われてもな。顔も見せねえ奴の話を、はいそうですかって聞けるかよ」
少年が一歩踏み出す。その腕を、隣にいた長い髪の少女がつかんだ。
「夜科、待って」
「……雨宮」
少女は少年を制したまま、まっすぐにツムギを見据えた。
「どうして私たちがここにいると分かったの。あなたは何を知っているの。どこから来たの」
矢継ぎ早の問いに、ツムギは首を横に振った。
「詳しく話している時間はない。今は黙って聞いて」
有無を言わせぬ声に、二人が口をつぐむ。ツムギは続けた。W.I.S.Eがどうやってこの荒野を見張っているのか。見慣れない者たちを、どうやって追っているのか。星将と呼ばれる者たちが、どう動くのか。自分が知る限りのことを、できるだけ短く、正確に。
誰も口を挟まなかった。挟めなかったのかもしれない。何かを問いたげに唇を開いては、また閉じる。その様子に、ツムギはかすかな違和感を覚えたが、気にしている余裕はなかった。
「それから」
声が、少しだけ震えた。
「天樹院エルモアは、飛行機の事故で死んだ。エルモア・ウッドの子どもたちも、宣戦の儀で、みんな」
最後まで言えなかった。少年たちの表情が、はっきりと強張る。
この人たちは、あの家を知っている。胸の奥が熱くなり、同時に、これ以上ここにいてはいけないと思った。
ツムギは一度だけ目を閉じ、それから、まっすぐに彼らを見た。
「あなたたちは、まだ壊れる前の世界から来たんでしょう。だったら、お願い」
頭を下げる。
「エルモア・ウッドと、ババ様を頼む」
口にしてから、自分がその呼び方をしたことに気づいた。あの家の子どもたちしか使わない呼び名。
「急げ、追手が来るぞ。爆炎を使う男が」
それだけ言うと、ツムギは踵を返す。
――だが。
「やあレジスタンスの諸君」
ツムギの体は爆炎に包まれた。
ああ、ここで終わるんだな。
子供たちを、ババ様を置いていった結末。
情報は託した。万が一誰か生き残ってくれれば。
諦めと僅かな希望を胸に秘め、そして光は失われていった。