残影の糸 ~誰かの記憶に生きる者~   作:lukewarm

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3話 記憶にしか存在しない者

 W.I.S.Eに紛れて、何年が過ぎただろう。

 ツムギの仕事は、荒野の各地から上がってくる偵察の報告を取りまとめ、先へ流すことだった。どこで何が目撃されたか。どこに人間が隠れていそうか。偵察に出た者たちが持ち帰る切れ切れの情報が、ツムギの手元を通っていく。

 その中に、ときおり奇妙な報告が混じる。

 荒廃した世界には似つかわしくない、整った身なりの者たちを見た、という報告だ。どこから来たのかは、誰にも分からない。気づいたときにはそこにいて、追いかけようとしたときには、もう姿がない。現れる瞬間も、消える瞬間も、見た者はいなかった。

 彼らが通ったあとには、倒されたタヴーの骸が転がっていることもあった。

 報告を重ねるうちに、ツムギは気づいた。痕跡は、九州から東へと、少しずつ移ってきている。

 そのたびにツムギは、報告を持ち帰った者の首筋に、そっと針を留めた。痕跡の場所を少しずつずらし、東へ向かう流れが読み取れないように散らしていく。報告は、あちこちで見かけたありふれた生存者の目撃談として、先へ流れていった。

 誰にも気づかれない。上の者たちとは一度も顔を合わせたことがない。末端の構成員たちの記憶の中にだけいる、前からそこにいた仲間。それが、ツムギの居場所のすべてだった。

 過去から来る者たちは、確かにいる。何度も報告を書き換えるうちに、それは確信に変わっていた。

 けれど、ツムギはまだ、一度も彼らの前に立ったことがなかった。

 上がってくる報告のほとんどは、見つけたという報せではなく、捕らえたという報せだったからだ。捕らわれた者は、もう元の世界には帰れない。手を伸ばしたところで、何も託せはしない。

 ごく稀に、それらしい者がいた痕跡や、目撃の報せが届くこともあった。けれど報告がツムギの手元に届く頃には、彼らはとうに姿を消している。駆けつけた先に残っているのは、踏み荒らされた地面だけ。いつも、ひと足遅かった。

 

***

 

 その日の報告は、いつもと様子が違った。

 ある地域を警戒していたタヴーが、がなり立てながら詰め所に駆け込んできた。

 PSIによる広域テレパスの反応があった。間違いない、レジスタンスだ、と。

「ドルキ様に報告する。すぐにだ」

 タヴーはそのまま上階へ向かおうとする。詰め所にいた何人かが、ざわめきながらタヴーの周りに集まってきていた。

 星将が自ら動けば、あの者たちはひとりとして生き残れないだろう。ようやく見つけた過去からの旅人に、何ひとつ託せないまま終わってしまう。

 ツムギは、その進路をふさぐようにタヴーの前へ出た。

「待って。どこで反応があったのか、もう一度聞かせて」

 苛立たしげに唸るタヴーの腕に、なだめるように手を添える。触れた瞬間に生まれた針が、ごつごつとした皮膚にそっと留まった。

 残影の糸(レムナフィル)・解憶(アンラヴェル)。

 糸をたどると、タヴーが捉えた光景が流れ込んでくる。テレパスの反応を追った先。崩れた建物の陰に身を寄せる数人の人影。この世界の者とは思えない身なり。

 過去から来た者たちだ。

 止めることはできない。レジスタンスの話は、もうこの場の者たちの耳に入っている。全員の記憶をいっせいに書き換えれば、どこかに必ず綻びが出る。報告が上へ届かなければ、それこそ怪しまれるだけだ。星将が動くことそのものは、変えられない。

 けれど、ほんの少しなら。

 残影の糸(レムナフィル)・縫憶(リステッチ)。

 反応を捉えた場所を、ひとつ隣の区画にずらす。反応があった時刻を、少し前に巻き戻す。気づかれないほどの小さなずれ。それでも、追手がまっすぐ彼らのもとへ向かうまでに、いくらかの時間が生まれるはずだ。

 針を引くと、タヴーはひと声吠えて、上階へと駆け上がっていった。

 ツムギはその背を見送り、何事もなかったように詰め所を出た。

 足は、自然と速くなっていた。

 

***

 

 崩れた建物の陰に、彼らはいた。

 ツムギが瓦礫を踏む音に、いくつもの視線が一斉にこちらを向く。鋭い目つきの少年が一歩前に出て、仲間をかばうように身構えた。張りつめた空気の中で、誰かの手のひらに、PSIの気配が集まるのが分かる。

 ツムギは目深にかぶったフードの縁を引き下げ、口元を覆う布を確かめてから、両手を上げた。万が一この者たちが捕らわれたとき、自分の顔を覚えられていてはたまらない。

「戦う気はない。時間がないから、聞いて」

「……何者だ、あんた」

 少年が低く問う。ツムギは一瞬ためらい、それから口を開いた。

「ツムギ」

 自分の名前を、自分の声で誰かに告げるのは、いったい何年ぶりだろう。

「あなたたちの敵じゃない。それだけは信じて」

「信じろって言われてもな。顔も見せねえ奴の話を、はいそうですかって聞けるかよ」

 少年が一歩踏み出す。その腕を、隣にいた長い髪の少女がつかんだ。

「夜科、待って」

「……雨宮」

 少女は少年を制したまま、まっすぐにツムギを見据えた。

「どうして私たちがここにいると分かったの。あなたは何を知っているの。どこから来たの」

 矢継ぎ早の問いに、ツムギは首を横に振った。

「詳しく話している時間はない。今は黙って聞いて」

 有無を言わせぬ声に、二人が口をつぐむ。ツムギは続けた。W.I.S.Eがどうやってこの荒野を見張っているのか。見慣れない者たちを、どうやって追っているのか。星将と呼ばれる者たちが、どう動くのか。自分が知る限りのことを、できるだけ短く、正確に。

 誰も口を挟まなかった。挟めなかったのかもしれない。何かを問いたげに唇を開いては、また閉じる。その様子に、ツムギはかすかな違和感を覚えたが、気にしている余裕はなかった。

「それから」

 声が、少しだけ震えた。

「天樹院エルモアは、飛行機の事故で死んだ。エルモア・ウッドの子どもたちも、宣戦の儀で、みんな」

 最後まで言えなかった。少年たちの表情が、はっきりと強張る。

 この人たちは、あの家を知っている。胸の奥が熱くなり、同時に、これ以上ここにいてはいけないと思った。

 ツムギは一度だけ目を閉じ、それから、まっすぐに彼らを見た。

「あなたたちは、まだ壊れる前の世界から来たんでしょう。だったら、お願い」

 頭を下げる。

「エルモア・ウッドと、ババ様を頼む」

 口にしてから、自分がその呼び方をしたことに気づいた。あの家の子どもたちしか使わない呼び名。

「急げ、追手が来るぞ。爆炎を使う男が」

 それだけ言うと、ツムギは踵を返す。

 

 ――だが。

「やあレジスタンスの諸君」

 ツムギの体は爆炎に包まれた。

 

 ああ、ここで終わるんだな。

 

 子供たちを、ババ様を置いていった結末。

 情報は託した。万が一誰か生き残ってくれれば。

 諦めと僅かな希望を胸に秘め、そして光は失われていった。

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