残影の糸 ~誰かの記憶に生きる者~   作:lukewarm

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4話 書き換わった世界

 あの女の声が、耳から離れなかった。

 現代に戻ってからも、アゲハは何度も崩れた建物の陰で聞いた言葉を思い返していた。フードの下から、かすかに震えていた声。天樹院エルモアは死んだ。エルモア・ウッドの子どもたちも、みんな。そして、エルモア・ウッドとババ様を頼む、と。

 そして灰になって消えていく姿。

 ババ様。あの呼び方をするのは、あの家の人間だけのはずだ。

 

***

 

 エルモア邸のテラスで、アゲハは手すりに背を預け、不貞腐れたように空を睨んでいた。

 言いたいことがあるのに、言えない。知っていることがあるのに、伝えられない。ついさっき、それ以上は口にするなとネメシスQに釘を刺されたばかりだ。苛立ちばかりが、胸の内で空回りしていた。

 少し離れたところから、子どもたちがこちらを窺っている。カイルとフレデリカは何やらひそひそと言い合い、シャオは腕を組んで黙って見ている。ヴァンは相変わらず何を考えているのか分からない顔で、マリーはそのヴァンの陰から、心配そうにアゲハを見上げていた。テラスの入口には、エルモアの姿もあった。

 遠巻きに見守られているのが、かえって落ち着かない。アゲハは乱暴に頭を掻いた。

 サイレンのことは話せない。どこで、誰に会ったのかも言えない。けれど、名前ひとつくらいなら。

「……おい。ツムギって名前に、心当たりあるやつ、いるか?」

 苛立ちまじりの声に、子どもたちが顔を見合わせた。

「ツムギ?」

「誰それ?」

 シャオもヴァンも、知らないというふうに首を振る。マリーだけが、何かを思い出しかけたように瞬きをしたが、すぐに「知らない」と小さく答えた。

 誰ひとり、その名前を知らない。だったら、あの女は――。

 そのとき、エルモアがはっと息を呑んだ。

 穏やかだったその顔から、表情が抜け落ちている。深い皺の刻まれた目が、まっすぐにアゲハを見つめていた。

「……その名前を、どこで聞いたんだい」

 アゲハは口を開き、そのまま閉じた。答えられない。言葉にすれば、今度こそ制裁が下る。

 沈黙が、テラスに落ちた。

 エルモアはしばらくアゲハを見つめていたが、やがて、ふっと目を伏せた。何かを悟ったような顔だった。

「そうかい」

 それだけ言って、エルモアは胸の前で両手を握り合わせた。その手が、かすかに震えていた。

「……生きて、いるんだね」

 誰に聞かせるでもない、小さな声だった。子どもたちは、きょとんとした顔でエルモアとアゲハを見比べている。エルモアはその顔をひとつひとつ見渡して、それきり何も言わなかった。

 アゲハは小さく舌打ちをした。何も言えないのが苦痛だった。

 彼女の奮闘も。彼女の死にざまも。

 

 アゲハはポケットから携帯電話を取り出した。このままでは、あの女が告げたとおりの未来を、ただ待つことになる。

 景虎さんの番号を、乱暴に押した。今は苛立ちをぶつける先が欲しかった。

 

***

 

 やがて、歴史は変わった。

 あの荒れ果てた未来で聞いた言葉のとおりにはならなかった。天樹院エルモアは、生き延びた。

 

***

 

 宣戦の儀の映像を、ツムギは今でも覚えている。

 目元を隠したW.I.S.Eの者たちが世界に宣戦を布告し、街が崩れていく。報せを聞いたツムギは、宣戦の儀と呼ばれるその時の映像を探し出し、画面の隅から隅までを食い入るように見つめた。あの子たちが映っているのではないか。自分が捕らわれてもいないのに、無謀にも飛び込んでいるのではないか。

 けれど、どの映像を見ても、エルモア・ウッドの子どもたちの姿はなかった。

 安堵で膝から力が抜けた。あの子たちは、きっとどこかで生きている。エルモア様のそばで、身を潜めて。

 それから世界は壊れた。空が覆われ、街が消え、W.I.S.Eの支配が荒野の隅々にまで行き渡っていった。

 滅びた世界で、ひとりの人間が生き延びる術はほとんど残されていなかった。隠れ住む人々は次々と狩り出され、捕らわれていく。そして何より、ツムギは捕らわれるわけにはいかなかった。捕らわれれば、どこかで生きているあの子たちが、助けに来てしまうかもしれない。

 ほかに、選べる道はなかった。

 ツムギは泣く泣く、W.I.S.Eの末端に連なる者たちの記憶に自分を縫い込み、その内側へ潜り込んだ。

 皮肉なことに、そのほうがずっと楽だった。瓦礫の陰に隠れ住み、いつ狩り出されるかと怯えながら夜を明かすより、狩る側の顔をして堂々と紛れ込んでしまえばいい。W.I.S.Eの者を、W.I.S.Eが狩ることはない。寝床も食べるものも、何食わぬ顔をしていれば手に入る。誰も、身内の中に紛れた異物を探そうとはしなかった。

 

 偵察の報告を取りまとめ、捕らわれた人間の記憶を抜き出し報告する。それが、W.I.S.Eの中でのツムギの役目になった。

 エルモア・ウッドにまつわる報せは、一度も上がってこなかった。あの家の人々は、どこかで深く身を潜めているのだろう。エルモア様がついているのだ、きっとまだ生きている。

 どこかで人が生き延びているらしいという目撃の報せは、ときおり荒野から届く。

 そのたびにツムギは、報告を持ち帰った者に針を留めた。見た場所をずらし、見た人数を減らし、ただの見間違いとして流していく。それがあの子たちにつながっているのかどうかは分からない。分からないから、本当はひとつ残らず消してしまいたかった。けれど、報せがぱたりと途絶えれば、かえって不審がられる。だからツムギは、目立たない程度に、上へ流れる報せの数を少しずつ減らしていった。

 やがて、目撃される者の中に、荒廃した世界には似つかわしくない、整った身なりの者たちが混じるようになった。突然荒野に現れる者たち。

 コペル様と同じだ、とツムギは思った。

 けれど、その多くは捕らわれてから報告が上がってくる。助ける術も、手を伸ばす理由も持たないまま、彼らが連れていかれるのをただ見過ごすしかなかった。ツムギは唇を噛んで、その報告を先へ流した。

 

 W.I.S.Eの中にいれば、見たくないものも目に入る。

 人間が、人間ではないものに作り変えられていく。タヴーだ。捕らわれた者たちが連れていかれ、戻ってきたときには、もう別の何かになっている。そのほとんどは、自我を失っていく。ツムギにそれを止める力はなかった。止めようとすれば、自分の居場所ごと崩れてしまう。だから、ただ見送ってきた。

 その中に、ひとり、ほとんど元の姿のままの者がいた。

 顔立ちも、背格好も、人であった頃とそう変わらない。それなのに、その目には何も映っていないように見えた。すれ違いざま、ツムギは思わず足を止めかけ、けれど何も言えずにその背中を見送った。

 

***

 

 荒野から戻ったタヴーの記憶を縫い直すのは、ツムギにとって日課のようなものだった。

 その日も、偵察から戻った一体のタヴーの腕に、そっと針を留めた。自我の薄れたタヴーの記憶は、ほつれた糸のように脈絡がない。その中に、ひとつだけはっきりとした光景が混じっていた。

 崩れた給水塔。その足元の瓦礫をどけ、地下へ続く暗がりへと潜り込んでいく自分の姿。

 ツムギは首を傾げた。給水塔のある一帯は、このタヴーの持ち場ではない。以前に迷い込んだことでもあるのだろう。気にも留めずに糸をたどり、偵察の中身だけをいつものように書き換えた。

 数日後、別の報告が上がってきた。

 給水塔の地下に、隠れ住む人間たちがいた。見つけたのは、あのタヴーだった。持ち場を離れ、なぜかまっすぐにそこへ向かったのだという。

 ツムギの指が止まった。

 あの光景を読んだとき、タヴーはまだ給水塔へ行ったことがなかったはずだ。報告を遡っても、あの一帯を回った記録はどこにもない。

 自分が読めるのは、記憶だけだ。記憶は、過去にあったことのはずだ。

 ツムギは首を振った。考えすぎだ。自我の薄れたタヴーのことだ、記憶に残らない迷い方をしていたのかもしれない。

 指先に残るかすかなざらつきのような違和感だけが、なかなか消えなかった。

 

***

 

 ある日、上から一つの指示が降りてきた。

 人間たちの出現位置に関する報告を、過去の分まですべて洗い直して上げよ。

 詰め所の者たちは面倒くさそうに顔をしかめ、指示の出どころを噂し合った。ミスラ様だ、と誰かが言った。ツムギは報告の束を揃える手を止めずに、その名前を聞いていた。

 一度も会ったことのない相手だ。けれど、その名が誰かの口にのぼるたび、詰め所の空気がわずかに張りつめるのを、ツムギは知っていた。

 人間の出現位置。それは、ツムギが何年もかけて、ひとつずつずらし、ぼかしてきた報告だった。九州から東へと移る流れを悟られぬよう、所々ずらし誤魔化してきたはずの記録。

 書き換えた記憶に綻びはないはずだ。一つひとつの報告は、どれもありふれた見間違いにしか見えない。けれど、それをすべて並べて眺めたとき、あまりに整いすぎてはいないだろうか。

 背筋を、冷たいものが伝った。

 ツムギは何事もなかったように、洗い直した報告の束を差し出した。受け取った男は中身も確かめずにそれを抱え、上階へ運んでいった。その背中が見えなくなるまで、ツムギは息を詰めていた。

 

***

 

 その数日後、詰め所に新しい報告が届いた。

 星将ドルキとシャイナが、ある地点の監視を強めた、と。




W.I.S.Eとかいう組織の規模感はまじで謎。
本編だと星将とタヴーがほぼ全て。それ以外の構成員って、スカージしかいない。
とりま今作ではPSIが使える非戦闘員的なのもいるような扱いにして、主人公を潜り込ませてます。

人数のヒントになりそうなのは、スカージのデルボロが言っていた「凝縮型イルミナ生存率0.1%以下」の手術くらい。単純に0.1%だとすると1000人に1人で、スカージ5人いるわけだから5000人溶けてる計算。
事前に適合できるか分かる「適合率」ではなく「生存率」と言っているので、文明崩壊前の生存者を使ってやった人体実験の結果が0.1%なだけの可能性はある。偶然生き残った人間が皆「ワイズ万歳」って言ってスカージ所属になる方がおかしいので、スカージは適合するから手術を受けた精鋭と考えた方が自然。
とはいえ生存率0.1%以下で適合率が1%くらいありますとなるわけがないので、数千人規模(タヴー込み)の組織だと考える方が妥当。
それなら非戦闘員くらいいるよね、という理論です。
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