透き通る世界でシャーマンは愛の物語を紡げるか。 作:UMC OGASOU
重く濁った闇の底から、意識の輪郭がゆっくりと浮上してくる。
全身を包み込むのは、硬く乾いた地面の感触と、どこか焦げ臭い硝煙の匂い。そして、肌を刺すような見知らぬ空気の粒子だった。
(……おい、ソウキ。起きぬか、ソウキよ)
脳裏に直接響き渡る、太く重厚な声。その厳格な響きに、まぶたをうっすらと開く。視界に入ってきたのは、雲ひとつない異様なほど真っ青な空と、その彼方にそびえ立つ見たこともない巨大な近代建築群のシルエットだった。
(……やれやれ。大掛かりな次元の歪みに巻き込まれたと思えば、なんとも妙な場所へ落とされたものだな。ソウキ、怪我はないか?)
「……んー……大丈夫、大丈夫……。骨は折れてねえみたいだし……生きてりゃなんとかなるだろ……」
頭をさすりながら、力なく呟く。声の主――ソウキの持霊であるヘクトゥーパの存在を感じ取りながら、ソウキは自分が倒れていた場所を確かめるように体を起こそうとした。
しかし、長時間の時空跳躍による疲弊か、全身の関節が軋むような痛みを上げて力が入らない。着ている服は、いつもの黒い半袖シャツに短パンという極めてラフな姿のままだ。
「参ったな……ポケットの小銭、この世界の店で使えるかねえ……」
ヘラヘラとした緩い笑みを浮かべ、サビついたジャンクの小型拳銃がポケットに収まっていることだけを確かめて、ソウキは再び路上へゴロリと横になった。雲の形を数えるでもなく、だらだらと空を仰ぐ。
そんなソウキの頭上で、突如として規則正しい軍靴の足音が響いた。
「――イオリさん、あちらです! 路上に人が倒れています!」
「なっ……何事だ!? ゲヘナ自治区の真ん中で行き倒れか!?」
切迫した少女たちの声。足音は急速に近づいてきて、ソウキのすぐ傍でピタリと止まった。
まぶたを薄く開けると、そこには二人の少女が立ち尽くしていた。一人は黒い軍服風の衣装に身を包み、銀色の髪をなびかせた凛々しい少女。手にはいかにも殺傷力の高そうな最新型のサブマシンガンを握りしめている。もう一人は、白と赤を基調とした救護員の衣装を着た、穏やかな雰囲気を纏った黒髪の少女だった。
二人とも、頭上には謎の光の輪――ヘイローを浮かべている。
(ほう……ソウキよ、見よ。あの小娘たちの頭上にある光を。霊体でもなければ、単純な魔力でもない。この世界の住人が持つ特別な命の波長のようなものか)
(へえ……綺麗なもんだねえ。でも、なんか重そうな服着て、大変そうだ)
脳内でヘクトゥーパと呑気なやり取りを交わしている間にも、救護員風の少女――火宮チナツは、素早くソウキの傍らに屈み込み、手際よく体温や脈拍を確かめ始めた。
「落ち着いてください、今手当をしますからね! ……えっ? 傷口は……なさそう? 単なる衰弱でしょうか……?」
チナツの指先が、ソウキの首筋や腕に優しく触れる。その手つきは極めて丁寧で、心配そうに見つめてくる瞳は澄み切っていた。あまりにも手際が良く、そして可憐なその姿に、ソウキの思考は一瞬で別の方向へと跳躍した。
「……ううん……」
「あ、意識が戻りましたか!? 大丈夫ですか、どこか痛むところは――」
ゆっくりと目を開けたソウキは、目の前のチナツの顔をじっと見つめ、次の瞬間にはいつものヘラヘラとした緩い笑みを全開にした。
「……天使……? いや、めちゃくちゃ可愛い看護師さんじゃん! ねえお姉さん、俺と付き合って!」
「――――は?」
チナツの手がピタリと止まる。ポカンと口を開け、丸くした瞳でソウキを見つめるチナツ。
その直後、横から恐ろしいほどの威圧感と金属音が叩きつけられた。
『ジャキッ!』
「貴様ぁぁぁ!! 死にかけのくせに何をふざけたことを抜かしているんだ不審者がぁぁっ!!」
銀髪の少女――銀鏡イオリが、顔を真っ赤にしてサブマシンガンの銃口をソウキの鼻先に突きつけていた。トリガーにかかった指には、今にも引き金を引き絞らんばかりの力がこもっている。
「イ、イオリさん落ち着いてください! まだ患者さんなんですから!」
「落ち着けるかチナツ! 助けてもらっておいて開口一番セクハラだと!? そもそも見ろ、こいつの格好を! このクソ寒い中で黒の半袖短パン……どこからどう見ても不審者以外の何物でもないだろうが!」
「まあまあ、お姉さんたち、そんな物騒な鉄砲向けないでくれよ。俺は勝川ソウキ。ただの通りすがりの風来坊だって。怪しい者じゃないよ」
ソウキは突きつけられた銃口をひょいと手で払いのけようとするが、イオリの鋭い視線がそれを許さない。
「動くな! 喋るな! ……待て、何かおかしいぞ……?」
イオリがソウキの全身を凝視し、やがてその表情が驚愕と疑惑に染まっていった。
「ヘイローが……ない……!?」
「えっ……?」
チナツもハッとしてソウキの頭上を見上げる。そこには、キヴォトスの生徒であれば誰もが持っているはずの光の輪が存在しなかった。完全な無。何もないただの空間だ。
「な、なんですって……!? ヘイローがない!? そんな人間が、どうして平然と生きているのですか……!?」
「おいおい、そんな珍しいものを見る目で見ないでくれよ。俺には元々そんなピカピカ光る輪っかはないんだって」
「戯言を言うな! キヴォトスにおいてヘイローを持たない生徒など存在するはずがない! 貴様、一体どこから紛れ込んだ!? 秘密兵器か? スパイか!?」
イオリの警戒度は最高潮に達し、容赦なくソウキの身ぐるみを剥ぎ取り始めた。ポケットや服の隙間を荒々しく探られ、ソウキは「あはは、くすぐったいってば」と笑いながら抵抗もしない。
「チッ、ロクなものを持っていないな……ん? なんだこれは……」
イオリの手が、ソウキの右ポケットから一発の銃を取り出した。
それは、お世辞にも兵器とは呼べない代物だった。全体が赤サビに覆われ、フレームには細かい亀裂が走り、いつ分解してもおかしくないような、骨董品以下の安物ジャンク拳銃。
「……ハッ、なんだこのボロクソな豆鉄砲は。サビで引き金すら引けそうにないぞ。こんなオモチャで何をしようとしていたんだ?」
イオリが心底呆れたように鼻で笑う。
(……ほう、我らを『オモチャ』と捨て置くか。ソウキよ、あの生意気な小娘の尻を叩いてやらんか?)
(まあまあ、ヘクトゥーパおじさん落ち着いて。本当のことだしさ)
ソウキは脳内で持霊を宥めつつ、イオリに向けてのほほんと手を振った。
「おいおい、俺の相棒を悪く言わないでくれよ。見た目はボロいけど、いざって時はちゃんと頼りになるんだからさ。返してくれよ、それ」
「断る。押収だ。……チナツ、連行するぞ。ヘイローのない不審者など、我々風紀委員会だけで判断できる案件じゃない。アコ行政官に引き渡して、厳重に取り調べる」
「はい、了解しました。……ソウキさん、申し訳ありませんが立ち上がれますか?」
チナツが優しく手を差し伸べてくれる。ソウキはその手を遠慮なく握り締め、「チナツちゃんの手、温かいねえ」とヘラヘラ笑ったため、イオリから「触るな!」と銃のグリップで頭を叩かれそうになった。
◇
護送用の装甲車に押し込まれ、ソウキはガタガタと揺れる車内で二人の視線に晒されていた。
窓の外を流れていくのは、巨大な建造物と、銃を背負った少女たちが平然と歩き回る異常な街並み。
(ソウキよ、この街は妙だぞ。至る所から微弱な霊弾の痕跡と、特異なエネルギーの残り香を感じる。常世と隠世の境目が、科学という装飾で強引に塗りつぶされたような場所だ)
(へえ……ヘクトゥーパにもそう見えるか。まあでも、住んでる女の子たちはみんな可愛いし、住みやすそうだけどね)
(相変わらず緊張感のない男だ……)
呆れ果てるヘクトゥーパの気配を感じながら、ソウキは向かい側に座るイオリに話しかけた。
「ねえ、イオリちゃん。さっき言ってた『ゲヘナ』とか『風紀委員会』ってなんなの? 俺、マジで何も知らなくてさ」
「貴様に名乗る舌などない! ……と言いたいところだが、己の立場を分からせるために教えてやる。ここはゲヘナ学園自治区。そして私たちは、この街の秩序と治安を守るゲヘナ風紀委員会だ。そして私は遊撃隊長の銀鏡イオリ!」
「へえー、隊長さんなんだ。すごいねえ。じゃあ、その『アコ行政官』って人が一番偉いの?」
「アコ行政官は風紀委員会の頭脳であり、実質的な運営を取り仕切るお方だ。もっとも……本当の頂点におられるのは、私たちの不世出の委員長、空崎ヒナ様だがな」
「ヒナ……?」
その名前を聞いた瞬間、ソウキの胸の奥で、かすかな霊的なざわめきが起きた。まだ見ぬその人物の周りに、ドス黒く重苦しい「何か」が渦巻いているような、不吉な予感が背筋を撫でる。
(……ソウキ、察したか)
(……ああ。なんか、えげつない重圧を背負わされてる奴がいる気がするな……)
先ほどまでのヘラヘラとした雰囲気が一瞬だけ削ぎ落とされ、ソウキの瞳に鋭い冷気が宿る。しかし、それもほんの一瞬のこと。イオリが怪しむ前に、ソウキはすぐに元の緩い表情に戻った。
「まあ、何にせよ偉い人に会えるなら好都合だ。俺の無実を証明して、解放してもらわないとね」
「ハッ、無理だな。ヘイローを持たない存在など、存在するだけでキヴォトスの脅威だ。地下留置場にぶち込まれる覚悟をしておくんだな」
「勘弁してくれよー」
軽口を叩き合っているうちに、装甲車は重厚な黒塗りの巨大建築――ゲヘナ風紀委員会本部の地下駐車場へと滑り込んだ。
◇
重々しい鉄の扉が開かれ、ソウキはイオリとチナツに挟まれる形で、静まり返った本部廊下を歩かされていた。
壁の質感、すれ違う風紀委員たちの殺伐とした空気、そして漂う硝煙の匂い。そのどれもが、この組織が単なる学校の委員会ではなく、実質的な軍事組織であることを物語っている。
「入りなさい」
イオリに促され、重厚な木製のドアを潜る。
そこは、膨大な書類の山とモニター群が整然と並ぶ行政官室だった。
執務机の奥、少女が、不機嫌そうに書類へペンを走らせていた。彼女の首元には、どこか背徳的とも言える黒いチョーカーが巻き付けられている。
「……イオリ、チナツ。定期巡回から戻ったのですか。それで……その不審者が、報告にあった『ヘイローのない人物』ですか?」
天雨アコ。風紀委員会の行政官であり、組織の実務を一人で背負って立つ女が、冷徹な視線をソウキへ向けた。
アコの青い瞳が、ソウキの頭上から足元までを厳しく検分する。
「……ハァ。冗談でしょう? 黒の半袖に短パン……おまけにヘイローが影も形もない。このようなふざけた格好の人物が、ゲヘナ自治区の路上に倒れていたと?」
「はい、アコ行政官。身元を証明するものは一切所持しておらず、所持品はこのサビついた構造不明の拳銃一丁のみです」
イオリが押収したジャンク拳銃をデスクの上に事もなげに置く。アコはそれをチラリと一瞥し、ため息をついた。
「ゴミですね。そんなもの、兵器としての価値すらありません。……それより問題は、この男の存在そのものです。キヴォトスの住民でありながらヘイローが存在しないなど、概念的にあり得ません。貴方、一体何者ですか? どこから入ってきたのです?」
アコの詰問は鋭く、一切の隙も与えない。威圧感にあふれた立ち振る舞いは、まさに治安組織の要職といった風情だ。
しかし、ソウキはそんな威圧感をまったく意に介さず、部屋の隅にあるパイプ椅子を勝手に引き寄せてドカリと腰掛けた。
「やあやあ、お姉さんがアコちゃん? 厳しい顔してるとシワが増えちゃうよ。俺は勝川ソウキ。ちょっと遠くからうっかり流されてきちゃっただけでさ、別にゲヘナをどうこうしようとか、そんな大層な目的はないんだって」
「……誰がアコちゃんですか! 気安く名前を呼ばないでください!」
バンッ! とデスクを叩いて立ち上がるアコ。その胸元が大きく揺れ、メガネの奥の瞳が怒りで釣り上がっている。
「良いですか!? キヴォトスにおいてヘイローがないということは、存在の根本を疑われるレベルの異常事態なのです! 『うっかり流されてきた』などというふざけた言い訳が通ると思っていますか!?」
「いやあ、本当のことなんだけどなあ……。生きてりゃ色んなことがあるんだよ」
「話になりません! イオリ、すぐにこの男を地下の拷問室……いえ、尋問室へ連行して徹底的に取り調べます! カツドンでも突きつけたら吐くでしょう!」
「待った待った! アコちゃん、落ち着いてって!」
ソウキは慌てて手を横に振った。このまま地下に連れて行かれて面倒なことになっては叶わない。ソウキは頭を掻きながら、困ったように微笑んだ。
「要はさ、ヘイローがあれば信じてくれるんだろ? 『ヘイローがないから怪しい』ってんなら、出せばいいわけだ」
「……は?」
アコがポカンと口を開け、イオリもチナツも眉をひそめる。
「何を言っているのですか? ヘイローは出すものでも引っ込めるものでもなく、個人の存在に紐づく精神的・物理的な――」
「まあ見てなって」
ソウキはすっと目を閉じ、深く息を吐き出した。
(ヘクトゥーパおじさん、ちょっと霊力を貸してくれ。それっぽく見せかける)
(ふん、無茶を言う。我が巫力をそのような安っぽい偽装に使うとはな……まあよい、やってみせよ)
ソウキの体内で、静かに巫力が練り上げられていく。
シャーマンとしての肉体を通じて放たれるその波動は、本来であれば見えない霊的なエネルギーだ。しかしソウキは、それを頭上の空間へ集中させ、光の屈折と霊力の密度を極限まで高めることで、「光の輪」の形へと強引に再構成(モデリング)してみせた。
『パッ』
ソウキの頭上、数センチの空間に、ぼんやりとした金色の光の輪が出現した。
歪で、少し明滅しているものの、どこからどう見てもキヴォトスの生徒たちが持つ「ヘイロー」そのものに見えた。
「なっ……!?」
アコが目を見張り、メガネがズリ落ちそうになる。
「な、なに……!? 今、ヘイローが出現した……!? 意味がわかりません! どうやって隠していたのですか!?」
イオリも驚愕のあまり絶句し、銃を構える手が一瞬緩む。
「な、なんだ貴様……!? 本当にヘイローを持っているのか!? 物理的に隠蔽する技術など、トリニティの実験室でも聞いたことがないぞ……!」
「ほらね?」
ソウキは鼻の下を指で擦りながら、ドヤ顔でアコを見つめた。
「ちょっと見えにくくなってただけだって。これで文句ないだろ? 俺はただの一般人なんだから、そろそろ解放してくれても――」
話の途中で、ソウキの視線がふと横へ逸れた。
そこには、ソウキの頭上の光を「すごい……本当にヘイローが出た……」と純粋な瞳で見つめているチナツの姿があった。光に照らされたチナツの横顔があまりにも可憐で、ソウキの意識は一瞬でそちらへ奪われてしまった。
(うわ、チナツちゃん間近で見るとマジで可愛いな……看護師さん属性高すぎるだろ……)
「……あ」
意識がチナツの可愛さに100%持っていかれたその瞬間。
ソウキの頭上で維持されていた巫力の緊張感が、ぷつりと切れた。
『パッ』
金色の光の輪は、儚い泡のように一瞬で消滅し、そこには再び何もない空虚な空間だけが残された。
静寂。
行政官室の中に、凍りつくような沈黙が流れた。
アコが、信じられないものを見る目でソウキの頭上と、そのヘラヘラとした顔を交互に見つめる。
ソウキは「あちゃー」という顔をして、自分の頭の上を指差した。
「……えーっと、集中力が切れちゃった……かな?」
「―――――――やっぱり今、作りましたよねぇぇぇ!!????」
アコの咆哮が、行政官室の天井を突き破らんばかりの勢いで響き渡った。
「な、なにが『集中力が切れちゃった』ですか!! 意識を逸らした瞬間にパッと消えるヘイローがこの世のどこにありますか!! 手品ですか!? 貴方は私たちをバカにしているのですか!!」
アコは顔を真っ赤にしてデスクを激しく叩き、書類の山が崩れ落ちるのも構わずソウキに指を突きつけた。
「イオリ! 今すぐです! 今すぐこの不純物を地下留置場にぶち込んでください! 存在自体が不敬! 存在自体が違法です!」
「言われなくてもそうする! 貴様ぁぁ! 私たち風紀委員会を弄んでタダで済むと思うなよ!」
イオリが猛然とソウキの腕を掴み、力任せに立ち上がらせようとする。
ソウキはイオリに引っ張られながらも、まったく反省した様子もなく、呆れ果てるアコに向けてひらひらと手を振った。
「いやー、惜しかったなあ! もうちょっとで騙せそうだったのに! ま、そんなに怒るなよアコちゃん、お肌に悪いぞ〜」
「誰がお肌に悪いですか!! 二度とアコちゃんと呼ぶなこの不純物がーーーーーっ!!」
アコの悲鳴のような怒号に見送られながら、ソウキはイオリによって引きずられるように行政官室を連れ出されていくのだった。
(……やれやれ。ソウキよ、お前のその適当さには呆れるばかりだな)
(いいじゃんかヘクトゥーパおじさん。まあ、地下でゆっくり寝られるならそれも悪くないって)
(……ふん。だが覚悟しておけよ。この館の奥から感じる『重圧』……そう遠くないうちに、お前も巻き込まれることになるぞ)
(……わかってるって。……ヒナちゃん、だっけ。後で缶コーヒーでも差し入れしてやるかね)
廊下を引きずられながら、ソウキはポケットの中のサビついたジャンク銃の感触を確かめ、静かに不敵な笑みを浮かべたのだった。