透き通る世界でシャーマンは愛の物語を紡げるか。 作:UMC OGASOU
重苦しい金属音が、装甲車の狭い車内に深く響き渡っていた。
ゲヘナ学園風紀委員会が所有する最高級の重装甲兵員輸送車。その内部は、外界の喧騒を一切遮断する分厚い複合装甲に囲まれており、不気味なほどの静寂と冷気が満ちていた。蛍光灯の白々しい光が、対面して座る者たちの表情を無機質に照らし出している。
中央の長椅子に身を投げ出すように座っているのは、手首に厳重な特殊抑制具――霊力や特殊な身体能力を封じるための重厚な手錠を嵌められた青年、勝川ソウキであった。
黒の短パンに半袖シャツ、その上に羽織っただらしない予備制服という恰好のまま、ソウキは退屈そうに身体を揺らし、首を左右に鳴らした。
「あー……肩こる。おいおい、風紀委員会様のご自慢の高級車なんだろ? もうちょっとシートのクッション性にこだわったらどうなんだ? これじゃお尻が痛くてたまらんぞ」
「黙りなさい、この不純物が!!」
正面の座席から、弾かれたように金切り声が飛んできた。
風紀委員会行政官、天雨アコである。彼女は手元に抱えたタクティカルタブレットを指が白くなるほど強く握り締め、血走った瞳でソウキを睨みつけていた。額には青筋が浮かび、先ほどヒナの執務室で味わった屈辱と混乱が未だに冷めていないことを全身で主張している。
「貴方に快適な移送環境などを提供する理由がどこにありますか! 本来であれば、ヒナ委員長に対する不敬罪、不法侵入、さらには身元不明の不審者として、即座に地下最深部の特別牢獄へ放り込むところだったのですよ!?」
「へいへい。でもそうしなかったのは、そこの委員長様が『シャーレに相談しなさい』って言ったからだろ? 感謝なら委員長様にしてくれよ」
「なっ……! 貴方がヒナ委員長の名を安安と口にするんじゃないわよ! 口を洗って出直しなさい!」
「アコ、落ち着けって。声が車内に響いて鬱陶しい」
アコの隣で、大きな狙撃銃を膝に載せた小柄な少女――風紀委員会遊撃隊長、銀鏡イオリが心底呆れたように吐き捨てた。褐色肌に白いツインテール、そして鋭い眼光を持つ彼女は、ソウキの全身を舐めるように視線で走らせ、鼻を鳴らす。
「まあ、アコの怒る気持ちも分からなくはないけどな。……おい、不審者」
「ソウキだって言ってるだろ、イオリちゃん」
「誰がイオリちゃんだ! 気安く呼ぶな!」
イオリは即座に愛用の銃身を跳ね上げ、その冷たい砲口をソウキの額からわずか数センチの距離へと突きつけた。カチリ、と安全装置が解除される硬質な音が狭い車内に不吉に響く。
「いいか? 理由はどうあれ、お前は『ヘイローが存在しない』あるいは『何らかの方法で不可視化している』という、このキヴォトスの常識ではあり得ないバケモノだ。ただの不審者ならあたしたちだけで叩き潰して終わりだが、ヘイローの偽装なんて芸当、連邦生徒会やシャーレの『先生』しか解決できない怪奇現象だからな。……少しでもおかしな動きを見せてみろ。シャーレに着く前に、その足をハチの巣にしてやる」
「おっかないねえ……。銃口を人に向けるもんじゃないぞ。危ねえだろ」
ソウキは全く動じる様子もなく、むしろあくびをしながらイオリの銃口を指先でちょんと突いて逸らした。
(……ソウキよ)
脳内に、深く重厚な声が響く。持霊である大霊ヘクトゥーパの声だ。
(この娘たちの体内に宿る異能、そして頭上に輝く光の輪……キヴォトスの理とは実に興味深い。身体の頑丈さも並の人間とはかけ離れておるが……それゆえに、自らの『異質さ』に対する警戒が苛烈極まるな)
(なあヘクトゥーパおじさん。俺ってそんなにおかしいか? ヘイローがないくらいで、バイオハザードの感染者みたいな扱い受けてんだけど)
(笑止。お前はただの人間であり、幽世(かくりよ)の理を扱うシャーマンに過ぎん。ヘイローなるものがこの世界の住人の『魂の証明』あるいは『生命の概念』であるならば、それが存在せぬお前は、彼女らにとって『生きて動いている死体』と同義に見えておるのであろうよ)
(へいへい、死体扱いとは光栄だねえ……)
ソウキは心の中でヘクトゥーパとくだらない雑談を交わしながら、深々とシートに背を預けた。
今回の移送が決まったのは、缶コーヒーの騒動からわずか一時間後のことだった。
ヒナの執務室で「サボり」を強行させたソウキに対し、アコは激怒し即刻処罰を主張した。しかし、ヒナは冷静だった。ソウキの身体を検査した風紀委員会の医療班から「ヘイローが全く感知できない」という報告を受けたヒナは、この男が単なるゲヘナ内部の無法者や他校の潜入員ではなく、キヴォトスの根幹に関わる「異質な存在」であると見抜いたのだ。
結果として、全学園に対して中立な立場を持ち、不可解な現象や異世界の遺物に精通しているとされる連邦捜査部「シャーレ」――そしてその顧問である『先生』のもとへ身柄を引き渡し、判断を仰ぐこととなった。
今回の車列は、ソウキが乗る中央の重装甲兵員輸送車を核とし、前後にゲヘナ風紀委員会の戦闘用警備車が二両ずつ配備された、極めて厳重な警護陣形であった。遊撃隊長のイオリが直接護衛につき、行政官のアコが同行していることからも、風紀委員会がどれほどこの「不審者」を重要警戒対象とみなしているかが窺える。
「……はぁ。まったく、ヒナ委員長のお手を煩わせるわけにはいかないから同行しますけれど……なぜ私がこんな不純物の護送などに付き合わなければならないのですか」
アコは不満気に溜め息をつき、タブレットの画面を操作しながら呟いた。
「現在の走行ルートは、ゲヘナ自治区の外縁部……第7荒野街道です。万魔殿の管轄からも外れており、治安は最悪。路面状態も劣悪ですが、管区境界を越えて連邦生徒会直轄区へ入るにはここを突っ切るのが最短ルートです」
「荒野かぁ。どおりでガタガタ揺れるわけだ」
ソウキは窓の外に目を向けた。分厚い防弾ガラスの向こうには、草木も生えない赤茶けた岩肌と、捨てられたビルの残骸、そして無機質な地平線が広がっていた。キヴォトスの賑やかな市街地とは打って変わり、死んだような静寂が支配する殺伐とした風景だった。
「油断するんじゃないぞ、不審者。このあたりは風紀委員会の目が届きにくいのをいいことに、ヘルメット団の崩れや、賞金稼ぎのアウトローどもが溜まり場にしている地域だ。何かあれば即座に射殺戦になる」
イオリが銃のボルトを引き、装填を確認しながら冷ややかに言った。
「射殺戦ねえ……女の子が物騒な言葉を使うもんじゃないよ」
「うるさい! あたしたちは風紀委員会だ! 無法者どもを叩きのめすのが仕事なんだよ!」
イオリが言い返そうとした、まさにその時だった。
ずしん、と腹の底に響くような激しい振動が、重装甲車の巨体を揺らした。
「――っ!? なに!?」
イオリが咄嗟に身を乗り出し、アコが素早くタブレットを叩く。
次の瞬間、先頭を走っていた警備車が爆発を起こし、激しい炎と黒煙を上げて横転するのが窓越しに見えた。
『ドガァァァァンっ!!!!』
凄まじい爆圧が装甲車の車体を叩き、金属が悲鳴を上げる。車内灯が激しく点滅し、赤い緊急警報のランプが回転し始めた。
「先頭車が大破! 地雷……いいえ、高威力の対戦車ロケットです! 前方に多数の熱源反応!」
運転席の風紀委員が叫ぶ。
「チッ! 待ち伏せか!?」
イオリが即座に立ち上がり、ハッチへ向かおうとした。だが、衝撃はそれだけでは終わらなかった。
ズバババババッ!! と、装甲車の屋根や側面に、雨あられのような重機関砲の掃射音が叩きつけられる。同時に、後方からも激しい爆発音が響いた。後続の警備車も狙い撃ちにされたのだ。
「状況報告を! 敵の規模は!?」
アコが叫びながら通信機に手を伸ばす。しかし、スピーカーから返ってきたのは、耐え難い不快な金属音――猛烈なノイズだけだった。
「ダメです、行政官様! 広域強力ジャミングが発生しています! 本部との通信、およびシャーレへの緊急要請も完全に遮断されました!」
「なんですって……!? このタイミングで強力なジャミング……!? 偶然の襲撃ではないというのですか!?」
アコが歯噛みする。
ソウキは手錠をかけられた両手を前で組みながら、窓の外の霊的な動きを密かに「霊視」していた。
(ヘクトゥーパおじさん……これ、えぐい数の奴らが囲んでないか?)
(うむ。ただの野盗の類ではないな。あちこちの岩陰から、黒い害意を撒き散らす邪気が蠢いておる。……その数、三桁を下るまい。重厚な鉄の塊(兵器)も多数見受けられるぞ)
ソウキの視界には、荒野のあちこちから溢れ出す無数の黒い悪意のモヤが見えていた。
単なる突発的な強盗ではない。ゲヘナ風紀委員会の幹部車列がこのルートを通ることをあらかじめ知っていたかのような、綿密かつ大規模な伏兵陣形。
「へっ……面白くなってきたじゃないか!」
イオリは恐怖するどころか、獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべ、上部のハッチを蹴り開けた。
「アコ! あたしは外に出て敵を排除する! お前は車内から指揮を執れ! 不審者! お前は大人しくそこに座って撃たれ死ね!」
「物騒な言い草だなあおい!」
イオリはソウキのツッコミを無視し、風を切ってハッチから跳び出していった。
「イオリ! 無茶はいけませんよ!」
アコは叫びつつ、車内の戦況モニタリングシステムを起動させた。外部カメラの映像がモニターに映し出される。
そこに映っていたのは、地獄のような光景だった。
荒野の岩陰や廃棄された巨大コンテナの陰から、続々と姿を現す無数の人影。
異様なカスタムを施したフルフェイスのヘルメットを被った少女たち――『ヘルメット団』の過激派連合。さらには、黒い戦闘服に身を包み、身元を隠した無所属のアウトロー賞金稼ぎや、闇ルートで入手したと思われる重火器で武装した無法者たちの群れだった。
その数は二千、三千とも知れない大軍勢。しかも彼らは、民生品を改造した装甲トラックだけでなく、軍用の旧式自走迫撃砲や重装甲車まで投入していた。
「な……なんですのよ、あの数は……!? ゲヘナ自治区の外縁に、これほどの過激派が潜伏していたというのですか!?」
アコが蒼白な顔で叫ぶ。
「へえ……ゲヘナってのは、本当に治安が崩壊してるんだな。これ、ちょっとした戦争だろ」
ソウキは感心したように頷いていたが、アコは彼を振り返る余裕すらなくなっていた。
「風紀委員会各員へ命令! 陣形を再構築し、敵の包囲網を突破します! 車両を盾にして防御陣地を形成しなさい!」
アコの指示に従い、生存している風紀委員たちが装甲車から飛び出し、素早く散開して応戦を開始した。
『タタタタタタタタッ!!』
『チュドォォォォンッ!!』
凄まじい銃声と砲撃音が荒野に響き渡る。
イオリの戦闘力は圧巻だった。彼女は荒野の岩場を、まるで重力を無視するかのような疾走と跳躍で駆け抜け、狙撃銃を一閃させるたびに敵の重装甲車の視察孔や機関銃座を的確に打ち抜いていく。
「ハハッ! 風紀委員会を舐めるなよ、ゴミ屑どもが! あたしの銃弾から逃げられると思うな!」
イオリの叫びとともに、敵のトラックが次々と炎上し、黒煙を上げて転倒する。まさに一騎当千の活躍だった。
だが――敵の数が、あまりにも多すぎた。
「ヒャッハー! 風紀委員の幹部を生け捕りにしろ! 万魔殿に売り飛ばせば大金になるぞ!」
「イオリだ! あのチビを集中砲火で潰せ!」
過激派たちの野次と狂叫が荒野に響き渡る。
十数人、数十人を倒したところで、敵の波は一向に引く気配を見せない。それどころか、後方に陣取った敵の自走迫撃砲部隊が、容赦ない曲射砲撃を開始したのだ。
『ヒュ―――――――――――ッ……ポカァァァンッ!!』
天空から降り注ぐ砲弾の雨。
風紀委員たちが展開していた防衛用のエネルギー障壁や、仮設の物陰が次々と爆風で吹き飛ばされていく。
「キャッ……!?」
「うわぁぁぁっ! 迫撃砲です! 射程外からの連続砲撃!」
風紀委員たちの悲鳴が激しく交錯する。
「くっ……! 迫撃砲の陣地を叩かなければ……! イオリ、聞こえますか!? 後方の砲兵部隊を――」
アコが車内から叫ぶが、ノイズ混じりの通信機から帰ってきたのは、イオリの荒い息遣いだった。
『ダメだ……アコ! 敵の弾幕が厚すぎる! 近づけない……っ!』
モニターに映るイオリの姿は、すでに満身創痍に近かった。ヘイローがあるおかげで命に別条はないものの、制服は焦げ付き、褐色の肌には擦り傷や打撲痕が刻まれている。何より、敵の猛烈な集中砲火によって、彼女の圧倒的な機動力が削がれつつあった。
「そんな……イオリまで……!?」
「おいおい、お姉さん」
ソウキがのほほんとした声で口を挟んだ。
「イオリちゃんも凄いけどさ、あんなに弾を撃ちまくってたら、そろそろヤバいんじゃないの?」
「な……何が言いたいのですか不純物!」
「いや、弾だよ。弾薬。さっきから一斉射撃しまくってるけど、予備の弾、残ってんのか?」
アコはハッと息を呑み、すぐさま戦況モニターの弾薬残量データに目を走らせた。
そこには、絶望的な数値が並んでいた。
護衛部隊の弾薬残量――残り【12%】。
「な……なんですって……!?」
風紀委員会の標準装備は高精度・ハイパワーだが、その分弾薬の消費も激しい。突発的な長時間の包囲戦、しかも重装甲目標を多数相手にする乱戦においては、物資の消費スピードは想定を遥かに超えていた。
『隊長! 予備マガジンが底を突きます!』
『重機関銃の弾薬、終了! これ以上防衛線を維持できません!』
無線のあちこちから、風紀委員たちの悲鳴のような報告が相次ぐ。
「弾を節約しなさい! 精密射撃で一発一発確実に――」
『そんなこと言ったって、敵が突っ込んでくるんだよ! 撃たなきゃ踏みつぶされる!』
イオリの叫び。彼女自身も、愛用のライフルに残された弾薬がわずか数発であることを悟っていた。イオリは歯を食いしばり、拳を握り締める。
「クソッ……! ここまでなのか……!? こんな雑魚ども相手に……風紀委員会が……!」
敵は風紀委員会の弾切れを察知したのか、不気味な笑い声を上げながら、包囲網を急速に狭めてきた。
重装甲トラックが地響きを立てて前進し、ソウキたちの乗る兵員輸送車を完全に円陣で取り囲む。数百人の無法者たちが、銃口をこちらに向けながら一歩一歩近づいてくる。
「ハハハ! 終わりだ風紀委員会!」
「中の幹部を引きずり出せ! 命乞いさせてやる!」
風紀委員たちは残された数発の弾丸を構え、背中合わせになって構えるが、その表情には濃い絶望が色濃く影を落としていた。
車内では、アコが震える手で膝を叩いていた。
「そんな……こんなところで……。ヒナ委員長……申し訳ありません……。私は……私は、風紀委員会を守れませんでした……」
アコの瞳から、ポロポロと悔し涙が溢れ出る。彼女のプライド、ヒナへの忠誠心、行政官としての責任感――そのすべてが、圧倒的な「暴力の物量」の前に粉々に打ち砕かれようとしていた。
(……やれやれ)
ソウキは深々と溜め息をついた。
拘束された手首をぶらぶらさせながら、ソウキはゆっくりと立ち上がった。
(ソウキよ。どうするつもりだ?)
脳内でヘクトゥーパが尋ねる。その声には、一切の焦りはなく、むしろソウキがどう動くのかを面白がるような響きが含まれていた。
(どうするもこうするもねえだろ。俺はシャーレに連れて行かれる途中なんだぞ? こんな砂埃っぽい荒野で、無法者どもに囲まれて死ぬなんて御免だね。だいいち……)
ソウキは涙を流すアコと、外でボロボロになりながら銃を構え続けるイオリの背中を交互に見た。
(……女の子が泣いてたり、ボロボロになってるのを見るのは、寝覚めが悪いんだよ)
(くくく……相変わらず、だらしないツラをして甘い男よ。良かろう、我が力を貸してやる)
「おい、アコちゃん」
ソウキは泣きじゃくるアコの肩を、拘束された両手でぽんと叩いた。
「な……何ですか……! 軽々しく触らないで……! 貴方も覚悟しなさい、もうおしまいです……!」
「おしまいなわけねえだろ。生きてりゃなんとかなるんだって」
ソウキは呆れたように笑うと、アコの横を通り過ぎ、イオリが開け放ったままにしていた天井のハッチへと向かって足をかけた。
「ちょっと!? 何をするつもりですか不純物! 外は敵だらけですよ!?」
「ちょっと散歩だよ。鍵、外してくれたらもっと助かるんだけどな」
ソウキは手首の抑制具をチャラリと鳴らすと、アコの制止も聞かずに、ぬるりとハッチの外――絶望が渦巻く極限の戦場へと、その身を躍り出させた。
荒野の冷たい風と、硝煙の匂いがソウキの鼻腔を突く。
周囲を完全に包囲した数百人の敵、そして巨大な砲口を向けた重装甲車。
イオリが驚愕の表情でソウキを見上げる。
「な……何出てきてんだよ不審者!! 死にたいのか!?」
「いやいや、死ぬ気なんてサラサラないって」
絶体絶命の危機、弾薬はゼロ、防衛線は壊滅。
そんな地獄の真ん中で、ヘイローを持たない異界のシャーマン、勝川ソウキは、だらしなくヘラヘラと笑いながら、静かにその「霊力」を解放し始めていた。