透き通る世界でシャーマンは愛の物語を紡げるか。 作:UMC OGASOU
1.砂漠じゃん。
窓の外を流れる風景は、いつしか灰色のビル群から、果てしなく続く赤茶けた砂と乾いた岩肌の世界へと変わっていた。
キヴォトス自治区の境界を越え、過疎化と砂漠化が極限まで進行した旧アビドス自治区へと続く一本道。舗装されたアスファルトの裂け目からは枯れた雑草が顔を出し、強風が吹くたびに黄色い砂嵐が車体を激しく叩く。
シャーレの公用車の助手席で、勝川ソウキは豪快にいびきをかきながら爆睡していた。
「――ふあぁぁぁ……んぐ、すぅ……」
頭を背もたれに預け、大きな口を開けて眠る姿には、緊張感など微塵も存在しない。
以前のような黒の短パンと半袖シャツの上にサイズの合わない服を引っ掛けただけの無防備な恰好ではない。今のソウキは、シャーレの先生の手配とゲヘナ学園風紀委員会の手解きによって支給された、正式な「ゲヘナの黒い制服」をしっかりと身に纏っていた。
上質な黒の生地には金の刺繍が施され、しっかりとしたジャケットのボタンも綺麗に留められている。どこか身軽な剣士のような雰囲気を漂わせていた。
もっとも、その格好で口を大きく開けて助手席で爆睡している姿は、完全にただの緊張感のない男であったが。
「……ソウキ君。ソウキ君、起きて。もうすぐ目的地の近くに入るよ」
運転席でハンドルを握っていた『先生』が、呆れ混じりの温かい苦笑いを浮かべながら、ソウキの肩を優しく揺らした。
「……んあ? ……ふぁぁぁぁ……」
ソウキは猫のように大きく背中を反らせてあくびをすると、眠い目を擦りながらぼやけた視界を定まらせた。だらしなく頭をポリポリと掻き、車窓の外へと目を向ける。
次の瞬間、ソウキの目が丸くなった。
「うわっ……なにこれ。マジで全部砂じゃん。ここ本当に日本……じゃなくて、キヴォトスなの?」
視界の届く限り、広大な砂丘が地平線まで広がっていた。ところどころに、砂に半分埋もれて風化したかつての高層ビルや、横転した巨大な列車などの廃墟が点在している。文明の残骸が砂の海に沈んでいくような、圧倒的で寂寥とした光景。
「凄いでしょう。アビドス自治区は、昔はキヴォトスでも有数の広大な自治区だったんだよ。でも、数十年前から始まった深刻な異常砂漠化によって、今では敷地の九割以上が砂に埋まってしまっているんだ」
先生が車速を落としながら、静かに説明する。
「へぇー……。こんなスカスカな場所に、本当に人が住んでるのかねえ。なんだか霊の住処の方が多そうだぜ」
ソウキが脱力した声で呟いた、その時だった。
前方の舗装路に設置された簡易的なゲート――アビドス境界付近の検問所が見えてきた。連邦生徒会の自動警備ドローンと、自律型のセキュリティゲートが赤く点滅している。
『ストップ。車両情報を確認します。搭乗者はIDを提示してください』
合成音声が響き、先生は運転席の窓を開けてシャーレの身分証明ライセンスをセンサーにかざした。
『シャーレの先生を確認。通行を許可……照合中……照合中……エラー。助手席の人物に異常を検知』
無機質なドローンの赤外線センサーが、ソウキの顔を上から下へとスキャンする。
『頭部に固有のヘイロー反応を感知できません。未登録の異界生命体、または重篤な状態の生徒と判断されます。速やかに詳細な身分証を提示してください』
「あー……やっぱり引っかかったか」
先生は困ったように眉を下げて溜め息をついた。キヴォトスにおいて、頭上のヘイロー(光輪)が存在しない人間は、存在し得ない「異物」である。これまではゲヘナの風紀委員会が力技で握り潰していたが、正規の検問所を通るとなれば話は別だった。
「ん? なに、ヘイローがないと通れないの?」
ソウキは面倒くさそうに首を回すと、窓の外の警備ドローンを見上げた。
「えー、いちいち説明するのも面倒くさいなあ。……はいはい、ヘイローね。あればいいんでしょ、あれば」
ソウキは溜め息をつくと、手錠の解かれた両手を胸の前で軽く組んだ。
(ヘクトゥーパおじさん、ちょっと光を借りるぞ)
(くくく……不便な世界だな。自らの存在を証明するのに、わざわざ光の飾らせねばならんとは)
ソウキが集中し、体内から微量な巫力(ふりょく)を引き出す。
『――パッ』
ソウキの頭上、数テンチ上の空間に、眩い金色の光の輪が忽然と出現した。
それはヘクトゥーパの大霊としての霊威と、ソウキの巫力が結晶化した「偽装ヘイロー」であった。本来のヘイローのような固定された形ではなく、金色の炎が揺らめくような、どこか神聖で異様な光芒を放っている。
ドローンのセンサーがカチカチと音を立てて反応した。
『ヘイロー反応を確認。……形式:不明。個体識別コード:未登録。ですが、生体エネルギーの放出を確認しました。一時通行を――』
「お、通れたじゃん。案外適当だな、この機械」
ソウキがヘラヘラと笑いながら、ふと窓の外の砂丘の脇に目を向けた。
そこには、風化した巨大な案内看板がポツンと立っていた。サボテンのキャラクターが描かれた、色あせた古びた看板だ。
「あ! 何あの看板! 『サボテン名物・激辛砂ラーメン』だって! 超美味そう! 先生、帰りにあれ食おうぜ!」
ソウキが身を乗り出して看板に目を奪われた、その瞬間――
頭上の金色の光の輪が、『パッ』と儚く消え去った。
集中力が完全に切れ、巫力の供給が途絶えたためである。
『……警告。ヘイロー反応が消滅しました。不審者と判断――』
ドローンが再び赤い警告灯を点滅させ始める。
先生は即座に額を押さえ、深々と溜め息をついた。
「……ソウキ君。集中が切れるのが早すぎるよ……」
「あ、いけね。集中切れたわ」
ソウキはだらしなく頭を掻きながら、心底面倒くさそうに言った。
「まあいいじゃん、先生。別に『ないこと』にしとけば? いちいち光らせんの疲れるんだよね、これ」
「そんな適当な理由で検問が通るわけないでしょ……」
先生は苦笑しながら、胸ポケットからシャーレの最高権限である緊急アクセスコードのカードを取り出し、ドローンのリーダーにかざした。
「連邦生徒会緊急条項に基づく臨時通行だよ。この人物はシャーレの専属護衛として同行している。責任は私が持つ」
『……最高承認コードを確認。通行を許可します。お気をつけて』
ゲートがゆっくりと開き、公用車は再び砂漠の一本道へと走り出した。
「ふぅ……まったく。ソウキ君はもうちょっと緊張感を持ってほしいな」
「えー、だって本当のことじゃん。ないものはないんだからさ、堂々としてりゃいいんだよ」
ソウキは制服の襟元を少し緩めると、再び助手席で心地よさそうに身体を揺らした。
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検問所を抜けてから二十分ほど進むと、砂丘の狭間にポツンと取り残されたように佇む、巨大な建築物が見えてきた。
アビドス高等学校――かつては広大な自治区全体を統括し、無数の校舎と生徒を抱えていたという巨大マンモス校。しかし、現在のその姿はあまりにも痛々しかった。
敷地の八割以上が砂に埋まり、巨大な本校舎のガラス窓はあちこちが割れて補修されている。周囲を囲むフェンスはサビだらけで倒れかけ、校門の看板に刻まれた「アビドス」の文字も風化して半分削れていた。
「到着したよ」
先生が校門前の広場に車を止め、エンジンをオフにした。
ソウキは車から降りると、足元をすくう柔らかい砂の感触に「うわ、歩きにくいなー」と零しながら、ゲヘナの黒い制服の裾を払った。強風が吹き抜け、ソウキの黒髪と制服の裾を激しく揺らす。
「先生、来てくれたんだね」
出迎えたのは、二人組の少女だった。
一人は、明るい銀髪のショートヘアに青い十字のヘアピンをつけた少女――砂狼シロコ。水色のスポーツマスクを口元から下にずらし、首に掛けた状態で立っていた。その整った顔立ちと、水色と黄色が混ざり合ったオッドアイは、野生のオオカミのように鋭く研ぎ澄まされている。
もう一人は、ピンク色の長い髪に大きなアホ毛を揺らした、小柄な少女――小鳥遊ホシノ。制服のボタンをだらしなく外し、大きなあくびをしながら「ふぁ〜あ」と涙目になって立っていた。左右で色の違う赤と青のオッドアイが、眠たそうにソウキたちに向けられている。
シロコは、先生の隣に立つソウキの姿を認めた瞬間、その鋭い瞳をいっそう細めた。
整えられたゲヘナ学園の黒い制服。しかし、下は黒の短パンというアンバランスさ。そして何より、頭上に「ヘイローが存在しない」という異常性。
「……ん。先生、無事でよかった」
シロコは先生に小さく頷いた後、その視線をソウキへと固定した。体勢をわずかに低くし、いつでも腰の銃に手を伸ばせるような、完璧な警戒態勢。
「……で、その隣の人は? ゲヘナの制服を着ているけど……ヘイローがない。……怪しい。不審者?」
「ん、不審者じゃないよ、シロコちゃん」
ソウキは緊張感ゼロのヘラヘラとした笑みを浮かべ、ひらひらと手を振ってみせた。
「やあやあ、初めましてー。可愛い女の子がいっぱいの学校ってここで合ってる? 俺は勝川ソウキ。先生のボディガード兼、今日から君たちの助っ人として派遣されたんだよ」
「……ん。言葉遣いも怪しい。ゲヘナの工作員かもしれない」
シロコは一切表情を変えず、淡々と警戒を強める。
その横で、ホシノが「うへ~」と脱力した声を上げながら、頭の後ろで手を組んだ。
「うへ~、先生ったらまた妙な連れを連れてきたね~……。ゲヘナの立派な制服を着た、ヘイローなしのお兄さん? おじさん、そういう珍しい生き物はちょっとじっくり鑑賞したくなっちゃうかも~」
「ホシノ先輩、油断は禁物。ヘイローがない人物なんて、キヴォトスの常識ではあり得ない。……とりあえず拘束して、持ち物を全部調べた方がいい」
シロコが真面目な顔で物騒な提案をする。
「おいおいおい! ちょっと待てって! 拘束とか物騒なこと言うなよなー!」
ソウキは両手を挙げて苦笑いした。
「俺は怪しい奴じゃないって。ほら見てよ、ちゃんとゲヘナの制服だって着てるだろ? 」
「……ん。服を着ていれば安全という証明にはならない。むしろ変質者の可能性もある」
「変質者扱いは酷いだろ!?」
「まあまあ、シロコちゃん」
先生が苦笑しながら二人の間に割って入った。
「彼は本当に怪しい人じゃないんだ。シャーレの特別協力員として、正式に私と一緒に仕事をしてもらっているんだよ。道中の護衛も彼が引き受けてくれたんだ」
先生の言葉を聞き、シロコはしばらくソウキをじっと見つめていたが、やがて小さく息を吐いて身構えを解いた。
「……ん。先生がそう言うなら、分かった。……疑って悪かった、ソウキ」
「分かってくれりゃいいんだよ。よろしくな、銀髪ちゃん」
「シロコ、だよ」
「はいはい、シロコちゃんね」
「うへ~、立ち話もなんだし、中に入りな~」
ホシノがあくびをしながら背中を向けた。
「アヤネちゃんたちも準備して待ってるからさ。ささ、おじさんの後に続いてついておいで~」
「ん。案内する」
ホシノとシロコが先頭に立ち、砂の溜まった校門をくぐって校舎内へと歩き出した。先生とソウキがその後ろを続く。
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校舎の中は、外からの風が吹き込んで砂埃が舞っていた。
広々とした廊下は静まり返り、かつて何千人もの生徒が行き交っていたであろう面影は、寂れた掲示板や古びた靴箱に残るのみであった。
パタパタと足音を響かせながら歩く一行。
その時――
ソウキの右肩のあたりの空間が、わずかに歪んだ。常人には知覚できない霊的な波動とともに、古の英霊・持霊ヘクトゥーパの重厚な声が、ソウキの精神世界だけに直接響き渡った。
(……ほう。ソウキよ、なかなか興味深い場所に来たな)
(だろ? ヘクトゥーパおじさん。砂だらけで驚いちゃったよ。学校の中にまで砂が積もってるんだからさ)
ソウキは心の中でだるそうに返答する。
(ふむ……それにしても、この地の『気』は異様だな。死に体となった大地の霊気が、痩せこけた犬のように喘いでおる。……だが、それ以上に面白いのは、前を行くあの童(わらべ)たちだ)
ヘクトゥーパの厳格な視線が、前方を歩くシロコとホシノの背中に向けられる。
(ほう……あの銀髪の狼の娘(シロコ)。なかなかに良い目をしておるな)
(へえ、おじさんが人を褒めるなんて珍しいじゃん)
(嘘は言わん。あの佇まい、無駄のない足運び……まさに研ぎ澄まされた一振りの刃だ。野生の狼のごとき直感と、戦闘に対する迷いのなさ……兵(ツワモノ)としての高い素質を感じる)
(たしかに、いきなり俺を拘束しようとしたからなー。油断ならないお嬢さんだよ)
ソウキが苦笑交じりに頷いた。
しかし、次の瞬間――ヘクトゥーパの声から冗談めかした色が消え、地鳴りのような低く重いトーンへと変わった。
(……だが、ソウキよ)
(ん? どうしたの、おじさん)
(……あの背の低い、桃色の髪の娘(ホシノ)だ。……あやつは、危険だな)
ソウキは少しだけ目を見開いた。
前方を「うへ~、今日の砂嵐は一段と目に沁みるね~」などと呑気な声を上げながら、ダラダラと歩いているホシノ。小柄で華奢な背中、頼りなさげな肩。
(……強さの話ではないぞ、ソウキ。あの娘が背負っておる『霊的な重圧』の話だ。……あやつは、背負っておるものが重すぎる)
ヘクトゥーパの言葉を受け、ソウキは自らの「霊視」の意識を深めた。
シャーマンとしての眼――物質的な肉体を超え、魂の形や周囲に漂う霊威(オーラ)を感知する異能の視界。
ソウキの瞳の奥で、黄金の霊光が密かに揺らめいた。
次の瞬間、ソウキの視界に広がる世界の色彩が変質した。
前を歩くホシノの背後。
そこには、表面上のふざけた言動や「おじさん」という脱力した口調からは到底想像もつかない――過酷で、黒く、重苦しい「霊的ストレスの濁流」が渦巻いていた。
『――黒い怨念と、果てしない後悔』
『過去に失った大切な存在への贖罪』
『自分一人でこの廃れかけた学校を、仲間を守り抜かねばならないという、狂気にも似た絶望的な責任感』
それらの重圧が、目に見えない巨大な墓標のようにホシノの小さな背中に覆い被さっていた。彼女のヘイローの周囲には、削れ落ちた魂の欠片のような黒いモヤがへばりつき、彼女の生命力(巫力)を内側からジワジワと蝕み続けている。
普通の人間に見えれば、ただの「だるそうにしている小柄な先輩」に過ぎない。
だが、ソウキの眼にははっきりと見えていた。彼女は今この瞬間も、魂が砕け散る寸前の極限状態で、必死に「いつもの自分」を演じ続けているのだと。
(……なるほどね)
ソウキの心の中の声から、完全にヘラヘラとした色が消えた。
(表面はゆるゆるのフニャフニャだけど……中身はボロボロのギリギリってわけか。ゲヘナのヒナちゃんとは、また違う種類の……重すぎる荷物を抱え込んでやがる)
ヒナが抱えていたのは「完璧な委員長であり続けねばならない」という過密な義務感と孤独だった。
しかし、この小鳥遊ホシノという少女が抱えているのは――「過去の死と絶望を背負い、破滅へと向かって一人で立ち続けている」という、より深く根深い、死の匂いのする暗闇であった。
(……ソウキよ。関わるか? あれほど深く苛まれた魂を解きほぐすのは、生半可なことではないぞ)
ヘクトゥーパが静かに問う。
ソウキは少しだけ視線を落とし、それから――いつものだらしなく、けれどどこか温かい緩い笑みを口元に浮かべた。
(何を言ってるんだよ、おじさん。俺はシャーレの特別協力員なんだぞ? 困ってる女の子を放っておいたら、先生に怒られちゃうじゃん)
(フッ……相変わらず、物好きでお人好しな男だ)
「……ん? ソウキ、どうかした?」
前を歩いていたシロコが、ふと足を止めて振り返った。ソウキが歩みを緩めていたことに気づいたらしい。水色と黄色のオッドアイが、ソウキの顔をじっと覗き込んでくる。
「ん? ああ、ううん! なんでもなーい!」
ソウキはすぐにいつものゆるい笑みに戻り、頭の後ろで両手を組んだ。
「この学校、広くて静かでいいところだなーって思ってただけだよ。お昼寝には最高そうじゃん」
「うへ~、分かってるねぇソウキ君!」
ホシノが振り返り、嬉しそうに八重歯を見せて笑った。
「そうなのよ~、アビドスの一番の自慢はね、静かで誰も邪魔してこないお昼寝スポットがたくさんあることなんだから~! 後でいい場所教えてあげるね~」
「マジで? やったー! ホシノちゃんとは気が合いそうだなあ!」
「うへへ、おじさんとソウキ君でお昼寝同好会でも結成しちゃう~?」
無邪気に笑い合うホシノ。
その笑顔の裏側に潜む重苦しい暗闇を、ソウキはしっかりと見据えていた。
「はい、ここが私たちの拠点――『対策委員会室』だよ」
ホシノが古びた木製のドアの前で足を止め、ノブに手をかけた。
「アヤネちゃんとセリカちゃんも待ってるからね。入って入って~」
ギィ、と重い音を立てて扉が開かれる。
部屋の中から、書類の山と、慌ただしい少女たちの声が漏れ聞こえてきた。
勝川ソウキは、しっかりとしつけられたゲヘナの黒い制服のポケットに手を突っ込み、緩い笑みを浮かべたままで、重圧の渦巻くその部屋へと一歩を踏み出したのだった。