幼馴染ならどんなときでも意思疎通できるよね?   作:AirHertz

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テスト前夜の寝落ち通信

冬の冷え込みが厳しい、夜の十一時過ぎ。

 

街はすっかり静まり返り、窓の外からは、ときおり冷たい風に街路樹の葉が揺れるカサカサという音だけが聞こえていた。

 

明日は二学期の期末テスト初日。

遠田浜高校の生徒たちの多くは、今ごろ必死にノートをめくったり、睡魔と戦いながら暗記カードを詰め込んだりしている時間帯だろう。

 

相原結衣の部屋もまた、先ほどまで勉強机の上のスタンドライトが煌々と照らされていた。

 

「ふぁぁ……っ! 終わったぁぁ……!!」

 

結衣は両腕を頭の上に大きく突き上げて、大きなあくびを漏らした。

机の上には、びっしりとシャープペンシルの文字で埋め尽くされた数学のワークとノートが広がっている。

 

最後にして最大の難関だった数学の応用問題をすべて解き終え、結衣は深々と椅子の背もたれに体重を預けた。

 

「うぅ……長かった……! 今日はもう限界! 頭がパンクしちゃうよ~」

 

眠気で重くなった目をこすりながら、結衣は部屋のあかりを消した。

部屋の中が一気に暗闇に包まれ、窓から差し込む薄明るい月光だけが室内を優しく照らし出す。

 

パジャマ姿のままベッドに潜り込むと、ひんやりとしていたシーツが徐々に自分の体温で温まっていく。

掛け布団をあごのあたりまで引き上げ、枕に頭を埋めた結衣は、天井の闇を見つめながら口元をゆるめた。

 

そして、声を出さずに、遠く離れた悠希へと意識を集中させる。

 

『悠君~! ワークの解き直し、全部終わったよ~~!!』

 

結衣が念話に乗せて送った言葉は、夜の静寂をすーっと通り抜けて、それぞれの部屋を隔てる距離を感じさせないほど自然に悠希の元へ届いた。

 

ほんの数秒の間のあと、ぽわぽわとした温かく柔らかな気配が返ってきた。

 

『……ん……。ゆ~ちゃん……おつかれさま……』

 

『ほんっとうに悠君のおかげだよ~! 最後の応用問題、悠君が放課後に教えてくれた通りに公式当てはめたら、ちゃんと解けたの! 悠君ってば本当に数学の天才だよね!』

 

『……ふふ……。天才じゃないよ……。ゆ~ちゃんが……がんばったから……』

 

電話もメッセージアプリも使わない、二人だけの特別なやり取り。

同じ夜空の下、それぞれの部屋のベッドにいながら、まるですぐ隣にいるかのような近さで、二人の会話が始まる。

 

『ううん、悠君の教え方が上手なんだよ! 授業で先生が説明してた時はぜんぜん意味不明だったのに、悠君のアドバイスだとすんなり頭に入ってくるんだもん』

 

『……ゆ~ちゃんに……褒められるの……すき……』

 

まるで耳元でそっと囁かれているかのような近さで、その言葉が結衣の胸に届いた。くすぐったいような、それでいて胸の奥がじんわりと温かくなるような心地よさだった。

 

結衣はふかふかのベッドの上でゴロンと大きく寝返りを打ち、自分の身長ほどもある抱き枕をギュッと力いっぱいに抱きしめながら、漏れだしそうになる笑みを噛み殺すようにクスクスと小さく笑った。

 

『ふふ、悠君ももうベッドに入ってるの?』

 

『……うん……。もう……おふとんの中……』

 

『やっぱり! 悠君、今日は放課後も図書館でわたしに数学教えてくれてたもんね。疲れたでしょ?』

 

『……つかれてないよ……。ゆ~ちゃんと……ずっと一緒にいられたから……たのしかった……』

 

『もう、相変わらず甘いこと言っちゃって~! でも、おかげで明日の数学もバッチリな気がする! 今回も平均点超えを狙えちゃうかも!』

 

『……うん……。ゆ~ちゃんなら……ぜったい大丈夫……』

 

暗闇の中で静かに交わされる、誰にも邪魔されることのない二人だけの秘密のお喋り。

受話器を通す必要も、画面の明かりに目を細める必要もない。

 

窓の外を吹き抜ける冷たい冬の風とは対照的に、掛け布団の中には結衣自身の体温と、心を通じて伝わってくる悠希のポカポカとした温もりが満ちていた。胸の奥がじんわりと熱くなり、まるで温かいココアを飲み干したときのような、甘く優しい幸福感が胸の奥からじんわりと広がっていく。

 

結衣は抱き枕に頬をすり寄せ、暗闇の中で幸せそうに目を細めた。

静まり返った部屋の中、勉強机の上に置かれた置き時計の針だけが、チクタク、チクタクと規則正しい音を静かに刻み続けている。その小さな置き時計の秒針の音さえも、二人を優しく包み込む子守唄のように聞こえていた。

 

『ねえねえ、悠君! 明日のテストが終わったらさ、放課後何する?』

 

結衣は足をバタバタさせながら、ワクワクとした気持ちを念話に乗せる。

 

『明日は二科目で終わりでしょ? 昼休み前に学校終わっちゃうんだから、どこか寄り道して帰ろうよ!』

 

『……よりみち……?』

 

『そう! 前に駅前に新しくできたパンケーキ屋さん、覚えてる? 季節限定のいちごチョコパンケーキが出てるんだって! テスト初日の頑張ったご褒美に、二人で食べに行かない?』

 

『……いちご……ちょこ……』

 

『そう! ふわふわのパンケーキの上に、生クリームといちごがすごいたくさん乗っててね、温かいチョコレートソースを上からかけて食べるんだよ! 絶対美味しいと思わない!?』

 

結衣が身を乗り出すようにしてパンケーキの魅力を語りかけるが、返ってくる悠希の念話は、少しずつ間隔が空き始めていた。

 

『……ん……。ふわふわ……。……おいしそう……』

 

『でしょでしょ~!? 悠君も甘いもの好きだし、絶対気に入ると思うんだよね! あとね、そのあとカラオケに行って、テストのストレス発散するのもいいかも!』

 

『……からおけ……。……ゆ~ちゃんの……歌……聴きたい……』

 

『あはは、わたしの歌でよければいくらでも歌ってあげるよ! じゃあ明日、テスト終わったら速攻で駅前向かおっか!』

 

『……うん……。……いちごの……ぱんけーき……。……ゆ~ちゃん……と……たべる……』

 

悠希からの念話のテンポが、あからさまに遅くなっていた。

ひらがなだらけの、ぽやぽやとした思考がそのまま波のように伝わってくる。

 

体力があまりない悠希にとって、夜の十一時を過ぎれば、もうすっかり眠気に負けそうな時間だった。

おまけに、ぬくぬくとした暖かいお布団に包まれ、大好きな結衣の優しい声を念話で聞いているのだから、もう眠気に抗えるはずもなかった。

 

『あはは! 悠君、もしかしてもう凄く眠いでしょう? 声がどんどんぽやぽやになってるよ?』

 

『……ねむくない……。……まだ……ゆ~ちゃんと……おはなしする……』

 

『むりしないでいいんだよ? 悠君、今日はいっぱい頭使ったんだから』

 

『……やだ……。……ねたくない……。……ゆ~ちゃんの……こえ……きいてたい……』

 

悠希は念話の中で、まるで幼い子供が「駄目」と言われたときのように、ぷくーっと頬を膨らませて必死に抵抗してみせる。念話越しに伝わる声や拗ねた空気だけで、今どんな可愛い顔をしているのかが手に取るように想像できた。

 

けれど、そんな必死な抵抗とは裏腹に、送られてくる念話はすでにゆらゆらと揺らめき、今にも消えてしまいそうなほど頼りなくなっている。言葉の輪郭はとろとろに溶けていて、睡魔という大きな波に呑み込まれまいと小さな手足をバタつかせているような、なんとも愛らしい姿が浮かび上がっていた。

 

結衣はふかふかの枕に頬をうずめ、ベッドの中で、声を忍ませるようにふふっと優しく微笑みを漏らした。

 

昼間に学校にいる時も、悠希はよく授業中や休み時間に結衣の隣でぽわぽわと眠そうに目をこすっている。けれど、周囲にクラスメイトがいる昼間の学校と、こうして静まり返った夜、お互いの部屋でベッドに入りながら二人きりで交わす念話とでは、伝わってくる温もりの質が少し違っていた。

 

『ふふ、悠君ってば本当に意地っ張りなんだから。あ、そういえば明日の二科目の古典は大丈夫? 暗記ものだけど、ちゃんと単語覚えた?』

 

『……こてん……? ……うん……。……たんご……ぜんぶ……おぼえた……』

 

『さすが悠君! わたしなんて助動詞の意味がごちゃごちゃになっちゃってさ、さっきまで必死に語呂合わせで覚えてたんだよ』

 

『……ゆ~ちゃん……えらい……。……あした……ぜったい……いい点数とれるよ……』

 

『ありがと! 悠君にそう言ってもらえると、すっごく安心できるな~』

 

結衣は暗闇の中で、自分の胸の上に手を当てた。

 

いつでも、どこでも、どんな時でも。

こうして自分の気持ちをダイレクトに伝え合えて、相手の温かい気持ちを受け取ることができる。

 

周囲からは「言葉がいらないくらい仲が良い二人」として見られているけれど、結衣にとってこの不思議なつながりは、幼い頃から当たり前に存在していた二人だけの宝物だった。

 

『……ねえ……ゆ~ちゃん……』

 

ぽつりと、悠希からの念話が届く。

 

『なぁに、悠君?』

 

『……あしたの朝……むかえに……いくね……』

 

『え? 悠君がうちに迎えに来てくれるの? いつもはわたしが悠君の家まで起こしに行ってるのに?』

 

『……うん……。……あしたは……ぼくが……ゆ~ちゃんを……むかえに行く……。……だから……いっしょに……がっこう行こうね……』

 

『ふふ、ありがと! じゃあ明日の朝、楽しみにしてるね』

 

そう答えた結衣に、悠希が小さく息を吐き出すような、うっとりとした気配が伝わってきた。

 

いよいよ悠希の意識が、深い深い眠りの海へと沈みかけているのが分かった。

 

 

 

時刻は十一時半を回ろうとしていた。

 

部屋の中はすっかり静かになり、窓の外を通り過ぎる風の音だけが、夜の深さを物語っている。

 

結衣は抱き枕を抱え直しながら、ゆっくりとしたテンポで念話を送った。

 

『ねえ悠君、寒くない? 足元ちゃんと温かくしてる?』

 

ほんの少しの沈黙。

やがて、ゆったりとした波のように、悠希からの思考が届く。

 

『……ん……。ふとん……かぶってる……。……あったかいよ……』

 

その念話の強さは、先ほどまでに比べて明らかに弱々しく、今にも消え入ってしまいそうだった。

 

悠希の思考そのものが、睡魔という大きな波に呑み込まれ、ゆらゆらと揺らめいているのが直接伝わってくる。

 

『ふふ、よかった! あったかくして寝ないと、風邪ひいちゃうからね。……って、悠君、もう本当に限界でしょ? 瞼閉じてるんじゃない?』

 

『……とじてない……。……め……あいてる……』

 

『嘘だぁ! 念話がこんなにぽわぽわしてるのに! ほら、無理しないで早く寝なよ? 明日の朝、寝坊しちゃったら大変なんだから』

 

『……やだ……。……ゆ~ちゃんと……まだ……はなすの……』

 

悠希は念話の中で、必死に手を伸ばして結衣の服を掴もうとするかのような、頑固で愛らしい抵抗を見せてくる。

 

昼間の学校で見せる、ぽやぽやとした姿も可愛らしいが、こうしてベッドの中で、誰の目も気にせずに自分だけに甘えてくる悠希の存在は、結衣にとってたまらなく愛おしかった。

 

『もう、相変わらず甘えん坊さんなんだから。……じゃあさ、悠君が眠れるまで、わたしがずっとお話ししててあげるね』

 

『……ほんと……?』

 

『うん! だから悠君は、何も考えないで目を閉じてていいよ。わたしの声だけ聴いてて』

 

『……ん……。……ゆ~ちゃんの……声……だいすき……』

 

結衣は微笑みながら、ベッドの中で天井を見つめた。

 

そして、幼い頃の思い出や、今日学校であった出来事、明日からのテストが終わったらしたいことなどを、優しいテンポで念話に乗せて悠希へと送り続けた。

 

『あのね、明日のテストが終わったらさ、公園のイチョウの葉っぱも見に行こうよ。今日、登校する時に見たらすっごく綺麗な黄色になってたんだよ』

 

『……黄色の……葉っぱ……』

 

『そう! それでね、落ち葉がいっぱい集まってるところがあったから、今度悠君と一緒に歩きたいなーって思ってたの』

 

『……ゆ~ちゃんと……あるく……』

 

『うん。それからね、寒くなってきたから、そろそろ悠君の家で鍋パーティーもしなくちゃね。悠君、つくね好きでしょ? つくねたくさん入れてあげるね』

 

『……つくね……。……ゆ~ちゃんの……つくね……たべる……』

 

悠希からの返事は、一言ごとにどんどん間隔が空くようになっていった。

 

言葉と言葉の間にある「静寂」が、少しずつ長くなっていく。

 

悠希の意識が、現実世界から、夢の世界へとゆっくりと滑り落ちていく感覚。

 

二人の不思議なつながりは、相手が起きているからこそ繋がっている。

だから、悠希の意識が眠りへと落ちていくにつれて、そのつながりも少しずつ細く、頼りなくなっていった。

 

『……ゆ~……ちゃん……』

 

ぽつりと、消え入りそうな念話が届く。

 

『なぁに、悠君?』

 

『……ぼくね……。……ゆ~ちゃんと……いられて……しあわせ……』

 

『ふふ、急にどうしたの? わたしも悠君と一緒にいられて幸せだよ』

 

『……ん……。……あしたも……明後日も……。……ずっと……いっしょ……』

 

『当たり前じゃん! ずっと一緒だよ』

 

『……ゆ~ちゃん……』

 

『ん?』

 

『……お……や……す……み……』

 

『うん、おやすみ悠君。良い夢見てね』

 

結衣がそう返した、直後のことだった。

 

『……ゆ……』

 

途切れかけた念話の語尾を最後に―。

 

スゥ……と、まるで蝋燭の火が静かに消えるかのように。

それまで結衣の脳内に心地よく響いていた「悠希の気配」が、完全に途絶えた。

 

頭の中に広がるのは、完全な静寂。

 

悠希の意識が眠りに落ち、二人を繋いでいた念話が途切れた瞬間だった。

 

 

『……悠君?』

 

結衣は暗闇の中で、もう一度だけ念話で呼びかけてみた。

 

しかし、自分の頭の中に問いかけの言葉が虚しく響くだけで、悠希からの返事は一切返ってこない。

 

いつもなら、どんなに離れていても、どんなにかすかな念話であっても、必ず優しく返ってくるはずの温かい気配。それが完全に途絶えている。

 

相手が眠ってしまうと念話が届かなくなる。

幼い頃に偶然気づいた、二人だけの念話の唯一の「ルール」。

 

(……ふふ、完全に寝ちゃったかぁ)

 

結衣は暗闇の中で、ぽつりと微笑んだ。

 

つい数秒前まで、あんなに頑固に「寝たくない」「ゆ~ちゃんと話す」と言い張っていた悠希が、最後は耐えきれずにぽてんと寝落ちしてしまったのだ。

その寝顔まで目に浮かぶようで、愛おしくてたまらない。

 

今頃は、暖かいお布団の中で丸くなり、満足そうな顔をして可愛い寝息を立てているのだろう。

つむじの上のアホ毛も、きっと力尽きてぺたんと倒れているに違いない。

 

念話が繋がらなくなった頭の中は、少しだけ寂しく、そして驚くほど静かだった。

 

昼間も、放課後も、夜ベッドに入る直前まで。

言葉を介さずに、いつでも当たり前のように心を通わせ合っている二人。

 

外から見れば「ただ見つめ合っているだけの不思議な二人」かもしれないけれど、結衣にとっては、この静かなやり取りこそが、何よりも大切で、かけがえのない日常だった。

 

結衣は抱き枕をギュッと抱きしめ直し、掛け布団を肩までしっかりと掛け直した。

 

そして、窓の外に浮かぶ綺麗な満月を見つめる。

 

今夜はもう、念話は届かない。

どれだけ頭の中で語りかけても、眠っている悠希には届かないのだ。

 

だからこそ、結衣は念話ではなく―。

 

自分のかわいい口を小さく開いて、静かな部屋の空気に直接「声」を乗せた。

 

「おやすみ、悠君」

 

ぽつりと漏れ出た自分の声が、暗い部屋の中に静かに溶けていく。

 

念話が届かなくても。

今はまだ、声を届けられなくても。

 

二人の間にある絆は、どんな時だって途切れることはない。

 

明日になれば、また朝の通学路で出会う。

いつものように「悠君、おはよー!」と声をかければ、悠希はぽやぽやとした目で自分を見つめ、念話で『……ゆ~ちゃん……おはよう……』と返してくれるのだ。

 

「明日も、テスト頑張ろうね」

 

結衣は満足そうに目を閉じ、静かな愛おしさに包まれながら、深い眠りへと落ちていった。

 

月光が優しく照らす二つの部屋で、幼馴染の二人は同じ夢を見るかのように、穏やかな寝息を立て続けていたのだった。

 

 




次回、最終回です
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