幼馴染ならどんなときでも意思疎通できるよね? 作:AirHertz
中間テストという最大の試練を乗り越え、季節は初夏の爽やかさから、どこか湿度を含んだ梅雨らしい空気へと移り変わり始めていた。
6月中旬の放課後。
終礼のチャイムが鳴り響くと同時に、2年B組の教室には生徒たちの賑やかな話し声が満ち始める。
「ねえ結衣、このあと駅前のカフェ行かない? 新作のパフェが出たんだって!」
カバンに教科書を詰め込んでいた結衣に、クラスメイトの莉子が声をかけてきた。
「あ、ほんと!? 行きたい! ……と言いたいところなんだけど、今日はごめんね。悠君と一緒に帰る約束してるんだ~」
結衣は苦笑いを浮かべながら、お隣の席へと視線を向けた。
そこでは、自分の小さなリュックサックを抱えたまま、机の上にぽんとアゴを乗せて、眠たそうに目をとろんとさせている悠希の姿があった。
制服のブレザーの袖口からは小さな指先すら出ておらず、すっぽりと生地の中に収まった『萌え袖モード』である。今日最後の授業が終わった頃には、彼はすでに少しぐったりしていた。
「あー……納得。水瀬くん、もう完全に電池切れモードだもんね」
莉子は呆れつつも温かい目で見つめると、ポンと結衣の肩を叩いた。
「いいよいいよ、彼氏のお世話……じゃなくて『弟』のお世話、頑張ってね~」
「もー! 莉子ったらまたそうやってからかう~! だって、本当に弟みたいなものなんだからねっ!」
結衣がぷんぷんと頬を膨らませると、莉子はひらひらと手を振りながら「はいはい」と教室を後にしていった。
クラスメイトたちが続々と下校し、静かになり始めた教室。
結衣は自分のカバンを肩に掛けると、悠希の机の横へと歩み寄った。
「悠君、お待たせ! 帰ろっか~」
「……ん……ゆ~ちゃん……」
悠希はゆっくりと頭を持ち上げると、トロンとした瞳で結衣を見上げた。
口は一切動いていないのに、結衣の頭の中にぽわぽわとした甘い念話が届く。
『……ゆ~ちゃん……あるけない……。足が……重たい……』
『はいはい、重たくない重たくない! ほら、立って立って~』
結衣はクスクスと笑いながら、悠希の両手を袖越しに取り、優しく引っ張り上げて立たせてあげた。
悠希は「ふにゃ……」と頼りない声を漏らしながら、結衣の肩にぽてんと体を預けてくる。
『……ゆ~ちゃんのお家まで……おんぶ……』
『ダメですよ~! わたしが悠君をおんぶしたら、二人まとめて転んじゃうでしょ! ほら、頑張って自分の足で歩くの!』
『……ちぇー……』
念話の中で可愛らしく唇を尖らせる悠希。
結衣はそんな幼馴染の様子に目を細めながら、彼の小さな手を萌え袖越しにギュッと握りしめた。
「よし、じゃあ手をつないで帰ろ! それなら歩けるでしょ?」
「……ん……」
悠希は満足そうに小さく頷くと、結衣の手をぎゅっと握り返してきた。
ふたりが下校靴に履き替え、昇降口から外へ踏み出そうとした、その時だった。
ゴロゴロゴロ……。
遠くの空から、不穏な低音が響き渡った。
「え……? 今の、雷……?」
結衣が思わず空を見上げると、さっきまで薄っすらと晴れ間が見えていた空が、見る見るうちに漆黒の雨雲に覆われていくところだった。
初夏特有の、急速に発達した積乱雲――ゲリラ豪雨の前兆であった。
ざざざざざざざざっ……!
「わっ!? きゃあーっ!?」
次の瞬間、まるでバケツをひっくり返したかのような凄まじい大雨が、猛烈な音を立てて校庭へと叩きつけ始めた。
あっという間に視界が白く煙り、校庭が一瞬で水たまりの海へと変わっていく。
「嘘でしょ~!? なにこの土砂降り!?」
昇降口に残っていた数人の生徒たちも、「うわ、マジかよ!」「傘持ってないって!」「雨宿りしていくか~」と大騒ぎになり始めている。
結衣は大慌てで自分のカバンの中をガサゴソと漁り、底から小さめの折りたたみ傘を一本取り出した。
「うぅ……折りたたみ傘、一応持っててよかった~……。でも、これ一人用だからすっごく小さいんだよね……」
結衣は広げた折りたたみ傘を見つめ、溜め息をついた。
直径が小さく、一人で使っても肩が少し濡れてしまいそうなサイズ感である。とてもじゃないが、この猛烈なゲリラ豪雨の中を二人で入って駅まで歩けるようなものではなかった。
「……あめ……すごいねぇ……」
悠希はぽやぽやとした顔で、降りしきる雨を眺めている。
その呑気な姿に、結衣は「もう~」と額を押さえた。
「悠君、ぼーっとしてる場合じゃないよ! この雨、しばらく止みそうにないし……とりあえず、大急ぎで駅まで走ろ! 傘、二人で一緒に入ればなんとかなるはず!」
『え~……はしるの……? ぼく……むり……』
念話で露骨に嫌そうな声を出す悠希。
『走らないと全身びしょ濡れになっちゃうでしょ! ほら、いくよ! ぎゅっと寄って!』
結衣は悠希の華奢な腰を自分の腕でしっかりと抱き寄せると、折りたたみ傘を二人の頭上に掲げた。
「せーのっ、ダッシュ――っ!」
二人は土砂降りの雨の中へと跳び出した。
「冷たーーっ! すごい雨っ!」
水たまりを跳ね飛ばしながら、激しい雨の中を突き進む。
しかし、二人で入るにはあまりにも小さすぎる折りたたみ傘。結衣は悠希が濡れないようにと、無意識のうちに傘を悠希の方へと傾けていた。
だが――そんな結衣の優しさに、悠希もまた気づいていた。
(……ゆ~ちゃん……肩……ぬれちゃう……)
悠希はぽやぽやとした見た目に反して、結衣のことになると驚くほど目ざとい。
結衣の右肩が激しい雨に打たれているのを見た悠希は、自分の方へ傾けられた傘の柄を萌え袖の手でそっと押し戻し、自分の体を傘の外側へと少しずらしたのだ。
「えっ、ちょっと悠君!? なにしてるの! 濡れちゃうよ!?」
「……ん……ゆ~ちゃんが……ぬれるの……いや……」
小さな声でボソリと呟く悠希。
「バカ言わない! 悠君の方が体弱いんだから、風邪引いたら大変でしょ――きゃっ!?」
その時、急な泥水に足を滑らせかけた結衣。
悠希がとっさに結衣の服の裾を引っ張って支えようとしたが、ただでさえ体力のない悠希では踏ん張りきれず、二人は勢い余ってバランスを崩してしまった。
「うわわっ! 悠君、あっち! 屋根があるよっ!」
視界の端に映ったのは、旧校舎と体育館を結ぶ、古びた木造の『渡り廊下』だった。
結衣は半分引きずるようにして悠希の手を引っ張り、渡り廊下の深い軒下へと飛び込んだ。
バササッ! と傘を閉じると同時に、二人は壁に背中を預けて激しく息を吐いた。
「ハァ……ハァ……! すごい雨だったね……! 大丈夫だった、悠君……!?」
結衣が息を整えながら隣を見ると――そこには、見るも無残な姿になった幼馴染が立っていた。
「……ふにゃぁ……」
悠希のサラサラとした黒髪は雨を含んでしっとりと重たげに額に張り付き、ブレザーの肩口や袖はぐっしょりと色が変わってしまっている。
結衣を雨から庇おうとした結果、悠希の右半身は完全に雨に打たれてしまっていたのだ。
「ひぇぇぇっ!? 悠君、すごい濡れてるじゃん!?」
『……う~……つめたい……。かぜ……ひく……』
念話の声も、寒さで心なしか細く震えている。
悠希は萌え袖になった両手を胸の前でギュッと縮こまらせ、ハックション! と可愛らしい小さなくしゃみをひとつ漏らした。
細い肩が、寒さと疲労でピクピクと震えている。
「あぁぁもう! だから言ったのにーっ!」
結衣は大慌てで自分のカバンを開けると、部活(運動)の予備として入れておいた大きめのスポーツタオルを取り出した。
「じっとしててね! 今すぐ拭いてあげるから!」
結衣はタオルを広げると、悠希の頭の上からふわりと被せた。
そして、濡れた黒髪をワシワシ、なでなでと優しく揉み込むようにして拭き始めていく。
「ん……ゆ~ちゃん……くすぐったい……」
「我慢我慢! 髪の毛乾かさないと風邪引くでしょ!」
タオル越しに悠希の頭を丁寧に拭いていく。
濡れて少ししんなりとした悠希の髪は柔らかく、タオル越しにも彼の小さな頭の形が伝わってきた。
頭を拭き終えると、今度は顔や首筋に滴る雨のしずくを、タオルでトントンと優しく拭い取ってあげる。
「うぅ……制服のジャケットも濡れちゃってるじゃん……。ほら悠君、これ脱いで!」
「……ん……脱がせて……」
『……手が……かじかんで……ボタン……はずせない……』
ぽわんと甘えるような念話が届く。
結衣は「もう~、本当にお手伝いが必要な赤ちゃんみたいなんだから!」と呆れつつも、手慣れた様子で悠希のブレザーのボタンをひとつずつ外してあげた。
濡れた重たいブレザーを脱がせると、中から現れたのは、白シャツ一枚になった悠希の華奢な体躯だった。
もともと細身で小柄な身体が、雨に濡れたシャツによってさらに一回り小さく見える。
「う~……寒そう……。あ、そうだ!」
結衣はハッと閃くと、自分のカバンから『指定のカーディガン』を取り出した。
冷房対策として持ち歩いていた、結衣の少し大きめなニットカーディガンだ。
「悠君、これ着て! わたしのだけど、ブレザーよりはあったかいと思うから!」
「……ゆ~ちゃんの……?」
「そうだよ! ほら、腕通して!」
結衣はカーディガンを悠希の背中からふわりと羽織らせてあげた。
悠希の体格には少し大きめのカーディガン。
袖を通してボタンを留めてあげると、悠希の手元はすっぽり隠れ、萌え袖どころか服に着られているような可愛らしい姿が完成した。
悠希はカーディガンの襟元に顔を埋めると、すーっと深く息を吸い込んだ。
『……ん……。ゆ~ちゃんの……匂い……する……』
『な、何言ってるの急にっ!? 変なこと言わないでよーっ!』
思わぬセリフに結衣の顔がカッと熱くなる。
『……ほんとだもん……。おひさまみたいな……甘い匂い……』
悠希はとろんとした瞳で結衣を見つめると、カーディガンの袖をきゅっと握り締め、満足そうに目を細めた。
しかし、激しい雨足は衰える兆しを見せない。
渡り廊下の外では、ドザーーっ! と激しい雨音が壁のように響き渡っている。
屋根があるとはいえ、吹き込んでくる雨粒と湿った冷たい風が、二人の肌を撫でていった。
「う……やっぱりちょっと寒いね……」
結衣が腕をさすっていると、隣にいた悠希が、ぽてぽてと力のない足取りで結衣の目の前まで歩み寄ってきた。
萌え袖になった両手を結衣の腰のあたりにポテと添えると――
迷うことなく、結衣の胸元へ、ぽてんと頭から飛び込んできた。
「わわっ!? 悠君!?」
結衣が驚いて声を上げると、悠希は結衣のお腹のあたりにグリグリと頭を押し付け、そのまま背中に手を回してぎゅ〜っと力いっぱい抱きついてきた。
『……ゆ~ちゃん……さむい……』
脳内に届く念話は、甘くて、少しだけ震えていて、とてつもなく愛おしい響きを帯びていた。
『……ゆ~ちゃん……あったかい……。抱っこ……して……』
『~~~~っ!?』
あまりの可愛さと密着度に、結衣の胸がドキン! と大きく跳ね上がった。
雨宿りの渡り廊下。周囲には誰もいない。
激しい雨音が二人を包み込む中で、結衣は自分の体温を求める幼馴染を、そっと見下ろした。
「……もう。本当に悠君は甘えん坊さんなんだから……」
結衣は優しく目を細めると、自分のカーディガンを着た悠希の華奢な体を、両腕で包み込むようにギュッと抱きしめ返した。
しとしと、ザーー……。
渡り廊下の屋根を叩く雨音は、少し前までの猛烈な激しさを削ぎ落とし、静かでどこか深い水底に沈み込むような、穏やかな音へと変わり始めていた。
放課後の校舎裏。人影はひとつもなく、世界には雨音と、二人を包み込む湿った冷気だけが残されていた。
「うぅ……冷えてきたね。悠君、寒くない?」
結衣は抱きしめた腕にぎゅっと少し力を込めながら、胸元に頭を預けている悠希に問いかけた。
結衣の制服カーディガンにすっぽりと包まれた悠希は、萌え袖になった両手で結衣の腰のあたりを控えめに掴んだまま、顔を胸元に埋めてすりすりと頬を寄せている。
『……ん……。ゆ~ちゃんが……あったかいから……だいじょうぶ……』
念話の波が、脳内にトロンと甘く届く。
悠希はまどろむように目を細め、結衣の身体から伝わる熱を全身で吸い取ろうとするかのように、小さく鼻を鳴らした。
『……ゆ~ちゃん……心臓……とんとん……って言ってる……』
『えっ!? な、なに言ってるの急に! 心臓なんて誰でも動いてるでしょーっ!』
『……ん……。速くなってる……?』
『さ、速くなってない! 走ったから! さっき雨の中を猛ダッシュしたからだよっ!』
結衣は慌てて心の中で弁明した。
(な、なんで心音まで聞こえてるの……!? 悠君、耳が良すぎるよ~っ!)
顔が赤くなるのを隠すように、結衣は悠希の濡れた頭に顎を乗せ、背中をポンポンと優しく叩いてあげる。
悠希の髪からは、雨の匂いと、微かにいつものシャンプーの甘い香りが入り混じって漂っていた。
『……ゆ~ちゃん……』
『なに? 悠君』
『……ぼく……ずっと雨でも……いいよ……』
『ええっ!? なんで急にそんなこと言うの? おうちに帰れなくなっちゃうよ?』
結衣が驚いて念話で聞き返すと、悠希は結衣の胸元に顔を埋めたまま、萌え袖の手で結衣の服をきゅ〜っと引っ張った。
『……雨が……止まなかったら……』
『止まなかったら……?』
『……ずっと……こうして……ゆ~ちゃんに抱っこしてもらえるから……』
『~~~~っ!?』
あまりにも無防備で、無自覚に甘いおねだり。
結衣の脳内に直接届いたその甘い言葉が、結衣の心臓をドキドキと締め付けた。
(可愛すぎる……!! なにその破壊力バツグンのセリフ!! 反則でしょーーっ!!)
結衣の胸の中で「お姉ちゃん&甘やかしスイッチ」が限界突破で跳ね上がる。
照れ隠しと爆発しそうな愛おしさを誤魔化すように、結衣は悠希の頭をワシワシとなで回した。
「もー! 悠君は本当に甘えん坊さんなんだからっ! 風邪引いたら困るのは悠君なんだよ!?」
「……んふふ……」
悠希の嬉しそうな笑い声が、口からポロリと漏れる。
頭をぐしゃぐしゃになで回されているというのに、悠希は嫌がる素振りどころか、猫が喉を鳴らすようにふにゃりと口元を緩めている。
『……ゆ~ちゃんの……なでなで……だいすき……』
『はいはい、よーしよし! えらかったね~、雨の中がんばって走ったもんね~!』
『……ん……。もっと……』
『もう、どこまで甘える気なのっ!』
二人は声を出さず、雨音だけが響く中で、脳内だけでわちゃわちゃと会話を重ねていく。
外から見れば、濡れた渡り廊下の隅で、一着のカーディガンを分け合うようにしてじっと抱き合い、何やら見つめ合ったりすり寄ったりしている二人の姿。
だがその脳内では、糖度数百パーセントの甘々イチャイチャトークが休むことなく繰り広げられていた。
やがて――。
ポツリ……、ポツリ……。
渡り廊下の屋根を叩いていた激しい雨音が、次第に穏やかな音へと変わっていった。
暗雲が垂れ込めていた空の端がうっすらと白み始め、一筋の橙色の光が、濡れた校庭の地面を照らし出していく。
「あ……雨、弱くなってきたね」
結衣が顔を上げて空を見やる。
黒かった雲はあっという間に風に流され、夕暮れ時のきらきらとした光が、雨に濡れた世界を輝かせ始めていた。
「悠君、見て! 雨が上がってきたよ!」
結衣が声をかけると、悠希は名残惜しそうに「……ふにゃ……」と小さな声を漏らし、ゆっくりと結衣の胸元から顔を上げた。
トロンとした瞳はすっかり眠たげで、まぶたが重たそうに下がりかけている。
自分の身体を温めてくれた結衣の熱と、いつものカーディガンの匂いに包まれて、すっかり省エネ・睡眠モードへと移行しかけていたようだ。
「ほら、まだふらふらするでしょ。ゆっくりね」
結衣は悠希の脇を支えながら、ゆっくりと姿勢を伸ばさせてあげる。
「うわぁ……すごい……!」
渡り廊下から一歩外へ踏み出した結衣は、思わず感嘆の声を上げた。
雨上がりの空――東の空の低い位置に、くっきりと美しい七色の虹が架かっていたのだ。
夕陽の光を受けて、雨粒を含んだ空気がキラキラと宝石のように輝いている。
「悠君、見て見て! すごい綺麗な虹が出てるよ!」
結衣が興奮気味に空を指差すと、隣に立つ悠希もぽやぽやとした動作で空を見上げた。
「……にじ……きれい……」
悠希は、声に出してポツリと呟いた。
しかし、彼のトロンとした瞳が映していたのは、空に架かる七色の虹ではなかった。
夕陽を浴びて、虹を見上げながら「綺麗だね~!」と子供のように無邪気に弾ける、結衣の横顔であった。
悠希は袖の中に隠れた手で、結衣の制服の袖口をぎゅっと握りしめた。
『……ゆ~ちゃんの方が……きれい……』
『えっ? なにか言った? 雨音で聞こえなかった!』
結衣が振り返ると、悠希はぽわんと可愛らしくほほ笑み、首を横に振った。
『……ううん……なんでもない……』
『なによ~、気になるじゃん! 教えてよ~!』
『……ひみつ……』
念話の中でいたずらっぽく小首をかしげる悠希。
結衣は「もー! いじわるー!」と笑いながら、悠希の握ってきた手を、自分の手で優しく包み込むように握り返した。
「よし! 雨も上がったし、今度こそ駅まで帰ろっか!」
「……ん……」
「あ、悠君のブレザー、濡れて重たくなってるからわたしが持ってあげるね」
「……ありがとう……ゆ~ちゃん……」
「いいのいいの! お姉ちゃんにまかせなさい!」
胸を張る結衣の横で、悠希は自分の体よりも少し大きな結衣のカーディガンを羽織ったまま、ぽてぽてと小さな歩幅で歩き出した。
雨上がりの街は、初夏の湿った風と、洗い流された土の匂いに満ちていた。
アスファルトにできた水たまりが夕陽を反射し、二人を祝福するように橙色に輝いている。
「あ、ねえ悠君。濡れちゃったし、駅前のコンビニで温かい肉まんか何か買って食べる?」
『……肉まん……たべたい……』
『はい決定~! わたしが奢ってあげるね!』
『……ふふ……ゆ~ちゃん……すき……』
『はいはい、わたしも悠君のことが大好きですよ~!』
いつものように、周囲には伝わらない無言のやり取りを交わしながら。
二人の影が夕日の中に長く伸びていく。
手を繋いだまま歩く二人の間には、雨上がりの空よりもずっと温かく、甘い時間がいつまでも流れ続けていたのだった。