幼馴染ならどんなときでも意思疎通できるよね? 作:AirHertz
秋が深まり、朝晩の冷え込みが厳しくなってきた十一月の半ば。
季節の変わり目ということもあってか、マスク姿の生徒がちらほらと目立つようになっていた。
「ハックション……!」
四時限目の英語の授業中。教室の左奥、一番後ろの席で、結衣は小さくくしゃみをした。
ズビズビと鼻を鳴らし、ポケットからティッシュを取り出して鼻をかむ。
(うう……なんか朝から頭が重いと思ったけど、本格的に寒気がしてきたかも……)
結衣は自分の額に手を当てた。ほんのりと熱を帯びている気がする。
昨日の夜、少し肌寒いと思いながらも布団を蹴飛ばして寝てしまったのが悪かったのだろうか。
ぽかんと口を開けて黒板を見つめようとするが、先生の板書がうっすらと二重に見えて揺れていた。
その時――。
『……ゆ~ちゃん……? だいじょうぶ……?』
頭の中に、ポワポワとした澄んだ声が届いた。
結衣が視線を斜め前方の窓際へと送ると、悠希が教科書を押さえたまま、心配そうにこちらを振り返っていた。
つむじの上のアホ毛が、不安そうにへにゃりと垂れ下がっている。
結衣は心配かけまいと、頭の中でパッと明るい声を返した。
『大丈夫大丈夫! ちょっと鼻がムズムズしただけだよ~! 悠君は前向いて授業聞いてて! 先生に見つかるよ!』
『……ほんとう……? なんか……かおが赤いよ……?』
『気のせいだよ~! ほら、前! 先生がこっち見てる!』
結衣に言われ、悠希は渋々といった様子で前を向き直した。
しかし、念話越しに聞こえてくる悠希の声は、少しも落ち着いていない。ずっとそわそわと結衣の様子を気にしているのが、手に取るように分かった。
(悠君、心配性だなぁ。ただの軽い風邪なのに……)
結衣はふふと心の中で笑ったが、その直後、猛烈な眩暈が襲ってきた。
視界が急激に暗くなり、危うく机におでこを打ち付けそうになる。
(あ、あれ……? 本当に……ちょっとヤバいかも……)
四時限目のチャイムが鳴ると同時に、結衣はそのまま机に突っ伏してしまった。
「ちょっと結衣!? 大丈夫!?」
すぐに駆け寄ってきた莉子が、結衣の額に手を当てる。
「熱っ! すごい熱じゃない! 結衣、顔真っ赤よ!?」
「あはは……莉子ぉ……なんか身体がフワフワする~……」
「笑ってる場合じゃないでしょ! ほら、立ち上がれる? 保健室行くわよ!」
莉子に肩を貸してもらい、フラフラと立ち上がる結衣。
「あらら、相原さん体調悪いの? 先生に言って保健室で休ませてもらいなさい」
授業を終えた英語の先生も心配そうに声をかけてくる。
結衣は莉子に支えられながら保健室へと向かうことになり、先生から「熱が高いなら今日は早退して家でしっかり休みましょうね」と言われたのだった。
その一部始終を、悠希は青ざめた顔で見つめていた。
『悠君……! わたし保健室に行って、そのまま早退することになったよ……。悠君はお昼休み、ちゃんとお昼ご飯食べてね!』
『……ゆ~ちゃん……! ぼくも……いく……! ぼくが……ゆ~ちゃんを送る……!』
『えっ!? 悠君も早退するの!? でも授業が……』
『……ゆ~ちゃんのお家まで……ぼくが送るの……! 先生に……言ってくる……!』
悠希は意志の強い瞳で席を立つと、迷うことなく職員室へと向かっていった。
(あぁぁ……悠君ったら、もう……!)
結衣は熱でボヤけた頭の中で、悠希のまっすぐな優しさに胸がぎゅっと温かくなるのを感じていた。
◇
結局、先生からも許可が下り、悠希は自分の通学カバンと結衣のカバンを両肩に担ぎ、結衣に付き添って早退することになった。
「うぅ……悠君、ごめんね。カバン重いでしょ……?」
「……ううん。ぜんぜん……重くない……」
普段なら自分のカバンすら持つのを面倒くさがる悠希が、二つの重いカバンをしっかりと担ぎ、結衣の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれる。
なんとか結衣の家にたどり着くと、結衣はそのまま自室のベッドへと倒れ込んだ。
「ふあぁ……やっぱり自分の家は落ち着く~……」
「……ゆ~ちゃん、おふとん……かけるね……」
悠希はぽてぽてと動き回り、結衣に優しく毛布を掛け直してくれた。
それから台所へ向かい、冷たいお水を注いだコップと、冷蔵庫に入れてあった冷却シートを持って部屋に戻ってきた。
「はい……水分……とって……」
「ありがとう悠君……」
お水を一口飲むと、悠希は結衣の額にピタッと新しい冷却シートを貼ってくれた。ひんやりとした感覚が心地よく、結衣の頬がゆるむ。
「悠君、お世話ありがとうね。もう大丈夫だから、悠君はお家に帰って休んでいいんだよ?」
「……やだ」
悠希は即答すると、結衣のベッド脇に置いてある学習椅子をゴロゴロと引き寄せ、ちょこんと腰掛けた。
「……ゆ~ちゃんが……元気になるまで……お隣にいる……」
「でも、悠君まで体調崩しちゃうよ~?」
「……ぜったい……帰らない……」
悠希はぷくっと頬を膨らませ、結衣の手を両手でギュッと包み込んだ。
その手は少し冷たくて、けれど結衣を心配する温かい気持ちが、じんわりと伝わってくる。
「ふふ、頑固だなぁ……。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
結衣が微笑むと、悠希は満足そうに「ん……」と頷いた。
しかし、元々体力が皆無で、普段から圧倒的な省エネモードで生きている悠希だ。
結衣が倒れたショックと緊張、二つのカバンを担いで歩いてきた疲労、そして昼ご飯もろくに喉を通らなかったことによる空腹。
二十分も経つ頃には、悠希の体力と集中力は完全に底をついていた。
「悠君……? なんか悠君の方が顔色白くなってない……?」
「……ん……。大丈夫……。ぼくが……ゆ~ちゃんを……かんびょう……する……」
椅子に座った悠希の頭が、カクン、カクンと舟を漕ぎ始めた。
トロンとした瞳はすっかり眠たげになり、つむじのアホ毛も力尽きたようにフニャフニャと倒れている。
結衣の無事を確認した安心感と、看病の緊張感が解けたことで、悠希の全身から急速に気が抜けていっているのが分かった。
そして――。
気が抜けすぎたことで、二人の異能である『念話』と生声の境目が、あっけなく薄れようとしていた。
◇
結衣のベッドの横で、学習椅子にちょこんと腰掛けた悠希は、今にも倒れそうなくらいカクンカクンと舟を漕いでいた。
(悠君、本当に限界なんだな……。わたしのためにこんなになるまで付き添ってくれて……)
結衣の胸の奥が、ぎゅっと温かいもので満たされていく。
「悠君、もう椅子じゃなくて、ベッドの端っこ入る? 一緒に横になろうよ」
結衣が苦笑しながら布団を少し持ち上げると、悠希はぽやんと首を横に振った。
「……ん……。やだ……。ゆ~ちゃんの……手……握ってる……」
悠希は萌え袖の手で、布団の上に置いてあった結衣の左手を両手でぎゅっと包み込んだ。
そして、そのまま結衣の手の上に自分の額を乗せ、頬をすりすりと寄せてきたのだ。
「ふあぁ……。ゆ~ちゃん……手……あったかい……」
「あはは、悠君の手が冷たいんだよ。ほら、やっぱり風邪うつっちゃうから……」
「……うつっても……いい……。ゆ~ちゃんと……一緒がいい……」
そう呟きながら、悠希は結衣の手の上に完全に顔を乗せ、スースーと気持ちよさそうに息を吐き始めた。
結衣の無事を確認できた圧倒的な安心感と、看病を走り切った疲労感によって、悠希の意識はぽやぽやとしたまどろみの海へと沈んでいく。
そして――。
極度の疲労と安心感によって、悠希の中で『脳内の言葉』と『実際に口を動かす』を隔てていた境目が、いつの間にか薄れてしまっていた。
悠希自身は、いつも通り頭の中でポワポワと念話を送っているつもりだった。
しかし、その口唇は小さく動き、吐息混じりの柔らかな「声」として、直接部屋の中に響き渡っていた。
「……ゆ~ちゃん……あったかい……。んふ……ずっと……ぎゅーって……してて……」
「えっ……!? 悠君、いま普通に声に出てるよ!?」
結衣は思わず目を丸くした。
いつもなら脳内に響いてくるはずの悠希のポワポワとした声が、耳元から直接、息づかいとともに聴こえてきたからだ。
しかし、当の悠希は「声を出している」という自覚が全くない。
自分では完璧に念話を使っているつもりで、ぽやぽやと甘え言葉を漏らし続ける。
「……え……? なにが……? ぼく……声……出してないよ……?」
(出てる出てる! めっちゃ綺麗な生声で喋ってるから!!)
あまりの出来事に結衣が言葉を失っていると、悠希は結衣の手をさらにぎゅっと握り直し、頬をすりすりと擦り寄せながら呟いた。
「……ゆ~ちゃんの手……大きくて……気持ちいい……。どこにも行かないでね……。ずっと……ぼくのお隣に……いてね……」
「っ……!!」
結衣の心臓が、跳ね上がった。
普段から悠希は「ゆ~ちゃん大好き」と素直に言ってくれる。恥ずかしがって本音を隠すような子ではない。
だが、いつもなら念話でポワポワと脳内に届けられるその無意識の甘え言葉が、いまは吐息の温もりとともに、直接「声」として耳に届いているのだ。
(かわっ……かわいすぎるでしょこんなの……!!)
熱のせいだけではない熱さが、一気に結衣の顔へと吹き出した。
胸が激しくキュンキュンと鳴り響き、ベッドの上で悶えそうになるのを必死で抑え込む。
「……ゆ~ちゃん……倒れちゃうと……ぼく……すごく……さびしい……。だから……ずっと……元気に……お隣で笑ってて……」
「……悠君……」
「……んふ……ゆ~ちゃん……だいすき……」
自分の声が出ていることに最後まで気づかないまま、悠希は満足そうに口元をゆるめ、そのまま結衣の手を抱きかかえるようにしてスースーと気持ちよさそうに深い眠りへと落ちていった。
部屋の中には、カチ、カチ、と響く時計の針の音と、悠希の規則正しい小さな寝息だけが残された。
脳内に響いていた念話も途切れ、悠希が完全に寝落ちしたことが分かった。
「……もう。念話のつもりで全部口に出てたよ、悠君……」
結衣は真っ赤になった顔を片手で覆いながら、ぽつりと呟いた。
握られた左手からは、悠希の小さな体温がじんわりと伝わってくる。
あんなに頑張ってカバンを二つ担いで駆けつけて、一生懸命看病してくれて、最後はこんなに可愛い声で甘えて寝落ちしてしまうなんて。
「……ずるいなぁ。こんなの、風邪の熱よりドキドキしちゃうじゃん……」
結衣はふっと優しく目を細めると、空いている右手で、自分の手に顔を乗せて眠る悠希の柔らかい髪に触れた。
ふんわりとしたクセ毛と、頭頂部でへにゃりと倒れているアホ毛を、愛おしさを込めて優しく撫で回す。
「ありがとね、悠君。おかげで風邪、吹き飛びそうだよ」
悠希は夢心地の中で気持ちよさそうに「ん……」と小さく鼻を鳴らし、結衣の手にさらに頬を擦り寄せてきた。
冷え込んできた十一月の夕暮れ。
結衣の部屋は、どこまでも温かく優しい空気に包まれていたのだった。
◇
――数日後。
風邪がすっかり治り、元気に登校できるようになった結衣は、放課後の下校途中で悠希と並んで歩いていた。
オレンジ色に染まる通学路。秋風が少し冷たい。
「ねえねえ、悠君」
「……ん……? なあに……ゆ~ちゃん……?」
結衣が隣を歩く悠希の顔を覗き込むと、悠希は萌え袖の手で口元を隠しながら、ぽやんとした目を向けた。
「あのさ、わたしが風邪引いて家で寝てた時……悠君、念話じゃなくて普通に話してたの覚えてる?」
「……え……?」
悠希はぴくっとアホ毛を立たせ、不思議そうに首をかしげた。
「……ぼく……声……出してないよ……? ちゃんと頭の中で……お話ししてた……」
「ふふっ、やっぱり覚えてないんだ! 『ずっとお隣にいてね』とか『ぎゅーってしてて』とか、すっごく可愛い声でポロポロ漏れてたんだよ?」
「……っ!? ぼ、ぼく……そんなの……言ってない……!」
自分が無意識に口にしていた言葉を暴露され、悠希は耳まで真っ赤にしてぷくーっと頬を膨らませた。
恥ずかしいというよりは、「声を出していた自覚がない」ことに対する混乱と戸惑いで、つむじのアホ毛がパニックを起こしたようにピコピコと揺れている。
「ほんとだってば~! 『ゆ~ちゃんの手、あったかい』って言いながらすりすりしてきたの、すっごく可愛かったんだから!」
「……ゆ~ちゃんのおバカ……。いじわる……」
悠希はふいっと横を向いてしまったが、その萌え袖の手はしっかりと結衣の制服の袖をつかんでいた。
結衣はそんな悠希の手を、ギュッと握り直した。
『ふふ、冗談だよ~! でもね、悠君が看病してくれてすっごく嬉しかった! ありがとね、悠君!』
頭の中にパッと弾けるような明るい念話を送ると、悠希は繋いだ手から伝わる温もりに少しだけ表情を緩め、頭の中でポワポワとした声を返してきた。
『……ん……。ゆ~ちゃんが元気になって……よかった……。これからも……ずっと……ぼくのお隣にいてね……』
『うん! 当たり前じゃん! ずっとお隣にいるよ!』
夕暮れの街並みの中、手を繋いで並んで歩く二人。
外から見れば静かに歩いているだけに見える二人の頭の中では、今日も温かくて甘い言葉が、どこまでも響き渡っていたのだった。