GTO〜もし過去に戻れたら〜   作:死徒

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鬼塚が友人二人に相談します。


第十六話〜

 

夜の吉祥寺。

 

いつもの安居酒屋の奥の席は、暖簾が揺れるたびに外の冷たい風がわずかに入り込む。

 

店内はまだ客がまばらで、カウンターの奥で店主が小さく流しているテレビの音だけが、静かに響いていた。

 

テーブルの上には空になったジョッキが二つと、枝豆の皿が置かれている。

 

蛍光灯の光が、わずかに黄色く傾いていた。

 

鬼塚英吉は、三杯目のビールを握ったまま、向かいの二人を見ていた。

 

指先に、ジョッキの冷たさが残っている。

 

弾間龍二はメガネを指で押し上げ、静かに酒を啜っている。

 

隣の冴島俊行は今日は非番だったらしく、私服姿で、枝豆を摘みながらすでに二杯目のハイボールを空けていた。

 

二人とも、鬼塚が珍しく真剣な顔をしていることに気づいてはいたが、先に口を開くことはしなかった。

 

「で、そろそろ良いだろ? 一体何の相談だよ。こんな夜遅くに、わざわざ俺らを呼び出すなんて、滅多にねえだろ」

 

龍二が先に切り出した。

 

声は低いが、どこか構えていた。

 

鬼塚はしばらく黙っていた。

 

喉が、妙に乾いている。

 

プレハブで見た夢の残滓が、まだ胸の奥に引っかかったままだった。

 

ジョッキを一口含み、ゆっくりと喉を通してから、ようやく口を開く。

 

「……生徒のことだ」

 

「またかよ。今度は何だ。またあの金髪の子に振り回されてんのか?」

 

冴島が枝豆を放り込みながら、軽く肩をすくめて言った。

 

口調は軽いが、目は鬼塚をしっかりと見ていた。

 

鬼塚は一瞬、視線を逸らした。テーブルの木目を、ただ見つめる。

 

「……振り回されてるといえば…まあそうだな…」

 

曖昧な返しに、冴島が「は?」と眉を上げる。

 

龍二が、静かに言った。

 

「例のあの子か?」

 

「ああ…神崎麗美。あいつだ」

 

龍二はジョッキを置き、少し間を置いて続けた。

 

メガネの奥の目が、わずかに細められる。

 

「……神崎麗美……あの金髪でオッドアイの天才児。 お前が『仮の恋人』とか言って振り回されて、その上、甲斐甲斐しく夜飯や弁当まで作ってくれる通い妻みたいな子だな」

 

「通い妻って、てめえ……」

 

鬼塚が思わず突っ込むと、龍二は少しだけ肩をすくめた。

「だろ? お前が言ってた通りの状況なら、そう聞こえる」

 

鬼塚は、深く息を吐いた。

 

否定しきれない自分が、少し腹立たしかった。

 

ジョッキの中の泡が、静かに消えていく。

 

「通い妻云々は兎も角…最近、変な夢ばっかり見てるんだ。麗美の……なんか、俺が知らないはずの出来事みたいなのが、妙にリアルに出てくる。みやびが麗美の秘密をばらして、あいつが絶望して失踪して、屋内スキー場で凍死しかけてる夢とか……。

救急隊の指示で服を脱いで、寝袋の中で直接体温を分け合って温めて……。意識を取り戻した麗美が、疲れて寝てる俺の手を、自分の胸に押し付けてくる夢も見た。

ただの夢にしては、辻褄が合いすぎてる。ビルから飛び降りたときの衝撃も、生き埋めにしかけたことも、全部妙にリアルで……。まるで本当に、どこかで体験してきたみたいでよ。

でも、夢の中で感じた、あの子の冷たい体を温めている感触と、目の前で弁当を作ってくる麗美の姿が、どうしても重なってしまってるんだ」

 

冴島が、枝豆を持つ手を止めた。

 

龍二が、低く言った。

 

「……それで?」

 

鬼塚は、ジョッキを置いて、二人を見た。

 

「ああ、それで……さっきもちょっと寝ちまった時……また夢を見た。俺が植物状態で、死にかけてて…病室にいる。冬月や、みやびや、朋子…生徒達が傍にいて……そこに麗美が飛び込んできて、俺の姿を見て……左手首を、カッターで切ろうとした。『先生がいないなら、生きてる意味がない』って、泣きながら。冬月たちが止めなきゃ、本当に死んでた」

 

「は? 殺しても死ななそうなてめぇが死にかけるだぁ? どういう状況だそりゃ……」

 

冴島が、枝豆を持つ手を止める。

 

居酒屋のざわめきが、遠くなる。

 

「俺も夢の状況は分からねえ…だが、それでだ。……麗美を、ただの生徒として見れねえ。ガキだ、教え子だ、そう自分に言い聞かせようとしても、あの夢の中の血を見た瞬間の、胸が凍りつくような感覚が消えねえ。失うのが、嫌なんだよ。ただの『生徒を失う』じゃねえ。『麗美を失う』のが、嫌なんだ」

 

鬼塚の声が、少し震えていた。

 

「飯や弁当を作ってきてくれるときも、そうだった。あいつはただ作ってるんじゃねえ。俺が食べてるところを、ちゃんと見てる。手が赤くなってても、何も言わずに持ってくる。夢の中で、あいつの冷えた体を温めていたときも、ただの茶番じゃねえと思った。あいつは、本気で俺のことを見てる」

 

冴島が、ゆっくりとジョッキを置いた。

 

「……おい。それ、お前が言ってる意味、分かってんのか?」

 

「分かってるよ。教師が、生徒を……しかも中坊を異性として見てる。最低だってことくらい、俺だって分かってんだよ」

 

龍二は、静かにメガネを押し上げた。

 

「……本気か?」

 

「本気だ。……どうしたらいいか、分かんねえ。教師として、絶対に越えちゃいけねえ線だってことは、分かってる。でも、夢の中で麗美が俺の後を追おうとしたとき、俺は……ただ、怖かった。生徒だからとか、関係ねえ。ただ、麗美が死ぬのが、嫌だった」

 

冴島が、小さく息を吐く。

 

「……暴走族時代から色んな女に好意を向けられていた癖に彼女も作らねぇで、ずっと童貞だったお前が、こんな顔で『女を好きになった』って言うなんて、想像もしてねえよ。しかも、相手が中学生だぞ」

 

「分かってる」

 

「分かってねえだろ。バレたら終わりだ。お前の教師人生も、あの子の人生も、全部終わる」

 

龍二が、静かに続けた。

 

「……でもな、英吉。お前がそう感じたのは、たぶん嘘じゃねえ。少なくとも、俺はそう思う。飯や弁当を作ってくれるのも、夢の中であの子を温めていたのも、ただの茶番なら、そこまで残らねえ。ただ、それを口にした瞬間から、もう『ただの教師と生徒』じゃいられなくなる」

 

鬼塚は、答えなかった。

 

ただ、ジョッキの中の泡が消えていくのを、じっと見つめていた。

 

「……ああ。分かってる。それでも、一人で抱え込むのは、もうやめようと思った……だから、信頼出来るお前らに話すことにしたんだ」

 

しばらく沈黙が続いた。

 

龍二が、ジョッキを置いて口を開く。

 

「……決めるのはお前だ。例え生徒で中坊だろうと、好きになっちまったんなら仕方ねえだろ。最低と周りがお前を罵ろうが、俺達はお前の恋を否定しねえよ」

 

冴島が、枝豆を一つ摘みながら続けた。

 

「遊びならしょっぴいて豚小屋にブチ込んでやるとこだが、マジなんだろ? ならてめぇらしく全力で突き進めば良いだろうが」

 

龍二が、静かにうなずく。

 

「あの子の行動や反応を聞く限り、向こうも本気でお前を男として好きなんだろ。お前がマジであの子を一人の女として好きなら、受け身だけでなく、お前から積極的にあの子に好意を向けてやれ。じゃねぇといつか別の男に取られちまうかも知れねぇぜ?」

 

鬼塚は、二人の言葉を聞いていた。

 

ジョッキの中の泡が、静かに消えていく。

 

麗美の作ってくれた食事や弁当の味が、まだ舌の奥に残っている。

 

夢の中で、冷えたあの子の体を温めていた感触が、まだ掌に残っている。

 

夢の中で見た、麗美の左手首から溢れる血が、まだ胸の奥に残っている。

 

それを、どうすればいいのか。

 

しばらく黙っていた鬼塚が、ゆっくりと顔を上げた。

 

その表情は、さっきまでとは明らかに違っていた。

 

迷いが消え、どこか吹っ切れたような、静かな決意が浮かんでいた。

 

「……ああ。わかった」

 

低く、はっきりと言った。

 

「麗美に、ちゃんと伝える。……もう逃げねえ!」

 

龍二が、小さく笑った。

 

「……そうか」

 

冴島が、枝豆を一つ放り込みながら肩をすくめる。

 

「ま、てめぇらしくやれよ。 ウジウジしてるのはてめぇのキャラじゃねぇだろ?」

 

鬼塚は、空になったジョッキを置いた。

 

席を立つ。

 

椅子が、わずかに床を擦る音がした。

 

「ああ。……じゃあ、またな」

 

龍二が、静かに手を上げる。

 

「ああ。気をつけろよ」

 

冴島は何も言わず、ただ枝豆を摘んでいた。

 

鬼塚は暖簾をくぐり、店を出た。

 

深夜の冷たい空気が、顔に当たる。

 

街灯のオレンジ色の光が、アスファルトを照らしていた。

 

学校に戻る道を歩きながら、鬼塚はポケットに手を突っ込んだ。

 

麗美の顔が、頭に浮かぶ。

 

弁当を作ってきてくれるときの、あの少しだけ柔らかい表情。

 

夢の中で、冷えた体を温めていたときの、あの弱々しい呼吸。

 

左手首から血が流れていた、あの姿。

 

それを、どう伝えるか。

 

まだ、言葉は決まっていない。

 

でも、伝えることだけは、決めた。

 

夜の風が、鬼塚の背中を押すように吹いていた。

 

 

 

店の暖簾が、再び揺れた。

 

暖簾が静かに戻ったあと、しばらく席には沈黙が残っていた。

 

冴島が、枝豆の皿を指で軽く弾きながら口を開く。

 

「……マジでいくのか、あいつ?」

 

龍二は、残っていた酒をゆっくりと啜った。

 

「……ああ。行くだろ。あいつがあの顔をした時は昔からいつも自分の気持ちに迷いなく、正直に突き進む」

 

「中学生だぞ。しかも、自分の生徒だ」

 

「わかってる。お前も、わかってんだろ」

 

冴島は、小さく息を吐いた。

 

「……遊びじゃねえのは、あいつの目を見たら確かだ。あんな顔で『好きになった』なんて、あいつが言うとは思わなかった」

 

しばらく間を置いて、龍二が静かに続けた。

 

「周りがなんと言おうが、結局は当人達が良ければそれで良い。 それが俺達の昔からのやり方だ。 違うか?」

 

冴島は、ジョッキを傾けて残りの酒を飲み干した。

 

「違いねぇ。 それに、考えてみりゃ歳の差自体は八歳かそこらだ。 中坊ってのを抜きにすりゃある程度は大丈夫かもしんねぇしな」

 

龍二が、小さく息を吐く。

 

「……てめえが本気なら、俺は止めねえ」

 

冴島は、枝豆を一つ摘みながら言った。

 

「……やっと英吉にも春が来たってか」

 

店の中は、また静けさに戻った。

 

暖簾が、夜風でわずかに揺れた。

 

ー

ー

ー

 

翌朝。

 

鬼塚は、いつもより少し早くプレハブを出た。

 

教室に向かう途中、廊下で麗美とすれ違う。

 

「おはよ、先生」

 

いつものように、麗美が声をかけてくる。

 

他の目があるので先生呼びである。

 

鬼塚は、一瞬だけ立ち止まった。

 

「……おう。おはよう」

 

それだけ言って、歩き出す。

 

麗美は、少し首を傾げた。

 

「……なんか、今日は雰囲気違うね。顔、変だよ」

 

「……別に、なんでもねえ」

 

「嘘。なんか、決め顔してる…カッコいいけど」

 

鬼塚は、答えなかった。

 

ただ、少しだけ歩調を緩めて、麗美の隣に並んだ。

 

「神崎……放課後、二人っきりで話がある」

 

低く、言った。

 

麗美の足が、一瞬止まる。

 

「……話? あたし達だけで?」

 

「ああ。屋上の俺の部屋で」

 

麗美は、しばらく鬼塚の横顔を見ていた。

 

オッドアイが、わずかに細められる。

 

「……わかった。放課後直ぐ行くから」

 

それだけ言って、麗美は先に歩き出した。

 

鬼塚は、その背中を見送った。

 

ー

ー

ー

 

迎えた放課後。

 

鬼塚は自室であるプレハブ小屋で待つ。

 

麗美が来るまでの時間が、妙に長く感じた。

 

窓の外を、夕方の風が通り過ぎていく。

 

胸の奥が、妙に落ち着かない。

 

ドアが開く音がする。

 

「……来たよ。 紅茶淹れるわね」

 

麗美が、入ってくる。

 

いつものように、紅茶を淹れようとして、手を止めた。

 

「……で、何の話?」

 

鬼塚は、ソファに座ったまま、麗美を見た。

 

「今日は紅茶はとりあえず良いから……座れ」

 

麗美は、少し間を置いて、向かいの椅子に座った。

 

二人の間に、短い沈黙が落ちる。

 

鬼塚は、深く息を吸った。

 

言葉が、一度喉で詰まる。

 

「……麗美」

 

「……」

 

「俺は……てめえを、ただの生徒として見れねえ」

 

麗美の動きが、止まった。

 

「……は?」

 

「生徒だ、ガキだ、そう自分に言い聞かせようとしても、もうできねえ。てめえが弁当作ってきてくれるのも、手が赤くなってても何も言わねえのも、全部、頭から離れねえ。夢の中で……てめえが俺の後を追おうとしたのも、全部、残ってる」

 

麗美は、何も言わなかった。

 

ただ、鬼塚を見ていた。

 

オッドアイが、わずかに揺れている。

 

鬼塚は、視線を逸らさなかった。

 

もう一度、息を吸う。

 

「……好きだ」

 

その言葉が、プレハブ小屋の中に静かに落ちた。

 

「異性として、てめえを見てる。教師として、越えちゃいけねえ線だってことは、わかってる。でも、もう……否定できねえ。てめえを失うのが、嫌なんだ」

 

麗美の目が、わずかに見開かれる。

 

唇が、小さく震えた。

 

しばらく、誰も何も言わなかった。

 

プレハブの中に、二人の呼吸の音だけが残る。

 

やがて、麗美の目が、みるみるうちに潤んでいく。

 

一滴、また一滴と、涙が頬を伝った。

 

「……本気?」

 

「ああ。本気だ」

 

麗美は、涙を拭おうともせず、ただ鬼塚を見ていた。

 

「……やっと…やっと…言ってくれた……」

 

その声は、震えていた。

 

「ずっと、言ってほしかった。あんたが、あたしをただの生徒として見てないって。仮の恋人とか、脅しとか、茶番とか、そういうんじゃなくて……本気で…恋人として…一人の女として見てるって」

 

涙が、止まらなかった。

 

「食事やお弁当を作ってきても、手が赤くなっても……あんたが、ただ『生徒の世話』だと思ってるんじゃないかって、ずっと怖かった。でも、あんたが今、そう言ってくれたから……もう、怖くない」

 

鬼塚は、小さく息を吸った。

 

「……俺も、怖かった。てめえを、ただの生徒として見ていられるかどうか。でも、もう……引かねえ」

 

麗美は、涙を流したまま、小さく笑った。

 

その笑みは、いつもの余裕のあるものではなく、どこか弱々しくて、でも確かに嬉しそうなものだった。

 

「……じゃあ、仮の恋人は、もうやめよ。 脅すのももう終わり」

 

「ああ」

 

「これから、本当の恋人。それでいい?」

 

鬼塚は、うなずいた。

 

「……ああ。いい…お前を幸せに出来るか分からねえけどよ…」

 

「……バカ」

 

麗美が、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 

鬼塚は、立ち上がった。

 

そして、麗美を抱きしめた。

 

「もう充分に幸せよ。こうしてあんたと本当の意味で恋人になれたんだから……大好き❤ ほんとに愛してるんだから!」

 

「俺もだ麗美。 愛してる……もう誰にもお前は渡さねえ」

 

腕の中に、麗美の体が収まる。

 

思ったよりも小さくて、柔らかかった。

 

麗美は、一瞬だけ体を硬くしたあと、ゆっくりと鬼塚の胸に額を預けた。

 

涙が、鬼塚のシャツに染みていく。

 

「……英吉」

 

「ああ」

 

「……このまま離さないで」

 

鬼塚は、答えなかった。

 

ただ、抱きしめる腕に、少しだけ力を込めた。

 

麗美の手が、鬼塚の背中に回る。

 

小さく、震えていた。

 

プレハブ小屋の中は、静かだった。

 

ただ、二人の息遣いだけが、重なっていた。

 

しばらく、誰も何も言わなかった。

 

夜の風が、窓を揺らす。

 

やがて、麗美が小さく息を吐く。

 

「……やっと」

 

鬼塚は、麗美の背中に手を添えたまま、ただそうしていた。

 

「……ああ」

 

まだ、これからだ。

 

どうなるのかは、まだわからない。

 

教師として、生徒として、越えちゃいけない線があることも、わかっている。

 

でも、少なくとも今夜は、二人は抱き合っていた。

 

仮の恋人ではなく、本気の恋人として。

 

麗美の涙は、もう怖さから来るものではなかった。

 

ただ、嬉しさだけが、静かに溢れていた。

 

絶望の運命が今はっきりと変わった瞬間だった。

 





という訳で、晴れて二人は仮の恋人を卒業し、本当の恋人となりました。

遂に運命を変えた訳ですが、これから果たしてどうなるのか?

次回もよろしくお願いします。
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