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新学期・初日。
制服の第二ボタンを留めたところで、指が止まった。
穴の位置が昨日の夜着て、改めて覚えた場所より少し上にある。
体が小さいせい、というより、この身体に未だ慣れていないせいだろう。
鏡には、中学三年の神崎麗美…あたしがいた。
髪は肩を少し過ぎたところで止まっている。
腰まであった頃の重さは、この体にはまだない。
しかし、後二か月もすれば、戻るだろう。
あたしは再び手を動かすと、残ったボタンを留め、制服に乱れがないか鏡で確かめ、口にリップクリームを塗り、最後に白のソックスを履いて身支度を終えた。
やはり、基本的に化粧を必要としないこの身体は、大学時代と比べて時間を必要とせず、楽で良いと改めて思う。
ファンデの境目も、左右の眉を書く必要もない。
髪の乱れ等が無いか軽く見るだけで充分だ。
本当なら、バッチリメイクしていきたい気持ちもあるが、中学生が学校に行くのにそんな化粧をしていては目立つだけだし、鬼塚に中学生の癖に《ケバい女》と最初から第一印象を悪く思われるのも嫌だ。
その為、色々考えた末、以前の世界同様、化粧なしの素のあたしで行くことに決めた。
部屋を出て、キッチンへと向かうとそこにはママがいた。
トーストを一枚、皿の端に寄せている。
「制服、きつくない?」
「大丈夫。 特に問題なさそう」
「そう。 帰りが遅くなりそうなら、電話しなさい」
「うん。行ってきます」
返事は、それだけだった。
和解後、毎日あったママからの見送りはない。
この頃はママとの会話も、朝の作業の一部だった。
家のドアを閉めて、坂を下りる。
靴の中で、踵がまだ自分の位置を探している。
前の人生のあたしは復学せず、未だ家に居た為、新学期初日はこの坂を登らなかった。
そのあと約二か月間、変わらず家にいた。
復学したのは五月の終わり近く、みやびに呼ばれてからだ。
今日は彼女に呼ばれていない。
潰したい対象の教師も居なければ、あたしという最強の切り札を出す段階でも無い為、当然だ。
あたしは校門の前に辿り着くと、そのまま門をくぐる。
風が、肩を過ぎた髪を横に流した。
今の髪は、首の横でばらける。
校舎に入るとあたしは靴を外履きから内履きへと履き替え、教室のある三階へと向かい、遂に三年四組の扉の前まで来た。
扉は、半分開いていた。中の声が、授業前のそれになっている。
「村井、席ずれてる」
「うるせえ、ここが俺の指定席だ」
「菊池くん、プリントまだ?」
「……ああ、少し待ってくれ」
クラスメイトのやり取りを耳にしながらあたしは扉にゆっくり手をかけると、半分開いていた扉を全部開けた。
その瞬間、音が、先に死んだ。
窓側の誰かが椅子を引く手を止めて、廊下側の女子が筆箱を落とした。
落ちた音だけが、遅れて鳴る。
各々の視線が、制服の襟から顔へ上がって、肩を過ぎた金髪で一度止まって、あたしを視認して止まった。
「……神崎」
「な、なんで神崎がいるんだ!?」
「何かしたのか」
「してねえだろ。 潰す相手もいねえのに」
「それじゃあなんで居んだよ?」
「わかんないよ」
男子の声が荒くて、女子の声がそれより低い気がする。
低いほうが、性質が悪い。
何かしたのか、は、あたしが誰かを嵌めたのか、という聞き方だった。
今回は…というよりこの世界に来てからのあたしはまだ何もしていない。
そうだというのに…あからさまに悪事をしようとしていると決めつけられるのは心外だ。
兎に角、席に着こう。
内心の苛つきを抑えながら、あたしは自分の席を目指す。
割り当ては、窓側の前から四番目。
以前の記憶とずれていない。
前の世界では五月の終わりまで空だった木の机だ。
鞄を脚の横に置いて座った。
座っただけで、後ろの席がきしんだ。
髪が肩に落ちて、制服の布に触れる。
「まさか復学か?」
「親が無理やり連れてきたんじゃねえの」
「玄関まで誰もいなかったぞ。 神崎一人で来てる」
「何を考えてんの?…気味悪」
…苛立ちが増した。
ヤバい、鉛筆を無性に折りたい気分だ。
正直、気味悪、は聞き捨てならなかった。
しかし、顔には出さない。
そんなことで怒るのはこの頃のあたしじゃないし、無駄な揉め事を起こすのは得策ではない。
精神を落ち着ける為、机のふちに指を置いて、周りが気付かないくらい軽く深呼吸をする。
「麗美ちゃん」
そんな中、ざわめきの外側から、野村朋子が来た。
立ち上がるのが半拍遅くて、スカートの裾を自分で踏んで、踏んだことに気づいて彼女は恥ずかしさから赤くなる。
朋子は、あたしがここにいる理由を、悪さから探さなかった。
探さない純粋な目で、机の横まで来る。
「今日から登校するの?」
「うん」
「今日だけ?」
「そんなわけないでしょ? ずっと」
あたしの返答に朋子の口が、一度開いたまま止まった。
止まったあとで、笑いに変わった。
自分のことみたいに、満面だった。
両手を取られる。指が温かい。
力は、嬉しいときはいつも少し強い。
「本当に? 麗美ちゃん、これから毎日来るの? 学校に?」
「来るって言ってるでしょ」
「やだ、うれしい。麗美ちゃんがいると、なんか、ちゃんとするもん。これからもまたよろしくね」
これからも、が、朋子の中では途切れていなかった。
不登校のあいだも、友達の数が減ったことになっていない。
あたしは一度、その手を離した。
離してから、朋子の頭に掌を置き、そのまま撫でる。
髪が、春の風をまだ含んでいた。
「こちらこそ。朋子は、相変わらずね。 あんたと居ると何だか落ち着くわ」
「私も麗美ちゃんと居るとすっごく落ち着くよ。 お昼、後で一緒に食べよ!」
「ふふ、いいわよ」
後ろで、誰かが息を吐いた。
神崎が笑ってる。
と、女子が言って、男子が「笑ってただけだろ」と返した。
朋子は聞いていない。
聞いていない朋子の頭から手を下ろすと、指に温度が残った。
そこへ水を差す相手が現れる。
「……」
相沢みやびが、扉の枠に肩をつけずに無言で立っていた。
生徒の制服で、クラスのトップにいる顔だ。
視線が、朋子の手のあとを一度見て、肩を過ぎた髪を見て、あたしの顔で止まった。
「神崎。 ちょっと廊下、来なさい」
命令の形をしていた。
朋子が
「みやびちゃん、麗美ちゃん今日からまた学校に来るんだよ」
と先に言いかける。
みやびはそちらを見ない。
「野村はそのまま席にいなさい。わたしと神崎との話だから」
「…う、うん……。 う、麗美ちゃん、すぐ戻ってきてね」
「心配しなくてもすぐ戻るわ」
心配する朋子に声を掛けると、あたしは廊下を先導するみやびに着いていく。
廊下は、ワックスの匂いがした。
みやびは、職員室から見える位置までは出ない。
みやびは階段前で止まると、あたしに聞こえる距離で、声だけを落とした。
声を落としても、態度は変わらず上からだ。
「神崎、なんで急に登校してきたの? わたしは、あなたを呼んでいない。 なのに制服を着て、進級初日から席にいる。 わたしへの連絡のひとつもなしに。 ずっと不登校だった神崎麗美が、自分から学校へ来た。その理由を聞きたいの」
みやびの問いかけはストレートだった。
前の人生なら、理由はみやびの側にあった。
潰す相手がいて、その相手に当てる顔として、あたしは彼女に呼ばれた。
今は、当てる相手をみやびがまだ指名していない。
当てる相手もいない。
呼ばれてもいない。
そして連絡もしていないのに無断で勝手に登校した。
みやびの機嫌を悪くするには、それで足りた。
「理由は簡単。 単純に中学三年になったから。 中学生活最後の年を学校に行かないまま終わるのが、嫌になっただけ」
「それだけの顔をしていない」
「どういう顔なら、それだけに見えるの?」
みやびの眉が、寄らなかった。
寄らないのが、この人の怒りの出し方だ。
「あなたは、来ると決めた人間の顔をしていない。 見に来た顔よ。誰が担任になるか、このクラスがどう動くか。それを、席から見るために来た。 そうでしょ?」
半分、当たっている。
半分は、みやびに渡さない。
担任の名前は、あたしの中に既にある。
しかし、あるとは言えない。
「見に来たとしても、悪くないでしょ。学校なんだから。みやびの許可がいるなら、最初から不登校なんてしない」
「許可は要らない。邪魔はして欲しくないの」
「あたしは邪魔する気はないわ。 ただ、席にいるだけ。 それに、呼んでないのに、連絡もなしに来たことが気に入らないなら、それはみやびの都合でしょ」
「……」
「……」
間ができた。
みやびは完全には納得していない。
納得しない目のまま、これ以上は押さなかった。
「……分かった。今日のところはそれでいいわ。 ただし、クラスの中で勝手に火を点けないで。火を点けたときは、わたしがあなたを潰す」
「火は、まだないわよ?」
「ないうちに、言っておくの」
矛先は、そこで収まった。
味方ではない。
敵にも、今のところはならない。
お互いの纏う空気が硬いまま、みやびはあたしより先に教室へ戻った。
戻った先で、朋子が席の横に残っていた。
「みやびちゃん、怒ってた?」
「怒ってた、というよりも、みやびが呼んでないのにあたしが連絡もなしに勝手に登校してきたことを、みやびが気に入らなかっただけよ」
「みやびちゃん、そういうとこあるよね……でも麗美ちゃんが来るのは、いいことだと思う。 あたしは素直に嬉しいよ!」
「うん。 ありがとう朋子」
もう一度、朋子の頭に手を置きかけたところで、廊下側の足音が変わった。
革靴の、普通の教員の歩き方じゃない。
軽いのに、床を割るような。
前の人生では五月の終わりに、間近で聞いた音だ。
今は四月の…新学期初日の朝に聞こえている。
とても懐かしい感じがする。
あたしがそんな懐かしい気持ちを感じている中、村井達が教室の前側の入り口の上にトラップ《黒板消しのチョーク粉の罠》…たっぷりチョークの粉を含ませた黒板消しを入り口に仕掛け、扉が開けられるとそれが上から落ちて、当たると受けた相手はチョークの粉まみれになるという担任潰し第一弾とも呼べる罠…を悪い笑みを浮かべながら設置し、三年四組の新担任になるであろうその人物を待ち構える。
その数分後、扉が開けられた。
というより、力任せに蹴り破られた。
その瞬間、黒板消しは落下するが、それは現れた人物に容易くキャッチされる。
「お〜っとあぶねえ! あやうくセットが乱れるトコだったぜ」
そしてその人物に捕まれた黒板消しは、トラップの成功を確信し、ほくそ笑みながら完全に油断していた村井の顔面へと寸分変わらず叩きつけられ、白い粉が大量に宙を舞う。
その後、粉煙が晴れると、中から某殿様を彷彿させるくらい顔が真っ白くなった村井の姿があった。
村井があっさりとしてやられ、撃退された無惨な姿に三年四組が、もう一度止まった。
止まった先に、柄の悪い若い男が居た。
髪は染め上げた金髪。
服はだらりとした上下白のブランドっぽいスーツ。
首に下げた太いゴールドのチェーンネックレス。
更に目にはサングラス。
到底教師には見えないまるでチンピラのような出立ちで、男は教壇の位置に立っている。
…やっと会えた…
不敵に笑う男の視線がサングラス越しにクラスを一周して、空席を探して、空いていない席で一度止まった。
彼の視線から察するにあたしの席だ。
サングラスの奥から感じとれる彼の目は、まだ知らない相手を見る目だった。
胸の奥が、知っている場所で鳴った。
鳴っただけで、顔には出さない。
この男は、まだあたしを知らないのだから。
知っているのは、あたし、神崎麗美だけだ。
男が、教壇に鞄を置いた。置く音が、大きい。
「よーう、三年四組。新担任の鬼塚英吉だ。よろしくな」
男がサングラスを外しながら簡潔にそう挨拶をする。
教室が、彼の名前を処理する前にざわついた。
みやびは座ったまま、そのざわめきを見ていない。
見ているのは、教壇の男だ。
朋子は「金髪……」と、あたしにだけ聞こえる声で言った
。
あたしはニヤつきそうになる微笑みを、深くしすぎない位置に置く。
肩に掛かった髪が、胸の高鳴りで少し揺れた。
前の世界であたしが居なかった空白の約二か月が、彼…鬼塚英吉の登場から始まる。
髪が腰まで伸びきる前に彼に出会った。
小さな変化ではあるが、それは以前は無かった確かな変化。
その一つ一つの小さな積み重ねが結果を変えると信じてあたしは動く。
流れを大きくは変えず、しかし、あたしが関与出来る時はとことん関与する。
そして、あの結果を絶対に変えてみせる!
あたしは鬼塚と初めてこの世界で邂逅することで改めて決意を新たにするのだった。
鬼塚登場の回でした。
AIさんが出した文章をちょこちょこ直し、付け加えてますが、自分の文才が無く、同じことを繰り返しているような気がしてますが、優しい目で見ていただけると幸いです。