杏子編後編です。
翌日。
ゴールデンウィークを数日先に控えた三年四組の教室は、いつもより少し騒がしかった。
その原因は、吉川が、顔にガーゼを貼った痛々しい姿で登校してきたからだ。
「おい、吉川。どうしたんだそれ!?」
村井が、机に肘をつきながらも驚いた様子で問いかける。
「……ち、ちょっと…階段で転んじゃって…」
吉川は、咄嗟に嘘をつく。
「階段で!? ほんとかよ?」
草野が疑問を投げかけ、藤吉が、興味深そうに続ける。
「嘘だろ? 誰にやられたんだ? 教えてくれよ」
「……別に。大丈夫だから」
吉川は、視線を落とした。
その時、教室の扉が開いた。
杏子が入ってきた。
いつもより、少しだけ足取りが重い。
吉川と目が合うと、杏子はすぐに視線を逸らしながらも彼の元へと歩み寄る。
「……おはよ」
小さく、そう言った。
「……おはよう、上原さん」
吉川が答える。
村井が、二人を交互に見た。
「……おい、上原。 なんかあったのか?」
「ないわよ」
杏子が、即座に否定した。
声が、少し尖っていた。
「ないなら、なんで吉川がそんな顔してんだよ」
「……村井には関係ないでしょ……」
「んだと!?」
杏子は、自分の席に座った。
背中が、少し硬い。
そんな時、朋子と話していたみやびが、静かに口を開いた。
「朋子、ちょっとごめん……村井、それに草野と藤吉も、詮索しすぎよ」
「うるせえ。気になるだけだ」
「気になるのは分かるけど、自重しなさいよ村井。 吉川くんも杏子も言いたくないんだから……全く、あんたは相変わらずデリカシーがないわね」
「うるせえよ!」
「…草野と藤吉も本人達が話したくない話題に無理やたらに首を突っ込まないこと。 良い?」
「ああ」
「分かった」
「無視すんなよみやび!」
草野と藤吉が頷く中、非難の声を上げる村井をスルーし、みやびは、杏子を見た。
杏子は、何も言わなかった。
ただ、机の上に両手を置いて、視線を落としていた。
すると鬼塚が、教室に入ってきた。
麗美が、その後ろに違和感なく、自然な形でついてくる。
「……おう。朝だぞ、てめえら」
いつものように、だらしなく言う鬼塚。
しかし、吉川の顔を見ると、少しだけ眉を寄せた。
「……吉川。大丈夫か」
「……はい。大丈夫です」
「そうか。無理すんなよ」
鬼塚は、それ以上何も聞かなかった。
麗美が、杏子の席の近くを通りかかった。
「……上原さん。昨日は、ありがとう」
小さく、そう言った。
杏子は、顔を上げた。
「……別に。私は、何も」
「そう。でも、吉川くんは、上原さんのおかげで病院に行けた」
麗美は、そう言って自分の席に座った。
杏子は、また視線を落とした。
胸の奥が、ざわついている。
授業が始まった。
吉川は、時折腹に手を当てながら、ノートを取っていた。
杏子は、何度もそちらを見てしまった。
見るたびに、すぐに視線を逸らす。
(……吉川ほんとに大丈夫なの?……)
内心では吉川が心配で気が気でないものの、それを表面に出せないことに自己嫌悪に陥る杏子。
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昼休み。
杏子は、屋上に上がっていた。
プレハブ小屋のある側とは逆側の扉の脇の方に座り、持参した弁当を広げる。
普段は他の女子と食べるが、今日は吉川の件もあり、一緒に食べる気が起きず、一人で食事を摂ろうと思ったからだ。
風が、優しく吹いている。
その時、後ろから声がかかった。
「……上原さん」
振り返ると、吉川が立っていた。
手に、牛乳パックを持っている。
「……何? どうしたの?」
「……一緒に、食べてもいい?」
杏子は、少し迷った。
「……別に。好きにすれば」
吉川は、隣に座った。
少し距離を置いて。
二人は、無言で食べた。
風の音だけが、聞こえる。
「……昨日、本当にありがとう」
吉川が、小さく言った。
「……いいって、言ったでしょ…私だってあんたに助けてもらったんだし……」
「でも、上原さんが連れてきてくれなかったら、病院に行かずに一人で帰ってたと思う」
「……神崎さんが居たじゃない?」
「確かにそうだけど……」
杏子は、牛乳を一口飲んだ。
「……それより……痛くないの、お腹?」
「……少し、痛い。でも、大丈夫」
「……そう…」
「……うん」
吉川は、杏子を見た。
吉川は、小さく笑った。
杏子は、顔を赤くした。
「……っ。バカ…」
「ごめん」
「……謝んないで」
二人は、また無言になった。
でも、その沈黙は、嫌なものではなかった。
こうして昼休みが終わり、二人は無言の中、一緒に教室に戻った。
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放課後、少し経った後。
杏子は、プレハブ小屋に来ていた。
麗美と鬼塚が、いつものように寄り添いながらソファに座っている。
「……また…相談してもいいかな?」
杏子が、小さく言った。
「ああ。 どうした?」
鬼塚が答える。
杏子は、向かいの椅子に座った。
「……吉川のこと」
「うん」
麗美が、静かに頷く。
「……昨日のことが、頭から離れない。あいつが、私のために……あんなに殴られて」
杏子の声が、少し震えた。
「……でも、素直になれない……本当は心配で堪らないのに……大丈夫とか聞きたいのに……」
鬼塚が、腕を組んだ。
「……お前が、素直になれねえのは分かってる。でも、吉川は、お前のこと見てるぞ」
「えっ!?」
「昨日、病院から帰ったあと、電話で俺に『上原さん、大丈夫でしたか』って聞いてきた。自分の傷より、お前の心配してたぞ」
杏子の目が、少し見開かれた。
「……そう、なの?…」
「そうだ。だから、お前が何もしなくても、あいつはお前のこと気にしてんだよ」
麗美が続けた。
「上原さん。焦らなくていいわ。でも、何も言わないままだと、吉川くんも分からない。少しずつでいいから、友達として思ったことを口にして接してみて」
「……友達として思ったことを口にする……」
「ええ。『ありがとう』でも、『無理しないで』でも。上原さんが、吉川くんのことを思ってるって、分かるように」
杏子は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく頷いた。
「……やってみる」
「それでいい」
鬼塚が、言った。
「…あり…がと…」
杏子は、二人に静かに礼を言うとプレハブを出た。
廊下を歩きながら、胸の奥が熱いままだった。
(……友達として思ったことを口にする……友達として思ったことを口にする……)
杏子は麗美に言われたことを心の中で繰り返す。
ほんの少しだけ、前に進めた気がした。
ー
ー
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翌日。
杏子は、登校途中で吉川を見かけた。
一人で、歩いている。
足取りが、まだ少し重い。
杏子は、少し迷ってから、声をかけた。
「……吉川」
吉川が、振り返る。
「……上原さん」
「……一緒に、行く?」
思ったことを口にした。
自然と言えたことに杏子は自分でも驚いた。
吉川の目が、少し見開かれた。
「……いいの?」
「……別に。ただ、歩いてるだけよ。……そ、その…友達として……」
「……うん」
二人は、並んで歩いた。
少し、距離が近い。
杏子は、視線を前に向けたまま言った。
「……お腹、まだ痛い?」
「……少し。でも、大丈b」
吉川の言葉を遮ると、杏子は間髪入れずに話す。
「嘘……無理しないで。休んだ方がいいなら、休んで」
「うん……上原さんが、そう言うなら」
吉川は、小さく笑った。
杏子は、顔を赤くした。
「……バカ」
「ごめん」
「……謝らないでよ…本当バカなんだから…」
二人は、学校まで歩いた。
教室に着くと、村井が二人を見て、小さく口笛を吹いた。
「……おいおい。仲良くなったじゃねえか」
「……吉川とは友達になったんだから仲良くて当然でしょ?」
杏子が、即座に言い返した。
吉川は、小さく笑っていた。
「こら村井! 茶化すんじゃないわよ!」
「な、なんだよ、みやび! い、痛ぇ!? 耳引っ張んな!」
村井とみやびのやり取り尻目に二人は互いに自分の席に向かう。
杏子はそのまま自分の席に座る。
胸の奥が、まだ熱い。
でも、嫌じゃなかった。
(吉川とは……友達、でいい。今は…それだけで充分……)
杏子は麗美の言葉を、思い出した。
(友達として思ったことを口にする…か……ありがとう神崎さん…あなたのおかげで前に進むことが出来たわ)
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放課後。
「……吉川、私これから買い物に行くけど…一緒に来る?」
杏子は、吉川を誘う。
「……え?」
「……別に嫌なら良いわ。 私、買うものがあるからついでに、一緒にと思っただけだから…友達として…」
吉川は、少し驚いた顔をしたあと、頷いた。
「……うん。いいよ」
「!?……そう…なら行きましょ」
二人は、学校を出た。
駅前の商店街を、ゆっくりと歩いた。
杏子は、時折吉川の様子を見た。
腹を気にしているのが、分かる。
「……無理しないで。疲れたら、言って」
「……大丈夫。上原さんが、気にしてくれるから」
「……っ。バカ」
杏子は、視線を逸らした。
でも、口元が少し緩んでいた。
商店街の端で、二人は足を止めた。
夕暮れが、近づいていた。
「……上原さん」
「……何?」
「……昨日のこと、ありがとう。本当に」
「……いいって、言ったでしょ」
「でも、嬉しかった。上原さんが、そう言ってくれて」
杏子は、吉川を見た。
その目が、真っ直ぐだった。
「……吉川…私の方こそ、あの時助けてくれてありがとう…嬉しかった…」
「……うん」
「……私も……あんたのこと、友達として、ちゃんと見てるから…」
言葉が、少しぎこちなかった。
吉川は、小さく笑った。
「……うん。僕も、上原さんのこと、友達として見てるよ」
杏子は、吉川の言葉に少しだけ安心した。
ほんの少しだけ期待はしていた。
でも……今はまだ早い。
そう…今はまだ友達で良いのだ。
「……吉川……これから、たまにこうして歩いてもいい?…一緒に…」
「……いいよ」
二人は、並んで歩き出した。
夕暮れの風が、二人の間を優しく通り過ぎていった。
杏子の胸の奥が、熱いままだった。
でも、もう少しだけ、楽になった気がした。
(……友達、でいい。今は、これで……)
その思いが、少しだけ形を持ち始めていた。
二人が恋人になる日はまだ先。
という訳で吉川と杏子の淡い恋模様はひとまず【友達】という形で落ち着きました。
二人が恋人になるイベントはあれじゃないといけない気がしたので…
その時に二人は結ばれる予定なのでよろしくお願いします。
今回の件で杏子も鬼塚側に来たので、主要メンバーはほとんど集まった形となりました。
この後の生徒はダイジェストになるかもしれません。
それは置いておいて、次回はゴールデンウィーク編になります。
この世界における麗美と母親との和解や、鬼塚とのデートなどを予定してますのでお楽しみを。
次回もよろしくお願いします。